2005年4月の映画
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レッド、ホワイト&ブルース
マイク・フィギス監督/2003年/アメリカ/DVD
ブルース生誕100周年記念と銘打って、マーティン・スコセッシの監修により製作されたブルースにまつわる映像作品7編のうちの一作。BOXで購入したはいいけれど、なかなか見る時間が取れなくて困りもののシリーズなのだけれど、とりあえず手始めに、ヴァン・モリソンの登場するこの作品を見ることにした。
これはイギリスでのロックの誕生において、ブルースがどういう役割を果たしてきたかを、ミュージシャンたちのインタビューを通じて辿ってゆくというドキュメンタリー。ジェフ・ベックのギターをバックにした、ヴァン・モリソンとトム・ジョーンズのスタジオ・セッションの模様も収録されている。 『マーズ・アタック』 や 『恋はメキメキ』 でのおバカな印象しかないトム・ジョーンズが、実はブルースを熱く語るタイプの人だったとはちょっと驚いた。この人は終始ジェフ・ベックとペアで登場、セッションもヴァン・モリソンは初っ端の一曲だけで、あとはほとんどトム・ジョーンズの独壇場という印象だ。ヴァン・モリソン・ファンの僕としては、トムさんちょっとばかりがんばり過ぎと言いたくなる。
インタビューに登場するミュージシャンはこれら三人のほか、エリック・クラプトン、スティーヴ・ウィンウッド、ミック・フリートウッド、ピーター・グリーン、B.B.キング、ジョージー・フェイム、エリック・バートン、ロニー・ドネガン等。そのほかにも僕が知らない人たちが多数出演している。DVDのクレジットにはビートルズやストーンズの名前もあるけれど、これらはちょろっと過去の映像が出るだけ。たったあれだけで名前を出すのは詐欺みたいなものだ。
印象的なのは、イギリスの若者がブルースを演奏し始めてロックが生まれ、それが本国アメリカに逆輸入されて初めて、ブルース・ミュージシャンたちが日の目を見ることになったという話。ルーツ・ミュージシャンであるはずのB.B.キングが、ストーンズやビートルズについて、「彼らがいなかったら今の自分はなかった」と、まるで逆のことを言っているのが興味深かった。
(Apr 10, 2005)
ピアノ・ブルース
クリント・イーストウッド監督/2003年/アメリカ/DVD
『ザ・ブルース』 のわが家でのニ作目──シリーズに収録されている順番とはぜんぜん関係ない──は、ジャズ通として知られるクリント・イーストウッドがピアノにスポットをあてた作品。紹介される映像にはオスカー・ピーターソンやセロニアス・モンクなどの演奏も登場するという、ブルースの枠に捕らわれない内容となっている。
イーストウッドという人は幼い頃にジャズに魅せられ、独学でピアノを習得して、十代の頃には既にナイトクラブでピアノを弾いていたという、つわものだそうで。そんな人がブルースについてのドキュメンタリーを撮るとなれば、それがピアノをメインとしたものになるのは当然のこと。リスペクトするミュージシャンたちを呼び集めて、自ら話を聞くイーストウッドがとても楽しそうで微笑ましい。
在りし日の最後の頃──おそらく死去する一年ばかり前──のレイ・チャールズの映像がたっぷりと収録されている点でも、とても貴重なフィルムだったりする。かの人を始めとしたよぼよぼのおじいさんたちが、いざピアノに向かうとなると、まるで年齢を感じさせないことにはある種の羨望を禁じ得ない。
弾けもしないピアノが弾いてみたくてたまらなくなる作品だった。
(Apr 10, 2005)
セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー
シャーロット・ズウェリン監督/1988年/アメリカ/DVD
映画界きってのジャズ通、クリント・イーストウッドの製作による、ジャズ界きっての異才(というわけでもない?)、セロニアス・モンクのドキュメンタリー・フィルム。どういう経緯で撮影されたのかはわからないけれど、モンクが67~68年に行ったヨーロッパ・ツアーの間にオン、オフステージを問わずに撮影された膨大なフィルムがあったらしく、そられを中心に据えて、生前のモンクの姿──当時は50歳くらいなんだろう──を印象的に浮かび上がらせている。監督の女性はストーンズの 『ギミー・シェルター』 も手がけているそうだ。
セロニアス・モンクというピアニストのプレーは上手いんだか、下手なんだかよくわからない。少なくても 『ピアノ・ブルース』 を見ただけの知識からすると、これほどたどたどしい指使いでピアノを弾くピアニストはめったにいないだろう。時どき音も外している気がするし、そういう面ではとても上手い人には思えない。けれどそれでいて、そのたどたどしさ、危なっかしさにより、ほかにはない個性を感じさせるところがおもしろい。ある種、かなりロックに通じる存在感を持ったジャズ・マンだと思う。
(Apr 23, 2005)
マトリックス
アンディー&ラリー・ウォシャウスキー監督/キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス/1999年/アメリカ/DVD
僕らが現実だと思っている今のこの生活が、実はヴァーチャル・リアリティだったら……。そんなアイディア自体は、いまどき特に目新しくもない。けれどそれをこれほどハイテンションのエンターテイメントとして映像化するとなると話は別。凄まじいまでの濃度を誇るこのSFアクション・ムーヴィーは、やはり今後も映画史上に残る名作のひとつとして今後も語り継がれてゆくんではないかと思う。
僕がこの映画を初めて見たのはWOWOWでだった。僕は当時、この映画についてほとんどなにも知らなかったので、特に意識して観ようと思っていたわけではなかった。なんとなくテレビをつけていたら始まったので、やたらと評判の作品だし、じゃあ見てみようかとかいう感じだったと思う。ところが最初の15分ばかりを観ただけでも、これがとんでもない映画らしいということがわかる。これはちょっとちゃんと観ておかないとまずいなと思い、その時は幼い子供がいたせいか、あまり映画に集中できるような状態じゃなかったので、あえてそこまでで観るのをやめたんだったと思う。
ただその後、日をあらためてすぐに観直したかというとそんなことはなかったし、いざきちんと全編とおして見た時の印象もそれほどでもなかった。すごい映画なのは認めつつも、アクションシーンのスローモーションの多さがその頃の僕の趣味にあわず、それほどに入れ込めずに終わってしまった感じだった。だから続編も 『リローデッド』 というタイトルにはなかなか感心したものの、特に観たいとは思わなかった。そんな僕が今回、わざわざDVDのアルティメット・コレクションを買ったのは、単に物欲の致すところ以外のなにものでもない。半額だと言われたら、つい欲しくなってしまった。
ま、そうは言っても、やはりこの映画はすごいと思うし──というか内容をほとんど忘れてしまっていたので、今回見直したことでかなり印象がよくなった──なによりこのボックスがコレクター心をくすぐること、このうえない。ディスプレイに流れるグリーンの文字をデザインに採用したパッケージがとても綺麗で、この箱が手に入っただけでも買ってよかったと思ってしまう。これに加えて十枚組というボリューム、ディスク2枚ずつが重なり合う形で収納されている新しいタイプのデジパック、80ページもある美麗なオールカラーのブックレット(ただあまり情報量は多くない)など、ものとしてのアピールは十分。これを定価の半額で入手できたのだから文句なしだ。ボーナス・ディスクまで含めると35時間と言われるコンテンツを全部をきちんと見る時間はとても作れそうにないけれど、とりあえず持っているだけで幸せな気分になれるボックスだった。とんだ物欲野郎だ。
物語は後半、裏切り者の登場によって大きな展開を見せる(救世主の物語には裏切り者ユダの存在が必要不可欠)。仲間を裏切るサイファー(ジョー・パントリアーノ)の行為は卑劣だと思うのだけれど、それでいて裏切りの理由──彼は過酷な真実を否定して、甘美な嘘=マトリックスを選択する──を前にすると、素直に彼を弾劾できない気分にさせられる。そんな僕は現代文明の安寧さにかなりの割合で毒されている。
(Apr 23, 2005)
マトリックス リローデッド
アンディー&ラリー・ウォシャウスキー監督/キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス/2003年/アメリカ/DVD
地底深くに潜って機械との戦いを続ける人類最後の砦ザイオン。前作では名前だけしか出てこなかったこの都市が、人類の滅亡を目論む機械からの総攻撃のターゲットになる。敵が到着するまでのカウントダウンの間に、これを阻止しようとするネオたちが再びマトリックスに潜入して過酷な戦闘を繰り広げるというのがこの第二作の大きな物語の流れだ。
前半はザイオンを描くことに力を入れ過ぎた感があって、若干冗長になってしまったかなと思う。モーフィアスの大演説のあとの祭のシーンが特に長く感じられた。機械に対する生命の躍動を表現したかったのだろうし、あのシーンの撮影に巨費がかかったのはあきらかだから、その分たっぷりと見せたくなるのはわかるけれど、作品としてはその長さにあまり必然性を感じられなかった。
もうひとつ気にかかったのが、アクションシーンにおけるCGの不自然さ。この作品ではあきらかに人まで含めて全部CGで作りましたというのがわかってしまうアクションシーンが多い。特にネオが増殖したスミスと戦うシーンの映像がまるでコンピュータ・ゲームを見せられているみたいで失望させられた。スミスがわらわらと群がってくるアイディアはおもしろいし、それを実現するにはCGを使うのは必然だったのかもしれないけれど、だとしたらばもっともっと完成度を高めて欲しかった。
そんな風に不満もそれなりにある出来なのだけれど、それでも作品の質は決して低くないと思うし、表現者たちの意欲は伝わってくるので、僕はこの続編もけっこう気に入っている。前作同様、トリニティーの単独アクションシーンで始めておきながら、そこで今回は彼女の窮地を描いておいて、クライマックスへの伏線にした脚本も、ミステリタッチでなかなかおもしろかった。
(Apr 23, 2005)
マトリックス レボリューションズ
アンディー&ラリー・ウォシャウスキー監督/キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス/2003年/アメリカ/DVD
シリーズ完結篇はいきなりネオの意識が、マトリックスでもなく、リアル・ワールドでもない世界に迷い込んでしまったという思わぬ展開で幕を開ける。彼がいるのは清潔感あふれる真っ白い地下鉄のホーム。そこに一緒にいたインド人親子三人組──その実態はコンピュータ・プログラムだそうで、幼い少女サティーはのちのエピソードで預言者の後継者といった存在感を持つことになる──が、そこはマトリックスともうひとつの世界(コンピュータ・ワールド?)をつなぐ通路のようなもので、そこを通るには 『リローデッド』 で登場したフランス人(?)メロビンジアン(ランバート・ウィルソン)の手下のトレインマンなる浮浪者風の男の許しがいるとかなんとか説明してくれる。なんだか最初からよくわからない話になっている。
その後なんだかんだあった末に、結局トリニティーとモーフィアスの助けを得てネオはマトリックス&現実世界へ復帰。ここからいよいよクライマックスへ向けて物語は三つの話に分裂する。
ひとつめはとうとう機械の総攻撃を受けることになったザイオンを描くライン。大群で押し寄せる丸頭イカロボットの壮絶さには思わず笑ってしまう。
動物的な滑らかな動きを見せるそのロボットに対し、人類側の対戦兵器は、 『エイリアン2』 でリプリーが操縦していませんでしたかと聞きたくなるような無骨なシェイプのもの。どうにも弱そうだ(でも実は意外と強い)。戦いの優劣はおのずからはっきりしていて、あとはネオの起死回生の活躍を待つばかりという展開になる。
ふたつめはネオたちと別れてザイオンに戻るまでのモーフィアスたちのスペースシップを追うシーケンス。この人たちも途中で丸頭イカに見つかり、迫力満点のカーチェイスならぬスペースシップチェイスを繰り広げることになる。
ここではパイロットをつとめるナイオビ(ジャダ・ピンケット・スミス)の凛々しさが印象的だ。すっかりモーフィアスは彼女に食われてしまっている。
彼女のみならず、ザイオンではリンク(バズ・ラーマンの 『ロミオ&ジュリエット』 でマキューシオ役を演じたハロルド・ペリノー)の恋人役ジー(ノーナ・ゲイ──びっくりしたことにマーヴィン・ゲイの娘さんらしい──)が大活躍する。トリニティーはもとより、預言者やサティーまで含め、女性の活躍が著しいのがこの完結編の特徴かもしれない。
物語の最後となる三つめの柱が、仲間と別れたネオとトリニティーが、二人きりで機械たちの中心都市を目指すというシーケンス。ところが前作でエージェント・スミス(ヒューゴ・ウィーヴィング)に意識を乗っ取られた男の存在がここでいきなりクローズアップされ、二人を窮地に陥れることになる。そんな伏線があったことなど(わずか一週間で)すっかり忘れていたので、いったいこいつは何者だと最初はちょっと戸惑った。
リアル・ワールドに進出してきたスミスとの格闘でネオは目をやられ、以降彼は視覚を失った状態で、不思議な光を幻視しながら行動することになる。そして最後には前作で自らをコピーで増殖させるすべを覚え、ついに機械文明に滅亡をもたらすほどの存在となったスミス(要するにコンピュータ・ウィルス?)に対して、機械&人類の両者を救うための最終決戦を挑むことになるのだった。
やはり 『マトリックス』 シリーズの一番の要はエージェント・スミスだった。
(Apr 24, 2005)