『男はつらいよ』@BS2特集(9)

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Index

  1. 男はつらいよ 寅次郎心の旅路
  2. 男はつらいよ ぼくの伯父さん
  3. 男はつらいよ 寅次郎の休日
  4. 男はつらいよ 寅次郎の告白
  5. 男はつらいよ 寅次郎の青春

男はつらいよ 寅次郎心の旅路

山田洋次監督/渥美清、竹下景子/1989年

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 竹下景子、淡路恵子の二人のケイコさんが『知床慕情』から2年して再び共演している本作品は、旅先で出会ったノイローゼのサラリーマン坂口(柄本明)にすっかり気に入られてしまった寅さんが、彼に泣きつかれて一緒にウィーンへ海外旅行に出かける、という話。「ウィーンへ行きたい」と言われて、「ああ、由布院ね、あそこはちょっと遠いなあ」と寅さんがとぼけるシーンがやたらと記憶に残っている。
 この作品は言うまでもなく、故郷の日本にいても浮きまくりの寅さんが、芸術の都ウィーンを訪れたらどうなるかというミスマッチが一番のポイントだ。笑わせどころは数多くあるけれど、なかでも公園で人のよさそうな白人のおばさんと言葉が通じないまま会話を交わして、せんべいをあげたりしちゃうシーンがとてもいい。こうした国境を越えた人懐っこさこそが、寅さんの人気の理由だと思う。
 ウィーンと言えば『第三の男』だということで、この名画にまつわるパロディもある。淡路恵子さんが死に別れた旦那さんについて、「実はスパイだったらしいのよ」なんて言うシーンで、その旦那の顔写真がオーソン・ウェルズ(のそっくりさん?)だったりする。柄本明が舞踏会から帰ってきたシーンでは、建物に彼の影が大きく映るシーンがそのまんま、あの映画へのオマージュだ。ただしあちらとは違って、このシーンは美しいと言えるほどの出来ではない。両者を比べてみて、なぜ『第三の男』の映像があれほど賞賛されるのかわかる気がした。
 三度目のマドンナとなる竹下さんは、残念ながらこれまでの出演時よりもやや魅力を欠く印象だった。ツアーのガイドをしたりしながら、異邦の地で苦労して暮らしているという設定が彼女から笑顔を奪い、その清楚な魅力に水を差してしまっているような気がする。白人の恋人がいるというのもなぁ。目の前で彼女と恋人の熱烈なラブシーンを見せられてしまう寅さんの心情には、いつになく強く共感してしまった。
 ラストでくるまやを訪れた柄本明が、そのラブシーンの連続写真をさくらたちに見せるというシーンもなかなかすごい。柄本明の行為を通じて、海外旅行にゆくと写真ばっかり撮っている日本人を風刺しつつ、一方で寅さんの失恋をドキュメントして見せることで笑いを誘ってみせる演出は、なかなか高度なんじゃないだろうか。
 柄本さんと言えば、彼が舞踏会──そんなものがあるんですね──で知りあったパン屋の店員さんに花を持って会いにゆくシーンもいい。一度は自殺までしようとした彼が立ち直ったことを印象づけて、(ちょっぴり気恥ずかしくも)あたたかい気持ちにさせてくれる。
 もうひとつ好きなのは、寅さんがドナウ川のほとりに立って演歌を歌うシーン。「とくらぁ~」なんて合いの手をはさみつつ、ひとくさり歌ったあとで、竹下さんに向かって「なんだかこの歌、似合わないね」なんて言って笑いを誘っているけれど、ドナウ川に演歌というそのミスマッチが僕にはとても好ましく思えた。
(Dec 29, 2006)

男はつらいよ ぼくの伯父さん

山田洋次監督/渥美清、檀ふみ/1989年

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 この作品からシリーズは満男に主役を譲る。むこう数作は彼と、後藤久美子の演じる彼のガールフレンド、及川泉ちゃんとの関係を軸に展開することになるようだ。手はじめのこの作品では、浪人中の満男が、名古屋へ引っ越してしまった後輩の泉に会いたくてたまらなくなり、ついには家出をしてバイクを飛ばして、佐賀の叔母の家に身を寄せている彼女を訪ねてゆくという話が描かれる。オープニングもそんな趣向を反映して満男のナレーションから始まる。
 今回の寅さんは完璧に満男のサポート役に徹している。一緒にどじょう屋で酒を飲みながら悩みを聞いてやったり──おかげで未成年に酒を飲ませたといって、博たちの大ひんしゅくを買うことになる──、偶然の再会を果たした佐賀では、泉の家に一緒に泊まってあげたり。大人の世界では、はみだしものの寅さんだけれど、満男がやたらと頼りないせいもあって、ここではなかなか頼れる伯父さん然とした、いままでとはひと味ちがった存在感を発揮している。特に満男が一足先に佐賀を離れたあと、嫌味な泉の叔父に啖呵を切るところとか──この叔父と初対面を果たしたあとの寅さんの「肌あわねえなあ」というひとことが、むちゃくちゃおかしい──、学校にいる泉を訪ねてゆくところとか、とてもいい感じだ。寅さんと満男が偶然、旅館で相部屋になるというシーンもいい。そんなのあり得ないってと思いながらも、そこまでひとり旅をしてきた満男の不安な胸のうちを思うと、やはりほっとした気分にさせられる。
 とにかくこの作品の寅さんは満男を立てて、終始一歩引いたままだ。だからマドンナの檀ふみ──昔は満男の担任の先生役で出ていたけれど、今回は泉の叔母さん役──もあまり存在感がない。一緒にいるのはせいぜい二晩だし、彼女には堅物の旦那もいるし、深い恋愛関係になりようがない。寅さんが可愛い人だなと思ってちょっと惹かれた、くらいの描き方になっている。今後はほとんどがこの手の関係になってゆくんだろう。
 寅さんから主役の座を奪った満男のほうはどうかと言えば、自分と同世代であるにもかかわらず──設定では僕より三つ年下のはず──、正直なところ、僕にはほとんど共感できなかった。うじうじしていて、自分勝手で、見ていてイライラしてしまう(もしかしたら自分に似ているような気がするから、なおさら嫌なのかもしれない)。なのでそんな彼にゴクミほどの美少女が好意を抱いているという展開には、あまり説得力を感じなかった。
 まあ彼女の身からしてみると、年上の男性がわざわざ東京からバイクを飛ばして会いに来てくれちゃうんだから、それだけで素敵ということになってしまうのかもしれないけれど……。バイクに乗れるだけ、僕よりましという気もするし。それにしても満男、よりによって「軽いノリでアイ・ラブ・ユー」ってのはなあ。それじゃあ浪人もするよと言いたい。ヘルメットごつん、というところでは思わず笑ってしまいましたが。
 若いカップルのツーショットのシーンでは音楽がやたらとメランコリックなものになるのも、個人的にはやや難あり。BGMで徳永英明の歌がかかったりするし、前から山田監督の描く青春群像が苦手な僕には、やはりちょっとなあと思うところの多い作品だった。
(Jan 13, 2007)

男はつらいよ 寅次郎の休日

山田洋次監督/渥美清、夏木マリ/1990年

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 ゴクミ・シリーズの第二弾。今回は泉が別居中の父親に会おうと上京してみたところ、その父親がすでに仕事を辞めて九州へ引っ越してしまっていたというので、そのまま黙って九州へ向かおうとする彼女に満男がついていってしまうという話になっている。
 この作品はひさしぶりに夢のシーンから始まる。寅さんが平安時代の貴族という設定で、月夜に和歌など読んでいるところへ、旅の途中のさくらが一夜の宿をもとめて立ち寄るというだけのもの。寅さんが平安貴族に扮しているというミスマッチが苦笑を誘うくらいで、特に出来栄えがいいとも思えないし、このところご無沙汰だった夢のシーンを、なんでいまさら用意したのかと最初はちょっと不思議に思った。でもその後の本編を見て納得。前作が満男の旅の話だったのに対して、今回はゴクミの旅を描く話になっているからだ。だから導入部である夢のシーンにも、都に住む寅さんのもとへ旅人のさくらが訪れるという、いつもとは立場が逆転したミニドラマを配したのだろう。なかなか手が込んでいる。
 ただそういうところに気をつかっているわりには、物語の設定はかなりいい加減だ。はっきり言ってこの映画で及川泉ちゃんのとる行動は、とても普通のおとなしい高校生のものとは思えない。母親と喧嘩をしたからって、平日に学校をさぼり、宿泊のあてもないまま名古屋から新幹線で上京して、さらには誰にも告げずにひとりで九州まで行こうとするってのは、ちょっとすご過ぎるんじゃないだろうか。普通の高校生なら片道の新幹線に乗るこづかいにも苦労するはずだ。わざわざ会いにきた父親がどこに住んでるかさえ知らないし。
 そもそも前回も思ったことだけれど、いかに不幸な家庭環境に悩んでいるとはいえ、あんな美少女が孤独をかこっているという設定に説得力がない。共学の学校に通っていたら、まわりの男が放っておかないだろう。彼女の若さならば、日々のつきあいのなかで、満男よりもっと大切な友人ができて当然だ。
 けれどこの作品の彼女からは、そういう普通の高校生らしい日常性というものがまるで感じられない。満男のガールフレンドという役柄を演じさせるため、徹底的なご都合主義でキャラクター設定がなされているからだろう。その点がいただけない。寅さんが中心の場合のご都合主義は、コメディゆえのご愛嬌ということで受け入れられたけれど、若い二人が中心となったこの辺の作品は、なまじ真面目な青春映画路線なだけに、そのリアリティのなさには、素直に受け入れにくいものがある。悩める青春を描くつもりならば、ちゃんとインチキなしで描いて欲しい。
 この映画で一番困ったもんだと思ったのは、九州へと着いた二人が一緒にどこかに泊まったはずなのに、そのことにはまるで触れないシナリオ。さくらと博が自宅に泉を泊めた晩に、満男たちが二階で二人きりでいるのを心配して寝不足になるなんてシーンを描いておきながら、そのあとの二人きりの外泊については、ひとことの言及もなしで終わってしまう。まるでそんな事実なんてなかったかのようだ。もしも真面目に青春映画としての側面を強調するつもりならば、その夜はもっとも重要な場面になってしかるべきなのに。
 べつに『男はつらいよ』にセクシーな展開は期待していないし、下手に見せられてたら、かえって困ると思う。それでも思春期の男女関係を本気で描く気があるのならば、せめて初めて女の子と外泊することになった満男のドキドキした胸のうちはきちんと描いて欲しかった。それでこそ青春映画でしょう? シナリオの都合でそんな展開になってしまったけれど、難しいシーンだから思わず逃げてしまいました、みたいな感じがして、拍子抜けしてしまった。
 まあ、そんなわけで若い二人を描いた部分には首をかしげないではいられないものがあるのだけれど、一方でそんな収まりの悪いメイン・ストーリーのなかに、いつもどおりの顔をして寅さんが登場するシーンは、その分だけ逆に引き立って見える気がする。前作同様、出番が少ないせいか、いわゆる“アリア”もたっぷりとあるし、要所要所で寅さんがいてよかったと思わせてくれる。
 でもそれだけに──って、また文句になっちゃうけれど──、彼がゆきずりの酒屋でご飯をご馳走になりながら、御代として50円しか置いていかないというギャグは、せっかくの寅さんの株を下げるようで、もったいなかった。
 今回のマドンナは泉の母親役として前回もちょっとだけ出演していた夏木マリ(NHKのサイトではゴクミをマドンナとして紹介しているけれど、マドンナはやっぱり寅さんの恋の相手でしょう)。この人は『千と千尋の神隠し』で湯婆婆の声優をしていた印象が強かったので、その若さにちょっとびっくりしてしまった。当時は38歳だったようなので、いまの僕よりも若い。でも化粧が厚すぎて、あまり年下という気がしない。
 その他の重要な配役では、泉の父親役で寺尾明が、その恋人役で宮崎美子が出演している。レギュラーのなかでは、くるまやの店員の三平ちゃんが、これまでになく自己主張しているのが印象的だった。彼と寅さんとの幾度かのやりとりが、今回の作品で一番笑えるシーンだった気がする。
 あとこれはいいなと思ったのが、終わりの方で、泉の母がマダムをつとめる名古屋のバーを寅さんが訪ねて、結局会えずに、カードを添えた黄色いバラの花束だけ置いてゆくというシーン。寅さんは登場しないけれど、あれはなかなか格好いい。いつになく粋でスマートな計らいだと思った。
(Jan 20, 2007)

男はつらいよ 寅次郎の告白

山田洋次監督/渥美清、吉田日出子/1991年

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 ゴクミ・シリーズ第三弾にして、キャラクター設定に重大な矛盾が発覚。この映画の泉ちゃんは高校三年生で、就職先を探しているという設定になっている。つまり二年前、最初に登場した時は高校一年生。今回の作品のなかで満男たちも確かにそう言っている。
 でもね、その話では、満男は浪人生だった。つまり彼と泉は年が三才離れていることになってしまう。葛飾高校が中高一貫の六年制ならばいざ知らず、その年の差だと普通は中学も高校もすれ違ってしまうので、ブラスバンド部で先輩後輩だったという関係が成り立たない。作っている側にもそのくらいの計算ができないはずはないので、そういう齟齬があることは承知しているんだと思う。そしてあえて致し方なしと放置しているのだと。ではなぜ、そんなイージーな間違いがほうったらかしになっているのか。
 僕が思うにそれはおそらく、このシリーズがこの時点ですでに、登場する人々の成長や老いを描くのを重要なテーマのひとつとしているからだ。初登場の時のゴクミは十五歳だった。つまり高校一年生というのは実年齢どおりの配役だったわけだ。満男役の吉岡くんも70年生まれだそうだから、89年に一浪中ってことは、こちらも年齢どおりということになる。満男が生まれたのは69年の第一作だったから、作品の公開にあわせて順当に年をとってゆけば、本当ならばもう一歳上になっているはずなのだけれど、いつのまにか補正がかかって、吉岡くんの実年齢にあわされている。
 この事実からするに、山田監督たちには吉岡くんとゴクミの成長を、彼らの実際の年齢にあわせて描きたいという思いがあったものと思われる。せっかく若い二人を数作にわたってフィーチャーするのだから、彼らが本当の年齢どおりに年を重ねてゆくさまをフィルムに収めておきたいと思ったのだろう。だからこの作品のゴクミは高校三年生でなければならなかった。結果として以前の作品での設定とは齟齬が生じてしまうことになる。けれどまあそれはそれで仕方ないと。大切なのは十七歳のゴクミを十七歳として描くことだ。この映画を作った人たちはそう考えていたんだろうと僕は推測する。そう考えて、それならばまあ仕方ないかなと思っている。
 ということでこれは実年齢どおりの若いカップルの関係を描くシリーズ第三弾。今回も前作と同じように、母親と喧嘩をした泉が家出をして、一人旅に出てしまうという話になっている。本当にこの子はおとなしそうな顔をしているわりに、家出には過剰に積極的だ。それでも今回は彼女と満男とのツーショットが前より少ない分、あまりべたべたした感じになっていないので、まあまあ受け入れやすかった。満男も階段から落ちて流血するという身体をはったギャグを二度も見せてくれていて、なかなか好感が持てる。やっぱり寅さんとためで張りあうからには、あれくらいやってもらわないと。
 マドンナの吉田日出子さんは、寅さんが昔惚れていたという鳥取の旅館の女将{おかみ}さん。鳥取で泉たちと偶然の再会(何度目だ)を果たした寅さんは、彼女たちを連れてこの女性の宿を訪れ、「おれは昔この人に惚れてたんだよ」とか言いながら、食事をご馳走になったりする。彼女がすでに結婚しているので、惚れた腫れたは過去の話だとばかりに軽口をたたいているわけだ。ところが彼女のダンナがすでに死んでいたと知らされたとたん、態度が急変。それまで親しげに「おせいちゃん」と呼んでいたのが、いきなり「女将さん」になっちゃうのがおかしい。
 その夜はかなりきわどい雰囲気になるのだけれど──あのピンクのライトはいったいなんなんだか──、寅さんは危機一髪のところを、満男の階段落ちのギャグに救われることになる。今回のマドンナも出番はあまり多くないけれど、しっかりと寅さんに言い寄っているおかげで、ひさしぶりに存在感があった。
(Jan 23, 2007)

男はつらいよ 寅次郎の青春

山田洋次監督/渥美清、風吹ジュン/1992年

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 ゴクミ四部作の最終回。初登場のときは高校一年生だった泉ちゃんもいまや社会人となり、東京に出てきてレコード屋の店員として働いている(ちなみにレコード会社で働いていた関係で小売店に詳しい妻の話によると、あの店は表参道の河合楽器だそうだ)。お化粧をしてパーマもかけて、すっかり大人ぽくなっちゃって……。今回はそんな彼女が、親友(というわりには親しげには見えない)の結婚式に出席するために宮崎へと出かけ、その土地で寅さんとばったり出くわすことになる。
 マドンナの蝶子さん(風吹ジュン)とのデート中だった寅は、泉と再会したことで、ちょっとまずい立場におちいる。ひさしぶりに会った泉ちゃんとも話をしたい。でも蝶子さんを放ってもおけない。女性たち二人は、寅が別の女性となかよくしているのを見せられるのはおもしろくないので、自分のほうが身を引こうとする。板ばさみになって困った彼は、たまたま足をくじいたのを大げさに騒いでみせ、二人に助けられて病院に運ばれるという騒ぎを起こして、気まずいムードをうやむやにしてしまう。この仮病を最後までひっぱるのだからあきれる。今回の寅さんはひさしぶりに困った人だった。まあ、これでこそという気もする。
 なんにしろこの“大怪我”の件で泉から連絡を受けた満男も現地にかけつけ、かくして椰子の樹はえる南国、宮崎に役者が勢ぞろいすることになる。永瀬正敏がマドンナの弟役で出演。泉となかよくなって満男の嫉妬心を駆り立てる役どころを演じている。
 この話はなによりマドンナの風吹ジュンが最高だった。いつもどおり相手の気持ちが自分になびいていることに気づいて逃げ出そうとする寅を、彼女はおもいきり罵倒する。これまで寅さんの態度にあそこまではっきりと怒りをぶつけた女性はいなかった。かなり痛いシーンなのだけれど、それでいてよくぞ言ったという痛快さがあった。
 『男はつらいよ』はすべて寅次郎の失恋の話だ。そのほとんどが彼自身の臆病さと甲斐性のなさがもたらしたものだから、本人についてはいくら悲しくたって、そんなのは自業自得だと思う。けれどそんな彼の甲斐性なしに巻き込まれ、悲しい思いをしている女性も実は少なくない。この作品のマドンナを始めとして、彼はこれまでに何人もの女性の心を傷つけてきている。その点で車寅次郎という人はかなり罪深い人だと思う。そんな彼の罪深さにきちんと啖呵を切って見せる、風吹ジュンのマドンナとしての演技は特筆ものだ。寅さんが脇役に徹している感じのここ数作だけれど、今回は彼女のおかげでひさしぶりに若いカップルにひけをとらない印象があった。
 これが最後の出演だという御前様もいい味を出している。前作だかで「私の若い頃の恋の激しさときたら、寅どころじゃありませんでした」なんて発言をしていたかと思うと、今回は源ちゃんに頭を剃らせながら、さくらさんとマドンナ(床屋さん)の噂話をして、「きれいな人に剃ってもらえたら幸せだ」みたいなことを言っている。実際に彼の頭を剃っているのがきれいじゃない源ちゃんだから、その発言とのギャップがおかしい。さらに源ちゃんの剃髪については、「ときどき殺気を感じることがあります」なんて言って笑わせてくれる。笠智衆さんは体力の問題か、ここ数作は縁側でさくらと茶飲み話をしているシーンだけの出演だったけれど、残念ながらこの作品が遺作となってしまったそうだ。
 最後と言えば、夢のシーンで始まるのもこの作品が最後だという。今回は漱石をモデルにしたシェイクスピア翻訳家の寅さんが、満男たちカップルの駆け落ちの手助けをするというもの。ほぼすべてを講談風のナレーションに乗せてみせるという手法はこれが初めて(語り手が誰だかは不明)。全体的なマンネリを細部への気配りで解消してみせる姿勢にはそれなりに感心させられた。
 物語は宮崎から戻ってすぐに、泉が心臓を患った母親と一緒に暮らす決心をして名古屋に帰ることになり、満男がふられたということになって終わる。でもなんであの展開で満男がふられたことになるのか、僕にはさっぱりわからない。これまでの三作では遠距離恋愛していたのだから、もとの状態に戻っただけでしょう? 別れ際に二人の関係が前進した分、前より親しくなっているはずだし。少なくても僕が満男の立場ならば、あれっきりで彼女との関係を諦めるなんてことはできない。
 そもそも引っ越しだってしないとならないだろうし、名古屋へ帰ると決めたその当日に新幹線を見送っておしまいって、そんな関係はあり得ない。泉が仕事を辞めて名古屋に帰るきっかけにしても、あんなきれいな子に親が病気だと聞かされて、あれほど冷たい態度をとる上司って、日本にはそんなにいないんじゃないかと僕は思う。
 そんな風に細かいところに不自然なところが多すぎて、人々の行動にあまりリアリティが感じられないのが『男はつらいよ』というシリーズの欠点だと思う。コメディに徹していればそれでもいいのだけれど、前にも書いたように、満男絡みの話はなまじ真面目な雰囲気なだけに、そうしたシナリオのいい加減さに鼻白んでしまうことになる。
 ということで誉めたり{けな}したり、忙しくなってしまったけれど、まあプラスマイナスするならば、なかなか見どころも多かったし、全体的にはプラスという作品だった。
 個人的にこの作品のなかで一番気に入っているのは、旅に出ようとする寅さんを見送るおばちゃんのひとこと、「なんで別れ際になると心が通いあっちゃうんだろうねぇ」というやつ。おばちゃん、おかしい。
(Jan 27, 2007)