2009年12月の映画
Index
- アダプテーション
- ハリー・ポッターと謎のプリンス
- ブラッド・ワーク
- ファイト・クラブ
- PEACE BED アメリカVSジョン・レノン
- ワールド・オブ・ライズ
- ONE PIECE FILM STRONG WORLD
- Mr.インクレディブル
- ボブ・ディランの頭の中
- トロピック・サンダー 史上最低の作戦
- ニュー・シネマ・パラダイス
アダプテーション
スパイク・ジョーンズ監督/ニコラス・ケイジ、メリル・ストリープ、クリス・クーパー/2002年/アメリカ/DVD
『マルコヴィッチの穴』 の監督、スパイク・ジョーンズと脚本家、チャーリー・カウフマンがタッグを組んだ二本目の作品。
この映画を僕が観たいと思ったのは、『かいじゅうたちのいるところ』 の監督として、いまや時の人のスパイク・ジョーンズよりも、むしろチャーリー・カウフマンがゆえだった。 『マルコヴィッチの穴』 と 『エターナル・サンシャイン』 という奇想天外な話を書いてみせた脚本家が、みずからを主人公に据えて、いったいどんな話を見せてくれるのかにとても興味があったからだ。
でも、残念ながらこれはいまいち。映画の出来が悪いとは思わないけれど──それどころか、これはこれでとても個性的でおもしろい映画ではあるけれど──、自らのスランプを題材にしてしまったところに、楽屋落ち的な臭みが感じられて、どうにも盛りあがりきれない。やっぱ、仮にも天才と呼ばれる男は、みずからの弱みを見せちゃいけないでしょう。もっと圧倒的なイマジネーションで翻弄されるような作品を見せて欲しかった。ややがっかり。
物語は内気な脚本家のチャーリー・カウフマン──演じるのはニコラス・ケイジ──が 『マルコヴィッチの穴』 の次回作として 『蘭に魅せられた男』 というノンフィクションの映画化のための脚本を依頼されたものの、オリジナルではない地味な実話の脚色に悩みまくって醜態をさらしまくる、というもの。彼の双子の弟ロナルド──こちらもニコラス・ケイジのひとり二役──や女性ノンフィクション作家役のメリル・ストリープ、彼女の本の主人公役のクリス・クーパーらが脇をかため、空想と現実、過去と現在をボーダーレスに行き来する。まあ、悪く書いてしまったけれど、さすがひと筋縄ではいなかいなあと感心させられる部分も多々あった。
前歯のない蘭の違法採集家を演じたクリス・クーパーは、この役でアカデミー賞の最優秀助演男優賞を獲得しているそうだ。まあ、いつもとはかなり感じが違うし、なにより前歯のない役を見事に演じてるので、もしもこの役のために本当に前歯を抜いたとするならば、それだけでも表彰ものではある。ほんと、あの前歯はどうしたんでしょうか。まだ入れ歯をする歳でもなさそうだけれど。
(Dec 03, 2009)
ハリー・ポッターと謎のプリンス
デヴィッド・イェーツ監督/ダニエル・ラドクリフ、エマ・ワトソン、ルパート・グリント/2009年/アメリカ/DVD(吹替)
初めてDVDリリースと同時に観ることになったハリー・ポッター・シリーズの最新作……なのだけれども。
この作品に関しては、やたらと舌たらずな印象がある。たとえば、冒頭でハリー・ポッターがひとりでダイナーにいるところへダンブルドア校長が姿を現して、ハリーを連れて旧友を訪ねてゆくというくだり。僕にはハリーがなぜ人間界の食堂にひとりでいたのか、まるでわからなかった(いつの間にかひとりで暮らすようになったんでしたっけ?)。
あと、その後このふたりは終始行動をともにすることになるのだけれど、ふたりがなぜそんな唐突に仲良しになったのかもわからない。ウィキペディア によると、原作ではダンブルドアがハリーに一年間の個人授業を持ちかけるとかいう話みたいだけれど、この映画ではそんな話はなかったと思う。その辺の展開は思いきり説明が足りない。
説明不足といえば、今回思いきりフィーチャーされている恋愛関係もしかり。ハリーとジニー(ロンの妹)、ロンとハーマイオニーという二組のカップルの恋愛模様が、それぞれに三角関係がらみで描かれるのだけれど、なんだかそれが取ってつけたようで、おさまりが悪い。原作がそういう関係になっているので、とりあえずその通りに描きましたとでもいった感じ(本当のところがどうかは知らないけれど)。だいたい、ハリーがいつからジニーのことを好きになったんだかがわからないし、そもそも前作でハリーがキスしていたアジア系の女の子はどこへいっちゃったんだと思う。
結局、ボリュームのある原作をきちんと2時間半にまとめきれず、ダイジェスト版になってしまったかのような印象で、話がすっきりと伝わってこないのだった。このシリーズは1作ごとに学校の1学年を描いているはずなのに、この作品からはその1年の長さがまるで感じられないのも、うまくいっていない証拠だと思う(まあ、1年間をしっかり感じさせたのは最初の2作だけという気もするけれど)。
このシリーズはダニエル・ラドクリフやエマ・ワトソンらの成長を見守る楽しみというのも大きいので、彼らの演技が観られるだけでもある程度は楽しめてしまうけれど、でもせっかくの人気シリーズだからこそ、もう少しどうにかして欲しかった。ハリーとハーマイオニーの恋愛感情抜きの男女関係がなんとなくいい感じになってきただけに、全体的な話のこなれなさが、なんとももったいない。
これを見ると、やっぱりこのシリーズは原作を読まないとその本当のおもしろさは味わえないんじゃないかという気がする。ちょうどうちの子が原作を読んでみたいと言い出したので、僕もつきあって読んでみようかなという気になってしまった。ほかに読むべき本はいくらでもあるのに……。ああ、もっと時間が欲しい。
(Dec 06, 2009)
ブラッド・ワーク
クリント・イーストウッド監督・主演/ジェフ・ダニエルズ、ワンダ・デ・ヘスース/2002年/アメリカ/BS録画
上空からの街並みのロングショットにつづいて、殺人現場にスーツ姿のイーストウッドがかけつける──この映画のそんなオープニングには 『ダーティ・ハリー』 を思い出させるものがあると思う。犯人が精神異常者っぽいところや、クライマックスの廃船での追っかけっこのシーンなんかも、あの映画に通じるものがあるし、なんとなくハリー・キャラハンの老後のワン・エピソードでも見ているような気分になる作品だった。
この映画でイーストウッドが演じるのは、心臓病のために退役した敏腕FBI捜査官。とあるシリアル・キラーを追っている最中に心臓発作に倒れた彼は、それを機に職を辞して、心臓の移植手術を受けることになる。
ところが、彼の臓器提供者となった女性は殺人事件の被害者だった。もとより仕事への未練を断ち切りがたかった彼は、その人の姉から「あなたに心臓をあげた妹の仇をとってよ」とつめ寄られて、事件解決に乗り出してゆくことになる──はぁはぁと息を切らしながら。年がら年中、苦しそうに胸を押さえているイーストウッドの演技が、へんな意味でスリリングだ。
原作はマイケル・コナリーの 『わが心臓の痛み』 という作品(ものすごい意訳な邦題だ)。一度も読んだことのない人だったので、まあいいかと先に映画を見てしまったけれど、けっこうおもしろかったので、これならば先に小説で読んでおいた方がよかったかなぁと、ちょっと思ったりした。
さすがにミステリは先に映画で観てしまうと、あとから原作を読もうという気が起きない。かといって、先に原作を読んでしまうと、どれだけいい出来の映画でも、おもしろさはやはり何割減だし。読書好きの映画ファンとしては、そのへんの選択が難しい。
(Dec 09, 2009)
ファイト・クラブ
デヴィッド・フィンチャー監督/エドワード・ノートン、ブラッド・ピット/1999年/アメリカ/DVD
評判がいいので観たいと思いつつ、観られずにいる映画がたくさんある。これもそのうちのひとつ。
デヴィッド・フィンチャーは 『セブン』 と 『ゲーム』 を観て以来、ずっと気にかかっている映画監督のひとりなので、その人の作品で、ところによっては 『セブン』 よりも高評価を受けているこの作品──なんたって IMdb では現在、オールタイムの第17位だ──は、ぜひ観ないとと思っていた。
でも、ようやく観てみれば、そんな下馬評に期待しすぎていたのがいけなかったのか、なんだかいまいち乗り切れなかったというか。僕にはこの映画をどう語ったらいいのか、よくわからない。
いや、とても個性的な映画だとは思うし、おもしろかったのは確かで、内容が内容だけに、いまからでももう一度観なおしたいと思うくらいなんだけれど、じゃあ気に入ったかと問われると、うーん……どうだろうという感じ。なぜだか思うように言葉が出てこない。
たとえば、『セヴン』 のあまりにもシリアスな結末には舌を巻いたし、『ゲーム』 は「なんじゃそりゃ」の連続なところが、逆に気に入っていたりするのだけれど、この作品はその中間ぐらいの感じで、僕にとってはどっちつかずだったかなぁと。シリアスなんだかコミカルなんだかわからないところが、長所のような欠点のような……。
ま、少なくてもすでにもう一度観たいと思っているんだから、それだけでも十分じゃないかという気もする。気が向いたら、いずれもう一度観てから書き直そう。あしからず。
(Dec 17, 2009)
【追記】2020年の感想はこちら
PEACE BED アメリカVSジョン・レノン
デヴィッド・リーフ監督/ジョン・レノン、オノ・ヨーコ/2006年/アメリカ/BS録画
かつてFBIがジョン・レノンを危険視して、盗聴や尾行を行っていたという事実に関して、なにゆえそんなことになったかを、当時の政府関係者や知識人、ジャーナリストなどへのインタビューをもとに考察するドキュメンタリー・フィルム。
タイトルに「ジョン・レノン」とあるくらいなので、確かにジョンの映画ではあるんだけれど、主眼となっているのが音楽ではなく、彼の政治的な特異性とでもいうべきものなので、ビートルズ・ファンが音楽を期待して観ると、ややがっかりする内容だと思う。出てくるインタビュイーは、著名人でさえ日本では馴染みのない人ばっかりだし。
ただ、はじめっから音楽を期待しないつもりで観れば、それなりに有意義な映画かなという気もする。ジョン・レノンには興味がなく、70年代のアメリカ社会や政治について関心があるというような人のほうが楽しめる内容じゃないかと思う。僕はこの映画でジョン・エドガー・フーヴァーFBI長官の顔を初めて知った。
あと、すごくコアなジョンのファンは、やはり必見。ジョン・レノンという人が理想主義に燃えて平和を訴えたがために、いかに難しい立場に立たされていたかを垣間見ることができる。これまでこういう視点からジョン・レノンを観たことがなかったので、そういった意味では、なかなか新鮮だった。
それにしても、原題とは異なる英語やカタカナのタイトルをつけるのはやめてくれないかなぁと思う。『PEACE BED』 なんてタイトルがついていれば、普通はそれが原題だと思うでしょうよ。ところがこの映画の英語のタイトルは 『The U.S. VS John Lennon』 だ。つまり一見サブタイトルっぽい『アメリカVSジョン・レノン』のほうが原題だったりする。インターネットが普及して英語圏の情報にもボーダーレスにアクセスできる時代なんだから、余計なミスティーリングを誘う邦題をつけるのは、ほんとにやめて欲しい。
あ、もしかしてインターネット時代だからこそ、検索しやすいタイトルをということで、こういう邦題がついたのか。まあ、いずれにせよやめて欲しい。
(Dec 18, 2009)
ワールド・オブ・ライズ
リドリー・スコット監督/レオナルド・ディカプリオ、ラッセル・クロウ/2008年/アメリカ/BS録画
今回もまたタイトルへの不満から。映画が始まって、最初のシーケンスが終わり、タイトルがどーんと出たと思ったら、そこには 『BODY OF LIES』 って文字が……。おいおい、『ワールド・オブ・ライズ』 じゃないのかい。
まったく、続けざまにこういう邦題ってのはなぁ。そりゃ 『ボディ・オブ・ライズ』 と言われても、意味がわからないけれど── BODY には「組織」という意味があるようなので、おそらくディカプリオがでっち上げる架空のテロ組織のことなんだろう──、だからって、いかにも原題っぽいカタカナのタイトルをつけるのは、本当にやめて欲しい。外国人と話すとき、大変でしょ?(べつに話さないけれど)
映画自体はジェームズ・ボンド・シリーズのようなアクションものではなく、情報戦による駆け引きが主眼となった、なかなか見ごたえのあるスパイ映画。ヨルダンで体を張ってテロリストのボスを追い詰めようとするCIA局員のディカプリオと、アメリカで安全な日常常生活を送りながら指図を出すばかりの彼の上司役、ラッセル・クロウとの対比がシニカルでおもしろい。ラッセル・クロウはこの役のために、リドリー・スコットから20キロの体重増を命じられたそうだ。なるほど、その甲斐あって、なかなか味のある嫌われ役を演じてみせている。
このふたりのビッグ・スターに負けぬ存在感を発揮しているのが、ヨルダン情報局のトップを演じたマーク・ストロングという人(『スターダスト』 や 『リボルバー』 にも出ていたと言われて、ああなるほどと思った)。この人がとてもカッコよくて、役どころもおいしい。この映画のキーパーソンは彼だと思う。前述の2作でも強い印象を残しているし──まあ、顔はよくおぼえていなかったけれど、どちらも役どころは印象的だった──、この人はとてもいい役者だと思う。
(Dec 21, 2009)
ONE PIECE FILM STRONG WORLD
境宗久監督/尾田栄一郎製作総指揮/2009年/日本/ユナイテッドシネマとしまえん
『ONE PIECE』の劇場版アニメ十周年を記念して、原作者の織田栄一郎の製作総指揮のもとで製作された大ヒット作。
僕は尾田栄一郎という人の才能と熱意に惚れ込んで原作こそ愛読しているものの、アニメはほとんど観ていないし、劇場版にいたっては、これまで一作も観たことがなかった。年をとって以前よりアニメ全般に対する関心が薄くなっているし、尾田くん総指揮なんてうたい文句がなければ、絶対に映画館まで足を運ぶことはなかっただろう。
でもって、いざ観てみれば、どんなに原作者ががんばっても、やはりアニメはアニメだなぁと。2時間という枠の中に、てんこ盛りの尾田節をぎゅっと詰め込むために、かなり無理のある話になってしまっている。
(これ以降、思いきりネタばれな話になるので、観ていない人は注意してください)
まずはオープニングから失敗していると思う。ルフィが仲間たちとはぐれて、空に浮かぶ謎の島で、凶暴な巨大動物たちに追いかけられているという展開自体はいい。でも、たかがクマ一匹やっつけるのに、ギア3を使っちゃいかんでしょう、ルフィ。その直後にサンジがもっと大きな動物たち相手にいつもの足技でふつうに勝ってるんだから、なおさらだ。いきなり最強の技の格がどっと下がってしまう。
そのあと、物語は過去へとさかのぼり、ルフィたちがその島にたどり着くまでのいきさつが語られるのだけれど、その発端においても、重大なミスがある。イーストブルーで変事があったと知ったルフィが、あたり前のようにイーストブルーに帰ると言い出すのだった。
故郷のピンチだから救いに帰るぞって、あんた海賊じゃなくて正義の味方かいっ。そもそも、ここまでくるのにあれだけ苦労してきて、どうやって帰るってんだ。グランドラインはエターナルポーズがないと航海できないんでしょうに。その辺の設定をないがしろにした言動には、違和感ありまくりだった。
違和感があったといえば、クライマックスの麦わら海賊団の討ち入りのシーンもそう。サウザンド・サニー号を飛ばして陸に乗りあげちゃうってのもどうなんだと思うし──どんだけ丈夫なんだ、サニー号──、なにより、麦わらの一味が全員で銃をぶっ放すってのはなしじゃないですか? いくら敵が多かろうと、どれだけ妥協しようとも、剣士としてのプライドにかけて、少なくてもゾロにだけは銃なんか撃たしちゃいけなかったと僕は思う。
大ボスである金獅子のシキとの対決にしたって、一度負けて二度目に勝つというワンピースではお約束ともいうべき展開が、この映画ではきちんと機能していない。勝利を納得づけるだけの上積みが物語にないので、二度目の対決でなぜルフィがシキに勝てるのか、まったくわからない。単に主人公だから勝つというご都合主義まる出し。
そんな風にもう、なんだそりゃとか、おいおいと言いたくなる設定だらけ。この映画はあちらこちらでこれまでの世界観を裏切る内容になってしまっていると僕は思う。その点がどうにも残念だった。
まあ、原作者が全面参加しているとはいえ、やはりこれもこれまでの劇場版といっしょで、まったくの番外編として観るべき作品なんだろう。そう割り切れば、けっこう楽しめたかなぁと思う。それなりに笑えたし、ところどころで泣きそうになったし(それでもケチつけるやつ)。少なくても、少年たちを喜ばせようという、尾田栄一郎の作り手としてのサービス精神はビンビン伝わってくる作品だった。
(Dec 22, 2009)
Mr.インクレディブル
ブラッド・バード監督/2004年/アメリカ/BS録画
ピクサーのCGアニメで、最新作の 『カールじいさんの空飛ぶ家』 をのぞくと、僕がこれまでに唯一、観のがしていた作品。
この作品に興味が持てなかったのは、それまでのピクサー・アニメと違って、主人公が人間だったからだ。『トイ・ストーリー』 や 『モンスターズ・インク』 に登場する中途半端に写実的な人間の描き方には好感が持てなかったので、その延長線上にあるものを想像して、ついつい敬遠してしまった。
でもその後、『レミーのおいしいレストラン』 や 『ウォーリー』 を観て、あれっと思った。そこに登場する人間たちは、それまでのような写実性を放棄した、セル・アニメがそのままCGに移植されたかのようなデザインで、とてもいきいきとしていたからだ。あぁ、これならば人間が主人公でも十分楽しめると思った。
で、いまからすれば、そうした方向性を最初に打ち出したのがこれなんだろう。そう考えると、とてもエポック・メイキングな作品なのだと思う。いや、そんな理屈は抜きにして、とてもおもしろかった。余計な先入観でもって、これを見過ごすなんて、なんて馬鹿らしいと思ってしまった。いやはや、ピクサーを侮っていました。すいません。
おもしろかったのは、スーパーヒーロー一家のお母さんが、ひとつ前に観た 『ONE PIECE』 のルフィと同じく、ゴム人間だったこと。愛称の「イラスティガール」(Elastigirl)は、「ゴム(製)の」という意味の「Elastic 」という単語からきているので、つまりワンピース的に直訳すれば「ゴムゴムガール」だ。
この人のゴムゴム度がすごい。アニメならではの見事な伸びっぷりで、ルフィ顔負け。そういや 『ファンタスティック・フォー』 にもゴム人間が出てくるけれど、ゴムゴムの有効活用度でいえば、この映画がナンバーワンだと思った。いちキャラクターがそのインパクトで海賊王になる男をしのぐんだから、映画本編の出来や、推して知るべしだ。
いやはや、おみそれしました。いままで観ないでいた僕が馬鹿だった。
(Dec 24, 2009)
ボブ・ディランの頭のなか
ラリー・チャールズ監督/ボブ・ディラン/2005年/アメリカ/DVD
来年3月に来日することが発表されたばかりのボブ・ディランが、自ら脚本をも手がけた主演作品。祝・来日記念ということで、ようやく観た。
いやしかし、これはいまいちよくわからない。舞台は、キューバのような独裁政権下にある近未来のアメリカ……らしい。近未来ってのは、DVDのパッケージにそう書いてあるからそう思っただけで、SF的な設定は皆無だし、アメリカってのも、ベトナム戦争やウッドストックに関する言及があるのでそう思うだけで、とくに映画のなかで言明されてはいないと思う。なので、どちらかというと近未来のアメリカというよりは、アメリカに似た架空の国だと解釈したほうが自然な気がする。
ともかくそういう舞台設定のもと、ボブ・ディラン演じる落ちぶれたロック・シンガーが、ジョン・グッドマン演じるかつてのマネージャーによって、ひと晩かぎりの怪しげなチャリティ・コンサートのために担ぎ出される(そのコンサートの模様がクライマックスになるのかと思いきや、そんな風でもない)。ディランが脚本を手がけたというだけあって、ところどころで彼の詞を思わせる哲学的な会話を差し挟みつつ、話は淡々と進んでいって、なんだか唐突な印象のカタストロフを向かえて終わる。ゴダールっぽい雰囲気の、文芸音楽映画という感じだった。
見どころは、あちらこちらに差し込まれる演奏シーン──かなり断片的だし、有名な曲はほとんどやっていないけれど──と、無駄に豪華な俳優陣。前述のジョン・グッドマンのほか、ジェフ・ブリッジス、ペネロペ・クルス、ジェシカ・ラング、ミッキー・ローク、ヴァル・キルマー、クリスチャン・スレイター、アンジェラ・バセットなどなど、そうそうたる顔ぶれが出演している。僕は気がつかなかったけれど、エド・ハリスも出ているらしい。過半数はなんでこんなことろにこんな役で出てるんだろうと不思議に思ってしまうような端役で、コストパフォーマンスを度外視しためちゃくちゃな豪華さがすごい。これもディランの人徳だろうか。
あと、懐かしいところでは、ディランのバック・バンドのメンバーとしてチャーリー・セクストンも出てます。音楽ファンは要チェック。
(Dec 24, 2009)
トロピック・サンダー 史上最低の作戦
ベン・スティラー監督・主演/ロバート・ダウニー・ジュニア、ジャック・ブラック/2008年/アメリカ/BS録画
タランティーノが 『グラインドハウス』 で架空の映画の予告編を作っていたけれど、この映画のオープニングも同じ趣向。ただしこちらの場合、主役がみんな映画俳優だという設定で、その人たちの最新作を紹介するという仕掛けになっている。そんなこと知らないで観たので、いきなりなんだこの映画はって、かなり意表を突かれた。見事してやられた感じ。
してやられたといえば、ロバート・ダウニー・ジュニアとトム・クルーズの化けっぷりも見事だ。
ロバート・ダウニー・ジュニアは演技派のオスカー俳優が、演技派が極まってついに黒人役を演じるという設定で、そうと言われるまで、その人と気がつかないほどの化けっぷり。きっちり笑いもとっているし、コメディアンとしてもかなりいけていた(というかこの映画、ジャック・ブラックが一番つまらないんじゃないかってくらい、まわりがふるっている)。
トム・クルーズにいたっては、はげ頭の太ったエクゼクティブ・プロデューサーという、パブリック・イメージ裏切りまくりの役どころ。とくに説明もなかったので、物語の途中で「おや、もしかしてこの人って……」と思いはしたけれど、エンド・クレジットでその名を目にするまで確信が持てないほどの堂々たる化けっぷりだった。ダサダサのダンスをノリノリで披露していたりもするし、トム・クルーズの出てくる映画はそれなりに観ているけれど、ある意味、この映画の彼がもっともインパクトがあった気がする。
映画自体は、戦争映画のロケ地で、主演俳優たちが麻薬テロに巻き込まれてしまうというスラップスティック・コメディ。序盤こそ
個人的に一番笑ったのは、クライマックスでベン・スティラーが子供に砂かけ爺状態で攻撃されているシーン。いやぁ、あれはほんとおかしかった。いま思い出しても笑える。
(Dec 29, 2009)
ニュー・シネマ・パラダイス
ジュゼッペ・トルナトーレ監督/フィリップ・ノワレ、サルヴァトーレ・カシオ/1989年/イタリア、フランス/DVD
一年の最後だから、ちょっとはまともな映画を観て終わろうということで、うちの奥さんの大好きなこの映画を。
今回観たのは完全オリジナル版ではなく、短い方(劇場版?)。うちの奥さんはこっちの方が好きだというし──僕自身はそれほど好きな映画ではないんだけれど、あえてどちらがいいと思うかといえば──、僕もこちらの方がいいと思う。完全オリジナル版はちょっと長すぎるし、年をとってからの不倫の話が興ざめだった記憶がある。
まあ、とかいいつつ僕は今回見直すまで、この映画は全編こどもと老人の友情の話だと思いこんでいて、後半の大半を占める成長したトトの恋愛話の存在をすっかり忘れていたような男なので、あまり偉そうなことはいえない。もしかしたら、年を取ったいま観たら完全版のほうが好きだったりする可能性もなきにしもあらずかなぁ……という気も。
まあ、ファンではない僕からすると、この映画の魅力は問答無用に素晴らしいラスト・シーンの醸しだす強烈なノスタルジーの感覚にあるのであって、ラブ・ストーリーとしての側面は二の次に思える。だとするならば、やはりその部分を削ってみせた劇場版の方がおもしろいと思えてしまうのも必然という気がする。
僕は今回、故郷に帰ってきた主人公が廃墟となった懐かしの映画館にたたずむシーンでじーんときた。
(Dec 31, 2009)