『男はつらいよ』@BS2特集(7)
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男はつらいよ 旅と女と寅次郎
山田洋次監督/渥美清、都はるみ/1983年
二十一世紀のいまになって『男はつらいよ』を見ていておもしろいのは、それぞれの作品が撮られた時代の空気を色濃く反映していることだ。この作品では、クレジットロールのあいだに細川たかしが特別出演して、矢切の渡しで寸劇を演じて見せている(出てくるのはそこだけ)。丁度『矢切の渡し』が大ヒットしたのがこの前の年だったらしい。新潟で寅さんが商売をしている時に、集まっている女の子たちがみんな聖子ちゃんカットだったりするのも、やたらと懐かしい(そして気恥ずかしい)。時はそんな80年代だ。
物語は寅さんが満男の運動会の応援に行くといってみんなを困らせたあと(そりゃ困る)、仕事から逃げ出してきた都はるみと知り合って楽しいひとときを過ごすというもの。自分を芸能人だと気がつかない寅に、それゆえに気を許す都はるみ。ところが寅は途中で相手が有名人だと知ってしまうことになり、微妙な立場に陥る。そんな彼らの『ローマの休日』的な佐渡観光道中を描くのと平行して、失踪した都はるみを探す芸能プロダクションの面々の滑稽な追跡劇が展開するのが前半。後半は庶民の代表のようなとらやに、演歌界の大スター都はるみが訪ねてくるというミスマッチがクライマックスとなる。
この作品はとにかく都はるみという日本一の演歌歌手をマドンナと迎えたからには、彼女の歌をたっぷりと聴かせようと、そういう姿勢で全編が貫かれている。彼女は、どんなシーンでもほとんど絶えることなく歌を聞かせる。晩酌をしながら一曲、海を見ながら一曲、テレビに出演して一曲、とらやを訪ねてきて一曲、最後にステージで一曲。本当に歌いまくり。逃亡中の芸能人がそんなに歌わないよと、とつっこまないではいられないほどの歌いぶりだ。でもそんな指摘なんてなんのその。物語の整合性なんかよりも、都はるみの歌がたくさん聞けた方が観客も嬉しかろうといわんばかりの無邪気な演出には、このシリーズの(そしてもしかしたら日本人の?)特徴がよく出ていると思う。
ちなみにこれまでずっとNHK衛星第一の放送を録画して観てきたこのシリーズだけれど、この作品は録画し忘れたためにDVDで見ることになった。映画が終わったあとで、渡辺俊雄さんと山本晋也監督のコメントが聞けないと、なんだかもの足りない気がする。そもそもNHKの看板番組である紅白歌合戦のレギュラーというべき都はるみがマドンナの作品をNHKで見逃したってのは、大失敗だったかも……。
(Sep 24, 2006)
男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎
山田洋次監督/渥美清、竹下景子/1983年
今回のこの話の構成はいたってストレートだ。博のお父さんのお墓参りに立ち寄った寅さんが、その寺の住職の娘・朋子さん(竹下)に恋をして、そのままそこに居座ってしまい、ついには本気で結婚を考えるようになるというもの。マドンナの弟(中井貴一)とその恋人(杉田かおる)の純愛を描くサイドストーリーもあることはあるけれど、どうにも寅とマドンナの関係が濃すぎて、他の作品の若いカップルと比べると印象が薄い。
とにかくこの作品のポイントは、寅が堅気の女性を相手に本気で結婚を考え、そしてマドンナの方にもちゃんとその気があるという、この一点に尽きる。きちんと両者の恋愛感情が成立してしまっている分、やたらとテンションが高い。実際に作り手の側も、全編にわたって不純物を配し、二人の恋愛劇を徹底して描こうとしているのだと思う。オープニングの夢のシーンがいつもの寸劇仕立てではなく、とらやのメンツが寅の見合いを整えたと騒いでいるという、本当にありそうなタイプの夢になっていたり、最初に柴又に帰ってきて、おいちゃんたちと喧嘩をして家出するというお決まりのパターンを踏襲していなかったりするのも、そうした姿勢の表れだろう。
寅に想いを寄せる人はたまにあったけれど、この作品の竹下景子ほどきちんとその想いをおもてに出して見せた人は珍しい。多分すこし前のいしだあゆみくらいだろう。ただ、そのいしださんのエピソードは、なぜ彼女がそこまで寅に惚れてしまうのか、見ていてよくわからないのが欠点だった。それに対してこの作品は違う。お寺に住み着いて、住職の代わりに法事を行う寅は、確実におもしろくて(それなりに)頼れる男に見える。そして本人も勘違いして、住職よりも俺の方がよっぽど役に立つじゃないかという気になってしまっている。そんな風にこの話には寅がいつになく真面目に結婚を考えるわけにも、寅にマドンナが想いを寄せるわけにも、ちゃんと観客を納得させるだけの積み重ねがある。もちろん、その過程にはけっこういいかげんなところはあるのだけれど──漢字も満足にかけない寅が、いくら門前の小僧習わぬ経を読むといったところで、お経なんてあげられるとは思えない──、それでもまあいいかなと思わせるだけの説明がこのエピソードにはしっかりあると思う。
本気で結婚を考えて柴又へと相談のために戻ってきた寅さんは、御前様のもとで僧侶になるための修行を始めてみるも三日と持たなかったとのことで──そのへんの描写はいっさい省かれている。おいちゃんの「これこそまさに三日坊主ですな」というセリフがおかしい──、結局いつもどおりに駄目な自分を自覚することになってしまう。でもって彼を訪ねてきた竹下さん相手にまた、思春期の少年みたいな恋愛に対する臆病さをさらしてしまうことになる。そんな駄目な寅さんを相手に、実にせつない表情でもって、そっと彼の袖を引く竹下景子さんの、なんとも艶めかしいこと。さすが当時は「お嫁さんにしたい女優さん」といえば、まずはこの人という人気だった竹下さんだ。朝丘ルリ子に継ぐシリーズ計3回の出演を誇るだけのことはある。帝釈天の参道で御前様が彼女とすれ違う時に思わず見とれてしまうなんてシーンもあるし、山田監督にとってもお気に入りの女優さんだったのだろう。かくいう僕にとっても、実はこの人は少年時代の憧れの女優さんだったりする。まあいいんだけれども。
とにかく前半にお寺絡みで笑いのツボもきっちり押さえた上で、後半には定番の恋愛劇をこれでもかと描き切ったこの作品、個人的にはシリーズのベスト5に入る秀作だと思う。
(Oct 07, 2006)
男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎
山田洋次監督/渥美清、中原理恵/1984年
この話のマドンナは北海道で寅さんが出会う腰のすわらない美容師、フーテンの風子。このマドンナを演じる中原理恵は、オープニングの夢のシーン──さくらが登場しないのは多分初めて──にも登場し、エンディングでは結婚式で寅の祝福を受ける。そういう点ではかつての松坂慶子と同じように重用されているようだけれど、実際には年の差や身持ちの悪さのせいで、それほど寅さんがのぼせあがることもないから、存在感はいまいち。
彼女は寅さんと同じ稼業の曲芸オートバイ乗り、トニーと深い仲になる。トニーなんてすごい名前のキャラを演じるのは渡瀬恒彦(この人も夢のシーンに登場している)。彼と一緒に東京に出てきた風子は、体調を崩して寅に泣きついてくる。身持ちのあやしいトニーなんかにゃ、かわいい風子は任せちゃおけねぇ。そう思った寅は、自らトニーのもとへ出向き、身を引くように説得するのだけれど、そこで逆に相手から、ぐさりと急所を突くひとことを言われてしまうのだった。
「アニさん、見かけによらず純情ですね」
まさに図星。『男はつらいよ』史上、これほど寅の本性をずばりと一言で言いあてたセリフはないと思った。しかもヤクザな同業者から……。うーん、痛すぎる。
けっきょく寅さんと風子は、そんなふうに寅がトニーに会いに行ったことが原因で喧嘩別れをしてしまう。なんで余計なことをするのよ、みたいなことを言って反発する風子に対して、寅は「なんてこと言うんだ、おまえは」とかなんとか、いつにないきついセリフを吐く。さくら相手ならばともかく、マドンナ相手には珍しい。そういう発言があることでも、寅さんが風子を恋愛の対象というよりは、保護者的な立場で見ていたことがわかる。
この作品は、風子が北海道に帰って堅気の青年と結婚することになり、その結婚式に出席しようとやってきた寅さんが熊に襲われそうになるというコントで終わるのだけれど──ここまであからさまなギャグでフィナーレを飾るのもこのシリーズとしては珍しい──、マドンナの結婚式に出席すべくわざわざ北海道までやってくる寅さんの屈託のなさが、マドンナの距離感をよく表していると思う。
その他の見どころとしては、佐藤B作が、福田栄作なんてふざけた役名で、嫁さんに逃げられたさえないサラリーマンを演じている。彼が寅と風子とともに逃げた奥さんを訪ねてゆくという展開は、かつてのリリーと船越英二との珍道中を思い出させるのだけれど、比較するには、ちょっとばかり役者の格も、脚本の出来も違いすぎた感がある。
あと重要なところでは、タコ社長の娘あけみ役で美保純が登場するのもこの話から。それと懐かしいところで、寅の舎弟ノボル役の秋野太作が、堅気になって北海道で今川焼屋を営んでいるという設定でひさしぶりに登場している。でも彼の出番はどうやらこれで見納めらしい。かつての舎弟が妻子持ちとして安定した生活を営んでいるという設定が、浮き草暮らしのまま五十の坂を越えた寅さんとの対比で、そこはかとないペーソスを感じさせる。
(Oct 14, 2006)
男はつらいよ 寅次郎真実一路
山田洋次監督/渥美清、大原麗子/1984年
この作品では大原麗子が二度目のマドンナをつとめている。
この人の場合、前回も今回も人妻役だというのは、やはり人妻を演じさせたくなるような落ち着いた色っぽさのせいだろう。ただ前回は人妻とはいっても、最初から旦那さんと別居中で、寅と知り合って間もなく離婚してしまったから、ある意味では独身と同じようなものだった。そもそも彼女の旦那は出番さえなかったのではないかと思う。
それに対して今回はまるで違う。今回の大原さんは、寅さんが仲良くなったエリート証券マン富永の奥さんとして登場する。
寅さんは惚れっぽいわりには、相手が人妻だとなると、最初から一線を画そうとするのが常だ。竹下景子が出演した話などでも、初めから相手が結婚しているものだと決めつけて、それゆえ深入りしないよう距離をおこうとして、確認もせずに「旦那様によろしく」なんて言っている。そんな彼がここでは、やはり大原麗子の色気には勝てないとでもいうように、珍しく人妻と知りながらも最初からメロメロになってしまうのだった。
その後、仕事に疲れた富永が仕事も家庭も放り出して失踪してしまい、彼を探してマドンナとともに寅さんが鹿児島へと旅する、というくだりが本編のクライマックスとなる。恋と仁義の板ばさみになる寅さんの葛藤が丁寧に描かれるのが、この作品の特徴だ。
ちなみに富永を演じるのはシリーズのサブレギュラーのひとり、米倉斉加年さん(この人の出演もどうやらこの作品が最後のようだ)。富永という人は、ばりばりの企業戦士のわりには、ちょっとシャイで、寅のようなアウトローも偏見なく受け入れることのできるという、なかなか好感の持てるキャラクターに描かれている。寅さんが無銭飲食をしてしまった居酒屋で彼に助けられたことから、二人の交際は始まる。いわば彼は寅にとっては恩人だ。そんな人が失踪する。寅は彼の安否を気遣いながらも、その美人の奥さんと一緒に旅することに喜びを禁じ得ない。マドンナの方でも寅の存在に慰めを見出しているのはあきらかだから、二人の関係はかなり微妙なものになる。そんな自分たちの距離感を自覚した寅さんは、いつになく真面目に「自分は薄ぎたねえ奴です」などと、らしくないセリフを口にして、深い関係に陥らないよう気を配っている。女性と結ばれないことを宿命とする寅さんにとって、これは珍しく結ばれないでいることの理由に説得力のあるエピソードだったりする。
そんなだから、最後に富永が姿をあらわし、自らの恋が失恋に終わっても、寅さんは決して悲しそうなそぶりを見せない。最初から禁じられている恋のしがらみから解放された彼は、さくらが言うとおり、どことなくさっぱりとした感じで、なんだか幸せそうでさえある。今回の彼の失恋には救いがある。僕はこれはなかなかいい話だと思った。
ちなみに話は本編からそれるけれど、この作品の夢のシーンには巨大怪獣が登場する。ウルトラマン・タロウあたりのキャラを拝借してきたのかと思ったら、そうではなく、これは松竹唯一の特撮怪獣映画『宇宙大怪獣ギララ』の主演怪獣なのだそうだ。でも言っちゃなんだけれど、主演をつとめるほどの怪獣には見えない。そのへんが「松竹唯一」の
(Oct 22, 2006)
男はつらいよ 寅次郎恋愛塾
山田洋次監督/渥美清、樋口可南子/1985年
この作品、なんだか唐突な展開であふれかえっている印象がある。
まずは『楢山節考』──この作品の二年前にカンヌ映画祭のパルム・ドールを獲得している──のパロディであるオープニング。夢のシーンでは普通、寅さんのキャラを踏まえて、ヤクザな役柄を演じるのがつねの渥美さんが、ここでは珍しく(というか初めて?)家出と縁のない普通の役を演じている。老いた両親(当然おいちゃんとおばちゃん)を山に捨てにゆく村人役だ。おや、これでどうやって落とすんだろうと思ったら、おばちゃんを背負おうとした彼が、おばちゃんの体重を支えきれず、いきなりこけてしまう。たったこれだけ。そんなギャグともいえないギャグをひとつ見せただけで、唐突に夢のシーンが終わってしまった。意表をついた短さに、おいおい、これで終わりなのと思う。
引き続いて本編。商売で長崎を訪れていた寅さんがテキヤ仲間のポンシュウ(関敬六)と一緒に、道で転んだお祖母さんを助けたことから、そのお礼に彼女の家で一晩を過ごすことになるのだけれど、このお祖母さんが唐突に具合が悪くなって、その夜のうちに亡くなってしまうのだった。ええっ、本当に死んじゃうのと思う。
長崎ということでこのお祖母ちゃんはキリスト教徒(隠れ切支丹?)。葬儀は教会で行われる。そこに姿をあらわすのが、彼女の孫娘・若菜役の樋口可南子。場合が場合だからつかの間の出会いだけれど、相手は美女だ。「お礼に手紙を出します」とか言われた寅さんは、とらやに帰るやいなや、「さくら、俺に手紙はきてないか」と問いただす始末に。当然そこにタイミングよく郵便屋が寅あての手紙を配達しにやってきて……。
ただ、ちょっと前までは異様に高まっていた寅さんの恋愛熱もここへきてどうやらまたひと段落となったようで、彼女に対する寅の思い入れは、恋愛と呼べるレベルには到らない。それは彼女が柴又を訪れたときに、その案内役を満男に任せてしまうというシナリオでもあきらかだ。せっかく彼女と二人で過ごせるチャンスをみすみす満男に譲るなんて、相手が本当に恋する女性だったらば考えられない。そういえば前作では大原麗子親子を駅まで送っていく途中、満男に「お前はここで帰っていいから」というシーンがあったけれど、あれとは対照的だろう。
ということで年相応にマドンナと適度な距離を置いた寅さんは、彼女と同じアパートに住む平田満が彼女に惚れていると知ると、ある程度の余裕を持って彼のサポートに乗り出すのだった。
その後、話は若菜とのデートで睡眠不足のあまり据え膳食わずに終わった平田が──それにしても初デートのあとでいきなりマドンナが「今晩は泊まっていってもいいのよ」とかいうのも、かなり唐突な展開だ──、失恋したと思い込み、故郷に帰って自殺をはかろうとするのを、寅と若菜がいっしょに止めにゆくという展開になる。
考えてみたら、これって前作とかなり似たプロットだったりする。あちらは鹿児島、こちらは秋田。南と北で正反対だし、物語のイメージもかなり違っているけれど、それでいて寅の恋がたきが姿を消し、それを寅とマドンナがいっしょに探しにゆくというプロットはまるで同じだ。意図的なものなのか、たまたまそうなったのかは知らないけれど、続けてそういう話を見せておいて、それでいてそのことをあまり意識させないのは、ある意味では演出上手なのかなと思った。
エンディングは再び長崎に戻り、若菜のお祖母ちゃんのお葬式をした教会を再訪した寅が、そこで下働きをしているポンシュウと再会するというもの。ポンシュウは教会の銀の燭台だかなんだかを盗もうとして見つかったにもかかわらず、神父さんのお目こぼしを受けて警察につき出されずにすんだことに感謝して、恩返しに下働きをしているとかいう話で、これは『レ・ミゼラブル』のパロディなのだそうだ。言われてみればそんな気もするけれど、見ている時には全然気がつかなかった。勉強がたりない。
ともかく関敬六さんは前作に引き続き、二作連続のエンディングでの登場とあいなった。これまではテキヤ仲間のほかにも、タクシーの運転手やらなにやらいろんな端役を演じていた関さんだけれど、今回ちゃんとポンシュウという固有名詞もついたことだし、これから先はこの役柄一本ということになるのだろう。なんとなくめでたい。あ、それと平田満の恩師役で松村達雄さんも出演している。この人も本当によく出てくる。
(Nov 01, 2006)