2009年9月の映画
Index
- ゴッドファーザー
- セントアンナの奇跡
- フューチュラマ:ベンダーの大冒険
- イージー・ライダー
- クレイマー、クレイマー
- JUNO/ジュノ
- ゴッドファーザー Part II
- ゴッドファーザー Part III
- 最高の人生の見つけ方
- マーゴット・ウェディング
- 未知との遭遇
ゴッドファーザー
フランシス・フォード・コッポラ監督/マーロン・ブランド、アル・パチーノ/1972年/アメリカ/DVD
映画史上に残るギャング映画の至宝ともいうべき作品──なのだけれども。
かれこれ二十年近く前の話ながら、僕はこの映画を観る前に、マリオ・プーヅォの原作を読んで、そのおもしろさに感服しまくっていたので、両者の比較で、映画の印象がいまいちになってしまっていた。まあ、いまになって観直してみると、この映画の出来映えのよさには、なるほどと思うところがあるし、いま原作を読んで、かつてのような興奮を味わえるかというと、それはそれであやしいところだけれど、それでもやはり最初に感じたもの足りなさは、今回もやはりつきまとってしまっていた。
僕の不満は、とにかくマイケルの内面が見えない点、これに尽きるのだと思う。原作ではマフィアの家に生まれたことに反発していた彼が、最終的には父親のあとを継ぐことになるまでの葛藤が、きちんと描かれていた。というか、それこそがこの作品の一番の読みどころだと思った記憶がある(まあ、昔のことを忘れまくっている男の記憶だから、かなりあやしいですが)。
ところがこの映画版からは、そういった彼の内面性がまったく読み取れない。そうとうボリュームのある原作を映画化するにあたって、原作者であり脚本家でもあるプーヅォは、あえてマイケル個人への言及を最低限にとどめ、コルレオーネ家の家族史へと内容を絞ってみせたという印象がある。それでもおよそ3時間という長さになっているのを考えれば、それはおそらく正解だったのだろう。
でも、やはり僕には原作にくらべて、この映画のマイケルはあまりに魅力に乏しいように思える。とくに彼がイタリアから帰国して、いきなりケイに結婚を申し込むくだりなんて、いったいなんじゃそらって感があった(そういえばケイを演じているのは、若き日のダイアン・キートンだったんですね。気がつかなかった)。この一点を取っても、僕にはこの映画が完璧だとは思えないのだった。
まあ、ただ単に映画よりも小説が好きな男ゆえの少数意見という気もする。
(Sep 06, 2009)
セントアンナの奇跡
スパイク・リー監督/デレク・ルーク、マイケル・イーリー、ラズ・アロンソ、オマー・ベンソン・ミラー/2008年/アメリカ、イタリア/TOHOシネマズシャンテ
スパイク・リーの最新作にして、初の戦争映画。この人の作品にしては珍しく感動的だという噂で、ひと月以上のロングランになっていたので、やはりファンとしてはこういう機会に劇場で観ておくべきかなと思い、ひさしぶりにひとりで映画館へと足を運んできた(ただし映画の日に、というあたりがせこい)。
物語は第二次大戦中のイタリア、トスカーナ地方を舞台に、白人司令官の人種差別によって壊滅に追いこまれた黒人部隊(通称バッファロー・ソルジャー)の生き残り四人が、戦場で迷子になっていた不思議な少年を保護して、たどり着いたイタリアの小村でつかのまの休息を過ごすというもの。彼らはその村で初めて黒人が差別されない世界を知る。そしてナチスとパルチザンとの抗争に巻き込まれ、窮地に陥る。
この映画、残念ながら展開にちょっとばかり不自然なところがある。クリスマス・シーズンの郵便局を舞台にした冒頭のシーン──この映画は意表をついて現代劇として始まる──では、なんで仕事中の郵便局員が実弾をこめた拳銃なんか持っているんだかわからないし、最後にヘクターが助かる展開も少なからず不自然に思える。どちらも感動的なラストシーンに直接つながってゆく部分だけに、そんな説得力のない展開が気にかかって、素直に感動しきれない(ちょっとうるっときたけれど)。
いやでも、そんな若干の欠点はあるものの、これはこれで十分におもしろいと思う。スパイク・リーならではの問題提起はここでもしっかりとされているし(それも単なる黒人差別問題というだけではなく、もっとグローバルな視点が感じられる)、ささやかながらユーモラスなシーンもある。それらに加えて、大迫力の戦闘シーン、かわいい子役の演技、美女のセミヌードなど、見どころも満載。
僕は基本的に戦争映画が苦手なので、いつものスパイク・リー作品のように、雰囲気だけで無条件に好きとは言いにくいところがあるけれど、それでもこれもそのほかの作品と同じように、この先、何度も観ることになるんだろう。
(Sep 08, 2009)
フューチュラマ:ベンダーの大冒険
ドウェイン・ケイリー=ヒル監督/2007年/アメリカ/BS録画
『ザ・シンプソンズ』 のマット・グローニング製作ということで、シンプソンズが大好きなうちの奥さんの大いなる期待とともに観ることになったSFコメディ・アニメ。
この作品についてはなにひとつ知らなかったので、オリジナルの長編アニメかと思っていたのだけれど、いざ観てみれば 『ザ・シンプソンズMOVIE』 と同じく、『フューチュラマ』 という連続テレビ・アニメの劇場版だった。なので主要キャラクターや物語の背景については、観客が知っているものとして話が進むので、テレビ・シリーズを知らない僕らにとっては、初めのうちは、ややとっつきづらかった。
それでもそこはさすがマット・グローニング・プレゼンツ。しばらくたって、キャラの性格がつかめてくると、けっこう楽しく観られるようになる。もとよりそのギャグ・センスにはシンプソンズでなじんでいるわけで、基本的なリズムに慣れてしまえばこっちのもの。SFだけあって 『スターウォーズ』 や 『ターミネーター』 など、映画ネタのパロディは豊富だし、あちらではイッチー&スクラッチーで控えめにやってみせているスプラッターなギャグ──首が落ちたり、手首を切断したり──を主要キャラで大っぴらにやってみせるあたりは強烈だし、凝ったタイム・パラドックスもののストーリーも新鮮で、かなりおもしろかった。
こうなるとオリジナルのテレビ・シリーズも観たくなるのが人情ってものだけれど、さすがにいままでタイトルさえ聞いたこともない作品だけあって、日本ではとんと放送された形跡もない。当然、DVDも出ていない。すでに放送終了から6年も経過していて、これから話題になるとも考えにくい。日本でのシンプソンズのマイナーさ加減からして、テレビ版が放送される可能性はかなり低そうだ。おもしろそうなだけに残念。
(Sep 14, 2009)
イージー・ライダー
デニス・ホッパー監督・主演/ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソン/1969年/アメリカ/BS録画
これも長いこと観ないとなぁと思いながら、観れずにいた作品。
アメリカン・ニュー・シネマの中でも、もっともロックがフィーチャーされている作品だというので、ロック・ファンとしては、とうぜん気になっていたのだけれど、僕はヒッピーやバイクにまったく関心がないもんで、それらが大々的にフィーチャーされているせいで、いまいち食指が動かなかった。
で、いざ観てみれば、やはり……。わるい映画だとは思わないけれど、とうてい好みとは言えない。基本的な構図──社会的なアウトローたちが享楽的に生きたあげくに破滅するというもの──は 『俺たちに明日はない』 や 『明日に向かって撃て』 と同じだけれども、少なくても僕はあのふたつの作品ほどには入れ込めなかった。やはり主人公がヒッピーなのが大きいんだと思う。銀行強盗やガンマンには共感できて、ヒッピーは駄目ってのもなんだけれど。
でも、これって僕に限ったことではないんではないかとも思う。僕らくらいからあとの世代でもって、ヒッピー文化に心から共感できる人なんているんだろうか。少なからず疑問。僕自身はどうにも違和感を覚えてしまう。この映画でかかる音楽にしたって、半分は時代遅れな感じだし……。まあ、ステッペン・ウルフの 『ワイルドで行こう』 とか、さすがにカッコいいと思う曲もあるけれど(そういえばうちにはこの曲の入ったCDがない)。
とはいっても、この映画で描かれるアメリカ人の排他的な暴力性は、やはり少なからず衝撃的だ。自分とは違う性癖や価値観を持った人間をたったそれだけの理由で憎悪して、あたり前のように暴力に訴えて出る人々の存在には、映画の中の話とはいえ、うすら寒さをおぼえないではいられない。黒人大統領も誕生したことだし、これからの時代はそういう人たちがいなくなってゆくものと信じたい。
なお、「アメリカン・ニュー・シネマ」というのは実は和製英語で、英語では「ニュー・ハリウッド」と呼ぶのが正式らしいです。なんと。
(Sep 17, 2009)
クレイマー、クレイマー
ロバート・ベントン監督/ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ、ジャスティン・ヘンリー/1979年/アメリカ/BS録画
ある日突然、奥さんが子供をおいて出ていってしまう──しかも自分は重要な仕事を任せられたばかりで超多忙なときに──というこの物語のプロットは、日々時間に追われながら暮らしている子育て経験者としてはとても切実だ。しかも、その日から仕事を犠牲にしてまで築き上げてきた息子との絆を、舞い戻ってきて「やっぱり子供と暮らしたい」という身勝手な奥さんによって引き裂かれてしまうとなると、なおさらやる瀬ない。一児の父としては、とても胸を打つものがあった。
でも、最終的にどのように転んだか、はっきりしないこの映画のエンディングには不満がある。うまくゆくのか、ゆかないのか、もっとはっきりして欲しかった。
それにあの裁判の判決にしても、どうしてそういう結論になるのか、僕にはよくわからない。どう見たって奥さん──メリル・ストリープ、出番が少ない──のほうが悪くて、ダスティン・ホフマンにはまったく非がないように思えてしまうのだけれど……。仕事を犠牲にしてまで子育てに精を出していたってのが、なんでマイナスになるんだろう? あれで女性だからということで母親が裁判に勝っちゃうってのは、かなり男女同権の精神に反する気がする。そういうところをきちんと納得させてもらえなかったのはやや残念。
ということで、けっこういい映画だとは思うんだけれど、最期のほうでちょっとだけ説得力を欠いたかなと。そういう作品。
(Sep 19, 2009)
JUNO/ジュノ
ジェイソン・ライトマン監督/エレン・ペイジ、ジェニファー・ガーナー/2007年/アメリカ/BS録画
十代の妊娠・出産を描くとなると、金八先生のようにシリアスな話を想像してしまうけれど、この映画の場合はさすがメイド・イン・ハリウッド。じつにあっけらかんとしている。実際に十代で出産を経験したことがある人──でもって、そのために苦しい思いを味わったことのある人──にしてみれば、ふざけんじゃないわよって言いたくなるんじゃないかってくらいにおおらかだ。もしもうちの子が若くして妊娠するようなことがあったらば、僕もこれくらい能天気でありたい。
この映画のそんなおおらかさが嫌みなく伝わってくるのも、主役のジュノを演じるエレン・ペイジという女の子の好演あってこそだと思う。ほんと、この子の演技はよかった。なんでアカデミー賞で最優秀主演女優賞が獲れなかったのか、不思議になってしまうくらい(『エディット・ピアフ~愛の賛歌~』 のマリオン・コティヤールに負けている)。この子はこれからほかの映画でも何度となく観ることになるんじゃないかと思った。なんでも彼女の最新作はクリストファー・ノーランの作品で、競演はディカプリオだとか。それはそれで楽しみだ。
アカデミー賞ということでいえば、さすがに最優秀脚本賞を獲っているだけあって、話もうまい。とくにジュノの性格付けが抜群。演奏シーンはないものの、バンドをやっているとかなんとかいう設定で、好きなアーティストはストゥージズとパティ・スミスとランナウェイズだという──でもって、ソニック・ユースなんて単なるノイズじゃないとかいう──、その方向性のずれ具合が(趣味のよしあしは別として)一般性に埋没せず、中絶よりも出産を選択する彼女のキャラクターをよく表わしていると思った。
(Sep 21, 2009)
ゴッドファーザー Part II
フランシス・フォード・コッポラ監督/アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ/1974年/アメリカ/DVD
『ゴッドファーザー』 のその後を描く一方で、初代ゴッドファーザーがいかにして誕生したかを、若き日のヴィト・コルレオーネ役にロバート・デ・ニーロを起用して描いてみせたシリーズ第二弾。
前に書いたとおり、第一作は原作(小説)のイメージを引きずってしまっているせいで、あまり入れ込めないのだけれど、映画オリジナルのこの第二作目は、そういうしがらみがない分、素直にすごいと思う。この重厚さは半端じゃない。史上最強の続編。
今回、ひさしぶりに観てみて意外だったのは、物語にかなり大きく時代性が取り入れてある点。キューバ革命のさなかにマイケルが現地にいたり、マフィアを糾弾する聴聞会をドキュメンタリー・タッチの演出で組み入れていたり。どちらも重要なエピソードだと思うのだけれど、僕はぜんぜん覚えていなかった。いったい、なにを観てたんだろう……。そのくせ、ヴィトがクレメンザたちと食卓を囲んでパスタを食べているシーンとか、そういうどうでもいいようなシーンは、やたらと鮮明におぼえているんだから、われながらなんだかなぁと思う。
まあ、なんにしろ素晴らしい映画なのだけれど──デ・ニーロがマーロン・ブランドの演技を踏まえて、ささやくような話し方をしているのが、すげーかっこいい──、でもこれ、3時間半ちかい長さとそのヘビーな内容ゆえ、気合いを入れないと観られないのが玉にきず。今回も第一作を観たあと、さあ観ようと思うまでに三週間もかかってしまった。で、観たら観たで、もうぐったり。いやあ、こりゃやっぱり重いや。おいそれとは近づけない、おっかないマフィアそのものみたいな映画。
(Sep 23, 2009)
ゴッドファーザー Part III
フランシス・フォード・コッポラ監督/アル・パチーノ、ダイアン・キートン、アンディ・ガルシア、ソフィア・コッポラ/1990年/アメリカ/DVD
『ゴッドファーザー』 三部作のうち、僕はこれだけは劇場公開時に映画館で観ている。でも正直なところ、当時はまるでいいとは思わなかった。VHSのボックスも持っているので、そのあとにも一度は観ているはずなのだけれど、そのときの記憶はまるでない。
そんな過去二回にくらべると、三度目となる今回はそれなりに楽しめた。さすがに前の二作よりはグレードが下がるけれど、それでも思っていたほど悪い映画じゃなかった。やっぱ、こういうのは年を重ねてから観たほうがいい気がする。年老いたマイケルへの同情心が自然とわいてくる分、若いころよりも親身になって観ることができた。なんたって初めて観たときにはアンディ・ガルシアよりも年下だったもんで、よろよろのマイケルに共感するのは、ちょっと無理があったんだろう。
まあ、とはいってもシリーズの最後を飾るという目で見ると、やっぱり不満に思う点も多々ある。アンディ・ガルシアに跡をゆずる部分はあまりに唐突で説得力がないし、契約上の問題なのか、ロバート・デュヴァル演じるトム・ヘイゲンが過去の人になってしまっているのも、重要な役どころだっただけに、かなり残念だ。そしてあのクライマックスの悲劇……。ありゃないだろうと、僕はいまだに思う。あまりに取ってつけたような展開で、興ざめ
ただ、かつてはそのエンディング部分があまりに気に入らなくて、どうにもひどい映画だと思ってしまっていたのだけれど、今回観てみて、そこに至るまでの展開は決して悪くないと思った。かつて兄ソニーの死ゆえに、父親からファミリーを引き継ぐことになったマイケルが、今度はそのソニーの息子にドンの椅子を譲り渡すという物語には、それだけでもう充分に痺れるものがある。今回は全三作を比較的みじかい期間で観たこともあって、その重厚な世界観をたっぷりと堪能できた。
(Sep 23, 2009)
最高の人生の見つけ方
ロブ・ライナー監督/ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン/2007年/アメリカ/BS録画
ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの競演による老人どうしの友情のドラマ。敬老の日にはもってこいだとか言いながら、その翌日に観た。
余命半年と宣告された老人どうしが、残されたわずかな人生をやりたい放題で過ごすというこの映画。シリアスな状況を笑い飛ばすような内容は、ちょっと前に観た 『JUNO/ジュノ』 にも通じる。最近ハリウッドではこの手の映画が流行っているらしい(それとも昔から?)。
なんにせよ、序盤はいまにも死にそうだったジャック・ニコルソンがガン治療のあいだに妙に元気になっちゃうあたり、そんなのありですかって感じだし、すごく家族を大事にしていたはずのモーガン・フリーマンが、奥さんや子供たちの心配をよそに、知りあって間もない大富豪とふたりきりで世界旅行に出かけてしまうってのも、かなり性格がぶれている気がするけれど、そういう細かい点にこだわらず、老人ふたりの開放感あふれる珍道中を楽しむとするならば、それなりにおもしろい映画だと思う。
主演のふたりはオスカー俳優どうしだけあって当然いい感じだけれど、加えてジャック・ニコルソンと、彼の秘書役のショーン・ヘイズという人の距離感がとてもいい。皮肉っぽい会話のなかにきちんと相手を思いやっている感じが伝わってきて、とても好印象だった。この映画のポイントは、ちょっぴりひねりを効かせたエンディングでも労を惜しまず働いている、この秘書の存在だと思う。
(Sep 23, 2009)
マーゴット・ウェディング
ノア・バームバック監督/ニコール・キッドマン、ジェニファー・ジェイソン・リー/2007年/アメリカ/BS録画
ニコール・キッドマン主演ということで観たこの映画。あちこちでコメディ・ドラマとか紹介されているわりには、いったいこれのどこがコメディなんだと思ってしまうような作品だった。最初から最後までこんなにぎすぎすした雰囲気の映画は珍しいと思う。
ほんと、登場人物がそれぞれにいがみあってばかりで、最後まで心なごむところがほとんどない。ニコール・キッドマンをはじめとして、ジェニファー・ジェイソン・リー、ジャック・ブラック、ジョン・タトゥーロと、キャストには個性派がそろっているわりに、共感できるキャラクターがまったくいない(あえていえば、ニコール・キッドマンの息子の役を演じるゼイン・パイスという少年がよかった)。余韻をいっさい否定するかのように、唐突にカットが切り替わる編集も、ドラマのぎこちない印象に拍車をかけている気がする。
人間関係があまりにうまくゆかないがゆえ苦笑を誘われるという場面ならばけっこうあるので、そういうところがコメディと呼ばれるゆえんかなとは思うけれど、だとしたらこれほどいびつなコメディも珍しいんじゃないだろうか。観ていると、ときどき苦い笑いが浮かんできて、思わず口元がゆがんでしまう──これはそういうタイプの作品だった。
そういえば、この映画ではニコール・キッドマンがジェニファー・ジェイソン・リーのお姉さんという設定だけれど、なんだか妹よりも姉のほうが若々しくないかと思って調べてみたら、やはり実際の年齢はキッドマンのほうが5つも若かった(彼女は僕よりひとつ年下)。なんとも強引なキャスティングだった。
(Sep 27, 2009)
未知との遭遇
スティーヴン・スピルバーグ監督/リチャード・ドレイファス、フランソワ・トリュフォー、メリンダ・ディロン/1977年/アメリカ/BS録画
スピルバーグの作品は、時として毒というか、苦味が足りない気がして、いまいち観賞意欲をそそられないことがある。この『未知との遭遇』 や 『E.T.』 などがまさにそれで、『X-ファイル』 好きな僕らにとっては必見ともいうべきエイリアンものであるにもかかわらず、これまで観たいと思ったことがなかった。でもこの一年はやたらと映画を観ていることだし、ちょうど衛星第二でスピルバーグの特集をしているので、せっかくだからこの機会に観ておこうという気になった。
この映画については、リチャード・ドレイファスが初めてUFOと遭遇するシーンや、巨大マザーシップと音でコミュニケーションするクライマックスのシーンに見覚えがあったので、若いころに一度くらいは地上波で観ているのかもしれないけれど、ストーリー自体はまったく記憶になかった。あまりに有名な作品だから、じつは観たことがないくせに、人気映画ベスト100みたいな番組で断片的に見たシーンの記憶が積み重なって、観たことがあるような気がしているだけという気もする。
で、きちんと観てみるとこれがまた、話はかなりいい加減というか、なんというか。UFOによるアブダクション(誘拐)やアメリカ政府によるコンタクトの隠ぺいなど、その後のエイリアン映画──というか、やはりX-ファイル──でさかんに取り上げられるようになるテーマを、なんの説明もなくつなぎあわせてみただけという印象。UFOが現れる前触れのシーンなんかポルターガイストもどきだし、子供が誘拐されるシーンなどにしても──あらかじめこの映画のエイリアンは友好的だという基礎知識があるせいか──X-ファイルのようないかがわしさや怪しさがほとんど感じられない。ラストシーンでのR・ドレイファスの運命なんて、笑いなくしては見られない。こういうところが敬遠してしまう理由なんだよなぁとか思ってしまった。
でも、そうはいってもそこは名作といわれるだけあって、それだけじゃ終わらない。初めてUFOと遭遇するシーンからは、見たことのないものを見てしまった主人公の興奮と恐怖がしっかり伝わってくるし、なによりクライマックスのUFOとの遭遇のシーンには、思わず恍惚としてしまうような美しさがある。CGが普及して、ものすごい映像があふれているいま観ても、この映像の素晴らしさは色あせていない。いやはや、思わず夢中で見入ってしまった。
ということで、話としてはかなりいい加減なのに、UFOがあまりにきれいなもので、思わず見とれてしまって批判する気が起きないという、これはそういう珍しい作品。映画にとっての映像の大事さを、あらためて教えてくれた一本だった。
それにしても、あのフランス人がフランソワ・トリュフォーだったとは。
(Sep 30, 2009)