2010年3月の映画
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バーン・アフター・リーディング
ジョエル&イーサン・コーエン監督/ジョージ・クルーニー、フランシス・マクドーマンド/2008年/アメリカ/BS録画
コーエン兄弟がスパイ映画を撮るとこうなるんだぞというような作品。おそらく当初のコンセプトはスパイ映画だったんだろうけれど、結果としてできた作品がまったくスパイ映画と呼べない内容になっているところが、らしいというか、おかしいというか……。
しかし、これくらい豪華なキャスティングで、これくらいどうしようもない話を撮るってのは、考えようによっては贅沢きわまりない気がする。
なんたって主要キャストには、ジョージ・クルーニー、フランシス・マクドーマンド、ブラッド・ピット、ジョン・マルコヴィッチ、ティルダ・スウィントンという、オスカー受賞者およびその常連さんがずらりと勢ぞろいしているんだから(地味なところでは、スポーツジムのマネージャー役のリチャード・ジェンキンスという人もノミネート歴ありとのこと)。
コーエン兄弟はこれだけの名優たちに、そろいもそろって「あんた、それじゃ駄目じゃん」て言いたくなるような役ばかりを演じさせている。
ジョージ・クルーニーは女性とベッドインすることしか頭にないような浮気男。
フランシス・マクドーマンドは美容整形に憧れる出逢い系サイトの常連さん。
ブラッド・ピットはただのバカ青年(思いがけない退場シーンにびっくり)。
ジョン・マルコヴィッチはCIAを頸になった引きこもりの分析官。
ティルダ・スウィントンはジョージ・クルーニーと浮気中のその妻。
これらの人々それぞれの自分勝手な思惑がからみあって、なんだかなぁという、しょうもない事件が巻き起こる。
ある意味じゃ、『ファーゴ』 や 『ノーカントリー』 に近いものがあるんだけれど、あれらの作品にアカデミー賞をもたらしたシリアスさの代わりに、ここでは馬鹿ばかしさが前面に出ている感じ。なんかもう救われねえなぁと苦笑するしかないって作品だった。
それにしてもブラッド・ピットの若々しさには驚く。この映画の彼は、とても四十代なかばを過ぎているとは思えない。彼ほどのネーム・バリューがあってなお、あの貫禄のなさを堂々と売りにしてるってのは尊敬に値する。
(Mar 02, 2010)
それでも恋するバルセロナ
ウディ・アレン監督/ハビエル・バルデム、スカーレット・ヨハンソン、ペネロペ・クルス、レベッカ・ホール/2008年/スペイン、アメリカ/BS録画
ウディ・アレンの監督作品にペネロペ・クルス!――しかも競演はこのところのウディ・アレンのお気に入り、スカーレット・ヨハンソンに 『ノーカントリー』 でアカデミー賞を受賞したハビエル・バルデムとくる(でも、この人については観ているあいだ、そうと気がつかずにいました。ははっ)。こりゃ必見でしょうと楽しみにしていたんだけれど、いざ観てみたら意外なことに、それほど趣味ではなかった。
物語はバルセロナを舞台に、ペネロペ・クルス、スカーレット・ヨハンソン、レベッカ・ホールという三人の美女が、ハビエル・バルデム演じる女たらしな画家と複雑な四角関係を繰り広げるというもの。美女だらけで華やかなのはいいんだけれど、ハビエル・バルデム──この人の名前はいつまでたっても覚えられない──がこれほどまでの美女たちにもてまくるってのが、いまいち釈然とせず、おまけに結局誰ひとり幸せにならない宙ぶらりんなエンディングがすっきりしない気分をあおる。
アカデミー助演女優賞を取ったペネロペ・クルスの演技も、嫉妬深くてエキセントリックな天才芸術家という役どころで、少なくても僕はそれほど魅力的だとは思わなかった。そもそも、前半のうちには彼女の出番がまったくないのも拍子抜け。まあ、その分、レベッカ・ホールという人が普通に可愛かったので、不満はないけれど。
なんにしろ、世間的な評判のよさからすると不思議なことに、僕個人の盛りあがりはいまひとつって映画だった。そういや 『アニー・ホール』 や 『ハンナとその姉妹』 もこんな感じで、いまひとつ入れ込めなかったんだった。出来のいいウディ・アレンの映画って、僕には合わないのかもしれない。どうにも趣味がB級でいけない。
(Mar 16, 2010)
カルメンという名の女
ジャン=リュック・ゴダール監督/マルーシュカ・デートメルス、ジャック・ボナフェ/1983年/フランス/DVD
ゴダールがオペラの 『カルメン』 を好き勝手に意訳してみせた作品──だとかなんとかいう話だけれど、『カルメン』 については、原作もオペラもまったく知らない僕にとっては、いつものゴダール作品と同様、なんじゃこらって作品だった。
冒頭からゴダール本人が、自分自身の役どころでカメオ出演。入院中の彼のもとに、なまめかしい姪のカルメンが「映画の撮影に使うから別荘を貸して」とおねだりにくるというところから物語は始まる。
で、その後、なんだかよくわからないうちに、銀行での銃撃戦のシーンなどがあり。銃弾に倒れた人たちのところへ掃除のおばさんがやってきて、黙々と血だまりをモップかけしたりするので、「ああ、これって映画の撮影かぁ」と思って観ていると、じつはそれが実際の銀行強盗だったという展開に。なんだそりゃって感じで、最初からついてゆけない。結局、終始そんな調子で、またもやゴダールにおくれをとる僕だった。
なんでもこれは、撮影監督のラウール・クタールがゴダールと組んだ最後の作品なのだそうだ。なるほど、そういわれてみれば、冒頭のいくつかのカット──赤いコードに水色の車を対比させた色づかいとか、ゴダールが入院している病室の花瓶に生けられた花の鮮やかさとか──だけ見ても、絵としての映え具合が見事だった。
絵だけでなく、音楽的にも手が込んでいる。オペラの替わりに弦楽四重奏にベートーベンを演奏させて、大々的にフィーチャーしてみせる一方、時代性を映して、MTV的な演出でトム・ウェイツを聞かせるシーンなどもある。物語としてはなんだかよくわからなかったけれど、映像や音響的には感じるところも少なくなかった。
あと、この映画を観て、作品の質とは関係のない部分で、なんだそりゃって思ったのが、とある男優のヌード・シーン。このDVDは「ヘア無修正版」をうたってるので、完全無修正なのかと思っていたら、なかに勃起した男性のアレがもろに写っているシーンがあって、そこだけはさすがにぼかしが入っていた。
で、苦笑もんだったのが、そのシーンに字幕で、「性交シーンではありませんが、男性が性器を奮い立たせているため、修正を加えてあります。ご理解ください」みたいなお断りが入ること。
んなもん、パッケージに書くならばともかく、観ている最中にわざわざ断るなよなぁ。というか、いまさらパッケージに「ヘア無修正」なんて入れること自体が無粋だ。 『地球に落ちて来た男』 のように、見せていいところは黙ったまま見せちゃうのが大人の対応ってもの。あんなにゴダールにふさわしくないテロップもないと思った。
(追記:次の『メン・イン・ブラック』 につづく)
(Mar 29, 2010)
メン・イン・ブラック
バリー・ソネンフェルド監督/トミー・リー・ジョーンズ、ウィル・スミス/1997年/アメリカ/BS録画
以下、ひとつ前の 『カルメンという名の女』 の感想に書こうと思っていて忘れていたこと。
あの映画はすでに80年代の作品であるにもかかわらず、画面サイズが4:3だった。モノクロ時代ならばいざ知らず、なぜこの時代に4:3なんだろうと、始めのうちは疑問だったのだけれど、映画のなかにVHSテープが出てきたり、MTVを意識した映像があったりしたことで、あぁと思った。これはビデオの普及期の作品なんだ、だからあえて4:3にしたんだろうなと。
要するに「ビデオだとワイドで撮った作品も4:3でしか観られないし、これからはビデオが普及して、劇場よりもテレビで映画を観る人の方が多くなるんだろうから、それだったらば、最初からテレビのフォーマットで撮っちまおう」と。ゴダールがそう思ったんだろうと思ったわけだ。
昔、大島渚が「映像作品にテレビCMを入れたり、画面のサイズを変えたりするのは、製作者の意図をゆがめて、作品を改悪する行為だ」みたいなことを言って怒っているのを見た記憶があるのだけれど、ゴダールも映画という表現に大変にこだわる人なので、同じような思いから、「テレビで観られても変わらない作品を」と思って、4:3で映画を撮ったんだろうと、そう思った。まあ、まったくの推定だけれど。
で、それが事実だと仮定して、皮肉だなあと思うのは、そうやって新しい時代を意識したからこそ4:3で撮られた映画が、結果的にワイド・テレビが標準となったいま現在では、かえって時代遅れになってしまっていること。ここには時代の最先端に即することは決して最高であるとは限らないという教訓が含まれている。
──というような話をいきなりくどくどと書いているのは、この 『メン・イン・ブラック』 の感想を書きあぐねたから。
方向性はまったく違うけれど、これも時代を先取りしていたからこそ、風化してしまった作品だと思う。公開当時は大ヒットしたし、そのころには僕もけっこう楽しんで観たような気がするんだけれど、ひさしぶりに観てみたら、あまりにもB級で、拍子抜けしてしまった。
基本的に「もしも地球に宇宙人が隠れ住んでいたら」というワン・アイディアをSFXでおもしろおかしく見せるだけの他愛のない話なので、SFXが時代遅れになってしまうと苦しい。オープニング・シーンなんか、物語とまったく関係のないトンボを延々と見せられて、興冷めもいいところ。「最新技術を使うとこういう絵が撮れます」というサンプルにしか見えず、映画としての必然性がまるで感じられない。
まあ、死体の顔がぱかっと開いて、中から手のひらサイズの宇宙人が出てくるシーンとかは、けっこう好きだけれど、思い返してみても、ぱっと浮かんでくるシーンはあれくらい。それにしたって、顔が開いた瞬間の意外性がおもしろいだけで、出てきたエイリアンはありきたりだったしなぁ。いや、そこそこ笑っていたくせして、悪くいうのもなんだけれど。
あれやこれや考えてみるに、この映画でいちばん感心したのは、こんなにも続編を作りやすそうな作品なのに、そのそぶりも見せずに終わってしまうこと。いまや超大作は続編があってあたり前というご時勢だけに、次なんてまるで考えてませんとでもいったその潔さは、ある意味えらいと思った。まあ、実際には作っているわけだけれど。
(Mar 31, 2010)
メン・イン・ブラック2
バリー・ソネンフェルド監督/トミー・リー・ジョーンズ、ウィル・スミス/2002年/アメリカ/BS録画
ということで、引きつづき 『メン・イン・ブラック2』 を観た。前作は二度目だったけれど、こちらはこれが初めて。というか、これを観るってんで、前作もあわせて見直したのだった。
この続編のなにがよかったかって、かのマイケル・ジャクソンが地球人に化けた宇宙人だったという設定でカメオ出演していること。いやぁ、あのシーンだけは最高でした。マイケル亡きいまとなると貴重すぎる……。前作同様──というか、前作に輪をかけて──たいした映画じゃなかったけれど、あのシーンがあったおかげで、観たことを後悔しなくて済んだ。
そのほかだと、敵役の美人エイリアンが 『ツイン・ピークス』 のドナこと、ララ・フリン・ボイルだったり、ヒロインが 『デス・プルーフ』 のロザリオ・ドーソンだったりと、キャスティングには意外性があってよかった。
まあ、とはいっても、どちらかというと評判がいい前作をあまり楽しめなかったくらいだから、この続編に対する感想も、それ以上にはよくなりようがない。物語はいい加減でわけがわからないし、睡眠不足だったもんで、観ていて眠くなってしまった。
このシリーズはスピルバーグが製作総指揮をつとめている(観るまで忘れていたけれど、言われてみれば、まさしくスピルバーグ印の作品だった)。『グレムリン』 にしろこれにしろ、僕はスピルバーグ絡みのこの手の映画って、最近はぜんぜん楽しめなくなっている気がする。その辺に自分の年齢を感じなくもないかなぁという2010年の春だった。
(Mar 31, 2010)