2010年のコンサート
Index
- エレファントカシマシ @ 渋谷C.C.Lemonホール (Jan 9, 2010)
- ダーティー・プロジェクターズ @ 渋谷クラブクワトロ (Mar 16, 2010)
- ボブ・ディラン @ Zepp Tokyo (Mar 21, 2010)
- ペイヴメント @ Studio Coast (Apr 8, 2010)
- ウィルコ @ Zepp Tokyo (Apr 23, 2010)
- The XX @ Unit (May 16, 2010)
- リッキー・リー・ジョーンズ @ 渋谷クラブクワトロ (May 21, 2010)
- エレファントカシマシ @ 日比谷野外大音楽堂 (Jul 19, 2010)
- サマーソニック2010(1日目) @ マリン・スタジアム+幕張メッセ (Aug 7, 2010)
- サマーソニック2010(2日目) @ 幕張メッセ (Aug 8, 2010)
- 佐野元春&ザ・コヨーテ・バンド @ Shibuya O-EAST (Oct 23, 2010)
- エレファントカシマシ @ Zepp Tokyo (Nov 20, 2010)
エレファントカシマシ
2010年1月9日(土)/渋谷C.C.Lemonホール
2010年代の幕開けを飾るエレカシの新春ライブ。
この日の席は1階のステージ向かって左隅。頭上を2階席に覆われた
で、始まってみれば、やはりという感じで音圧は弱め。ばかでかい音が好きな僕としては、ややもの足りない感があった。
ただ、基本的にこの日は宮本、石くん、ヒラマくんがそろってエレクトリック・ギターを弾くシーンが少なく(気のせい?)、三人で弾く場合にもひとりはアコギという感じだったので、おそらくロック的なラウドさよりも、バンド全体のアンサンブルを重視した軽快な音づくりを目指していたんだろうと思う。ま、憶測ですが。
なんにしろ、全体的な音があまり大きくなく、バランスがよかった分、宮本のボーカルの通りのよさはいつも以上だった。しかも本人が「きょうは喉の調子がいい」というだけあって、そのボーカルがすごいのひとこと。ただでさえ破格のスケールを持ったボーカリストが自ら好調と語るんだから、その迫力や推して知るべしって感じ。もうむちゃくちゃ気持ちよかった。この声が好きで僕は20年もこのバンドのライブに足を運びつづけているんだなあと思った。
『Sky is blue』 から始まったセットリストは、最新アルバム2枚の曲を中心に、『真夜中のヒーロー』、『ゴッドファーザー』、『すまねえ魂』、『真冬のロマンチック』、『クレッシェンド・デミネンド』、『化ケモノ青年』 などのマニアックな選曲をちりばめたもの。終わったあとでうちの奥さんが「きょうはエピック時代の曲もポニーキャニオン時代の曲もほとんどやらなかった」と言っていたけれど、なるほど、言われてみるとその通りだった。エピック時代はともかくとして、驚いたことにポニーキャニオン時代の代表曲である 『悲しみの果て』 と 『今宵の月のように』 もなし。この2曲をそろってやらなかったのなんて、いつ以来だろう。とんと記憶にない。
まあ、僕自身はこの2曲をイヤってほど聴いてきているので、やらなくてもまったく問題ないんだけれど──というか、普段ならばやらないでくれて大歓迎なんだけれど──、この日は僕の並びに母親に連れられた小学生くらいの男の子がいたので、できれば聴かせてあげたかったかなと思ったりした。この2曲が聴けなくて残念な思いをした人も少なくないんだろうし、やらなくていいなんて思えるのは、たくさん観ているからこその贅沢かもしれない。
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後半戦には新曲も2曲つづけて披露された。先に演奏された『幸せよ、この指にとまれ』 という曲は 『俺たちの明日』 に 『ハナウタ』 を掛けあわせたような、とてもポップでかわいい曲。これはシングル・カットすれば確実にヒットが狙えるんじゃないだろうか。エレカシの新曲を聴いてそんな風に思うのって珍しい──というか、初めてのような気がする。
もう一曲の 『赤き空よ!』 は導入部のメロディが 『君の瞳に恋してる』 に似ている点をのぞけば、いかにも宮本らしいナンバー。この曲のときには、ステージの背景に夕焼け雲が映し出されていた。途中なんの曲だったか忘れたけれど、ステージのうしろに引いてあった黒いカーテンがさーっと開いて、真っ白い背景があらわれたので、珍しく凝った演出でもあるのかと思ったのだけれど、結局その曲ではなにもなし。終わってみれば映像を使った演出はこの夕焼け空だけだった。あとはいつも通り、ライティングを使ったシンプルな演出のみ。あのカーテンはいったいなんだったんだ。
演出といえば、この日は宮本の口数がとても少なく、MCもほとんどなかった。印象に残っているのは、『おかみさん』 での「御存知でしょうが……(中略)……17歳でもおかみさん、5歳でもおやじさん」とかいう、わけのわからない発言と、アンコールで 『地元のダンナ』 を演奏する前の「俺たちのテーマ曲です」というひとこと。
このひとことで、僕はてっきり 『悲しみの果て』 を演奏するんだと思ったら、高らかに鳴らされたのが 『地元のダンナ』 だったので、妙に盛りあがってしまった。確かにこれぞエレカシというロック・ナンバーで、僕も大好きな曲だ。よくぞこれをテーマ曲と呼んでくれたと、その宮本の心意気が嬉しくてたまらず、聴いているあいだ中、にやにや笑いがおさまらなかった。そういえば、アンコールの1曲目が 『まぬけなJohnny』 だったのにも笑った(渋すぎ)。
この日のパフォーマンスでとくに印象に残っているのは、この 『地元のダンナ』 と大好きな 『ゴッドファーザー』、蔦谷くんのピアノがかわいかった 『真冬のロマンチック』、歌い収めのフレーズでの宮本のボーカルがものすごかった 『クレッシェンド・デミネンド』 など。ライブ自体はユニヴァーサルでの2年間を総括するような内容だったけれど、新しいめの曲はこのところさんざん聴いているので、僕としては、やはり古い曲のほうに惹かれた。
そういう意味で、この日なによりも感動して、それこそ我を忘れるくらいに盛りあがってしまったのが、2度目のアンコールで演奏されたラスト・ナンバーの 『待つ男』。去年のサマソニで聴いたときにもすごいと思ったけれど、この日はさらにただごとじゃなかった。まるであの日のどでかいスタジアムでのパフォーマンスを、狭い渋公に無理やり詰め込んだかのようなド迫力。もう圧巻を通り越して、神懸かり的なものすごさだった。
一時期、宮本の声量が落ちてきたかなと思ったことがあったけれど、これを聴くかぎり、なんのなんの。衰えなんて微塵も感じさせない圧倒的なパフォーマンスだった。すごすぎ。その声を「聴く」のではなく「全身で感じる」というレベル。この気持ちよさは、ほかの人ではまず味わえない。
楽曲だけでも唯一無二って曲が書ける人が、これほどまでに歌えてしまうというのは、本当に尋常じゃないと思う。宮本浩次という存在のかけがえのなさを、あらためて思い知った新年の一発目だった。
(Jan 11, 2010)
ダーティー・プロジェクターズ
2010年3月16日(火)/渋谷クラブクアトロ
あまりに素晴らしい作品やライブと接すると、うまく感想が書けないことがある。言葉を失うっていうと大げさだけれど、この素晴らしさをどう伝えよう、どう書いたらこの感動が伝わるだろうと考え込んでしまって、思考停止状態に陥る。僕にはそういうことがたまにある。
このダーティー・プロジェクターズのライブがまさにそれだった。この日の彼らのライヴは、「こんな音楽はいままでに聴いたことがない!」という新鮮な驚きを与えてくれるものだった。単に新しいというだけではなく、はっきりと特別だと感じるものだった。その特別さをうまく言葉にできないまま、ここ半月ばかり、僕の頭はフリーズしていた。
なにより素晴らしいのは、僕が感じたその新鮮さ、特別さが、奇抜な一発アイディアなどではなく、純粋な音楽性の追求によってもたらされていること。
もともとダーティー・プロジェクターズはデイヴ・ロングストレスのソロ・ユニットとして発足して、彼の試行錯誤の過程をきっちりと作品に残しながら、前作でアンバー、最新作でエンジェルという才能ある女性ミュージシャンを仲間に加えたことによって、発展的にいまの音楽スタイルに辿り着いたバンドだ。自然発生的にきのうきょう、ぽっと出てきたわけじゃない(というのを僕はこの半年くらいで知ったわけだけれど)。
その「ここに至るまでの過程」がこの日の演奏にもきっちり反映されていた。よりよい音楽をめざした努力がきちんと花を咲かせ、実を結んだことによる幸福感が、この日のライヴからは、とても鮮明に放たれていたし、フロアに集まったオーディエンス全員が、ひとり残らずそれを感じとっていたと思う。
ことロック・ミュージックが好きな人で、この音に興奮しないでいられる人はめったにいないんじゃないだろうか。たとえば、ダーティー・プロジェクターズの音楽自体はうちの奥さん趣味じゃないと思うけれど、それでも、もしも彼女にこの日のライヴを見せたら、きっととても喜んでくれただろう──、そう確信させるものが彼らの演奏にあった。それだけでもこの日のライヴは十分スペシャルだった。
彼らの音楽の魅力は、女性三人──アンバー・コフマン(思いのほか小柄で可愛い)、エンジェル・デラドーリアン(赤いニット帽がキュート)とあとひとり(すいません、名前知りません)──の織りなすコーラス・ワークに追うところが大きい。ただし、ひとことでコーラスといっても、彼女たちのそれは、黒人音楽やブロードウェイ・ミュージカル的なものとはまったくベクトルが違う。普通ならばストリングスやシンセサイザーを使ってやるだろうことを、あえて人の声でやっている感じ。それが単なる音楽的装飾ではなく、バンド・サウンドにとってなくてはならない要素のひとつとなっているところが素晴らしい。
【SET LIST】
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しかも彼女たちは単なる“コーラス・ガール”ではない。過半数の曲でアンバーはギターを、エンジェルにいたってはキーボード、ギター、ベースを代わる代わるに担当する、れっきとしたバンドのメンバーだ。コーラスワークだけでも十分に貢献度の高い彼女たちが、同時に楽器も担当していることで、このバンドはなおさら魅力を増している。
バンドとして音楽を生み出すという行為は、決してひとりでできることじゃない。メンバー全員そろって成し遂げる「共同作業」なんだと。そういう当たり前の事実を、ダーティー・プロジェクターズというバンドは、普通以上に強く感じさせてくれる。男女や才能による差別のない自由で風通しのよいところで、みんなで一緒になって素晴らしい音楽を生み出しているという感覚が、オーディエンスである僕らをも巻き込んで、この日のステージのなんとも言えない気持ちよさの源泉になっていたのだと思う。
フロントマンのデイヴ・ロングストレスという人は、基本的にあまりポップな人ではない。ボーカリストとしては癖があるほうだし、書く曲もクラシックの素養を感じさせる、多彩なリズム・パターンとエキセントリックなメロディーを持った、複雑な構成の曲ばかりだ。
でも、そんな彼の楽曲が女性たちの大らかで元気いっぱいのコーラスによって彩られることよって、ダーティー・プロジェクターズの音楽はみごとに花開いた。まさに「花開いた」と形容するのにふさわしい鮮やかさと、いまが旬という初々しさが彼(彼女)たちの音楽にはあった。いままで胡乱な聴き方をしてきてしまったので、知らない曲やタイトルがわからない曲もいくつかあったけれど(セットリストはRO69でもらってきました)、そうしたことがまったく気にならないくらい、すべての曲がこの上なく気持ちよかった。1時間半に満たないライヴだったけれど、それでも十分ってくらいにその世界を満喫できた。
唯一残念だったのは、僕がいた場所からはドラムとステージ右隅の女性(名前を知らない人)がまったく見えなかったこと。クラブクアトロでのライブはあまりにひさしぶりだったので──ひさしぶりどころか、調べてみたら、じつに14年ぶりだった──、フロアに邪魔っけな柱があるこのホールの独特な構造をすっかり忘れていた。時間ぎりぎりについたら、すでにフロアはぎっしりで、その柱のうしろくらいしか空いていなかった。
とりあえず反対の奥にまわって、デイヴ、アンバー、エンジェルの中心人物三人がばっちり見える位置だけは確保したけれど、ちゃんとメンバー全員が見える場所に陣取れなかったのが唯一の心残り。ドラムがすごかったという意見も見かけたので、もしもバンドの全体像がしっかり視野に入っていたら、さらに感動ひとしおだったのかもしれない。
以上、ライヴの詳細についてはぜんぜん書いていないけれど、いい加減に疲れたので、これでおしまい。ああ、やっぱり上手く書けなかった。
(Apr 03, 2010)
ボブ・ディラン
2010年3月21日(日)/Zepp Tokyo
ボブ・ディランの二十一世紀初の来日公演──しかも最初で最後といわれるライブ・ハウス・ツアーを東京公演の初日に観に行ってきた。
ボブ・ディランをライヴ・ハウスで観られると聞いたときには、「おぉ、なんて贅沢な!」とミーハーに盛りあがったものだけれど、いざ観てみれば、そこはライヴ・ハウスとはいっても、国内最大級の Zepp Tokyo。一週間前にクラブクワトロに行っていることもあって、その広さを嫌ってほど痛感させられることになった。いやぁ、ステージが遠かったこと……。
なんたって、この日の僕の整理番号「BL367」は入場規制のいっとう最後だった(先行予約初日にさっさと取ったのになぜ?)。おかげで早めに会場に着いたのに、開演時間の十分前まで入場が許されず、いざ入ってみれば、Bブロックはやたらとうしろ。しかもまわりは野郎ばっかりのすし詰め状態。ぎゅうぎゅう詰めで身動きが取れないところへきて、エレカシなんかのライヴよりも平均身長が高いもんだから、なおさらステージが見えなかった。エレカシのファンが女の子中心になったことで、俺はずいぶんと恩恵を受けているんだなぁと思ってしまった。そういや、さすがディラン・ファンで、いつになく白髪率も高かった。
ということで、環境的な面では、ライヴ・ハウスなんかじゃなく、大型モニターが完備されたスタジアム公演のほうが快適でよかったんじゃないかと思ってしまうようなライヴだったんだけれども、こと音響という面においては、まさにライヴ・ハウスならではというバンド・サウンドが堪能できる、素晴らしい内容だった。
なんたって、ウドーの公式サイトで発表されたバンドのメンバーは以下のとおりだ。
BOB DYLAN, TONY GARNIER (bass), DON HERRON (steel guitar / mandolin / violin / trumpet), STUART KIMBALL (guitar), GEORGE RECILE (drums / percussion), CHARLIE SEXTON (guitar)
まあ、僕なんかは知らない人ばっかりなんだけれど、ここで注目すべきはギタリストがチャーリー・セクストンであること──ではなく。いや、そこにも注目すべきではあるけれど、それ以上に重要だったのが、キーボード・プレーヤーがいないこと。
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意外なことにこのバンドでキーボードを奏でるのはディラン御大、ただひとりなのだった。
ボブ・ディランといえばギターの弾き語りというイメージに反して、この日の御大はほとんどギターを弾かなかった(僕がおぼえている範囲では2曲目の 『くよくよするなよ』 のみ。ほかでも弾いていたのかもしれないけれど、とにかく見えなかったので)。あとの曲はキーボードか、ハンドマイクにブルース・ハーブというスタイルだった。印象的にはキーボードがやや多め。で、その音色はオルガン主体。
なんにしろ、ディランがハンド・マイクの曲もけっこうあったわけだ。で、彼がキーボードを弾かないときのバンドの音は、チャーリー・セクストンのエッジーなギターを中心とした、純ギター・サウンドになる。これがガチャガチャしていて、とても気持ちいい。
もちろん、ディランがキーボードを弾いているときだって、特別にキーボードがでしゃばるわけではないし、もとよりブルース色の強いディランの作品には、このシンプルなバンド・サウンドがジャスト・フィットだった。同じ大御所でも、ぶ厚い音のスタジアム・ロックを繰り広げるストーンズやポール・マッカートニーあたりとはまったく違う。ライヴ・ハウスならではのロックンロールって感じで最高だった。
あとすごかったのが選曲。日替わりセットリストで、来日中だけで通算50曲以上を演奏してみせたという話だけれど──自伝では80年代のツアーの思い出のなかで「何十曲もおぼえていられない」って嘆いていたくせして(嘘つき)──、どの日も演奏される曲のおよそ半分が、ここ数作のアルバムからの曲だというのがすごい。かれこれ半世紀ものキャリアを誇るロック・レジェンドで、これだけガンガン新曲を演奏してみせる人っていないと思う。還暦すぎてなお、現役感バリバリ。おそるべし、ボブ・ディラン。
まあ、おかげで個人的に聴きたいと思っていた曲があまり聴けなかったってのはあるけれど──よりによってこの日のオープニング・ナンバーは、今回のツアーで演奏された曲のうちで、僕が唯一音源を持っていない 『Watching The River Flow』 だった──、それでも 『くよくよするなよ』 や 『ミスター・タンブリング・マン』 など、ほかの日にはあまり演奏されない超名曲を聴かせてもらったりもしたので、あまり嘆くのも失礼ってもの。
僕はいまだ聴いていないアルバムが何枚もある、ディラン・ファンを名乗るにはおこがましいリスナーだけれど(この日もタイトルがわからない曲がひとつだけあった)、それでも今回の来日公演には大いに感銘を受けた。ステージがほとんど見えなかったこともあって、チケットを一日分しか取らなかったことを少なからず後悔してしまった。まあ、一枚一万二千円のチケットをそう何枚も取れないけれど。
(Apr 07, 2010)
ペイヴメント
JAPAN TOUR 2010/2010年4月8日(木)/Studio Coast
このライヴを観て、僕はこれまでペイヴメントというバンドをまったく見誤っていたことを思い知った。
恥ずかしながら、ことレコーディング作品だけと接している時点において、僕はペイヴメントというバンドを、スティーヴ・マルクマスのソロ・プロジェクトとなんら変わらないものと見なしてた。少なくても、あてにならない僕の耳には、ソロになったマルクマスとペイヴメントの作品はほとんど変わらないものに聞こえていた。
ところがどっこい。この日のステージに立ったペイヴメントは、そんな個人のソロ活動の延長線上にあるようなバンドとはあきらかに一線を画した、とても個性的なロック・バンドだった。
そもそも、メイン・ボーカルのスティーヴ・マルクマスが真ん中にいない。彼の定位置はステージ向かって左の隅のほう。なんでそんなところにいるんだって感じだった。
彼と並ぶように右側に立っているのは、もうひとりのギタリスト、スパイラル・ステアーズことスコット・カンバーグ。で、ふたりのあいだでセンターに陣取っているのは、ベーシストのマーク・イボルド。この人は現在ソニック・ユースのベーシストを務めているそうなので、去年のサマソニで観ているはずなのだけれど、当然、僕がそんなことには気づくはずもない。というか、そもそもど真ん中にいるわりにはそれほど目立たない。とくに目立つでもないこの人がステージの真ん中にいるってのが、このバンドの個性をよく物語っていた。
バンドのメンバーはあと二人。驚くべきは、そのふたりが一曲目の 『In the Mouth A Desert』 でどちらもドラムをたたいていたこと。「えーっ、ペイヴメントってツイン・ドラムなの?」と、そのローファイなイメージに反する意外なバンド構成に愕然。
ただ、その後わかったのは、プロパーなドラマーは右側にいたスティーヴ・ウエストという人だけだということ。もうひとり、ボブ・ナスタノヴィッチという人は、基本的にタンバリンをたたいたり、おかずを入れるような役割を果たすユーティリティ・プレーヤーだった(よく見るとドラムもフルセットではなさそうだった)。ただ、この人が思いのほか存在感があって、なんと曲によってはボーカルのソロ・パートまであったりする。それがまたパンキッシュな絶叫スタイルで、その中年太りしたアンチ・ロック的なルックスとのギャップがとてもおかしかった。
あと、これも意表をついたことに、スコット・カンバーグも 『Two States』 などの何曲かでメイン・ボーカルを務めていた。なるほど、言われてみれば、CDで聴けるボーカルもスティーヴ・マルクマスの声じゃないかもしれない。いやぁ、ぜんぜん気がついていませんでした。駄目だ俺……。
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当のスティーヴ・マルクマスは飄々としたパフォーマンスを見せる不思議なたたずまいの人だった。ほかのメンバーが中年体型まる出しなのに比べると、彼ひとり永遠のロック青年然としたスタイルを失っていないにもかかわらず、その動作にはなんとなくコミカルな味があり、そのルックスのよさとのギャップで不思議な空気を醸し出していた。
とにかくそんなわけで、ペイヴメントというのは、ボーカルも曲によっては持ちまわりだし、マルクマスがぜんぜん出しゃばらないこともあって、思いのほかバンドとしての個性を強く感じさせる、じつに民主主義的なバンドなのだった。ローファイという言葉で形容されるために
まあ、これまであまりきちんと聴いてこなかったせいで、タイトルがわからない曲もけっこうあったけれど(かろうじて曲自体はすべて知っていた)、もともとペイヴメントの曲というのは、サビでタイトルをシャウトするようなタイプの単純な曲が少ないので、それも致し方ないかなと思う。あとでネットを検索していたら、間違ったセットリストを紹介している人もいたので──カンバーグのブログで紹介されている当日のセットリスト(後述)によると、2度目のアンコールで演奏された『Summer Base』 を当初は本編でやる予定だったらしい──、どうやらタイトルがわからないのは僕だけじゃなさそうだった。
タイトルといえば、このライブ以前に僕が認識していたのは、お気に入りの2曲、『Zurich Is Stained』 と 『Range Life』 だけという感じだったのだけれど(でも直前の予習でずいぶんと改善された)、この日のライヴではこの2曲がつづけて演奏された。僕としてはとても嬉しかったのだけれど、ただし肝心の演奏の出来に関してはいまいちぱっとせず──『Zurich~』 ではカンバーグが演奏に参加しなかったので、音が薄かったせいもある──、もっともオーディエンスが盛りあがらなかったのは、この2曲だった気がした。ちょっと残念。
そうそう、この日のライヴでびっくりしたことのもうひとつは、開演時間の午後7時になった途端にライヴが始まったこと。僕はこれまでにそれなりの数のライヴを観てきているけれど、オープニング・アクトもないのに開演時間ジャストに始まったコンサートなんて、記憶にあるかぎり、これが初めてだ。なんて律義な人たちなんだか。
なんにしろペイヴメントは、音楽のみならず、そのバンドとしてのたたずまいが最高によかった。これが最後のツアーだそうだけれど、これっきりでやめてしまうなんて、ちょっともったいなさ過ぎやしないかと思うような素敵なバンドだった。なんでもサマソニで再来日するそうなので、ぜひもう一度観ておきたいと思う。
ちなみに、いまさら知ったことだけれど、スティーヴ・マルクマス、スコット・カンバーグ、スティーヴ・ウエストの三人は僕と同い年だった(ナスタノヴィッチがひとつ下)。そう思うとなおさら親しみがわく一方、俺の同世代って、もうあんなにおじさんなのかという衝撃も。
(Apr 25, 2010)
ウィルコ
2010年4月23日(金)/Zepp Tokyo
ウィルコというバンドに対する僕のイメージは、とにかく中庸だということだった。ほどよくポップなメロディーに、オーソドックスで丁寧な音づくり。抜きんでた存在感があるというわけではないけれど、しっかりとした歌が歌えるボーカリスト。すべてがポップ・ミュージックとしてのバランスのよさに
でも、いざ生で観たウィルコは違った。これのどこが平均的でオーソドックスなバンドなんだと思ってしまうような懐の深さがあった。ベースはオーソドックスなんだけれど、平均値を大きく上回る部分が多々あったというか。
単に楽曲ひとつとっても、CDではスローでおとなしいと思っていた多くの曲が、生だと決しておとなしいままで終わったりしない。必ずラウドに鳴り響く瞬間がある。スローに始まってラウドになるってそのパターンは、要するにニルヴァーナやピクシーズが得意としたグランジの典型的なパターンだともいえる。つまりその辺の音楽をきちんと踏襲しているってことなんだなあと思った。
もともと僕がこのバンドに強く惹かれたのは、ビートルズにつらなる豊かなポップス・センスを感じさせたからだったのだけれど、そうしたクラシカルなロック・テイストを持っている一方で、同時に自分たちと同世代である90年代以降のオルタナティヴ・ロック的素養もしっかり持ちあわせているのが、生で観て初めてわかった(面目ない)。さらにはデビュー当時にオルタナティヴ・カントリーと呼ばれたという、アメリカン・ミュージックの正統派としての側面もある。
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で、そこにさらに実験的でアバンギャルドな姿勢までもが加わるから驚きだった。一番おかしかったのは 『Via Chicago』 で爆裂したドラム・ソロ。あのおとなしい曲の途中で、歌が聴こえなくなるくらいのバカでかいドラム・ソロが差し挟まれるんだから、なにごとだって感じだった(それも間奏でも何でもないところで、派手なライティングの演出つきで)。これには大笑いしてしまった。普通にポップなバンドはあんなことしないぞ。
ということで、一見オーソドックスで平凡なバンドに見えたウィルコは、じつはとてもさまざまな要素を持った、非常にクリエイティヴなロック・バンドだった。初めてブルース・スプリングスティーンのライヴを観たジョン・ランドウが「ロックンロールの未来を見た」と書いたというのは有名な話だけれど、この日のウィルコに僕は同じような感慨を受けた。ただし、僕が見たのは未来ではなく過去──というか歴史。過去から現在へとつらなる時の流れのようなもの。彼らの演奏にはビートルズから始まるロックンロールの50年の歴史がしっかり息づいていた。ロック史の流れの中から良質な部分を吸収して、すくすくと伸びたまっすぐな幹──それがウィルコなのだと思う。
すべての楽曲がひたすら沁みたこの日のライヴで、もっともすげーと思わされたのは、ジェフ・トゥイーディーの呼びかけに応えて巻き起こった 『Jesus, Etc.』 でのオーディエンスの大合唱。僕は洋楽のライブであんなに大きな合唱が巻き起こったのを聴いたのは初めてだ(当然、にわかファンの僕は部分的にしか歌えない)。それも何十年も昔の曲ならばともかく、書かれてから10年にもならない曲なんだから恐れ入る。いやぁ、ウィルコはバンド自体がいいだけでなく、オーディエンスまで素晴らしかった。
といいつつ、あえてこの日の僕のフェイバリット・ナンバーを選ぶとすれば、それはその曲ではなく、サビでのポール・マッカートニーっぽいリフが印象的な 『Hate It Here』。もともと 『Sky Blue SKy』 収録曲のなかではもっとも好きな曲だけれど、生で聴くとそのサビの部分がさらに映えて、これがもう最高だった。ロック・ファンとしての至福……といったら大げさだけれど、でも本当にたまらなく気持ちよかった。
(May 09, 2010)
The XX
A Night in Tokyo/2010年5月14日(金)/代官山UNIT
The XX――。このUKの新人バンドの演奏を生で観て、僕がなによりもインパクトを受けたのは、ギター・ボーカルのロミーという女の子のプレイについてだった。
彼女のギターのほとんどは短音で成り立っていた。要するに彼女はまったくといっていいほどほコードを弾かないのだった。がしゃがしゃコードをかき鳴らすロックの定番ともいうべき風景はもとより、アルペジオさえほとんどない。その短音のリフ中心の弾き方は、ギターというよりは、どちらかというとベースのそれに近い気がした。
まずはコードをおぼえることからギターを始めて、結局コードを弾くことに終始してしまった僕にとって、そんな彼女のプレー・スタイルは、ある意味、画期的だった。それで十分に奥行きのある素晴らしいロック・ミュージックを鳴らしてみせるんだから、なおさらだ。なんだ、コードなんか知らなくても──いや、知らないってことないだろうけれど──、こんなにカッコいい演奏ができてしまうんだと。自分より20歳以上も年下だろうって女の子から、いまさらそんなことを教わるこの衝撃……。俺って馬鹿かもしれない。
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バンドのメンバーは彼女のほか、彼女とデュオでボーカルをつとめるベーシストのオリバーと、ドラムマシン(とシンセサイザー?)を操るジェイミーの三人だけ。バンドの中心人物はオリバーで、MCはすべて彼が担当していた。CDで聴ける脱力したボーカルのイメージから、もっと内向的でローハイな人を想像したのだけれど、実際には思いのほかしっかりした好青年だった。演奏する姿も彼ひとりがアクティヴなイメージだった。
フロアに地響きをたてるような重低音の打ちこみのドラム・ループの上で、空間を埋めることのない音数の少ないギターと、うねるベースラインが独特の様式美を生み出してみせる、いかにもUKらしいそのダークな音楽世界は、このところアメリカのロックにばかり接していたせいもあって、とても新鮮だった。その演奏は、決して完璧ではないのに、それでいてやたらと完成度の高さを感じさせた。それはたぶん、その演奏がCDで聴けるとおりの世界観を見事に再現していたからだと思う。場所が代官山ユニットという、とても狭いライブハウスだから──僕はこの日が初めてだった──ステージまでの距離はすぐなのに、僕にはその音を鳴らしているのが目の前の三人だというのが、いまいちピンとこなかった。なんだか不思議な非現実感の漂う、クールなステージだった。
正味40分に満たないアルバムを1枚しか出していない新人のステージだから、演奏時間はわずか1時間にも満たなかった。それでもその1時間足らずは、僕にとってまたとない経験のひとつだったと思う。いや、とてもいいものを見せてもらった。
そうそう、ステージの背景には、アルバム・ジャケットと同じく、真っ黒な中に大きな「X」がひとつ。このバンドはそのコロンブスの卵的なビジュアル・センスも素晴らしい。あれを見られただけでもいい思い出になった。
(May 23, 2010)
リッキー・リー・ジョーンズ
2010年5月21日(金)/渋谷クラブクワトロ
横浜の赤レンガ倉庫で開催されたグリーンルーム・フェスティバルとやらのために来日したリッキー・リー・ジョーンズが、それに先だって行った渋谷クラブクアトロでの単独公演を観に行ってきた。
僕がこの人のライヴを観るのはこれが4回目になるけれど、オールスタンディングのライブハウスでの公演というのは、これが初めて。しかも今回は渋谷クラブクアトロという小さなハコだ(2005年にコットン・クラブでの公演があったけれど、チケットが1万円を超えていたので見送ってしまった。ああ、貧乏)。
往年のグラミー歌手とはいえ、いまとなるとネームバリューはそれほどでもなさそうだし、おまけに開演時間は午後7時半とやや遅め。これは早めに行けば、かなりステージの近くで観られるのではないかと思って、30分前に到着してみれば、やっぱり会場はがらがら。ステージから3メートルと離れていない場所でたっぷりとその演奏を楽しむことができた。やったっ。
今回のリッキー・リー・ジョーンズのバンドは、彼女を含めてわずか3人というミニマムなスリー・ピースのバンド編成。
メンバーはアジア系(もしくはメキシコ系?)のハンサムなベーシストに、がたいのいい黒人のドラマー(僕の友人に似た感じ)。どちらも僕とそう年が変わらないか、もしくは年下のように見えた。つまり現在55歳のリッキー・リー・ジョーンズとはけっこう年が離れている。
そんな若い仲間ふたりを従えた主役は、襟元の広い七分袖の重ね着風Tシャツに、ジーンズというラフな格好で登場。まずはアコギを手にして 『It Must Be Love』 を歌い始めた。おー、この曲からですか~。しかもすげー近い。なんかすごく幸せ。
バンドの音はとても控えめで、アンプから出ている音がそのまま聞こえてくるほどの音量だった。普段だとそれじゃ音が小さすぎると思うところだけれど、この人の音楽に大音量を求めるのはまちがい。とにかくアンサンブルに対して非常に神経質というか、とても気を使う人なので、考えなしに大音量を求めたりしたら、怒ってさっさと帰ってしまいそうだ。
このメンバーで演奏するのもそう長くはないようで、演奏を始める前に自ら手をたたいて「これくらいの速さで」というようにドラマーに指示を出しては、その通りに叩けないと駄目出ししたりしていた。そういや目の前に出てきて写真を撮っていたカメラマンを、「撮るんじゃないわよ!」とばかりの態度で追い払ったこともあった。演奏しているあいだはニコリもしないので、なんだかやたらと気難しい女性に見える。おかげでバンドの演奏にも、つねにそこはかとない緊張感が漂っていた。
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ただ、それでいて彼女は、演奏が終わって大きな拍手を受けると、とても嬉しそうに顔を綻ばせてみせる。しかもその笑顔がとてもチャーミング。なんか可愛いんだか、恐いんだかよくわからない、不思議な女性だといまさらながら思った。
とにかくシンプルなスリー・ピースの編成でありながら、バンドの演奏は非常に多種多様。『Remember Me』 だったか、アコギの弾き語りの曲ではドラマーがピアノを弾いていたし、『Wild Girl』 ではチープな打ちこみのドラム・ループがフィーチャーされていた。
この曲でシーケンサーを操作していたのはベースの人。この人は曲によっては弓を使ってエレキ・ベースを弾いたりもしていた。ベースが弓を使うってのは、たしか前回の来日公演でもあったようだし(うろ覚え)、彼女と組むベーシストには必要不可欠な技術なのかもしれない。
打ちこみといえば、中盤には彼女の作品で唯一打ちこみをフィーチャーした異色アルバム 『Ghostyhead』 からのナンバーが2曲がつづいたのだけれど、この日はそのどちらもが、ブルース色ゆたかな、純然たる生演奏だった。アドリブたっぷりで、とにかく激渋。
つづく 『Satellites』 ではリッキー・リーがドラム・セットのとなりへ移動して(とはいっても狭いステージなので数歩うしろに下がっただけだけれど)、演奏の途中でフロアタムやシンバルをビシビシ叩きまくる。『His Jeweled Floor』 ではアウトロをベース主体の幻想的なアドリブで延々とひっぱってみせる。
で、そのなが~いアウトロのあいだに、リッキー・リーがステージ右隅のグランド・ピアノに移動(おかげで残念なことに僕の立っている場所からはちょっと見にくくなった)。この日のクライマックスはここからだった。なんと、セカンド・アルバム 『Pirates』 からのナンバー三連発。おー。
『Live It Up』 ではテンポを1.5倍くらいに上げた直線的なビートが新鮮。さらに(三人でできる範囲で)オリジナルに忠実な 『Pirates』 と 『We Belong Together』 がつづくんだから、たまらない。前者はまさか聴けるとは思っていなかったし、後者はライブの定番じゃないかと思うんだけれど、前回の来日公演(6年前のオーチャードホール)では聴けずに終わってさびしい思いをしたので、今回はちゃんと聴かせてもらえて感無量だった。
ライブ本編はそのあとアコギ・セットに戻り、新譜でもっとも可愛い 『The Moon Is Made Of Gold』 を経て、虎の子の『Chuck E's In Love』 で終了。前回はやってもらえなかったアンコールも今回は1曲だけとはいえあったし──それもファースト2曲目のピアノ弾き語り!――、ほんと、とても味わいのある素敵なコンサートだった。
いやぁ、やっぱり好きだわ、リッキー・リー・ジョーンズ。また観たい。何度でも観たい。次に来日好演があったら、たとえ場所が高額なコットン・クラブであろうと、絶対に行こう。
待ってます、再来日。
(Jun 06, 2010)
エレファントカシマシ
2010年7月19日(土)/日比谷野外大音楽堂
なんかね、今回の野音を見て、しみじみ思った。俺ってたぶん、日本一幸せなエレカシ・ファンだって。
じつは今回の野音、僕らはチケットが取れなかった。ファンクラブの抽選にはずれ、一般発売も逃した。ここんところ野音のチケットはすっかりプラチナ化していて、オークションでは万単位の高値がついてしまって、とても手が出ない。普通だったら、ここでアウトとなるところなんだけれど、だがしかし。
今年もちゃんと観られてしまったのは、ひとえにうちの奥さんのおかげだった。元レコード会社の社員だった彼女に、強力なコネがあったからこそだった。それがどんなコネかというのはここでは伏せるけれど、これがまた「え~、なにそれずるい」と思ってしまうような強力なコネなんだった(なぜ最初からそのコネに頼らないかという話もあるけれど、それはまた別の話)。
仮にも業界人だったうちの奥さんはともかく、音楽業界とはなんの縁もない僕までが、彼女の恩恵でもって今年も野音を観られてしまう。これがラッキーでなくてなんだろう。
そもそも振り返って考えてみるに、90年に初めてエレカシを野音で観たのだって、その年に親しくなった職場の友人がエレカシ・ファンだったからだった。まだ就職したばかりのそのころの僕には、いまみたいにひとりでライブを観にゆく習慣がなかったから、彼がいなければその年の野音を観ていたかどうかあやしい。いや、それ以前にエレカシを聴いていなかった可能性だって大いにある。
この話ですごいのは、結局その友人が急用のため、野音にこれなかったこと。さらにいうなら、それ以来エレカシにハマりっぱなしの僕とは反対に、もとよりコアなロック・ファンではなかった彼はその後エレカシを聴かなくなってしまい、やがて僕らのつきあいも自然消滅してしまった。そのことを思うと、まるで彼は僕とエレカシを結びつけるために、何者かによってつかわされてきたんじゃないかとさえ思えてくる。
そのほかにも、エレカシに関しては、ささやかながら不思議な縁がいくつかあるんだけれど、ここでは省略。なにはともあれ、素晴らしくラッキーな巡りあわせでもって観ることができた、21年目の野音だった(ただし立ち見)。
いやしかし、今回の野音もよかった~。こと選曲ということでいえば、僕個人にとっては過去最強とさえ言えた。
オープニングの 『おはようこんにちは』 から始まり、2曲目が 『ドビッシャー男』 (ポニー・キャニオン時代では個人的にもっとも好きな曲のひとつ)、3曲目で早くも 『ファイティングマン』 が飛び出すという、硬派きわまりない展開も当然よかったんだけれど(ちなみに1曲目で石くんが持っていたギターがいつも 『ファイティングマン』 のときに弾いているローズウッド+金色ピックガードのテレキャスだったので、最初はこの曲がオープニングかと思った)、この日のクライマックスは、いきなりこのあとに待ちうけていた。
4曲目はいきなり蔦谷くんの可愛げなピアノのイントロで始まる。「なんだこれ?」と思ったら、うわー、『うつらうつら』 だ~。そういやあったなぁ、ピアノ・バージョン(忘れているやつ)。アルバムで聴ける若かりし頃の憂鬱があふれださんばかりのバージョンと違い、いまの宮本がより大らかに歌い上げるこのバージョンもまた味わい深くてよい。
つづけてはギターのイントロが、さらなる感動を巻き起こす。あれ、これって? 「雨~が降り続き~、けだるさが残った」……うぉー、『too fine life』 だ~。マジでこの曲聴くの、20年ぶりじゃないだろうか? なんてこった、これをやるのか~。やってくれちゃうのか~。
おーっ、さらに 『シャララ』 もきた~。
うわっ、お次は 『道』 だ~。鳥肌たった~。
──というような感じで。
僕がもっともエレカシにのめり込んでいた 『浮世の夢』 から 『奴隷天国』 まで、それぞれのアルバムで僕がもっとも好きな曲ばかりが順番に演奏されたんだった(すごすぎた)。聴いているあいだ、ニヤニヤしっぱなしだったと思う。いまから思うと、ちょっと恥ずかしい。
つづけて 『東京の空』 からの曲もゆくかと期待したのだけれど、エピック時代サービス・コーナーはそこまで。その次は 『人間て何だ』 だった。でもこの曲もイントロが長尺になっていて、もともとあまり聴く機会がなかった曲だけに新鮮。あらためてじっくり聴いてみて、「スーパーマンになるしかあるまい」というすごい歌詞に苦笑した。
【SET LIST】
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その後も 『パワー・イン・ザ・ワールド』 だ、『生命賛歌』 だ、『武蔵野』 だと、本編ラストの 『ガストロンジャー』 まで、この日のセットリストは、ほんと僕が好きな曲ばっかりだった。宮本が「激渋」と称し、僕が20年来愛聴している名曲の数々がガンガン演奏されて、それでいてそのライブのチケットがプレミア化しているという……。なんて幸せな風景だろう。こんな日がくるなんて、ちょっと想像できなかった。
この日の野音で唯一残念だったのは、宮本が歌詞を忘れたり、間違ったりすることがやたらと多かった点。ひさしぶりに引っぱり出してきたレアなナンバーならばともかく、定番の 『珍奇男』 で「机さん~」と歌い出しそうになったり、アンコールの 『花男』 で歌い出しをとちったりしていたのは、ちょっと情けなかった。とくに 『花男』 は爆発するような始まり方が魅力の曲だけに、イントロをやり直してしまったことで、少なからず気が抜けてしまった感があった。
そのあとに演奏された1度目のアンコールのラスト・ナンバーは 『デーデ』 だったけれど、あれは本当は 『花男』 で終わるつもりだったのに、その曲がいまいち不出来だったことに腹を立てた宮本が、突発的にやることにしたんではないかと思う(そのせいか、かなりアップテンポでパンキッシュだった)。なんにしろ、この曲でアンコールを締めるなんてパターンも珍しかった。
珍しいといえば、かつては 『デーデ』 と『星の砂』 はメドレーのようにつづけて演奏されるのがあたり前だったから、この日のように2曲がばらばらに演奏されるのを聴くのもなかなか新鮮だった。あと、初めてということでいうと、個人的には 『珍奇男』 を宮本が最初から立ったままで演奏するのを観たのも、おそらくこれが初めてだった。
さらにこの日の初モノとしては、新曲が2曲。どちらも最近の明るいモードのエレカシらしい、軽快な曲だった。片方は 『歩く男』 と紹介されていた(男シリーズ最新作!)。もうひとつは2度目のアンコールで演奏された、この日最後の曲(タイトル不明)。懐かしい曲をたっぷりと聴かせてくれたあと、耳慣れない新曲で最後を締めるところにも、このところのエレカシの充実ぶりを見た気がする。
まあ、宮本は歌詞を忘れまくりだし、この日はやたらとリズムが不安定だったりで、完璧とはいえない内容だったけれど、それでも僕はエレカシのそういう不完全なところをもまた愛しているので、今回の野音にも十分満足だった。いやはや、ファン冥利につきた。
この日の野音はスカパー放送で生放送されたから、もしもチケットが手に入らなくても、観るだけは観られた(考えてみると、チケットが手に入らなかったときに限って、生放送があるってのも、すごいラッキーな巡りあわせだったりする)。でも、やはりテレビで観るのと、生で観るのは別物。それがこんな素晴らしいセットリストだとくれば、なにをいわんやだ。
やはり僕は日本でいちばん幸運なエレカシ・ファンに違いない。
(Aug 01, 2010)
サマーソニック2010(1日目)
2010年8月7日(土)/マリン・スタジアム+幕張メッセ
正直いって、今回のサマソニはちょっとばかりテンションが低かった。お目当てのバンドはほとんどが再結成組ばかりだし、新しいバンドでこれが観たいというのもほとんどなかったし。おまけにお目当てのひとつ、ペイヴメントが深夜枠で、徹夜も視野に入れないといけなかったので、スタートはやや遅めにした。正午ちょうどくらいに幕張に着き、軽く食事を済ませてから、その時間帯にやっているステージを適当に観て歩いた。
まずはマッカビーズ(The Maccabees)、コーティナーズ(The Courteeners)、トゥー・ドア・シネマ・クラブ(Two Door Cinema Club)といった新しいバンドをつづけて観た。どのバンドもこれまでまともに聴いたことがなかったけれど、生で観るかぎりでは、どれもそれなりに楽しめた。
なかでは最初のマッカビーズが思いのほかよかった。演奏に切れがあるというか、音がフレッシュな印象。ボーカルはエルヴィス系の発声でいまいち好みではなかったけれど(今回のサマソニは心なしかそういうボーカリストが多かった)、バンドとしての演奏がよかったので、飽きずに最後までちゃんと観ることができた。
次のコーティナーズはもっと気取ったバンドかと思っていたら、意外と朴訥とした雰囲気で、なるほどマンチェスター出身って感じ。ただ、この人たちはオアシスらの先輩たちと比べてしまうと、かなりインパクトが足りない印象だった。なので2、3曲だけで次のバンドへ移動。
トゥー・ドア・シネマ・クラブはサマソニ公式サイトで「北アイルランドを拠点とする、ドラムレスの3ピース・バンド」と紹介されていたけれど、観にいってみたらちゃんとドラムがいた。それも、いままでドラムレスだったとは思えないくらいダイナミックな演奏を聴かせてくれていて、なかなか好印象だった(といいつつ、今回観たバンドのなかで、このバンドがいちばん印象が薄かったりするんだけれど)。
このバンド、日本では思いのほか人気があるようで、ソニック・ステージはかなりの盛況だった。でも次に大物が控えていたので、このバンドも途中で抜けて、マリン・スタジアムへ移動。
今回のサマソニで唯一マリン・ステージで観たのが、このあとの矢沢永吉。裏のデルフィックと最後まで悩んだんだけれど、一緒にいったうちの奥さんがデルフィックは趣味じゃないというので、YAZAWAにしておいた。
噂にきくYAZAWAのライブは、なるほどすごいパワフルだった。わずか30分ちょいのステージながら、真夏の野外で還暦すぎてあのパワーには脱帽(というか、考えてみると、還暦すぎた大ベテランを真夏のいちばん暑い時間帯にスタジアムに立たせるクリエイティヴマンもいい度胸だ)。トレードマークの白のスーツ姿で登場して、マイク・スタンドを振りまわすたびに大きな歓声を浴びていたのもおかしかった。
この人のステージを観ていて、なによりも感銘を受けたのは、その堂々としたエンターテイナーぶり。清志郎や桑田、エレカシ宮本といったコミカルな味のある日本最高のエンターテイナーたちのスタイルを最初に築いたのは、もしかしてこの人なのかもしれないと思った。
ただ、惜しむらくは歌っているのがあまりに紋切り型な男と女の歌ばかりで、ほとんど僕の心には響かないこと。悪いけれど、『サイコーなRock You!』 とか 『止まらないHa-Ha』 とかいうタイトルを聞くと、さすがにCDを買おうって気にはなれなかったりする。
いやでも、自分が四十をすぎて 『時間よ止まれ』 を生で聴く日がくるとは思わなかった。YAZAWA、さすがに歌上手いです。真夏の青い空の下で聴く 『時間よ止まれ』 はなかなか味わい深かった。
矢沢永吉のあと、さっさとメッセに戻ってデルフィックを最後の1曲だけ観て(このバンドとはどうも縁がない)、お次はフランス人の歌姫、Uffie──だったんだけれども。
残念ながら、このアフィーがいまいち期待はずれ。DJセット+ポータブル・キーボード弾きのマルチ・プレーヤーって編成の時点ですでに僕の趣味じゃなかったうえに、開演時間は押すは、始まってからもなかなか出てこないはと、さんざん焦らされたあと、いざ出てきてみれば、濃紺にラメをあしらった生地のボディースーツという、「なにそれ?」なファッション。スーパーモデル並みのプロポーションならばそれも映えるのかもしれないけれど、正直なところ(+意外なことに)あまりスタイルもよくない。さらに足をねん挫しているとかいう話だったから、そのせいかもしれないけれど、ステージ・アクションもぱっとしない。
そのまま観ていれば、いずれ盛りあがったのかもしれないけれど、あまりうちの奥さんは好きそうじゃなかったし、裏のパッション・ピットも気になったので、結局2曲観た時点でやめてしまった。かつて観たM.I.A.のようなインパクトのあるステージを期待していただけに、少なからず残念だった。
ということで、次のパッション・ピットも途中から観て、途中で抜けるというパターン。でもこのバンドはよかった。なんたって徹底的に陽性のメロディーがとても気持ちいい。MCのときには普通にはきはきした声で話しているボーカリストが、歌いだすと妙によじれた高音のファルセットになっちゃうところも、なんとなくおもしろかったし、シンセ主体の音作りはやや僕の趣味から外れるものの、きちんとしたバンドとしての個性を持ったいいバンドだと思った。もうちょっとボーカリストに声量があったら、なおいいんだけれど、そこはやや残念かなと。でも僕はこのバンドは好きだった。次に機会があったらきちんと観たい。
さて、サマソニ初日はここからが本番。ようやくお目当てのバンドが登場する。まずは the HIATUS。前日にロック・イン・ジャパンのとりを飾ったこのバンドが、サマソニにもつづけて出演した(元気だな~)。
エルレガーデンのころからずっと絶賛されている細美武士の最新バンド。ベーシストが元ミッシェル・ガン・エレファントのウエノコウジだというし、ライヴがすごいと評判だから、一度は観てみたいと思っていたんだけれど、どんなにすごいのかと思ったら、なるほどってすごさだった。
とにかく音がバカでかい。音圧ということでいうならば、今回のサマソニで僕が観たなかでは、和洋問わずにこれが最大。でも、それでいてその轟音に負けないメロディと歌を持ちあわせているという。
そう、僕が受けたイメージでいうと、イエモン的なドラマチックさを持ったメロディを、マッド・カプセル・マーケット的な音圧で鳴らす、ちょっとベンジーっぽいボーカリストのバンド。いってみれば、ある種のジャパニーズ・オルタナティヴ・ロックの総決算ともいえそうなバンドなのだった。なるほど、これが絶賛されるのはよくわかる。
ただし、といいながら、それでいて僕とは関係ないなと思ってしまうのは、もとより、いまあげたバンドをどれひとつ聴いてこなかったのに加え、このバンドの歌の大半が英語だから(日本語の曲もわずかにあったけれど、音がでかいので、なにを歌っているのか、ほとんどわからなかった)。
やはり日本のアーティストの音楽を聴くときには、僕は絶対に日本語の歌が聴きたい。国内盤だとCDだって高いんだし、わざわざ高い金を出して聴くんならば、しっかり胸に残る言葉を持った人の音楽が聴きたい。日本語をネイティヴに話す人が英語で歌う歌を聴く必要が、僕には見いだせない。
要するに僕が the HIATUS を聴かない理由は、矢沢永吉を聴かない理由とおんなじだ。どちらも言葉が届かないから。なによりそれが大きい。永ちゃんも細美くんも音楽家として、パフォーマーとしてすごいとは思うけれど、どちらも僕の求める歌は届けてくれないのだった。ほんと、両方ともすごいとは思ったんですけどね。
さて、the HIATUS の豪快なパフォーマンスのあとは、リチャード・アシュクロフトの新バンド、ユナイテッド・ネイションズ・オブ・サウンド。
おととしのサマソニではザ・ヴァーヴとしてマリン・スタジアムに出演して、圧巻のステージをみせてくれたリチャード・アシュクロフトだけれど、今回の新バンドでは、ドラムとベースに黒人プレーヤーを配して、若干ブラック・ミュージック寄りのアプローチをとっているのが特徴。
そのほかのメンバーはちょんまげのギタリストに男女のキーボードの6人組。ただし女性のほうは、終盤にリチャードと親密なキスをしたあと引っ込んでしまったので、もしかしたら正規メンバーではなく、彼の奥さんとかかもしれない。
なにはともあれ、「音の国連」なんて大げさなバンド名をつけたのは、こういう白黒男女混合バンドゆえだろう。わざわざ新しくバンド名をつけたくらいだから、単なるソロとは違った新バンドとしてのステージをみせてくれるのかと思ってたら、リチャード・アシュクロフトにはそんなこだわりは微塵もないようだった。というか、ソロであることへのこだわりさえないようだった。なんたって冒頭の2曲だか3曲、新譜からの曲を披露したあとで、いきなりザ・ヴァーヴの名曲 『Lucky Man』 ですもん。うわー。
その後も 『Music Is Power』 や 『Break The Night With Colour』 などといったソロの名曲をはさみ、最後は 『Bitter Sweet Symphony』 で締めるというキャリア総決算的なサービスぶり(そのたびに僕は「うわー、うわー」といっていた)。演奏されたのは全10曲前後で、そのうち新曲は約半分。要するに新しいバンドを紹介しつつ、ヴァーヴとソロのいいところ取りをしているようなセットリストだった。ヴァーヴよりもリチャード・アシュクロフトが好きだってファンにとっては、こたえられない内容だったと思う。
まあ、ただバンドの音はヴァーヴと比べるとおとなしめ。前の the HIATUS がものすごかったので、音圧の点でややもの足りなさを感じなくもなかったけれど、それでもやった曲はホントいい曲ばかりで、リチャード・アシュクロフトという人のソングライターとしての才能をいまさら再確認させられるようなライブだった。
つづいていよいよスマッシング・パンプキンズが登場~。なんだかんだいいつつ、このへんの流れ──リチャード・アシュクロフト、スマパン、そして次のペイヴメントというあたり──は、新鮮さそこないものの、なんかもうすごい贅沢感があった。こんな並び、めったに観られない。
今回のスマパンについては、ついにビリー・コーガンのソロ・プロジェクト化してしまったこともあって、マウンテン・ステージのとりを飾るにふさわしいパフォーマンスを見せてくれるのか、けっこう不安だった。で、その不安は半分はあたり、半分はハズレという感じだった。
あたりの部分に関しては、やはりまだビリー・コーガンは自分ひとりでスマパンを名乗ることに対して、開き直れてないんだろうなあって、そう感じさせた部分。全16曲のセットリストのうち、往年のファンが喜ぶような、これぞという代表曲はおよそ半分。残り半分はあまり馴染みのない最近の曲やレアなナンバーで締められていた。そもそもオープニングからして、今年になって無料配信した新曲の 『Astral Planes』 だった(ウクレレ弾き語りのカバー曲などもあった)。
もしもビリー・コーガンが「俺こそがスマパンだ」と胸をはっていい切れるならば、おそらくこういうセットリストにはならなかっただろうと思う。もっと惜しげもなく過去のナンバーを披露していたはずだ。たとえバンドが新しくたって、それは間違いなく彼が残した名曲群なのだから。
でも、ビリー・コーガンはあくまでスマパン解散後の自分にこだわった。再結成後の新バンドのカラーで勝負しようとした。少なくても僕にはそう感じられた。
でも残念ながら、新しい曲は観客の反応がよくない。コアなファンばかりならばともかく、フェスに集まった観客なのだからそれも仕方ない。あきらかに盛りあがる過去の曲と、いまいちリアクションの悪い新しい曲がまぜこぜになったこの日のセットリストには、新生スマッシング・パンプキンズに対するビリー・コーガンの逡巡が滲みだしている気がした。
【SET LIST】
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いっぽう、不安がハズレに終わったと思ったのは、この新スマパンの演奏がとてもソリッドでタフだったこと。非常に安定感のある、メタリックな音。前のスマパンがブリキだとしたら、今回のバンドは鋼鉄でできている、みたいな感じだった。
今回もやはりベースは女の子で、黄色いミニのワンピースを着たその姿はあまり上手そうには見えなかったけれど、それでいてバンドの音にはまったく問題がなかった。ギタリストは地味な身なりのわりには弾きまくり。コーガンのハードロック気質に油をそそぐようなプレーをみせていたのには、ちょっとどうなのという気もしたけれど、とにかく気持ちよくギターを鳴らしまくっていた。
ドラマーだけはさすがにジミー・チェンバレンにはおよばないかなと思ったけれど、それはチェンバレンほどの個性を感じないということであって、下手だって話ではないし。とにかく新しいスマパンの演奏は、一本しっかりと骨が通っている感じで、とてもパンチ力があった。
この先、スマパンがどうなってゆくのか、よくわからないけれど、とりあえず今後の展開にそこはかとない期待を抱かせるライヴだったと思う。あくまで「そこはか」というレベルだけれど。今回のステージが単なる懐古的なものには終わっていなかった点には、それなりの希望が感じられた。
スマパンが終わった時点で僕はもう疲れきっていて、さすがにこのまま徹夜は無理って気分になってしまっていた。なにより汗でべたべたの身体が気持ち悪くて、一刻も早くシャワーを浴びたかった。いまなによりも欲しいのはシャワー! 音楽よりもシャワー! そんな気分で無理してロックを聴いていてもしかたない。午前2時からのマニとピーター・フックのバンドなんて、もう冗談じゃなかった。なので、このあとのペイヴメントは途中で諦めて、終電で帰ることに決めた。
ということで、この日の最後のステージは10時半からのペイヴメント。
でもやっぱ、ペイヴメントはいい。バンドとして最高にいい。今年、僕のなかでもっとも株をあげたのは、ダーティー・プロジェクターズとこのバンドだった。いやぁ、好きだわこのバンド。
これをかぎりにもうツアーはしないそうだけれど、そんなことはいわないで、もう一枚アルバム作ってくれないかなあと思ってしまうような、楽しいステージを見せてくれた。時間が遅かったせいで酔っていたのか、テンションがなんとなく変だったけれど、それがまたペイヴメントらしくてよかった。
とにかく、このバンドのまとまり、それでいてエッジの効いたローファイ・サウンドは、いまの僕にとってはツボ。なんだかんだいって、今回のサマソニでもっとも好きだったのは、このペイヴメントの音だった。なんで今回再結成するまで、一度もライヴを観ようと思わなかったんだろう。ロック人生最大のまちがいだよなぁ。……とかいいつつ、途中で帰っちゃったわけだけれど。
ま、全部聴かないで済ませるもよし。そう思わせる自由さがペイヴメントにはある。
ちなみにペイヴメントを途中で諦めて、終電で帰れる時間に幕張メッセをあとにした僕ら夫婦だったけれど、なんと、こういうときに限って、山手線の人身事故に巻き込まれ、日暮里で1時間も足止めを食う羽目になった。なにゆえに終電で人身事故?
じつはペイヴメントを最後まで観ても、京葉線の最終はあった。それで東京駅まで出て、そこからタクシーで帰るという選択肢もあったのに、いまいちタクシーが好きでない僕らは、あえてそのひとつ前の電車で帰ることにしたんだった。
タクシーを選んでおけば、ペイヴメントも最後まで観られたし、1時間も足止めを食うこともなかった。なのに、あえてペイヴメントを諦めて帰ってみたらこの始末。しかも週末の終電で、迷惑をこうむった人が少なかったせいか、ニュースにもならないし……。
この皮肉な結末こそがわれらが人生だって。そんな気がしなくもない。
(Aug 14, 2010)
サマーソニック2010(2日目)
2010年8月8日(土)/幕張メッセ
2日目は前日の疲れがあるうえに、ひとりきりだったので、なおさら気合いが入らない。前日に輪をかけてスタートが遅くなり、会場に着いたのは午後1時すぎだった。
とりあえず、まずはファンファーロ(Fanfarlo)とダーウィン・ディーズ(DARWIN DEEZ)の2組をちょっとだけ観る。どちらもサマソニに出ていなければ、名前も知らなかったろうって人たち。
ファンファーロは男女混成6人組のオルタナティヴ・フォーク・バンド(うちひとりはバイオリンを弾いたりする女性)。最近サード・アルバムがあらゆるところで絶賛されているアーケイド・ファイアにたとえられることが多いので、いいかもと思って観てみたのだけれど、なんとなく行儀がよすぎる感じで乗り切れなかった。
もうひとつのダーウィン・ディーズはDIY感覚のチープなバンド・サウンドを聴かせるシンガー・ソングライター。いきなりバンドのメンバー3人とともに楽器を持たずに現れ、SEのダンス・ミュージックにあわせて、コミカルなダンスを決めてみせて、大いに場内の笑いを誘っていた(そのあと、ふつうに演奏を始めた)。ギタリスト(たぶん女の子)がやたらとノリがよくて、音的にもメロディ的にもけっこう好みのタイプだったけれど、とにかく2曲演奏しては1曲踊る、みたいなパターンがつづいて、ちょっと受けを狙いすぎな感があった。惜しい。
そのあとがこの日の昼間の目玉、ザ・ドラムス。
うかつな僕は生で観るまで気がつかないでいたのだけれど、このバンドにはベーシストがいなかった。ギターふたりにドラムス、そしてハンドマイクのボーカリストという4人組。曲によってはシーケンサーでベース・ラインを鳴らしているらしき曲もあったけれど、基本はベースレス。なるほど、だからCDの音があんなに音が軽いのかと、このステージを見てようやく納得した。
ベーシストがいなかったことと並んで意外だったのが、ボーカルが歌に専念していて、いっさい楽器を演奏をしなかったこと。僕はなぜだか勝手にギター・ボーカルのバンドだと思い込んでいたので、ハンドマイク片手にくねくねと妙な動きをしながら歌いまくる、独特の雰囲気を持ったボーカルの彼のパフォーマンスには、かなり意表をつかれた(ステージ向かって左手のギタリストも動きがかなり変だった)。
それでもこのバンドは思いのほかよかった。CDのへなちょこぶりからすると意外なほどにタイトで力強い演奏を聴かせてくれた。締めの1曲をのぞけば、すべて同じような速い曲ばかりだったのも好印象の要因。
僕は彼らのデビューEPを聴いて、これはちょっと関係ないかなと思って、デビュー・アルバムは聴いていないんだけれど、このステージを観て、いまさらながらこのバンドはきちんとフォローしておいたほうがいいかもと思った。つまらなかったら2、3曲聴いて移動しようと思っていたのに、とてもおもしろかったものだから、がっぷりと最後まで観とどけてしまった。
ドラムスのあと、ホールの開始時刻を待つあいだに、マイケル・モンローとバンド・オブ・ホーシズをちょい観した。
僕はマイケル・モンローがやっているような陽性のハード・ロックを一度も通らずにきてしまったリスナーだけれど、ああいうだだっ広い会場に、馬鹿でかい音でギターが鳴り響き、それに負けない声量で歌が響きわたるのを聴くと、「ああ、こういうのが好きな人がいるのもわかるなぁ」と思う(おかげでついついハード・ロック好きな高校時代の友人に、自慢のメールを送ってしまった)。
バンド・オブ・ホーシズも、ウィルコを好きになったいまならば、けっこう楽しんで聴けそうなバンドだった(実際には次のホールが気になって、すぐにステージを離れてしまったけれど)。その気になれば、聴くべき音は無限にある。
ここからが本日のメイン・イベント。まずはホール──というか、コートニー・ラヴ。
いやしかし、僕はいままで失礼にも、コートニー・ラヴという人を思いきり見誤っていました。グランジ・ブームに乗っかって売り出し、カート・コバーンと結婚したことで名声を高めた、グランジ界のヨーコ・オノ的な人だと思い込んでいたら、冗談じゃない。彼女ひとりだけでも、ものすごい存在感だった。
ブロンド・ヘアに厚化粧。ゴスロリな黒のワンピースに白いレースの上着。サンバーストのリッケンバッカーをかき鳴らしながら、ハスキー・ボイスでシャウトするその姿は、まごうことなきクイーン・オブ・グランジ。「ビッチ」としてのマス・イメージをためらうことなく堂々とさらけ出していて、すごいのひとこと。マジでオーラが見えそうなくらいだった。
今回のホールの再結成に際して、彼女以外にはオリジナル・メンバーがひとりもいないというのは、前日のスマパンと同じなのだけれど、両者のあり方はじつに正反対だと思った。ビリー・コーガンが昔の仲間との決別に折りあいをつけきれずにいる印象だったのに対して、コートニー・ラヴにはそんな遠慮はいっさいないようだった。「私こそがホールなのよ」と。そう言い切り、豪快にそのことを証明してみせた。
やっている曲の半分は新曲だったと思うけれど、そのことを不満に思っているリスナーはひとりもいなかったんじゃないだろうか(まあ、スマパンと比べるとヒット曲が少ないという事情はあるにしろ)。そういやオープニング・ナンバーは意外や 『悪魔を哀れむ歌』 だったけれど、あれも彼女のイメージにはぴったりだった(ただしサビ抜きの1コーラズたらず)。僕は彼女のファンというわけではないけれど、この日のステージには大いに感銘を受けた。あっぱれ、コートニー・ラヴ。
そうそう、おもしろかったのが、ステージの彼女の足もと左手に黒い箱が置いてあって、それが演出上、とても重要な役割を果たしていたこと。彼女がギターを弾きながらその箱に片足をかけると、スカートのあいだから太腿があらわになるんだった。黒いスカートからのぞく白い足がとてもエロティックで、彼女の扇情的なイメージをさらに強調していた。たかが箱、されど箱。箱ひとつで自らのイメージを過不足なく表現してみせるんだから、コートニー・ラヴ、おそるべしだ。
ホールのあと、ソニック・ステージへ移って、ブラック・レベル・モーターサイクル・クラブをちらりと観るも、そのときの気分じゃなかったので、急きょマウンテン・ステージにとって返し、ビールを飲みつつ、スラッシュを遠巻きにながめることにした。スラッシュ、黒い帽子にベストというお馴染みの格好で、でかい音出してました。マイケル・モンロー同様、こういうのはハマっちゃうと気持ちいいんだろうなぁと思う。
さあ、これで今年のサマソニも残り2ステージ。まずはトリ前のヨンシー。
僕はシガー・ロスを2年前までまったく知らなかったようなやつだけれど、今年リリースされた彼のソロ・アルバムは、今年のマイ・ベスト10入り確実というアルバムなので、ここはやはり、スティーヴィー・ワンダーを差し置いても、こっちを観ないわけにはいかないだろうと思った。
でも、不覚にもステージが始まってしばらくは、これを観ることにしたのは失敗だったかなぁ……と思ったんだった。とにかく序盤はスローで静かな曲ばっかりで、疲れた身体にはきつかった。しかも欲ばって前のほうで観ていたので、下がるに下がれない。これならスタジアムでスティーヴィー・ワンダー観とくべきだったかなぁ……とか思った。
でも、そんなステージが時とともに徐々に熱を帯びてくる。ただでさえ深い森のなかに住まう妖精みたいに幻想的で美しいヨンシーのファルセット・ボイスが──バックスクリーンに映し出された影絵風の映像がなおさらそんなイメージをあおる──次第に激しくなる演奏にのって、どんどん尋常じゃない雰囲気になってゆく。
バンドの構成もけっこう変わっていた。ステージ向かって右隅にドラムセット、左にキーボードがあって、中央のヨンシーのうしろには、アイスランドの民族楽器だろうか、得体の知れない鍵盤楽器が何台か配置されていた。メンバーはヨンシーを含めて確か5人で、この人たちが入れ替わり立ち替わり、それこそ、ときにはドラマーまでが自分の持ち場を離れて、これらの楽器を奏でてゆく。静かな曲ではヨンシー以外の全員がキーボードを弾いている、なんてこともあったと思う。そのヨンシーも何曲かは鍵盤を弾く。
とにかくベースとなるのは、ヨンシーのファルセット・ボイスとオルガンのようなタイプの鍵盤楽器のやさしく美しい音色。そこに徐々にアルバムを特徴づけていたパーカッシヴな音の積み重ねによる緻密な激しさが加わってゆく。
それはロック本来の人工的な激しさとは違っていて、まるで自然の脅威を音にしたみたいだった。静かに始まり、やがて次第に高まり、ついには暴風雨の映像とともに猛々しく鳴りわたったラスト・ナンバーの壮大さはひたすら圧巻。終わってみれば、最初の後悔はどこへやら。これを観なかったら話にならないだろうって思ってしまうような、素晴らしいステージだった。実質的にこれが今回のサマソニのクライマックスだった。
ヨンシーの余韻にひたりつつ、次のピクシーズはこれで最後だから、なるべく前のほうで観ようと、そのまま引きつづきソニック・ステージを離れずに開演を待った……のだけれど。
これが大失敗。前のほうへ行きすぎて、ライヴが始まるなりモッシュに巻き込まれる羽目に……。ただでさえヘロヘロだったのに、なおさらヘロヘロになってしまった。
まわりの若者のような体力はないし(まあ、若いころからなかったけど)、もとよりわれを忘れるってのができないタイプなので、なんかもう、暑くてライヴを楽しむどころじゃなかった。近くで観ているわりには、ピクシーズの音もあまりラウドじゃなくて、やや拍子抜けしたってのもあった。
ピクシーズはもっとも好きなロック・バンドのひとつだけれど、考えてみれば、前回観たのがもう5年前の話だ。それがいまになってもなお、新曲のひとつも作らず、昔のナンバーだけをやりながらツアーを回っているわけで。なんとなく「それってどうなのさ」という気分が否めなくなってしまった部分もあった。いまの彼らがなにをモチベーションに一緒にツアーをしているのか、僕にはいまいちよくわからない。
ということで、自分のまわりはたいそうな盛りあがりだったのだけれど、僕はそのなかに入りきれないまま、次々と演奏される大好きなナンバーの数々を複雑な気分で耳にしていた。好きな音楽を生で聴いていて盛りあがりきれないってのも、かなり損をした気分だったけれど、まあ、ときにはこんなこともある。
そんなわけで最後がいまいち残念だったものの、すっかりくたくたになってサマソニは終了。ピクシーズがフェス全体のラスト・ステージだったため、帰りの電車も満員で、これまたきつかった。ライブ自体はとても楽しかったけれど──なんたって観るも観たり、2日間で20アーティスト。これだけ観れば十分もとは取れた──、あまりに疲れたので、これに懲りて、来年はもうゆくのやめようかと思っていたりする。ま、喉もと過ぎれば熱さを忘れるで、来年になったらまたふつうに騒いでいそうな気もするけれど。
(Aug 16, 2010)
佐野元春&ザ・コヨーテ・バンド
佐野元春30周年アニバーサリー・ツアー Part.2 全国クラブ・サーキット・ツアー 『ソウル・ボーイへの伝言』/2010年10月23日(土)/SHIBUYA O-EAST
佐野元春のデビュー三十周年記念企画の第二弾、ライヴハウス・ツアーを観にいってきた(──って、もうかれこれ1ヶ月前の話になってしまったけれど。最近はほんと文章が書けなくていけない)。
会場はSHIBUYA O-EAST。それなりにライヴに足を運んでいるわりには、不思議とこの会場は初めて。開演時間まであと10分ってころに着いてみたら、場内はもう満員だった。佐野元春ファン、出足がはやい。
いやでも、それというのも、もしかしたら佐野さんが時間に几帳面な人で、いつでも開演時間にジャストでライブが始まるからなのかもしれない。そういや、かれこれ15年以上前の話だけれど、武道館のライヴのときに時間の見積もりをまちがって、10分ばかり遅刻していったら、開演に間にあわなかったことがあったし……(この件では、いまだにうちの奥さんにつっこまれる)。この日のライヴも、開演時間とほぼ同時に場内の照明が落ちた。あまりにジャストすぎて笑っちゃうくらいだった。
ただ、この日はちょっとしたアトラクションがあって、すぐにはライヴは始まらない。ライヴハウスにしては珍しく、ステージの左右にスクリーンが配されていると思ったら、そこにWOWOWで新春に放送されるというスペシャル・ドラマ、『コヨーテ、海へ』 の予告編が流されたんだった。
このドラマの内容がまたすごい。『VISITORS』 のころの佐野元春に憧れて、当時のニューヨークに渡ったという男性の息子が、父親の思い出の地を訪ねるとかいう、そういう内容。つまり伝説のミュージシャン、佐野元春に対するトリビュート・ドラマなんだった。そういう自分を礼賛するようなドラマの予告編を、わざわざライヴの前に見せる人って、あまりいないと思う。佐野元春ってやっぱりおかしい。
まあでも、集まっているファンも僕と同じくらいの年齢の人が多く、つまりは大半はそのころからのファンって感じだったので、このドラマに対するリアクションも温かい。というか、いまなお熱心に佐野元春を聴いている年季の入ったファンばかりだけあって、いちいちリアクションがいい。「元春~、最高~」って叫び声に、まわりから拍手が起っちゃうような調子。ライヴもよかったけれど、そんなオーディエンスも素敵だった。部外者的なポジションの僕までも、会場にいるだけで幸せな気分になれてしまった。感謝。
なんにしろ、そんなわけで2ヶ月半後に放送されるテレビ・ドラマの予告編のあとで、満を持して佐野元春&ザ・コヨーテ・バンド登場。一曲目はある程度予想していた通り、『星の下 路の上』。
バンドのメンバーは、ギター深沼元昭(PLAGUES)、ベース高桑圭(GREAT3)、ドラム小松シゲル(ノーナ・リーヴス)、キーボード渡辺シュンスケ(佐野さんからはシュンちゃんと呼ばれていた)の4人。
佐野元春というと、ハートランドの昔からザ・ホーボー・キング・バンドまで、ホーンをフィーチャーした大所帯バンドのイメージが強いので、このシンプルな5ピース・バンドでどんな演奏を聴かせてくれるのか、とても楽しみにしていた。このメンツで昔の曲をどんなふうに聴かせるのかも。
そしたら序盤は 『コヨーテ』 のナンバーだけが並ぶセットリスト。しかも3曲目まではアルバムの曲順どおり。『コヨーテ』 のレコーディング・メンバーとともに 『コヨーテ』 のナンバーをやっているんだから、サウンド的に特別な驚きはない。とはいえ、安定感のあるタイトなロック・サウンドが気持ちいい。
【SET LIST】
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このバンドのキー・パーソンはギターの深沼くん。単なるギター・プレーヤーというにとどまらず、大半の曲でコーラスをつけては、最近すっかり声量の衰えた佐野さんを見事にサポートしていた。曲によってはツイン・ボーカルってくらいに歌っていたけれど、それでいて佐野さんのボーカルを邪魔したりすることがなかったし、いわば影のMVP。彼の起用は大正解だと思った。
なんにしろ、序盤から 『コヨーテ』 の曲がアルバム順で演奏されたので、こりゃ今夜はあのアルバムをまるまる順番にやるのかなと思ったら、ちがった。4曲目で早くも欠落があり、結局 『コヨーテ』 セットは序盤の6曲だけでおしまい。そこからは「現在レコーディング中のセルフ・カバー・アルバムからの曲を聴いてもらおうと思います」みたいな紹介とともに、ヒット曲メドレーに突入した。
最初の 『ジュジュ』 は正直なところ、それほど好きな曲ではなかったけれど──でも高桑くんのモータウンなベース・ラインがなかなかイカしてた──、そのあとは 『月と専制君主』(タイトルがわかった自分にちょっと感心)、『レインガール』、『ぼくは大人になった』、『約束の橋』、『ヤングブラッズ』、『ダウンタウンボーイ』、『アンジェリーナ』 という、楽しすぎる選曲。
個人的にとくによかったのが 『ヤングブラッズ』 で、これはホーンがないことを除けば、当時のアレンジのほぼそのままだったと思うけれど、いま聴いても十分に新鮮で、やたらとカッコよかった。当時の佐野元春はほんと時代を先取りしてたんだなぁと思った。
なんにしろ、そんなふうに懐かしい名曲群が次々と演奏されて、いい感じで盛りあがってきて、でもずいぶん早く 『アンジェリーナ』 をやるなぁと思ったら、なんとそこまでで本編が終了。おいおい、終わっちゃったよ。まだ1時間くらいしかやってないぞ。短いっ。
もちろん、それで終わりというはずはなく、そのあとにアンコールが2度あったけれど(一度目は深沼くんとふたりでのアコースティック・セット)、それでも全体で1時間半に満たなかったんじゃないだろうか。30周年アニバーサリーと銘打っているくらいだから、たっぷり聴かせてもらえるものと思い込んでいたので、その点はちょっともの足りなかった。
とはいえ、2度目のアンコールがまたおかしかった。「ちょっと季節はずれな曲をやります。もうすぐ年末だからいいよね」みたいな長めの前振りに、「おお~、それはもしや……」と場内がどよめく。
で、やはり 『クリスマス・タイム・イン・ブルー』 ですもん。そうくるか~。今回のライブハウス・ツアーは12月中旬までつづくので(この日が初日)、もしかして、これってこの先のための予行練習だったりしません? でもまあいいや、おもしろかったから。もちろん、アウトロの合唱にも参加しましたとも。
さらにそのあとがまたおかしかった。『クリスマス・タイム・イン・ブルー』 が終わったあと、全員で肩組んだりして挨拶して、これでおしまいってふりをした佐野さん。観客の歓声にあと押しされたように、「特別にもう一曲だけやる?」とかなんとか、メンバーと円陣を組んで相談してから、おもむろに 『サムデイ』 を演奏し始めたのだけれど、その演奏の途中で、それまで一度も吹いていなかったハーモニカをポケットから取り出してみせたんだった。急きょやることにしたようなふりをしながら、ちゃんとこの曲のためにハーモニカを用意してるんじゃん! さっきのは演技かいっ。どうにもこうにも、佐野元春という人はすっとぼけていておもしろい。
そういや、序盤にまとめて演奏されたアルバム 『コヨーテ』 の曲が、それ以降はもう二度と演奏されなかったのもおかしかった──というか残念だった。とくに冒頭で紹介されたドラマのタイトルにもなった 『コヨーテ、海へ』 は、絶対やるだろうとおもっていたにもかかわらず、演奏されずに終わってしまったのにがっくり。あのー、タイアップドラマの予告編を見せてもらうより、その曲を生で聴かせてもらえたほうが、よほど嬉しいんですけど……。
まあ、なにはともあれ、そんなこんなで短いながらも楽しいライヴでした。ひさしぶりの佐野元春にうちの奥さんがすっかり盛りあがっているので、チケットが取れれば、来年3月のツアー・ファイナルも観にゆくことになりそうな勢い。
(Nov 18, 2010)
エレファントカシマシ
2010年11月20日(土)/Zepp Tokyo
あぁ、怠けていたら、すでに3週間も前の話になってしまった、エレファントカシマシの年内最後のZepp Tokyo公演、2デイズの初日。
いまの僕の記憶力で3週間のインターバルは致命的。すっかり記憶が薄れてしまっている。どんなだったっけなぁ……と、セットリストを眺めながら思い返してみる。
あぁ、そうそう。 『脱コミュニケーション』 で始まったんだった。
それで、この日はひさしぶりに蔦谷くん抜きだった。でもヒラマくん(ミッキー)はいるという。つまりエレカシ4人+ギター1本という、あまりこれまでに観た記憶がないパターンのバンド編成。
でもこれがよかった。蔦谷くん抜き、つまりキーボード抜きの、純然たるギター・バンドとしての荒々しさが前面に出ていて、とても気持ちいい。蔦谷くんには悪いけれど、やっぱエレカシはキーボードなしでもぜんぜん問題ないや──いや、かえってキーボードなしのほうがいいかも──とまで思ってしまった。
ほんと、レコーディング音源ではストリングスが大々的にフィーチャーされている 『明日への記憶』 が、ギターだけで十分にドラマチックに鳴り響いていたのには、とても感動した。なんだ、蔦谷くん抜きでも、こういう曲をこんな風にドラマチックに鳴らせるんだ。四十を過ぎてなお、成長してるんだなぁと……(まあ、ヒラマくんがいる分、石くんだけのときより演奏が安定しているってのはある気がするけれど)。この曲がこの日のクライマックスのひとつ。
そのほかでも、この日はおーっと思うポイントがいくつかあった。
なかでも個人的にもっとも嬉しかった曲のひとつが 『good morning』。
同名アルバムのタイトル・ナンバーであるこの曲は、リリース当時のライブでは、ドラム・マシンを使用したアルバムの方向性のまんま、同期モノをどかどか鳴らしてハードに演奏されていたけれど、今回の演奏は打ち込みなしのバンド・サウンド・バージョン。
これがとても新鮮。あのころ宮本が見せたような、メーターが振りきれたような尋常ならざる迫力こそなかったけれど、同期ものがない分、バンド・サウンドには軽快な切れのよさがあったし、いま現在の宮本の等身大のパフォーマンスにもまた違った味があり、まるで別の曲に生まれ変わったかのようだった。
もう一曲、ロートル・ファンには最高に嬉しい贈り物だったのが、アンコールで演奏された 『習わぬ経を読む男』。
この曲、ファースト・アルバムの収録曲のなかでは、個人的にもっとも愛着のある一曲なのだけれど、不思議とこれまでライブで演奏されることがなかった。少なくても僕は、この曲を生で聞いた記憶がまったくない。
92年の吉祥寺バウスシアターでファースト・アルバムを全曲演奏した日があったので、さすがにその日には演奏されているはずだけれど(記憶がない…)、僕がエレカシのライブに足を運ぶようになって以降、それ以外でこの曲が演奏されたことって、まったくなかった(好きな曲だけに、やってたらさすがに記憶に残っていると思う)。
【SET LIST】
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ということで僕がこの曲を生で聴くのは、じつに18年ぶり。というか、前回聴かせてもらったときの記憶がまったく残っていないので、いわば初めて聴くも当然。いやぁ、嬉しすぎる。この曲が生で聴けたってだけでも、この日のライブには20年分の価値があったと云いきりたい。前回の 『too fine life』 と並んで、ファン冥利に尽きた。
初めてって話でいえば、序盤に演奏された 『始まりはいつも』 も、ベスト盤のボーナス・トラックとして発表された曲だけに、おそらくライブで聴くのは初めてだった。
最近のエレカシはそんな風に、演奏回数の少ない曲を意識的にピックアップしている感がある。そしてそれがセットリストの上でも、とてもいいアクセントになっている。そこに芸歴が長いがゆえの強み、ベテラン・バンドならではの懐の深さを感じさせるところが頼もしい。
でも、じゃあ古い曲のほうがよかったかというと、そんなこともない。先に述べた 『明日への記憶』 を始めとした新曲群だってとてもライブで映えていたし、なかでも新譜 『悪魔のささやき~そして、心に灯をともす旅』 のタイトル・ナンバーともいうべき 『旅』 は、『明日への記憶』 と並んで、この日のクライマックスのひとつだった。新しい曲と古い曲、両方並べてしっかり盛りあげられるってのも、いまのエレカシのすごいところだと思う。
そうそう、この日のライブで意外だったのは、そのニュー・アルバムからの曲が半分くらいしか演奏されたなかったこと。新譜がリリースされたばかり、それもまさにその週末のライブだったから、お披露目で全曲披露されるんだろうと思っていたので、これはちょっと意外だった。とくにアルバムの冒頭を飾る 『moonlight magic』 とラストの 『悪魔メフィスト』 が両方とも演奏されなかったのは、意外もいいところ。でもまあ、リリースから本当に間もないし、新春早々に武道館公演が決まっているので、そこまでお預けってことなのかもしれない。
そのほか、『さよならパーティー』 はやっぱいい曲だなぁと思ったとか、本編ラストの 『男は行く』 も最高だったとか、アンコールで宮本が 『寒き夜』 を弾き語りで聴かせようとしたくせに、歌詞もコードも忘れていてまともに演奏できなかったのは、ちょっとなんだったりとか、振り返ってみて、それなりに思い出すこともあるけれど、まあ、それももう3週間前の話。やはり記憶はぼやけてしまっているので、この辺でおしまいにしておく。
そういや、この日のライブは開演直前に着いたら、もう場内ぎっしりで、うしろのほうでしか観れなかった(一ヵ月前の佐野元春でもおなじ目にあっているのに、学習能力のないやつ)。ステージのよく見えなさに、このところのエレカシ人気を実感した晩秋の一夜だった。
(Dec 12, 2010)