2008年10月の映画
Index
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット
- オリバー・ツイスト
- ジュマンジ
- エボリューション
- ザ・メキシカン
- ピンクの豹
- 暗闇でドッキリ
- 耳に残るは君の歌声
- パルプ・フィクション
- ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
- ナンバー23
- ホワイトハンター ブラックハート
- 皇帝円舞曲
- ミス・ポター
- シックス・センス
- 幸せのレシピ
ハリー・ポッターと炎のゴブレット
マイク・ニューウェル監督/ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン/2005年/アメリカ/DVD(吹替)
シリーズを追うごとにだんだん話が暗くなるという噂だったけれども、なるほど。伝説の悪い魔法使い、ヴォルデモート興が復活して話がシリアスになるせいかと思っていたら、どうやらそれだけではなく、ハリーとロンとハーマイオニーの三人が成長してしまって、そろそろ思春期って年になったことで、彼らの関係が微妙になり──なんたって男ふたりに女ひとりだもので──、いままでみたいな仲良し三人組ではいられなくなるというのも、大きな理由みたいだ。この第四作では、三人が一緒にいるシーンがこれまでで一番少ないし、一緒にいてもなんとなく関係がギクシャクしていて、それがなんともさびしかった。
物語はハリー・ポッターが在学しているホグワーツ魔法学校とほかの二校のとのあいだで魔法の対抗トーナメント戦を繰りひろげられるというもの。各校から一名ずつの代表選手が選ばれるというので、当然ハリーがホグワーツの代表ということになるのかというと、簡単にはそうはならない。危険な競技ゆえ十七歳未満の生徒は参加禁止という制限が設けられていたりする(ハリーは現在十四歳)。
でもやっぱり、ハリーはその競技に出場することになる。それはなぜかといえば……というところが、観ていてもよくわからなかった。各校から一名ずつのはずが、なぜホグワーツからは二名選ばれることになったのかとか、なぜ校長たちがそれを容認しちゃうのかとか。おそらく本作のタイトルになっている《炎のゴブレット》──これが代表選手を決める──がハリーを代表として認めた以上、校長らに異議は挟めないとか、そういうルールがあるのだろうと思うけれど、この映画版ではその辺の説明が足りない。まあ、原作が巻を追うごとに長大になっているようなので、それを2時間半ばかりの映画にパッケージしようとすれば、舌たらずになってしまうのは、致しかたないことなのかもしれない。
なんにせよ、物語は、代表に選ばれたハリーが自分より年長の生徒たちに混じって、いかに対抗戦を勝ち抜いてゆくかを描くいっぽうで、ハリー、ロン、ハーマイオニーの三角関係──もしくはロンとハーマイオニーの二人のあいだの素直になれない恋愛感情(まさにラブコメの典型)──をほのめかしつつ進んでゆく。物語的にはこれまででもっとも直線的なところと、子供時代から思春期への変化がはっきりと表面化してきたところが印象的な第四作だった。
(Oct 08, 2008)
オリバー・ツイスト
ロマン・ポランスキー監督/バーニー・クラーク、ベン・キングズレー、ジェイミー・フォアマン/2005年/イギリス、チェコ、フランス、イタリア/BS録画
この映画、前半はとても原作に忠実な作りになっている。シックな色調の映像も非常に美しく、二十一世紀の映像技術でもって、ディケンズの十九世紀の世界観をみごとに再現してみせたことに、拍手を送りたいような気分になる。
でもって後半。オリバーが無理やり泥棒の片棒を担がされるところから、さあ、いよいよ次の展開だ──とか思って楽しみに観ていると、あれれ? 盗みに入る家がちがう。原作では彼が盗みに入った家で保護されるところから、新たなる展開に突入するのに、この映画では、怪我をしたオリバーはそのまま悪党のアジトに連れて帰られてしまうのだった。
結局、この映画版では、オリジナルにあるその先のサブ・プロット──オリバーの出生にまつわるこの物語のもっとも心温まる部分──が、まるっきりはしょられていた。調べてみたら、これはなにもポランスキー独自のアレンジではなく、過去のその他の映画版もみんな同じみたいだから、どうやらこのアレンジは映画版の伝統らしい。
まあ、原作はかなり長い話だし、そのパートのご都合主義まるだしの展開が弱点といえなくもないので、それをばっさり切り落として見せたのは、ある意味では慧眼かもしれない。おかげでこの映画からは、原作の持つディケンズならではの寓話的な味わいがいっさいなくなり、十九世紀を舞台にした異色のクライム・ムービーとでもいった作品に仕上がっている。それはそれでなかなか見ごたえがあった。
ただ、あまったれな僕は、新たなる清楚な美少女が登場したり、意外な過去の事実が次々とあきらかになったりする原作のドラマチックでハート・ウォーミングな展開こそが好きだったりするので、それが観られないで終わってしまったのは、やはり残念だった。
(Oct 08, 2008)
ジュマンジ
ジョー・ジョンストン監督/ロビン・ウィリアムス、キルスティン・ダンスト、ブラッドリー・ピアーズ/1995年/アメリカ/BS録画
僕は 『スパイダーマン』 を観るまで、キルスティン・ダンストという女優さんを知らなかったので、彼女があのようなビッグ・タイトルのヒロインに抜擢されることになったわけが、いまいちぴんとこなかった(いってはなんだけれど、あの映画の彼女はそれほど可愛いと思えなかったし……)。でも、彼女がこの 『ジュマンジ』 の時点ですでに子役として名を馳せていたと知って──そしてこの映画での彼女の演技をみて──、ああと納得。
いやぁ、かわいいです、十二歳のキルスティン・ダンスト。こういうドタバタ・パニック・コメディのなかにあって、親を失い、叔母にひきとられたばかりの二人姉弟の姉という役どころを、悲しげな情感を漂わせながらクールに演じていて、この子は単なる子役では終わらないだろうと思わせるものがある。なるほど、これならば何年かのちに超大作のヒロインに抜擢しようと思った人の気持ちもわかる。いまさらながら 『スパイダーマン』 を観なおしたくなってしまった。
それにしても、子役時代を知らなかった女優さんの子供のころの演技をあとから観るのは、まるでタイムマシンにでも乗ったようで、なかなか新鮮な経験だった。映画自体はいまとなるとCGの鮮度が落ちていて、ほどほどの出来という気がしてしまったけれど──それでもラストは意外なひねりが効いていて、ちょっとだけ感心した──、僕としては最近お気に入りの女優さんの幼いころの演技がたっぷりと観られただけで、とりあえずよしという気分になった。
(Oct 10, 2008)
エボリューション
アイヴァン・ライトマン監督/デヴィッド・ドゥカヴニー、ジュリアン・ムーア、オーランド・ジョーンズ/2001年/アメリカ/BS録画
『Xファイル』 を9シーズンすべて観ている人間としては、主役のモルダーを演じたデヴィッド・ドゥカヴニーの存在はいやおうなく気になるわけで。ましてやその人がSFコメディに出ているとなれば、これはもう観ておかないわけにはいかないって気になる。というわけで観ることになったのがこれです。
ただ、この作品、個人的にはいまいちだった。三つ目のスマイリーもどきをあしらったポスターのせいで、もっとコミカルな話を想像していたら、それほど笑えないし。宇宙から飛来した隕石に付着していた原生生物が、異常な速度で進化を遂げて大パニックになるという話だけれども、出てくるクリーチャーがどれもまるで可愛くなくて、どちらかというと気持ち悪さばかりが先に立ってしまって、気分的に盛りあがれなかった。ラストもぐちゃぐちゃだしなぁ……。
そうそう、そのぐちゃぐちゃなラストに加えて、終盤になってダン・エイクロイドが州知事役で登場することもあって、観終わったあとにうちの奥さんと「最後のほうは 『ゴーストバスターズ』 入ってたね」と話していたら、監督のアイヴァン・ライトマンはまさにあの映画を撮った人でした。すごく作風がわかりやすいというか、なんというか。
まあ、なんにしろデヴィッド・ドゥカヴニーが、かつて政府の仕事にかかわりのあった、わけありの大学教授という役どころを演じているというだけで、『Xファイル』 のファンとしては、やはりにやりとせずにはいられない作品ではあった。
(Oct 14, 2008)
ザ・メキシカン
ゴア・ヴァービンスキー監督/ブラッド・ピット、ジュリア・ロバーツ、ジェームズ・ガンドルフィーニ/2001年/アメリカ/BS録画
ギャングの使いぱしりとしてメキシコに派遣された主人公が巻き込まれるドタバタ騒動の数々と、アメリカに残った彼の恋人の行動を追うロードムービー的なシーケンスを平行して描いてゆくクライム・コメディ。
のちにパイレーツ・オブ・カリビアンで名前を馳せることになるゴア・ヴァービンスキーの監督作品で、ブラッド・ピットとジュリア・ロバーツが競演したことで話題になったそうだけれど、そのわりにはツーショットのシーンがぜんぜんないなあと思って観ていたら、公開当時はそのせいで不評だったとかなんとか。
でも僕はこれ、けっこう好きだった。ひとつ前の 『エボリューション』 とはまるで反対で、おそらくこれはコメディだと知らないで観始めたのが大きかったのだと思う。なぜだか勝手にシリアスなクライム・ムービーだと思い込んでいたら、思いがけないふざけた展開の連続にびっくり。おまけに 『ザ・ソプラノズ』 で主役のトニー・ソプラノを演じているジェームズ・ガンドルフィーニが出演していることも知らなかったので、彼が出てきたのを観て、またびっくり。 『ザ・ソプラノズ』 のシーズン6がなかなかDVD化されないのを待ち遠しく思っている身としては、ひさしぶりに彼の顔が観られて嬉しかった。まあ、この映画の彼はトニー・ソプラノというよりは、太ったビリー・ジョエルといった感じだけれども。
とにかく、そんな風につづけて意表をつかれた上に、お気に入りのガンドルフィーニがかなり重要な役回りで出演していて、とても味のある演技を見せてくれているので──ジュリア・ロバーツはおそらくブラピよりも彼と一緒にいる時間のほうが長い──、なんだか必要以上に楽しめてしまった気がする。終始、生真面目な演出でとぼけたギャグをかましているので、笑いの部分がツボにはまらない人にとっては、あまりいい映画じゃないかもしれないけれど、僕はしっかり楽しませてもらいました。
(Oct 14, 2008)
ピンクの豹
ブレイク・エドワーズ監督/デヴィッド・ニーヴン、ピーター・セラーズ/1963年/イギリス、アメリカ/BS録画
ピンク・パンサー・シリーズの第一作目であるこの作品──邦題が 『ピンク・パンサー』 ではなくて 『ピンクの豹』 なのが、いまとなると不思議な感じがする──、いきさつを知らない僕のような人にとっては、なかなか意表をついた内容になっている。なんたって、主役がクルーゾー警部ではないのだから。
物語はデヴィッド・ニーヴン演じるロマンスグレーの怪盗紳士と、彼が盗もうとしているダイヤモンド(ご存知、その名前がピンク・パンサー)の持ち主であるアラブの王女様(クラウディア・カルディナーレ)との恋のかけひきを描く大人のロマンティック・コメディといったところ。ピーター・セラーズ演じるクルーゾー警部は、脇役ながらギャグの半分以上を一手に引き受けている。
ここでの徹頭徹尾どじなクルーゾー警部役が受けたため、彼を主役にすえてスピンオフとして製作されたのが第二作の 『暗闇でドッキリ』 で、結局そのスピンオフがシリーズ化され、本編を食ってしまう形になったのが、のちのピンク・パンサー・シリーズということになるらしい。なかなか珍しいパターンだと思う。
ということで、この第一作については、コメディはコメディながら、美女がフィーチャーされていて華やさがある分、クルーゾーを中心にしたその後の作品とは、ずいぶんと
(Oct 14, 2008)
暗闇でドッキリ
ブレイク・エドワーズ監督/ピーター・セラーズ、エルケ・ソマー/1964年/イギリス、アメリカ/BS録画
引きつづきピンク・パンサー・シリーズの第二作。
ひとつ前で書いた通り、この作品は第一作のスピンオフとして製作されたとのことで、タイトルにピンク・パンサーの文字がないだけではなく、オープニングのアニメーションにもピンク・パンサーが登場しないし、ヘンリー・マンシーニの手になる有名なテーマ曲も使われていない。
それでも、オープニングにはクルーゾー警部をデフォルメした小粋なアニメが配されているし、音楽はやはりマンシーニだし、なにより内容はその後のシリーズのベースとなるフォーマットを確立した、まごうことなきピンク・パンサー印の作品に仕上がっている。いまとなると内容の定番さ加減とパッケージのイレギュラーさの対比がかえって新鮮な気がする。
この作品で一躍主役に躍り出たクルーゾー警部には、前作で悪妻に翻弄されるあいまに垣間見せた、そこはかとない可愛らしさがすっかりなくなってしまっていて(というか、そもそも奥さんがいない)、僕はそこがちょっと残念だったりするのだけれども、なんにせよ、奥さんの存在をいったんリセットして、クルーゾーからいっさいのペーソスを取りのぞくことで、この作品はまごうことなきバカ話へとシフトチェンジしてみせた。のちの知名度を考えれば、この路線変更は大成功だったのだろう。
ただ僕としてはやはり、ペーソスという名のスパイスが効いた前のスタイルの方が、どちらかというと好みだった。
(Oct 14, 2008)
耳に残るは君の歌声
サリー・ポッター監督/クリスティナ・リッチ、ジョニー・デップ/2000年/イギリス、フランス/BS録画
この映画は主演の四人の役どころと演技がとてもふるっている。
主演のクリスティナ・リッチは、幼くして故国ロシアを戦火で追われ、イギリスで孤児として育てられたユダヤ人女性の役。本当はフィゲレという名前なのだけれど、言葉の通じないイギリスに孤児としてたどり着き、スージーと呼ばれるようになる。
スージーことフィゲレには、アメリカへと出稼ぎに出たまま、生き別れになってしまった実の父親がいる(この人がとても歌のうまい人で、彼女も父親譲りの美声の持ち主だという設定なのだけれど、クリスティナ・リッチはそれほど歌がうまそうには見えなくて、云っちゃなんだけれど、あまり説得力はない。それでもこの親子の別れのシーンを描いた冒頭の部分は、とても情感があってよかった)。愛する父との再会を夢みる彼女は、アメリカへの渡航費用を稼ごうと、大人になるとすぐ里親のもとを離れて、パリのキャバレーで踊り子として働き始める。
その地で彼女が仲良くなるのが、ジョニー・デップ演じるジプシーの青年──ジプシーはなぜか字幕ではつねにロマ人となっていた──と、ケイト・ブランシェットの演じるロシア出身の踊り子。でもって、K・ブランシェットの愛人となるのが、ジョン・タトゥーロ演じるイタリア人の大物オペラ歌手。
物語のメインとなる部分では、第二次大戦直前のパリを舞台に、この四人──ロシア生まれでイギリス国籍のユダヤ人と彼女の恋人のジプシーと親友のロシア人とその愛人のイタリア人──のあいだで繰り広げられる人間模様を描いてゆく。シナリオは時代性、国際性ともに豊かで、大変ドラマチックだし、四人の演技派俳優による、それぞれの役柄に応じた外国語訛り豊かな英語でのやりとりはとてもおもしろい。──だにしかし。
どうにも演出がこなれない。それぞれのシーンがぶつ切りで、語りが滑らかさに欠ける印象があった。ジョニー・デップが初登場するシーンなんて、(テレビ放送向けに編集されたのでなければ)あきれるくらいに唐突だ。彼とクリスティナ・リッチが初めて愛を交わす場面にしろ、服を着たまま前戯もなしにいきなり挿入しちゃうって行動は、なんだかよくわからない(あれがジプシーの流儀なんでしょうか?)。全体的に説明が足りなさすぎる感あり、だと思う。
僕は基本的に映画は短いほうが好きだけれど、それでもこの映画のアイディアを1時間半強という長さにまとめるのは、ちょっと無理があったんじゃないかという気がした。
(Oct 21, 2008)
パルプ・フィクション
クウェンティン・タランティーノ監督/ジョン・トラボルタ、サミュエル・L・ジャクソン/1994年/アメリカ/BS録画
いわずと知れたタランティーノの代表作。WOWOWと再契約して以来、録画したまま観ていない映画があふれかえっているこの状況下で、いまさらこういう映画を観なおしている場合ではないだろうよと思いつつも、なぜだか観たくなって、ついつい観てしまった。
いやしかし、さすがにこの映画に関してはシナリオ、演出ともに見事のひとこと。僕の趣味からするとやや下世話で血生臭すぎる嫌いがあるけれど──注射嫌いの身としては目をそむけないではいられないようなシーンもある──、それでもなおこの作品は傑作と呼ぶにふさわしいとあらためて思った。前後する三つのエピソードを有機的に結びつけてみせたシナリオの出来はほとんど完璧にさえ思える。
しかもこの映画、出演者の豪華さがはんぱじゃない。ジョン・トラボルタ、サミュエル・L・ジャクソン、ユマ・サーマン、ブルース・ウィリス、ティム・ロス、ハーヴェイ・カイテルら、主要な役柄を演じている俳優陣だけでも豪華すぎるくらい豪華なのに、それに加えて(僕は気がつかなかったけれど)、ロザンナ・アークエット、クリストファー・ウォーケン、スティーヴ・ブシェミらがちょい役で出演しているという(ブシェミはバディ・ホリーのそっくりさん役だとか)。まだ 『レザボア・ドッグス』 一本だけしか実績のなかった当時のタランティーノのもとに、これだけの俳優陣が集まったという事実に、あらためてびっくりさせられる。いかに 『レザボア・ドックス』 が高い評価を受けていたかということの証拠なのだろう。
とにかく優れたシナリオ、個性的な演出、豪華な俳優陣と三拍子そろった上に、良識をつばを吐きかけるような不遜さまで持ちあわせた掛け値なしの傑作。個人的な好き嫌いは別として、その出来栄えには感嘆せずにいられない。
(Oct 22, 2008)
ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
デヴィッド・イェーツ監督/ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン/2007年/アメリカ/DVD(吹替)
ハリー・ポッター・シリーズ第5弾にして、現時点で映画が公開されている最新作。
前作で史上最悪の魔法使いヴォルデモートが復活したというのに、魔法省やメディアはハリーのことばを信用せず、流言だといってとりあわない。それどころか、魔法省はハリーをかばうダンブルドア校長を排斥しようと、お目付け役(イメルダ・スタウトン)を送り込んくる。超保守的なこの婦人の締めつけにより、ホグワーツ魔法学校はなんだか剣呑な雰囲気に……というのが、今回の話。
あいかわらず俳優陣が豪華なこのシリーズ。今回のゲストで出色なのは、ヴォルデモートの手下の魔女を演じるエレナ・ボナム=カーター。出番はあまり多くないものの、この人、あまりにはまり役すぎて恐い。
そういえばヴォルデモートの役はレイフ・ファインズなのだそうだけれども、鼻のない特殊メイクのせいで、そういわれてもさっぱりわからない(吹替で観ているから声も違うし)。あと、レギュラー陣のうち、予言学だかなんだかを教えているメガネをかけたやせた先生──今回学校を追い出されそうになった人──を演じているのは、なんとエマ・トンプソンなんだそうだ。あまりに冴えない役どころなので、そんな名前の売れた人だとは思ってもみなかった。
物語のほうでは、驚いたことに今回はハリーのファースト・キッスのシーンがある(まあ、彼ももう十五歳だし、年齢を考えれば驚くこともないのかもしれないけれど)。相手は前作から登場しているアジア系の女の子。どうやら彼はハーマイオニーのことは、まったく異性として意識していないらしい。僕は断然ハーマイオニーのほうが可愛いと思うので(あたり前?)、なんとなく釈然としないけれど、まあハリー役のダニエル・ラドクリフくんはジョン・レノン似だから、あの手の顔の人はアジア系の女性に惹かれるのかもしれないなと思ってみたり。
(Oct 26, 2008)
ナンバー23
ジョエル・シューマカー監督/ジム・キャリー、ヴァージニア・マドセン/2007年/アメリカ/BS録画
誕生日に奥さんから自費出版本をプレゼントされた主人公が、その小説に描かれる、23という数字にとりつかれた殺人者と自分自身の共通点の多さに恐れおののき、みずからもその数字にとりつかれて常軌を逸してゆくという話。
23という数字にまつわる史実の偶然を紹介してゆくおどろおどろしいオープニング・タイトルからして迫力満点で、これは恐そうだと思っていたら、実際にはそれほどではなく……。というか、オカルティックなホラーだと思っていたら、じつは意外とまっとうなサスペンス・ミステリだった。
おかげであまり恐い話が得意じゃない僕としては、最後にほっとひと息できたこともあって、ああ、おもしろかったで済んだけれど、逆にオカルトやホラーを期待した人や、映画をよく観ている人には、「ぜんぜん23の謎が解けないじゃん」とか、「こんな結末のミステリは見飽きた」とかで、評判があまりよくないみたいだ。世の中、いろいろとむずかしい。
まあ、シナリオにはところどころ不自然なところがあるけれど──なんで奥さんがわざわざダンナの誕生日に知らない作家の古本なんて買うかなとか、なぜ奥さんは廃墟になった精神病院なんかにひとりで行くかなとか──、それでもジム・キャリーとヴァージニア・マドセン── 『サイドウェイ』 でポール・ジアマッティの相手役をつとめていた人──が、作中劇を含めたひとり二役を熱演しているのは、けっこう見ごたえがあると思う。良心的な結末にも好感が持てた。
(Oct 26, 2008)
ホワイトハンター ブラックハート
クリント・イーストウッド監督・主演/クリント・イーストウッド、ジェフ・フェイヒー/1990年/アメリカ/BS録画
『アフリカの女王』 の撮影のためアフリカへとロケに乗り込んだジョン・ヒューストンは、その土地で撮影をそっちのけにしてハンティングに興じていたのだそうで。
そのときのエピソードをロケに同行した脚本家が小説化して、それをクリント・イーストウッド監督が自ら主演して映画化したのがこの作品。『アフリカの女王』 という映画がけっこう気に入っている僕は、その話を知って、これはぜひ観ないとと思っていた。
ということで、この映画のあらずじは、そのものずばり、アフリカ・ロケに同行したひとりの脚本家の目を通じて、象狩りに夢中になって撮影をかえりみない映画監督の奇行を描いてゆくというもの。監督の名前がジョン・ヒューストンではなくジョン・ウィルソンになっていたりと、とりあえずフィクションということでキャラクターの名前はみんな変えてあるけれど、物語はあきらかに実話に沿っているっぽく、ハンフリー・ボガートやキャサリン・ヘプバーンに似た雰囲気の俳優が起用されていたりすることもあって、かなり伝記映画的なたたずまい作品に仕上がっている。
個人的に一番好きなのは、ホテルのレストランでのトラブルを描いたひと幕。イーストウッド演じる映画監督は、一夜のベッドの相手にしようと、とある女の人を口説いているのだけれど、やがて話の流れでその女性がユダヤ人差別の発言をし始める。これを聞いた彼は、口説いているときと同じ冷静な態度のままで、強烈に彼女を侮辱してみせるのだった。相手の女性は顔を引き攣らせながら退席。さらに彼はそのあとすぐに、ホテルのマネージャーが黒人のウェイターに暴力を働くのをみて、さっきまで談笑していたこの人を相手に、殴りあいのケンカを演じてみせる。自分の不利益を
この映画、イーストウッドの作品のつねで演出が淡々としているわりには、そんな主人公の自己中心的な奇行の数々がけっこう笑いを誘うので、これはコメディと呼んでもいいくらいじゃなかろうかと思いながら観ていたのだけれど、そのくせエンディングは非常に苦かった。この飄然としたユーモアの感覚とリアリスティックな悲劇性の組合せがいい。やっぱりイーストウッドはあなどれない。
(Oct 30, 2008)
皇帝円舞曲
ビリー・ワイルダー監督/ビング・クロスビー、ジョーン・フォンテイン/1948年/アメリカ/BS録画
あまりなじみのないタイトルだけれど、ビリー・ワイルダーの初期の作品だというので、とりあえず観ておこうと思った作品。
この映画でまず意表をつかれたのが、カラーだったこと。時期的には 『失われた週末』 と 『サンセット大通り』 というモノクロ映画の傑作二本のあいだに位置する作品なので、僕は当然これも白黒だと思い込んでいた。そうしたら始まったとたん、いきなりカラーだものだから、びっくり。なぜに、あまり有名でもないこんな作品がカラーなんだろう、これはもしや 『三十四丁目の奇蹟』 のように、オリジナルがモノクロなのを、デジタル処理でわざわざカラーにしたんじゃないかと疑う始末だった(でも知名度的にそれはない)。
さらに僕は、主役俳優の配役にも疑問をおぼえた。キャスティングをいっさい知らないまま観はじめたものだから──おまけにビング・クロスビーという人のルックスを存じ上げなかったので──、なんでこんな冴えない人が主演なんだろうと、不思議に思わずにはいられなかった。
けれど映画がしばらく進んで、突然この人が歌を歌い始めたとたん、それまでのふたつの疑問点がいっきに氷解する。おーっ、なんだこれ、ミュージカルなんじゃないですか。でもって、こんな風に朗々と歌って聞かせるくらいなんだから、この主役の人は名のある歌手なのだろう──そう思って調べてみれば案の定、主演は 『ホワイト・クリスマス』 の大ヒットで有名な、かのビング・クロスビーさんだった。
なるほど、つまりこれは当時大人気だったポピュラー歌手を主演にして、売り出し中の映画監督が撮った話題作だったわけだ。それならば、わざわざテクニカラーでの撮影となったのもわかる。そして傑作を連発していた時期のビリー・ワイルダーの作品にしては、出来がいまひとつなわけも……。やはり巨匠ワイルダーとはいえ、まずは俳優ありきという映画では成功はむずかしいということなのだと思う。
物語は、オーストリア皇帝に蓄音機を売り込みにきたアメリカのセールスマンが、貴族女性と身分違いの恋に落ちるという話で、それ自体はたいしたことがない。それでも主人公が当時の「新発明」の蓄音機のセールスマンで、売り込みのアピールのため、ビクターのトレードマークの犬を連れているという設定は、なかなかチャーミングだと思う。オーストリア皇帝も犬に目のない人だという設定なので、犬好きの人にはおすすめ。
(Oct 31, 2008)
ミス・ポター
クリス・ヌーナン監督/レニー・ゼルウィガー、ユアン・マクレガー/2006年/イギリス、アメリカ/BS録画
ピーター・ラビットの生みの親、ビアトリクス・ポターの半生を描く伝記映画。
すこし前に観た 『ネバーランド』 と似たような発想の作品だけれども、あちらがピーター・パンが生まれるまでの創作過程にスポットを当てていたのに対して、こちらはピーター・ラビットが出版されるところから始まり、それがいかに好意的に社会に受け入れられてゆき、それによっていかに作者の人生が変わったかを描いてゆく。
封建的な十九世紀のイングランドにあって、女性は結婚して家庭を持ってなんぼという社会の風潮に逆らい、自らの才能により人生を切り開いていったひとりの女性アーティストの姿を描く──。
そういうと、なんだかとてもアグレッシブなイメージに聞こえるけれど、この映画にはそんな肩肘はったところはまるでない。レニー・ゼルウィガーのおっとりとした演技によるところも大きいのだろう(この人はこういう役を演じさせると本当に映える)。この映画はひとつの才能が社会からまっとうに評価され、きれいな花を咲かせることの幸福感であふれている。後半の悲劇的エピソードさえも、そこに水をさすことがない。こんな風に最初から最後までほんわかした気分が持続する映画は珍しい。
とにかく根っから都会ものでカントリー・ライフとは無縁の僕でさえ、晩年にポター女史が暮らす土地の緑ゆたかな田園風景に思わず憧憬を感じてしまうような、とてもおだやかで心あたたまる映画だった。これはいずれまた観たい。
(Oct 31, 2008)
シックス・センス
M・ナイト・シャマラン監督/ブルース・ウィリス、ハーレイ・ジョエル・オスメント/1999年/アメリカ/BS録画
幽霊が見えてしまうことに苦悩する少年と、ブルース・ウィリス演じる傷心の児童心理カウンセラーとの交流を描いたサスペンス・ホラー・タッチの感動作。
エンディングが衝撃的だというのでどんなかと思っていたら、ああなるほど、こりゃすごい。ものの見事にだまされた。だまされたというか、この手の映画にそんなトリックがあるとは、まったく思いもしなかったというか。いや、これはみごとだ。とても感心した。
僕はミステリが好きでよく読むけれど、それは謎解きを楽しむというより、謎がとけたときの意外性と、真実があかされることによって、それまでばらばらだと思っていたパーツが一気にひとつにまとまって、整合性のとれたきちんとした絵になることの気持ちよさゆえだと思っている。その点、この映画はミステリ映画というわけでもないくせに、そうした上質のミステリと同じ快感を与えてくれた。おかげで全体的なテイストはそれほど好みではなかったけれど、印象はすこぶるよかった。
ちなみにコール少年を演じるハーレイ・ジョエル・オスメントくんのスクリーン・デビューは、かのフォレスト・ガンプの息子役だったとか。
(Oct 31, 2008)
幸せのレシピ
スコット・ヒックス監督/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、アーロン・エッカート、アビゲイル・ブレスリン/2007年/アメリカ/BS録画
『マーサの幸せレシピ』 というドイツ映画のリメイク版だというこの作品。僕は勝手に、とあるレストランを舞台にシェフどうしの恋模様を描く軽妙なロマンティック・コメディだと思い込んでいた。
ところがどっこい。映画が始まってみれば、いきなり物語の序盤でヒロイン(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)のお姉さんが交通事故で死亡してしまい、彼女が孤児となった姉のひとり娘を引きとるというヘビーな展開に……。
こういう設定で始まった話が、そうそうお気楽な内容になるはずもない。はたしてこの映画は、人づきあいの下手な天才美人シェフが、姪とのあいだのぎくしゃくとした関係をいかに修復してゆくかを、恋愛劇と平行して描いてゆくという内容になっている。どちらかというと恋愛劇よりも、このふたりの関係性のほうがメインのような気もした。いずれにせよ、のんきに笑ってばかりはいられない、思っていたよりも真面目な映画だった。
それゆえというわけではないけれど、印象はいまひとつ。主演のキャサリン・ゼタ=ジョーンズとアーロン・エッカートが、そろいもそろって濃いので、ただでさえ軽くない話の切れが、なおさら悪くなってしまっている気がする。おかげで、どうせ観るならばドイツ映画よりもハリウッド版のほうがいいやと思ってこちらを選んだにもかかわらず、観終わったあとで、これはもしかしてオリジナルを観るべきだったんじゃないかと思ったり……。まあ、そちらもいずれ機会があれば観てみよう。
ちなみにこの映画の子役、アビゲイル・ブレスリンは 『ミス・リトル・サンシャイン』 で前年のオスカーにノミネートされた女の子なのだけれど、はからずも、その映画で彼女の母親役を演じているのは、ひとつ前に観た 『シックス・センス』 で超能力少年の母親役を演じていたトニ・コレットなのだそうだ。これまたよくある、ささやかな偶然。
(Oct 31, 2008)