2011年のコンサート
Index
- エレファントカシマシ @ 日本武道館 (Jan 9, 2011)
- エルヴィス・コステロ @ Bunkamuraオーチャード・ホール (Mar 1, 2011)
- JAPAN JAM 2011(3日目) @ 幕張メッセ国際展示場ホール9~11 (May 5, 2011)
- ザ・ビートモーターズ @ Shibuya WWW (May 21, 2011)
- エレファントカシマシ @ TOKYO DOME CITY HALL (Jun 18, 2011)
- 佐野元春 @ 東京国際フォーラム・ホールA (Jun 19, 2011)
- RADWIMPS @ Zepp Tokyo (Jun 30, 2011)
- スピッツ @ さいたまスーパーアリーナ (Jul 2, 2011)
- エレファントカシマシ @ 日比谷野外大音楽堂 (Sep 17, 2011)
- 東京事変 @ 東京国際フォーラム・ホールA (1 Dec, 2011)
- BUMP OF CHICKEN @ SHIBUYA-AX (5 Dec, 2011)
- ジョニー・フォーリナー&リンゴ・デススター @ KOENJI HIGH (15 Dec, 2011)
エレファントカシマシ
2011年1月9日(日)/日本武道館
2011年の一発目は、お正月バージョンとしては、かれこれ十年ぶりとなるエレカシの武道館公演。僕の席はアリーナで、右側の大型スクリーンの真正面、前から10列目くらい。見晴らしがよくてラッキーだった。
エレカシで武道館というと、ストリングスをゲストに迎えた豪華版と相場が決まっているけれど、やはり今回もそこんところは予想通り。――といいつつ、今回はその使い方が、過去になかったような意外性に満ちていた。
なんたって、オープニングからして、ちゃんとした演出がある。場内の照明が落ちて、いつものようにメンバーがふてぶてしく登場するかわりに、真っ暗なステージからストリングスの調べが鳴り響始めたのだった(ドビュッシーの 『月の光』 だそうです)。やがてそこにピアノの旋律が加わる(ベートーベンの 『月光』 だとのこと)。うわー、こんなのエレカシ史上初!
そんな
意表をついたオープニングの割には、演奏するのはお馴染みのこれかーっ、と思ったものの、でも場内は大盛りあがり。
遅れて宮本をのぞいたその他のメンバーも登場。石くん──この日はスキンヘッドにサングラス、オレンジ色のポロシャツという装いが、なんとなく奥田民生を思い出させた──がトミのドラムにお馴染みのギターのリフを重ねてゆく。
長く引き伸ばしたイントロのあと、満を持して白シャツの宮本先生も登場。で、「太陽の下、おぼろげなるまま~」という歌いだしとともにステージが明るくなってみると。
そこには。
どーんと金原千恵子オーケストラの皆さんが!
いたのだった。
うわー、オーケストラつきの 『奴隷天国』 だ~。なんだそりゃぁ~。おもしろすぎる! この一曲だけで、この日は十分、もとが取れた気がした。
そこからのセットリストは、本編に新譜 『悪魔のささやき ~そして、心に火を灯す旅~』 の全曲を織り込みつつ、ユニヴァーサル移籍後のポップな路線を全面に打ち出したような選曲だった。『珍奇男』 や 『シャララ』 といった激渋な曲も挟みこまれていたけれど(どちらも最高!)、全体的な印象を決定付けていたのは、最近のポジティヴな楽曲群だった。序盤のいちばんの聴きどころは、これもストリングスつきで演奏された 『旅』。
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で、本編のクライマックスは、やはり 『彼女は買い物の帰り道』 で金原さん+チェロの人をゲストに迎えたあと、つづく 『ネヴァーエンディングストーリー』 から 『桜の花、舞い上がる道を』 までの6曲を、金原オーケストラとともに、たたみ掛けるように聴かせた部分だろう(含む 『シャララ』)。これだけ続けてストリングスつきのナンバーを並べて披露してみせたのも史上初!
まあ、ぶっちゃけた話、そのうち過半数は僕個人はあまり好きな曲じゃなかったけれど、その前向きな姿勢にはありったけの拍手を送りたくなった(というか送った)。
でも、さらにすごかったのはそのあと。
『桜の花』 でさすがに本編も終了だろうと思わせておきながら、そのまま終わったりしない。
真っ暗になった場内に──ステージ上にメンバーがいたにもかかわらず、客席からは勘違いしてアンコールの手拍子が巻き起こっていた──、新譜のSEトラック 『朝』 が流れ始め、それにあわせて左右の大型スクリーンには日食の映像などが映し出される。
お~っ、これはつまりあれだ! くるぞくるぞ~、という期待のどよめきのなか、緑と赤だか紫だかのライティングとともに、爆発的に鳴り始めたのは、もちろん 『悪魔メフィスト』! それも二十代のころを思い出させるような、尋常ならざる宮本の咆哮!
まあ、正直なところ、この曲での宮本くんのパフォーマンスがこの日最高の出来だったとは思わない。もとから喉にかける負担が大きなこの曲だけに、すでに2時間をゆうに超えていたこの時間帯にやるのは、さすがに無理があった。
でも、大事なのは、ここまできてなお、この曲を聞かせて終わらせようという心意気だ。少なくても 『桜の花』 で終わるのと、この曲で終わるのとでは、まったく意味が違う。僕はその心意気に痺れまくった。いやぁ、すんばらしかった。
アンコールの一曲目は、さらなるサプライズの 『平成理想主義』。ただでさえ長尺でラウドなこの曲を、この日はこれまたストリングスつきで聴かせる。サービス精神あふれまくりで素晴らしいこと、この上なし。
まあ、そこまでの驚きが大きかった分、そのあとシンプルなバンド・サウンドで聞かせた 『シグナル』 からの3曲は、やや気が抜けてしまったような感があったけれど、でもそのあとの締めが 『ガストロンジャー』 と 『ファイティング・マン』 とくれば、そこはもう大団円。これ以上はもう望めないだろうって気分だった。
なのに。
さらなるサプライズ。
この日はもういちど一度アンコールがある。
この期におよんで、なにをやるんだと思っていたら。
うわーっ、『待つ男』 だ~っ!
あぁ、すっかり油断していた。そうか、まだこの曲が残っていたか……。これはもう極めつき。武道館をこの曲を締めるって、それはもう完璧すぎる。
以上、3時間ジャストで、全30曲。中心となったユニヴァーサル期の楽曲群は、素直に僕の好きなエレカシとはいい切れないものだったけれど、それでもいつになくサービス精神たっぷりの演出と、オーラスを飾ったとっておきの一曲のおかげで、終わってみれば文句なし。とても充実した素晴らしい正月公演だったと思う。
そうそう、この日のライブでもっとも受けたMCは、宮本のものではなく、石くんが硬い口調で唐突にいい放ったひとこと、「ライブハウス武道館へようこそ」というやつだった。これには場内、大爆笑。いやぁ、あれはおかしかった。新年早々、笑わせてもらいました。
(Jan 11, 2011)
エルヴィス・コステロ
Elvis Costello "Solo"/2011年3月1日(火)/Bunkamura オーチャード・ホール
エルヴィス・コステロ、6年ぶりの単独公演。
──ってこれ、観に行ったのは東日本大震災より10日前のことで、きょうはその震災からすでに10日近くが過ぎているので、そうとう昔の話のような気が……。さっさと書いとけよなぁ、俺……。
今回の来日公演は「ソロ」と銘打っているとおり、コステロひとりでのステージだった。なので正直なところ、個人的な期待値はバンドのときよりも低かったのだけれど(失礼)、いざ観てみれば、なんのなんの。ひとりだからこそ、コステロのエンターテイナーとしての秀でた力量が前面に出た、なんとも滋養あふれる、素晴らしい内容だった。
基本的には全編ギターの弾き語り──内訳はアコギ中心でフルアコ少々。アルバム 『North』 ではピアノの腕前も披露したことだから、今回はピアノ弾き語りもあるかと思っていたけれど、ステージにずらっと並んでいたのはギターだけだった──なのだけれど、それでいて単調になることがまるでない。バラエティ豊かな楽曲にあわせて、ギター・アレンジに様々な趣向をこらし、ときにはマイク・スタンドから離れて肉声だけで歌を聴かせたりもする(衰えを知らずの声量が圧巻)。『She』 のような美メロのバラードは椅子にすわって演奏したり。ときどき同期モノをイントロで鳴らしたり。
同期モノの使い方でおもしろかったのが、そのほとんどがイントロ限定だったこと。『Watchin the Detective』 など、イントロを打ち込みのビートで派手に鳴らして「お~」と思わせておいて、あとはアコースティック、というパターンがほとんど。そのままそのビートに乗せてラウドに、というありがちなパターンは皆無だった。今回はあくまで生演奏を聴かせる企画だってことだったのだと思う。
唯一の例外が新作のタイトル・トラックで、アンコール一発目の 『National Ransum』。これだけは全編打ち込みだった。
というか、この曲は演出がふるっていて、本編終了後の真っ暗なステージにシーケンサーからの大音量が流れる中、交通誘導員が持っているような赤い誘導灯を振りながら出てきたコステロ先生、そのまま真っ暗な中でその一曲を披露して、すぐに退場してしまうという謎の演出。そもそもこの曲、アレンジが大々的に変わっていたので、すぐにはそれとわからなかった。かろうじてサビの最後でタイトルが聴き取れたので、それとわかった次第。この日のライブでもっとも妙ちきりんで、それゆえ楽しい一曲だった。
【SET LIST】
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あと、この日のライブではひとりきりのステージゆえの自由さのためだろう、いままでになく僕の知らない曲が演奏された。奥様ダイアン・クラールの持ち歌だという 『All or Nothing at All』 に、ニック・ロウの 『I'm A Mess』 のカバー。『Alison』 につづけてメドレーで歌われたのも知らない曲だったし(『オーバー・ザ・レインボウ』 だったらしいのだけれど、メロディがかなり違っていたのでそうとは思わなかった)、「この曲はなに?」と思うこと何度もあって、コステロ・ファンとして、まだまだ勉強が足りないなぁと思わされた。
いやでも、こうして振り返ってセットリストを眺めながら、あの日の公演を思い返してみると、じつに見どころ満載だったなぁとあらためて思う。一曲目の 『Green Shirt』 からして「お~」って感じだったし、『Either Side of the Same Town』 のソウルフルなボーカルは2曲目にしてすでにこの日のクライマックスかと思うくらいだったし、『New Amsterdam』 からビートルズの 『悲しみはぶっとばせ』 へのメドレーに痺れ、『Everyday I Write the Book』 での後半サビあとの高音には鳥肌もの、凝ったアレンジをはぎ取られてもなお魅力の薄れない 『Beyond Belief』 のメロディの強靭さに感嘆し……。
この日はオーチャード・ホールというかしこまった会場で、なおかつ弾き語りということもあってずっと座ったままだったため、照れ屋の日本人としてはなかなかコール・アンド・レスポンスに応えられなかったんだけれど、『Radio Sweetheart』 から大好きなヴァン・モリソンの 『Jackie Wilson Said』 へ流れ込んだ部分では、さすがにシンガロングせずにはいられなかった。
2度目のアンコールで 『Smile』 を披露してくれたときには、「どちらかといえば 『She』 が好きなんだけれどなぁ……」と思っていると、その曲をワン・コーラスだけ披露したあと、そのままメドレーで 『She』 を聴かせてくれちゃったりするし。いやぁ、さすがコステロ先生。ファン心理をわきまえてらっしゃる。そういや最後が 『Pump It Up』 から(またもやビートルズの) 『She's A Woman』 へのメドレーで締めってのもこたえられなかった。
終わってみれば2時間に満たない長さがややもの足りなくもあり(贅沢な)、きちんとコール・アンド・レスポンスに応えられなかったことを残念に思いはしたけれど、内容的にはとても充実した幸せなコンサートだった。
ああいう幸福な時間を、日本じゅうの多くの人々がこれからもまた安心して過ごせるようになりますようにと。震災後のいまは、ただそう祈るしかない。
(Mar 20, 2011)
JAPAN JAM 2011(3日目)
2011年5月5日(木)/幕張メッセ国際展示場9・10・11ホール
「ここでしか見れないジャム・セッション」をコンセプトに、ロッキング・オンが去年から始めた新しいロック・フェス、JAPAN JAM の2年目の最終日を観に行ってきた。お目当ては当然、エレカシのRCセッション。
このフェス、主催者の渋谷陽一氏を始めとしたロッキング・オンの関係者からは手前味噌で「超」がつくほど絶賛されているけれど、僕はいざ自分で観るまで、そのおもしろさにやや懐疑的だった。
そりゃすべてのステージはこのフェスのための企画だから、一回ぽっきりのレアなものでしょう。ラインナップを見ても、「ここでしか見れない」は大げさじゃなさそうだ。
でも「珍しい」=「素晴らしい」とは限らない。大好きなアーティストのライヴってのは、たいていそれだけで最高なわけで。そこに第三者が加わるってのは、逆にその人たちの持ち味を薄れさせてしまいやしないかと。持ち時間は各自1時間ぽっきりだし、参加するゲスト・アーティストのファンにとってはなおさらのこと。結局、どちらのファンにとってももの足りない、中途半端なものになりそうな気がして仕方なかった(まあ、といいつつ終わってみれば大満足だったんだけれど)。
そこんところがまさにその通りだったのが、この日のオープニング・アクトの奥田民生。
ゲストは HiGE という6ピース・バンドで、今回はこのバンドにフロントマンとして奥田民生が加わった7人編成。僕は HiGE というバンドをまったく知らなかったので、いざ始まってみるまで、そういう構成だってこともわからなかった。
オープニング・ナンバー は 『マシマロ』。HiGE はツイン・ドラムにギター3本という、かなりハード・ロック寄りの構成のバンドで、そこに加えて民生もギターを弾くので(一曲目はイナズマ・チックな形の青いギター)、じつに4本のギターが絡んだ重厚なギター・サウンドが鳴り響く……のかと思ったら、不思議とそうでもない。演奏は意外とあっさり系だった。
そもそもこのバンド、ツイン・ドラムといいつつ、ふたりが同時にたたいてない曲も多かった。片方がたたいているときには、もうひとりはタンバリンを鳴らしたりとか。ギター3本もあんまり存在を主張していないし、言っちゃなんだか、なんだかいまいち無駄が多い印象(そこが持ち味?)。僕がロッキング・オン系のフェスに参加するのはこれが初めてだけれど、テレビで映像だけはけっこう観てきているから、きっとこのバンドとも何度かはニアミスしているはずなんだけれど、それでいてまったく印象に残っていないのも納得という感じ。
でも民生さん、ゲストに招いた以上、当然ながらそんなバンドにもちゃんと花を持たせる。2曲目で自身がうしろに引っ込み、向かって左側のドラマーとポジション・チェンジ! いきなりドラムをたたき始めたのだった。
最新作 『OTLR』 では全曲自作自演でアルバム一枚を作ってみせた民生先生だから、当然ドラムもたたける。その生ドラムをライヴで見られるってのは、これはもう先生の普段のライヴではめったに見れない貴重な体験……なんだろうけれど。
でもそれが僕の知らない HiGE の曲で、なおかつボーカルをつとめるのは、本職を民生さんに譲ったドラムのふたり。はじめて見るバンドで、ボーカルはプロパーじゃない人たちとくる。このフェスらしいレアなシーンなのかもしれないけれど、HiGE のファンでない僕らからすると、ちょっとなぁ……って感じだった。
ただ、おもしろかったのはこのあと。HiGE の曲で2曲つづけてドラムをたたいた民生さん、ふたたびフロントに戻ってきて、息も絶えだえ。「午前中できついのは、歌じゃなくてドラムだった」というコメントで、大爆笑を誘っていた。
そうそう、このステージの直前に渋谷さんによる開演のあいさつがあって、「この人が午前11時に歌を歌うのは初めてだそうです」というコメントがあったんだった。そりゃそうだ。いまさら奥田民生ほどの人が午前中にステージに立っているってこと自体、めったにあることじゃない。これは間違いなくこのフェス特有の名場面のひとつだった。
その後、ステージは民生と HiGE の曲を交互に演奏しつつ進む。『暗黒の闇』 や 『カヌー』(お~)という名曲に盛りあがりつつ、HiGE の曲に引くという繰り返し。ここら辺からは須藤くんという HiGE のボーカルの人が前に出るようになって、いくらか印象もよくなったし、さすがに最後のほうは 『プライマル』 『近未来』 『イージュー★ライダー』 と民生の曲を並べてしっかり締めてくれたけれど、それでも全体としてはもの足りなさが勝ってしまった印象だった。最後の一曲を聴くまでは。
そう、『イージュー★ライダー』 で終わりかと思ったら、そのあとにもう一曲、締めに特別な曲が用意してあったのだった。HiGE の須藤くんのリクエストだというその曲は、ユニコーンの 『ヒゲとボイン』。
わ~、この曲があったか~。そりゃバックが HiGE なんだから、これはやんないとだよなぁ。奥田民生のソロをユニコーンの曲で締めるという意表をついたエンディング。これが効いた。この一曲でそれまでのややネガティヴな気分がイーヴンに戻った気がした。おかげで気分よくステージをあとにできた。
でもじつは、奥田民生がその本領を発揮してみせるのは、このあとの話。
2番目は TRICERATOPS。ゲストは藤井フミヤ。
どちらも僕らはフォローしていないアーティストながら、トライセラのライヴには前から興味があったし、うちの奥さんは若いころにチェッカーズのファンだった人なので、このステージもちゃんと観たかったのだけれど、なにせこの日は午前11時から午後9時まで、10時間にわたる長丁場。序盤から無理をして、トリのエレカシがちゃんと楽しめなくなっても困る。ということで、最初の数曲は見送り、コンサート・スペースの外の飲食エリアにすわって、音だけ聴いていた。外といってもカーテンで区切られているだけなので、それなりの大音量で聴ける。
このフェスはステージがひとつしかなくて、サマソニやフジロックのように、どのステージを観ようか頭を悩ますことがない一方、現在進行中のステージを観ないとなると、食事をするくらしか、やることがない。屋台もわずか10店舗だけで、選択肢が限られていて、あまりおもしろくなかった。
あと、ステージのうしろの方で座っていると、係員がやってきて立つように言われるのがうっとうしい。疲れたらうしろの方で座っていてもいいという自由度こそがフェスの醍醐味だと思うのに、座って観るのが許されないってのはないでしょうよ。開演を待っている間には、「撮影録音ダイブ禁止」と書いたプラカードが出ているし、場内放送でもその手のことが流れてくるしで、なんかすごく規制されている気がした。そういう意味では、あまりロック・フェスって感じがしなかったのが残念。
さて、トライセラのステージには途中──藤井フミヤが出てくる1、2曲前──から参入。
トライセラトップスはメロディー的に陰性な曲が多いので、これまでまったく聴いてこなかったけれど、その演奏力の高さには前々から感銘を受けていた。わずか3人であのダンサブルなグルーヴを生み出せるってすごいと思う。生で聴くとなおらさ気持ちいい。
この日はそこに藤井フミヤという別種の才能が加わる。
いや~、フミヤさん、すごいです。去年サマソニでヤザワを観たときと同種のインパクトがあった。声の通りのよさは抜群だし、マイク・パフォーマンスも堂々たるもの(マイクをピストルみたいにくるくる回すのがおかしかった)。ふつうのロック・コンサートではあまりお目にかからないその手のアクションに、いちいちフロアから「お~」という歓声があがるのもおかしかった。さらにはブルース・ハープがうまいのにも驚いた。いや~、この人も一流のエンターテイナーだわ。
このコラボは大成功だったと思う。『TRUE LOVE』(「君だけを信じて~」というやつ。ははー、タイトル知りませんでした)のようなベタなバラードも、フミヤの弾くアコギを加えたトライセラのシンプルかつソリッドな演奏で、非常に映えた。素直にいい曲じゃんと思えた。
で、このステージをさらに盛りあげてみせたのが、奥田民生先生。かつてフミヤの曲のプロデュースをしたことがある(なんと!)という民生さんが照れながら登場して、自らが提供したというその 『嵐の海』 というブルース・ナンバーでゲスト参加。トライセラの和田くんとフミヤのハープと絡んで、濃厚なブルース・ギター・セッションを繰り広げてみせたのだった。
この日はそののちにチャボとチャーによる、これぞ本物というブルースを聴くことになるわけだけれど、トライセラのステージで繰り広げられたこのときの演奏もそれに負けず劣らない名演だったと僕は思う。終わりどころがつかめずに(というか、わざとつかまずに?)、だらだらとアドリブをつづけて笑いを誘っていたところも含めて最高だった。この日、もっとも強く印象に残った一曲でした。
さてその次。3番手の THE BACK HORN はこれまでまったく聴いたことのないバンドなので、とりあえず1曲目だけ観て退散。打ち込みなしの文学系ナイン・インチ・ネイルズみたいな音は嫌いじゃないけれど、あまりに生真面目で微塵もユーモアがない感じがして、いまいちしっくりこなかった。
次は真心ブラザーズ。ゲストは松たか子。
はじめて真心のCDを買ってから、かれこれ20年近くになるけれど、生で彼らのステージを観るのは僕はこれが初めて。
まあ、要するにファンじゃないってだけの話なんだけれど、さすがに楽曲がいいだけあって、とても楽しめました、真心ブラザーズ。『ENDLESS SUMMER NUDE』 から始まって、『BABY BABY BABY』、『拝啓ジョン・レノン』、『空にまいあがれ』 などの代表曲に、キャロルのカバー 『ルイジアンナ』 などのセッションを絡めた全9曲。YO-KING と桜井のオフビートなやりとりも楽しくて、あっという間の50分だった。ほかのアーティストが1時間の持ち時間をフルに使い切るなかにあって、10分もあまらせて終わってしまうあたりも、いかにも彼ららしかった(おかげでもの足りなかったけれど)。
ゲストの松たか子(2曲目の 『BABY BABY BABY』の途中から登場)は、女優にしては声の通りもよく、なるほど歌える人なんだとは思った。ただ、やはりそこは生粋のステージ・パフォーマーとは違って、彼女がいることで相乗効果でステージがよくなるようなプラス・アルファは感じられない(その点でもやはり藤井フミヤはすごかった)。清志郎が作詞したというアメリカン・トラッドの 『500マイル』──HISのアルバムに収録されている曲で、彼女自身のライヴでもよく歌うとのこと──でソロを取ったりもしていたけれど、基本的な立ち位置は真心バンドのサブ・レギュラーであるうつみようこさん(元ソウル・フラワー・ユニオン。この日は残念ながら欠席)の代役という印象だった。
あと、トライセラのステージに登場したことである程度予想(というか期待)していたことだけれど、この真心のステージにも、またもや奥田民生が登場~。松たか子と入れちがいで出てきて、真心とコラボした映画 『マイ・バック・ページ』 のタイトル曲であるボブ・ディランのナンバーを競演してみせた。ここまでの展開は、なんか JAPAN JAM というより、民生フェスの様相を呈していた。
『My Back Pages』については、民生のパートは英語のディラン・オリジナルで、YO-KINGのパートが真心の日本語訳バージョンという、変則的な構成がおもしろかった。ちょっとシングル欲しくなりました。
さらにそのシングルのカップリング曲で、三人で競作したという 『絵』 を聴かせたあと──「次の曲は「え」です」「え?」「え」「イントネーションがおかしいんじゃない?」みたいなやり取りに場内爆笑──、最後はふたたび松たか子を迎え入れて、民生を加えた4人で『空にまいあがれ』 を歌って大団円。いや~、これもいい曲だなぁと、生で聴いてあらためて思った。
お次は大御所、仲井戸“CHABO”麗市×CHAR による一大ロックンロール・セッション。
チャボさん、最初からオヤジギャグ連発。最初のMCでいきなり「こんばんわ、レッド・ツェッペリンです」って。
おいおい、大丈夫かと思わせつつ始まったこのセッションだったけれど、失礼ながら、これが期待以上によかった。いつもの自分の音楽に馴染みがないオーディエンスが多いってことを意識したんだろう、チャボが用意してきたナンバーは往年のロックンロールやR&B、ブルーズの名曲ばかり。
レイ・チャールズの『ホワッド・アイ・セイ』にストーンズの『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』、ジミヘンの『リトル・ウィング』(僕が頭の中で思い出していたのはデレク・アンド・ザ・ドミノズのバージョンだったけれど)。
このあと、チャーが登場して一発目に歌ったのがクリームの『クロスロード』、つづけてビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』、チャボのボーカルに戻って『ルート66』、そしてストーンズがカバーしたロバート・ジョンソンの『ラヴ・イン・ヴェイン』という、珠玉の名曲連発。それを日本のロック史上に名前を残すふたりの名ギタリストが聴かせるんだから、なにをいわんやだ。
ふたりのスタイルが見事に違うのもおもしろかった。
僕は若いころのチャボのことをキース・リチャーズ系のへたうまギターだと思っていたけれど、いまやどうしてどうして。『リトル・ウィング』の弾きっぷりとか、じつに堂々としたギター・ヒーローぶりだった。一本筋の通ったそのギターの音色がとてもいい。ぎこちない感はあるけれど、そこにまた味があって、最高に気持ちよかった。
チャーの方はクラプトン系の純然たる名ギタリストぶり。歌もチャボがすべて独自の日本語訳で歌うのに対して、チャーは流暢な英語で聴かせる。年齢(チャボ60歳、チャー55歳)が近いことを除けば、じつに対照的なそんなふたりが、子供のようにじゃれあいながらギター・バトルを繰り広げているのを観ているのは、(ややこそばゆくもありつつも)やはり感動的だった。
そうそう、さらにこのバンド、サポート・メンバーもすごかった。ドラムが桑田佳祐や椎名林檎などのセッションでお馴染みの河村カースケ智康さん、そしてキーボードにドクター・キョンとくる(ベースの早川岳晴という方は恐縮ながら存じ上げません)。このメンツであの選曲はなかなか観られない。チャボはさかんに「こういう機会を与えてくれた渋谷クンに感謝します」というMCを繰り返していたけれど、ほんと、いいもの見せてもらいました。チャボさん、チャーさん、渋谷さん、そのほかの皆さんに感謝。
さあ、これでエレカシの出番まであとひとつだっ。トリ前は ZAZEN BOYS×坂田明×近藤等則×七尾旅人によるスーパー・セッション。
──って、ただしこれはちゃんと観なかった(最後の2曲だけ)。関心はあったものの、すでに体力の限界が近かったので自粛。斬新なアレンジの『赤とんぼ』や『東京節』が流れ出てくるのに、カーテンの向こうで耳を傾けていた。チャボは聴いても ZAZEN は聴かないという。その姿勢がすっかりオヤジです。
そしていよいよ。このあとが本日のとり! エレファントカシマシ! エレカシ!──と、やたらと気合い入りまくりの奥さんに連れられて、ZAZEN の終演後にそのままステージ前に貼りつき、開演を待つことになった(おかげでサウンド・チェックの合間にエレカシの楽器にまじって、チャボのギターがあるのを見つけて、「お~」と思うことになる)。前のチャボと ZAZEN がそれぞれ押したので、10分以上遅れてのスタート。オープニングは蔦谷くんとミッキーを含めたいつもの6人。
今回のステージはチャボと泉谷しげるをゲストに迎えて、RCサクセションのカバーを披露するってのが目玉だったわけだけれど、そこまでに到る過程もなかなか考え抜かれていたと思う。新作の『脱コミュニケーション』から始まり、2曲目ではやくも『悲しみの果て』、超ひさしぶりの『戦う男』(お~)をへて『風に吹かれて』。そしてまた新作からの珠玉の一曲『旅』。さらにはファーストから『ゴクロウサン』というメニュー。新旧とりまぜた上でエレカシの多面性がよく出た、フェスという空間の特殊性を考えた上でのベストな選曲だったと思う。
とはいえ、この日のクライマックスは当然ここから先。ようやく待ちに待ったチャボの登場だ~。宮本の「初心にかえってやらせていただきます」というMCとともに、一発目に演奏されたRCナンバーはなんと『ブン・ブン・ブン』!!
これはノーマークだった。でも素晴らしくエレカシらしかった。そのまま宮本の曲だと言いはっても許されそうなハマり具合だった。これを聴いて、いまの日本でRCを歌って、宮本以上に清志郎に近づける人はいないのではないかとさえ、僕は思った。野田洋次郎的な言い方をさせてもらえば、エレカシがRCの遺伝子を受け継いでいることが、この一曲目が演奏された瞬間に、一瞬にして証明された感があった。
2曲目は名曲中の名曲、『スローバラード』。これをやっちゃうとあまりにRCど真ん中なので、『よそ者』あたりを持ってくるのではと思っていた僕の予想は見事ハズレた(ついでにいえば、この曲が演奏された瞬間、この日のトリを飾るのが「あの曲」なのは100%間違いないとも思った)。ただ、この曲はやはり清志郎のもの。さすがの宮本でも十分に歌いこなせていないと思った。あらためて清志郎の偉大さを思い知る。
3曲目は『君が僕を知ってる』。うわ~っ! これ持ってきたか~。大学時代に僕がもっとも好きだったRCナンバー。それをいま僕の目の前で、僕と同い年の宮本たちが、チャボと一緒に演奏しているという。あの「わかっていてくれる」というフレーズの掛けあいを、宮本がチャボとやっているという……。このシチュエーションにはマジで涙が出た。じわりと。
この曲の最後のコーラスのあいだに、ヘルメットをかぶった泉谷しげる大先生が前振りもなしに、乱入気味のご登場~。次の曲はこの御大の名曲 『春夏秋冬』。ボーカルは全編、泉谷さん。宮本はコーラスのみ。
これもかなり意表をついていた。泉谷といえば『春夏秋冬』 なわけだけれど、ゲストとして歌うには、ワイルドな泉谷のイメージにそぐわない、おとなしい曲だし、今回はRCありきのイベントなので、この曲はないだろうと思っていた。
でもエレカシはあえてこの曲をやった。それもU2のボノ風な、とてもいま風のオルタナティヴなアレンジで。
泉谷は「てめえら、難しいアレンジにしやがって」と悪態をついていたけれど、あとで聞けば、あのアレンジはチャボも参加した泉谷のバンド、LOSER によるものだったらしい。でも、ああいうコンテンポラリーなアレンジをさらっとこなせるのも、蔦谷&ヒラマ両氏の存在あってこそだ。RCからスタートしていまに到る。そんなエレカシの現在位置がよくわかる、素晴らしい演奏だった。
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つづいてもう一曲、次も泉谷の『翼なき野郎ども』という曲。
この曲では、泉谷が「チャボには悪いが、俺がリードを弾かせてもらうぜ~」とかなんとか宣言して始まったにもかかわらず、ギターソロの前に宮本が勢いあまって「チャボ!」と叫ぶ失態(あとで宮本が「すいません、俺が「石クン!」とか言っちゃって」と言っていたけれど、僕には「チャボ!」と叫んだように聞こえた)。でもなぜかそのチャボは石くんにソロを弾けとうながし、恐縮気味に石くんが弾き始めるも、結局、泉谷がよこどりして……みたいないドタバタがあった。いやぁ、あれはおかしかった。
この次はふたたびRCナンバーに戻って、『チャンスは今夜』。アルバムではチャボがボーカルをとったこの曲を、この日はチャボ、泉谷、宮本とワン・コーラスずつボーカルをまわして演奏してみせた。最後はチャボ、石くん、ミッキーらギター陣によるアドリブ・セッション。
そう、このステージでとても感動的だったのが、ライヴが興に乗ってきたあたりから、チャボがさかんに石くんにソロを振っていたこと(一度はミッキーにまで!)。あの石くんがチャボとギター・バトルを繰り広げているってのは、宮本がRCを歌っているという事実に負けず劣らず、感動的なものがあった。
ここまでくると、もう終わりも間近。開演時刻が押したこともあって、この時点で時刻はすでに終演予定の9時を過ぎていた。やってもあと一曲だろうと思ったら、その最後の一曲はなんと。
『ガストロンジャー』!!!
まさかチャボと泉谷をまじえて、エレカシの曲で本編ラストを締めくくろうとは……。しかもそれが『ガストロンジャー』とは……。いやぁ、こりゃこたえられない。
この曲では泉谷がワンコーラスだけボーカルをとって、「俺たちが生まれたころの日本の放射能はいまの50倍だったんだよ! 負けるかバカ!」みたいな、らしくも最高なアドリブをかましてくれた(詳細は不確か)。泉谷しげる、アジテーターとしての面目躍如の感あり。
最初、セッションにチャボだけではなく泉谷も呼ぶと聞いたときには、いったいどうなるんだかさっぱりわからなかったけれど、いざ見てみたら、思いのほかハマった。シャイでユーモラスな反逆者という点でおおいに共通点がある宮本と泉谷さんだけに、まるで年の離れた先輩・後輩みたいな感じ。宮本も泉谷に恐縮しつつ、それでいて軽く茶々を入れてみせるようなところがあり、その絶妙のやりとりが非常におもしろかった。いやぁ、それにしてもステージで宮本があんなに小僧に見えたのは初めてだ。それだけでもむちゃくちゃ新鮮だった。
ということで、この曲を最後に本編は終了。みんな舞台袖に引っ込んで、あとはアンコールを待つだけ……と思ったら、ひとり泉谷先生が引っ込まない。「どうせまだやるんだから、こいつら待たせても仕方ねぇだろうよ!」と毒づいて、ひとり舞台で「牛乳飲みてぇ~」と『ラブ・ミー・テンダー』を歌いだす泉谷先生。やってくれます。
ということで、ほとんど待つことなく、ふたたびメンバーがステージに戻ってきて、いよいよこの日のラスト・ナンバー。もちろんそれはあの曲。(泉谷に催促された?)宮本の「オーケー、チャボ!」というひと言(思いだしても涙もの!)とともに始まったのは、もちろん『雨上がりの夜空に』だった。これ以上なにがいるだろう? 文句なしの大団円。
正直なところ、最初にエレカシがチャボと泉谷を招いてRCをやると聞いたときには、失礼ながら、それがどれだけうまくゆくのか疑問だった。これまでのエレカシは、あまりセッションとか得意そうなバンドじゃなかったから。
でも終わってみれば、これが大成功だった。エレカシとチャボと泉谷の相乗効果は絶大だった。呼んだほうも呼ばれたほうも、本当に楽しそうだったし、なにより双方に相手に対するリスペクトが感じられたのがよかった。なんだかこれを機に、またエレカシがひと皮むけて変わってゆくかもしれないなと。そんな風に思える点でも、かけがえのない一夜だった。
いやぁ、なんだかんだケチをつけはしたけれど、観ておいてよかった。ためらう僕の背中を押してくれたうちの奥さんに感謝。
(May 08, 2011)
ザ・ビートモーターズ
1st FULL ALBUM 「The First Cut is The Sweetest」発売記念「自由マン大接近ツアー」/2011年5月21日(土)/Shibuya WWW
初めてのライヴ・ハウスで、初めてのバンドを観た。スペイン坂を登りきったところ、渋谷パルコ・パート3のとなり(昔は映画館だったところらしい)にできた新しいライヴハウス、WWW でのザ・ビートモーターズのワンマン・ライヴ。
ビートモーターズをきわめて安直に表現するのを許してもらえば、エレカシ宮本ばりのボーカリストを前面に立てて、真心ブラザーズや奥田民生を思い出させる曲をやる、RC直系バンド。要素的に新しいところはこれといってない。
ただ、ボーカルの秋葉正志という人の声量は、掛け値なしにすごい。CDで聴いてもすごいけれど、生だと、なんだか大声コンテストを2時間ぶっつづけで観ているみたい。まるで声帯の限界に挑んでいるかのよう。
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エレカシの宮本もすごいけれど、彼の場合はある程度、緩急をつけている。でも秋葉くんの場合、それがない。宮本が必要なところで爆発する人(もしくは必然性があって爆発している人)だとすると、秋葉くんはわけもなく終始炸裂しっぱなしって感じ。
まあ、たまにはファルセット・ヴォイスを聴かせる 『恋をしている』 のようなかわいい曲もあるけれど、基本的にアッパーな曲はすべて全開な印象。バンドの演奏もそんな彼を引きたてて迷いなし。60~70年代風の王道ロック路線をたたひたすら驀進する。そういう意味では、豪快さはエレカシ以上だった。会場が狭かったためもあり、ひさしぶりにその夜は、寝るまで耳が遠かった。
とにかくものすごい迫力のあるボーカリストが、けっこう平凡な恋の歌を──古典的なRCタイプの王道ロックンロールを──、ド級の迫力でがなりたてる。ステージ・パフォーマンスも(ザ・フーの真似をしたりとか)、いかにも往年のロックへの憧憬があきらか。でも見た目は平凡でルックスはいまいち(失礼)という。その辺のミスマッチがこのバンドの個性だと思った。とにかくわかりやすい。そこが強みでもあり、弱みでもあるという気がする。
まあ、まだあまり売れてないのか、ライブハウスの規模のわりには、それほど客が入っていなかったから(おかげでやたらと前のほうで観てしまった)、この先どうなるかもわからないけれど、少なくてもこの日のライヴはとても楽しかった。
エレカシと比べると楽曲にメッセージ性があまりないので──というか、『ジェット先生』なんか皆無だ(いい曲だけど)──、そこんところはものたりない。ただ、逆に下手にメッセージをひけらかさない分、その純然たるロックンルール志向には嫌みがなくて好感が持てる。とくに生で観る 『素晴らしいね』 のヘビーなパフォーマンスは圧巻だった。あの一曲だけでも観ておく価値が十分にあると思う。
このバンドは機会があれば、いずれまた観たい。
(May 29, 2011)
エレファントカシマシ
Concert Tour 2011 “悪魔のささやき~そして、心に火を灯す旅~”/2011年6月18日(土)/TOKYO DOME CITY HALL
最新作 『悪魔のささやき~そして、心に火を灯す旅~』 をタイトルにかかげたエレカシの最新ツアー、そのとりを飾る東京2デイズの初日。
最新アルバムのお披露目ツアーといいながら、今回のコンサートはいつもより新鮮味が薄かった。なんたってアルバムが出てからすでに半年以上が経過している上に、僕らはその間にすでに2度──武道館と JAPAN JAM──彼らのライヴを観ている。なおかつ、正月の武道館では最新作の全曲を聴かせてもらっている。おかげでいつものツアーのように、「いよいよ、あの新曲を生で聴ける!」というわくわく感はなかった。
そもそも、このライヴの前にわが家に残っているチケットの半券を数えたうちの奥さんの話によると、今回は僕らにとって推定84回目のエレカシのライヴなのだとか。それだけ観てくれば、さすがに新鮮さも薄れる。
まあ、それでも彼女のようにエレカシが生で観られる!ってだけで興奮できちゃうのが本物のファンなのかもしれないけど、さすがに四十すぎの男はいつまでもそんな風ではいられない。それでもまわりと比べれば、僕はこの年の割には、いたって多くのことに過剰反応を示しているほうだと思う。もうちょっと落ち着けよと、われながら思う。
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まあ、なんにしろそんなわけで、今回のライヴは始まるまでは若干新鮮味を欠く印象だった。とはいえ、始まってみればそこはそれ。新譜の全曲を中心にすえ、 『悲しみの果て』 や 『珍奇男』 のような定番曲や、 『どこへ』 や 『ロック屋(五月雨東京)』 などといった意外性のある選曲をからめた本編のセットリストは、まったく不満など感じさせないものだった。蔦谷・ヒラマの両氏を加えたエレカシ・プラス──とかなんとか宮本が自己紹介していた(「エレファントカシマシS」でしたっけ?)──の演奏もますますの充実ぶり。
『どこへ』 は、オリジナルよりややスピードのあるソリッドなアレンジに変更されていて、これがまたよかった。『五月雨東京』──宮本が梅雨の歌だと紹介していた──などは、それこそめったに聴けないレア・ナンバーだから、聴けただけで満足。そういや 『赤き空よ』 もアコギが中心の新しいアレンジになっていた。新作の曲をいきなりアレンジし直すなんてのも、かつてのエレカシではなかったことだ。
まあ、本編ではその過半数が新作からの曲という部分で、エンディング近くになってもまだ完全には盛りあがり切らない感があったのだけれど、ラスト一曲前の 『幸せよ、この指にとまれ』 のあと、SE 『朝』 から 『悪魔メフィスト』 という、アルバムと同じ流れのエンディングがやはり強烈だった。この一曲であっという間に沸点に達した感あり。いやぁ、やっぱ 『悪魔メフィスト』 はよい。
とはいえ、この日のクライマックスはここから先のアンコールにこそあった。『パワー・イン・ザ・ワールド』――いまの時事に絡めて意訳すると「世界に電力を」――から始まって、2度のアンコールで 『俺たちの明日』 『ガストロンジャー』 『花男』 とつづけて大団円を迎えるまで、硬軟とりまぜた名曲ばかり9曲を披露。この日のアンコールはマジ鉄壁だった。
なかでも個人的にもっともよかったのが、一度目のアンコールの途中で演奏された 『starting over』──といいつつ、じつは僕はこの曲のタイトルがどうしても思い出せなかったんだけれど(アルバム・タイトルにもなっているのに。面目なし)。ひさびさに同期もの入りで聴かせる、ゆったりとした大きなうねりのあるグルーヴが最高に気持ちよかった。こんないい曲のタイトルを忘れるたぁ、まったくなってねぇと思う。
あの日以来、僕は何度となくこの曲を聴きかえしながら、日々を過ごしている。
(Jun 30, 2011)
佐野元春
佐野元春30周年アニバーサリーツアー・ファイナル "All Flowers In Time" TOKYO/2011年6月19日(日)/東京国際フォーラム・ホールA
アニバーサリー・ライヴは
まさにそういうコンサートだったと思う。佐野元春デビュー30周年アニバーサリー・ツアーのファイナル。東京2デイズの最終日。
この公演、僕らは当初、震災の翌日に予定されていた東京の初日を観にゆく予定だった。ところが震災のために延期となったその代替日が、ついてないことにエレカシのライヴと重なってしまう。なので、最初のチケットは泣く泣くキャンセル。それでも30周年記念ということで諦めきれないうちの奥さんが、その後に発表されたキャンセル分の先行予約に申し込んでみたところ、この最終日のチケットがあっさりとゲットできてしまった。ベテラン・アーティストのファンって、若い子とちがって腰が重いので、比較的チケットが取りやすい気がする。なんにしろ、ラッキーでした。ま、それはさておき。
この日のザ・ホーボー・キング・バンドは、ドラム:古田たかし、ベース:井上富雄、キーボード:ドクター・キョン、ギター:長田進、パーカッション:大井洋輔、サックス:山本拓夫、トランペット:佐々木史郎という七人編成。
古田さんと長田さんがいる時点で、ホーボー・キング・バンドとハートランドの混合チームみたいな編成になっていて、古くからのファンはそれだけでもこたえられないだろうなと思う。さらに途中からはホーボー・キング・バンドの初代ギタリストだったという佐橋佳幸が登場して、アニバーサリーに花を添える(この人は松たか子の旦那さんだそうですね。わずか
コンサートはこのバンドのインスト演奏でスタート。会場の空気が暖まったところで、おなじみの赤いテレキャスターをぶら下げた佐野元春が登場~。一曲目は 『君をさがしにゆく』、さらに 『ハッピーマン』 『ガラスのジェネレーション』 とつづく。
いきなり初期の名曲を連発して、場内を興奮の渦に巻き込んだと思ったら、そこから先は早くもビジターズ・コーナー! 当時を思い出させるソリッドな演奏で、『トゥナイト』 『カム・シャイニング』 『コンプリケーション・シェイクダウン』、おまけに 『99ブルース』 を聞かせる。
自らのキャリアを振り返るように、時系列で曲を紹介してきたのはここまでで、このあとに 『欲望』──スケールの大きな演奏が圧巻だった──と 『ナポレオン・フィッシュと泳ぐ日』 を挟んで、佐野さん自身が自画自賛する最新作のセルフ・カバー・アルバム、『月と専制君主』 のコーナーに突入(このコーナーの途中にインスト曲が挟まれ、そこで佐橋さん登場)。
個人的には、大好きな 『ヤングブラッズ』 がこのコーナーで取り上げられてしまった(つまり新アレンジだった)のがやや残念だったけれど、この曲に関しては、半年前にコヨーテ・バンドのいかした演奏を聴かせてもらっているので、まあよし。というか、そもそもコアなファンは新しいアレンジで聴けて嬉しかったかもしれないし。そういう意味では、前回はアコギ弾き語りだった 『ヤング・フォーエバー』 が今回はちゃんとバンド・アレンジに戻っていた点など、その辺もちゃんとファン・サービスを考えていることを感じさせた。
【SET LIST】
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この先、比較的あたらしめの2曲── 『観覧車の夜』 と 『君を連れてゆく』 (恐縮ながら前者はタイトルをおぼえてませんでした)──を挟んで、ライヴはいよいよ怒涛の終盤戦へ──。
まずは大作 『ロックンロール・ナイト』。初期のスプリングスティーンのスタイルを、ものの見事に日本語ロックに引用してみせたこの曲では、サックスの山本拓夫氏の熱演もあって、前日に届いたクラレンス・クレモンスの訃報を思い出さずにはいられなかった。
そのあとにつづくのは、 『約束の橋』 『ヤング・フォーエバー』 『ニュー・エイジ』 『新しい航海』、そして 『サムデイ』。曲名がすべてを物語るって感じの、これぞ佐野元春という王道ナンバー連発。これで盛りあがらなかったらどうかしているという、鉄壁のセットリスト。
で、当然、『サムデイ』 で本編終了なのだろうと思っていたら、この日はそのあとにもう一曲ある。「東北からこのコンサートに足を運んでくれたファンの人がいます。一緒にとことん楽しみましょう」というようなMCのあとに演奏された本編のラスト・ナンバーは 『悲しきレイディオ』。
いやぁ、この曲ですごかったのは、ステージと客席の一体感。曲の後半からロックンロール・メドレーに突入するのだけれど、その要所要所、曲の変わり目の部分で、きちんとオーディエンスの合いの手が入る。なじみのない僕は「メドレーなのに、なんで次の曲がわかるの?」とびっくりすることに。もしかして僕はこの広い会場にいる、佐野元春ファンではないたったひとりの人間なんじゃないかって気がするくらいだった(ちょっと疎外感)。いやぁ、すごかった。やっぱこの日のクライマックスはこの曲。
アンコールは 『アンジェリーナ』 ただ一曲。そのあとで用意してあった感謝のコメントを読みあげ(この辺も佐野さんらしい)、裏方のスタッフひとりひとりを紹介して拍手を送り、この日のコンサートは幕となった。終演後もさらなるアンコールを求める手拍子がつづいていたけれど、さすがにこの局面で『アンジェリーナ』のあとになにかやったら、それは蛇足ってもんでしょう。
いやぁ、それにしても初期のポップ・チューンから『ビジターズ』のヒップホップ・サウンドを経て、新譜のアコースティック・サウンドにスプリングスティーン調のロック・バラッドまで、あらゆる音楽スタイルに対応できるホーボー・キング・バンドもすごいったらない。佐野さんのボーカルもずいぶんと伸びやかだったし、熟練の技と変わらぬ初々しさが同居した、とても素晴らしいコンサートだった。3時間に及ぶ熱演に感謝。
(Jul 04, 2011)
RADWIMPS
絶対延命ツアー/2011年6月30日/Zepp Tokyo
暑さに負けて怠けまくっているうちに、すでに一ヵ月以上前の話になってしまったけれど、念願かなってラッドウィンプスをライブ・ハウスで観ることができた。
ま、ライブ・ハウスと言っても、場所は国内最大級の Zepp Tokyo。それでもこれまでの2回がマリン・スタジアムと幕張メッセだったのを考えれば、規模の違いはあきらかだ。若者とため張って前へ行くのもなんだと思って、一番うしろのほうで観ていたのだけれど、オーディエンスに女の子が多いこともあり、視界はそれなりに良好だった。
そうそう、少なくても去年ボブ・ディランを観たときとは大違い。観ていた場所は同じあたりだと思うのだけれど、あんときはなんであんなにステージが見えなかったんだろうと不思議になってしまうくらい、この日は快適だった。そもそも混み具合が違った。ボブ・ディランのときは超満員だったもんなぁ。ありゃじつは定員オーバーだったんじゃないかと、いまさらながら思ったりした。……ってやや脱線。
開演前のステージは白い垂れ幕で覆い隠されていた。垂れ幕といってもきちんとしたものではなく、白い木綿の布が中央を頂点に、山なりにだらしなくステージを隠している感じ。今回のツアーの「絶対延命」というタイトルや赤十字をあしらったロゴのデザインからするに、包帯をイメージしたのかもしれない。
で、場内が暗くなるととともに、この幕が落ちていざ開演!──となるのかと思ったら、そうならない。オープニング・ナンバーの『億万笑者』(!)が始まっても、ステージは隠されたまま。うしろからのライトを浴びて、その布の上に演奏するメンバーたちのシルエットが浮かび上がる。
ステージの左右には液晶モニターが6個ずつ、2列3行の並びで雑然と並んでいた。そこにまばゆいCG映像が映し出されるなか、影絵のようなシルエットのみの演奏がつづく。スタイリッシュではあるけれど、じかにメンバーの姿が見られないところがもどかしい。結局、一曲目はそのままで終了。曲が終わるとともに幕が落ちて、ようやくラッドウィンプスのメンバーが姿をあらわした。
そうそう、そういや前回のツアーを幕張で観たときにも、最初の2、3曲は大型スクリーンが消えたままで、遠いステージに立つメンバーの姿は、肉眼では豆粒ほどの大きさでしか確認できず、もどかしい思いをしたんだった。なぜかこのバンドは、「彼らの姿を生で見たい」と思っているオーディエンスの気持ちをはぐらかすような性癖があるみたいだ。よく取ればシャイ、悪く取れば、ちょっとばかり他人行儀な感じがする。
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そういう傾向は本編のエンディングにもあった。ラスト・ナンバー『救世主』ではライトはほぼすべて消えたまま。真っ暗なステージの後方に配置された大小3つのスクリーンと左右6台ずつのモニターに、静かにろうそくを灯す映像が映し出され、その数がすこしずつ増えてゆく。祈りに火を灯すような演出は、厳かで感動的だった。それでもやはりメンバーの顔が見えない点で、一抹のもの淋しさを感じずにはいられなかった。
まあ、とはいえ、どちらもライブの演出としてはスタイリッシュで、気が効いている。そのほかにもライブ・ハウスではあまり見ない(少なくても僕は見ない)たぐいの凝った演出が施されていて、見ていて刺激の多いステージだった。いつぞやのレディオヘッドを思い出させるきらびやかなライティングは、ふだんエレカシの飾り気のないステージばかり観ている僕にはとても新鮮だった。
セットリストはアルバム『絶体絶命』の曲を中心に──『グラウンドゼロ』と『ものもらい』が演奏されなかった──、『トレモロ』、『ふたりぼっち』、『いいんですか?』のような代表曲を適度にあしらったもの。演奏も文句なしの充実ぶりだった。
新作では部分的にキーボードがフィーチャーされていたので、サポート・メンバーが入るのかと思っていたら、今回もステージはメンバー四人のみだった。で、キーボードはなんと野田くんが弾いていた。それもけっこう堂々たる弾きっぷりで、ソロまでかましちゃったりするのだから驚く。前回はドラムをたたいて驚かせてくれたと思ったら、今回はキーボードだもん。ほんと、この人の音楽的才能は計り知れない。
震災のあとということで、野田くんは『明日に架ける橋』を弾き語りで披露してくれもたりもした。歌もギターも決して名演とまでは思わなかったけれど、それでも子供のようにか細い彼の歌声はとても切実で心に染みた。おかげで後日、僕はこの曲の入ったサイモン&ガーファンクルのアルバムを買ってしまったくらい。
『救世主』で本編が終わり、アンコールを待つあいだには、オーディエンスによる恒例の『もしも』の大合唱があった。前回の幕張とはちがって狭い分、すんごい一体感のある女の子たちのコーラスが場内に広がる(男の子も歌っているのかもしれないけれど、聴こえてくるのは女の子の声ばかり)。
すごいなーと単純に感心して聞いていたのだけれど、でも驚いたのは、これがメンバーがステージに再登場しても終わらなかったこと。アンコールのために出てきたアーティストを無視して、ワン・コーラスきちんと歌い終えたところでようやく拍手って……。それなんか、間違ってないですか? アーティストが出てきた時点で歌うのやめるだろう、ふつう。君たちちょっとおかしいぞって、言いたくなってしまいました。
この日のアンコールはただ一曲、『狭心症』のみ。ふつうだったら一曲だけではもの足りなく思うところだけれど、この曲をやってくれたならそれだけでもう十分。あまりに重すぎる曲ゆえに演奏しないかと思っていたので、あえて最後にこの曲を聴かせてくれたことに感謝したい。
当然、この曲ではそれまでのような演出は皆無だった。シンプルなライティングの下、ひたすら重い言葉を重量感のあるサウンドで響かせて、この日のライブは終了した。そして、僕はひとりきり、この曲の余韻に浸りつつ、家路についた。ライブのあとでこんなにヘビーな気分になったのは、エピック時代のエレカシ以来じゃないかと思いながら。
(Aug 14, 2011)
スピッツ
SPITZ Jamboree Tour 2011 “とげマリーナ”/2011年7月2日(土)/さいたまスーパーアリーナ
これも一ヵ月半遅れになってしまった。ニューアルバム『とげまる』をひっさげてのスピッツのさいたまスーパーアリーナ公演、「とげマリーナ」。
この日のチケットは公演の一週間前になって、うちの奥さんの友人が行けなくなったということで、突然まわってきたもの。ひとつ前のラッドウィンプスのわずか二日後だったし、どうしようかなと思ったんだけれど、これもなにかの縁だろうし、観ておこうって気になった。
というのも、僕がスピッツを聴くようになったのは92年のサード・アルバム『惑星のかけら』からだから、気がつけば今年でちょうど20年目なのだった(あまりちゃんと聴けてないけど)。節目にあたって、チケットがまわってくるってのも、なにかの縁だろう。ということで、今回、初めて彼らのステージを生で観ることになった。
いやしかし、生で観てもスピッツはやっぱりスピッツだった。なんだか、これくらい音楽的にイメージ通りってライブも珍しい気がした。
これまで僕が彼らを生で観たいと思わないできたのは、そのバンド・サウンドがあまりに平均的で突出したところがなく、生で聴いたときのプラス・アルファがほとんどなさそうな気がしたからだったのだけれど、そこんところはまさに予想通り。メンバー4人にクジさんという女性キーボード奏者を加えた5人編成のバンド・サウンドは、CDで聴ける音と同じよう。大きすぎず小さすぎず、コンパクトにまとまっていて、正直なところもの足りなかった。
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ただ、何曲か聴いているうちに、なんの変哲もないその中庸なるバンド・サウンドがだんだんと気にならなくなってくる──というか、草野マサムネの歌の世界に引き込まれて、気持ちよくなってくる。下手にサウンドに凝ってない分、歌そのものをとことん堪能できる。2時間以上やってなお、汗ひとつかかいてないんじゃないかという草野くんの涼しげな歌声とカジュアルな歌の世界に包まれているのが、やたらと気持ちよかった。あぁ、こういうのも悪くないじゃんと思った。
ふだんからオルタナティヴ・ロックを聴いていると、スピッツとかサザンの音にはもの足りなさを覚えないではいられないのだけれど、それでも彼らの楽曲のグレードの高さ、そのメロディのよさや歌詞の素晴らしさには否定できないものがあるわけで。そういう歌をじっくりと生で聴けるってのは、それはそれで気持ちのいいもんだなあと。あらためてそんな当たり前のことに気づいたというか。
あと、スピッツの場合、ほかの例は思いつかないくらい、すべての曲が似通っている。よくいえば一貫性があるし、悪くいえば変わり映えしない。サザンの曲も同じような傾向があるけれど、それでも桑田さんの場合、アッパーな歌謡曲風や切ないバラードなど、何種類かのパターンを使い分けている。でも草野くんの場合、そういうのがない。微妙なさじ加減の違いはあるにしろ、どのアルバムも一貫してずっと草野節。で、そこにそれこそ20年分のストックがある。
これを2時間以上、延々と聴いているってのには、ほかにはない不思議な陶酔感があった。最初のうちはもの足りないと思っていたその音も、終盤にはまるで気にならないどころか、かえって気持ちよくなってさえいた。この感覚はおそらく、フェスなんかでの1時間足らずのステージでは味わえない。
そういう意味で、今回ワンマンでフル・ボリュームのスピッツを見られて本当によかったと思う。そーかー、バンドとしてこういう持ってゆき方もあるのと、ちょっとばかり目からウロコでした。思いのほか草野くん以外のキャラも立っているし──そういやMCのたびに場内の照明がすべて付くのも珍しかった──、本編も新しめの曲ばっかりできっちり締めてみせるし、いやぁスピッツ、ある意味ライブ・バンドとしてすごいかもしれない。機会があればいずれまたぜひ観たいと思う。
(Aug 15, 2011)
エレファントカシマシ
野音2011/2011年9月17日(土)/日比谷野外大音楽堂
去年につづき2年連続でファン・クラブの抽選に落選。今年もうちの奥さんのコネを頼っての立ち見となった恒例のエレカシ野音。
それにしても、今年の野音は渋かった。初めの方で宮本が「頭を使って選曲を考えてきました」みたいなことを言っていたけれど、ほんと本編のセットリストは激渋だった。
オープニングが 『歴史』 ってのがまず僕らが観てきた限り、過去にはなかったようだし(って記憶があいまい)、つづく 『孤独な旅人』 もひさしぶり。3曲目で早くも 『悲しみの果て』 ってパターンこそ、ここんところけっこうある感じだけれど、この日はそこから先がすごかった。
なんたって 『ふわふわ』 に 『勉強オレ』 に 『無事なる男』 ですもん。どれも超レア。とくに「俺と石くんのギターを聞いてください」とかいって始まった 『勉強オレ』 は僕のエレカシ・フェイバリット・ナンバーのひとつだけに感慨ひとしお(地味だけど)。『無事なる男』 もいつ以来だかわからないくらいにひさしぶりで嬉しかった(しかも妙に演奏がかわいい)。
この日はここまで4人編成で、このあとの 『太陽の季節』 (これも大好き)から蔦谷・ヒラマの両人が参加。さらに驚かしたのが、 『うれしけりゃとんでゆけよ』 (これもひっさしぶり)を挟んだ、そのあとのコーナー。宮本弾き語りの 『月夜の散歩』 で、その他のメンバー全員がステージから引っ込んでしまったのだった。
エレカシのライブを観るようになって20年以上になるけれど、ステージに宮本ひとりしかいないってのは、僕の記憶にある限り、これが初めてですよ。おいおい。昔から弾き語りする宮本のうしろで、メンバーが手持ちぶさたに突っ立っているのを見るたび、どうせならば引っ込んじゃえばいいのに思ってきた僕としては、ようやくその思いが伝わったようで、とても嬉しかった。バックのメンバーの居心地悪そうな姿を見ないで済んだ分、宮本の歌にも集中できたし。やっぱこうでないと。
そういや、そうやってステージでひとりきりになったからだろう、この日はもう1曲、 『サラリサラサラリ』 も弾き語りで披露してくれた(いや、もしかしたら2曲つづけて演奏したかったからこそ、メンバーを下げたのかもしれない)。宮本の弾き語りが2曲つづくのも初めてならば、レコーディング作品としてはバンド・アレンジの曲を宮本が弾き語りで聴かせてくれたのもおそらく初めてだと思う。いやー、レア・ナンバーのオンパレード。今年も野音はやっぱすごい。
(※追記:この前に書いたこと、嘘でした。昔の映像を観ていたら、99年の武道館でメンバーを引っ込めて弾き語りをしていた。バンドの曲も歌っていた。ほかにも何度かやっているのかもしれない。なんとも記憶力のない男だった。とほほ……)
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その後も 『ラスト・ゲーム』 とか 『Tonight!』 とか。なんでその曲?と思ってしまうような地味なる名演を繰り広げ、さらには秋にちなんで、10年前、同時多発テロの直後にニューヨークに行ってレコーディングした思い出の曲だといって、 『秋-さらば遠い夢よ-』 なんかやってくれて(僕は不覚にもタイトルが出なかった)。つづけて同じニューヨーク・レコーディングの隠れた名曲 『ハロー New York!』 を同期モノありでぶちかます。この辺では、9.11から10年という節目を意識していたのは間違いないと思う。
そうそう、宮本のニューヨーク日記たるこの曲、英語が伝わらない苦悩(?)を描いた「アメリカンクラブ・サンドイッチ来ないイエー」というフレーズで、僕の斜めすこし前にいた女の子たちの爆笑を誘ってました。ほんと、コミカルで切実な名曲。
そういや、最近はバンド全体の音があまりラウド出ない分、メッセージの伝わり具合は抜群だ。ライブでもきちんと歌の意味が伝わるバンドということでは、現在日本一なんではないかと思ったりする(贔屓目?)。ま、10年前でもすでに声域的にいっぱいいっぱいの曲だったので、さすがにここでのボーカルはやたらと苦しそうだったけれども。
本編も終盤にさしかかったそのあと 『風に吹かれて』 から先は、さすがに激渋路線から離れ、メジャー志向の曲を並べてみせた。とくに 『明日への記憶』 と 『新しい季節へキミと』 では、それまでと空気が違う気がした。あきらかに曲の持つ雰囲気が明るい。ユニヴァーサル移籍後のエレカシには、それまでにない風通りのよさがある。ま、そこにもの足りなさを感じてしまう僕がいるのは、正直なところ否めないんだけれど。それでも、この日はそれらの曲での宮本のボーカルが、あまりかしこまっていなくて、勢いまかせな乱暴な感じがあって、とてもよかった。
なんにしろ、終盤のその2曲(とその前の 『翳りゆく部屋』 )が浮いてしまうほど、この日の野音は激渋だった。そしてそんな今年の本編を締めくれた驚きの一曲が 『男は行く』 。この曲ではふたたびメンバー4人だけに戻って、昔ながらの暴れん坊ぶりを発揮してみせてくれた。初めて観たエレカシのライブが 『生活』 のときの野音だった僕にとって、野音がこの曲で終わるってのには、それだけでもうなんとも言えないものがあった。くぅ……。
ということで、僕個人としては、ここで終わってくれても文句なしだったのだけれど、もちろん、そのあとにもたっぷりとアンコールがある。それも 『武蔵野』、 『生命賛歌』 から始まって(これまたどちらも僕のマイ・フェイバリット・ナンバー!)、新旧とりまぜた、これぞという代表曲ばかりで計3回という鉄板な内容。とくに2度目のアンコールで披露された 『笑顔の未来へ』 では、震災のあとだけに、「あなたを連れてゆくよ、笑顔の未来へ」という超ポジティブなメッセージに心を打たれて、思わず涙腺がゆるんだ。
いちばん最後の 『今宵の月のように』 にしても、その前(なんたって 『ファイティングマン』 だ)でやめても誰も文句を言わないだろうに、ふらふらになりながらも、わざわざ出てきて演奏してくれたその心意気に感動した。あんなふらふらな宮本は見たことがない。同い年だけに全力を振り絞り切ったあとって感じのその姿は、ひたすら切実だった。
いやぁ、というわけで、今年もやはり野音は格別だった。震災やらなんやら、公私ともにいろいろあって、最近はこの先あと何回エレカシの野音を観られるのかわからないと思うようになってしまったけれど、観られるかぎりはその一度一度をきちんと心に刻んで日々の糧とし、精一杯生きてゆかないといけないと思う。感謝。
(Sep 19, 2011)
東京事変
Live Tour 2011 Discovery/2011年12月1日(木)/東京国際フォーラム・ホールA
アルバム5枚目にしてようやくワンマン・ライブを観ることができました。東京事変の『Live Tour 2011 Discovery』@東京国際フォーラム・ホールA。
しかし、観るには観られたものの、席はよくなかった。なんたって二階席のいちばんうしろのひとつ前。いわばステージからもっとも遠い場所。
東京国際フォーラムは上へ上へと長い構造なので、席にたどり着くだけでも大変だったし、なにより音がよくなかった。二階席は天井が低く、ボックス型に奥まったところに席があるから、音がストレートに届いてこない感じ。音の分離が悪く、ボーカルもその音響の悪さの中に埋もれてしまっていた。この席、クラシックの繊細な音ならば大丈夫なのかもしれないけれど、ロックの大音量にはバツじゃなかろうか。
演出面でも、ステージが遠いものだから、林檎さんが何度もお色直しをしているのに、どんな衣装なのか、色味以外はよくわからない。こんなことだったら、武道館とか、ステージとのあいだに障害物のない、大型スクリーンの用意される大規模な会場のほうがいいんじゃないかと思ってしまった。
ということで、席はいまいちだったけれども、それでも生で聴くロック・ミュージックには、そこでしか味わえない喜びがある。とくに東京事変の場合、日本のロック・バンドにしては珍しく、全編にわたって演出がきっちりと行き届いているので、これはその場で直接体験している人にしかわからないなぁ……と思わずにはいられない楽しさがあった。
僕はこのライブの前に『スポーツ』のツアー映像を観ていて、「東京事変って、ものすごく動きの少ないバンドだなぁ」と思っていた。主役の椎名林檎がビートに乗って自然体でステップを踏む、というような場面がほとんどない。『OSCA』などではメガホン片手にステージを闊歩したりもするけれど、それにしたってそういう曲で、そういう演出だからという感じ。とにかく、基本的にメンバーは持ち場を離れない。宮本がステージ狭しと動きまわるエレカシや、つねに音楽にあわせて身体を揺すっているCoccoとはぜんぜんスタンスが違う。
だから映像ソフトでそのライブを疑似体験している限りでは、僕は東京事変のライブがどれくらいおもしろいものなのか、よくわかっていなかった。これくらい動きの少ないバンドって、生で観てどうなんだろうと、やや疑問に思っていた。
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ところが、実際に生で体験した東京事変のライブは、その音響の悪さを差し引いてもおつりがくるくらい、おもしろいものだった。
いや、動きのなさという点では、ソフトで観たときとおそらくあまり変わっていなかったと思う。序盤の何曲かは、林檎さんは横向きの姿勢でポーズを取ったまま、ほとんど動いていなかったと思うし。
それでもそんな彼女の動きのなさは、あくまでライブとしての演出あってのことだというのが、生で観ているとわかる。一曲ごとにしっかりとしたコンセプトのもとで演出がなされていて、セットや映像やライティングが変わるので、その目まぐるしさゆえに彼女たちの動きのなさは、まったく気にならならないのだった。カメラで切り取られた映像だけでは伝わらない視覚的な豊かさが東京事変のライブにはあった。通常のロック・バンドのライブとは違った、一個のエンターテイメントとしての完成度の高さがあった、といえばいいのか。
そうした演出で中で感心したもののひとつは、ステージ最前方に配されて、ステージ全体をおおう半透明のスクリーン。そこに映る映像をすかして、そのうしろにいるメンバーが透けて見える。一曲目の『天国へようこそ』(アルバム・バージョン)では隕石が落下してきて地面で炸裂するという映像がそこに延々と映し出されていた。普通にスクリーンがステージの背景に配されていたら、僕らのような席の観客には映像が見えない可能性もあるし、映像と演奏がバーチャルなイメージで一体化する点で、演劇的な演出を好む東京事変にとってはどんぴしゃな舞台設計だった。
あと、なんといっても目を引いたのは、ライブの中盤から登場した(それとも最初から置いてあったんでしょうか)ブロードウェイ・ミュージカル風の階段状のセット。派手な電飾をあしらったこの階段をつかった演出が、さっきいった東京事変の動きのなさを補って、今回のツアーをとても豪華なものにしていた。
まぁ、そうした演出が冴えるのも、バンドの卓越した演奏力があってこそ。この舞台セットを生かした『女の子は誰でも』では、わずか四人でしっかりとビッグ・バンド風の味わいを出してみせていたし。一方で、序盤に林檎さんがアコギを弾きながら聴かせてくれた『カーネーション』のアコースティック・アレンジなども新鮮。『能動的三分間』で3分をカウントダウンしてジャストで終えて見せる演出も、生だとなおさらインパクトがある。
あと、なにより東京事変は一個のロック・バンドなんだよな、と今回このライブで改めて思った。僕はソングライターとしての林檎嬢に惚れこむあまり、英語の歌詞が増えたりで、なにを歌っているかよくわからなくなってしまった東京事変以降には、以前ほどの思い入れができないでいるのだけれど、このライブのために旧譜を聴き返していて、そのバンド・サウンドが思いのほかアグレッシブなことに、いまさら感銘を受けたりしたのだった。なので、アッパーなナンバーを並べてたたみ掛ける終盤の構成は、そこら辺の魅力が全開で最高だった。ちなみにそのパートで演奏された『絶対値対相対値』は、最近の僕のヘビーローテーションのひとつ。
本編ラストに、持ち歌の中でもっとも明るい『21世紀宇宙の子』と『閃光少女』をつなげてみせたところとか、終わり方としては完璧だと思ったし、新曲『恋はから騒ぎ』を含めたアンコールも文句なし。とくに『群青日和』のボーカルは、アンコールとは思えないくらいに声が出ていて素晴らしかった。やはり椎名林檎はすごかった。
とにかく全編にわたって、無駄な時間はゼロ。曲間のつなぎにまで細やかに気が配られた、見事なコンサートだった。このあとにつづけて観たバンプ・オブ・チキンやリンゴ・デススターが曲間に間のわるさを感じさせたのとは対照的。まさにプロフェッショナルなそのバンドの姿勢には、いたく感銘を受けました。
そうそう、そういや東京事変はファンもよかった。二十代の女性が中心の落ち着いた客層に見えたので、二階席のいちばんうしろだし、まわりは立たないかもと思っていたのに、ライブが始まるや否や、全員総立ち。で、ものすごい歓声。椎名林檎の十周年ライブ以来の定番となったらしい手旗を振っている人も多数(今回は黄緑色)。あれがあるために、ほかのアーティストのライブとは若干違った乗りになっているところもおもしろかった。あの手旗、僕も土産にちょっと欲しくなった(でも購買の行列に並ぶこらえ性がない男)。
なにはともあれ、いい演奏、いい演出、いい観客と、三拍子そろった素敵なコンサートでした。東京事変、ぜひまた観たい。でも、次はいつまた観られるのやら。
(Dec 25, 2011)
BUMP OF CHICKEN
GOOD GLIDER TOUR 2011-12/2011年12月5日(月)/SHIBUYA-AX
バンプ・オブ・チキン、三度目にして初めて、念願のライブハウス・ツアーに参加!
これまではどうしてもチケットが取れず、幕張メッセで観るのが精いっぱいだったのに、今回は訳あって、いきなりツアー初日のSHUBUYA-AXのチケットが手に入ってしまった。こんな小さな箱でバンプが観られるってだけでも贅沢なのに、これにつづく来月のZepp Tokyoも、そのあとのメッセ、代々木も。これから来年の夏まで、バンプ三昧。まったく贅沢きわまりなし。
最初は一度のツアーをそんなに何回も観るなんて、ちょっと贅沢すぎるんじゃないかと思ったりしたんだったけれど、でもいざ観てみたら、そんなこと言ってられる内容じゃなかった。おいおい、これって一度観て満足なんて言えるシロモノじゃないでしょう。観終わったとたんに、一刻も早く次が観たくなる。そういうライブだったと思う。
だってさ、『HAPPY』も『魔法の料理』も『Smile』も『モーターサイクル』もなしだよ? 3年ぶりのツアーだというのに、その間に出たもっとも強力なシングル曲を聴かせてくれないって、そんなのなしでしょう~。とはいえ、じゃあその曲をやる代わりにどの曲かやめていいかと問われると、いいとは答えられないという……。どの曲も削って欲しくはないけれど、でもやっぱ俺は『HAPPY』も聴きたいぞ~。
とにかく、新作『COSMONAUT』を中心としたセットリストでありながら、それでいてあのアルバムの曲の半分近くが披露されていないという。でも、聴かせてもらえなかった曲も、いずれきっと別の日にはやるんだろうなと思わせるという点で、ファンとしてはとても心憎い内容なのだった。
さらに言うならば、ツアー前もぎりぎりまでレコーディングをしていたとのことで、このツアーのための練習が十分ではない感がとてもあった。具体的に言えば、序盤の新曲群が、『カルマ』あたりのナンバーに比べて、まだまだ演奏的にこなれていない感があったことも「もっと観たい」感をあおった。
これって、これからツアーがつづいてゆくに従って、どんどんよくなっていくんだろうなぁ……と思わせる余地が、この日のライブにはあった。この先、これらの楽曲がどんなふうに成長を遂げてゆくのか、気になって仕方ないぜ!――って、この日のステージを観たファンだったら多分、誰もがそう思ったんじゃないだろうか。くぅ、チケットそう簡単に手に入らないのに……。バンプ、意外と罪づくりかもしれない。
【SET LIST】
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まあ、なんにしろこの日のバンプのステージが観られた僕らは──そしてツアーの最終日にふたたび観られる僕らは──、この上なく幸運だったと思う。三十年間、飽きずにロックを聴きつづけてきたことに対する、どこぞの音楽の神様からのご褒美に違いない。
それにしても、やっぱりロックはこれくらいの規模の会場で観るのがいい。メッセのモニター越しに観るのとは臨場感が桁違い。僕はようやく一ロック・バンドとしてのバンプ・オブ・チキンをきちんと観ることができた気がしている。
このレベルの箱でバンプをみて、改めて思い知ったのは、藤原くんのボーカリストとしての素晴らしさ。もうその声でライブハウス全体を完全制覇している感あり。なんであの細い体から、あれだけの声が出るんだろう。すごいったらない。あの歌を生で聴いてしまうと、バンプのチケットが手に入らないのも当然だと思えてくる。
演奏に関しては、先に書いたとおり、新曲群についてはまだ改善の余地があると思った。でもそう思うのも、それ以前の曲があまりに素晴らしかったから。とくに『カルマ』にはぶっ飛んだ。バンドとしてのアンサンブルが完璧。しかも大音量のド迫力。失礼ながら、え~、こんなにすごい曲だったっけ?と思ってしまった。ありゃライブハウス・レベルのスケールの曲じゃないでしょう。
個人的にはこの曲がこの日のクライマックス。これがあまりによすぎたせいで、本編ラスト・ナンバーの『天体観測』やアンコールの『ガラスのブルース』など、初期のシンプルなアレンジの曲が霞んでしまった感さえあった。
そのほかだと、新曲では『ゼロ』のドラマチックでメランコリーあふれるメロディーがとても心に染みたし、「そこに君がいなかったこと~」から始まる『R.I.P.』の歌いだしには思わず涙をこぼしたりもした(ほんとに)。アンコールの一曲目が『Merry Christmas』というのも、この時期だからこそのスペシャルって感じで、とても貴重だった(この先、二度と生で聴くことがなさそう)。
とにかく最近のバンプの曲は1曲1曲が長いこともあって、2時間ちょいという公演時間もあっという間だった(ひとつ前の東京事変と公演時間はほぼ同じなのに、曲数が10曲近く少ないという……)。あいかわらず曲と曲の間に会場がしーんとしてしまう不思議な間の悪さがあるのが気になったけれど、まぁ、僕自身そんな静寂をもたらしているオーディエンスのひとりなのだから、なにをいわんや。藤原くんが(興奮して?)「朝5時半に起きてしまった」と語っていたように、バンドにもオーディエンスにも、ひさしぶりのツアーに対するワクワク感が、ツアー初日ならばこその初々しさが感じられる、とてもいいコンサートだったと思う。
いやぁ、次に観るときにこのツアーがどのように変貌を遂げているのか、とても楽しみだ。
(Dec 25, 2011)
ジョニー・フォーリナー&リンゴ・デススター
2011年12月15日(木)/KOENJI HIGH
ジョニー・フォーリナーとリンゴ・デススターは、ともに紅一点のベーシスト──それも可愛い──を擁するスリー・ピース・バンド。今回のイベントはおそらく、ただそれだけの理由で組まれたのだと思われる。だって、あまりそのほかには共通点がないから。
まぁ、基本ギターを中心に、人数が足りない部分を臨機応変にシーケンサーで補ったりする音作りの姿勢は近い。でも、似ているのはそれくらい。ジョニー・フォーリナーはパンキッシュで徹底的に陽性のインディー・ロックで、リンゴ・デススターは純正シューゲイザー。出身地だって、かたやイギリスで、かたやアメリカだ。普段から交流があるとは思えない。それを同時にブッキングしたのは、とにかく同じバンド編成の(あまり売れていない)新鋭インディー・バンドだから、というイージーな理由からなんだろう。
まあ、理由はともあれ、このふたつのバンドを一緒に観られるというのは、僕にとっては願ったり叶ったりだった。どちらにせよ、ワンマンだったら、このタイミングで観ようと思わなかった可能性大だから(最近は私生活が先行き不透明で、積極的にライブに行きたいとも思えなくなっている)。
ただ、残念なことにこの日のライブはどうにもこうにも音がよくなかった。僕にとってはそれがもうすべて、みたいな残念なコンサートになってしまった。
会場となった高円寺のHIGHというライブハウスは、規模的にアマチュア中心の会場のようで、PAがいまいちなのか、音の分離がとても悪かった。先発のジョニー・フォーリナーの演奏を聴いていて、このギターの聞えなさはなんなんだ?と思ってしまったくらい。たいした大音量ってわけでもないのに、なにを弾いているんだか、よくわからない。
先日の東京事変のように会場が広いのならばともかく、あの規模で――フロアの最後方からステージまで5メートルくらいしかなさそうだった――あの音響はないと思う。ステージ向かって右に位置していたベース・ボーカルのケリー嬢の声もよく聞こえなかった。彼女自身、モニターからの自分の声が聞こえないみたいで、とても歌いにくそうにしていた。
彼女の場合は、もしかしたら女性ゆえに声量に問題があるのかなと思ったりもしんたんだったが、つづくリンゴ・デススターでも、彼女と同じ場所に立ったボーカルのエリオットの声がよく聞こえなかったので、やはり本当にPAに問題があるんじゃないかと思う。
僕らの観ていた場所が悪かったというのならばともかく、ジョニー・フォーリナーのときはフロアのど真ん中にいたし──うしろで見るつもりでいたのに、早めについたら後続に押されて、やたらと前のほうに押し出されてしまった──、リンゴ・デススターのときはもっと下がったけれど、それでもPA卓の真ん前にいた。それでも音に不満を感じるんだから、どうかしている。
そうそう、このライブハウスのスピーカーは天井からぶら下がるスタイルだった。左右に三基ずつ、それなりの大きさのやつがぶら下がっているのだけれど、あれがよくないんじゃないかと素人考えで思ったりした。
ふつうにスピーカーがフロアに置いてあれば、アーティストを見つめる視線と同じ角度で音が正面からぶつかってくる。ところがここでは天井近くから斜めに下りてくる。だから小規模なわりには音が遠く感じられて、不自然に臨場感を欠いてしまうんではないかと思った。
あと、直接スピーカーがフロアに触れていないせいで、低音が足りないんじゃないだろうか。去年 The xx を観た代官山のUNITも同じような規模だったけれど、あのライブではジェイミーの鳴らす重低音に、まるで地響きをたてるかのような迫力があった。でも、こちらのライブハウスに The XX が出ても、あのときのような腹の底から揺すぶられるような体験はできそうにないなと思ってしまった。
とにもかくにも、この日のライブは音が悪かった。ジョニー・フォーリナーはそれでもそこそこ健闘して、大いに盛りあげてくれたけれど――1曲目でいきなりアレクセイとケリーがフロアに降りてきて、観客の中にまじってノーマイクで歌を歌い始めたのにはびっくりだった。なにやってんでしょうか――、個人的に圧倒的に聴き込みが足りないリンゴ・デススターはまるで駄目。曲をよく知らない上に、演奏も歌もちゃんと聞えないってんでは、もうぜんぜん楽しめない。
まぁ、この人たちの場合、アメリカのバンドなのに、UKならではというシューゲイザー直系の音を出しているのがおもしろいなと思っていたら、バンドの雰囲気は思いのほかアメリカンだった。ボーカルのエリオット・フレイジャーという人が、そのたたずまいになんとなくビリー・コーガンを思い出させたりして。そこにキュートなベーシストと、ウェイン・コイン(フレーミング・リップス)似のにこやかなドラマーが絡む。なかなかキャラも立っていて、よさそうなバンドそうだった。でもいかんせん、音が悪かった。
ということで、年内最後のライブだったというのに、この日のライブの印象はここ何年かで最悪だった。ふだんはまったく意識していないけれど、ライブハウスの選択って意外と重要なのねと思わされたこの日のライブでした。うーん、残念。
(Dec 30, 2011)