2009年10月の映画
Index
- かけひきは、恋のはじまり
- フィクサー
- カンフー・パンダ
- 2番目のキス
- ヴァージン・スーサイズ
- E.T.
- TOKYO!
- A Huey P. Newton Story
- 機動戦士ガンダムI
- 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編
- 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編
- ハンコック
- ハプニング
かけひきは、恋のはじまり
ジョージ・クルーニー監督・主演/レニー・ゼルウィガー、ジョン・クラシンスキー/2008年/アメリカ/BS録画
邦題とDVDのパッケージからは想像できないけれど、この映画は黎明期のアメリカン・フットボール・プロ・リーグを舞台にしたスポーツ・コメディ。これが監督三作目となるジョージ・クルーニー演じるところのつぶれかけた貧乏クラブのロートル選手が──ドッジ・コネリーという役名で、
1925年のアメリカン・フットボール・リーグが本当にこの映画で描かれるみたいにアマチュア同然のレベルの低さで不人気にあえいでいたのかどうかは知らないけれど、そのあまりの素人っぽさはプロというにはあまり説得力がなく、物語もいまひとつ盛りあがりに欠けたけれど、それでもセピアがかったシックな映像とランディ・ニューマンの手になるあったかいジャズのサントラがとても心地よく、雰囲気的にはけっこう楽しく観られた。
しかし、くどいようだけれど、この邦題はないよなぁ。まあ、ジョージ・クルーニーとレニー・ゼルウィガーの恋愛劇も描かれはするけれど──ゼルウィガーはカーターに接近して、彼が戦争の英雄だという嘘を暴こうとする女性ジャーナリストの役──、それはあくまで物語の一部。主題はまだまだ商業的にあか抜けない頃の、泥だらけのアメリカン・フットボールを巡る男たちのドラマを描くことだろう。その辺を無視してこういう邦題をつける人たちがはびこっている日本の映画業界って……。
(Oct 03, 2009)
フィクサー
トニー・ギルロイ監督/ジョージ・クルーニー、トム・ウィルキンソン、ティルダ・スウィントン/2007年/アメリカ/BS録画
ひとつ前の 『かけひきは、恋のはじまり』 からジョージ・クルーニーつながりで観た作品。でもこれが製作時期はほぼ同じなのに、内容は見事に正反対。この映画のジョージ・クルーニーには、あちらで見せたひょうきんさは微塵もない。シリアスな演技一本槍で、非常に渋かった。
今回ジョージ・クルーニーが演じるのは、大手法律事務所で汚れ仕事を請け負う弁護士、マイケル・クライトン(この個人名が本来の英語のタイトル)。この人が、仕事はできるけれどギャンブルに目がなく、多額の借金をかかえて困っているという設定になっている。彼の主役らしからぬ情けなさが終盤にけっこう効いてくる。
そんな彼の仕事仲間で、農薬被害の集団起訴にさらされている大企業の弁護を引き受けていたアーサーという弁護士(トム・ウィルキンソン)が、正気を失って原告側に寝返るというトラブルが巻き起こる。経営難にある事務所にとって失敗の許されない大仕事だということで、事態を収拾するようマイケルに指令が下るのだけれど、そのアーサーが、うつ病の気こそあれ、一筋縄ではいかない敏腕弁護士だったことから、状況は紛糾の一途をたどることになる。
この映画、その年のアカデミー賞では、原告企業の女性幹部役を演じたティルダ・スウィントンが最優秀所助演女優賞を獲得したほか、全部で7部門にノミネートされたんだそうだ。まさかそんなに評価が高い映画だとは思わなかった。
でも、観てみると、なるほどと思う出来のよさ。監督・脚本のトニー・ギルロはボーン・アイデンティティー・シリーズの脚本を手がけた人だそうで、さすがにシナリオはとてもよくできているし、俳優陣もベテランぞろいだけあってはずれがない。なかでもトム・ウィルキンソンの演技がとてもよかった。僕はティルダ・ウィルソンよりもこの人の方がいいと思った。それなのになんでオスカーを逃したんだろうと不思議に思ったら、その年の助演男優賞の受賞者は 『ノー・カントリー』 のハビエル・バルデム……。ああ、そりゃ相手が悪かったと納得してしまった。
この映画はスタッフも豪華で、製作にはシドニー・ポラック、製作総指揮にはスティーヴン・ソダーバーグが名を連ねている。ポラックは自ら出演までしていて、ジョージ・クルーニーのボス役として、なかなか味のある演技を見せていた。これだけ大物が顔を揃えていて、なおかつこの出来ならば、7部門のノミネートも当然かなという気がする。
(Oct 07, 2009)
カンフー・パンダ
マーク・オズボーン、ジョン・スティーヴンソン監督/2007年/アメリカ/BS録画
パンダが主人公の長編CGカンフー映画。この手の映画はいつもならば子供と一緒に日本語で観るのだけれど、この作品に関しては、すでにうちの妻子は試写会で観ていたので、今回は子供ぬきで英語版を観た。
でもそれがよかった。吹替ならばおそらく「お師匠さま」とかになっているだろうところが、英語ならば「マスター」ですからね。でもってカンフー・アクションとなると、気分はすっかりスター・ウォーズ。シースー老師(レッサーパンダ?)がヨーダに似ていることもあって、エピソード1~3の番外編を観ているような気分で盛りあがってしまった。
英語版は声優陣も豪華で、主役のポーがジャック・ブラック、シースー老師がなんとダスティン・ホフマン、虎がアンジェリーナ・ジョリーという顔ぶれ。まあ、そうはいっても、いつも字幕で観ているせいで彼らの声にあまり親しんでいないせいか、その人たちでよかったと思うことも、とくになかった。
物語自体はものすごくいい加減だ。単なるラーメン屋の息子だった主人公のパンダが史上最強のカンフーの達人になるって部分の時間配分がいい加減もいいところ。物語の展開からすると、わずか1日かそこらしか修行していなさそうなのに、10年以上修行してきた仲間たちより強くなってしまうんだから驚きだ。ご都合主義の極地。ここまでいい加減な話を見たのは、初めてのような気がする。 『ドラゴン・ボール』 がものすごくまともな話に思える。ある意味、ここまでいい加減だと、それはそれですごい気もする。
(Oct 09, 2009)
2番目のキス
ボビー&ピーター・ファレリー監督/ドリュー・バリモア、ジミー・ファロン/2005年/アメリカ/BS録画
これまた、なんでこんな邦題なのさとケチをつけずにはいられないような作品。
原作は熱狂的なアーセナル・サポーターであるニック・ホーンビィが、自らのサッカー観戦歴を振りかえって書きあげたデビュー作 『僕のプレミア・ライフ』(原題は Fever Pitch)。ただしこの映画の場合、そのアーセナルという部分をボストン・レッドソックスに置き換えてみせたところがミソだ。しかも舞台となるのは、レッドソックスがバンビーノの呪いと呼ばれる伝説を打ち破り、劇的なワールドシリーズ優勝を成し遂げた2004年とくる。それだけでも十分、メジャー・リーグのファンにアピール度の高い作品だと思う。メジャー・リーグに疎い僕でもうらやましくなってしまうくらい、レッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パークでのシーンの数々は魅力的だ。
でも、この邦題やDVDのパッケージからは、そうしたベースボール色の強さがまったく伝わってこない。その点に限っていえば、おそらく女性よりも男性のほうが共感できる内容ではないかと思うんだけれど、このタイトルとパッケージングでは、とても男性にアピールするとは思えない。本来ならば届くべき人のもとへ作品が届かない。それってとても罪作りで不幸なことだと、オタクな僕は思う。
なにはともあれ、これは、レッドソックスに人生をささげた男性が、恋人とベースボールへの愛情の狭間で思い悩むという話。なにごとにも過剰に入れ込んでひとりで大騒ぎしている僕のような男にとっては、とても共感できる映画だった。恋人のために11年ぶりにヤンキース戦を見るのをやめたら、その晩にかぎってレッドソックスが歴史的な逆転勝利を果たしてしまったというエピソードでは──ヤンキース相手に0-7から9回裏に8点を奪って勝ったという、あれは本当にあったことなんでしょうか?──、主人公の感じたやりきれなさが、ひとごとではなく伝わってきた。うんうん、あれはたまらない。
そうそう、この映画にはレッドソックス・ファンとして有名なスティーヴン・キングが始球式をつとめるシーンがある。珍しくこの人の本を読んでいる最中に、ほんのワン・シーンとはいえ、そのご本人が登場する映画を観るというのも、なんとなく不思議な巡りあわせだった。
(Oct 10, 2009)
ヴァージン・スーサイズ
ソフィア・コッポラ監督/キーラ・ナイトレイ、ジョシュ・ハーネット/1999年/アメリカ/BS録画
近所でも評判の美人五人姉妹の家庭が、末娘の自殺をきっかけに崩壊してゆくさまを、彼女たちに憧れる少年たちの視点でもって描いてゆく青春映画。ソフィー・コッポラの監督デビュー作。
ジェフリー・ユージェニデスの原作──邦訳には 『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』 というリリカルでネタバレ千万なタイトルがついている──と同じく、この映画のポイントは、語り手が事件の第三者である点。
この映画の語り手となるのは、近所に住む美人姉妹に憧れを抱きつつも、シャイすぎてまともに会話も交わせないという、情けなくも、よくあるタイプの男の子たち(正確にはそのうちのひとり。誰が語り手なのかが明示されていないところも変わっていておもしろい)。単なる隣人以上の存在になれない彼らは、ヒロインたちが不条理な悲劇に蝕まれてゆくさまを、ただ傍観していることしかできない。彼女たちに熱い視線を注ぎ続けるばかりの彼らには、なぜ彼女たちがそんな悲劇に飲みこまれなければならなかったか、最後まで本当のところを知ることができない。
語り手がそんな調子なので、観ている僕らも同じ無力感を味わうことになる。美しい少女たちが若くして死んでゆくという痛ましい悲劇を、遠巻きに外側から眺めていることを強いられる。おかげで、とても悲しい話なのに、涙を誘われるほどのシンパシーを抱くまでにはいたらない。この距離感がこの映画のポイントだと思う。そこにはなんともいえない甘酸っぱくせつない感覚ばかりが残る。
原作については、読んだのがずいぶん前だから、ディテールはすっかり忘れてしまっているけれど(ほんとに記憶力がない)、本を取り出してきてざっとページをめくってみた感じでは、かなり原作に忠実な作りになっているみたいだった。でも、物語は同じでも映画で観ると、若く美しい五人姉妹の姿が映像として華やかに迫ってくる分、喪失感は映画のほうがなおさら強い気がした。これはなかなか見事な出来だと思う。
それにしても 『ゴッドファーザー Part III』 でマイケル・コルレオーネの娘役を演じていた女の子が、将来こんな見事な映画で監督デビューを飾ることになるなんて思った人はひとりもいなかっただろう。いやはや、おみそれしました。
(Oct 14, 2009)
E.T.
スティーヴン・スピルバーグ監督/ヘンリー・トーマス、ドリュー・バリモア/1982年/アメリカ/BS録画
食わず嫌いで観たことのなかったスピルバーグ作品をきちんと観ようシリーズ第二弾、『E.T.』。
僕くらいの年齢で、いままで一度もこの映画を観たことがないというのも、ちょっと珍しいんじゃないかという気がする。公開されたのが高校一年生のころだから、すでに四半世紀が過ぎている。それ以来、何度テレビで放送されたかわからない。
でも、僕はE.T.のキャラクター・デザインにまったく魅力を感じたことがなくて、これまで一度も観たことがなかった。正直いって、観終わったいまでも、やはりE.T.のことはあまりかわいいと思わない。それなりにとぼけていておもしろいキャラではあったけど、かわいいとはまるで思わない。日本みたいにかわいいものが氾濫している国にいたら、それも仕方ないんじゃないかという気がする。あれはアメリカだから大ヒットしたキャラなんじゃないかと僕は思う。
そう、僕は今回この映画でE.T.が初登場するシーンを観て、ああ、これってアメリカだからエイリアンの話になるんだよなと思ったんだった。これを日本でやったらば、E.T.は、ぜったい宇宙人じゃなくて妖怪のたぐいだろう。イメージ的には一般的な宇宙人よりも、ぬらりひょんとか、そういうのに近い。ろくろ首みたいに首も伸びるし、もろ妖怪。日本でエイリアンをキャラクター化しようとして、このデザインが生まれることって、まずない気がする。
でも、ではE.T.が日本の妖怪に近い存在かというと、そんなことはない。E.T.には妖怪にある「怪しさ」が絶対的に不足している。そこがもの足りない。物語もそうとういい加減だし、これは完璧に子供向けの映画。初めからそう割りきって、少年たちが自転車で空を飛ぶシーンのファンタジーに酔えれば最高なのかもしれないけれど、童心を忘れてひさしい僕には、正直なところ、あまりしっくりこなかった。
まあ、それでも幼いころのドリュー・バリモアはとてもかわいいと思う。ほんと、E.T.よりもぜんぜんかわいい。彼女とE.T.のコラボは、ある意味貴重な気がしないでもない。
(Oct 17, 2009)
TOKYO!
ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノ監督/藤谷文子、加瀬亮、香川照之、蒼井優/2008年/フランス、日本、韓国/BS録画
外国人監督三人──フランス人ふたりと韓国人ひとり──が東京を舞台にして撮ったオムニバス映画。
監督のうちのひとりが 『エターナル・サンシャイン』 のミシェル・ゴンドリーだというので観たのだけれど、彼が手がけた一本目の 『インテリア・デザイン』 は残念ながらいまひとつ。出演者のみならず、カメラマンほかのスタッフの多くが日本人のせいか、全体的に邦画のパスティーシュを観ているみたいで、外国人ならではというセンスがほとんど感じられなかった。
内容は地方から出てきたカップルが都会の物価高のせいで貧乏に悩むという話。後半になって唐突にシュールになる展開が、なんとなく安部公房を思い出させた。ちなみにこの話に主演している藤谷文子という人は、なんとスティーヴン・セガールの娘さんとのこと。どこかで観たような気がしたら、『ガメラ』 のリメイク版がデビュー作らしい。
二本目のレオス・カラックスという人の 『メルド』 は、ゴジラのテーマとともに下水道から現れ、通行人にさんざん迷惑をかけては、ふたたび下水道へと消えてゆくというホームレス風の怪人の話。アイディアは悪くないし、序盤からバイオレンス・タッチになる中盤くらいまでは期待させたものの、後半はリズムが悪くて、だれてしまった。
ということで、ふたりのフランス人がはずし気味で、こりゃだめかと思ったこの映画だけれど、最後の韓国人監督、ポン・ジュノによる 『シェイキング東京』 でもって救われた。
これは引きこもりをテーマにした作品で、映像、演出、演技と三拍子そろっていて、とてもいい出来だった。とくに演技に関しては、香川照之、蒼井優、竹中直人という主要キャストの素晴らしさゆえ、これだけが頭ひとつ抜け出ている印象がある。
なかでも蒼井優。僕はこれまで彼女の演技を観たことがなかったし、失礼ながら特別きれいな子だと思っていなかったので、うちの奥さんや友人が彼女を気に入っている理由がよくわからなかったのだけれど、これを観て納得。出てくるシーンはそれほど多くないにもかかわらず、残したイメージが鮮烈だった。もっとおっとりした子だと思っていたので、そのシャープでセクシャルな演技にびっくり。この映画の彼女は掛け値なしに魅力的だ。なまじ美人だと思っていなかった分だけ(失礼)、インパクトが強かった。なるほど、人気の理由がよくわかった。
それにしても韓国人と日本人のタッグで、これくらい出来のいい映画が撮れるというのは大きな発見。ならば最近の日本映画にだって、これに負けない出来の映画があってもおかしくない。いずれは邦画もチェックしないといけないなと思わされた。
(Oct 17, 2009)
A Huey P. Newton Story
スパイク・リー監督/ロジャー・グァンバー・スミス/2001年/アメリカ/DVD
スパイク・リー監督の作品ということで観た、アメリカの黒人解放組織、ブラック・パンサー党の創始者、ヒューイ・P・ニュートンの伝記映画……かと思ったら。
これが伝記映画とかドキュメンタリーとか呼べるタイプの作品ではなかった。オリジナルは主演──というよりも独演──のロジャー・グァンバー・スミス──DVDのパッケージではグァンバーとなっているけれど、どちらかというとグーンヴァーのほうが一般的みたいだ──という人の一人芝居とのことで、どうやらそれをテレビ向けに映像化したものらしい。この人がヒューイ・P・ニュートンという人物に扮して、監獄か警察の取調室のような場所で、スポットライトを浴びてひたすらしゃべりまくる、ただそれだけ。バックグラウンドにドキュメンタリー映像が映し出されてはいるものの、基本的にはこの人のマシンガンのような早口の語りを延々とカメラが追ってゆくのみ。僕はもっとふつうのドキュメンタリーかと思っていたので、なんだこりゃって感じだった。
それでもまあ、およそ1時間半を、脚本も見ずに、ほぼノンストップで語り倒してみせるんだから、グーンヴァー・スミス氏の演技力(?)たるや見事。これを見れば、ブラック・パンサー党のことがよくわかるとか、そういうたぐいの作品ではないけれど、表現方法のひとつとして、その見せ方には感心せずにはいられない。まあ、ものすごい早口なものだから、字幕で観たのでは、そのおもしろみが十分に伝わらない感があったけれど。その点は残念。
ちなみにこのグーンヴァー・スミスさん、スパイク・リーの出世作にして、僕がもっとも好きな映画のうちの一本、『ドゥ・ザ・ライト・シング』 で、マルコムXとキング牧師のブロマイドを売って歩いている知的障害者の青年を演じていた人で(なんと)、そのほかにもスパイク・リー作品5作に出演しているとか。ぜんぜん知りませんでした。
(Oct 18, 2009)
機動戦士ガンダムI
富野由悠季・総監督/1981年/日本/DVD
30周年ということでガンダムの劇場版10作品のDVDが安くなったので──といっても定価は1枚3千円だから、平均的な洋画の廉価盤の倍もするんだけれど──、思い切って買いました、初代ガンダム劇場版三部作。
本当は 『逆襲のシャア』 や 『Zガンダム』 も欲しかったものの、前者は以前に観たときにそれほど惹かれなかったし、ゼータに関しては初代に負けないくらい好きなものの、劇場版はまだ観たことがなく、しかもその評判があまりよろしくないので、とりあえず初代三部作のみ購入した。
いやしかし、さすがに30年前に放送されたテレビ・アニメ。21世紀のいまとなって観ると、絵がしょぼいこと……。とくについ先日、超高画質なエヴァ劇場版を観たあとだけに、その差は歴然という以前の問題。始まったとたんに、あらら、こんなひどかったんだと思ってしまった。作画はラフだし、デッサンがくるっているシーンもけっこうあるし。時代遅れで思わず笑ってしまうような演出もある。当時はこれがあたり前だったから、気にならなかったけれど、さすがにいまとなると、少なからず風化している。
でもね。それでもこれがおもしろいんだ、とても。別にノスタルジーに浸っているわけではなく、素直にいま観てもおもしろいと思う。アニメーションの質という点では最良とはいえないかもしれないけれど、こと一編のSF大河ドラマとして、非常によくできた作品だと思う。
この劇場版三部作に関しては、テレビ・シリーズのダイジェスト版ながら、下手に手を入れたりせずに、素直にテレビ版を踏襲しているところが、なによりいい。エヴァ劇場版のように、やっぱテレビ版じゃなきゃとか、いや劇場版の方が、とかいうのも楽しいのかもしれないけれど、時間がない身としては、ガンダムが観たいと思ったときに、こういう風に良心的な短縮バージョンがある方がありがたい。
それに短いったって、三部作のそれぞれが2時間強はあるわけで、全部通してみれば、それなりのボリュームになる。それどころか、全43話のテレビ・シリーズ──ってそれしかないんですね。初回放送時には視聴率が低迷して、途中で打ち切りになったとのことで、ちょっとびっくり──を映画3本にぎゅっと凝縮してあるわけだから、見ごたえは十分。僕はこの劇場版三部作のほうがテレビ版よりも好きなくらいだったりする。
(Oct 20, 2009)
機動戦士ガンダムII 哀・戦士編
富野由悠季・総監督/1981年/日本/DVD
劇場版第一作を観たときにびっくりしたのが、テレビ版の一話目にあたる最初の部分で、サイド7を襲撃したザクの攻撃により、多くの民間人が死亡していること(しかもその中にフラウ・ボゥの家族も含まれる)。いきなりこんなエピソードから始まるアニメなんて、それまでなかったんじゃないだろうか。アムロが母親と再会するエピソードなんかもそうとう苦いし、その後も戦争にまつわる悲惨さは、けっこうしっかりと描かれている。こういうシビアなところを観ていると、この作品がいかにそれまでの巨大ロボット・アニメと一線を画していたかがよくわかる。
この劇場第二作は 『哀・戦士編』 というタイトルがつけられている通り、さらに多くの印象的なキャラクターが死んでゆく。マチルダさん、リュウ、ミハル、ウッディ大尉、敵方のランバ・ラルとハモン……。ランバ・ラルとの白兵戦では、ホワイトベースの名もない乗組員たちも次々と命を落としてゆく。さらにつづく第三作でも、ララアやスレッガー、ザビ家の面々など、戦火のなかで姿を消してゆく主要キャラクターは数知れない。
上映時間の関係で削られたシーンも多いから、悲しみの余韻に浸っているひまもなく物語は進んでゆくけれど、それでも劇場版三作を短期間でつづけて観ると、テレビ版を途切れとぎれに観ているのと違って、その死亡者数の多さが、ずしりとこたえる。ガンダムはまぎれもなく戦争ドラマなんだという事実を、今回は強く意識させられた。
たとえば同じく戦争をテーマにした三部作のSFドラマでも、『スター・ウォーズ』 にはそういう重さがない。比較するのはナンセンスかもしれないけれど、僕はその点、スター・ウォーズよりもガンダムのほうが優れていると思う。少なくても作り手の視点は、より成熟している。
まあ、とかいいつつ、そんなシリアスさの一方で、たまに妙におちゃらけた演出があるのも、お愛嬌。僕は安彦良和のマンガ版 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』 を読んだときに、ところどころにその繊細な絵柄にそぐわないギャグ・シーンがあるのに違和感を覚えたのだけれど、今回アニメ版を観てみたら、同じようなギャグがけっこうあったので、ちょっと驚いた。あれってオリジナルの演出のまんまだったんだ……。
(Oct 24, 2009)
機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙(そら)編
富野由悠季・総監督/1982年/日本/DVD
ガンダム劇場版三部作、これにて完結。
劇場版は一作目がサイド7から地球に到着して、ガルマが戦死するまで。二作目は全編地球での話で、ジャブローから再び宇宙へと出発するところで終わる。で、この完結編ではふたたび宇宙を舞台に、アムロのニュータイプとしての覚醒を描く。ララアとの運命の出会いやソロモンでの激戦を劇的に描き、ア・バオア・クーで大団円を迎える。
今回ひさしぶりに観て感心したのは、ララアというキャラクターの神秘的な美しさ。若い頃はそのよさがわからず、セイラさんのほうがよっぽど魅力的だと思っていたけれど──すでに自分のほうが年上なのに、いまだに「さん」をつけずにはいられない──、いまになってみると、セイラはしゃべり方からしてあまりに昭和レトロなお嬢さま風で、時代遅れな感がある。それにくらべて、ララアはほとんど古びていない。エメラルド色の瞳をしたインド系の美女という設定は、ボーダーレスなインターネット時代になり、より普遍的な説得力を持っているような気がする。
彼女の存在に限らず、ガンダムのキャラクター設定は見事に多国籍だ。名前であきらかに日本人だとわかるのは、ミライ、カイ、ハヤトくらい。ブライトやセイラが西欧系、スレッガーはおそらくアメリカ人。ザビ家はドイツ系だろうか。で、ララアがインド系と。アムロやフラウ・ボゥになると、名前からはどこの人だかもわからない。
考えてみると黒人はぜんぜん出てこないけれど、70年代末の日本のアニメにそこまで求めるのは酷だろう。少なくてもアムロが出逢う運命の人、ララアに黒い肌を持たせた視野の広さだけでも十分先進的だと思う。
あと、この映画版ではラスト・シーンでかかる井上大輔の 『めぐりあい』 という曲がとても感動的。恥ずかしながら僕はこの曲がすごく好きなもので──まあ、とはいっても好きなのは「イエス、マイ・スウィート~」から始まるサビの部分だけだけれど──、クライマックスでこの曲がかかる点ひとつとっても、テレビ版よりも映画版の方が上に思えてしまうのだった。
(Oct 25, 2009)
ハンコック
ピーター・バーグ監督/ウィル・スミス、シャーリーズ・セロン/2008年/アメリカ/BS録画
CMだか予告編だかで見た、ウィル・スミスが片手で鯨を放り投げている映像があまりにインパクト大だったので、ぜひ観たいと思っていた風変わりなアクション・アンチ・ヒーロー・ムービー。
光速で空を飛ぶことができて、自動車を片手で持ち上げるほどの怪力を持ち、弾丸なんかものともしない不死身の肉体の持ち主──もしもそんなスーパーマンが、世紀のろくでなしだったなら……というこの映画の着想はとてもおもしろい。ウィル・スミスが大暴れして、ロサンジェルスの街中がハチャメチャになってしまうあたりのあり得なさ、くだらなさは一見の価値があると思った。
ところが、物語も中盤にさしかかり、それまで偶然に出会ったかのように見せかけていたウィル・スミスとシャーリーズ・セロンとのあいだに浅からぬ
それにしても、シャーリーズ・セロンの旦那さん役を演じる、ちょっと川平慈英似のジェイソン・ベイトマンだけれど、ちょっと前までは名前も知らなかったのに、ここへきて、『ジュノ』 と 『マゴリアムおじさん~』 とこれ、つづけて三本の話題作で準主役を演じる売れっ子ぶり。しかも相手役はシャーリーズ・セロンにナタリー・ポートマンにジェニファー・ガーナーと、きれいどころばかりとくる。失礼ながら、あまり主役として大活躍しそうなタイプには思えないので、いまが人生の春って感じがする。
(Oct 27, 2009)
ハプニング
M・ナイト・シャマラン監督/マーク・ウォールバーグ、ゾーイ・デシャネル/2008年/アメリカ/BS録画
『シックス・センス』 『アンブレイカブル』 などのM・ナイト・シャマラン監督の最新作。
物語のはじまりは人でにぎわうニューヨーク・マンハッタンのセントラル・パーク。行ったりきたりしていた大勢の人たちが、突然いっせいにぴたりと足を止める。時間が止まったという演出なのかと思ったら、そうじゃない。風が吹き抜けて木々が揺れていたりする。人々になにかが起こったらしい。
ベンチに座って友達と話をしていた女性があたりの異変に気づく。なにごとかしらと友人に語りかけるも、その相手もなんだかおかしくなっている。いきなり表情を失ったその人は、自分の髪をまとめていたかんざしのような髪留めをゆっくりと引き抜くと、それで自分の首をずぶりと……。うわぁぁ。
そのころ、近くの建設中のビルでもショッキングな風景が繰り広げられていた。最上階にいた工事夫たちが、次から次へと身を投げ出し始めたのだった。ひゅーっ、どさっ、ばたっ、ぐぎっ。あぁ、やだやだ。
そんな風にいきなり死体だらけの風景とともに始まるこの映画は、人間たちを自殺するようしむける謎のウィルス(のようなもの?)がアメリカ東海岸を局所的に襲うというパニック映画(もしくはホラー映画)。主人公のマーク・ウォールバーグたちが、目に見えない死の脅威に怯えながら逃げまどう姿に、息が詰まるような思いをさせられる。1時間半と、この手の映画にしては短めなわりには、観ていてけっこう疲れた。
ちなみにウォールバーグの奥さん役を演じるゾーイ・デシャネルという女性は、実生活ではデス・キャブ・フォー・キューティーのボーカリスト、ベン・ギバートの奥さんなのだそうだ。彼女はサリンジャーの 『フラニーとゾーイー』 にちなんで名づけられたんだとか。なので、日本ではズーイーと表記されることの方が多いみたいだけれど、ここではあえてゾーイとしておきたい。
(Oct 30, 2009)