2021年のコンサート
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- ずっと真夜中でいいのに。 @ 幕張イベントホール (May 16, 2021)
- 宮本浩次 @ 東京ガーデンシアター (Jun 12, 2021)
ずっと真夜中でいいのに。
CLEANING LABO「温れ落ち度」/2021年5月16日(日)/幕張イベントホール
新型コロナ・ウィルスのせいで海外アーティストの来日は全滅、国内アーティストも自粛でコンサートの本数が激減している。
そもそも開催されても、出不精でマスク嫌いの僕は、二時間もマスクをしたままでステージを観たいとは思わないから、今年は大人になってから初めて一度もライヴを観ずに終わる一年になると思っていた。
でもなにごとにも例外あり。ずとまよのチケットが手に入っちゃったらば、そりゃ観ないわけにはいきますまい。
ということで、緊急事態宣言下にある東京を離れて、お隣の千葉県・幕張イベントホールで開催されたずっと真夜中でいいのに。のライブを観てきた。幕張メッセには何度もいっているけれど、このホールでコンサートを観るのはこれが初めて。
今回の公演は一年前に『クリーニングライブ「定期連絡の業務」』というタイトルで開催される予定だったライヴの振替公演。二度の延期を経て、タイトルを微妙に変更して開催された。感染防止のため、定員を当初の半分にして、一日二公演を二日間。僕らが観たのはその最後の回だった。
緊急事態宣言のさなかだし、実施すべきかどうか、していいのかと最後まで葛藤はあったのだろうと思うけれど――そのことはコンサート終盤のACAねのMCからも感じ取れた――最終的にはここまで丹精を込めて築き上げてきたものを無にはできないという思いがまさったのだろうと思う。とにかく今回はそのステージ装飾がすごかった。
二年前に観たこたつのセットも素敵だったけれど、その後のネームバリューのアップにともない予算が増えたからか、今回はさらに壮大なことになっていた。配信で観た去年の『やきやきヤンキーツアー』もすごかったけれど(配信ライヴを観て、マスクが嫌でチケットを取ろうともしなかったことを少なからず後悔した)、今回は会場の広さもあって、さらにグレードアップしていたように思う。
いや、豪華という言葉は不適切かもしれない。金銀をきらめかせたキラキラとしたきらびやかさとは無縁な、『AKIRA』や『マッドマックス』を思わせる退廃的でレトロな美意識に貫かれたセットだったから。ずとまよはステージの上に二階建ての廃墟の街の風景を築き上げてみせた。
ステージの右手の二階にはシャッターが下りた研究室がある。ACAねの立つステージの真ん中には、直径二メートルほどの巨大な貯水槽のようなものが配され、その上方から伸びる何本かのパイプが向かう先、右手の建物の二階の物干し台にはコイン・ランドリーのようなドラム型洗濯機数台が並んでいる。セットの上方の薄暗い空には万国旗のようにたくさんの洗濯物がはためいている。
イメージ的には『やきやきヤンキーツアー』の延長線上。それを「クリーニング」というキーワードを絡めて、さらに発展させた感じで、なんかもう、そのままディズニーシーの一角に持っていってアトラクションとして公開できそうだった。こんなものをたった二日間だけのコンサートのために作るって、どんだけ金かけてんだよと思った。道理でチケットが高いはずだ。
セットがこれだけすごいのだから、演出も当然のように凝っている。ライブの開演までの待ち時間には、カトレヤトウキョウという人たちがシャッターに『ZTMY』のロゴを描くスプレー・ペインティングのパフォーマンス・アートがある。
彼らが絵を書いているあいだ、ステージ中央の貯水槽には洗濯機の映像が映し出され――これがあまりにリアルなのでライブが始まるまでずっと実物が配置されているのだと思っていた――そのドラムが回るゴトゴトという音がBGMがわりに会場に流されているのもディズニーリゾートのアトラクションっぽかった。
カトレヤさんたちはシャッターを仕上げたあと、ステージ右手へと移って、建物の壁をスマイル・マークみたいなラクガキで埋め尽くしていった。彼らが絵を描き終えていったんステージから離れたあと、そのうちにひとりががふたたびステージに戻ってきて、最後に自分たちのサインを入れて作品を仕上げたのがライブの開始の合図。彼が壁の左横にあったドアを開くと、そこからバンドのメンバーがぞろそろと登場してきた。
今回のバンドには、村山☆潤を中心とした四人に加え、ストリングスを多用した『ぐされ』の音作りを再現するために、吉田宇宙ストリングスという弦楽四重奏が加わっていた。また、途中からおなじみのOpen Reel Ensembleのふたりも参加。さらには『機械油』からの三曲では、津軽三味線の小山豊という人も登場するという。セットのみならずバンド構成もとても豪勢だった。
話をオープニングに戻すと、最初にドアから出てきたのは、ストリングスの人たちで、彼らの持ち場は右手二階の物干し台の上。この日のコンサートのオープニングを飾ったのは弦楽四重奏による短めのソロだった。
これがカッコいい! ストリングスの柔らかな音のイメージを裏切る、ちょっと荒くれた感じのビビッドな音が荒廃した舞台装置に映えて最高だった。
【SET LIST】
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吉田宇宙ストリングスが名刺代わりに弦の音を響かせたあとにバンドの演奏が加わり、一曲目『胸の煙』のイントロが始まる。そこでステージ右手のシャッターがガラガラとあがって、主人公のACAねさんが登場~。そのままステージ中央に向かう階段をおりてきた。わはは、この演出最高~。
シャッターがあがって初めて、その小部屋が研究室だったことがわかる。背面にはたくさんのモニターがびっしりと配置されていて、右手にはカラフルな液体の入ったビーカーやフラスコから煙が出ている。マッド・サイエンティストのラボってイメージ。細部まで手が込んでいる。そういや今回の「温れ落ち度」という変なツアー名は、DNAを構成する「ヌクレオチド」という物質の語呂合わせらしい。ACAね、可愛い顔して理系度が半端ないな(顔は知らないけど)。
僕らは今回も席に恵まれて、アリーナの前から七列目の一番左隅にいたので、そういうステージセットが肉眼でもそれなりに見えだから、楽しさ倍増だった。ステージの左右に配置された大型モニターの映像も当然凝ったものだったので、それも目の前で大きく見える僕らの席は、ある意味ベスト・ポジションだったように思う。村☆ジュンが逆サイドにいたのは残念だったけれど、でもこれ以上を望んだら罰があたる。
いやしかし、あらためて生でその歌を聴くと、ACAねのボーカリストとしての力量がすごい。レコーディング作品で聴ける歌声とまったく遜色がない。さんざん聴いて耳になじんだ楽曲群が、あのまんまの歌声で、なおかつライヴならではのラウドでラフなバンド・サウンドに乗って楽しめるんだから、これが最高ではなくてなんだろう?
あとね、ACAねちゃんは見た目もかわいい。スポットライトを浴びないのでどんな顔をしているかはわからないけれど、でも歌って踊るそのシルエットは完全に美少女。動きのひとつひとつが可愛くて仕方ない。現実に目の前で歌っている実存の人なのに、なんだか二次元キャラを愛でているような不思議な気分になってしまった。
セットリストは『ぐされ』のほぼ全曲にライブの定番を加えた感じのもの。『勘冴えて悔しいわ』が『ヒューマノイド』とのメドレーになっていて、ワンコーラスしか聴けなかったのと、『低血ボルト』がはしょられていたのが心残りだった。あと『脳裏上のクラッカー』がはしょられたのも予想外。あれは定番中の定番だと思っていた。
『はう"ぁ』ではモニターにでかでかと「Have a」と出たので、「あ、そう書くのか」と思ったり(ACAねのことだから気まぐれな語呂合わせの可能性もあり)、『機械油』ではバールのようなものでなにかをたたいていると思ったら、あとでうちの奥さんにあれはレンジだったと教えられたり(「稲妻のレンジ叩け」って歌詞を再現してたとは)。中盤の珠玉のバラッド二連発ではオーディエンスに座るよう勧めたり。声出しNGのご時世ゆえ『秒針を噛む』ではコール・アンド・レスポンスのかわりに手拍子を促したり。アンコールの『奥底に眠るルーツ』ではモニターに表示される歌詞が、途中から歌とはぜんぜん関係ない謎の日記風おもしろポエムに差し替えられていたり。そんなライブならではの見所もたっぷり。
あとこの日のライブでもっとも印象的だったのが、本編ラストの『正義』から『正しくなれない』という意味深な二曲のあいだに挟まれたACAねのMC。
記憶力の衰えが著しいので、彼女の発言をきちんと再現できないけれど、それは「押しつけられた正義とは戦っていきたい」というような決意表明だった(少なくても僕はそう思った)。「これからも研究をつづけていきたいです」って。アイドルみたいな若い女の子が「正義を研究する」なんて言うんだからびっくりだよ。
始まったときにはいつものようにはにかみまくりの口調だったのに、本編をほぼ終えてアドレナリンが出まくったのか、その部分のMCではこれまで聞いたことがないくらいはっきりとした口調になっていたし、アンコールで演奏された初披露の新曲も、そうした心情から作った曲だと紹介されていた(なるほど、そういわれるとって内容の素晴らしい曲だった)。
ACAねのようなユニークでエキセントリックな女の子にとっては、同調圧力の強いいまみたいな社会は生きづらいんだろう。そのことに憤りを感じつつも、いま自分にできる最大限を発揮して、ネガティヴな思いは作品へと昇華させて、こんなにも素晴らしいライヴを見せてくれる――。
ずとまよが現在の日本でもっとも個性的で重要なアーティストであることを知らしめるような一夜だった。今回もとてもいいものを見せてもらいました。
(May. 23, 2021)
宮本浩次
宮本浩次縦横無尽/2021年6月12日(土)/東京ガーデンシアター
宮本浩次の五十五歳の誕生日に行われたバースデイ・ライヴをお台場の東京ガーデンシアターという新しいホールで観た。
最近は『ROMANCE』のヒットで宮本人気が高騰しているので、正直なところ、当初のファンクラブの抽選に外れた時点で、今年はもう一度も宮本とエレカシを観れずに終わるんだろうなと思っていた。
なのにちゃんと観ることができたのは、ひとえにうちの奥さんのおかげ。彼女が根気づよく一般発売の抽選に申し込んだところ、二度目の挑戦でまさかの当選。諦めない心って大事だなぁと思いました。僕ひとりだったら絶対に観れていない。持つべきものはエレカシ・ファンの妻。
この日のライヴは同時配信があったので、もともとネットで観る前提で、一万円台で買える小型PCをテレビにつないだりして準備万端だったのだけれど、やはり生で観るのとテレビで観るのとではまるで違う。特に今回は宮本にとってバンドでは初のソロ公演だ。これまでに百回以上エレカシのライヴを観てきた僕らにとっても珍しいことづくめのレアなコンサートだったので、生で観られて本当にラッキーだった。
東京ガーデンシアターというホールは、東京ドームホールを巨大にしたというか、東京国際フォーラムをすり鉢状にしたというか、そういう感じの会場。開館してまだ一年とのことで、いまどきの最新ホールの類にたがわず、こじゃれた感じの空間だった。
そんな会場に寄せたのか、はたまた最近の宮本のモードがそうなのか、開演の待ち時間にかかっているBGMもブライアン・イーノほかの環境音楽みたいなインスト・ナンバーばかり。オーディエンスも予想通り中高年の女性中心だったから、なんかムーディーな大人のコンサート会場って感じがはんぱなかった。ステージは映像演出のための半透明のスクリーンで隠れているし、もう始まる前から会場の空気がいつものエレカシとは違う。
配信の都合もあるからだろう、コンサートはほぼ定刻ジャストに始まった。
まずはステージ手前のスクリーンに「1966.06.12」という宮本の生まれた日付が映し出され、そこからソロ活動を始めた2018年まで時計を一気に進めて、これまでのソロ活動の歴史をモノトーンの映像で走馬灯のようにフラッシュバックしてみせる。
その映像とともに一曲目が始まる──のかと思った始まらない。ちょっとしたインターバルのあと、真っ暗なステージに黄色いランタンの灯が出てきて、その灯しか見えない状態で一曲目の『夜明けのうた』が始まる。なんなんだこのオープニング。で、なんだっけこの曲?――とか思ってしまった駄目な男。エレカシ・ファン失格。
帰宅後に配信チケットを買って、あとで映像で確認したら、宮本がランタンを持ったり置いたりしながら歌っていたけれど、バルコニー三階右手の席にいた僕らからはそんなことは確認できず。おぼろげに宮本らしき人の影は見えたけれど、ステージ手前のスクリーンも降りたままだから、なおさら視認性が低くて、わけがわからなかった。僕らの席からだと、音響的には可もなく不可もなくって感じ。
ステージはツーコーラス目に入るくらいから、足元から徐々に明るくなってゆき、曲が「あぁ、町よ~、夜明けがくる場所よ~」という最後のコーラス(感動的だよねぇ)に辿りついたところでようやくスクリーンがあがって宮本の姿が確認できるようになる。『夜明けのうた』ってことで、夜が明けてゆく風景を演出したんだろうけれど、正直なところ、見えなさ過ぎて印象はいまいち。最初から普通に出てきてくれた方がもっと盛り上がったんじゃん?――って思ってしまいました。
この日のコンサートはそういう、なにそれ?って思う演出のオンパレードだった。『解き放て、我らが新時代』で宮本がステージ正面に設置された手すりつきの小ステージ(ゴンドラ?)で宙に持ち上がったのは大笑いだったし──しかもそれがその一曲でしか使われなかったのも失笑もの──小林武史のピアノと宮本のスキャットの掛けあいを映像演出つきで見せた『きみに会いたい』や、『ROMANCE』コーナー(意外と曲数が少なかった)でわざわざアルバム・ジャケットで使用した黒い机と赤いリンゴを配置した演出、宮本が知らないうちにお色直しをして白スーツ姿でどーんと登場した『獣ゆく細道』、第二部ラストの『Sha・la・la・la』でのミラーボールなどは、それぞれにけっこうなインパクトがあった。とくに白スーツには笑った、笑った。宮本がライヴの途中でお色直ししたのなんてはじめて見たよ。いやー、おもしろかった。
エレカシの場合はまずは演奏ありきで、演出はライティングのみってのがあたりまえだったから、ほぼ全曲になんらかの映像演出が施されていたこの日のライヴは、これがエレカシではなく宮本のソロなんだってことを、否応なく実感させるものだった。アミューズみたいな大きな事務所がバックにつくとこうなるのかとも思った。
それと演出うんぬん以前に、バンドと宮本との関係性の違いで、ここまで音楽の印象が変わるのかって、そのことの驚きもあった。
【SET LIST】
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この日のバンドはギターが名越由貴夫、ベースがキタダマキ、ドラムが玉田豊夢、そしてキーボードがバンマスの小林武史、ボーカルが宮本という五人組だった。
ソロ初となる記念すべきバースデイ・ライヴだし、ストリングスやホーンも入れた大人数でくるかと思っていたら、意外や少人数だった。
この日のライヴを演出した児玉裕一という人は椎名林檎の旦那さんなのだそうで、そのつてを辿れば『獣ゆく細道』で椎名林檎をゲストで呼ぶことだってできたんじゃないかと思うんだけれど、でもまぁ、考えてみればバースデイ・ライヴですからね。呼んだらみずから誕生日プレゼントをおねだりするような形になってしまうので、そういうわけにはいかなかったのかなぁと思った。あと、密は避けようって風潮のコロナ期だから、あまり大人数は向かないという配慮もあったのかもしれない。
ということで、バンドは最小構成ではあったけれど、それでもメンツは経験豊かな歴戦の勇者と呼べる人たちばかりということもあって、アンサンブルは完璧。エレカシとはあきらかにレベルが違った。『二人でお酒を』のインティメートでミニマムな音作りから、『Do you remember?』での剛球パンク・サウンドまで、まさに縦横無尽に鳴らし切るその演奏力には脱帽だった。小林武史ってやっぱすごいのねって思いました。
宮本もそんなメンバーを信頼して、演奏はバンドにまかせっきりで、歌を歌うことだけにことに専念していた。この日ギターを手にしたのは『今宵の月のように』のアコギ一曲だけだし、それだって途中で弾くのをやめてしまういつものパターン。宮本がこんなにギターを弾かないライヴってはじめて観た(あと演奏のやり直しが一度もないライブも珍しいと思った)。まさに「ロック歌手」宮本浩次ここにありって感じ。
ただ、バックがしっかりしていたことで、宮本の欠点がめだってしまった感もなきにしもあらず。最近はキーに無理がある新曲が多いし、女性のカバー曲でファイルセットも多用しているので、歌い方が不安定で苦しげになってしまう場面が多かった。
エレカシの場合は宮本のそんな苦しげな歌い方も、宮本自身の荒くれたギターやバンドの乱れがちな演奏とあいまって、かえって一体感を醸し出す要因となっている感があるのだけれど、この日みたいなきっちりとしたバンドで聴くと、もうちょっとどうにかしたほうがいいのでは……という気がしてしまった。ボーカリストとしての力量には疑問の余地はないんだけれど、ところどころ無理しすぎて破綻している感じ。
まぁ、そういう意味ではエレファントカシマシというバンドの重要さを改めて認識させたコンサートだったという気もする。やはり宮本浩次というボーカリストにとって、その魅力を最大限に発揮できるバンドはエレカシなんじゃん? って思いました。
それしてもバンドが違うと同じ曲でも変わるもんすねぇ。この日は『悲しみの果て』『今宵の月のように』『ガストロンジャー』(まさかやるとは!)『あなたのやさしさをオレは何に例えよう』(もともと小林武史プロデュース)というエレカシ・ナンバー四曲が演奏されたけれど、どれもエレカシとは確実にニュアンスが違った。どの曲もエレカシのバージョンよりすっきりとしてシャープな感じがした。なかでは心持ち速め(ほんとほんのちょっとだけ)の『今宵の月のように』が思いのほか気持ちよかった。
いろいろなところでソロでの成功の影響力を感じさせたライヴだったけれど、オーディエンスの反応がいままでとは違うのも印象的だった。
売れたことで客層にもそれなりの変化があった。もう単純に拍手が入るタイミングが違う。これまでは演奏の最後の一音が消えるのを待ってから拍手する感じだったけれど、この日は演奏が終わる前に自然と拍手が沸き起こる。歌謡ショーみたいにワンコーラス目の終わりで拍手が起こったりもする。二部の開始を待つあいだも手拍子が鳴りやまない。コンサート慣れした人たちって、クラシックばりに礼儀正しく拍手のタイミングにこだわる印象があったから、そういう風にファンが感極まって自然に拍手が起こるのって、意外と新鮮でいいなって思った。
あと、まわりが立たないもんで、この日は最後の最後まで座ったままだった。三階席からだと見降ろす感じでけっこうな急勾配だったから、立つと安定感がなくてちょっと怖いかなとは思ったけれど(まぁ、絶対落ちたりはしないんだけど)、エレカシ関連のソロ公演を一度も立たずに観るなんて、「踊ってんじゃねぇよ」って罵倒されるから立てなかったエピックのころ以来じゃないかと思う。同じ座ったまま観るライヴでもあのころとはまったく状況が違うことに、なかなか感慨深いものがあった。
この日の個人的なクライマックスは『Do you remember?』と『ハレルヤ』。
『Do you remember?』は宮本のボーカルが苦しそうな曲の代表のような曲だけれど、出ない声を無理に振り絞るために、見た目を気にせず、終始うつむいたまま体をくの字にして絶叫しつづける──そして最初から最後まで声がしっかり出ている──宮本の姿がめちゃくちゃ感動的で、観ていたらなんだか涙腺が緩んでしまった。なぜだか靴を脱いで放り出し、白スーツのパンツの裾をたくしあげる意味不明なアクションも滑稽で最高でした。感動的なのに笑える。これぞ宮本の真骨頂。
あと『ハレルヤ』にはこのご時世だからこそって感動があった。「ああ涙ぢゃなく、笑いとともにあれ、ハレルヤ」という歌詞がストレートにずどんと胸に落ちた。「ああ笑いとあれ 幸あれ」──まさにそうであって欲しいよねぇって。本当にいい曲だと思いました。
そんな感動的なこの曲だったけれど、歌詞を一番と二番で間違った宮本のリアクションがちょっとおもしろかった。「大人になった俺たちゃあ夢なんて口にするも野暮だけど」という一番の歌詞の「野暮だけど」を「照れるけど」と歌い間違えた宮本は──いつもならばそんなことには気がつかないのだけれど、今回はスクリーンに宮本手書きの歌詞が出ていたので「あ、間違った」と思った──二番で同じところを「照れるけど」と歌いかけて、途中から「野暮だけど」に歌いなおした。ちょうどステージに背を向けてスクリーンのほうを向いていたところで、自分の書いた歌詞が目に入っていたのと、ワンコーラス目で「照れるけど」って歌ったのが記憶の隅に残っていたせいで、反射的に変えてしまったのかなと思うけど、あっている歌詞をわざわざ訂正して間違えたところになんともいえないおかしみがあった。
まぁ、そんな小さなミスはあったけれど『ハレルヤ』は本当に感動的でした。いやー、最高の大団円!――って思ったら、そのあとに『sha・la・la・la』があって、若干あれ?――と思ってしまったという。正直なところ、そこは順番が逆のほうがよかったと思うけれど、宮本としては最新曲で最後を締めたかったんでしょうかね。
いや、『sha・la・la・la』が嫌いなわけじゃないですよ? 宮本ソロのシングルとしてはもっとも宮本らしくていい曲だと思う。でもこの日は『ハレルヤ』があまりによかったから、もうしばらくその余韻に浸っていたかったなぁと。そういう話。いっそ『sha・la・la・la』がアンコールならば申し分なしだった。
ということでこの日のライヴ本編は『sha・la・la・la』でもって終了。そのあとのアンコールはネットでは配信されなかったので、生で観られた幸運をさらに痛感することになった。それも宮本が二、三日前に作ったばかりの新曲を、小林武史のピアノだけの伴奏で、歌詞を書いた紙を見ながら歌って聴かせるという超レア企画。
曲自体はサビの最後が「光の世界」という歌詞で終わる、最近の宮本ポジティヴ路線のバラードで、個人的には好みとはいえなかったけれど、それでもサビでの無理のない朗々とした歌声が魅力的だった。やはり宮本にはこういう自然なキーで歌える曲をもっと多く作って欲しいなって思った。
最後はその曲のあいだ引っ込んだままだった三人をふたたびステージに呼び出して、全員で挨拶をして終了。そういえばこの日は『あなたのやさしさをオレは何に例えよう』でのメンバー紹介コーナーもなにげに最高だった。メンバーひとり一人に対する宮本のリスペクトが溢れていて、なおかつおもしろみもたっぷり。特に「上から読んでも下から読んでもキタダマキ!」というMCはこの日の最高傑作だと思います。みごと騙された。
正直このライヴを観たあとでも、宮本のソロよりもエレカシが観たいと思う気持ちには変わりがないけれど、それでも『ハレルヤ』や『Do you remember?』がこれきり聴けないとしたら、それはそれは残念すぎる。いっそエレカシでも『ハレルヤ』をやってくれないかなぁとか思いながら帰路についた六月の夜でした。
それにしても、三十二年連続でこの人のライヴを観ている俺って、なんて恵まれた星の下に生まれたんだろう。
(Jun. 20, 2021)