2008年11月の映画
Index
- タロットカード殺人事件
- プレステージ
- 東京ジョー
- 大いなる別れ
- レミーのおいしいレストラン
- ブラック・スネーク・モーン
- 華麗なる大泥棒
- インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国
- パンズ・ラビリンス
- ファンタスティック・フォー:銀河の危機
- サウンド・オブ・サイレンス
- マディソン郡の橋
- エル・マリアッチ
- デスペラード
- ヘアスプレー
- フォーガットン
- プラダを着た悪魔
タロットカード殺人事件
ウディ・アレン監督・主演/スカーレット・ヨハンソン、ヒュー・グラント/2006年/イギリス、アメリカ/BS録画
このところのウディ・アレンはスカーレット・ヨハンソンがすっかりお気に入りで、三作つづけて自らの監督作に起用している。
この映画を観るまで、僕にはそのわけがいまひとつわからなかった。これまでに僕が観たことがあるスカーレット・ヨハンソンの作品というと 『ブラック・ダリア』 と、少女時代にちょい役で出演した 『バーバー』 だけで、そのどちらも、とりたてて魅力的な役どころではなかったからだ(まあ、後者の役はインパクトはあったけれど)。
それだからこの映画での彼女をみて、競演のウディ・アレンに負けぬ饒舌さでもって、ご老体を右往左往させるその見事なコメディエンヌぶりにびっくり。なるほど、これならば、ウディ・アレンが見初めるのも納得。十分ダイアン・キートンの代わりがつとまる。僕はこれまであまり彼女のことをいいと思ったことがなかったのだけれど、この映画の彼女はとても魅力的だった。
映画自体はといえば、 『マンハッタン殺人ミステリー』 と同じタイプのサスペンス・コメディで、スカーレット・ヨハンソン演じる新聞記者志望の女子大生が、旅先のイングランドで、話題の連続殺人事件にまつわる真相を幽霊から知らされ、大スクープをものにすべく接近した、容疑者の貴族(ヒュー・ジャックマン)と恋に落ちるというもの。ひさしぶりにウディ・アレンご本人も出演して、ヒロインに引っぱりまわされる老マジシャン役を、いつもの演技で快調に演じている。彼とヨハンソンの丁々発止のやりとりがこの映画の最大の魅力だ。基本的に僕はこの手の映画が大好きなので、とても楽しかった。
それにしてもヨーロッパにも三途の河(のようなもの?)があるんですね。これまたびっくり。
(Nov 03, 2008)
プレステージ
クリストファー・ノーラン監督/ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベイル/2006年/アメリカ/BS録画
十九世紀のイングランドを舞台に、手品に人生を賭けるふたりのマジシャンの確執を描くこの映画。基本的なストーリーはクリストファー・プリーストの原作 『奇術師』 そのままながら、そこから現代劇のパートをごそっと取り除いた上で、ある決定的な変更をつけ加えている。ネタばれごめんで具体的に書かせてもらえば──そして僕の記憶にまちがいがなければ──、物語の中で重要な役割を果たす、あの派手な瞬間転送装置の働きが、映画と原作では異なっているのだった。
でもって、この変更がとんでもなく効果的。変更を加えたことによって、原作ではなんともいえない不気味さをたたえたホラー的な味わいだった結末が、映画では宗教的な業の深さを感じさせる、まったく別の壮絶な人間ドラマへと昇華している。原作つきの映画でもって、これくらい見事な改変を加えたケースは珍しいんじゃないだろうか。あまりの見事さに、僕は観ていて思わずうなってしまった。
この画期的な脚本はクリストファー・ノーラン自身によるもの。最新作の 『ダークナイト』 は映画史上のベストテンに入るんじゃないかというくらい高い評判を受けているし、この人はもしや、エンターテイメントにおいては、現在もっともすごい映画監督のひとりかもしれない。
とにかく原作を読んだことのある人ならば──そしてこの映画をもう一度観なおす人にとっても──、森の中に無数のシルクハットが転がっているオープニングのワン・シーンを観ただけで、おおっと思うこと請けあい。原作のアイディアにさらにひとひねりを加えて、映画ならではのオリジナリティを発揮してみせた、素晴らしい作品だと思う。
ちなみにこの映画、僕はひとつ前の 『タロットカード殺人事件』 と同じく、ヒュー・ジャックマンとスカーレット・ヨハンソンが競演しているというので、つづけて観ることにしたのだけれど、残念ながらこの映画のスカーレット・ヨハンソンには、主演と云われるほどの存在感はない(と僕は思う)。あと、後半に登場する科学者役はデヴィッド・ボウイだそうで。不覚にもまったく気がつきませんでした。
(Nov 03, 2008)
東京ジョー
スチュアート・ヘイスラー監督/ハンフリー・ボガート、フローレンス・マーリー/1949年/アメリカ/BS録画
東京を舞台にした 『カサブランカ』 の二番煎じといった感じの作品。
この映画に関しては、出来がどうであれ、ハンフリー・ボガートが戦後復興期の東京を舞台にした映画に出ているというだけで、僕ら日本人にとっては十分インパクトがあると思う。なんたって、あのボギーが「ニチョウメ、ギンザ」とか「アリガゴウゴザイマス」とか日本語を話しまくっているわけですよ。最初のほうでは、かつての日本人の相棒とじゃれあうように柔道の技をかけあってみせたりもする(これはかなり苦笑もの)。ハリウッド史上に残る名優が、日本の文化とこんなにも密な形で接していたというのは──たとえロケ自体はハリウッドで行われたにしろ──、なんとなく嬉しい。タイトル・バックに富士山の映像が使われていたり、戦後の焼け跡の航空撮影が行われたりしているのも、なにげに貴重なのではないかと思う。
ただし、映画自体の出来はそこそこ。出演している日本人(日系人?)俳優のセリフはほとんどみな棒読みだし、使われている音楽はなんとなく中華風だしで、異国情緒を楽しめるアメリカ人にとってどうかはいざ知らず、僕ら現代の日本人の目からみると、あまり出来がいいとは思えない。
タイトルの「東京ジョー」というのは、ボガート演じる主人公のジョセフ(ジョー)・バレットが戦前に東京で経営していたバーの名前で──看板の表記が「東京ヂョー」となっているのが、いまとなると苦笑もの──、復員してこの店に舞い戻った彼が、いまや他人の妻の座に収まっている昔の恋人を取り戻そうとして、早川雪洲演じるところの悪党男爵とのトラブルに巻き込まれるというのが、おおさっぱなストーリー。早川雪洲が英語の会話のなかにさし挟む、「ああ、そう」という日本語のフレーズも妙におかしい。
ちなみにこの映画で早川雪洲を始めとした日本人俳優が話している英語は、どれも見事な日本語英語だ。それでも問題なくアメリカ人の観客に通じているのだろうから、英語というのは別に発音のよしあしじゃないんだということがよくわかる。その点、なかなか勉強にもなる作品だった。
(Nov 03, 2008)
大いなる別れ
ジョン・クロムウェル監督/ハンフリー・ボガート、リザベス・スコット/1947年/アメリカ/BS録画
もう一本つづけてハンフリー・ボガートの主演作。
レイモンド・チャンドラーの 『大いなる眠り』 と 『長いお別れ』 を足して二で割ったような安直な邦題がついたこの作品──あまりにまぎらわしいタイトルのせいで、僕は初めのうち勘違いして、マジでチャンドラー原作だと思っていた──、内容もそのままずばりの、典型的なハードボイルド・ムービーだった。
物語的には、失踪した戦友のあとを追った主人公が、友人の恋人やカジノのオーナーや警察とのトラブルに巻き込まれるという話で、主人公が酒に薬を盛られたり、殺人の濡れ衣を着せられそうになったり、悪女に後頭部を殴られて気絶したり、悪党とピストルを突きつけあったりと、ハードボイルド的な定番エピソードのオンパレード。出来自体は決して悪くないとは思うのだけれど、なにせ大半のエピソードがあまりに定番的すぎて、記憶に残らない。おかげで観たばっかりだというのに、すでにどういう映画だったか忘れかけている。
主演のリザベス・スコット──エリザベスのまちがいではなく、リザベス──という女優さんが演じるヒロインの名前はコーラル・チャンドラー(これもちょっとばかりハードボイルドの王様へのオマージュっぽい)。前の恋人から「ダスティ」と呼ばれていたというこの女性のことを、ボガート演じる主人公リップが、途中から「マイク」と呼ぶようになるのだけれど、それがなんでだか、僕にはさっぱりわからなかった。あんまり美女向きの可愛い愛称じゃない気がするけれど、そうでもないんですかね。
(Nov 03, 2008)
レミーのおいしいレストラン
ブラッド・バード、ヤン・ピンカヴァ監督/2007年/アメリカ/BS録画・吹替
主役が人間であることに魅力を感じなくて 『Mr.インクレディブル』 を見過ごして以来、なんとなく疎遠になってしまっていたピクサーのCG映画だったけれども。
僕はこれを観て、少なからず反省させられた。要するに僕が敬遠していたのは、 『トイ・ストーリー』 や 『モンスター・インク』 で描かれたような、中途半端に写実的な人間キャラだということがわかったからだ。この作品のように、はじめからマンガ的な作画でデザインされたCGキャラならば、人間が主役でも、ぜんぜんオーケー。この映画は、いかにもディズニー映画伝統のキャラクター・デザインをCG化したようで、とてもいい感じだった。まあ、できれば女性はもう少し魅力的に描いて欲しいけれど。
それにしても、昨今のCGの進歩はすさまじい。この映画の風景描写は、時として実写と見まごうばかりだし、ネズミ目線のアングルでのレミーの疾走シーンなど、そんじょそこらのアクション映画に負けない迫力だ。なかでも、もっともすごいと思ったのが、序盤にレミーが下水道でおぼれるシーン。急流にもまれながら、水から出たり入ったりするシーンの臨場感は、実写を上回ると思った。というか、実写じゃとてもあんな風に見事には撮れないだろう。これぞまさにアニメの力──とても感心した。
物語については、どこがとりたてて凄いとかいうのはないけれど、いかにもディズニーらしい話で楽しい。
ただし、クライマックスの展開だけは納得がいかなかった。ネズミが料理を手伝うのと、ネズミが料理をするのとでは、ぜんぜん意味がちがう。うちの奥さんが「同じネズミでもミッキーならばともかく、この映画のネズミはリアルすぎ」と云っていたけれど、まさにそのとおり。大げさな云い方をするならば、この映画はそこで、超えてはいけない一線を越えてしまっている。
いかに清潔だと云われようと、僕はふつうのネズミが作った料理なんて食べたくない。そんな風に感じてしまう人にとっては、この映画はハッピーエンドであるにもかかわらず、十分にハッピーな気分になれないのだった。いい映画だっただけに、その点がやや残念だ。
(Nov 06, 2008)
ブラック・スネーク・モーン
クレイグ・ブリュワー監督/サミュエル・L・ジャクソン、クリスティナ・リッチ/2006年/アメリカ/BS録画
クリスティナ・リッチ演じる性依存症の女の子を、サミュエル・L・ジャクソン演じる初老のブルースマンが、鎖で拘束して更正させようとする話。いや、性依存症は本当の病気なのだろうから、正しくは更正ではなくて、治療しようとする話、だろうか。いずれにせよ表面的には、かなり扇情的な内容の作品。
ただし扇情的なのは表面的な部分だけで、内容はかなり真面目な映画だった。サミュエル・L・ジャクソンが演じるラザラスは敬虔なクリスチャンで、奥さんに逃げられて心を痛めているせいもあって、同じ屋根の下に半裸の女の子がいるというのにまったく手を出そうとしないし、クリスティナ・リッチの演じるレイも、別に快楽だけを求めて体を投げ出しているわけではなく、幼児虐待にあった悲惨な過去をトラウマとしてかかえていたりする。彼女の恋人のロニーも、なにやら心身症を患っている(この人、ジャスティン・ティンバーレイクだったんですね。そんな名前の売れた人だとは思わなかった)。
この映画はそんな風にトラブルをかかえた主演のふたり(もしくは三人)が、鎖でつながれた奇妙な形のかかわりあいを通じて、それぞれにささやかな救済を受けるに到るまでを描いてゆく。サミュエル・L・ジャクソンの見事なブルースマンぶりと、クリスティナ・リッチのとてもセクシーな腰のくびれ具合は、間違いなくこの映画の最大の見どころだけれども、でもじつはそれだけじゃないんだぜという、意外とヒューマンタッチな作品だった。
ラスト・シーンはあまり救われない感じだけれど、それはそれでいいと思う。あの終わり方、僕はけっこう好きだ。
(Nov 06, 2008)
華麗なる大泥棒
アンリ・ヴェルヌイユ監督/ジャン=ポール・ベルモンド、オマー・シャリフ/1971年/フランス/BS録画
ギリシャを舞台に、ジャン=ポール・ベルモンドを中心とした四人組の強盗団が、とある金持ちのエメラルドを強奪。横取りをもくろむ悪徳警部とのあいだで繰り広げる、すったもんだの逃走劇を描く泥棒映画。
当時の最新技術を駆使した──でもいまとなるとかなりレトロな──金庫破りのシーンにいきなり20分以上を費やしたり、そのあとで唐突に始まったおんぼろカーどうしのカーチェイスが延々とつづいたりと、まだ物語の流れがはっきりしない状態で、やたらと話をひっぱる点は、やや構成が悪いような気がするけれど、それでもそれらのシーンはなかなかの力作だったし、後半にはベルモンドの体当たりの演技もたくさんみられるしで、僕はけっこう気に入った。いまだDVD化されていないのが残念な良作だと思う。
悪徳警部役で味のある演技をみせているオマー・シャリフという人は、『アラビアのローレンス』 でアラブの酋長さんを演じてハリウッド・デビューを飾った人なのだそうだ。そう云われてみると、なるほどという感じ。
もうひとつ配役でびっくりなのが、ヌード・モデルだかなんかの役を演じてるダイアン・キャノンという女性。この人、年をとってから 『アリーmy love』 のサブレギュラーとして、女性判事のウィッパー役を演じている方だとか。おやおや。
(Nov 09, 2008)
インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国
スティーヴン・スピルバーグ監督/ハリソン・フォード、シャイア・ラブーフ/2008年/アメリカ/DVD
19年ぶりにインディ・ジョーンズが復活した話題作。
主演のハリソン・フォードもその分、歳をとっているので、物語は前作から19年後の1957年という設定になっている。それにしても、プレスリーのロックン・ロールが流れる50年代のアメリカに暮らすインディアナ・ジョーンズ教授の、なんとも似つかわしくないこと……。このままで話が進んだらいやだなあと、序盤はちょっと心配になってしまった。
でも、舞台がいったんアメリカを離れてペルーへ移動してからは、昔ながらのインディ・ジョーンズが復活。やはり彼にはこういう埃っぽい未開の地がよく似合う。
物語自体はオープニングの舞台がニューメキシコ州ロズウェルだとわかった時点で、誰もがほぼ想像のできるだろうって内容。その点、好き嫌いが分かれそうな気もするけれど、時代設定が時代設定だし、僕はぎりぎりこういうのもありかなと思った。ただし、あのクリスタル・スカルだけは、もう少しどうにかならなかったもんだろうか。あまりにチープで苦笑もの。
俳優陣では、老いてなお、体をはったアクションに挑むハリソン・フォードの元気さと、第一作から27年たっているのに、ほとんど容姿が衰えていないカレン・アレンの若々しさにびっくり。ケイト・ブランシェットが、 『耳に残るは君の歌声』 と同じく、またもやロシア訛りばりばりの演技を披露しているのもおかしかった。この人は年じゅう、こういう役をやってるんでしょうか?
このところ超売れっ子のシャイア・ラブーフは、ショーン・コネリー、ハリソン・フォードという流れを引き継ぐ役どころとしては、もの足りないと思う。この映画の魅力は単純明快な冒険活劇であることなのだから、こういう今後につながりそうな大役には、もっとカッコいい俳優を起用して欲しかった。
(Nov 09, 2008)
パンズ・ラビリンス
ギレルモ・デル・トロ監督/イヴァナ・バケロ、セルジ・ロペス/2006年/メキシコ、スペイン、アメリカ/BS録画
舞台は第二次大戦下のスペインの山間地。内戦で父親を失い、残された母親の再婚相手が指揮官として任務につく山奥の駐屯地へと連れてこられた少女が、悲惨な現実を逃れて、不気味な幻想の世界に救いを見いだそうとするのだけれど……。
アカデミー賞の最優秀撮影賞、美術賞、メイクアップ賞の三冠に輝いた作品なので、もっとファンタジー中心の話だろうと思っていたらば、さにあらず。ベースとなるのは、ゲリラ戦を仕掛けるレジスタンスと、それを討伐しようとする冷酷な大尉とのあいだで繰り広げられる人間ドラマだった。そこに重ねあわせて、大人たちの凄惨な現実に影響されたかのようなグロテスクな幻想世界を夢見る少女の物語を描いてみせたアイディアが素晴らしい。類型的な戦争悲劇とグロテスクなファンタジーが混ざりあわさって、なんともいえない味わいを生み出している。とても見事な出来だと思う。
ちなみに主人公オフェリア(イヴァナ・バケロ)の義理の父親となるヴィタル大尉(セルジ・ロペス)は、うちの奥さんから「今年観た嫌なやつの第一位かも」と評されていました。彼の、そんなふうに云われてしまうくらい徹底した悪役ぶりも、ある意味この映画の魅力のひとつ。
あと、特撮の部分で僕が一番気に入ったのが、晩餐のテーブルを守っている、両手に目玉を埋めこんだ怪人。あのグロテスクでありながら、なんともユーモラスで、どことなく懐かしい感じのする恐さがすごくいい。
(Nov 16, 2008)
ファンタスティック・フォー:銀河の危機
ティム・ストーリー監督/ヨアン・グリフィス、ジェシカ・アルバ/2007年/アメリカ/BS録画
SFXの派手さと馬鹿らしさ、そろって前作の何割増しじゃないかという、人気アメコミ・シリーズの実写映画版第二弾。
前作も「こんなんでいいんですか?」と責任者に訊ねたくなるくらい、お気楽な映画だったけれど、今度も輪をかけてひどい。なにゆえに銀河の彼方からやってきた宇宙人が、自分の恋人に似ているからとかいって、ジェシカ・アルバに気を許したりするんだか。その宇宙人をつかまえて拷問しようとする地球人がいるという展開もまた、いやになるくらい馬鹿らしい。この映画のシナリオはそういう荒唐無稽さにまったく説得力を持たせ得ていない。もうちょっと、どうにかならなかったものだろうか。
だいたいにして、たかだか四人の超能力者に銀河の危機を救わせようという発想がまちがっていると思う。キャラクター設定と物語のスケールがアンマッチすぎる。もととなったアメコミがそういう話なのかもしれないけれど、もしそうだったとしても、それをそのまま映画化しなくたってよさそうなものだ。コミック・ライターが子供をターゲットにして描いた物語を、桁違いの市場規模を誇る映画会社がそのまま映画化しちゃいけないでしょう。大枚かけて作っているんだから、その金額に見合うシナリオを用意してくれないと。このシリーズはどうにも作り手の姿勢が安直すぎると思う。
ということで、個人的な意見としては、この映画は素面で観るには向かない。誰かと一緒に酒でも飲みながら、わいわい茶々を入れつつ観る分には楽しいかもしれない。
ちなみにこの映画でシルヴァー・サーファーを演じているダグ・ジョーンズという人は、ひとつ前の 『パンズ・ラビリンス』 で守護神パンを演じていたのだとか。同じ俳優が似たような位置づけの役どころを演じているにしては、あまりに出来栄えに開きのある両者だった。
(Nov 16, 2008)
サウンド・オブ・サイレンス
ゲイリー・フレダー監督/マイケル・ダグラス、ブリタニー・マーフィ/2001年/アメリカ/BS録画
『17歳のカルテ』 では哀れな自殺を遂げ、 『8 Mile』 ではエミネムと大胆に絡んでみせた女の子、ブリタニー・マーフィがその二本のあいだに出演した作品のうちのひとつだというので観ることにした作品。
物語は、マイケル・ダグラス演じる精神科医が子供を誘拐されて、さまざまな精神障害を患う(もしくは装う)少女──これがブリタニー・マーフィ──から、ある6桁の数字を聞き出すように要求されるというもの。ストーリー自体はとりたてて特別ではないけれど、マイケル・ダグラスとブリタニー・マーフィの演技がみごとに噛みあっていて、けっこういい感じだった。僕はなぜだかマイケル・ダグラスという人にあまり好感が持てずにいるのだけれど、この人の出る映画って、なかなかいい作品が多い気がする。
あと、この映画でよかったのが、ジェニファー・エスポジートという女優さんの演じる女性刑事。 『Xファイル』 のスカリーに通じる、知的でクールな雰囲気が好み。そういえば主人公の奥さんの役で出演しているファムケ・ヤンセンもいい感じだし、女性たちの演技に存在感があるのも好印象の一因だった。
それにしても、『Don't Say a Word』 という原題とはまったく異なる、サイモン&ガーファンクルな邦題はいかがなものかと思う。たしかにニュアンスは近い気がするけれど……。
(Nov 19, 2008)
マディソン郡の橋
クリント・イーストウッド監督・主演/メリル・ストリープ/1995年/アメリカ/BS録画
クリント・イーストウッドの監督作品というのは、やたらとヴァラエティに富んでいる分、興味を引かれない作品も多い。これなんかも女性向けの純然たるラブ・ロマンスというイメージが強すぎて、これまでまるで食指が動かなかった。でもイーストウッドだからなあと思って観てみれば、そこはさすが、ウェットな話を独特の抑えのきいた演出で手堅くまとめた良作。なるほど、これはけっこういい。
この作品のなにがすごいかって、主演ふたりの撮影当時の実年齢。イーストウッドが65歳で、メリル・ストリープが46歳。そんなとうに盛りを過ぎたふたりのあいだで繰り広げられるたった4日間の熱愛の話を、真正面から描いてみせてきちんと観客を引きつけるんだから、たいしたものだと思う。まあ、主人公ふたりにばかり都合のいい、かなり身勝手な不倫の話だから、なにいってやんでえと思う人もいるんだろうけれど、僕は素直に感心した。“感動”ではなく“感心”というあたり、やや難ありな気もするけれど。
ちなみにこの映画のタイトルにもなっている、ふたりが出会うきっかけとなる屋根付き橋。なんでわざわざ橋に屋根なんてつけるんだろうと思ったら、昔の橋はほとんどが木製だから、風雨にさらされる環境だと劣化が激しく、ものによっては十年も持たないのだそうだ。それが屋根をつけることで寿命が大幅に延びるのだとか。なおかつ山間部をゆく旅人の避難所の役目も果たすという(by Wikipedia)。なるほど、勉強になりました。
(Nov 21, 2008)
エル・マリアッチ
ロバート・ロドリゲス監督/カルロス・ガラルドー/1992年/メキシコ、アメリカ/BS録画
最近なにかとお世話になっているウィキペディアによると、「マリアッチ」は「メキシコを代表する楽団の様式」なのだそうだけれども、この映画で「エル・マリアッチ」と呼ばれるのは、ひとりの音楽家(というか流しの歌手。ちなみに「エル」はスペイン語の定冠詞で、これが複数形になると「ロス・キャンペシーノス!」の「ロス」になるのだそうだ。映画を観たり、音楽を聴いたりしていると、いろいろと勉強になる)。
仕事を探してとある町を訪れた主人公が、「ギターケースに銃器を隠しもつ黒い服の殺し屋」と間違われてとんだ災難にあうというコメディ・タッチのバイオレンス・アクションで、ロバート・ロドリゲス監督の出世作だというわりには、やたらと低予算で作られた作品らしく、映像、演出ともチープで、B級テイストがあふれまくっている。
でもこの映画の場合、その「安っぽい」ところがいい。金がなくて変に凝ったことができないがゆえに、バカな話が無駄なくコンパクト(1時間20分)にまとまっていて、とてもおもしろかった。これまでに観たロバート・ロドリゲスの作品では、これが一番好きだ。
(Nov 23, 2008)
デスペラード
ロバート・ロドリゲス監督/アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック/1995年/アメリカ/BS録画
前作 『エル・マリアッチ』 のヒットを受けて、ケタ違いの予算で製作された続編。
配役変更で主演に起用されたアントニオ・バンデラスとサルマ・ハエックはケチのつけようのない美男美女だし、映像はとてもきれいだし、アクションはやたらと派手だしと、映像作品としての見どころは格段にアップしている……と思うのだけれども。
不思議なもので、単純に映画としてのおもしろさという点では、前作に遠く及ばない。のちの 『フロム・ダスク・ティル・ドーン』 にしろ、 『プラネット・テラー』 にしろ、ロドリゲスという人の作品は、金をかければかけるだけ、無駄が多くなって切れがなくなるような気がする。
でもまあ、これは僕が単に貧乏性なだけかもしれない。バカバカしいシーンを大掛かりな演出で撮られると、その無駄さ加減が心にひっかかって、すんなりと笑えない傾向があるようなので。
理由はどうであれ、前作の方がおもしろいという思いには変わりがない。創作において一番大切なのは、予算ではなくアイディアなんだということがよくわかる作品だった。
(Nov 23, 2008)
ヘアスプレー
アダム・シャンクマン監督/ニッキー・ブロンスキー、ジョン・トラボルタ/2007年/アメリカ/BS録画
ダンスと歌が大好きな、とっても太った小さな女の子が、人気テレビ番組のレギュラーに抜擢され、黒人差別が根強い60年代のボルチモアに風穴を開けるというミュージカル・コメディ。
ジョン・トラボルタが特殊メイクで超肥満体の女性に扮して、主人公の“母親”役を演じたことで話題になっただけあって、確かに彼の演技にはむちゃくちゃインパクトがあるものの、基本的に女装ものが好きではない僕としては、やや引いてしまうところがあった(彼の夫役のクリストファー・ウォーケンまで女装のシーンがあるし)。
オーディションで主演の座を勝ち取ったという新人のニッキー・ブロンスキーもすごい肥満体で、そんな彼女とトラボルタの親子が披露する歌とダンスは、その体型からは想像できない見事さゆえに、とてもおかしい。音楽は60年代のポップスとモータウン・テイストのR&Bがたっぷりと聴けてご機嫌だし、かなりおもしろい映画だとは思う──思うのだけれど、だにしかし。
やはり僕としては、もうちょっと主演の女の子が可愛くて、母親役が女装した男優ではなく本当の女性のほうがよかったなぁというのが素直な気持ち。でもうちの奥さんは大好きだったと云ってました。
(Nov 24, 2008)
フォーガットン
ジョセフ・ルーベン監督/ジュリアン・ムーア、ドミニク・ウェスト/2004年/アメリカ/BS録画
子供を失った悲しみから立ち直れずにいる母親に、ある日突然まわりの人々が「あなたには子供なんていなかったでしょう」と言いはじめる……。
そんな話だと聞いておもしろそうだと思って観てみれば、これがこれが。ええっ、そういう映画でしたかと、途中からびっくりしてしまうようなスーパーナチュラルな展開に……。僕ら夫婦──というか、どちらかというとうちの奥さん──は基本的にこの手の映画が好きだからいいけれど、そうじゃない人にはこの展開は
しかもこの映画、落ちのつけかたもいまひとつ。途中までの緊迫感あふれる展開からすると、結末があまりに尻つぼみだ。そういう話ならばそういう話で、もっとひねりが欲しかった。まあ、交通事故のシーンとか、人が吹っ飛ばされてしまうところとか、やたらとびっくり箱的なシーンの多い映画だから、その点、見る価値がなくもないかなと思う。いやぁ、いい意味でも悪い意味でも、かなりびっくりさせられた作品でした。
(Nov 30, 2008)
プラダを着た悪魔
デヴィッド・フランケル監督/メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ/2006年/アメリカ/BS録画
ファッションにまったく関心がないにもかかわらず、超高級ファッション誌の名物編集長のアシスタントの職についてしまった女の子の悪戦苦闘の日々を描く、とてもファッショナブルなコメディ・ドラマ。
この手の映画の場合、ややもすると中途半端なロマンティック・コメディになってしまうことが多いけれど、この映画はそんなことがない。下手にロマンスにこだわらず、主人公の働く女性としての生き方に焦点を絞ってみせたのが大正解だと思う。おかげでひとりの女性の成長の物語として、男性の僕でも比較的、共感のしやすい内容になっている。まあ、アン・ハサウェイのとろんとした顔からは、ときおり彼女のみせる切れ者ぶりは、いまひとつぴんとこない気がしたけれど、それでも可愛いから問題なし。
ちなみに、云うまでもないことかもしれないけれど、タイトルになっている 『プラダを着た悪魔』 というのは、メリル・ストリープ演じるところの、理不尽な要求を突きつけまくる、まるで悪魔のような編集長のこと。メリル・ストリープといえば、ついこの前 『マディソン郡の橋』 で、片田舎のさえない主婦を演じているのを見たばかりなのに、それが今回は一転して、超セレブなファッション・リーダーの役どころを、まったく違った雰囲気で演じきっているのがおもしろかった。ガミガミとうるさい、いかにもってタイプの鬼編集長ではなく、ぼそぼそと小声でしゃべる、徹底的にクールなタイプの役作りで、その抑えた演技に味がある。30年のキャリアは伊達じゃない。
(Nov 30, 2008)