2015年のコンサート
Index
- エレファントカシマシ @ 日本武道館 (Jan 03, 2015)
- SUMMER SONIC 2015 @ QVCマリンフィールド&幕張メッセ (Oct 15, 2015)
- エレファントカシマシ @ 日比谷野外大音楽堂 (Sep 27, 2015)
- エレファントカシマシ @ 豊洲PIT (Nov 19, 2015)
- RADWIMPS @ 幕張メッセ国際展示場4~6ホール (Dec 23, 2015)
エレファントカシマシ
新春ライブ2015/2015年1月3日(土)/日本武道館
去年のさいたまアリーナににつづき、今年も新年一発目はエレカシの新春公演。それも今年は正月休み中の武道館2デイズ!
──ということで、お祝い気分も何割増し。残念ながら二日目は完売とはならなかったようだけれど、WOWOWの生放送を観たかぎり、空席が目立つほどではなかったから、なおさらめでたい。正月早々エレカシを見たい人たちで武道館が二日も埋まるってのは、なんとも感慨深いものがある。
さて、エレカシのアリーナ公演というと、管弦楽がフィーチャーされたスペシャルな企画ものになるのが相場だけれど、今年は二日間──しかも二日目にはテレビの生放送が決まっていた。去年が過去最高にショーアップされた内容だっただけに、こりゃもう、あれを上回るようなド派手な内容になるかもなぁ──と思っていたら、ちっともそんなことはなかった。
なんたって、会場の広さにもかかわらず、この日は大型スクリーンがない。
テレビの生放送がある──つまりカメラ自体は回っている──のに、それを演出に使わないライブって、かなり珍しい気がする。そもそもアリーナ公演で映像の演出なしってのが、いまとなると珍しい。
さらには、予想どおりストリングス──おなじみ金原千恵子管弦楽団のみなさん──がゲスト参加していたものの、今回は人数が8人と小編成。そして出番も10曲たらず──。
ということで、結局あけてみれば演出らしい演出は照明のみで(でもそれは比較的こっていた。とくに宮本にピンスポットがあたったシーンなどは極上の絵だった)、ストリングスが加わった分、通常のツアーにくらべれば豪華だけれど、でもそれも過去の例からすると、比較的地味だったかなと──でも、それもまたエレカシらしいかなと。そんな今回の正月公演だった。
まぁ、地味だったと思うのも、去年の二十五周年記念ライブと比べるからであって(あと演出面での話であって)、ライブ自体は今回も3時間を超える充実した内容だった。
あ、とはいえ、セットリストの面でも、地味っちゃぁ地味だったかもしれない。だっていきなりオープニング・ナンバーが『部屋』だし。それにつづくは『始まりはいつも』に『ココロのままに』とくるし。おいおい、いきなりいちげんさんへの配慮ゼロだな──。
といいつつ、でも僕らのように長いことエレカシとつきあっているファンにとっては、それがまた嬉しかったりするわけです。うわー、こんな曲で始めちゃうのかと。そんな新鮮な驚きがあった。『精神暗黒街』、『季節はずれの男』、『もしも願いが叶うなら』なども、ひさしぶりに聴けて嬉しかった。
この日、もうひとつ意外だったのは、ゲストの金原楽団がなかなか出てこなかったこと(蔦谷くん、ヒラマくんはもはやゲストとはカウントしません)。
ステージ上にストリングス・チーム用のパーティションが配置されていたから、弦楽団がゲストで出るのは初めからわかっていたのに、待てど暮らせど出てこない。
4曲目で『今はここが真ん中さ!』のイントロが鳴ったときには、「お、いよいよゲスト・コーナーか!」と思ったんだけれど、残念ながらこの日はホーン・チームは不参加。で、ようやく金原・笠原のおふたりが『彼女は買い物の帰り道』で楽団よりひとあし先に登場したのは、本編も半分が過ぎてからだった。
【SET LIST】
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その後、金原楽団は、特になんの説明もないまま、出たり入ったりを繰り返していた。
僕らの席はアリーナのいちば左隅のブロックで、ステージをほぼ真横から眺める形だったので、ストリングスは中央の2、3人しか見えず──笠原さんは最初のとき以外、まったく見えなかった──、だから翌日テレビ放送で見るまでは8人編成なのもわからなかったし、照明が暗いときなどは、ステージに出ているのかどうかもよくわからなかった。
なので、ストリングス付きのナンバーのあとに始まった『もしも願いが叶うなら』や『今宵の月のように』などでは、「おぉ、この曲にストリングスは新しい!」と思ったのに、じつはストリングスがついてなくてがっかり──なんてことが何度かあった。まぁ、それもまた新鮮な体験だといえなくもない。
この日のライブで個人的にもっともインパクトがあったのは、本編を『俺たちの明日』で締めたあとの、一度目のアンコールの濃い内容(本編ラストで宮本が「第一部!」と叫んでいたから、正しくはこの日も第二部という扱いらしい)。
まずは、いかにもストリングス映えしそうな一曲目の『大地のシンフォニー』が、今回もバンドだけで演奏されたのが意外だった(そうそう、すっかり書き忘れていたけれど、一昨年の野音でこの曲のドラムのマーチングのフレーズをトミが叩いていないのを見て、初めてこの曲が打ち込みを使っていることを知って、びっくりしたんだった)。そのあとに演奏された『Destiry』と『桜の花、舞い上がる道を』が、きらびやかに弦で飾り立てられていただけに、なおさらだった(それにしても『桜の花』はストリングスがつくとほんとに映えること)。
で、じつはこの日いちばんすごいなと思ったのはそのあとで、復活の野音で初披露されて以来となる新曲『なからん』、この日が初お披露目の『雨の日も』、そして『Destiny』のカップリング・ナンバーの『明日を行け』という、エレカシ史上もっとも極渋系のロック・ナンバーを3曲も並べてみせたところ。あのパートだけで20分くらいやってたんじゃないだろうか。
なにゆえ、おとそ気分真っ只中の新春ライブのアンコールで、『悲しみの果て』が大好きなファンにはおそらく総スカンだろうって長尺のハード・ロック・ナンバーを3曲も並べてみせなきゃならないのか。けっこう選曲が違った翌日の生放送でも、この部分はそのままだったし。その辺の演出感覚が意味不明。
ライブの序盤で──たぶん『デーデ』のときに──「今年はガンガン稼ぐぜ!」って宣言した宮本が、そんな風にぜんぜん稼げそうにない曲を遠慮なくガンガン鳴らしているという。そのずれ具合がなんともおもしろかった。でもズレてるにもほどがあると思う。
とはいえ、そのパートのあとだったからだろうか。
そのあとに演奏された『新しい季節へキミと』。これがもう、とんでもなく素晴らしかった。
この曲はこの日、館内の照明をすべてつけて、明るいなかで演奏された(翌日はたぶん普通に暗いままだった)。
本来、まわりの人の顔がはっきりと見えるそうした演出は、よほど盛りあがっていない限り、気恥ずかしくてあまり歓迎できないものだと思う。実際、過去のエレカシのライブでは、そうした演出は『ガストロンジャー』などの超攻撃的な曲のときに、いわば「おのれの化けの皮を剥ぐ」ことの象徴として使われていたと記憶している。
それがこの日は違った。『新しい季節へキミと』という、極めてポジティブなメッセージを持った明るい楽曲でもって、きらきらとしたストリングス・アレンジを施した演奏に対して行われた。
いつもならば「うわー、ちょっと勘弁してくれ」と思ってしまいそうな演出なのだけれど、それがこの日は不思議とそうではなかった。その屈託のないあかるさは、まばゆいばかりのその演奏とあいまって、気恥ずかしさをこれっぽっちも感じせない、なんとも感動的な風景として僕の目に映った。
演奏それ自体の素晴らしさに加えて、その前のダークな楽曲群との明暗のギャップがいいほうに作用していたのかもしれない。正直なところ、それほど好きな曲ではないんだけれど、この日の演奏はもうほんと最上級に美しかった。この日の僕のクライマックスは文句なしにこの曲。
その後もアンコールはつづき、ひさびさの『FLYER』に定番の『ガストロンジャー』と『ファイティングマン』で一度は終了。二度目の短めのアンコールでは、宮本が突発的に『ハナウタ』をやると言い出して、弦楽団が泡くって駆けだしてくるという、ちょっぴりコミカルなハプニングもあった。
そして三度目のアンコール。この日最後の一曲に選ばれたのは『花男』。
こと締めくくりの一曲としては『待つ男』のほうが愛着はあるけれど、『花男』を聴くのもなんだかとてもひさしぶりだったし、これはこれで当然大好きなナンバーなので、今回はこれがラスト・ナンバーで嬉しかった。
テレビ放送された翌日は、『夢のちまた』で始まり『待つ男』で終わるという──そしてストリングスが入るならばぜひ聴きたいと思っていたのに、初日には演奏してもらえなかった『明日への記憶』もやるという──どちらかというと、より僕好みのセットリストだったのだけれど、逆にこの初日は比較的愛着のない曲が多かった分、確実に新鮮度が高かったので、その点が新春の気分にふさわしかったと思う。新年早々とてもいいもの見せてもらいました。ありがとう。
最後に──。あまりファッションにこだわらないエレカシのメンバーのなかにあって、ここ数年はツアーごとに髪型をかえて楽しませてくれる石クン。今回は黒い長髪に帽子にサングラスという格好で、往年の名ギタリストか、はたまた内田裕也かって風情を醸し出していたのがおもしろかった。ここまでくれると、あれも立派な芸だなぁと思う。
(Jan 25, 2015)
SUMMER SONIC 2015 / HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER
2015年8月15日(土)/QVCマリンフィールド&幕張メッセ
最初にサマソニに行ったのが2005年だから、今年は僕個人にとっての夏フェス・デビュー10周年。だからぜひ行かねばと思った──というわけではなく。それどころか、当初はまったくゆく気がなかった。娘の進学資金に悩んでいる状況で、夏フェスどころじゃないだろうと思っていた。
ところがどっこい。毎年のように気になるアーティストを招聘しつづけているホステス・エンタテイメントがミッドナイト・ソニックの枠で、「HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER」と称したイベントを開催することを発表。そこにトム・ヨーク(!)とスピリチュアライズドとディアハンターが出ると知って、ならば本編の RADWIMPS とウルフ・アリスとあわせて、計5バンド。これだけ観たいバンドがあれば、1バンドあたり3千円の計算で、もとは取れるなと思って行くことを決心したのでしたが──。
開けてみれば、ディアハンターは前々日になって無念のドタキャン。スピリチュアライズドはトム・ヨークと時間帯が重なっていて観れない(正確にはディアハンターが出なくなった分、長めのステージになったため、30分弱は観られないこともなかったんだけれど、せっかくだからトム・ヨークをいい場所で観ようと思って、泣く泣く諦めた)。
結局、残りの3バンドを観るためだけに、チケット代+飲食代+交通費+記念のトム・ヨークCD代で3万円近くを費やしたあげく、初日の午前10時半から翌朝の午前5時まで、計20時間近くを幕張で過ごすという結果になってしまったという……。コスト・パフォーマンスを考えると、そりゃいったい得なのかい?って思ってしまった今年のサマソニでした。
いやぁ、それにしても疲れた。ほんと疲れた。思い出しただけで、疲れがぶりかえす。それくらい疲れた。いったい俺はこんなところで高い金払って、なに苦しい思いをしてるんだろうって。そんな風に思う自分が馬鹿みたい。フェスの酔狂に酔いしれられるほど、俺はもう心身ともに若くないやって。毎回フェスにゆくたびに思っているけれど、もう本当に今度こそ夏フェスはこれきりでいいやって思ってしまいました。まぁ、とかいいつつ、また一年たったら忘れてそうな気がしているんですが……。
さて、そんな風にぐだぐだだった今回の僕のサマソニ。一発目を飾ったのはロンドン出身の紅一点バンド、ウルフ・アリス@ソニック・ステージ。
僕は彼女たちがどんな曲でステージを初めて、どの曲で終えるのかに注目していた。いまだアルバム一枚しか出していないバンドなので、選択肢は限られている。個人的な印象ではシングルの『Fluffy』と『Bros』の2曲が飛び抜けてキャッチーなので、このどちらかを最初にガツンとやって、もう一方で締めとするか、もしくはデビュー・アルバムの冒頭を飾ったスローな『Turn to Dust』あたりで静かに始めて、最後にそれらの曲を並べて一気に盛り上げるか──。
と思っていたら、どちらでもなかった。
一曲目は『Your Loves Whore』。レコーディング音源ではブレイクの無音部分が印象的な、ミディアム・テンポのノイジーなナンバー。
で、つづく2曲目ではやくも『Fluffy』がきた。僕の予想ではこの曲が締めの一曲だったので、こんなに早く演奏されてしまったのは予想外の極み。
それ以降のセットリストは──もともと曲名をよく覚えていないので──さだかじゃないけれど、注目の『Bros』が演奏されたのは後半の途中で、とりではなかった。そのあとに『Giant Peach』と『Moaning Lisa Smile』をやっておしまい……だったと思う(たぶん)。
ボーカルのエリー・ロズウェル嬢はピンクのミニのワンピース姿。露出度が高いわりにはセクシーっていう感じでもなく、なんだか夏休みの高校生みたいなあどけなさだった。
意外だったのは、彼女がずっとギターを弾きっぱなしだったこと。そして彼女の弾くギターが、バンド・サウンドの上でなくてはならないピースとして鳴っていたこと。もっとハンド・マイクとかで煽るタイプかと思ってたら、ただひたすらストイックに演奏に集中していた。
バンドのメンバーも、ギターとベースのふたりは髪を短く刈ったのっぽの青年。小柄なドラマーだけが長髪で、ロック・ミュージシャンっぽかった。とにかく、全体の印象として、享楽的なロック・バンドの雰囲気はほとんどなく、思ったよりシャイで打ち解けない感じ。その辺はロンドン出身っぽいかもと思った。
そうした佇まいのせいもあるんだろう。僕はCDの感想で彼女たちの音楽をグランジやマッドチェスターといったキーワードで語ったけれど、生で観ていちばんの印象はシューゲイザーっぽい、だった。
ま、いずれにせよギター2本が緩急つけながら絡みあってゆくそのノイジーなサウンドは、間違いなく僕にとっては一番好きなフォーマット。エリー嬢の声も思いのほか通りがよかったし、聴いていてひたすら気持ちよかった。オープニング・アクトとしては、最高でした。
ウルフ・アリスのあとは、とくべつ観たいバンドもなかったので、幕張メッセを出て、野外のステージの様子を観てまわった。
ガーデン・ステージ(Nao Yoshioka)→ビーチ・ステージ(ねごと)→マリンスタジアム(コーディー・シンプソン)と巡って、ふたたび幕張メッセに戻ってみたら、1時間半も過ぎていた。サマソニ会場、フジ・ロックほどじゃないにしろ、やはり広い。
わざわざ真っ昼間の暑い時間帯に表へ出たのは、ねごとに興味があったからなのだけれど、この日は快晴で、暑いのなんの。よく知らないアーティストの演奏に聴きいる気分にもなれず、ねごともほかの二組も、ワン・コーラスも聴かずにすぐに離れてしまった。でも、おかげでこの夏いちばんってくらいに夏は満喫できた。青い空に入道雲が広がる海浜の風景はとても気持ちよかった。
メッセに戻ってからは、Circa Waves、BLUE ENCOUNT、Palma Violets、Darlia、Best Coast、MONOEYES、The Jon Spencer Blues Explosion といったバンドを観るともなく観て過ごした。
本当は、カーサ・ヴェーヴス、パーマ・ヴァイオレッツのふたつのバンドはフルに観るつもりでいたのだけれど、とにかく炎天下を歩きまわったせいで疲れ切っていたので──あと、ウルフ・アリスがよかったせいで、彼らのスタイルがひとつの基準となってしまい、ギターをジャンジャカ、ジャカジャカとかき鳴らずシンプルなロックンロールは今日は聴かなくていいかなって気分になってしまったので──適当に切り上げた。
カーサ・ウェーヴスのサーフ・ロック版ストロークス的なサウンドは嫌いじゃないし、パーマ・ヴァイオレッツはボーカリストのよれた感じがリバティーンズっぽくて、けっこうおもしろかったので、元気があったら、どちらもちゃんと観ていたと思う。でもこの日の僕はこの時点ですでにガス欠気味だった。
同じ理由でベスト・コーストもきょうの気分ではないなぁと思ったんだけれど、彼女たちの場合、数曲聴いていたら、なんとなく気持ちよくなってきて、結局ワンステージ、フルに観た。まぁ、ほとんどの時間は坐ったままだったけれど。
バンドはギター・ボーカルのベサニー・コセンティーノ嬢に、太ったメガネの長髪ギタリスト、ボブ・ブルーノの二人組に、サポートのギター、ベース、ドラムの五人編成。
ギターが三本もあるのに、妙に音が軽いバンドだなぁってのが第一印象。でも逆にこの日はその軽さがポイントだった。ギタリストは暑苦しさの極みってルックスだけれど、音はそれほど暑苦しくなくて聴きやすい。そこがよかった。
ひとつ前に観たダーリアというスリー・ピース・バンドは、三人でこれってすごいなって思うような厚みのあるどでかい音を出していたのに、その次のこのバンドがその三倍の数のギターを使って、その半分くらいの感触しかない音を奏でているのがなんともおもしろかった。
そのあとのMONOEYES――ELLEGARDEN、The HIATUS の細美武士の新バンドで、ベーシストがなんとスコット&リバースのスコット・マーフィー──にしろ、ジョンスペにしろ、この時間帯に観たバンドはすべてギター・オリエンテッドなバンドなのに、音の感触はどれもまったく違った。ひとことでギター・ロックといっても、じつはいろいろだなぁと感心しました。
その中で音響的にもっともインパクトがあったのは、ジョン・スペンサー・ブルーズ・エクスプロージョン(JSBXと略すらしい)。
ライヴがいいとは聞いていたけれど、ほんと、ツイン・ギターにドラムという変則的な三点セットで繰り出すそのゴリゴリとしたギター・サウンドには、さらりと聴き流したりできない説得力があった。最初は坐って観るつもりでフロアにうずくまっていたのに、演奏が始まったとたんに思わず立ちあがって、前へと移動せずにはいられなかったくらい。
僕の趣味からすると、楽曲がややドライすぎるのだけれど、でもこのバンドのライブには一見の価値があった。絶対にライヴでなければ味わえないだろうって魅力があった。様々な映像をコラージュしたビジュアル面での演出も気が効いていたし、そういう意味では、今回観ることができてよかったと思うアクトのひとつ。
時間帯がRADWIMPSとかぶっていたので途中で抜けてしまったけれど、いずれ機会があったらぜひまた、できれば次はフルで観たい(いや、だから夏フェスは今回が最後って話が……)。
さて、JSBXの次が、この日の僕にとってのメイン・アクト第一弾、RADWIMPS@マウンテン・ステージ。
前回サマソニで彼らを観たのは、かれこれ七年も前のことなんだそうだ。僕が単独公演で彼らの演奏を観たのも、すでに四年前の話。
そんな僕にとってはとてもひさしぶりのこの日のライヴを、野田洋次郎は、
「みんな疲れてんだろうから、まずは静かな曲をやらせてください。そのあと思い切りはっちゃけるから」
てなことをいいながら、みずからのピアノ弾き語りでスタートさせた。
静かな曲といえば、最新シングルの『ピクニック』……かと思ったら違う。
曲目は『あいとわ』。東日本大震災の追悼のため、毎年3月11日かその前日にYouTube限定でリリースしている、その今年の一曲。
「原爆が吹き飛ぼうとも
少年が自爆しようとも
その横で僕ら 愛を語り合う」
もうこの歌い出しのフレーズを聴いた途端に泣きそうになる。きっと実際に泣いちゃった女の子もたくさんいるだろうと思う。
この日は終戦記念日だった。僕はいい年をして、そんな大事なことも忘れて遊びほうけていたけれど、野田くんは──そういえば、そのひとつ前に同じステージに立った細美くんも──そのことを忘れずに、おそらくは平和への願いを込めて、この曲を歌ってみせた。かなわないなぁと思った。
その曲の後半になると、バンドのメンバーがしずしずと登場して、演奏に加わる。レコーディングされたバージョンではストリングスが入っているけれど、今回はメンバー四人での演奏。それがまたいい。楽曲の性格上、今後もそうそうは演奏されることがないだろうレア・ナンバーだ。ファンとしては、こたえられない演奏だった。
そのあとからは約束通り、フェス向けのサービス・メニュー。まずは『ギミギミック』『ます。』『遠恋』と、四枚目のナンバーがつづく。
最新ツアーは最新作『×と○と罪と』からの曲が中心だったので、こんな風にあの頃のナンバーがつづくのもひさしぶりなのだろうと思う。その後、『揶揄』なんかも披露されたし、デビュー当時からラッドを愛してやまない子たちは大興奮。どれもそんな歌いやすい歌じゃないと思うんだけれど、もう歌う、歌う。そして跳ねる、跳ねる。いやはや、僕がこれまでに観たRADWIMPSのライヴでも、とびっきりの一体感でした。
とはいえ、そういう古い曲が演奏された一方で、新しい曲もしっかりラッドの定番曲として、ファンのあいだには定着してきているってのも伝わってきた。『アイアンバイブル』だって、『Tummy』だって、そういう古い曲に負けず劣らず盛りあがる。
そりゃそうだ、より成熟した野田洋次郎の曲が、そうそういつまでも昔の曲に負けっぱなしのはずがない。最新作もすっかりこなれたこの時期ともなると、セットリストはなんであれ、おかまいなしに、盛り上がりは鉄板なんじゃないかなって気がした。
【RADWIMPS's SET LIST】
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まぁ、こういうセットリストのなかに『揶揄』や『G行為』みたいな下ネタ入りのシニカルなテーマの曲が入ってきちゃうのはなぜ?──って思わなくもないけれど、そこはそれ、世の中、感動的なことばっかじゃなく、下世話な部分もあるんだからさ、両方ちゃんと見せないとさっていう、野田くん独特のこだわりなんでしょう。
バンドの演奏で印象的だったのは、そのガチャガチャとしたアンサンブル。僕は当初、彼らのサウンドをBUMP OF CHICKENに近いものとして認識していたけれど、こうして生で聴くとぜんぜん違う。バンプのような安定感はラッドにはない。もっといびつに個々の音がぶつかりあっている。とくに野田くんがさかんにピアノを弾くようになって、メンバー同士のアドリブ・パートが多くなった最近は特にそういう印象が強い。そこがまたいいと思う。それでこそロック。まぁ、こういう時間制限のあるイベントでは、即興に割く時間があったら、一曲でも多く演奏してくれないかな……と思わないでもないけれど。
その後の終盤戦は、このところの定番って感じの構成。『君と羊と青』で終わりかなと見せておいて、『会心の一撃』に突入したときの盛りあがりは、そりゃすごいもんでした。これぞまさに会心の一撃って感じだった。
与えられた1時間10分をフルに使っての14曲。この盛りあがり方ならば、ヘッドライナーとしてマリンスタジアムのとりだって務められるんじゃないかって思わせる充実した内容だった。
いや、まじでいまのバンプやラッドならば、フジロックだってサマソニだって、ヘッドライナーで十分いけると思う。少なくても、ストロークスやフランツ・フェルディナンド、アークティック・モンキーズにできることが、僕らの日本を代表するバンドにはできないってのは、洋楽偏重の時代錯誤な考え方なんじゃないだろうか──。
いや、できる、できないの問題ではないのかな。サマソニやフジロックの場合、フェス自体の世界的な知名度もあるので、ヘッドライナーは、やはり洋楽アーティストでないとってことなんですかねぇ……。
RADWIMPSのこの日のステージを観ながら、僕はそんなことを思っていた。
サマソニ初日、本編の締めはマリンスタジアムでのケミカル・ブラザーズ。
僕はプロディジーやファットボーイ・スリムは聴くのに、不思議とケミカルは通ってきていないので、この日もとくに観なきゃってわけではなかったんだけれど、同時刻にやっているのが、マリリン・マンソン、マニック・ストリート・プリーチャーズ、オリジナル・ジェームズ・ブラウン・バンドなど、あまり縁のないバンドばかりだったので──JB抜きのJBバンドがなにをやるのかには興味があったけれど、まぁ必見ってわけでもないので──、どうせ観るならば、花火も上がるし、ヘッドライナーのケミカルだろうってことになった。
でも、疲れてるから場所は二階スタンド。いざ行くまではその気持ちよさを忘れていたけれど、日暮れ後のマリンスタジアムのスタンドは、涼しい海風が吹き抜けて、とても快適だった。
でもって、ケミカルがすごい。さすがヘッドライナーと思わせる、光と轟音の一大スペクタクル。最後にサマソニ恒例の花火が上がることもあって、ディズニーランドのスターライト・ファンタジーの爆音テクノ版みたいだった。二階スタンドにいても振動が伝わってくるほどの重低音には、思わず笑ってしまった。
これってアリーナで観てたら、さぞやすごかろう──とは思ったものの、すでに疲れ切っていて、足のつけねも痛くなっていたので、ずっと座ったまま、ビール片手に観ていました。残念ながら最後の花火は、スタンドの屋根が邪魔してよく見えなかった。この日得た教訓:サマソニで花火を観たいなら、R側二階スタンドは避けるべし。
そのあとメッセに戻ってみたら、まだマニックスのステージは終わっていなくて、ラスト・ナンバーで『モーターサイクル・エンプティネス』やっていました。
さて、ということで、ここまででサマソニ本編は終了。ここから先は HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER ということになる。
はからずも、この日の僕は、ケミカル・ブラザーズ以降はすべてテクノだか、EDMだか、エレクトロニカだか、呼び方はよくわからないけれど、とにかくその手のDJセットによる音楽だけを聴きつづけることになった。
で、その結果として思ったんだった。やはりこれは違うなと。
DJがひとりで鳴らしているのを観ていても、どうにも盛りあがりきれない。そういう音楽で盛りあがる人がいるのも、盛りあがるだけの理由があるのもわかるんだけれど、自分自身はその熱狂のなかに入れない。まぁ、疲れ切っていたからってのも、理由としては大きいんだろうけれど。
やっぱり、俺はバンドが好きなんだなって。人と人が力をあわせて──ときには合わせそこなったりしつつ──生みだす音楽。それが好きだ。
今回のサマソニは「俺が好きなのは、やっぱロックなんだ」って。そのことを再確認するためのフェスだったように思う。
それは観終わったあとで思ったことではなく、すでにトム・ヨークを待っているうちに思っていたことだったりする。「俺、スピリチュアライズド観にいった方が絶対に幸せだろうな」と。トム・ヨークのひとつ前の枠を務めた、Baioという青年──ヴァンパイア・ウィークエンドのベーシストだったんすね──のポップなDJパフォーマンスを観ながら、僕はそう思っていた。
それでもあえて僕はトム・ヨークを観ることにした。それも、観ようと思えば30分は観られたスピリチュアライズドをまるきり諦めて。
それはなぜか──といえば、それは僕がバカだから……というのは否定できないところなんだけれど、まぁ、それだけではなく。
現時点で名実ともに世界最強のロック・バンド、レディオヘッドのフロントマンがバンドを離れてソロでどんな音を聴かせてくれるのか──。
そのことに対する好奇心が──その内容が自分にとってあまりに未知数だったこともあって──スピリチュアライズドを観たいという気持ちを上回ってしまったから。
そもそもスピリチュアライズドの場合、個人的にはちょっと前まで知らなかったから、過去に何度もあっただろう来日公演をすべて見逃しているわけだし。今回見逃したって、その回数が一回増えるだけだと思ってしまった。
それに対して、今回のトム・ヨークのソロでのパフォーマンスは、この日本公演が世界初!──となれば、これは観ておかないわけにはいかないでしょう?
で、いざ観てみれば、さすがそこはトム・ヨーク。このパフォーマンスがすげー!――と言えればよかったのだけれども。
いやぁ、場所どり失敗。あまり前のほうへ行き過ぎたせいで──まぁ、僕なりに節制して、ステージまで適度な距離はとったんだけれど──、ぎゅうぎゅう詰めで暑苦しいのなんの。
いやはや、ほんとトム・ヨークさんの人気のほどをあなどってました。ソロ・アルバムはとても抑えの効いた音作りなので、オーディエンスもそれほど熱狂的に踊り狂ったりはしないだろうと思っていたら、そういうこと以前に、トム・ヨークを少しでも近くで観たい!という人が多すぎた(まぁ、僕もそのひとりなわけだけれど)。
BAIOのパフォーマンスが終わったとたんに、僕よりも前にいた人たちがさらに前へと詰め寄せる。そうして開いたスペースには、当然うしろの人たちがどーっと押し寄せてくる。結果、始まる前からぎゅうぎゅう詰めで、身動きもままならぬ状態に……。さらにはライヴの途中で他人の迷惑かえりみず、前の方へ割り込んでくる無礼者らが何組もいたりして。もう環境が悪くて、音楽に集中し切れず。
本編が終わってステージを離れようと帰る途中で、予想外のアンコールがあり、その一曲(『Default』)だけはそれまでとは違う遠い位置から観ていたのですが、結局まわりにスペースがあったこともあって、その一曲がいちばん快適だったという……。離れていても、ステージの感じはよくわかったし。少しくらい遠くても、最初からこの辺でよかったじゃんって。あぁ、無理して前にいるなんて、俺はなんて馬鹿だったんだろうって、心から思ってしまいました。
【Thom Yorke's SET LIST】
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ステージは液晶モニター三枚を屏風のように並べ、さらにその左右にも二枚を配して、真ん中の三枚には演出のビデオ映像、左右の二枚にはステージの模様を白黒映像で映し出していた。セットはシンプルながら、映像的にとても刺激的。
トム・ヨークは、その屏風型モニターの前で、あの独特のくねくねダンスでステージ上を行ったり来たり。ときにはギターも披露する。その横ではナイジェル・ゴドリッチ(ふつうのおじさんでした)がMacBookをいじくっている。ステージ右隅では、もうひとりの青年が黙々と機材をいじっていた。
トム・ヨークがほぼ全曲で歌を歌っているし──音響がいまいちで声自体よく聴き取れない部分が多いのが残念だった──、ときおりギターも入るので、DJセットとはいっても、彼のステージだけはその他の人のそれとは大いに印象が違った。限りなく通常のロック・バンドを観ている感覚に近かった。バックトラックにしたって、会場の規模にあわせて鳴らされるため、レコーディング音源のそれとは迫力が段違いだし。
これをストレスフリーの環境で観られたら、そうとう気持ちよかっただろうなぁって……。そんな、どうにも後悔先立たずな、トムさんのステージでした。
そのあとのバンド、F.F.S(=フランツ・フェルディナンド+スパークス)にも興味はあったんだけれど、観に行ってみたらさすがにすごい人気で、坐って観るのは無理そうだったので諦めた。
で、そこから先はソニック・ステージの隅のほうにへたり込んだまま、マシュー・ハーバードとジョン・ホプキンズという人たちのパフォーマンスをぼんやりと眺めながら、始発の時間を待っていた。午前4時になってなお踊りまくっている若者たちの姿を見つつ、あぁ、こういうのは真似できないなぁと思いつつ。
少し早めにメッセを離れ、京葉線のホームで始発を待つ行列に並んで、ぎゅうぎゅう詰めの始発電車で幕張をあとにしたのは、午前5時(そういや日の出を見ようと思っていたのに見忘れた)。いい年をして、ホテルにも泊まれなきゃ、タクシーにも乗れず、朝っぱらから若い子たちにまじって、満員電車に揺られているなんて、俺はなんて情けないんだろうと思ってしまいました。
まぁ、いまだ完徹しても平気だってのはわかったのは、ささやかな収穫だけれども。でも、それ以上にいろんな局面で自分が若くないんだってことを痛感させられた今回のサマソニでした。
来年で満五十歳だし。いい加減、年相応という言葉を覚えたほうがよさそうだ。
(Aug 23, 2015)
エレファントカシマシ
2015年9月27日(日)/日比谷野外大音楽堂
今年も無事に観ることができました、エレファントカシマシ26年連続の野音公演。
去年につづいて、今年もファンクラブで取れるチケットは、会員ひとりにつき一枚きりだった。まぁ、そうだろうとは思っていたので、今回は妻のみではなく、あらかじめ僕もファンクラブの会員に……。
五十近くして、PAOなんて名前のファンクラブの会員に名を連ねるのは、どうにも不本意なんだけれど──あと、娘の進学資金のために節約するといいながら、一枚のチケットのために年四千円だかの会員料を余計に払うってのも心苦しいんだが──、でもチケットが取れないんじゃしかたない。とりあえず、来年以降どうなるか知らないけれど、野音のチケットが取れているあいだは年会費を払いつづける所存です。あぁ、まったくやれやれ……。
なんにしろ、そんなわけで新たにファンクラブの会員になったおかげで、今年の野音もなんとか夫婦そろってチケットは確保できた。でも、別々の名義で入手しているので、とうぜん席は離ればなれ。
ということで、去年につづいて、ひとりきりで観ることになった今年の野音。
今回は入場の際に、律儀にも全員のIDチェックがあったので、会場に集まった人たちの9割以上はファンクラブの会員なんだろう。だとするならば、ほとんどが女性なんじゃないだろうかと思っていたらば、だ。
まぁ、それはその通りだったのだけれど、なんと驚いたことに、僕のとなりはどちらも男性でした。
これだけ女性が集まった客席のなかで、野郎が三人並ぶ──しかもその真ん中の席になる──確率ってどんだけ?
そう思ってまわりをざっと見まわしてみても、やはり女性がほとんどで、男が三人も並んだところは、ほかになさそうだった。なんの因果でこんな席に……。
僕は初めてエレカシを観た90年の野音を例外にして、その次──伝説の武道館三千席──から以降はずっと奥さんと一緒に足を運んでいるので(当時はまだ奥さんじゃなかったけれど)、つまりとなりの片方は常に女性だったわけです。それがこの日は両方男性という……。
ささやかながら、じつに26年ぶりの珍事。まぁ、人からすると、どうでもいい話だろうけど。個人的にちょっとおもしろかった。
ちなみにうちの奥さんの席はすぐうしろが招待席で、そこにはエレカシの初代マネージャーだったA氏がいらっしゃったとかなんとか。
【SET LIST】
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さて、この日のライヴは定刻の五時半ジャストにスタート。
ジャストと言い切れるのは、この日が大相撲九月場所の千秋楽で、優勝のかかった結びの一番(ふつう五時半に終わる)が気になってツイッターをチェックしていたら、その結果がツイッターに流れてくるよりも先に宮本が出てきてしまったから。宮本、出てくんの、はやすぎ。
まさか定刻ちょうどに始まるなんて思っていなかったからこそ、相撲の結果なんか気にしていたのに(白鵬休場の今場所、手負いの大関・照ノ富士が横綱・鶴竜に勝って、まさかの優勝決定戦に持ち込んだ一番は、大相撲ファンならずとも気になった)。待ったなしで、いきなり始まっちゃったので、心の準備ができてない。もったいなくも、一曲目の時点では、僕の心は両国国技館でした。
さて、そんなこの日の一曲目は『おはよう こんにちは』。エレカシのオープニング・ナンバーとしては定番中の定番で、去年も同じだったので、あぁ、今年もまたこれですかって感じの一曲。
おっと思わせたのは、次の『ドビッシャー男』。名盤と呼ばれる大ヒットアルバム『ココロに花を』のオープニングを飾るわりには、あまりライブでは出番の多くない──でも攻撃力はかなり高い──印象のこの曲を序盤に持ってきたあたりに、野音ならではの違いを感じさせた。
そしてその「野音ならでは」をこの日もっとも強く感じさせてくれたのが、その次に『悲しみの果て』をはさんで鳴らされた、『ああ流浪の民よ』。
おぉ、懐かしくも素晴らしき一曲。秋の日は短く、この曲のころになるとそろそろ日が暮れて暗くなってきていた。
二部構成だった今回の野音の第一部で、もっともインパクトがあったのが、この曲を含むセカンド・アルバムの楽曲群だった。とくに9曲目の『自宅にて』(!)から『待つ男』(!!!)への流れが圧巻。『待つ男』のあと宮本が「まだまだ終わりません」みたいなことを言っていたけれど、こんなに早い時間帯に『待つ男』が演奏されたのなんて、とんと記憶にない。
──というか、ふつうやらないよね。ライブの締めの定番曲をこんな序盤のうちに。ストーンズにたとえれば、『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』か『ブラウン・シュガー』を序盤のセットリストにさらっと紛れ込ませるようなもので。その意外性がすごくおもしろかった。
まぁ、エレカシのライブでは『待つ男』で終わるってのが、個人的にもっとも愛着のあるパターンなので、この日はそれがもうなくなったという一抹のさびしさもなきにしもあらず。それに、さすがにあとは野となれ山となれというエンディングと違い、ライブ序盤での演奏だけに、宮本の絶叫も心なしか抑えめな気がした。
とにかく、第一部はそのセカンドの3曲を筆頭にエピック時代の曲中心。ひさびさに『夢のかけら』が演奏されたり、締めが『四月の風』だったりもして、ふりかえるとポニー・キャニオン時代の曲もそれなりにやっていたりするんだけれど、アルバム『東京の空』からも3曲──『誰かのささやき』『暮れゆく夕べの空』『極楽大将生活賛歌』──が披露されたこともあって、とにかく印象的にはエピック一色といってしまいたくなるような内容だった。
ちなみに『夢のかけら』では、「隠れた名曲です」という宮本のMCに、「それってシングルじゃん、ちっとも隠れてないじゃん、そもそも自選集から漏らしたのは君自身じゃん!」と心のなかで叫んだ私です(そう思った人が多かったに違いない)。
そういや、今年も去年につづいてSuperflyがツアー中だそうで──しかも今回は日程がもろにかぶっていたとのことで──、この日は蔦谷くんが不参加だった(と思わせておいて……)。だからキーボードには、代わりにエピック時代のレコーディングでお世話になった
あと、このパートを観ていて、おおっと思ったことのひとつが、『自宅にて』のギターをミッキー(彼は当然いる)がメインで弾いていたこと。
ファースト、セカンドのアレンジは、いまだ宮本がギターを弾いていなかった時期の作品だけに、基本、石くんひとりのギターで成り立っている。だからライブでも本来ならば、石くんがメインを張ってしかるべきなのに、この日の『自宅にて』では、ミッキーがギターを弾くとなりで、石くんが手持無沙汰にしているという……。
その曲にかぎらず、印象的だったところでは、『誰かのささやき』のアコギとか、とにかくリズムをつかさどる部分のギターは、ほぼすべてヒラマミキオから始まるって言っても過言ではないくらい、ミッキーへの依存度が高くなっていた(『ファイティング・マン』を除く)。蔦谷くんが不参加だったこともあって、いまのエレカシにとって必要不可欠な存在は、じつはミッキーなんではないかと思ってしまった。
そしたら、そうと知ってか知らずか、後半のメンバー紹介の際には、宮本がいつも通り石くんを「相棒です」と紹介したあとで、ミッキーのことを「New相棒です」と紹介。そうだよなぁ、いまの演奏を見てると、そうもいいたくなるんだろうなぁと思いました。
まぁ、石くんにはちょっと気の毒だけれど、でも彼は彼で独自の道を行っている。今回のファッションもふるってました。なんと短パン姿だもの。飾り気のないダークカラーのTシャツに黒のぴちぴちのショートパンツ(革製?)。そして中折れ帽という、なんだそりゃな格好。ステージで短パン姿のロック・ミュージシャンなんて初めて見たよ。ギターが汗ばんだ素肌に触れるのって、なんか気持ち悪そうな気がするんだけれど、そうでもないんですかね。石くんの生足にうっとりの女子とかもいるんでしょうか。まぁ、いるのかな。いたらいいね。
そうそう、メンバー紹介といえば、細海さんがステージに登場したのが何曲目だったかは忘れたけれど(最初の何曲かはいなかった)、『暮れゆく夕べの空』のときだったか、演奏後に宮本からその曲のレコーディング時の思い出話を含んだ丁寧な紹介を受けて、二度にわたって大きな拍手を浴びていた。
で、それ自体は当然として、それでもう紹介は終わったと思っちゃったのか、それとも単に忘れただけなのか、宮本さん、その後のメンバー紹介のとき──ミッキーを新相棒認定したとき──には、なんと細海さんのことだけ紹介しなかったのだった。「えー、宮本そこは細海さんも紹介しようよ」と思った人多数(だったに違いない)。細海さんだって肩すかしだったんじゃないだろうか。こまったもんだよ、まったく。
そういや、この第一部では、ニューシングルで話題性ナンバーワンのカップリング曲、『TEKUMAKUMAYAKON』(テクマクマヤコン)が初披露された──のだけれど。
この曲、最初にCDで聴いたときに「これってライブじゃ駄目なんじゃないか?」と思ったら案の定。レコーディング音源では多重録音によるクイーン風のコーラスワークとウェルメイドなプロデュースによるキラキラしたダンスピートが魅力の曲だけに、それらを剥ぎ落したライブでは、いまいち映えなかった(少なくても僕はそう思った)。
この曲をライブでやるんならば、メンバー全員でちゃんとクイーンっぽさを再現するくらいコーラスワークを練習するとか(できると思えないが)、思いきりアレンジを変えて、もっとダイナミズムを追及するとかしないと駄目だと思う。エレカシはCDよりもライブのほうが映えるのが普通なので、この曲は珍しい例外だった。
そんなこんな大変濃い内容だった本編第一部は一時間半ほどで終了。エレカシとしてはごく短めだし、途中で宮本があらかじめきょうは二部構成だというようなことを言っていたので、メンバーが引っ込んでも、すぐにアンコールの手拍子が起こったりせず。かといって休憩のナレーションがあるでもなく。暗い中でつづきが始まるのを待っているうちに、なんとなく手持ち無沙汰で手拍子が巻き起こるというような。なんだかちょっと妙な合間だった。
第二部は『生きている証』で静かにスタート(「ガードレールに漂う~」のところが大好きです)。第一部がエピック名曲セレクションだったから、ここからは最近のヒット曲メドレーでくるかと思ったら、まったく違った。
あとからセットリストを確認してみて、あらびっくり。驚いたことにユニヴァーサル移籍以降のヒット曲のほとんどを封印している。『ワインディングロード』と『ズレてる方がいい』を例外として、『俺たちの明日』も『笑顔の未来へ』も『新しい季節へキミと』もなし。『ハナウタ』も『桜の花』も『絆』も『あなたへ』も『Destiny』も、なーんもなし。そういや、古いところでも、ライブでは定番中の定番の『デーデ』をやっていない。あらためて正月の武道館のセットリストと比べてみたら、両日とも演奏された曲はわずか5曲しかなかった。えぇ、なにそれ?
いやいや、じゃあすごくマニアックなライブだったかというと、そうは思わないわけです。そりゃ懐かしい曲は多かった(とくに序盤)。でも、だからといって、奇をてらって、わざとマイナーな曲を並べたって印象は皆無。その証拠に、この第二部で披露された曲は、ほとんどがシングル・ナンバーだ(売れてない曲が多いという事実は置くとして)。
うーん、すごいな。いまやこんな技が使えちゃうんだ。セットリスト総入れ替えってくらいのことをしておきながら、それでもちゃんと代表曲って呼べる曲が並んでいるのがすごい。いまさらながら、エレカシが歩んできた二十五年を超える歴史の重さを思い知らされる、そんなこの日のセットリストでした。
後半戦でじーんと来たのは、『月夜の散歩』で宮本が泣いてしまったこと。
途中から歌声が妙にか弱く震えているし、間奏の口笛で音程をはずしまくっていたから、なんだどうした、なにがあったんだと思ったら、歌のあとで「この曲を『sweet memory』に収録したときに、佐久間さんがピアノを弾いてくれて……」と。去年亡くなった『ココロに花を』等のプロデューサー、佐久間正英さんのことを思い出して、感極まってしまったらしい。「情けないところ見せちゃった」と鼻をすする宮本に、思わずこちらももらい泣き。
ちなみに私、このコメントを聞いて、はじめて『sweet memory』収録の『月夜の散歩』がバージョン違いだって知りました。なんて駄目なファンなんだ……。
それにつづく『今宵の月のように』も、同じく佐久間プロデュース作品だけに、いつになく感動的だった。
あと、この日は中秋の名月だったそうで、野音の夜空にもきれいな月がぽっかりと浮かんでいた。何度も野音ではエレカシを観てきたけれど、こんなに月のきれいな野音は初めてだったと思う。序盤の『月の夜』も含め、まさにこんな夜にうってつけの名曲をこの美しい月の下で聴ける幸せ……。
という感慨に水を差すように、この日は近くでなにやらアイドル絡みの野外イベントが行われていたらしく、伝わってくる重低音が宮本の弾き語りの余韻を邪魔していたのが珠にきず。あの騒音だけは、なんとも残念だった──ってまぁ、向こうもそう思っていた可能性がなきにしもあらずか。でもこちらには26年の歴史があるんだ。年季が違う。
このあたりから第二部もクライマックス。新曲『めんどくせい』から、すっかりライブでは人気曲となった感のある『化ケモノ青年』(初出のころの地味さ加減からすると信じられないくらい盛りあがる)、最近の曲では個人的にナンバーワンだと思っている『ズレてる方がいい』、そして問答無用の『ガストロンジャー』という流れはもう鉄板。
そのあとに差し込まれたのが、11月リリースのニューアルバムからの曲として紹介された新曲、アルバムのタイトル・ナンバーだという『RAINBOW』。
いやぁ、これがよかった。明るい旋律のスピード感のあるパンキッシュな導入部から、がらっとリズムが変わって、おおらかな宮本らしいメロディーを聞かせるサビへとつづく二部構成が『Baby自転車』や『クレッシェンド・デミネンド』あたりに通じる──それでいて、あきらかにそれらよりも──とてもいい曲。新たな名曲の誕生に立ち会った感触あり。この曲のためだけでも、新譜がはやく聴きたいと思った。
本編最後の『生命賛歌』も、地味ながら個人的には大・大・大好きな一曲だし──しかしあの宮本がイントロでうなる「サイ、サイ、サイッ」ってのはなんなんでしょうか──、もう文句なしの盛りあがり。
そしてアンコール。ここでの『星の降るような夜に』と『友達がいるのさ』の二連発は、「これこれ、これを野音で聴きたかったんだ~、これぞまさに野音のエキス、エキス!」と叫びなくなるような名演だった(できれば星つながりであと一曲、『流れ星のやうな人生』もつづけてくれると、さらに感無量だったのだけれど、それはないものねだりってものでしょうか)。
この局面になって、僕はもう大満足の体だったので、そのあと二度目のアンコールで新曲『愛すべき今日』が演奏されるまで、この曲をやっていなかったことを忘れてました(あぁ、だからなんて駄目な……以下省略)。
で、この曲で、なんと満を持して蔦谷くんが登場する。どうもSuperflyのステージが終わるや否や駆けつけてきたらしい。そうだよねぇ、やはり野音には出たいよねぇ。彼のエレカシ愛が並々ならぬことが知れて、とても嬉しいサプライズだった。
ということで、そのあと蔦谷くんをまじえてのオーラス『ファイティング・マン』まで全29曲。予想していた3時間には満たなかったけれど、それでも文句なしに充実したステージでした。
最後は宮本が「ストーンズみたいにやろうよ」と、細海さんを含めたメンバー全員をステージの前へと呼び出すというハプニングつき。でも、ストーンズやサザンみたいに肩を組んだりして、メンバー全員で挨拶するのかと思いきや、たんに並んだだけで、「また会おう」とか言って、宮本みずからさっさと帰っちゃうという……。「そこはちゃんとストーンズみたいにやろうよ」って。ここでもそんなファンの叫び(僕の心の声)が聞こえてきそうでした。
以上、いろいろと突っ込みどころが多くて、今年の野音もおもしろかった。一寸先は闇の人生だけれど、とりあえず来年もまたこの場所でこうしてエレカシが観られるといいなぁと思う。そんな四十八歳の秋の夜でした。
いやぁしかし、来年このステージに立つころには、宮本はもう五十なんだな。感慨深いというか、なんというか……。
(Oct 12, 2015)
エレファントカシマシ
RAINBOW TOUR 2015/2015年11月19日(木)/豊洲PIT
また怠けているうちに一ヶ月近くが過ぎてしまった。エレカシ3年ぶりの新譜『RAINBOW』リリース日の翌日に行われたツアー初日。場所は初めてのライブハウス、豊洲PIT。
なんたってアルバムが3年ぶりだから、新譜のお披露目ツアーも3年ぶり。いや、前作『MASTERPIECE』のツアーを見逃した僕にとっては、その前にさかのぼるので、じつに4年ぶりとか。ある意味、レア度ではこういう新譜のツアーのほうが、野音や新春ライブより上ではないかという気がするきょうこのごろ。
だって、なかなかないでしょう、新譜出したからって、その収録曲を全曲やってみせるキャリア四半世紀のベテラン・バンドって? いまはそうでもないのかな?(The Birthdayとか普通にやっていそうだ)
少なくても、ベテランになればなるほど演奏すべき曲が増えて、セットリスト上、外せない曲が多々あるために、新譜を出してもツアーで演奏されるのはその一部だけ──という印象がある。ストーンズやマッカートニーのツアーなんて、やってせいぜい数曲って感じだし。そこまでのレジェンドじゃなくたって、あ、きょうはあの曲が聴けなかった、と思うことはままある。
それをこの日のエレカシは、あえて全曲をやってみせてくれた。それこそアルバムのオープニングを飾るファンファーレ的なインスト・ナンバー『3210』(大半録音?)や、『永遠の恋人』のアルタナティヴ・テイクである『Under the Sky』まで含めて。あらためてセットリストを確認したら、第一部(いまや二部構成が標準になったらしい)の後半には、新曲しかやってないのには驚いた。
いや、まじなところ、『Under the Sky』が生で聴けるなんて、まったく思っていなかった。『3210』にしても、基本は『雨の日も風の日も』のイントロと呼んでいい曲だし。それをこの日のエレカシはアルバムの並びの通り、『RAINBOW』の前に律儀に再現してみせた。これがレアでなくてなにがレア?
まぁ、といいつつ『3210』から『RAINBOW』という展開は、今後もライブの演出としてあり得るかもしれない(盛りあがるし)。でも『Under the Sky』が生で聴けるのなんて、きっと今回が最初で最後じゃないかと思う。少なくても『永遠の旅人』と同じ日には絶対演奏されないだろう。下手したら『昨日よ』とかも、今後二度と聴けないんじゃないかという気もする(地味だから)。そもそも、前回ツアーをスルーした僕は、いまだに『穴があったら入いりたい』を生で聴いたことがないのだった(不覚の極み)。
そういう意味で、今回のライブで新譜の全曲を聴かせてもらえたってのは、とても貴重な体験だったなぁと思う。
あ、レアっていえば、この日は宮本がひさしぶりに白シャツじゃなくて、黒い長袖Tシャツだったのも、ちょっとレアかも。
【SET LIST】
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それにしても、3年ぶりの新作を記念するツアー初日を、エピック時代の低迷期を代表する一曲ともいえる『うつらうつら』でほわんと始めるエレカシって。なんかそのズレてる感じは昔から変わらない(ちなみに二曲目の『一万回目の旅のはじまり』を『一千回目の旅のはじまり』だと思っていた馬鹿者はこの僕です。九千回たりない)。
あと、この日の注目すべきポイントは、キーボードに蔦谷くんではなく、村山☆潤が参加していたこと。
今回のツアーではキーボーディストが日替わりだそうで、この日は村山くんの担当だった。アルバムのタイトル・ナンバーや話題の『TEKUMAKUMAYAKON』のプロデュースほか、新譜のおよそ半分の曲にクレジットされているこの若者は、今回のアルバムの準主役といっていい存在だ。そんな彼の演奏を生で聴けたってのも、なにげに貴重な体験だった。
いやしかし、去年、僕をもっとも感動させた FLOWER FLOWER のバンド・メンバーがエレカシと一緒に演奏しているのを生で観ることになろうとは……。
そんな村山くんがいたせいか、野音ではいまいち印象が良くなかった『TEKUMAKUMAYAKON』も、この日はなんら違和感なく、エレカシらしい曲として普通に楽しめた。『うつらうつら』の演奏がなんだかいつになく優しく響いて聴こえたのも、彼のキーボードの音色ゆえかもしれない。
新曲中心の第一部が一時間ちょいで、そのあと若干のインターバルをはさんで始まった第二部は、最初の『漂う人の性』こそひさしぶりだったけれど、そのほかはほぼ代表曲を並べたサービス・メニュー。でもその締めに新譜のラスト・ナンバー(でけっこう地味な)『雨の日も晴れの日も』を持ってきたのが、これまたアルバムのツアーならではでよかった。アンコールで『習わぬ経を読む男』が聴けたのも感無量でした。
アンコールまで含めて二時間半に満たないってのは、エレカシのライブとしては、やや短めだけれど、それでもまぁ、ひさびさのオール・スタンディングのライブだったので、僕は第二部の途中ですでにくたくただったし(体力のなさに磨きがかかっている)、なのでそれでもうじゅうぶん満足。今回もいいライブをありがとう。
(Dec 12, 2015)
RADWIMPS
10th ANNIVERSARY LIVE TOUR FINAL RADWIMPSのはじまりはじまり/2015年12月23日(水)/幕張メッセ国際展示場4~6ホール
ドラムの山口くんの活動休止を受けて、若い森瑞希という人がサポートのドラマーに決まった聞いたときには、ふうんという感じだったのだけれど、その後、ふたり目のドラマーが加わってツイン・ドラムになった──しかもそのふたり目ってのが、元東京事変の刄田綴色だ──と聞いちゃ、放っておけない。
ということで、節約の誓いはひとまず棚にあげて、行ってまいりました幕張メッセ。RADWIMPS、デビュー十周年アニバーサリー・ツアーの最終公演。
そういや、半年前にもサマソニで、同じ場所でラッドを観たんだった。あのときはまさかそれから半年もせずに山口くんが抜けてしまうなんて思ってもみなかった。
とはいえ、いまから考えてみると、あのフェスこそ僕が山口くんの演奏を観られる最後のチャンスだったわけで、それを逃さずに済んでよかったなぁといまさらながら思う。そういう意味でも、やはり僕にはライヴ運みたいなものがあるんだろう。
いやしかし、あらためてブロック指定で、ステージからいちばん遠くのブロックに割り当てられて思ったこと。
メッセって広ぇ。
設営に問題ありなのか、ステージがまったく見えない。もう九十九パーセント、モニター頼りでしかステージの模様が確認できない。その点では、その気になれば好きなだけ前のほうへ行けるフェスも悪くないもんだなと思った。
ちなみに大型モニターは、広い会場に配慮して、ステージの左右のみならず、アリーナの最初のブロックの天井に一枚、僕のいたブロックの手前にも一枚ぶらさがっていた。それが左右にあるから計六枚。そのうち五枚が僕の視野にはつねに入っていて、遠近感の違いから、それぞれ大きさが異なって見える。大小五つの映像がメインステージのライティングと混じりあう眺めは、それはそれでおもしろかった。
音響的にも分離がよくて、野田くんのボーカルはくっきりはっきり聞こえたけれど、かといってさすがにその広さだと、個々のパートの演奏のディテールまでじっくり味わうには無理がある。おかげでお目当ての刄田くんの演奏がどうだったとかは、よくわからない。でも、ツイン・ドラムということで、東京事変のときとは違って、パーカッションをたたく曲とかもあって、新鮮だった。
セットリストはアニバーサリー・ツアー最終日ということで、みごとなサービス・メニュー。満天の星空をイメージしたレーザーライトが美しい『トレモロ』から始まって、これでもかと初期の名曲を並べて見せた。
びっくりしたのは、『もしも』が演奏されたこと。アンコール待ちのあいだにファンが歌うことで有名な曲ながら、ライブでは絶対にやらないイメージだったので、いまとなると野田くん本人はあまり気に入っていないんだろうと思っていた。
少しあとのMCで野田くんが「十五歳のころに書いた曲をやって、ものすごく恥ずかしいんだからさ、もっとはっちゃけてくれよ」みたいなことを言っていたのは、きっとこの曲のことなんだろう。
序盤の曲だとセカンドからの二曲、『ヒキコモリロリン』と『俺色スカイ』にぐっときた(できればツアーで演奏されていたという『夢見月に何想ふ』も聴きたかった)。
意外や、ライブでは初めてやる曲だと紹介された『ピクニック』も掛け値なしに感動的だった。
あと、『有心論』がライブのなかばで演奏されたのが予想外。バンドを代表する一曲だし、アンコールまで温存するだろうと思っていた。
そういう意味では、レアな『もしも』を最初のうちにさらりと演奏してみせたのもそう。本編ラストが『オーダーメイド』なのもそう。
映像作品などですっかりお馴染みとなった『DADA』からの終盤の流れは問答模様の盛りあがりだから、『会心の一撃』で本編を締めても誰も文句はいわないと思うのだけれど、そこをあえて彼らは(僕個人はかなり地味な印象の)『オーダーメイド』を持ってきて、穏やかな余韻を残して締めてみせる。理由はおそらく、それが彼らにとって、とても大事な一曲だからなんだろう。
オーディエンスを大事にしていないわけではないけれど、守るべきところでは、あくまで自分たちにとって大事なものを守る。そんな
【SET LIST】
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いやしかし、熱かったし、暑かった。コートを着たまま観ていた僕は、まわりのTシャツ姿の若い子たちの熱気にあてられて、本編が終わった時点でもうすっかりぐったりだった(ほんと体力がねぇ)。
少し涼みたかったのと、メッセの4~6ホールは退場が大変なのを、前回ここで彼らのソロ・ライブを観たときに経験していたので、終わったあとにすぐに抜け出せるようにと、アンコールを待つあいだに、ファンの女の子たちによる『もしも』の大合唱を聞きながら、ブロックのうしろのほうへと移動した。
そしたらば、なんだかうしろのほうは妙にすいている。そしてなぜかみんな、右手のほうに集まっている。集まっていない人たちもそちらに目を向けている。はてさて、これはもしや?──
はたして、アンコールが始まると、人が集まっていた先──メインステージからもっとも遠いあたり──にサブステージがぐぐっと迫り出してきて、ラッドのメンバー三人だけが登場したのだった。おぉ、恥ずかし島(BUMPの藤原くん命名)!
いやぁ、ステージが近い。7年前にも同じことがあったけれど、今回も近い。この広い会場で、こんなに近くで野田くんたちが観られるなんて、なんて俺はラッキーなんだろう──。
といいつつ、じつは僕がいた場所からは、野田くんの背中しか見えなかったんですが。武田くんは横顔、桑原くんにいたっては、野田くんの陰になってほとんど見えなかった。
でもまぁ、よーじろーの背中を眺めながらRADWIMPSのアコースティック演奏を聴く機会なんて、一生に一度あるかないかでしょう。しかもそのうちの一曲が名曲中の名曲──間違いなく僕がこの数年でもっともたくさん聴いている──『シザースタンド』なんだから、もうたまらない。いやぁ、貴重な体験をさせていただきました。
なお、このサブ・ステージは一部の人たちにはサプライズすぎたようで、興奮してステージに押し寄せた人波に押されて前のほうの人が大変なことになったらしく、一曲目の『お風呂あがりの』を演奏し始めた直後に、スタッフが出てきて演奏を中断させるというハプニングがあった。演奏が再開されるまでにもけっこうかかったし、せっかくの素晴らしいコンサートに水を差す、ちょっと残念な一幕だった。
アンコールはそのあとメインステージに戻って、『05410-(ん)』(「おこして」と読みます(蛇足))と『ふたりごと』を演奏して終了。『ふたりごと』は僕がラッドに夢中になるきっかけとなった一曲だから、最後がその曲だったのもなかなか感慨深かった。
よもやニュー・シングルの『記号として』と『'I' Novel』のどちらもやってくれないとは予想外だったし──それでいて『お風呂あがりの』をやってくれようとは──、ほかにもまだまだ聴きたい曲はたくさんあったけれど、まぁ、それをいったらきりがない。なにはともあれ、十周年を記念するにふさわしい充実した三時間でした。
メンバーがステージを去ってすぐに、特報と銘うって今回のツアーのドキュメンタリー・フィルム『RADWIMPSのHE-SO-NO-O』が三月に劇場公開されるという予告編が流れた。
RADWIMPSの新しい10年はこの映画のあとから始まるんだろう。
(Jan 16, 2016)