2018年のコンサート
Index
- エレファントカシマシ @ さいたまスーパーアリーナ (Mar 17, 2018)
- エレファントカシマシ/Spitz/Mr.Children @ さいたまスーパーアリーナ (Mar 18, 2018)
- 佐野元春&ザ・コヨーテ・バンド @ TOKYO DOME CITY HALL (Apr 1, 2018)
- エレファントカシマシ @ 日比谷野外大音楽堂 (Jun 23, 2018)
- エレファントカシマシ @ Zepp Tokyo (Jul 6, 2018)
- FUJI ROCK FESTIVAL '18 @ 苗場スキー場 (Jul 27, 2018)
- SONICMANIA 2018 @ 幕張メッセ (Aug 17, 2018)
- SUMMER SONIC 2018 @ ZOZOマリンスタジアム&幕張メッセ (Aug 18, 2018)
- SUMMER SONIC 2018 @ ZOZOマリンスタジアム&幕張メッセ (Aug 19, 2018)
- スピリチュアライズド @ Studio Coast (Sep 26, 2018)
- さユり @ Zepp Tokyo (Oct 19, 2018)
- ザ・フラテリス @ WWW X (Oct 31, 2018)
- ポール・マッカートニー @ 東京ドーム (Nov 1, 2018)
- フランツ・フェルディナンド @ 東京国際フォーラム・ホールA (Nov 27, 2018)
エレファントカシマシ
30th ANNIVERSARY TOUR "THE FIGHTING MAN" FINAL/2018年3月17日(土)/さいたまスーパーアリーナ
一年前に大阪城ホールから始まったエレカシのデビュー30周年記念ツアーもこの日がファイナル。
昨年末までに四十七都道府県をまわり終えて、その(ほぼ?)全公演が完売だったとのことで、当然この日のチケットも完売。そこまで売れるとさすがにファンクラブでもいい席は難しいらしく、僕らのチケットもアリーナではなく一階席だった。
ただ、一階席とはいっても前から五列目だったし、なにより場所はステージ真正面。距離こそ遠かったけれど、この日はこれまでになく演出が凝っていたこともあり、なかなか悪くない席だった。あと、すぐ目の前がPAブースだったから、大きな会場にしては比較的音のバランスがよかったのも吉。
さて、この日のステージは一年前の大阪城ホールのときと同じように、過去の写真をコラージュしたフラッシュバック映像とともにスタートした──って僕は一年前のその公演はテレビでしか観てないんだけど。
大阪城ホールではその映像が終わったあとで一呼吸おいておもむろにメンバーが登場したけれど、今回は映像の終了とともにバックでかかっていたノイジーなインスト・ナンバーがそのまま『3210』の生演奏へと引き継がれてゆくという趣向。しかもライトアップされたステージには、すでに金原管弦楽団のみなさんと山本卓夫氏率いるホーンセクション四人組が控えていて、最初から総勢十八名のフルメンバーでの演奏とくる。お~、さすが三十周年ファイナル。エレカシ史上もっともスタイリッシュなオープニング!
ということでインスト・ナンバー『3210』から始まった以上、実質的な一曲目はとうぜん『RAINBOW』ということになる。
これまでの公演ではライヴのクライマックスを飾っていたこの曲がいきなりの一発目。こりゃもう盛りあがり必至──かと思ったらそうでもない。しょっぱなということもあって、この日の『RAINBOW』は出力60%という感じ。
宮本が疲弊しきった喉から絞り出すように歌う過去の熱演の記憶が鮮明なだけに、一曲目でこの歌がさらりと歌われたことに僕は驚いた。え、この曲ってこんなにふつうに歌えちゃうんだ? いままであんなにきつそうだったのは、さんざん喉を酷使した終盤に持ってきていたからなの? いまさらながら宮本浩次という人のボーカリストとしての喉の強さに驚かされた。
つづく2曲目は『奴隷天国』。そしてこの曲では25周年のときと同じようにどーっと風船が降ってくる。
あのときはアリーナにいたのでわからなかったけれど──あと、あの日は普通の風船のほかに巨大ボールも登場したので、ちょっと趣向が違ったけれど──、遠目にみるこの風船奴隷天国がかなりすごかった。落ちてきた風船をアリーナのお客さんたちが拾ってぶんぶん振りまわすから、アリーナはカラフルな風船のお花畑状態。コミカルかつすんげーきれい。でもおかげでぜんぜん曲に集中できない。おかげさまで史上で一、二を争う印象の薄い『奴隷天国』となりました。今回のツアーの白眉たる一曲だと思っていただけに、ちともったいない。まぁ、おもしろかったけど。
もったいないといえば、ツアーの序盤で聴かせてもらった『やさしさ』もとても出来がよかっただけに、それがその後のツアーのセットリストから外れ、この日も演奏されなかったのも残念な点のひとつだった。
その次の『今はここが真ん中さ!』や第一部トリの『俺たちの明日』ではホーンの音の抜けのよさが印象的だった。僕らがいた席がステージの真正面だったからか、この日はホーンがとてもきれいに聴こえた。その点はストリングスも同じ。これまでのエレカシの豪華版ステージのなかでも、今回はときびりホーンとストリングスの存在感が際立っていたように思う。
あとね、なんかこれまでと違うぞと思わせたのが、宮本浩次ご本人。
やはり去年四十七都道府県をまわって日本中の人から祝福され、はたまた三十周年ということでメディアにも多数露出して、あちこちの有名人からリスペクトを受け、ついには紅白歌合戦への出場を果たしたことが、宮本にこれまでにない自信をつけたのだと思う。以前と同じようなことをしていても、なんかひとつひとつの動作に自信がみなぎっているように感じた。宮本浩次、なんだかこれまでよりひとまわり大きくなった気がしました。
だってさ、『i am hungry』の前のMCでの「アイム・ハングリー! アングリー! お口あんぐり~! ぶわー!!」なんて、あんなのやったことあった? 宮本がだじゃれ言うの、初めて聞いた気がするんだけど。
お尻を突き出しての「おならブー!」の連発といい、なんかもう自分はなにをやってもいいんだ、なにをやってもみんな喜んでくれるんだということに気がついてしまった子供のよう。五十を過ぎて童心がえりを見せるわれらが御大だった。
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さて、ヒット曲中心のこの日のセットリストにあって、レアだったのが『ベイビー明日は俺の夢』。『風と共に』のカップリングだったこの曲、生で聴くのは僕はこれが初めてだった(ちなみに夢のなかでなら、フェスのステージで宮本が変な服装で歌っているのを観たことあります)。おまけにこの日はそれに宮本自身が高速道路の車窓からスマホで撮ったという動画の演出つき。映像自体は平凡だけれど、かのデジタル音痴な宮本氏がみずから撮ったってのが貴重だった。
そういやこの曲のために石くんがダブルネック・ギターを新調しましたとか紹介されていたけれど、あのギターってどんな使われ方をしていたんだろうか? ぜんぜんわからなかった。
そうそう、『風と共に』でも、おっと思ったレア・シーンがあった。曲のエンディングの部分、いつもは宮本のアコギで静かに終わるこの曲で、この日は宮本がギターをぶらさげたまま花道に出て、その直前までハンドマイクで熱唱していた。おいおい大丈夫かと思ったら案の定。あわててマイクスタンドのところまで戻ってみたものの、アコギの弾き語りが思うようにいかない──とみるや、宮本がさっと合図を送ると、それを受けて最後のギターのストロークをミッキーがエレキで引き取ってみせたのだった。おー、なんて息があっているんだ。さすが新相棒。ミッキー、すっかりエレカシの一員だな。
そういや書き忘れていましたが、この日のキーボードは村山☆潤でした。ツアーの後半はサニーさんだったし、ムラジュンは FLOWER FLOWER の新譜のリリース直後で忙しそうだから、この日もサニーさんかと思っていたら、そうじゃなかった(サニーさんは翌日のミスチルのステージに登場)。ムラジュンもすっかりエレカシ・ファミリーの一員の感あり。
この日の演出でいちばんびっくりしたのが、第二部の『RESTART』でステージが火を噴いたこと。ストーンズやサザンのライブでは観たことあるけれど、よもやエレカシのステージで火柱があがるのを観る日がくるとは思わなかった。
あれってきっと、消防局とかに届出が必要だよね? まさかライヴのためにお役所に届け出るようになるとは。いやぁ、大物になったなぁ……。
そういや、いつのまにか二部構成(三部構成?)もすっかりあたりまえの光景になっていて、この日は第一部のあとにけっこうまとまったインターバルがあった。見ると僕らの前の女の子たちがおしゃべりしながらお菓子を食べている。なんとエレカシのライブでも噂のもぐもぐタイムが。もしやここが時代の最先端か。
第二部のトリでは、新曲『Easy Go』が初披露された。なんかやたらと前評判が高いからどんな曲かと思っていたら、とても勢いのある明朗なパンク・ナンバーだった。
ロートル・ファンとしては、『奴隷天国』のあとで『真冬のロマンチック』とか出しててきたときに、かわりにこういう方向に進んでもよかったんじゃない? そしたらまた人生変わってたんじゃ? と思ってしまうような感じの新曲。
このところの曲のつねで、これまたキーがきつそうで、まだ十分に歌いこなせていない感があったけれど、いまや『RAINBOW』があんなにすんなり歌えるんだから、この曲もしばらくすればこなれるんでしょう。そういや「イージー、イージー」ってサビのフレーズを聴いて、なんかそういう歌詞のバラードが過去にあったよねぇ……とか思いました(こっちの曲のほうが断然好きだけどね)。とりあえず、「神様、俺はいま人生のどのあたり?」というフレーズが切実でよかった。
最初のアンコール(それとも第三部?)の一曲目『あなたのやさしさをオレは何に例えよう』はストリングス&ホーンがいるときのとびきりの定番曲ながら、この日は間奏でのメンバー紹介がふるっていた。宮本がメンバー紹介をしながら、ひとりひとりにソロを振ってゆくのだけれど(ストリングスのメンバー全員の名前が覚えられず、途中からカンペ使ってました。)、ソロ演奏のさなかでも宮本は遠慮なくスキャットしまくり。しかもソロが終わらないうちに次の人の紹介を始めちゃうし(ソロが終わったら拍手の間くらい取ろうよ)。要するにソロのあいだも宮本くん目立ちまくり。
でもそんな宮本くんの失礼さをゲストのみなさんも個性とみなし、温かく見守って笑って受け入れてくれている。それだからこそ、宮本も安心してやんちゃをしてられるんだろうなって。こんなところも宮本変わったなぁと思わせたゆえん。
なんかそのほかにもいろいろと盛りだくさんの充実したコンサートだったけれど、いいかげん記憶もあやしくなっているし、この日のライヴは生放送されたし、どうせ後日映像作品としてリリースされるのだろうから、最後にひとつだけ書いて、あとは割愛。
この日の二度目のアンコールで一曲だけ演奏された最後の曲は『四月の風』だった。
歌の途中で花道に出てきた宮本の歌声が一瞬途切れたから、あれどうしたと思ったら、左右の大型スクリーンに大写しになった宮本の顔は涙でぐしょぐしょだった。感ここに極まったらしい。そんな宮本を励ますように、エレカシのライヴにしては珍しく、サビで合唱がまき起こる。なんとも感動的なエンディングだった。もうこれ以上は望めまい。
僕も一緒に歌おうとしたんだけれど、やめておいた。声を出そうとしたら、涙があふれ出しそうになったから。
あぁ、あふれる熱い涙ってのはこういうことかと思った。
(Mar 31, 2018)
エレファントカシマシ/Spitz/Mr.Children
30th ANNIVERSARY TOUR "THE FIGHTING MAN" SPECIAL ド・ド・ドーンと集結!!~夢の競演~/2018年3月17日(土)/さいたまスーパーアリーナ
まずは初めに謝っておきます。これから書くことは単なる自慢話でしかないかもしれない。
エレカシが30周年記念ツアーの締めに、スピッツ、ミスチルを対バンに迎えてスペシャル・ライヴを行うと発表されたときには、そんなのレアすぎてチケット取れないんじゃないかと思ったんだけれど、エレカシのファンクラブ枠が多かったのか、いとも簡単に取れちゃいました。それも取れちゃったとか抜かすんじゃねぇって怒られそうな、とんでもなく素晴らしい席が。
いや、馬鹿な話だけれど、僕は実際に当日会場で席につくまで、自分の手元にあるのがどれほどのプラチナ・チケットなのか、まったく認識してなかった。
まぁ、手元にあるとはいっても、この日は全席、電子チケットだったから、いつものように紙のチケットが手元になかったってのも油断した要因だと思う(個人的には電子チケットは人生初)。うちの奥さんから一列目と聞いても、へー、でもきっと隅のほうなんでしょう? とか思っていた。
でもさ。会場についたら、アリーナがやたら広いわけです(そりゃそうだ、スーパーアリーナなんだから)。いちばんうしろの入り口から入って、席に着くまで歩く歩く。で、いちばん前の列にたどり着いて、自分の席番号を確認して愕然とした。
え、ここなの?
ほとんど真ん中じゃん……。
そう、僕らの席はアリーナの最前列、ステージに向かってやや左寄りのところだった。で、これって僕個人の意見では、この広い会場で最高の席だった。
単純に考えれば、僕らよりもセンターに近い、ステージのど真ん中の席のほうがいいように思うでしょう?
違うんだな。そういう席だとボーカリストに隠れて、ドラマーが見えない。
宮本命でミヤジが見れればそれでいいって人はそういう席が最高かもしれないけれど、僕は違う。最後にギターを弾いてから何十年も過ぎているけれど、それでもやはり、いまでも気分はミュージシャン。だから単にフロントマンに近いよりは、バンド全体が見渡せる席がいい。
でもって、さらにいえば、右よりは左側のほうがいい。なぜってこの日のボーカリストは三人とも右利きだから。
右利きのボーカリストがギターを弾きながら歌を歌う場合、おのずと身体はやや右向きになる。つまりステージに向かって左側、僕らの席のほうを向くわけです。逆側だとギターの裏側を眺めることになる。
要するに僕らの席は、バンドのメンバー全員を見晴らしながら、各フロントマンがギターを弾く姿をその指さばきまでをばっちりと拝める、この会場において最良の席だったわけです。僕らのすぐ斜め前にテレビカメラの撮影スタッフが陣取っていたのが、僕らの席がどれだけいいポジションだったかのを物語っている。
いやぁ、ほんとすごかった。二万人入る会場での最前列ってはんぱないです。アリーナ規模を前提とした演奏をライブハウス並みの距離で観るのって、ライフハウスで同じ距離で観るのとはまた違う感触がある。なんかとても非現実的な。ほんと夢でも見ているようなってのはこういうことかなと思いました。
だってないよ? スピッツとミスチルとエレカシを十メートルも離れてない距離から観るなんて、こんな贅沢な体験。しようと思ったって、そう簡単にはできない。おそらくコネがあったって、おいそれとはできない。というか、おそらく今後二度とない。
かれこれ三十年以上ライヴ会場に足を運んでいるけれど、おそらく最前列のチケットってこれが初めてだと思う。それがこんなプレミアム・ライヴという……。
俺はいったいどんな幸運な星の下に生まれてきたんだろうって思ってしまいました。
さて、あまりの神席に舞いあがってすっかり前ふりが長くなってしまったけれど、本編はここから。この日のスペシャル・ライヴのオープニングを飾ったのはスピッツだった。
年齢的にもキャリア的にもミスチルのほうが下だから、トップバッターはミスチルかと思っていたのだけれど、やっぱセールスの順でしょうか? それともミスチルとエレカシは一昨年のミスチルのツアーで対バンしたそうだし、小林武史のつながりもあって、ミスチルのほうがいくらか距離が近いのか。いずれにせよこの日の先頭バッターはスピッツだった。
で、僕らにとってはそれがラッキーだった。
いやぁ、カッコよかったんだ、この日のスピッツが。もう登場シーンからして最高。バンド自身のオリジナル曲(『SUGINAMI MEMORIES』だったとか)のインスト・バージョンをBGMに、ぐるぐる回転する放射状のライトを背にうけて登場してきた四人の姿に、僕は思わず鳥肌がたった。まさかスピッツの登場にそれほどまでに感動するなんて、自分でもびっくりした。
まぁ、感動の一因はさきほど熱弁した席のよさをそのときに改めて実感したからってのも大きい。人がステージに立つのを見て、改めて、うわっ、こんなに近いんだと思った。で、いざ演奏が始まってまた感動がひとしおとなった。
だって、ドラムの人がスティックを打ち鳴らす、カッ、カッ、カッ、カッってカウントの音が直接聴こえてくるんだよ? どんだけ近いんだよって話で。
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いやぁ、もうとにかく臨場感がすごかった。アリーナなのに、ちゃんとバンドの音がじかに聴ける。目の前でプレーしている楽器の音がそのまま聴こえてくる。実際には左右のスピーカーからの音なのかもしれないけれど、観ている分には直接アンプやドラムから出ている音に聴こえる。それがもうたまらなく感動的だった。
で、この距離で聴いてみて初めて、僕はスピッツにすごくロックを感じた。以前に同じ会場で彼らのワンマンを観たときには音作り的にはとくに感銘を受けなかったんだけれど、この日はそのバンド・サウンドをとても素敵だと思った。
四人がそれぞれの音をしっかりと出して、そのアンサンブルがばちっとはまり、草野マサムネという人の歌の世界を引きたてている。そういうロック・バンドとして、非常に芯の通ったしっかりしたものを感じた。
四人それぞれの佇まいもいい。草野くんはたんに歌が上手いだけではなく、ギターでも予想外に存在感のある音を出していた(あと、口笛もハーモニカもうまかった)。地味なルックスで派手に飛び回るベースの田村明浩、派手な見ための割にはプレーが地味なギターの三輪テツヤ、ちゃんとコーラスも務めるドラムの崎山龍男、そしてサポートのクジヒロコさん。このうちの誰ひとり欠けてもスピッツの音にはならないぞって。そんな感じの一体感のある、とてもいい演奏だった。
演奏時間も一時間以上あったと思う。いかにもスピッツらしい軽やかなエレカシのカバー『浮雲男』や大好きな『8823』も聴かせてもらって大満足だった。
この日の三バンドで個人的にもっともよかったのはスピッツだった(わりぃエレカシ)。でも、おそらくそう思ったのは僕がとても近くで観ることができたからだ。スピッツはやはりアリーナよりもライブハウスで観るべきバンドな気がした。
二番手のMr.Childrenについては、僕はアルバム一枚しか聴いたことがないし、そのアルバム『BOLERO』も『Everything (It's You)』が大好きでその曲が聴きたいからって理由で買って、その曲以外はほとんど聴き込んでない。テレビもあまり観ないから、CMソングやドラマのタイアップ曲にもなじみがない。
要するにあまり知らない──とは思っていたけれど、本当に知らなくて自分でもびっくりした。知ってる曲が3曲しかなかったのはともかく、桜井和寿以外のメンバーをひとりも知らなかったのにびっくり。あとの人、今回はじめて見たよ。
いやもとい。僕はかつてエレカシが出たAct Against AIDSでこのバンド観ているはずなんだった(宮本もMCでミスチルをはじめて観たのはそのときだといっていた)。なので初めては嘘。たんに覚えていなかっただけ。
まぁ、とはいえそのときの会場は武道館だし、僕らは一階席か二階席にいて、あちらはまだ新人バンドのころだったから、個々のメンバーまで知らなくても当然ちゃあ当然なんだけれど。
ということで、今回ほぼ初めてちゃんと観ました、ミスター・チルドレン(宮本はなぜか一度もミスチルという略称を使っていなかった)。
この日の出演バンドはどこも構成が一緒で、ドラム、ベース、ギターの三点セットにギター・ボーカルのフロントマンがいるカルテット。で、どこもメンバーチェンジなく四半世紀一緒にプレーを続けているという。そういう同世代のバンドが三つも集まったってのもかなりレアでしょう。
ミスチルはミスチルでかなり見ためのアクが強かった。ギターの田原健一という人はロック畑の内藤陳みたいだし、ベーシストの中川敬輔は成ちゃんに通じるナイスミドル。そして大口あいてニコニコとドラムをたたく個性豊かなドラマーの鈴木英哉(この人がとにかくめだってた)。あと、エレカシでもお馴染みのサニーさんがキーボーディストとして参加して、コーラスでも存分に存在感を発揮していた。ミスチルの音楽って、サニーさんいないと成り立たないんじゃないだろうか(でもサニーさん、僕らの席からだとギターの人の陰になってよく見えなかったのが残念なところ)。
そしてなにより桜井和寿。この人がやっぱすごい。
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まずファッションがすごい。ドレープたっぷりの胸元のあいた白いドレスシャツにコート風ジャケット、ボトムはぴっちりしたブラック・ジーンズにナイキのスニーカー。弾くギターもラメが入ってキラキラした緑のストラトキャスターだし。少なくてもエレカシ、スピッツとは確実に方向が違う。
キャラも違う。とにかくハイテンション。宮本のずれっぷりとか、草野くんの自然体とかと違って、ロック・スターかくあるべしみたいなキャラを自然と演じちゃっているような感じがした。僕がふだん接しているミュージシャンにはあまりいないタイプ。なんとなく矢沢永吉や藤井フミヤを観たときに近い感覚があった(それはもしかしてオーラがあるって話?)。
バンドの音はさすがに売れてるだけあってアンサンブルがきれい。ただ逆にいうとまとまりすぎていて、おもしろみには欠けるかなぁと思わなくもない。ま、その点は最近のエレカシも同じだけど(だからこそこの日はスピッツがいちばんよかったわけで)。
でもね、エレカシのカバーの『太陽ギラギラ』はよかった。掛け値なしによかった。エレカシのバージョンはオーソドックスだけれど、ミスチル・バージョンにはオルタナティヴな感触があって、そこにエレカシとはまた違った深い情感が宿っていて、非常にカッコよかった。スピッツとのカバー合戦ではミスチルの勝ちだと僕は思った。
あとね、一曲目が『Everything』ってのが個人的にはもー。ミスチルだったらこの曲が聴きたいと思っていたその曲から始まるんだから──あと、二曲目はうちの奥さんが聴きたいといった曲だった──この日の僕らはもう本当にラッキーだった。
ま、なんにしろ桜井くんはとてもいいやつでした。「今年はこの日をいちばんのモチベーションにしてきました」なんて嬉しいことを言ってくれてたし。あと、エレカシを初めて観たときの思い出話もおもしろかった。
なんと彼が初めてエレカシを観たのは、明治大学の学祭だそうですよ。おー、知ってるよ、俺それ。なんたってそのころまさに在学中だったから。まだファンじゃなかったから観なかったけど、へー、エレファントカシマシがくるんだとは思っていた。その会場にのちのミスチル桜井までいたとは……。
ということで、ミスチルも終わってこの日の主役、エレカシが最後に登場。
──とはいっても。この日のエレカシは前日に三時間を超えるライヴをしたあとなわけです。さすがに燃えつき感がはんぱなかった。
宮本も「この企画の意味がわからないんですが」というような、スピッツとミスチルに対して失礼千万な発言をしていたけれど──スタッフ主導で決まったイベントなのかもしれないけれど、それをいっちゃあオシマイよ──確かにこのブッキングはモチベーション的に無理があったと思う。イヤモニの調子が悪くて、宮本がいらいらする場面なんかもあったし、前の二つのバンドと比べるとスタッフの技量にも差を感じてしまった。なんか主催なのに準備が足りてない感ありあり。
でも逆にいうと、前日にあれだけ充実したコンサートを見せてもらったから、まぁこれくらいでも十分かなと思わせるものもあった。前日の管弦楽付き豪華ワンマンに比べるのは難があるけれど、でも6ピース・バンド(この日も当然ミッキーと村ジュンが一緒だった)としてのエレカシには通常営業だからこそって安心して聴けるよさがあった。前日が豪華な食材をふんだんに使ったフレンチだったとしたら、この日は大好きな定食屋の定番メニューみたいな。
セットリストも前日の超ダイジェスト版のような感じ。『RAINBOW』、『奴隷天国』で始まり、代表曲を並べて、新曲『Easy Go』のあと、『FLYER』で締めてみせた。
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ツアーではやっていなかった『FLYER』が最後ってのがいい。「オレは右から、オマエは左から、そしていつの日にか落ち合おう」って歌詞はスピッツとミスチルへのメッセージでしょう。別々の道を歩んできた三つのバンドがこの夜、この場所で落ち合った。宮本はそのことへの感謝をこの歌に託してみせた。いやぁ、いい話だ。
あと、『Easy Go』では「まだ息継ぎができないんですよね」と宮本が練習不足を嘆いていたのがおもしろかった。夏のツアーでもっと上手い『Easy Go』が聴けたらいいなと思う。でもその前にさっさとレコーディング音源が聴きたい。6月のアルバムが楽しみだ。
この日のアンコールはたった一曲だけ。それもよもやのコラボ。フロントマン三人を前に、バックはエレカシとスピッツのメンバーで、ツイン・ドラム、ツイン・ベース、ツイン・ギター、そしてミスチルのメンバーはダンス(なんで~)での『ファイティングマン』だった。
エレカシってかたくなに他のバンドとの共演を拒んできた感があったので、この日みずから率先してスピッツのメンバーと一緒に演奏してみせたのには本当に驚いた。それぞれのバンドのキーボードの人たちが村ジュンの狭いキーボードブースにぎゅうぎゅう詰めで総出演していたのもなにげに最高だった。
まぁ、演奏自体はお祭り騒ぎで『ファイティングマン』本来の持ち味はなくなってしまっていたし、僕個人はこういう企画はそれほど好きではないんだけれど(桜井くんはともかく、草野くんはちょっと困った感じじゃなかったですか?)、でもやっている宮本は本当に楽しそうだった。ステージであんなに幸せそうな宮本を見たのは初めてな気がする。あんな顔を見せられちゃあ、この企画を悪く思えるはずがないじゃん。
いやぁ、ということで、最後まで見どころだらけのすごい一夜だった。生涯に一度あるかないかって貴重な経験をさせていただきました。この日のチケットを僕に与えてくれたどこかの誰かさんに心からのお礼を申し上げる(ふつうにイープラスで取ったんだけどね)。どうもありがとう~。
(Mar 31, 2018)
佐野元春&ザ・コヨーテ・バンド
「MANIJU(マニジュ)」東京特別講演/2018年4月1日(日)/TOKYO DOME CITY HALL
佐野元春&ザ・コヨーテ・バンドのアルバム『マニジュ』のツアー最終公演を観た。
TOKYO DOME CITY HALLってあまり馴染みがなくて、この日の僕らの席は第三バルコニーなんていうから、どんな上のほうかと思ったら、ぜんぜん上じゃなかった。このホールは地下へと掘り込むような構造になっているので、エントランスのフロアがそのままが最上階の第三バルコニー。で、僕らの席は2列目──といいながら、席番号の関係で実際には最前列(1列目は左右のみらしい)。しかもステージほぼ真正面。ということで、かなりいい席だった。なんかこのところチケットに恵まれている。
去年サマソニで観たときには、その音の小ささでびっくりさせたコヨーテ・バンドだけれど、この日はライブハウスということで、大きすぎず小さすぎずなジャストな音量。このバンドにはきっとこのくらいのハコがちょうどいいんだろう。
コヨーテ・バンドのメンバーは、公式サイトのツアーのページでは「佐野元春:Vo. & G. 小松シゲル:Dr. 深沼元昭:G. 藤田顕:G. 高桑圭:B. 渡辺シュンスケ:Key.」となっているけれど、この日はそこにパーカッションのスパム春日井という人が加わっていた(確かサマソニにはいかなった……よね?)。
そういえばギタリストの藤田顕という人(プレクトラムの人だそうです)もいつからメンバーになったのか知らないけれど、この人のことはサマソニのときに初めて観た。へー、左利きのギタリストがいるんだと思いました。
佐野さんがほとんどギターを弾かなくなったのは、この人の加入が大きいんだろう(この日も本編でギターを手にしたのは数曲だったと思う)。五人編成だったころのコヨーテ・バンドでは深沼くんの存在感が際立っていたけれど、いまはそれほどでもないし。そういう意味では、ツイン・ギターになって、バンドとしてバランスがよくなったように思う。
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いやしかし、途中のMCで佐野さんが「ハートランドで13年、ホーボー・キング・バンドで12年、そしてコヨーテ・バンドも今年で13年」というような紹介をしていて、え、もうそんなになるのかと驚いた。正直なところ、佐野元春という人が作るドラマチックな音楽には、ハートランドやホーボー・キング・バンドのように、ホーンやキーボードで飾り立てた彩り鮮やかな音のほうが似あっていると思うので、コヨーテ・バンドのようにギター・オリエンテッドでドライな音を響かせるバンドですでにそんなにキャリアを重ねていたとは思わなかった。
この日のライブは佐野さんいわく「コヨーテ・バンドの曲をたっぷりと聴いてもらおうと思います」とのことで、本編はコヨーテ・バンド名義で出した最近の四枚のアルバムのみからの選曲だった。それも第一部で過去三作品の曲を聴かせたあと、休憩をはさんで第二部で新作『マニジュ』の曲をほぼ全曲、ほぼアルバム収録順通りに聴かせるという趣向(あとで確認したところ、『蒼い鳥』だけ演奏されず、『純恋(すみれ)』と『夜間飛行』の順番が入れ替わっていた)。そうとは知らなかったので、わずか45分で第一部が終わったのには思わず笑ってしまった。短いでしょ、それはさすがに。クラシックのコンサートじゃないんだから。
でもそうやって新譜の曲だけを別枠で聴かせてくれたことで、今回のアルバムの音作りの違いが明確にわかる内容になっていた。
第一部の演奏はギター二本のコードで隙間を埋め尽くすような典型的なギター・サウンドって印象だったけれど、『マニジュ』の曲ではギターが一歩うしろに下がって、キーボードやパーカッションがめだつ演奏が多かった。『悟りの涙』のアレンジには山下達郎あたりを思い出させる80年代テイストが濃厚だったし、ボブ・ディランへのオマージュ感たっぷりな『朽ちたスズラン』のようなフォーク・ソングもあったりする。第二部ではそんな演奏の幅の広さが印象的だった。ライブではこの日初めて演奏したという『夜間飛行』のダークでムーディーな演奏もよかった。
そういう意味ではアルバム『マニジュ』の音作りの豊かさは佐野元春という人の昔からのイメージには近い。コヨーテ・バンドが長く続いてきたのは、ギター・バンドとしての明確なコンセプトを持ちつつ、そういうバリエーションをこなせる技量があったからなんだろうなと思いました。佐野さん本人にしても会心の出来だからこそ、今回のツアーでは新譜だけを二部構成で聴かせるほどの力の入れようなんだろう。
音楽と関係ないところでおもしろかったのは、第一部と第二部で佐野さんの衣装が違ったこと。最初はカジュアルなジャケット姿だったのに、第二部ではグレーのスーツにネクタイでビシッと決めていた。で、アンコールではまた別のシャツ(Tシャツとかじゃない普通の黒いシャツ)に着替えて出てくるという。佐野さんってそういうとこもスタイリッシュだよねと感心しました。あと、旧譜を語るときにやたらと『Zooey』のタイトルを忘れてるのもおかしかった。
僕はコヨーテ・バンドの曲のタイトルをほとんどおぼえていない似非ファンなので(恥ずかしながら、前述の曲名はすべて後付で調べたもので、聴いてたときにはわかってません)、やはり知っている初期の曲が並ぶアンコールにもっとも開放感を感じたのだけれど──『サムデイ』をやらずに、あえて『レインガール』や『スウィート16』を聴かせてくれる姿勢が嬉しかった──、そんな僕でもこの日のコンサートは本編を含めて申し分なく楽しめた。
40年近いキャリアを誇るアーティストがそのキャリアに溺れず、新譜主体でこういう新鮮なコンサートをしてみせてくれるってのがとても素敵だと思った。
(Apr 22, 2018)
エレファントカシマシ
2018年6月23日(土)/日比谷野外大音楽堂
二年ぶりのエレカシ野音はひさしぶりの雨だった。
最近はエレカシ人気の高騰と転売屋対策でチケットの取り扱いがすっかり面倒になってしまっていて、ファンクラブでも購入できるのはひとり一枚までだし、入場の際にはファンクラブの会員証と身分証明書の提示が求められる。
今年はめでたく夫婦そろってチケットを入手できたけれど、そんなわけで席は離ればなれ。また、入場の際に必要だというファンクラブの会員証を僕がなくしたので(なんでなくなるかな?)、入場時に捕まって時間を取られるとまずいからと、開演時刻の一時間も前に会場についた。
そしたら雨だというのに野音のまわりはすでに外聞きの人たちでごった返している。入場待ちの行列も長蛇の列。結局ざあざあ降りの雨のなか、入場するまで四十五分近く待たされることになった。でもまぁ、雨のせいで入場が押していたせいか、IDチェックがなかったのは不幸中のさいわい。なんのおとがめもなく無事に入れました。
前回のさいたまスーパーアリーナで史上最高の席をゲットした僕のチケット運はいまだに続いていて、この日も前から四列目という特等席だった。前はすべて背の低い女性陣だから、視野を遮るものはなにもない。でもって、宮本の白シャツの皺やら、ストーンズ風のお辞儀をしたトミのつむじが肉眼で確認できるくらい近い。当然かもしれないけれどスーパーアリーナの一列目より野音の四列目のほうが確実に近い。
俺はそこまで熱心なファンじゃないので、観られさえすれば、なにもこんなに近くでなくてもいいんだけどな……なんて罰あたりなことを思っていたんだけれど、でもこの日は雨が降っていたので、いざ始まってみたらこの近さがとてもありがたかった。
なんたって近いもんだから、視野に入るのは照明に照らされたステージばかりなわけです。おかげで途切れとぎれに降りつづけた雨がぜんぜん気にならない。閉演後に奥さんと合流して「それほど降ってなくてよかったね」っていったら、「なにいってんの、すごい降ってたよ」といわれて、違う会場にいたのかと思ったくらい。席が違うと印象もずいぶんと違うものらしい。
さて、そんなわけで「ごめんなさいね、熱烈なエレカシ女子のみなさん」と謝りたくなるようないい席で観させてもらった二年ぶりの野音。この日のオープニングを飾ったのは新譜のタイトル・ナンバー『Wake Up』だった。さらに二曲目には『Easy Go』がつづく。
野音のわずか二日後にはツアーが始まるから、新曲群はそこまで温存するかと思っていたので、これには意表を突かれた。そもそも、これまでの野音って懐古モードで始まるのが常だったから、まさか新譜のタイトル・トラックと代表曲を一発目に持ってくるとは思わなかった。
最終的にこの日は『神様俺を』『いつもの顔で』『旅立ちの朝』『オレを生きる』も披露された。アルバム収録のシングル曲はひとつも演奏されなかったけど、それでもこれでたぶん新曲のうち『自由』をのぞく全曲がライヴで公開されたことになる。
野音というと温故知新な「過去のお宝ナンバー発掘」ライヴという印象が強いし、実際にこの日も前半にはエピック時代の名曲をずらりと並べて、僕のようなロートル・ファンを大喜びさせてくれたわけだけれど、この日はそこに初めて聴かせてもらう新曲群が加わったことで、これまでとはひと味違うフレッシュさがあった。新たな十年に向けての第一歩をつよく印象づける、とてもいいコンサートだったと思う。
新曲群については二週間後にZepp Tokyoでふたたび聴けると思うので、そのときにあらためて書くことにして、今回は省略。
やっぱ野音といえば、普段のツアーでは聴けないオールド・ナンバーがたっぷりと演奏されるのが醍醐味でしょう。この日も三曲目の『おはよう こんにちは』からは古いナンバーのオンパレードで、そのワン・アンド・オンリーな世界をたっぷりと楽しませてくれた。
あいかわらず初期の曲──特に宮本がハンドマイクで歌う曲──の迫力には圧巻の凄みがある。それが至近距離でみるとなおすごい。宮本がぎょろりと目をむき、喉も裂けろとばかりに絶叫する姿をわずか数メートルの距離で観られるというのは、これはもうほかにたとえようのない経験だった。
宮本、なんであんなに細くて、あんなにパワフルなんだろう? 同い年としてもう圧倒されてしまう。僕もどちらかというと痩せている方だけれど、さすがにあそこまでじゃないし、そもそも体力がけた違い。第一部だけで疲れてしまって、第二部に入るころにはステップを踏むのが勢一杯なんて自分が情けなくなった。
【SET LIST】
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野音のキーボードは今年も細海魚さん。やっぱりエピックの曲にスポットをあてるから、細海さんが適任ってことなんでしょうかね。優しいオルガンの音が心地よかった。
去年のツアーではしゃべりまくりだった宮本くん。この日は一転してほとんどMCなしだったけれど、『おれのともだち』ではそんな細海さんとのレコーディング秘話を披露していた。最初に細海さんがアレンジしてくれたのに、宮本が途中から別のアレンジにしたくなり、最終的には細海さんの優しいアレンジと、宮本の乱暴なアレンジが相まって、いい感じに仕上がった……みたいな話(うろ覚え)。あまり鍵盤のイメージのある曲ではないので、へーと思いました。
その曲もよかったけれど、個人的な前半の山場はそのあとの『珍奇男』から『武蔵野』への流れ。どちらもエレカシ史上もっともダンサブルな曲だと思っているので、ここでのグルーヴの気持ちよさは半端なかった。そのちょっとあとの『さよならパーティー』もあわせて、ここいら辺が僕にとっての前半のハイライト。
あと、野音だと『なぜだか、俺は祷ってゐた。』とか、新曲『オレを生きる』などの
第一部のとりの『RAINBOW』では、サビのコーラスに宮本のボーカルがエコー(リバーブ?)で繰り返される演出があったのにも、おおっと思った。いままであんなのやってなかったよね?(え、俺が気がつかなかっただけ?)
残念だったのは、第二部に入って最初の『今宵の月のように』では歌いはじめに宮本の声がかすれてしまっていたこと。何曲かあとの『悲しみの果て』もそうで、不思議とこれらの歌い慣れているはずの曲で、喉の不調を感じさせた。なので二日後のツアー初日が喉の不調により延期になったと聞いたときには、あぁ、やっぱりと思ってしまった。さしもの宮本も五十の坂を超えて、さすがに喉の酷使に耐えられなくなってきているだなぁと思わせたんでしたが──。
それらの曲よりもあとに演奏された第二部の締めの『男は行く』──。
この曲のボーカルがとんでもなかった。なんでさっきまであんなしわがれ声を出していた人が、こんなに爆発的な歌が歌えるんだって、呆れてしまうほど圧巻の声量。演奏もラウドで素晴らしかった。
この曲はこれまで宮本が坐って演奏するのが常だったけれど、この日は立ったままのパフォーマンスだった。それがよりいっそう能動的な印象を与えて、この曲の並々ならぬ破壊力を増幅させていた気がする。直前のどこかのフェスで最後にこの曲をやって大いに盛りあがったと聞いていたけれど、なるほど、こんなもの聴かされたら、そりゃ盛りあがるだろうよと納得だった。いやぁ、すごいもの見せてもらいました。
第二部では、たぶん初めて聴く宮本弾き語りの『歩いてゆく』(アルバム『RAINBOW』の隠しトラック)が披露されたのも激渋で激レアでした。
笑ったのは、なんの曲だったか忘れたけれど、宮本が石くんにステージの前に出て間奏のギターソロを弾くようにうながしておきながら、ソロのあいだじゅうスキャットしまくっていたせいで、石くんのギターがほとんど聴こえなかったこと。
アンコールは『星の降るような夜に』と『ファイティングマン』の二曲。このところ、お祭りさわぎの『ファイティングマン』がつづいていたので、ごく普通にエレカシの『ファイティングマン』が聴けて、しかもその曲で今年の野音はおしまいってのが、なんかとてもすっきりといい気分だった。
最後は宮本がメンバーひとりひとりと握手して、六人(当然ミッキーもいる)でストーンズ風の挨拶をして終演──。いやぁ、大満足でした。
野音はすっかりチケットを取るのも大変になってしまったし、このごろはIDチェックがどうとか、うっとうしいことをいわれるので、そろそろ観なくてもいいんじゃないかと思っていたけれど、いざ観てしまうとなぁ……。やはり野音は格別でした。
もしも来年チケットが取れたら会員証を再発行してもらわないといけない。
(Jul 01, 2018)
エレファントカシマシ
TOUR 2018 "WAKE UP!!"/2017年7月6日(金)/Zepp Tokyo
野音からわずか二週間たらずで観ることになったアルバム『Wake Up』のお披露目ツアー。
ほんと、なんでワールドカップ中に二回もエレカシのライブがあるんだと、サッカー・ファンとしては悩ましかったこの時期だった。連日の睡眠不足で疲弊していたので、あれから二週間ちょいで、なんだかすっかり印象が薄くなってしまっている。なので今回はちょい短め。
この日のライブでは、まずは宮本の服装が目を引いた。上下の黒(もしくは濃紺?)のスーツ姿で、ストライプのネクタイを緩めずきちんと締めて、ジャケットのボタンまで留めていた。シャツの裾もパンツにしまっていて、最後まではだけることがなかった。こんなフォーマルな宮本は初めてだ。──ってまぁ、三、四曲目ですでにジャケットを脱いで、いつもの白シャツ姿になっていたけど。
でもそういえば、そのあとなにかの曲で歌いながらもういちどジャケットを着ようとしたところが、片手にマイクでなかなか着れず、歌い終わるころにようやく両袖を通し終わって、ああよかったねと思ったら、その次の曲くらいですぐに脱ぐという謎の行動をとっていた。あれはなんだったんだろう? 曲のイメージで正装して歌いたいと思ったとか? それともちょっと寒いと思って着てみたけれど、やっぱ暑かったとか? なんにしろちょっぴり笑える奇行でした。
さて、肝心のライブはどうだったかというと──。
【SET LIST】
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これはあとからセットリストを観て気がついたんだけれど、本編で新譜『Wake Up』の全曲を披露していて、そのアルバム以外の曲はわずか三曲しか演奏していなかった。だから本編は一時間半強と短く、長めのアンコール──宮本は出てきてから「第二部」といっていたけれど、今回はそのあとアンコールに出てこなかったから、こちらの気分としてはあれはアンコール──を含めても二時間ちょいという短さだった。
しばらく前からエレカシのライブは二部構成で三時間近くやるのがあたりまえになっていたから、この短さが逆に新鮮だった。今回は二週間前に野音を堪能したあとだったし、前述のとおりW杯で疲れている時期だったので、新譜のお披露目というコンセプトがはっきりとしたコンパクトなライヴがちょうどよかった。まぁ、ものたりないという人もいるかもしれないけれど、僕個人はじゅうぶん満足だった。
あ、でもそういえば、この日は腰痛持ちのうちの奥さんが「整理番号がいいから、Zepp Tokyoのフロアにあるバーにもたれられる場所を取りたい」というので、開演時間より一時間も前、開場前に着いたんだった。だから結局場内には三時間以上いたし、待ち時間も含めた疲労感もあって、もうじゅうぶんと思っている可能性もなきにしもあらず(体力なし)。
それにしても本編のほとんどが新譜の曲だったってのは、いまさらながら意外。そうは思えないほど、バラエティに富んだ、バランスのとれたセットリストって印象だったから。まぁ、それはつまり新譜の内容がそれだけバラエティ豊かだってことの証拠なんだろう。
あとそれに加えて、『風と共に』や『夢を追う旅人』、『RESTART』、『i am hungry』などの楽曲は、去年のツアーから何度も聴いて、すっかり耳になじんでしまっているってのもある。申し訳ないけれど、「え、それって新譜に入ってるんだっけ?」って感じだし(聴き込みのあまさを露呈している)。
新曲で印象的だったのは、いまだに宮本が歌いこなせてない感ありありの名曲『Easy Go』、レゲエといいつつ、レゲエならではのグルーヴを欠いた(でもかわいい)『神様俺を』、サウンド・スケールの大きさではエレカシ史上最高ではないかと思われる『旅立ちの朝』、劇渋バラード『オレを生きる』、そして多重録音のコーラス・パートを宮本が生で再現するのがちょっぴりコミカルな味わいになっている本編ラスト・ナンバーの『Wake Up』など。
アンコールでもっともインパクトがあったのは、もちろん『シャララ』。でもそれは昔懐かしいナンバーだったからではなく、かつてとは明らかに違うモードで演奏されていたからだ。以前はブレイクを多用した宮本ならではの無骨なビート感が印象的だったけれど、この日はリズムがもっとスムーズになって、以前より若干スマートな演奏になっていた。昔から大好きだった曲がいまのエレカシ流にブラッシュアップされているのが、なんとも新鮮でした。そもそも、この曲っては宮本が座ってギターを弾くのがあたりまえだったのに、今回は野音の『男は行く』と同様、立ったままだったし。そんなところにも懐古趣味に流されない前向きな姿勢を見る気がした。
アンコールの最後はこの夜も『ファイティングマン』。三十年近く聴きつづけている曲だけれど、なんだかこの一年ばかりでまた新たに新鮮な気分でこの曲を聴けるようになった気がしている。
最後はメンバー四人にヒラマミキオに村山☆潤というおなじみの六人でストーンズ風の挨拶をして、にこやかに帰っていった。そういや、野音では宮本から「つまらねえ髪型」と揶揄されていた石くんがこの日はリーゼントで決めていたのもおもしろかった。
ツアー初日が宮本の喉の不調で延期になったりもしたけれど、とりあえず心配はいらないようでなによりだった。お互いもう若くないのだから、あまり無理はしないで、末永く活躍してください。
(Jul 22, 2018)
FUJI ROCK FESTIVAL '18
2018年7月27日(金)/苗場スキー場
五年ぶり、三度目のフジロックへ行ってきた。
前回と同じ二十四時間バスツアーでの一日だけの参加ながら、前回とのいちばんの違いは奥さんが一緒だったこと。バスで見知らぬ人と相席になるのも一興かもしれないけれど、やはり長年つれ添った相棒と一緒ってのは気が楽だった。
あと、一日じゅう快晴だったのも前回との違い。フジロックには雨がつきものだというし、ひとりで行った前回は猫の目のように変わる天候にふりまわされたので、今回も雨を覚悟してレインコートを新調していったのに、まったく降らなかった。うちの奥さん、フジロックに二日参加して降水確率ゼロ。家族三人で出向いた初回はうちの子が晴れ女だからだと思っていたけれど、もしかしたら彼女も晴れ女だったか。ふたり揃うと最強のてるてる坊主かも。
今回のフジロックはエレカシが初出演するのに加えて、観たいバンドがいくつかあったから行くことに決めたのだけれど、チューン・ヤーズ(Tune-Yards)をはじめとして、興味のあるバンドの過半数が後半に集中してしまい、時間帯がかぶってちゃんと観られなかった。
よりによって、もっとも楽しみにしていたチューン・ヤーズがエレカシともろかぶりというのが痛恨の極み。なんでそんなことしてくれちゃうかなぁ……。まぁ、あのふたつのバンドを両方観たがる俺みたいなオーディエンスは少ないのかもしれないけれど。エレカシは年中観ているけれど、やっぱフジロック初出演はフルで観ないわけにはいかない。というわけでチューン・ヤーズをたった二曲しか全部観られなかったのは、ほんと残念だった。
とにかくこのふたつのバンドを効率よくつづけて観なくちゃならないってんで、苗場に到着してすぐに、まずはチューン・ヤーズが出るレッドマーキーからエレカシの出るホワイト・ステージまでの移動時間を測っておこうということになった。でもその前にちょっと休憩……とレッドマーキー前の木陰のところで腰を下ろしたとたん、いきなり小指に熱湯がかかったような痛みが走る。「熱っ!」と手を振ると、なんか蜂みたいなやつが目の前の草むらにジジジと落ちてきた。ちくしょう、刺された。なにこの虫。黒と灰色のしましまで、よく見ると蜂じゃないっぽい(すぐに踏みつけて抹殺)。フジロック最初のイベントはアブだかブヨだか知らないけれど、謎の虫からの洗礼でした。ちくしょう、小指痛い。
ということで、虫に刺されて小指ぱんぱんに腫れあがった状態でさいさき悪く始まった今回のフジロック(指が痛くて拍手がつらかった)。
まずはグリーン・ステージのモンゴル800からスタート──とはいっても、僕はモンパチってまったく聴かないので、グリーン・ステージに向かった林の入り口あたりの木陰で遠巻きにモニターを観ていた。
モンパチを三十分くらい観たあと、ホワイト・ステージに移動して、うちの奥さんが視聴したらけっこう好きだったという go!go!vanillas という若いバンドを観た。
モンパチもゴーゴーバニラズも僕にとっては元気すぎというか、影がなさすぎる印象であまり盛りあがれない。やっぱ日本語のロック(とくに男性のもの)は人生の鬱屈がその言葉のはしばしに見え隠れしてくれないと夢中になれない。
ホワイト・ステージでは三曲くらいで陽射しの暑さに音をあげて移動。ジプシー・アヴァロンとフィールド・オブ・ヘヴンの場所を確認してまわった。観たいステージがあったわけでもないのに、こんなところで無駄な体力を使ったのを後悔することになるのは夜になってからの話。
ホワイト・ステージからボードウォークの迂回路をつたってグリーン・ステージへと戻ってみると、GLIM SPANKY が演奏中だった。
このバンドも俺には関係ないと思いこんでいたのでスルーしちゃったけれど、通りすがりに生で聴いたボーカルの子のハスキーな歌声はけっこう気持ちよかった。あ、これならちゃんと観ておいてもよかったかなと思いました。いずれまた機会があれば、次はちゃんと聴こう。
スタートから3時間目にして、この日はじめてフルに観たのが、その次のレッド・マーキーの LET'S EAT GRANDMA。
「お婆ちゃん、食べよう」と訳すんだか、それともお婆ちゃんを食べちゃうんだか、いまいち意味のわからない名前の、十代の女の子二人組ユニット。
ステージにはロングヘアをなびかせたスレンダーな女の子ふたり──遠目だと双子みたい──が並んで立ち、右手に男のドラマーがいるというスリー・ピースの編成で、女の子たちはシンセを弾きつつ、たまに左の子がギターを弾き、右の子がサキソフォンを吹いてみせたりする。若いくせに、意外と芸達者。
印象的にはハイムと The xx のいいとこ取りをしたみたいなバンドだと思った。女の子のガーリーな外見やポップなメロディ・センスはハイムっぽいのに、音響的には打ち込みの重低音が効いていて The xx ぽいという。レコーディングされた音源はシンセ色が強くてあまり趣味じゃなかったので、途中で移動しようと思っていたんだけれど、予想外に聴き応えがあったので、結局最後まで見てしまった。そこんところも僕にとっては五年前に同じステージで観たハイムと一緒だった。初々しいわりには思いのほか技巧的で、とても楽しいステージでした。
そのあとすぐにグリーン・ステージへと移動すると、間髪いれずに ROUTE 17 Rock'n'Roll ORCHESTRA の演奏が始まった。
ドラムの池畑潤二という人がバンド・リーダーをつとめるフジロック御用達の大所帯セッション・バンドで、今年のゲストはトータス松本、奥田民生、甲本ヒロト、仲井戸麗市の四人。
バンドの内訳はギター三本、キーボード二名、ホーン・セクション四人にベース、ドラムにパーカッションの総勢十二名。僕はよく知らない人ばかりだけれど、有名どころだとルースターズの花田裕之や、RCファンには懐かしいサックスの梅津和時氏、SOIL&"PIMP"SESSIONS のトランペットのタブゾンビなんかがいる。あと、エレカシの野音でお馴染みの細身魚さんもいる(終始ノリノリでした)。
本当は同じ時間にホワイト・ステージでやっているパーケイ・コーツが観たかったんだけれど、このメンツを無視してほかへはいけないでしょう?
ステージはトータス、民生、ヒロト、チャボが順番に入れ替わりで出てきて、それぞれカバーを中心に二、三曲ずつを歌うという構成。
トータスは知らない曲(エルモア・ジェイムズとのこと)のあとでヤング・ファイン・カンニバルズの『Johnny Come Home』という意表をつくカバーを聴かせてくれた(三曲目はウルフルズの曲)。おぉ、やはり同世代だと思う。
民生さんも最初の二曲は古いロックン・ロール・ナンバーのカバー。でもって三曲目がなんとRCサクセションの『スローバラード』。これがめちゃくちゃよかった。
ホーンとオルガンが苗場の山に気持ちよく響き渡り、そこに民生さんの歌と梅津さんのサックスが鳴り響くんだから、もうこれがよくないわけがないでしょうよって話で。いやぁ、最高でした。
前のふたりがオールディーズのカバーだったのに、その次のヒロトは日本語だったから、オリジナルかと思っていたら、これもカバーだったらしい。それどころか一曲目はディランの『くよくよするなよ』(えー、マジ?)、二曲目はニール・ヤングの『Don't Cry No Tears』(『Zuma』収録)だというからびっくりだ。まったく気がつかなかった俺の音楽偏差値っていったい……。
とりを飾るチャボはディランの『Harricane』を日本語に意訳して歌ってみせた。実際にあった黒人ボクサーの冤罪事件を歌ったあの歌を換骨奪胎して、狭山事件なんかを歌詞に盛り込んで、完璧に日本語の歌にしていたのにすごいと思った。
そのあと、もう一曲フジロックのテーマ曲みたいなのを歌い、最後はゲスト四人そろってエディ・コクランの『C'mon Everybody』をやって終了。フェスならではのお祭りバンドだけれど、だからこその楽しさがあってよかった。
いや、それにしても民生氏の『スローバラード』が絶品でした。この一曲だけでも苗場に足を運んだ甲斐があるってレベル。
次はホワイト・ステージでのアルバート・ハモンド・ジュニア。
この人のステージもおもしろかった。よもやストロークスという一時代を象徴するバンドのギタリストが、ソロではハンド・マイクで歌ばっか歌ってて、ほとんどギターを弾かないなんて誰が思うって話で。たまにギターを持っても、ソロとか弾かないし。本当にこの人はストロークスのギタリストなんだろうかと不思議に思ってしまった。
バンドは主役の彼のほか、ギター二本に、ベース、ドラムの五人編成。ベースが女の子で、あとは男。で、見た目はみんな普通に地味。
主役のアルバート・ハモンド・ジュニアは新譜のださださなジャケットのイメージそのままに、赤いシャツに白いパンツというファッションで、ハンドマイクをコードのところで持ってぐるんぐるんと振り回したり、長すぎるコードを束にまとめたりと、とにかくそのマイク扱いがいちいち気にかかる人だった。なんでギターじゃなくてマイクなのさってずっと思っていた気がする。
でもまぁ、バンドの演奏はポップでタイトでとてもよかった。僕には無条件にしっくりきて、とても楽しかった。単純に楽しさということでいえば、この日いちばんだったかもしれない。このステージを観て、僕はこれまでに一度もストロークスを観たことがないのを、ちょっとだけ後悔した。できればジュリアン・カサブランカのステージも観たいなと思った。
その次がこの日の目玉──になるはずが、わずか二曲しか観ないで終わってしまった──チューン・ヤーズ@レッド・マーキー。
バンドはステージ中央に主役のメリル・ガーバス、右手に新しく彼女のパートナーとなったネイト・ブレナー、左にドラマーという三人編成。
CDで初めて聴いたときにはまったく性別不明な印象だったけれど、いざ生で聴くとちゃんと女性らしい声だったのがまずは印象的。シンセを操り、シーケンサーで自らのボーカルをリピートさせながら、個性的なダンス・ビートをつむいでゆくその演奏は予想通りに刺激的だった。オーディエンスも最初から大盛りあがり。
うーむ。こんなおもしろいステージをわずか二曲であきらめなきゃなんないとは……。まじでもっと聴きたかった。再来日を期待するっきゃないな。ソロで来たら絶対に観にゆく。来てくれそうにないけど。
後ろ髪を引かれながらレッド・マーキーをあとにして、開演の五分前くらいにホワイト・ステージへ移動してみると、ホワイト・ステージはすでにエレカシ待ちの人でぎっしりだった。
というか、ホワイト・ステージって決して広くないのに、真ん中からうしろは椅子を並べた人だらけってのが問題だと思った。あれってどうなんだ? ライブ開場のモラルとしてNGな気がする。ホワイト・ステージってPAのテントの存在感もありすぎるし、フジロックの中ではもっとも残念なステージな感がある。
そういや、いつもはコードつきのマイクを使っているエレカシ宮本がこの日はワイヤレスだったけど、あれはホワイト・ステージがもっと広いと思っていたからじゃないだろうか(アルバート・ハモンド・ジュニアもワイアレスにすればいいのに)。ほんと、できればグリーン・ステージで観たかったぜ。
……なんて愚痴はまぁいいとして。
この日のエレカシについては、まずは石くんでしょう。白いタンクトップに黒の短パン、オールバックにサングラスって。なんだそれは。夕涼みしているヤクザにしか見えない。
途中で宮本にいじられて片側の肩をはだけてからは、江戸時代の賭博師みたいになっていたし、宮本がうしろから頭をつかんで、ロボットのように右へ左へとゆっくりと首を動かすにいたっては、意味不明で大爆笑。世界中にYouTube配信されているステージで、そんなことおくびにも出さすにこれだけ笑いを誘うってのもある意味すげーと思った。
演奏もアグレッシブでよかった。『Easy Go』『奴隷天国』『RAINBOW』とエレカシ史上もっともスピード感のあるナンバー三連発でのオープニングは文句なしだったし(まぁ、そのうち二曲はあいかわらず宮本の歌がかなり苦しかったけれど)、その後も攻めの姿勢がきわだつ内容だった。洋楽ファンに目にもの見せてやるって気概が伝わってきた。一時間足らずのステージとしては出色の出来だと思った。
【SET LIST】
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ラス前は「俺たちの唯一のヒット曲です」と紹介して、『今宵の月のように』をやるのかと思ったら、一転して『おはよう こんにちは』をかましてきたのもよかった(苗場であの曲が聴けて嬉しかった)。でもって最後は『今宵』で締め。こういう晴れの場だから、最後はちゃんと知名度のある曲できれいに終えるという姿勢は正しかったと思う。演奏の途中で日が翳ってきて、最後は夕焼けがとてもきれいだった。
宮本がこのところ変にエロに目覚めていて、乳首出してつまんでみたり、股間まさぐったり、前述のとおり石くんいじりで笑いと取ったりと、かっこ悪い姿をたくさん晒していたけれど、でもその一方でカッコいいところもちゃんとあって、やっぱその両極端を行き来するのがエレカシだよなぁと思う。世界じゅう広しといえ、こんなバンド、絶対にほかにない。そのことはちゃんと苗場と世界に知らしめることができたと思う。とても気持ちのいいステージだった。
そういや、この日のキーボードはソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉でした。テレビ出演なんかで観たことはあるけれど、彼がエレカシと競演するのを生で見るのは、僕はこれが初めて。最近、ソウル・フラワーともすっかりごぶさたしてるしなぁ。エレカシ+奥野(あとミッキー)が観られたという意味でも、個人的に貴重なステージだった。わざわざエレカシのために苗場に来てよかった。
エレカシのあと、フィールド・オブ・ヘヴンに移動して、マーク・リボーのセラミック・ドッグをちょっとだけ観た。
このころにはすっかり日が暮れて暗くなっていた。ここまでに四ステージをスタンディングで観てきたので、疲れきっていて、立ち見する気になれず。でもここのステージは砂利びきで埃っぽくて地べたに座っているのも気が進まず。演奏もちょっと小難しい感じだったので、二曲くらいで切り上げて戻ることにした。
バンドはギター、ベース、ドラムの三点セットだったけれど、でもそうとは思えなくくらい硬質で音数の多い演奏を聴かせていた。三人とも椅子に座っての演奏で、当然かもしれないけれど、なんかむちゃくちゃ技術が高かった。
リボーさん、孤高のギタリストなイメージの割にはラップっぽい饒舌なボーカルを聴かせいたりしていて、けっこう思っていたのと違った。少なくてもコステロやトム・ウェイツと競演していたころのホンキートンクな印象は皆無だった。なんか学究肌の向井秀徳みたいでした。
そのあとはレッド・マーキーのマック・デマルコを観にゆくつもりだったんだけれど、そのころになるともうすっかり真っ暗になっていて──苗場は街灯がないので、夜になるととても暗い──グリーン・ステージにたどり着いたあたりでうちの奥さんが疲れたから休みたいというし、僕もさすがにグロッギーだったので、マック・デマルコは諦めて、朝と同じ林の入り口あたりで休みながら、ヘッドライナーのN.E.R.Dを待った。
マック・デマルコのステージは変な意味でおもしろかったらしいので、ちょっと後悔。でもまぁ、体力的にはここらがまじで限界だった。
僕はN.E.R.Dをほとんど聴いていないので、漠然としたファレル・ウィリアムズのイメージから、陽気なパーティー・バンドかと思っていたら、ぜんぜん違った。そもそもファレルのイメージからして違う。ソロのときより扇情的でこわもて。俺たちには伝えるメッセージがあるんだという意気込みが伝わってくる。
ステージ自体は映像を駆使したカラフルでダンサブルなものだったから、乗りのよさはじゅうぶん以上だし、途中にファレル・ウィリアムズのソロ・コーナーがあって、ファレルがプロデュースしたグウェン・スティファニの『Hollaback Girl』やダフト・パンクの『Get Lucky』を聴かせてくれたりもしたけれど、でもそういうお祭り騒ぎだけが売りじゃないんだってことが、はしばしに感じられるステージだった。いや、それともあれは単に、日本のオーディエンスの乗りの悪さに怒っていただけ?
とにかくヒップホップのライヴの経験値が低いオーディエンスを相手に、ファレルがサークル・モッシュの仕方を懸命に指導していたり──輪になれって言ったり、左右に分かれろと指示してみたり(モーゼの十戒ごっこかと思った)──相棒の人が終始仏頂面だったりして(あの人はいつもあんななのか、それとも今回は本当に機嫌が悪かったのか、うちの奥さんがとても気にしていた)、やっている側にしてみるといまいち思うように盛りあがっていない感があったのかもしれないけれど、でも観客のなかに混ざっている身としてはじゅうぶんな盛りあがりようだった。
僕らは疲れきっていたので、最初のうちは遠くに腰をおろして遠巻きにモニターの映像を眺めていたのだけれど、これはやっぱ近くで大音量と映像の極彩色を体感しないともったいないだろうと、途中からがんばって下りていって、オーディエンスの狂騒に混ざった。やっぱヒップホップは坐って聴くもんじゃない。いやぁ、まわりのみんながみんな、やたらと楽しそうに踊っていて、とても気持ちよかった。
初日のヘッドライナーがN.E.R.Dだと聞いたときには、ボブ・ディランとケンドリック・ラマーが出るのに、なにゆえ唯一自分が聴いていないヘッドライナーの日にあたっちゃうんだと思ったものだけれど、いざ観てみたら、そこはヘッドライナーをつとめるほどのアーティストだけあって、とてもいいステージでした。自分からは絶対に観にゆこうと思わないアーティストだけに、かえって観られてよかったと思った。
考えてみたら僕はこれまで夏フェスでヒップホップ系のアーティストがトリを飾るのを一度も観たことがなかったので、とてもいい体験をさせてもらいました。
ということで、この日のフジロックはこのステージでおしまい。ホワイト・ステージなどではまだパフォーマンスが行われていたけれど、体力的にもう無理。わざわざ出口から遠いステージまで移動する気力がなかった。いやぁ、楽しかったけれど、やっぱフジロックは疲れる。一日でじゅうぶん。三日は無理。
(Aug 14. 2018)
SONICMANIA 2018
2018年8月17日(金)/幕張メッセ
この夏はこれまでになくフェスで散財した。同じ夏にフジロックとサマソニの両方に行ったのは初めてだし、サマソニの2デイズ・チケットを取ったのも初めて。のみならず、今回はソニックマニアまで観に行った。でもって、ソニマニのあと、一泊だけホテルに泊まった(三時間しか寝れなかったけど)。二日目の帰りには新宿まで片道のツアーバスまで利用した。
そんなふうに新企画盛りだくさんで満喫した今年のサマソニ。まぁ、おかげでとても充実した三日間だったけれど、やっぱちょっと金を使いすぎたかなぁとも思う。でもまぁ使っちまったもんは仕方ない。そのぶん楽しんだからよしとしよう。
さて、ということで、今年のサマソニは金曜の夜のオールナイト・イベント、ソニックマニアからスタート。
今年のソニマニはメインとなるマウンテン・ステージに出演するのが、コーネリアス、ナイン・インチ・ネイルズ、マイ・ブラディ・ヴァレンタイン、電気グルーヴという四組で、個人的にはすべて観たいと思える、珍しいくらいに豪華なラインナップだった。しかもその裏にもジョージ・クリントン、サンダーキャット、フライング・ロータスという魅力的なメンツがそろっている。これは観ないわけには行かないでしょう?
まぁ、結果的にはマウンテンのラインナップが強力すぎて──あと僕個人の体力がなさ過ぎて──ほかのステージはいっさい観れずに終わってしまったのだけれど。いずれにせよ、今回のソニマニはある意味、サマソニ本編より充実していた。
というわけで、最初に見たのがコーネリアス。
基本的には昨年の十月にベックのオープニング・アクトとして武道館で観たときと同じく『Mellow Waves』のツアーの一環という内容だったけれど、今回は持ち時間が長い分、三曲多かった。あと、今回はフロアでスタンディングで観たので、スタンドで座って観た前回とはけっこう印象が違った。
あのときは一階席から見下ろす形で観ていたために、演出の映像的な完成度と音楽とのシンクロ率の高さに舌を巻いているうちに終わってしまった感じだったけれど、今回は近くだったので、もっとバンドの生演奏の魅力が感じることができた。
近くで観たらその映像美になおさら圧倒されるかと思っていたら、意外とそうでもなく、逆に近いと背景の映像はおまけみたいな感じになって、生だからこそ伝わるバンドの息づかいのようなものが感じられたのがよかった。
【Cornelius】
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コーネリアスの演奏って技術的にきっちりと整いすぎていて破綻がないような気がしていたけれど、近くで観るとさすがに打ち込みの音楽とは違う、生身の人が演奏するからこその隙のようなものがちゃんとある(さすがにエレカシのように隙だらけじゃないけど)。僕はそれが感じたくてライヴに足を運んでいるような気がする。
おもしろかったのは、左右の大型モニターに映し出されるステージの映像がやたらときれいだったこと。生でステージを観ているよりコントラストが鮮明で、ホントきれい。モニターを観たあとで肉眼でステージを観ると、色がくすんで見える。これって下手したらモニターを観ているほうが感動しちゃうんじゃないかって思ってしまうくらいだった。でもって、そのモニターが半透明の薄い膜みたいので出来ていて、映像が映ってない時にはうしろが透けて見える。いやぁ、昨今の映像技術の進歩ってすごいっすね。
さて、二番手はナイン・インチ・ネイルズ。
NINってけっこうテレビでライブをやるので、何度も観たことがあるような錯覚を起こしていたけれど、実際には初めてサマソニで観て以来、これが十三年ぶりだった。
あのころの僕はまだこのバンドの音に慣れていなくて、当時の感想を読むとちょっと引き気味になっていたみたいけれど、あれからNINも変わり、僕も変わり、音楽シーンも変わった。EDMみたいな打ち込みの音楽が隆盛をきわめる昨今、打ち込みを出発点にしつつも、昔ながらのディストーション・ギターをフィーチャーしつづけているNINのゴリゴリとしたロック・サウンドは、いまの僕にはとても好ましく思える。決してフェイバリットとはいえないけれど、好きか嫌いかといわれれば、確実に好きなバンド。
かつてのサマソニでも、映像で観た何年か前のフジロックでも、NINといえば、映像的な演出のすごさが売りのひとつだと思っていたけれど、この日は違った。ステージの演出はほぼライティングだけ。左右のモニターに映し出される映像も、トレント・レズナーを斜めうしろから移した白黒映像が中心で、きわめて地味だった。でもその分、音楽そのもののパワーがじかに伝わってくる王道・直球のステージになっていた。
【Nine Inch Nails】
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NINってトレント・レズナーのソロ・プロジェクトだと思っていたけれど、ギタリストのロビン・フィンクという人がボーカル取ったりすることもあり、意外とバンド色が豊かだった。あと、向かって左手のキーボードの人がアティカス・ロスと紹介されていて、あぁ、この人がと思いました(NINのメンバーだと知らなかった駄目なやつ)。
僕は彼らの曲のタイトルをほとんど言えない外様リスナーなので、これ以上詳しいことは書けないけれど──この日の曲目でタイトルがわかったのは『Copy of A』と『Hurt』だけ──それでもそのステージはとても刺激的だった。ファンというにはおこがましいので隅のほうでおとなしく観ていたけれど、もっと前で観ればよかったとちょっと後悔。
あとで調べたら、MCでデヴィッド・ボウイの名前を出して紹介された『I'm Afraid of Americans』はボウイのカバーで(『Earthling』収録)、シングルのリミックスにはトレント・レズナーも絡んでいたとか。ちっとも知らなかった。われながら、いろいろと底が浅くて残念だ。
残念といえば、最後にダメ押しがあった。ラストナンバーの『Hurt』の前にステージが暗転したのをみて、僕のまわりのオーディエンスがいっせいに出口に向かったので、僕もつられて出口へと向かってしまったら、その途中で『Hurt』の演奏が始まってしまったという。あぁ、しまった。やっぱ終演の挨拶もなしには帰らないでしょう。長いことロック聴いてんだから、その辺はちゃんと理解しろ、俺。
さて、この夜もっとも楽しみにしていたのがその次のマイ・ブラディ・ヴァレンタイン。
ほかのバンドは過去にも観たことがあるけれど、マイブラは個人的にこれが初めてだったので、噂に聴くその轟音がどれほどのものなのか、とても楽しみにしていた。
そしたらこれがさ。
本当にすごかった。最初の一音が放たれた瞬間にぴょんと飛び跳ねそうになったくらい。あまりに音が大きくて、ボーカルなんてほとんど聴こえない。そのまま聴いていたら、なんか身体がおかしくなりそうな気がした。春から親知らずで腫れっぱなしの歯茎がさらに腫れあがるんじゃないかって思った。
実際に難聴になりかねないレベルだからってことだろう。バンドが耳栓を配布しているって話だったので、うちの奥さんは途中で中抜けして、クリエイティブマンのブースで提供されていた耳栓をもらってきた。ふわふわのウレタンかなにかのオレンジ色のやつ。してみるとなるほど、適度に音量が緩和される──けど、なんか音がこもる感じがして、あまり気持ちよくない。そもそも僕は装身具とか整髪料とか、身につけるものが基本的に嫌いで、なくてすむものは積極的に身につけたくないって男なので、耳栓もしかり。
そもそも、耳栓してなおかつ普通に聴ける音量ってそりゃなにごとだと思う。なんか間違ってやしませんか?
大音量はロックの華だと思っていたけれど、さすがにものには限度ってものがあるなと。基本的に音楽は楽しむもの。耳栓なしでは楽しめないレベルはちょっと違うのではないでしょうか。この異常な大音量を快感に思う人がいるのもわからないではないけれど、僕は素直に肯定できなかった。
【My Bloody Valentine】
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あと、なにそれって思ったのは最後から二番目の曲での異常なノイズのたれ流し。曲の最後にギターをガーっとかき鳴らして盛り上げる、みたいなのはどのロック・バンドもよくやることだけれど、マイブラはそれをあの異常な轟音でもって、数分にわたって延々とつづけてみせた。メロディーもビートも節操もない、単なる轟音ノイズのたれ流しが延々とつづくわけです。いったい、いつになったら終わるんだとうんざりするほどの長さで。あんなの、ちっとも楽しくないぞ。ほんと、なんの嫌がらせかと思った。あれが好きって人には、ちょっとMの気があるんじゃないだろうか。
去年のモグワイの轟音もすごかったけれど、あのバンドの場合はインスト・バンドだったから、その音の大きさもまだ納得できた。でもマイブラの場合は基本的には歌ものだ。それなのに彼らは、モグワイをも超える轟音でもって、その歌をわざとかき消してみせる。異常な轟音越しに耳栓を通してかすかに聴こえる柔らく優しいボーカルのメロディ。そこには確かにそこにしかない耽美的な美しさがあるかもしれない。それは否定しない。でもそれは少なくても僕個人がライヴに望むもんじゃないなと思う。
結論:マイ・ブラディ・ヴァレンタインはレコードでのみ聴けばいいバンドかもなぁって。この夜のライヴを観て、僕はそう思いました。スタジオ音源を自分の好きな音量で、できるかぎり大きな音で聴くのがこのバンドとの正しいつきあい方だって気がする。
でもまぁ、ほかでは味わえないレアな体験でした。それは間違いなし。
あらためてこの文章を書くためにスタジオ音源を大音量で鳴らしながら聴いていたら、なんだかあの夜のことを思い出して笑いがこみ上げてきた。ほんとあれはもう笑っちゃうレベルだった。いやぁ、すごかった。
この夜──というのは正しくない時間帯に登場したソニマニのとり、電気グルーヴのMCひとこと目は「おはようございます」だった。実際にライヴが終わって展示場ホールの外に出てみたら、おもてはすっかり朝だった。
予定では五時前には終わるはずが、ひとつ前のマイブラが押していたので、電気グルーヴのステージも二十分押しで始まった。
クローズの時間を守るために短めになるかと思いきや、そこは打ち込みのテクノだから簡単には曲をはしょれないからか、はたまたゲストの出番なしでは終われないからか、電グルは結局予定通り(もしくは最初から予定以上?)の長さのステージを演奏しきった。おかげさまで終わってみれば、すっかり朝。こんな時間帯に電グル聴いて踊りまくっている人たちのなんて元気なことか……。
ひとつ前のマイブラの轟音同様、このバンドをこの時間帯に観るって状況はなんかすごく間違っている気がした。マイブラの轟音にやられたあと、ひきつづき一時間以上にわたって電グルのノンストップのダンスビートにさらされるってのは、こういっちゃなんだけれど、ある種の我慢大会みたいだった。
【電気グルーヴ】
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まぁ、嫌ならばさっさと引き上げりゃいいじゃんって話なんだけれど、でも別に嫌いなわけなじゃないしなぁ……、途中で逃げ出すのも気持ち悪いしなぁ……ってんで、我慢して最後まで観ました。でも「我慢して」って時点でなにか間違っているよね。
五年前に同じソニマニで観た電気グルーヴのステージは、モアイみたいなオブジェがあったりして、けっこう凝ったものだったけれど、この日は演出自体は控えめ。その代わり、途中からゲストとして鈴木サトシというギタリストが出てきたり、最後の『人間大統領』では赤いドレスをまとった女性(かと思ったら日出郎という男性!)がダンスを披露したりしていた。
まぁ、どちらも僕らの知らない人なので、ゲストに出てきたからといって盛り上がれるでもなく。とにかくそのたたみ掛けてくるダンスビートと過剰なテンションの高さが、徹夜で疲れきった身体にはとてもこたえました。
ほぼ同い年なのに石野卓球とピエール瀧のなんて元気なことか……。
ということで、電気グルーヴのステージが終わってみれば、もう五時を大きくまわっていた。サマソニ初日の次のステージまではわずか五時間半。そこから帰宅して出直して──みたいなのはさすがに無理だったので、すぐ近くのホテルを予約しておいて本当によかったと思った、なんともすがすがしくない朝でした。あぁ、疲れた……。
(Aug 26. 2018)
SUMMER SONIC 2018(一日目)
2018年8月18日(土)/ZOZOマリンスタジアム&幕張メッセ
ソニマニのあとホテルでわずかばかりの仮眠をとって出かけたサマソニ初日。トップバッターは酸欠少女さユり@レインボウ・ステージ。
悩んだ末にこの日のサマソニを観ることに決めたのは、彼女のステージが決め手だった。さユりのシングルやアルバムについてきた特典のライヴ映像を観ていたら、やはり一度くらい彼女の歌を生で聴いてみたくてたまらなくなった。
それらの映像作品で印象的だったのは、さユりの歌にかぶせてアニメや歌詞がスーパーインポーズされていたことなのだけれど、生で観て驚いたのが、ステージの最前面にシルクスクリーンが張ってあって、映像がそこに映し出される仕組みだったこと。
BUMPや椎名林檎などでもそういう演出をするのは何度か観てきているけれど、さユりさんの場合、そのスクリーンが最後まで設置されたままなのが特色。
つまり僕らは最後までシルクスクリーン越しにしか彼女の姿を観ることができない。
なるほど、2.5次元パラレルシンガーソングライターという肩書きは伊達じゃなかったのかと思いました。
【さユり】
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おもしろかったのが、開演の10分ちょい前にけっこうなボリュームで彼女の歌が聴こえだしたので、BGMかと思ったら本人の生歌だったこと。去年のコヨーテ・バンドや、この日の午後のスペアザ、翌日のレキシもそうだったけれど、どうやらサマソニでは日本のアーティストがセッティング中に自ら演奏するのが恒例になっているらしい。
でも、佐野元春やレキシはバック・バンドだけの演奏だったのに、さユりは本人が出てきて歌まで歌い、なおかつ自己紹介の挨拶までしていた。短い出演時間のなかで精一杯自分の音楽を表現したいというアーティストとしての彼女の思いが伝わってくるようで、ちょっとばかり感動的でした。ただ、ステージは暗いままな上に、前述のスクリーンごしで様子がよくわからず、観ているオーディエンスにも戸惑いがあったのか、残念ながらいまいち盛り上がりを欠いた感あり。
いったん引っ込んで出直してから始まった本編はわずか三十分で、曲目は五曲だけと、とても短かった。おかげで始まったと思ったら、あっという間に終わってしまった。ほんと、わずか一瞬の出来事って感じで、もの足りないにもほどがあった。
僕はアコギをガチャガチャ真剣にかき鳴らしながら歌う彼女の姿がものすごく好きなので、それをようやく生で観られたのはとても嬉しかったし、まったくぶれのないその力強い歌声の素晴らしさにも感動したけれど、でもとにかく三十分は短すぎた。「これからツアーがあるので、絶対に観にきていただきたいです」と彼女は言っていたけれど、チケットさえ取れるようならば絶対にいますぐ観に行きたいくらい(でも簡単には取れないよね?)。
それにしても、僕は彼女のことをいまの若い女の子のなかでも音楽的に特別なセンスを持っている人だと思っているのだけれど、世間的にはそれにふさわしい評価は得てないんだろうか。この日も集まったオーディエンスの反応はそれほどでもなかった。同じステージでそのあとにつづくBiSHやポルカドットスティングレイより前ってのも僕的にはぜんぜん納得がゆかない。
でもまぁ「酸欠少女」という肩書きと「さユり」って名前には、いかんせん昭和なアングラ・テイストが漂っているし、いつでもポンチョというコスチュームも変てこりんで風変わりすぎる。2.5次元うんぬんのアニメ・オタクっぽさに引いてしまう人も多そうだ。その辺で少なからず損をしている部分はあるのかなとは思う。
でもそれが本人の意志なんだから致し方なし。僕は彼女の才能には間違いがないと思っているし、少なくてもいまや僕の音楽生活にはなくてはならないアーティストのひとりだ。黙ってその才能の行く末を見守るしかない。次にいつ生で観れるかわからないけれど、ふたたびその日がくるのを楽しみに待ちたい。
さて、この日はそこから先しばらくは観たいアーティストがなかったので、比較的おもしろそうだと思ったバンドを漠然と観て歩いた。そしたらたまたまそれが Dream Wife、Pale Waves、Billie Eilish、IAMDDBと、女性アーティストばかりだった。さユりも含め、朝から女の子ばっかり観ていた前半戦だった。
まぁ、観たとはいっても、ドリーム・ワイフ(すごいバンド名だな)はさユりとかぶっていたので二、三曲だったし、ペール・ウェイヴズはフルに観たけれど、遠巻きに座って眺めていただけで、それほど感銘は受けず。R&B系のIAMDDBは寝転んで耳を傾けていただけで、名前をなんと読むかさえわからない(アイアムDDB?)。
ということで、その中でもっともおもしろかったのがビリー・アイリッシュ。
この子のことは現地で実際に観るまで名前さえ知らなかったのだけれど──それこそビリーなんて名前だから男の子かと思っていた──ペール・ウェイブスのあとで時間が空いたので、となりのステージだし、ちょっと観てみようと思ったところが、あまりにインパクトがあったので最後まで観てしまった。
音楽的にはナラ・デル・レイのようなアンニュイなバラードを聴かせる女の子なんだけれど、ラナ・デル・レイに比べると、もっとダンサブルな要素があって、でもって存在自体がもっと自由きままな感じ。
で、なにより驚きなのがこの子が十六歳だという事実。
えー、マジ? 嘘でしょう? この子が十代って、そんなことあり得る?
なにゆえ、わずか十六歳の子があんなに自信たっぷりに、あんなに成熟した歌が歌えちゃうんだ? それも別にわざとらしく色気を演出しているってんではなく、ごく自然体でやりたいようにやっているだけって感じなのに。ファッション的にもだぶっとした派手なパジャマみたいな服装で、色っぽいというのとは違うし。そもそもスタイルもよくなさそうだし。
演出としてディズニーのプリンセスやベティ・ブープのアニメーション、『シャーロック』、『ツイン・ピークス』などの海外ドラマの映像をたっぷりと使いまくり、けだるいムードたっぷりのスロー・バラードを歌いながら、ステージをぴょんぴょん飛び回っている。でもって、なぜだか若い女の子のファンから、きゃーきゃー黄色い歓声を浴びている。
名前も知らなかった十代の白人の女の子が、日本にきて同世代の女の子たちから歓声を浴びながら、元気にステージを飛び跳ねつつ、年に不相応なアダルトな歌声を聴かせている。イケメンの男性DJと一緒に踊ったり(どうやら実の兄貴らしい)、ウクレレ弾いてみせる曲があったりもする。なんかそのすべてが謎だらけで、とてもインパクトがあった。
去年のデュア・リパとはまったく違うタイプだけれど、この子もこの先きっと大化けするんじゃないかと思った。ビリー・アイリッシュ、要注意です。
そのあとは、おやつどきに表へ出て、ビーチ・ステージで SPECIAL OTHERS ACOUSTIC を観た。スペアザをライブで観るのもこれが初めて。
とはいっても、そこは砂浜で直射日光に焼かれての野外ステージ。風が吹いていて、ちょっとは涼しげだったとはいえ、最近の僕は直射日光に当たると湿疹が出てしまうため、野外ではいつも長袖のシャツを着ていたりするので、こういうシチュエーションはあまり楽しめない。うちの奥さんがカキ氷が食べたいというので、無理して近くで観ることもないかと思って、ステージにいちばん近いカキ氷屋にできた長蛇の列に並びながら、遠巻きにそのステージを眺めていた(でもすごい行列で、ライヴが終わってもまだカキ氷は買えなかった)。
今回のスペアザはアコースティック・セットということだけれど、キーボードの人がヴィブラフォンとピアニカらしき鍵盤を演奏していた以外、いつもとどこが違うのかよくわからず。ギターの人はアコギなんだろうけれど、遠くて識別できず。ドラムとベースにいたっては、普段となにが違うのか、まったくわからなかった。
でもまぁ、夏の太陽を浴びながら、風に吹かれつつ聴くスペシャル・アザーズの音楽はなかなか気持ちよかったです。でもこのバンドは真夏の太陽の下よりは、春や秋にさわやかな風に吹かれながら観たいかな。
さて、その次がいま一度メッセに戻って、この日のお楽しみの二番手、ソニック・ステージのザ・シャーラタンズ。
シャーラタンズを生で観るのも、これがじつに十六年ぶりらしい。観たいとは思いつつ「絶対に」とまではゆかない距離感のバンドなので、知らないうちにずいぶんごぶさたしてしまっていた。
とはいえ、このバンドももう四半世紀以上聴きつづけているわけで。この日の一曲目の『One To Another』や、後半に披露された『Weirdo』なんかは本当に大好きで、いまでもコンスタントに聴きかえしているので、イントロが鳴った瞬間にいやおうなく盛りあがる。
【The Charlatans】
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マッド・チェスター陣のなかにあって、唯一の生き残りといっていい彼らが、なにゆえに生き残ってこれたのか。彼らの演奏を聴くとそれがよくわかる。
彼らの音楽はデビュー当時から変わらず、つねにグルーヴィーだ。僕個人は聴きこみが甘くて曲名もわからない最新作『Different Days』の収録曲が並んだ中盤でも、まったく違和感なく、そのグルーヴ感に身をゆだねられる。ちょっぴりウェットなメロディーに、つぼを押さえたキャッチーなフレージング。そして決してぶれないダンサブルなビート。切れのあるギター・サウンドをオルガンの優しい音色が包み込む特徴的なバンド・サウンドはキーボードが二度も入れ替わった現在も健在だ。
とにかくシャーラタンズのライヴはいつ観てもとても気持ちいい。やっぱこんなにあいだを空けずに、観られる機会にはもっとちゃんと観てくればよかったと思わされる素敵なステージでした。次に単独来日公演があったらぜひまた観たい。
それしてもこのバンドは『Sproston Green』以外の曲でステージを終えたことがあるんだろうか?
シャーラタンズのあと、ヘッドライナーのノエルまではけっこう時間があったんだけれど、その時点ですっかり疲れていたので、それ以上無理をするのはやめて、すぐにマリンスタジアムの一階スタンドへと移動、マシュメロという人のDJプレーをちょっとだけ観た。
この人は前の夜のソニマニにも出ていて──それで翌日のマリンに出演ってのもなにげにすごい──それを観た渋谷陽一氏が褒めていたので、じゃあ観てみようかと思ったんだけれど、でもやっぱDJって違うなと。大音量で鳴らされるEDMに需要があるのはわからないでもないけれど、やはりそれは僕が聴きたい音楽とは別のものだなと。
電気グルーヴのように同世代の日本人がやっているとまた別の関心も生まれるけれど、どれだけキャッチーであろうと、見ず知らずの覆面DJのプレイにいきなり共感して盛り上がるのは無理みたいだ。EMDを観るたびに、俺ってやっぱロック・ファンだよなと思う。
ということで、この日のとりを飾ったのはそのあとのノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ。
僕はデビュー当時からオアシスを聴いているけれど、結局オアシスのライヴは一度も観ないで終わってしまったので、ノエルを生で観るのはこれが初めて。
オアシスのころはリアムのボーカリストとしての資質の高さを評価するあまり、でしゃばって歌いたがるノエル兄貴のことをよく思わなかったりしたものの、バンドが解散してはや十年。その間にソロ・アーティストとしての地位を固めて、こうやってサマソニのヘッドライナーを務めるほどの活躍をつづけるノエルを見ると、素直にすげえなあと思う。
ボーカリストとしては、やはり弟と違って特別ななにかを持っているとは思わないけれど、でも決して歌が下手ってわけではないし、そのソングライターとしてのセンスには秀でたものがあるなと思った。
この日のライヴを観ていて僕が強く感銘を受けたのは、やはりそこ。単にメロディーメイカーとして優れているっていうだけではなく、彼の書く曲ってメロディーに対する言葉の乗せ方がとてもうまい気がする。メロディーに対して最高に気持ちのいい言葉の乗せかたをしているというか。それゆえに聴いていると自分でも口に出して歌いたくなる。結果としてライヴでの大合唱が起きる。そういうポップ・ソングとしての最高の形を、ものの見事に実現しているように思う。
そういう意味で、そのセンスがもっとも見事に発揮された曲が最後から二番目に演奏された『Don't Look Back in Anger』だろう。サビをすべてオーディエンスの合唱に任せて、それでも楽曲がしっかりと成り立つのは、誰もが歌いたくなるあの曲のポテンシャルがゆえ。さすがの僕でも大合唱に加わらずにはいられなかった。
【Noel Gallagher's High Flying Birds】
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あと、ノエルさんは意外と謙虚だった。自分のソロ・ライヴなのに、コーラスの黒人女性にまるまるボーカルを任せたりするし、なんでもオレオレなワンマンではないらしい。バンドとしてもまとまりがあったし、そういう意味でも好印象なライヴだった。
バンドはメンバーが何人いたのかすでに忘れたけれど、ホーン数名に女性コーラス複数ありで、けっこうな大所帯だった。音的にはオルタナティヴなものより、ポール・マッカートニーあたりの王道ロックって印象。そういう意味でもすっかりUKロックの大御所の一角を占めつつあるのかなって貫禄を感じた。
サマソニ初日のマリンスタジアムで最後に演奏されたのは、ノエルのソロでもオアシスの曲でもなく、ビートルズのカバー『愛こそはすべて』。『Don't Look Back in Anger』からの流れを受けてこの曲をやられた日には、そりゃもう誰だって合唱に加わらないではいられまいって選曲。よもやポール・マッカートニー以外のライヴでこんな風にビートルズ・ナンバーを歌うことになるとは思わなかったよ。
ノエルとバンドがその曲の演奏を終えて、さよならの挨拶を始めるとともに、スタジアムの上空に花火があがった。
これまでに僕がサマソニで観た花火は、ヘッドライナーがアンコールを終えて姿を消したあとに上がるのが相場だったから、まだアンコールどころか、メンバーがステージにいるあいだに花火が上がり始めたのには意表をつかれた。
主役に拍手を送りつつも花火に気をとられているうちに、ノエルたちはゆっくりとステージを去っていった。そういう流れだから当然アンコールもなし。定石を無視したそんなノエルの姿勢は思いのほかロックだと思った。
ノエル・ギャラガーのステージは、オーソドックスな音楽性の一方で、予定調和を嫌う反骨心を感じさせた点で、僕の予想のちょっぴり斜め上をいっていた。
ということでサマソニ初日はノエルの『愛こそはすべて』と花火で終了。まだメッセではテイム・インパラのステージもやっていたし、深夜一時からのウルフ・アリスも観たかったのだけれど、体力的にはその時点ですでにきつかったし、無理して夜更かしして翌日に響くのも困るので──あと、ウルフ・アリスだけのために深夜料金のタクシー代、約二万円を払う決心がつかなかったので──残念ながらこの日はそこでおしまいにして、さっさと自宅へ帰った。
五十代にとっての夏フェスとは、要するに、音楽への愛情と疲労感および預金残高との戦いではないかと思ったりする(つづく)。
(Aug 26. 2018)
SUMMER SONIC 2018(二日目)
2018年8月19日(日)/ZOZOマリンスタジアム&幕張メッセ
サマソニ二日目は疲れにまけて思いっきり怠けた。序盤は特別に観たいアーティストがいなかったのですべて捨てて、三時すぎに始まるレキシから観にいった。
サマソニでオープニング・アクトを観なかったのは八年ぶり二度目。正午近くにうちを出たのなんて初めてだ。というか、この日はレキシのほかはチャンス・ザ・ラッパーとベックの三組しか観なかった。サマソニでここまで少ないステージしか観なかったのも初めてだ。今回はいろいろ初めての多い夏だった。
いやぁしかし、この日のタイムテーブルには最後の最後まで悩まされた。今年の目玉であるチャンス・ザ・ラッパーとヘッドライナーのベックの裏に、セイトン・ヴィンセントがかぶっているもんで。この三組をどう観るか、当日まで悩みつづけた。
当初はチャンスのステージを途中で抜けて、セイント・ヴィンセントを半分観てから、ベックに戻ってこようかと思っていたんだけれど、でも前日ですっかり疲れてしまって、そんな風にあわただしくスタジアムとメッセを移動してたら、どのステージもじゅうぶんに楽しめない気がした。移動に片道十五分はかかるので、往復で三十分はロスする計算だし、さんざん悩んだあげく、そんなふうに時間を無駄にして、三組のアーティストを中途半端に観るよりは、二組をがっつり観るべきだろうって結論に達した。
となれば、もうチャンスとベックがつづけて出るスタジアムに腰をすえて、メッセのセイント・ヴィンセントを諦めるしかない。
幸い──というのもなんだけれど、今回の彼女のステージは春先にコーチェラのネット配信で観たことがあったので、どんなイメージかは知っていたし──当然それを生で観たいという気持ちはあったけれど──中途半端にしか観られないんなら仕方ないと、泣く泣く諦めた。
ちくしょう、サマソニ事務局。どう考えたってベックとセイント・ヴィンセントをかぶせるのは間違いだって。僕以外にも両方観たかった人がたくさんいるだろうに……。
さて、というわけで若干恨み節まじりのこの日のサマソニの一発目は、すっかりうちの奥さんのご贔屓になったレキシ。
フェスで観るレキシのなにがいいって、時間が短いぶん、無駄なく演奏が聴けること。去年武道館で観た三時間越えのソロ公演で十四曲しかやらなかったレキシが、この日のライヴではわずか四十五分のあいだに六曲も演奏してくれているんだから、短いながらもけっこう満足度が高かった(まぁ、それにしたって少ないけどね)。
ライヴは一曲目の『KMTR645』で恒例のイルカのバルーンが飛び交うシーンからスタート。この日は同じ時刻に裏でこの曲にゲスト参加したキュウソネコカミのステージがあったので、なんでも両者で示し合わせてこの曲を演奏したとかなんとか(未確認情報)。
二曲目の『SHIKIBU』では、池ちゃんはこの暑い夏フェスのステージで、衣装の着物の上からさらに十二単を着用。汗だくの熱演をみせてくれた。
「重い年貢っていうけれど、実は軽いんです」とミニチュアの俵を宙に放り投げてみたりしながら『年貢 for you』で観客にタオルをぶんぶん振りまわさせたあと、『ゲゲゲの鬼太郎』最新アニメのタイアップ曲『GET A NOTE』を披露。
【レキシ】
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この曲、僕はアルバム待ちでシングルを聴いていないので、きちんと聴くのはこの日のライヴがほぼ初めてだったのだけれど、すごいっすね、レキシの語呂合わせのセンス。「下駄の音」という日本語を『GET A NOTE』という英語タイトルに変換して、『Get Up, Stand Up』的なサビのフレージングを生み出すその言語センスには素直に感心してしまった。たんにギャグをかましているだけでなくて、曲自体もカッコいいし。のみならず「からんころん」という初代アニメ主題歌のフレーズまで効果的に取り込んである。レキシすげーって思いました。
そのあとは定番の『狩りから稲作へ』と『きらきら武士』で締め。
池ちゃんは「洋楽フェスだからアウェイだと思ってたけど、めっちゃ楽しい」といいながら、途中のアドリブ・コーナーではPファンクのフレーズなんかを聴かせるも、いまいち盛り上がらず。「お前ら、意外と洋楽詳しくないな?」とかいいつつ、「じゃあ、なんとかアンガーはどうよ?」とオアシスの『Don't Look Back in Anger』を演奏して、観客の大合唱を引き起こしてみせた。よもや二日連続でこの曲の大合唱を聴くことになるとは思わなかったよ。
すべての演奏が終わったあと、池ちゃんはビートルズの『ジ・エンド』をBGMに流して去っていった。レキシはサマソニでもたいへん楽しゅうございました。
レキシのあと、チャンス・ザ・ラッパーまでは一時間半もあったんだけれど、セイント・ヴィンセントを観ないと決めたことで、無理して知らないアーティストまで観なくていいやって気分になっていたので、さっさとスタジアムに移って、早めの食事を済ませたあと、スタジアムの一階スタンドに移動した。
そしたらまぁ、アリーナのすいてること、すいてること。結局チャンスのステージが始まる時間になっても、後方のブロックはほとんど無人だった(その後すこしずつ増えて、最終的にはそれなりに埋まってたけど)。
仮にもグラミーで最優秀新人賞とったアーティストだよね? それでこんなに客が少なくていいのかいって思ってしまいました。やっぱり配信だけで活動している関係だろうか、日本ではまだCDで発売しないと知名度があがらないのかなと思った。
チャンス・ザ・ラッパーの音楽って、ラップとはいっても、けっこう古典的な感触があるし、合唱団的なコーラスを多用していたりして、オールド・ファッションな黒人音楽ファンにも通じやすいと思うので、日本でももっと人気が出てもいいと思うんだけどな。単純に音響的に温かみがあってポップだし、少なくても今年のフジのヘッドライナーをつとめたケンドリック・ラマーよりも日本では受けそうな気がするのは僕だけ?
まぁ、いずれにせよこの日のステージを観た人のほとんどは大満足だったに違いない。とてもいいステージでした。
【Chance The Rapper】
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スタンドから観ていたので、距離があってメンバー構成はいまいちはっきりしないけれど、ステージにはバンドのメンバーの乗るひな壇があって、その左隅にドラム、右隅にキーボード、真ん中に白黒男女混声のコーラスのメンバーが四人と、その右手にトランペットを吹いたりする人がひとりという構成。
チャンスは黒のぴったりとしたTシャツに黒いパンツ。右足にはレモンみたいな黄色い楕円が五つ並んでいる。トレードマークのベースボールキャップは白。
僕はチャンス・ザ・ラッパーという人をシャイで穏やかそうな人だと思っていたけれど、生で観た彼のパフォーマンスには思っていたよりタフな感触があった。ポップなんだけれど根がまじめで真剣だから、ニヤニヤしてなんかいられない、みたいな。その点では苗場で観たファレル・ウイリアムズに通じるものがある。
考えてみれば、普通にCDをリリースせずにデビューして、配信だけで音楽を売ってみせたラジカルな人だった。そんな人がただおとなしいばかりであるわけがなかった。
フジロックで観たN.E.R.Dに比べると演出は控えめだったので、序盤はそれほど盛り上がらないのかなと思ったのだけれど、時間とともに確実に熱量があがっていった。演出がシンプルなぶん、黒人音楽が本質的に持っている音楽自体の力がダイレクトに広がってゆくようなステージだったと思う。途中、友達らしきラッパーとふたりでのコラボがあったりもしたけれど、やはりもっとも感動的だったのはコーラスの四人が大々的にフィーチャーされた楽曲郡。特にラスト・ナンバーの『Blessings (Reprise)』はその極みでした。いやぁ、最高に感動的なエンディングだった。
正直、それほど聴き込んでいないアーティストだったからスタンドで観てしまったけれど、アリーナで観なかったことを少なからず後悔した。やっぱヒップホップはアリーナで観ないと駄目だわ。あと、やっぱこういうステージをさらに深く味わうためにも、もっと英語がわかるようになりたい──ひさびさにそう思わされた素敵なパフォーマンスでした。セイント・ヴィンセントは残念だったけれど、でもこれを半端に観たら、もっと後悔したと思う。いやぁ、フルで観ておいて本当によかった。
このステージを観て以降、音楽の聴き方がちょっぴり変わった気がしている。
さて、この日はあまり暑くなかったので、海風の吹き抜けるスタジアムのスタンド席はとても心地よかったので、そのままそこで酒を飲みながらライヴを観ていたい気持ちもあったんだけれど、チャンス・ザ・ラッパーを座ったまま観てしまったことを少なからず後悔したので、せっかくだからベックはアリーナに降りて、できるだけ近くで観ることにした。
チャンスからベックへの流れだと客がほとんど動かないんじゃないかと思っていたら、まったくそんなことなし。チャンスのときにアリーナにいたほとんどの客がベックを観ないで帰っちゃいました。やっぱラップとロックではぜんぜんリスナー層が違うらしい。これはちょっと意外。
でもそのおかげでベックは思いっきり前で観られた。でもってそれが最高に楽しかった。前にいったのが大正解で、音もでかいのに分離がよくて聴きやすく、ギターの音もバキバキしていて最高に気持ちよかった。まだ終わらないうちに、これと同じライヴをいますぐもう一度観たいと思ったくらい。それくらいに楽しかった。ベック、最高~。
バンドのメンバーは右手のドラムとベースが黒人、左手にギタリストとキーボード、そしてB53'sと紹介された男女三人組のコーラス・グループという編成で、ベック、ギタリスト、ベーシストの三人だけがフロア、あとのメンバーはひな壇の上という配置。
ベックさんは黒ずくめの衣装で、ジャケットはスパンコールだかスワロフスキーだかできらっきらでした。
【Beck】
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セットリストは去年の武道館とそれほど変わらなかったけれど、今回はフェスってことで、あの日演奏された『Lost Cause』などのバラードはいっさいやらず、かわりに必殺の『Sexx Laws』を聴かせてくれるという、まさにフェス向けのサービス・メニュー。
あと、驚きだったのが、わずか二曲目で『Loser』が演奏されてしまったこと。えー、この曲をいきなり最初にやっちゃうのかよ!って思いました。
まぁ、それだけクライマックスを飾る『Colors』の新曲郡に自信があるってことなのかなとも思った。ツアーを重ねて熟成してきただけあって、実際にそれらの曲はたいそうな盛りあがりだったし。
あと、ラス前の『Up All Night』では、ベックがこの曲のスペシャル・バージョンで競演したDAOKOがゲストで出てきた。たまたまこの日のサマソニには彼女も出演していたので(僕はすっかり忘れいていた)、なるほどってゲストだったけれど、彼女がいたこともあって、クライマックスは『Loser』ではなく、この曲にしたかったのかなと思った。
DAOKOさん、なんだかまだまだステージ慣れしてないのか、ベックとの大舞台での競演に緊張感しているのが伝わってくるパフォーマンスでした。ベックおじさんに絡まれて困っているみたいなところがちょっぴりおかしくもあり。でもまぁなかなか可愛かった。
アンコールでは定番の『Where's It At』の途中にメンバー紹介と『One Foot in the Grave』を絡めるって演出も去年のまんま。でもこの日はスタジアムに鳴りわたるベックのブルースハープの音がえっれーカッコよかった。あの音を聴けただけでもアリーナで観た甲斐があると思いました。あと、メンバー紹介でギターのジェイソン・フォークナーがストーンズの『Miss You』をひとくさり聴かせてくれたのもぐっときた。
アンコールにはDAOKOもふたたび出てきて、メンバー全員でのダンスに加わってました──が。ベックが自分の帽子を彼女にかぶせたりして、終始特別扱いしてもらっていたけれど、やはり最後までぎこちなさが抜けない感じだった。彼女はこんな調子でこの先、芸能界で生き残ってけんのかなって、いらぬ心配をしたくなりました。ほんと余計なお世話だ。
ということでこの日のサマソニは、ベックの素晴らしいライヴを堪能したあとで、恒例の花火があがるのを見て大団円──のつもりが……。
あまりステージ近くに寄りすぎていて、ステージが邪魔して花火が見えませんでした。もしやとは思っていたけれど、こんな落とし穴があるとは!
途中からはうしろに下がって見える位置まで移動したけれど、それでもやはり一部はステージに隠れたまま。終演の花火をじゅうぶんに楽しみたかったら、もうちょっとうしろに陣取らないといけないという教訓を得ました。あぁもったいない。
でも、あの距離でベックを観るか、花火を見るかっていったら、やっぱそれはベックだよねぇ……。
とはいえ、アリーナからの退出の列がスタンドで見ていたチャンスのときよりも渋滞していなかったから、客の入りはいまいちだったっぽい。すんげーよかったのに。なんかもったいないなぁ……とちょっぴりさびしく思いながら、スタジアムをあとにしました。
ということで今回のサマソニは花火を楽しみそこなって終了。帰りは新宿までのツアーバスを予約してあったので、いつもより楽だった。スタートが遅かったこともあって、この日はこれまでのサマソニでいちばん疲れなかった。
結果としてたった三組のアーティストしか観られなかったけれど、でもじゅうぶん満足できたし、観たいアーティストだけピンスポットで観るフェスってのも意外と悪くないもんだなと。十年以上フェスに足を運んでいるくせに、今回初めて思ったとさ。なんだかいろいろと間が抜けている五十代男でした。おしまい。
(Sep 03. 2018)
スピリチュアライズド
2018年9月26日(水)/Studio Coast
2012年リリースの『Sweet Heart Sweet Light』で遅ればせながらファンになったスピリチュアライズドのライヴを六年越しでようやく観た。
まぁ、ファンになったとはいっても旧譜はほとんど聴き込めていないし、ファンを名乗るのもおこがましいんだけれど、このバンドは絶対にライヴがいいはずだと確信していて、ぜひ一度は生で観たいと思っていたので、夏フェスの余韻さめやらぬ時期に単独公演が決まったこともあって、思い切ってチケットを取った。
初めて観たスピリチュアライズドのライヴでなにより印象的だったのは、とにかくスローなナンバーのオンパレードだったこと。二曲目でいきなり代表曲の『Come Together』が演奏されたので、これはもしやすごい攻撃的なライヴになるのかと思ったら、まったく正反対だった。ここまで遅い曲ばっかのライヴって、過去にあったっけって思い返してみたくなるレベル。七曲目に演奏された新譜のオープニング・ナンバー『The Perfect Miracle』もどう考えたってゆっくりした曲なんだけれど、そこまでの流れがスローすぎたんで、「これってけっこう勢いのある曲だったのか」と思ってしまったくらい。それくらいとにかく全体の印象がスローでメローだった。ある意味、ここまで徹底的にバラード主体のロック・バンドって最近じゃ珍しい気がする。
まぁ、バラードばっかだから演奏もおとなしいかというとそうではなく。音数少なく静かに始まった曲も、大半は曲が進むにつれて次第に演奏が熱してゆき、クライマックスに至るころにはぶあついサイケデリック・サウンドで同じフレーズをこれでもかとリピートしながらダイナミックに盛り上がる。そういう演奏がほとんど。
どの曲もメロディーは美しいし、そのゆったりとしたビートに身をゆだねつつ、徐々に増してゆく音圧と繰り返されるフレーズにどっぷり浸れたらならば、気持ちがいいことまちがいなし。ただし、BPMを求めちゃ駄目。ビートの疾走感にこそロックのダイナミズムを期待するリスナーにとっては、逆に耐えがたいライヴなんじゃないかって気がする。
僕個人はといえば、そういうバンドだとはいざ知らず。ライヴがよいはずという確信のもと、うちの奥さん(元気で陽気な音楽が大好き)を誘って観にきてしまったこともあり、あ、失敗したという思いが否めず。あと、目の前にいたオーディエンスが場内最高かってくらいに背が高かったり、へんてこりんなダンスで猛烈に盛りあがる珍獣系の人だったりしたのに気が散って、十分に堪能したとはいいがたかった。
でもまぁ、スピリチュアライズドが独特のスタンスを持った個性的で優れたバンドなのがわかったし、このバンドは今後もフォローしていきたいなと思う。
【SET LIST】
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スピリチュアライズドってオルタナティヴ・バンドでありながら、すごく古典的なヴィンテージ・ロックの感触もあるところがおもしろい。僕は部分部分で、七十年代のストーンズの作品、特に『スティッキー・フィンガーズ』あたりのバラードを聴いているときと近いものを感じた。たとえば『I Got the Blues』のような曲が延々とつづくライヴを想像してもらうといいかもしれない。まぁ、あくまで僕個人の感じ方だから、ぜんぜんそんなことないっていわれそうだけど。
ステージではバンドの配置も独特だった。主役のジェイソン・ピアース(なんと僕よりひとつ年上)はステージ右手の隅で椅子に座って演奏する。マイクはなぜか二本。ロック・バンドにしては珍しく譜面台もある。
彼のとなりにはコーラスの黒人女性がふたり(右側の女性の赤い髪が目を引いた)。彼女たちからちょっと離れて、ステージ中央から左手にドラム、ベース、キーボード、ギターのふたりがごちゃっと集まっている。いちばん手前のギターの人に隠れて、もうひとりのギタリストとキーボードの人はよく見えない。主役のジェイソン・ピアースがすみっこにいるから、サポート・メンバーがあまり目立っちゃいけないと思っているかのような、へんてこなバランスの八人編成だった。
ライヴは一曲目で『Hold On』という曲をワン・コーラスだけ弾き語りっぽく聴かせたあと、前述のとおり『Come Togather』から本編に突入。つづけて旧譜の代表的なナンバーを演奏してから、今回のツアーのハイライト、新譜の『And Nothing Hurt』を全曲アルバムの収録順に披露するという内容だった。そういう意味では今回しか観られない、とてもレアなライヴだったのだと思う。
この新譜再現パートで印象的だったのは、曲ごとに新譜のヴィジュアル・コンセプトであるモールス信号で曲名がバックのスクリーンに映し出されるという趣向。これがおもしろくて、つい演奏そっちのけでモールス信号を解読するのに夢中になってしまった。まぁ、おかげで新譜に関しては全曲タイトルがわかって楽しさ倍増でした。
アンコールは前作のとりを飾る『So Long You Pretty Thing』と『Oh Happy Day』のカバーというゴスペル・パーティー。で、それで終わりかと思ったら、そのあとでもう一度、ジェイソン・ピアースがオープニングと同じ『Hold On』をワン・コーラスだけ歌って全編終了とあいなった。
最初から最後まで様式美へのこだわりを感じさせるステージだった。そしてジェイソン・ピアースは控えめながらもロック・ミュージシャンとしてのオーラがびんびんで、とてもカッコよかった。僕が女の子だったら惚れてるかもしれない。
(Oct 08. 2018)
さユり
レイメイのすゝめ/2018年10月19日(金)/Zepp Tokyo
サマソニの三十分のステージではもの足りず、Zepp Tokyoでの酸欠少女さユりの単独公演を観に行ってきた。
自分の娘と同世代の女の子のライヴに足を運ぶのはちょっと気が引けたんだけれど、でも観たいんだからしょうがない。チケットも取れないだろうと思ってダメもとで抽選に応募したら、簡単に取れちゃうし。
チケットはその後の一般発売でも購入できたので、僕が思っているほど人気はないのかと思っていたけれど、最終的にはソールドアウトしたとのことで、場内は若者でぎっしりだった。さユりのMCによると、収容人員は2,700らしい。
そんなに売れてないと油断していたので、開演ぎりぎりに到着してみれば、すでに選択の自由がなく、うしろの隅のほうで観るのを余儀なくされ、しかもまわりの人たちがほとんど棒立ち状態だったので、なかなかきついものがあった。ちょっと身体を揺らすと、腕が触れたとなりの人が振り返ったりするし。モッシュに巻き込まれるのも嫌だけれど、まわりがまったく動かないのもきついもんだなと思いました。
ライヴのオープニングは宇宙を描いたスペイシーなCG映像でもって始まった。すでにどんなだったか記憶があいまいだけれど、けっこう壮大なスケールのやつ。
でもってライヴもその流れでダイナミックに始まるのかと思いきや、そうではなく。CGが終わってから一呼吸おいて、白いポンチョ姿で黄色いアコギをひっさげたさユりさんがスポットライトを浴びる。
この日のステージで一曲目を飾ったのは、知らない弾き語りナンバーだった。ネットで調べたらところ、『夜明けの詩』という曲らしい。
さユりは路上ライヴでキャリアをスタートさせた人だからか、あまり公式リリースうんぬんにはこだわりがないみたいだ。この日のセットリストにもこのオープニング・ナンバーや新曲の『レイメイ』を含め、未発表曲が四曲も含まれていた。
二曲目の『来世で会おう』もワン・コーラス目は弾き語り。でもって、ここまでは演出らしい演出はゼロ。スポットライトだけがアコギをかき鳴らすさユりの姿を浮かび上がらせていた。もしや今回は弾き語りツアー?――って思ってしまったくらい。でもさすがにそんなことはない。
『来世で会おう』の一番を歌い終わったところでバンドが入り、ここからいよいよこの日のライヴの本編に突入する。でもたぶん、この曲のときはライティングだけで、映像を使った演出はなかったと思う。
「歌と映像がシンクロした2.5次元ワンマンライブツアー」と題した今回のツアー『レイメイのすゝめ』が本領を発揮しはじめたのは、その次の『アノニマス』から。サマソニでも設置されていたステージ全体を覆った透明なスクリーンに、アニメやCG、実写映像、歌詞の断片が映し出され、さユりの歌の世界をより色鮮やかに飾りたててゆく。
スクリーンはステージ前方のそれだけではなく、背景のものも使われていて、その両方を使い分けることで、より立体的な3D効果を生み出していた。サマソニ同様、『オッドアイ』でのレーザー光線のみの演出も美しかった。
【SET LIST】
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今回のツアータイトルにもなっているMY FIRST STORYというバンドとのコラボ曲『レイメイ』は、マイフェス(と呼ばれているらしい)のボーカル・パートをカラオケで聴かせて、さユりはさユりのパートだけを歌うというアレンジだった。せっかくのライヴなんだから、全編さユりのボーカルだけで歌ってもらえたほうが嬉しいんだけれどな──と思いながら聴いていた。そうするのが難しい理由があるんでしょうかね。フルで聴くのはその日が初めての曲だったので、そのへんはよくわからない。
でもあの曲を「明るい曲です」と紹介するさユりの感覚って、ちょっと変わっていると思う。そりゃ勢いのある曲だし、暗くはないですけどね。あまり「明るい」という言葉が似合う曲って気はしなかった。
彼女の歌はとても通りがよくて、期待通りの存在感。その声がバンドの音に埋もれず、ストレートに僕らへと突き刺さってくる。
CSで放送されたフェスでの映像やYouTubeにある路上ライヴでの弾き語り映像なんかを観ると、ときによってはボーカルが不安定だったり、ギターをミスっていたりすることもあるけれど、この日のように凝った演出とバンドの演奏に支えられてのステージを生で観ているぶんにはまったく問題なし。非常に気持ちよかった。
MCでの謙虚な言葉の選び方に人となりが滲み出していたのも印象的だった。2曲目を歌い終えたあとのこの日の第一声、「さゆりです。よろしくお願いします」とか、最初のMCでの、「Zepp Tokyo、2018年10月19日、『レイメイのすすめ』、よろしくお願いします」とか。その律儀で丁寧な言葉のはしはしから、いまという時間が二度とないこと、だからこそ、いまこの場所にいることをなにより大切に思っていることが真摯に伝わってくる。
『レイメイ』でのMCでは「昔は夜明けが怖かった」と語り、でもいまは夜明けを怖がらずに歌えるようになった、みたいなことをとつとつと語っていた。ちなみにオープニングの『夜明けの詩』がまさに「夜明けが怖い」という歌詞みたいだから、一曲目があの曲だったのは今回のツアーの必然なんだろう。
ライヴの最後はステージを絵画の額縁に見立てて、そこにMVの映像をあしらった『birthday song』から、オープニングのCGと対をなす宇宙規模の映像を使った『十億年』で幕。そしてなんとアンコールなし。
アンコールのないライヴを観たのって、いつ以来だろう? とんと記憶にない。
混んでいてステージが遠いうえに、映像が凝っているぶん、ステージが明るくなることがほとんどないので、バンドの編成──ドラム、ベース、ギター、キーボードの四人──がいまいちよくわからなかったりしたけれど、そのぶん、主役であるさユりの歌がくっきりと浮かび上がる、そういうコンサートだったと思う。そういや、さゆりはアコギしか弾かないのかと思っていたら、『平行線』ではエレキ(ストラトキャスター?)を弾いていて、おっと思った。まぁ、よく見えなかったから、弾きっぷりとかはよくわからないんだけれど。
ライヴの内容とは関係ないところで気になったのは、曲と曲の間、観客がやたらと静かだったこと。昔のバンプなんかでも静かだなぁと思ったことがあるけれど、さユりのファンはもっと静か。
アーティスト本人が歌っている途中で叫んだりするのはやめてくれと言っているそうなので、ファンの側にも遠慮があるのかもしれないけど、それにしたって、「次の曲は『birthday sing』です」って言われも「しーん」って。それはちょっとどうなの?って思ってしまった。次に大好きな曲が聴けるとわかったら、自然と歓声があがりそうなもんなのに。なぜあそこまで静かにしていられるのか、かえって不思議。
そんなこというなら、自分で歓声あげりゃいいじゃんって? いやいや、それは五十代男性として、ちょっとどうかと思うんだよね。ねぇ? そこんところは、やはり同世代にお願いしたい。
いやぁ、それにしても一時間半ちょいでもやっぱもの足りなかった。ぜひもう一度観直したい。せっかく凝った演出もあるんだし、もったいないので、ぜひとも映像作品としてのリリースをお願いしたい。よろしくお願いします。
(Oct. 28, 2018)
ザ・フラテリス
2018年10月31日(水)/WWW X
ハロウィンの夜に渋谷の喧騒の片隅でグラスゴー出身のスリー・ピース・バンド、ザ・フラテリスのライヴを観た。
僕はフラテリスをデビューしたときから聴いているけれど、盛り上がったのはファーストだけで、それ以降はつかず離れず、タイトルがわかる曲は『Flathead』だけってリスナーなので、フェスならばともかく、ひとりだったら絶対に単独公演を観にゆこうとは思わないんだけれど、なぜか普段は新しい洋楽のバンドをほとんど聴かないうちの奥さんがサード・アルバムが出たころに突然このバンドにはまり、それ以来ライヴが観たい、ライヴが観たいを連発していたので、今回はつきあいで観にゆくことにした。
そんなだから、正直なところ、それほど乗り気ではなくて、渋谷の狂騒にもうんざりしていたから、チケットを取ったことをちょっぴり後悔したりもしていたんだけれど、いざ観てみて、そのよさに驚いた。
僕はフラテリスというバンドをシンガロングが売りの陽気なパーティー・バンドかと思っていたんだけれど、実際に観てみたら、そんな単純なバンドじゃなかった。
まず印象的だったのは、フロントマンであるジョン・フラテリのミュージシャンとしての素養の高さ。
この人はギターも歌もやたらと上手い。それも単に技術をひけらかすような上手さではなくて、自分の好きな音楽を鳴らすのに必要なだけの能力をたっぷりと持ち合わせていて、それを必要なときに必要なだけ引き出すことができる、とでもいった余裕しゃくしゃくなところがある。喉も裂けろとばかりに叫んだり、力任せにギターをかき鳴らしたりとか、そういうのが一切ない。どんなに盛り上がる曲でも、彼のたたずまいは常にかろやか。そこがとても意外だった。そしてそんな彼の姿勢にとても感銘を受けた。ある種の天才を感じた。
【SET LIST】
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ジョンさんは白いつば広の帽子にぴっちりとした黒いシャツ、ダメージド・ジーンズという格好で、白いピックガードにローズネックの真っ赤なテレキャスターを弾いていた。最初から最後までギターはこれ一本ってのも、なにかとギターを交換しまくる日本のアーティストばかり観ている身としては新鮮だった。
そんな彼を支えるバンドのメンバー──ドラムとベースに、サポートのキーボードの四人組──も息はばっちり。オープニングを飾った『Whistle for the Choir』のようなおとなしめな曲はそれ相応に滑らかに可愛らしく、『Flathead』のようなジャンプアップ・ナンバーはそれにふさわしい音量でガンガン盛り上げてみせる。
新譜のとりを飾る『I Am That』のようなインド風のサイケデリック・ナンバーもあるし、アンコールの『Laughing Gas』はジョンがギターの弾き語りでしっとりと聴かせる。オルガンの音色が印象的だったラストのカバー曲『Runaround Sue』もスピード感のあるアレンジがやたらとカッコよかった。とにかくその演奏は思いのほか多彩で、まるでUKロックの最良の部分を純粋培養したかのようだった。
彼らの音楽には斬新な部分はほとんどないけれど、そのぶん、ロックの歴史をきちんと咀嚼してみずからの栄養とし、すくすくと育ってきたような純粋さがあった。僕の好きなアーティストでいうならば、エルヴィス・コステロに近い印象。ただしコステロ師匠のように様々なジャンルに手を出すことなく、ひたすらロックの王道を突き進んできた感がある。
たまたま僕らはその翌日に東京ドームでポール・マッカートニーを観たのだけれど、フラテリスにはビートルズの時代から連綿とつらなるUKロックの遺伝子をきっちりと引き継いだ正統的なロック・バンドという印象があった。
そんなバンドを定員五百名前後という小さなハコで観られるのだから、これが悪かろうはずがないでしょうって話で。翌日のマッカートニー氏もよかったけれど、あちらは広すぎて音がいまいちだったり、まわりの観客に気をとられて集中しきれない部分があったので、純粋に音楽を楽しんだという意味では、この日のほうが断然満足度が高かった。
僕個人の趣味からすると、ジョン・フラテリのボーカルっていまいち好みではないので、これを観ていきなり夢中になったりはしないけれど──声質の好みは生理的なものなので、いかんともしがたいですよね──、それでもこの日のライヴには大いに感銘を受けた。フラテリス、すげぇって素直に思いました。
いやぁ、いいもの見せてもらった。
(Nov. 25, 2018)
ポール・マッカートニー
プレッシュン・アップ・ジャパン・ツアー2018/2018年11月1日(木)/東京ドーム
サマソニでノエル・ギャラガーが『愛こそはすべて』を聴かせてくれたり、レキシが『ジ・エンド』をSEで流して退場したりするのを見たら、やはり観られるうちに一度くらい、うちの奥さんと一緒に元祖ビートルズのライヴを観ておくべきだろうって気がしてきたので、ポール・マッカートニーを観に東京ドームへ行ってきた。僕にとっては人生二度目の生ポール。
平日なのに開演時間が六時半と早かったので、仕事を早引けして駆けつけてみれば、ライヴはなかなか始まらない。BGMにビートルズとポール・マッカートニー・ナンバーがかかり──開演前にアーティスト本人の音楽がかかっているってのもレジェンドならではだ──やがてそれが左右のモニターで縦スクロールする映像付きの演出になったりして、これはもしやもしやコンサートの一部なのかと思いながら待つことおよそ一時間。ようやライヴがスタートしたのは七時半近かったと思う。
オープニング・ナンバーはビートルズの『A Hard Day's Night』。ビートルズではジョン・レノンがリード・ボーカルをとった曲で幕をあけるってのがふるっている。
あとでセットリストを確認したら、およそ三分の二がビートルズ・ナンバーだった(アンコールなんて全曲ビートルズだ)。ジョンに捧げるといって、自身のソロの『Here Today』を歌ったり、ジョージの『Something』をウクレレでカバーしてみたり(途中からバンドが入ってくるこの曲のアレンジが最高だった)。いまやポール御大はメンバーの誰かれの曲とかは関係なく、史上最大のロック・バンドの生き残りとしての責任を一身でまっこうから引き受けようとしているみたいだった。
バンドの音はスタジアムでやるには小さめ。バンドの中心メンバーは僕が十六年前に観たときとほとんど変わってないと思われるので、やはり御大の年齢もあってか、昔よりも控えめな音量になっている気がした。この演奏だとドームより両国国技館のほうが映えるだろうなって思った。金があればそっちで観たかったけれど、ちょっと思いたって出かけるには、三万円越えのチケットはさすがに……。
【SET LIST】
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ポール・マッカートニーはファンの人もなんだかいつもと違っておもしろかった。僕の右隣にいた韓国人女性二人組はライヴが始まるなり、耳をつんざくような声で「キャーーーー!」ってものすごい歓声を上げ始めるし。こんな黄色い歓声、ビートルズの記録映像でしか聴いたことないぞって──あ、これってもろビートルズのライヴかって。そう思って苦笑いしてしまった(この人たちは歌も歌いまくりですごかった)。
二つ前くらいの席にいたカップルは、ビートルズ・ナンバーになるといきなりハイテンションになって立ち上がり、サイリウム振ってノリノリなのに、ポールのソロ・ナンバーだといたっておとなしかった。なんで『Band on the Run』や『Live And Let Die』で盛り上がらないでいられるのか、俺にはそっちのほうが不思議だ。
まぁ、とはいえ全体的に年齢層の高いオーディエンスが多かったので、一階席のなかほどにいた僕らの席のまわりは、ほとんどが座ったままだった。自分たちだけ立つのもちょっと気が引けたので、だいたいの時間は座ったままでいた。そこんところがやや残念で、不完全燃焼気味だった。まぁ、自業自得だけれど。
ポール・マッカートニーを生で観て印象的なのは、この人がとても印象的なリフを生み出す名人だなってこと。メロディーメイカーとして優れた人なので、そのメロディーの美しさに気をとられがちだけれど、生で演奏を聴いていると、ダイナミックで気の効いたリフの連発にこそ強く惹かれる。そのへんはベーシストとしてキャリアをスタートしたがゆえなのかなと思った。単なるメロディーメイカーと思ってあなどっちゃいけない。ポール・マッカートニーのライヴには、これぞロックだってグルーヴがある。
でもって、やはりビートルズ・ナンバー連発ってのもあって、観客が歌う、歌う。僕もあおられて、いつになく歌ったし、あの広いドームであれだけオーディエンスを歌わせるアーティストって、ポール・マッカートニーのほかにはいないんじゃないかと思う。なんともすごかったです。
楽しみにしていたアンコールのアビー・ロード・メドレーも素晴らしかった。あのエンディングって、ロック・コンサート史上最大のカタルシスのひとつじゃないかとさえ思う。一度だけでも生で体験できて本当によかった。
なんにしろ、七十六歳の老人にあそこまで元気な姿を見せられちゃケチのつけようがない。だてに半世紀以上にわたってビートルズの看板を背負ってきちゃいない。
ポール・マッカートニーは老いてなおすごかった。
(Nov. 25, 2018)
フランツ・フェルディナンド
2018年11月27日/東京国際フォーラム・ホールA
ちょっとした運があって(というか、おそらく大人の事情で)チケットが手に入ったので、東京国際フォーラムで行われたフランツ・フェルディナンドの来日公演を観てきた。
先月のフラテリスにつづき、グラスゴー出身の「フラ」で始まる名前のバンド──しかもファンとはいえないくらいしか聴いてない──を二ヶ月つづけて観ることになるという、なんとなく不思議な展開。
まぁでも、フランツ・フェルディナンドはフジロックで何度もヘッドライナーをつとめているのもわかるなって。そういう素晴らしいステージだった。
この日のライヴについては、まず前座について語っとかなきゃならない。
最近はよほどの大物でないかぎり、来日公演にはオープニング・アクトがつくのがあたり前ってご時勢になっていて、今年に入って僕が観にいった洋楽アーティストの単独公演では、ポール・マッカートニーを除いてすべて前座があった。
正直そのすべてが知らないバンドだったし(だから特に感想も書き残していない)、ライヴハウスだと見知らぬバンドのために一時間も余計に立ちっぱなしを強いられるのは嬉しくないのだけれど、この日は席のあるホールだったので、座って観られるから、まぁいいかと思っていたら──。
ラッツ・オン・ラフツというそのオランダのバンドは、残念なことにあまりに音が悪かった。ギター二本で女性がベースのフォー・ピース・バンドで、演奏は初期のキュアーをもっとソリッドにハードにしたみたいな、僕は比較的好きなタイプのバンドだったんだけれど、とにかく音が悪かった。PAがホールの規模にあっていないのか、僕らがいた二階席の真ん中あたりだと、音量がでかいから音の分離が悪くて、ボーカルがなにを歌っているのか、ほとんどわからない。
そういや、以前にここで東京事変を観たときにも、その音の悪さにがっかりしたっけねぇって。やはり東京国際フォーラムの二階席はロックには向かないんじゃないかと思って、残念な気持ちで真打ちの登場を待っていたのでしたが──。
ところが驚いたことにフランツ・フェルディナンドの演奏にはそんな不満はまったく感じなかった。なぜって彼らの演奏は、ラッツ・オン・ラフツに比べて音が小さかったから。しかも一曲目はいきなり新譜収録のムード歌謡っぽいスロー・ナンバー。
フランツってフジロックでグリーン・ステージのとりを飾るくらいのバンドだし、基本的にほとんどがダンス・チューンだから、でかい音とハードなビートでガンガンと突き上げてくるバンドだと思っていたので、これには驚いた。え、こんなに音が小さいの?って。
でもすぐに、この会場ではそれが正解だとわかった。なまじ前のバンドのボーカルが埋没した大音量にへきえきとしたあとだったので、フランツの小さめな音量──でもだからこそ、フロントマンのアレックスのボーカルがはっきりと聞き取れる──はかえって好印象だった。
もちろん、フェスのでかいステージを飾るときにはそれ相応の大音量を鳴らしているんだろう。でもこの会場ではこれくらいがベストだと思えば、その会場なりの音響で演奏してみせることができる。でもって音量の大小にかかわらず、しっかりオーディエンスを楽しませることができる。そういうところに、場数を踏んだライヴ・バンドならではの余裕と底力を感じた。
【SET LIST】
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一曲目こそスローなナンバーでゆるっと入ったけれど、それ以降は得意のダンス・チューンの連発でオーディエンスをダンス天国へと導いてゆく。フランツ・フェルディナンドの曲ってマイナー調のディスコ・ビートの金太郎飴状態なので、どの曲がどうしたとか関係なく、いったんその世界にはまれれば、文句なしの気持ちよさがある。
やはりファースト収録の『Take Me Out』やセカンドの『Do You Want To』など、スペシャルな曲はあるけれど──僕がちゃんと認識していたのはその2曲くらいだった──それ以外の曲もほとんど同じテンションで気持ちよく聴ける。
で、演出といえばスポットライトを多用したスタイリッシュなライティングくらいにもかかわらず、このバンドのステージには不思議な演劇っぽさがあるのがおもしろかった。アレックスの独特のステージ・アクション──うちの奥さんがカッコ悪いを連発してました(褒め言葉として)──のせいもあるのかもしれないけど、なんとなく短編映画をたてつづけに観ているような気分になるステージだった。フランツ・フェルディナンドってバンド名からしてすでに芝居がかっているので、もともとそういう志向性を持ったバンドなのかもしれない。
まぁ、なんにしろ盛りあがりは文句なしでした。二階席の僕のまわりでも、白髪の人以外はほとんどが立っていた。この音楽を座ったまま聴くのは、ちょっともったいないだろうと思わせるものが確実にそこにはあった。
極めつけは『Take Me Out』だったかで、一階席のオーディエンスがいっせいにどーっとステージに押し寄せた場面。固定席ありのホールが、そこからいきなり狂騒のライブハウス状態になった。二階席から見たその風景は圧巻でした。あんなの見たの初めてだったよ。あれが見られただけでもこの日のライヴに足を運んだ甲斐があると思った。
まぁ、その『Take Me Out』が演奏されたのが、始まってからまだ一時間くらいのころだったので、ずいぶん早い時間にやっちゃうんだなと思ったら、その次の曲で本編が終わってしまったのもびっくりでしたが。おいおい、短すぎだろって思った。
実際にはそのあとにアンコールが四曲もあって、終わってみれば予定の一時間半きっちりってステージではあったから、踊り呆けていた人たちはみんな大満足だったんでしょうが。でもやっぱ、エレカシとかの日本のバンドの三時間近いライヴを見慣れていると、海外のアーティストのステージって短いよなと思う。
まぁなんにしろ、フランツ・フェルディナンドはよかった。再び単独公演に足を運ぶかと問われると微妙だけれど、次は幕張か苗場で観られたらいいなと思う。
(Dec. 09, 2018)