2008年9月の映画
Index
- ラブソングができるまで
- ゴーストライダー
- ボルケーノ
- ハリー・ポッターと賢者の石
- 素晴らしき日
- トレマーズ
- 小さな兵隊
- ホテル・ルワンダ
- ハリー・ポッターと秘密の部屋
- ボーン・アルティメイタム
- ネバーランド
- トランスフォーマー
- ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
- マン・オン・ザ・ムーン
- 007/カジノ・ロワイヤル
- ビール・フェスタ ~世界対抗・一気飲み選手権
- 天然コケッコー
ラブソングができるまで
マーク・ローレンス監督/ヒュー・グラント、ドリュー・バリモア/2007年/アメリカ/BS録画
この映画、ストーリーはとりたててどうということがないのだけれど、80年代の音楽シーンをパロディにしてみせたそのお手並や見事。オープニングからして、MTV最盛期のビデオクリップのパロディ仕立てになっていて、これが、本当にこんなヒット曲があったんじゃないかと錯覚しそうな出来になっている。まさにあのころのポップさとチープさとばかばかしさが画面から溢れて出ていて、観ていると気恥ずかしくてしょうがない。もう苦笑いするしかないという感じ。
ヒュー・グラントが演じる主人公は、80年代に人気を博したロック・グループのメンバーで、いまは落ちぶれて、ドサまわりで遊園地のステージに立ったりしている。彼のいたグループというのが、あきらかにワム!をモデルにしていて──ただしヒュー・グラントの役回りはジョージ・マイケルではなく、もう一人(アンドリュー?)のほう──、ヒュー・グラントは 『ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ』 や 『ケアレス・ウィスパー』 の擬似兄弟みたいなナンバーを、腰をふりふり歌いまくってみせる。彼の、ちょっと恥ずかしいけれど、やるからには思い切りやろうと開きなおったような演技が笑いを誘う。また、彼に作曲を依頼してくるアイドル・シンガー(ヘイリー・ベネット)が、仏教かぶれのブリトニー・スピアーズとでもいったキャラクター設定なところも、なにげにおかしかった。
なんにしろ、音楽を通じて、80年代と現代の音楽シーンの空気をばっちりと捕らえてコメディにしてみせたところは上出来。ドリュー・バリモアも可愛いし、彼女とヒュー・グラントがデュエットする曲──作曲はファウンテインズ・オブ・ウェイン!──もめちゃくちゃいい。ただしヒロインのキャラは性格がややブレ気味で、ロマンティック・コメディとしては可もなく不可もなくといったところなのが、やや残念かなと。そういう作品。
(Sep 03, 2008)
ゴーストライダー
マーク・スティーヴン・ジョンソン監督/ニコラス・ケイジ、エヴァ・メンデス/2007年/アメリカ/BS録画
ニコラス・ケイジが炎につつまれたガイコツの怪人に変身する予告編にインパクトを受けて、これは一度観ておいてもいいかもと思った作品なのだけれど、出来はそこそこだった。はっきりいって、なんで悪魔の親子が争っているのかとか、なんのためにニコラス・ケイジが戦うのかとか、契約書ってなんなのかとか、そういう細かいところは説明不足で、さっぱりわからなかった。
ただ、この映画の場合、そういうところがわからなくても、さほど問題がない。そもそもこの手のアメコミ原作の映画は、あまり真面目に観ちゃいけないと思う。とにかく、細かいことにはあまりめくじら立てずに、その場その場の展開を追いつつ、突拍子もないアクションシーンを笑っている分には、それなりに楽しめる作品だと思う。それが正しい見方だと保証はできないけれど、少なくても僕はけっこう楽しく観させてもらった。
だいたいにして、エヴァ・メンデスがレストランで待ちぼうけを食うシーンなんかでは、あきらかに笑いを取ろうとしているし、作り手の側にも大げさな演出で観客を笑わせようという意識が大いにあるのだと思う。とにかくこの映画は笑ったものの勝ちだろう。ことわざにもあるように、笑う
(Sep 03, 2008)
ボルケーノ
ミック・ジャクソン監督/トミー・リー・ジョーンズ、アン・ヘッシュ/1997年/アメリカ/BS録画
ロサンジェルスの街中で火山が噴火する──そのアイディアはおもしろいと思うし、映像も見事で、非常に緊迫感のあるパニック映画だと思う……残念なことに、途中までならば。
いやこれが、事前に調べてみたところ、All Movie Guide で星2つだったりするのを始めとして、やたらと世間の評価が低いのだった。おもしろそうなのに、なぜなのかなと思っていたのだけれど、観終わって、ああなるほどと納得。
これはちょっとばかりシナリオがあざとすぎる。なにも最後の最後になって、あんなふうに主人公の娘(ギャビー・ホフマン)を無理やりクライマックスに引きずりこまなくたってよさそうなものだ。おかげで話が不自然になってしまって、めでたしめでたしという気分になれない。しかも彼女の最後のひとことが「最高(Cool)」って、おいおい……。大災害で死傷者がたくさん出ているのに、そりゃないでしょう。
マグマで大勢が焼け死にそうな思いをする映画なので、最後にクールって云って終われば落ちがつくとか思ったのかもしれないけれど、それはあまりに発想が軽薄すぎるってものだ。エンディング・ロールでBGMにかかるのが、ランディー・ニューマンの能天気なロック・ナンバーだったりするのもマイナス気分をあおるし、大半はとてもいい感じの映画なのに、最後のわずか5分間で、それまでに築いてきた世界観がだいなし。せっかくの努力が、それこそ物語のなかの高層ビルの倒壊とともに粉々になってしまったような印象だった。
この作品は、作り手にもう少し慎み深さがあれば、格段にいい映画になったんじゃないかという気がする。ああ、もったいない。
(Sep 04, 2008)
【追記】観たことを忘れて2021年に書き直した感想はこちら
ハリー・ポッターと賢者の石
クリス・コロンバス監督/ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン/2001年/アメリカ/DVD(吹替)
いまさらながらこの映画で初めてハリー・ポッター・シリーズと接してみて、僕はなんとなくその人気の理由がわかった気がした。
不遇な少年時代を過ごした伝説の天才少年が、魔法学校で新しい仲間や優しい先生たちに囲まれて、しだいに成長を遂げてゆく──。そんなこの作品のプロットは、僕ら日本人には少年マンガや少女マンガで、すっかりおなじみのパターンじゃないだろうか。要するにハリー・ポッターというのは、マンガがない国々で、僕らがマンガに熱狂するのと同じような形で受け入れられた物語なんじゃないかと、そう思った。
少なくてもこの映画の演出は、とてもマンガ的だ。ハリー・ポッターという名前に誰もかもがどよめく展開とか、魔法のほうきに乗って行う球技でハリーたちのチームが逆転勝ちするところとか、学長が学年末にもっとも優秀だった寮を発表する際のおちゃめさとか、いたるところに少年ジャンプ的なエピソードがあふれている。
ただでさえ世界的に話題になっているそういう話を、ハリウッドが大枚はたいて、なおかつ、マギー・スミスやリチャード・ハリスらの大ベテランや、アラン・リックマンのような個性派俳優に脇を固めさせて撮っているんだから、それなりにおもしろい映画になるのは当然。ただしそういう作品なので、マンガなんてくだならいといって読まないような人にとっては、子供だましのたいしたことのない作品に思えてしまいそうな気もする。
かくいう僕はマンガ大好きの四十男なので、それなりに楽しく観させてもらった。まだCGがこなれていない印象のシーンがあったのは若干、気になったけれど、そうした技術的な面は次回作以降、どんどん進化してゆくんだろうし、今後はさらに楽しくなりそうな気がする。
(Sep 06, 2008)
素晴らしき日
マイケル・ホフマン監督/ジョージ・クルーニー、ミシェル・ファイファー/1996年/アメリカ/BS録画
ともにバツイチ、子供がひとりという美男・美女が、ある朝出逢って、トラブル続きの一日をともに過ごすうちに恋に落ちるという話。お互いに子供を預かってくれる人が見つからなくて困っているところへきて、仕事で大変なトラブルに見舞われて、仕事を取るか子供をとるか、さあ困った、みたいなどたばた劇をコミカルに描いてゆく。
映画では、子供と動物を出せばヒットまちがいなし、みたいな話を聞くことがあるけれど、それも場合によりけりだなと思わせるような作品だった。ミシェル・ファイファーの息子の役を演じる男の子、これがかなりのこまった子で、正直なところ、子供ってかわいいと思うよりも、うちの子がこんなだったらやだなあ、とか思う気持ちのほうが強かった。まあでも、どんな子であろうと子育ては大変なものだし、また同時に笑いのネタにも困らないものだという気はする。
なんにしろ、子供がらみのトラブルばかりが印象に残っていて恋愛劇はおまけ、みたいな印象だったので、ロマンティックな話が観たい人にはあまりお奨めできないかなと。そういえば、途中からはミシェル・ファイファーの格好も相当ださださなので、ファッショナブルな映画を観たい人もやめておいたほうが無難。そう考えると、ハリウッドきってのセレブな男女が競演しているわりには、不思議なくらい「おしゃれな」という言葉からはほど遠い作品だった。
(Sep 06, 2008)
トレマーズ
ロン・アンダーウッド監督/ケヴィン・ベーコン、フレッド・フォード、フィン・カーター/1989年/アメリカ/DVD
この映画のよさは設定の絶妙なバランスにある。
正体不明の巨大なツチノコみたいなモンスターは、単にその形だけならばともなく、口内から複数の小さな鎌首がにょろにょろと生えていたりして、生物学上とてもあり得ないだろうって造形をしている。しかも全長数メートルという巨体で、地面の下を自由自在に移動するなんて、物理上ぜったい無理。でも、とにかく現実味なんでどうでもいいから、モンスターはでかくて気持ちが悪いやつにしよう──でもって、ついでだから臭くしておこう──という製作者の安直な発想により、この映画は悲劇としてのリアリティを欠き、おのずからコメディと化している。下手にシリアスぶらないないところが、この映画の一番の魅力だと思う。
モンスターの強さ、恐さの度合いも絶妙。『エイリアン』 や 『ジョーズ』 のように、凶悪無比で無敵なやつが一匹だけいるというのでもなく、かといってちっぽけなやつがわらわらと大群で襲ってくるんでもない。巨大で凶暴だけれど、普通の人間でもなんとかやっつけることができるくらいの強さのやつが、全部で四匹いる。この設定がみごと。観客は四回、モンスターをやっつけるところが観られるわけで、この設定により、ある種の勝ち抜き戦的なおもしろみが加わっている。
舞台設定が控えめなところもいい。舞台となるのは、だだっ広い砂漠のなかの、住人が十四人しかいない小さな町。だから外部の人を含めても、最大被害人数は二十人足らず。本来ならば人が死ぬシリアスさに人数が多いも少ないも関係ないはずだけれども、そこはもとより襲ってくる怪物がリアリティを欠く存在なので、人が死んでもあまり悲劇っぽさがない。人がやられるシーンが不用意に血なまぐさくないのも節度があっていい。
それでは恐くないかというと、そうでもない。もとよりモンスターの造形が気持ちわるくて、こんなのに襲われたらいやだなあという恐怖心があるのに加え、地中を自由に動き回れる相手には、どこから飛び出してくるかわからないびっくり箱的な恐さがある。
以上の要素がバランスよく混ざりあった結果として、この作品はB級感あふれるわりに、なんとも不思議なおもしろさを持った映画に仕上がっている。バカにしたいのに、バカにできない、作った側からすれば、してやったりな会心の一品。
(Sep 11, 2008)
小さな兵隊
ジャン=リュック・ゴダール監督/アンナ・カリーナ、ミシェル・シュボール/1960年/フランス/DVD
『勝手にしやがれ』 で一世を風靡したゴダールが、あの傑作につづけて発表した長編第二作とのこと。ゴダールの作品にアンナ・カリーナが出演したのはこれが初めてだそうだから、その意味ではこれもまた記念すべき作品のひとつなのかもしれない。まあ、映画としてのインパクトという点では当然のごとく、前作には遠く及ばないけれども。
とかいっても僕の場合、ゴダールの作品に関しては、どれひとつストーリーを説明できなかったりする駄目な観客なので、そんなえらそうなことは云っちゃいけない気もする。この作品はミシェル・シュボールという人の演じる孤独で良心的なスパイが、暗殺の指令を拒否して、拷問にあったりすったもんだのあげく、最終的には恋人を救うために翻意するというような話だと思うのだけれど、印象に残っているのは、作品の大半を占めるんじゃないかという主人公の文学的モノローグと、アンナ・カリーナの色っぽさばかりといった感じだった。
いやでも、あっけないラストシーンのあとの余韻は、なかなかやるせなかった。くどいほどの文学性と、そのあとで唐突に訪れるなんともいえない虚無感こそ、ゴダールに僕が惹かれるわけかもしれない。
(Sep 11, 2008)
ホテル・ルワンダ
テリー・ジョージ監督/ドン・チードル、ソフィー・オコネドー/2004年/イギリス、イタリア、南アフリカ/BS録画
この映画はあまりにも悲しい。
噂によると、この映画で描かれているルワンダ大虐殺では、わずか三ヶ月ばかりのあいだに百万人もの人が殺されたという。
百万人……。あまりの数で実感が湧かないけれど、僕が住む新宿区の人口が三十万強だというから、向こう三区分くらいは楽々全滅という計算だ。たとえアフリカの後進国での出来事であるからといって、そんな非道が、いまからわずか十数年前に起こりえたという事実には愕然としてしまう。
彼が対峙しているのは、同じ国に住む人々を、部族が違うというだけでゴキブリ呼ばわりして、虫けらのように殺すことができる人たちだ。彼が後ろ盾としてあてにしている国連や欧米諸国も、大虐殺の事実を知りながら支援の手を差し伸べることもなく、見て見ぬふりをしている。理不尽な暴力にさらされ、かばってくれるものもない状況では、それが彼にできる精一杯だった。もしも僕が同じ立場だったらば……。そう考えると必然、気分がふさいでしまう。
人の命を平気で奪える人たちがいるのはどうしてなのか。
僕らはいかにしてそうした暴力に立ち向かってゆけばいいのか。
どうしたら暴力のない平和な世界を作ることができるのか。
この映画を観ると、そんなことをつらつらと考えてみないではいられなくなる。答えなんていっこうに見つからないのだけれど……。
いまのままじゃ駄目だ──自分も世界も。そう強く感じさせる、とてもシビアな作品だった。
(Sep 12, 2008)
ハリー・ポッターと秘密の部屋
クリス・コロンバス監督/ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン/2002年/アメリカ/DVD(吹替)
ハリー・ポッターの魔法学校での二学年目を描くシリーズ第二弾。
原作はどうか知らないけれど、ことこの映画に関しては、ハリー・ポッター役のダニエル・ラドクリフを始めとする子供たちが、シリーズとともに徐々に年を重ねてゆく点が大きな魅力のひとつになっていると思う。実写映画であるがゆえに、彼らの成長を見守るドキュメンタリー的なおもしろさが加わっている。まあ、そう書くとまるで 『トゥルーマン・ショー』 みたいで、出演している子供たちの将来がちょっと心配になるけれど。
なんにしろそんな風に思えるのも、彼らの演技が素晴らしいからだ。主演のラドクリフはもとより、ハリーの親友ロンを演じるルパート・グリントは情けない顔をさせたら天下一品だし、紅一点ハーマイオニーを演じるエマ・ワトソンの可愛さも特筆もの。憎まれ役ドラコ・マルフォイや、年じゅう気絶してばかりいる情けない男の子ネビル・ロングボトム役の子供たちの演技も見逃せない。
そんな子供たちのいきいきとした演技に混じって、ファンタジーならではの珍妙なキャラクターや仕掛けも次々と登場する。 『ロード・オブ・ザ・リング』 のゴラムの兄弟みたいな“屋敷しもべ妖精”のドビーや、空飛ぶ自動車、大暴れする大樹、泣き叫ぶマンドレイク、嘆きのマートル(ハリポタ版・トイレの花子さん)、フェニックスなどなど、目を惹くアトラクションが盛りだくさん。
これだけでも飽きさせないところへきて、ケネス・ブラナーのような大物俳優がゲスト出演して、おバカな役どころを楽しげに演じきっているのだから、これまた、つまらないはずがない。こういう映画は難しいことは考えず、童心にかえって楽しめればそれでいい。
(Sep 15, 2008)
ボーン・アルティメイタム
ポール・グリーングラス監督/マット・デイモン/2007年/アメリカ/BS録画
『ボーン・アイデンティティー』 から始まるジェイソン・ボーン三部作の完結編。
調べてみたところ、原作者のロバート・ラドラムはすでに故人で、原作は三部作で終わっている。だから映画もこれにて完結──となるのかというと、そうとも云いきれない。じつは別の作家がシリーズを譲り受けて、続編を書いていたりする。大ヒット・シリーズだけに今後その続編が映画化される可能性もかなり高そうな気はするけれど、いずれにせよラドラム・オリジナルのシリーズとしてはこれが完結編。
でもこれ、残念ながら僕としてはいまいちだった。ハンドカメラを多用して撮影した映像はやたらと揺れが激しくて、さらにはカットもめまぐるしく、観ていて落ち着かない。臨場感があってそこがいいという人もいるんだろうけれど、僕はダメだった。どうにも乗りきれない。
ボーンの過去にまつわる真相というのも、だからどうしたというんだという内容で、あまり劇的ではなかったし、デヴィッド・ストラザーン── 『グッドナイト&グッドラック』 でエド・マローを演じた人(最後まで気づかずじまい)──の悪役ぶりも迫力不足。まあ、そこにお役人主義の駄目さ加減をみるとするならば、それはそれでリアリスティックかなという気はするけれど。さらには、ヒロインが再登場したジュリア・スタイルズという点も、ややアピール不足。
ということで、アクション映画としてもドラマの上でも、僕にとってはいまひとつ不満の残る作品だった。まあ、三部作つづけて観てみるとまた印象が変わるかもしれないので、いずれ前二作とあわせて見直したいと思う。
(Sep 15, 2008)
ネバーランド
マーク・フォースター監督/ジョニー・デップ、ケイト・ウィンスレット/2004年/アメリカ、イギリス/BS録画
売れない劇作家J・M・バリーが、いかにして名作 『ピーター・パン』 を書き上げることになったかを、豊かな脚色でもって映画化してみせた秀作伝記映画。いつまでたっても、いっこうに中年の自覚が芽生えてこない僕のような男にとっては、とても心に響く作品だった。
ジョニー・デップというと、このところ 『パイレーツ・オブ・カリビアン』 や 『スウィーニー・トッド』 などでの大げさな演技ばかり観てきたので、この映画のように落ち着いた演技をみせる彼を観るのは、かえって新鮮だった。とはいっても、彼が演じているのは、三十をすぎてなお子供たちと同等に遊ぶことができる童心あふれる人物で、やはりジョニー・デップらしい役どころ。僕はこの映画の彼が、ここしばらくでは一番魅力的だと思う。
競演相手のケイト・ウィンスレットは、四人の子供をかかえた未亡人の役。まだまだ 『タイタニック』 のイメージが強いので、あれから七年後のこの映画で四人も子供がいる役どころってのは、なかなかインパクトがある(作品の時代設定を考えると、全然おかしくないんだけれども)。ちなみにこの年の彼女の出演作は、これと 『エターナル・サンシャイン』 の二本。どちらも非常に個性的な素晴らしい映画で、この二本につづけて出演しているというのには、それだけで感心してしまう。役柄は見事に対照的だし、この人も意外とあなどれない。
彼女の息子役で、ピーター・パンの名前の由来となる少年ピーターを演じるのは、このところ天才子役として名高いフレディ・ハイモア。彼はこの映画での演技をジョニー・デップに評価されて、 『チャーリーとチョコレート工場』 で主演に抜擢されることになったのだとか。それもなるほどと肯ける好演を見せている。
ということで、当代きっての個性派俳優と天才子役が、 『タイタニック』 の美女をあいだに挟んで、がっぷり四つに組んでみせたこの作品。シナリオも魅力的だし、本当にとてもいい映画だと思う。
(Sep 15, 2008)
トランスフォーマー
マイケル・ベイ監督/シャイア・ラブーフ、ミーガン・フォックス/2007年/アメリカ/BS録画
スポーツカーや大型トラックがロボットに変形する日本のおもちゃを、ハリウッドがオリジナル・ストーリーで映画化した話題作。
この映画、とにかく映像的にはすごいし、ロボットにしろ戦闘機にしろ、アクションは迫力満点だ。しかしながら、映画としての出来栄えという点においては、はっきりいっていまいちだと思う。
金属性の地球外生命体が地球に飛来し、機械に命をもたらすキューブなる物体をめぐり、善玉と悪玉に分かれて戦うというストーリーはまあいいとしよう。あまりに苦肉の策的で、それほどいいとは思わないけれど、じゃあどうしたらよかったんだと問われても答えようがないので、あえてよしとする。激しい戦闘シーンのわりには、犠牲者をあまり出さないよう配慮した点も良心的で好感が持てる。
でも演出をやたらとコミカルな味つけにしたのは、あきらかに失敗だと思う。過剰なまでに迫力あるCGシーンと、中途半端にコミカルな演出がそぐわなくて、ほとんど笑えない。例えば 『ダイ・ハード』 なんかだと、シリアスなアクションのあいまにちゃんと笑いが溶け込んでいるけれど、ああいう自然さがない。この映画の場合は笑わそうという意図があきらかな分、ああ、やっちゃってるよという感じになってしまっている。まるでおやじギャグを連発する中年おやじみたいだ。
もとより、おもちゃを映画にしようという発想自体が幼稚だから、あまりシリアスな話にはしたくないという意図があったのかもしれないけれど、どうせならば本気でシリアスなものを作ってみて、それで笑われたほうが、まだマシだったんじゃないかと、僕なんかは思う。下手な演出なんか加えなくても、単に車がいきなりロボットに変形するだけで十分に笑えるのに……。
願わくば、ストーリーは極力シンプルにして、2時間を切るくらいの長さで、超絶的なCGアクションをこれでもかと見せるような映画が観たかった。
(Sep 15, 2008)
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
アルフォンソ・キュアロン監督/ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン/2004年/アメリカ/DVD(吹替)
ハリー・ポッター・シリーズの第三弾は、ヴォルデモート卿の弟子で、ハリーの両親を裏切って死に追いやった人物──だと巷では噂されている──囚人シリウス・ブラックが脱獄して、ハリーの命を狙うという──これまた噂の流れる──スリリングな設定のもと、ハリーの両親の死の真相にちょっとだけ迫ってみせる内容。シリウス・ブラック役としてゲイリー・オールドマンが出演。前作のケネス・ブラナーのように、一回ぽっきりのゲスト出演かと思ったら、この人の役どころはなかなか重要で、今後もまだまだ登場するらしい。
前の二作の監督は 『ホーム・アローン』 のクリス・コロンバスで、あの映画を思い出させる絶叫シーンなど、軽めでコミカルな演出が多かった気がするけれど、この第三作目では監督が代わったせいか、はたまた子供たちの成長によるものか(前作から一年半のインターバルがあるせいか、いきなりみんな大きくなった)、雰囲気が落ち着いた感じがする。物語もよくできていて、特に終盤のタイム・パラドックスもののSF的な設定で、さまざまな伏線がひとつに
シリーズでもっとも短い──といっても2時間20分以上ある──ことには好感が持てるけれど、その一方で、原作では詳しく語られているという魔法の地図に関する過去のいきさつが映画ではまるきりはしょられていて、やはりその点はやや残念だった。
あと、残念ながら前二作で校長のダンブルドアを演じていたリチャード・ハリスが亡くなってしまったとのことで(ご冥福を……)、この映画からはマイケル・ガンボンが代わりを演じているのだけれど、サンタクロース以上の白ひげキャラの上に、僕らは子供といっしょに吹替で観ているので(日本人の声優は変わらないので)、まったく違和感がなかった──というか、あらかじめそのことを知らなかったらば、もしかしたら気がついていなかったかもしれないと思うくらい、みごとな配役だった。
(Sep 21, 2008)
マン・オン・ザ・ムーン
ミロス・フォアマン監督/ジム・キャリー、ダニー・デビート/1999年/アメリカ/BS録画
僕らにはまるで馴染みのないアメリカのコメディアン、アンディ・カウフマンの生涯を、 『アマデウス』 のミロス・カウフマンがジム・キャリーの主演で映像化して見せた意欲作。
アンディ・カウフマンを歌詞にフィーチャーした R.E.M. の同名ナンバーからタイトルを取ったこの作品。音楽全体を R.E.M. が手がけているとのことで、彼らの公式サイトではサントラがそのオリジナル作品のひとつとして紹介されていたりするため、前々から非常に気になっていたのだけれど、いやしかし、これはいい。世間とずれた感覚の人騒がせなユーモア・センスでもって、プラクティカル・ジョークを連発しながら、三十八年間の短い生涯を爆走しつづけたカウフマンのペーソスあふれる生きざまが、痛々しい笑いを誘って、僕はとても好きだ。ジム・キャリーの演技は最高だし、カウフマンの参謀役でポール・ジアマッティが出ていたり、恋人役はなんとコートニー・ラブだったりして、配役の上でも見逃すことのできない作品だった。
ということで、これはぜひDVDが欲しいと思ったところ、この作品、廉価盤が出ていないどころか、現在絶版中らしい。こんなにいい映画の版権をきちんと管理できないような会社が配給をつかさどっているから、日本の映画はいつまでたっても割高なんじゃないだろうか。
(Sep 21, 2008)
007/カジノ・ロワイヤル
マーティン・キャンベル監督/ダニエル・クレイグ、エヴァ・グリーン/2006年/アメリカ、イギリス/BS録画
80年代以降の007シリーズはまったくフォローしていないのだけれど、この最新作はシリーズ第一作に時間軸を戻して「ジェームズ・ボンド、007になりき」を描き、なおかつ作風もこれまでのイメージを刷新しているという話だったので、似たような位置づけの 『バットマン・ビギンズ』 と同じように、期待してもよさそうだなと思って、観てみた。007シリーズを観るのはじつに十何年ぶりだ。
観始めてまず意表をつかれたのが、設定が思いきり現代だったこと。物語としてはシリーズ第一作に戻るというし、オープニングが──僕のような観客のミスリーディングを誘うために?──モノクロ・シーンだったりするので、勝手に舞台は60年代あたりだろうと思い込んでいたら、そこはスパイ映画。わざわざ無理してレトロな時代設定にするはずもない。本編に突入してみれば、舞台はみごとに現在で、007に就任したばかりのジェームズ・ボンドは、携帯電話やノートブックPCをばりばり使いこなしていた。ボスのMをオスカー女優のジュディ・デンチが演じているのも、いかにも男女同権の現代的だ。
でもって、そうした現代性は設定だけではなく、演出にもおよんでいる。オープニングロールのあとのテロリストの追跡シーンにおけるアクロバティックなアクションなど──これが笑っちゃうくらいものすごい──、印象としては往年の007シリーズよりも 『ボーン・アイデンティティー』 や 『ミッション・インポッシブル』 に近い印象だった──って、後者はまだ観たことがないので確かなことはいえないけれど。あれらの作品に触発されたスパイ映画のご本家が、こりゃ負けちゃいられないと一発奮起してみせた作品が、これなのではないかと思う。
ということで、老舗が意地をみせた甲斐あって、なるほどこれはとてもおもしろい映画に仕上がっている。ダニエル・クレイグが演じるジェームズ・ボンドは、あまりにこれまでのイメージと違っていて、最後までジェームズ・ボンドだという気がしなかったから、シリーズのファンにとってどうかはわからないけれど、少なくても部外者としては、アクション映画として単純に楽しめた。とてもおもしろい映画だと思う。
それにヒロイン──というか、やはりこの場合はボンド・ガールと呼ぶべきなんだろうか──のエヴァ・グリーンがむちゃくちゃ可愛い。彼女を観られただけで、十分もとは取れるってくらい可愛い。また気になる女優さんが増えてしまった。
(Sep 21, 2008)
ビール・フェスタ ~世界対抗・一気飲み選手権
ジェイ・チャンドラセカール監督/エリック・ストルハンスク、ポール・ソーター/2006年/アメリカ、オーストラリア/BS録画
タイトルをみて、ビール好き人間としては、これはちょっと観ておかないといけないんじゃないかという気にさせられた作品。でも内容はタイトルからある程度予想していた通り、かなりのバカさ加減だった。
物語は、とあるドイツ系アメリカ人の兄弟(エリック・ストルハンスク&ポール・ソーター)が祖父の納骨のために出向いたドイツで、世界最大のビールの祭典、オクトーバー・フェスト──近頃は日本でも毎年出張営業しているとのこと──の陰でひそかに行われているアングラなビール一気飲み大会にまき込まれて大恥をかかされ、その雪辱のために仲間を集めて、一気飲みの猛特訓を始めるというもの。かなり下品でバカな映画なのだけれど、一生懸命バカに取り組んでいます、みたいな感じが伝わってきて、意外とにくめない作品だった。酒を飲まないうちの奥さんにも「なんだか実写版の『シンプソンズ』みたいな感じ」だと、それなりに受けていた。
なんでもメインの五人組はブロークン・リザードというコメディ・チームだそうで、この映画の脚本は五人の共同名義になっている。監督のジェイ・チャンドラセカールもそのうちのひとり、インド系アメリカ人のバリー役を演じている人。この映画が彼らの三作目か四本目とのこと。
あとこの映画、ドナルド・サザーランドやウィリー・ネルソンがちょい役で出演していたりするのも、なにげにすごい。特にドナルド・サザーランドは、末期の病院のベッドでジョッキ三杯を一気飲みしてみせ、その直後に昇天するという、かなりインパクトのある役どころ。大ベテランがこういう映画に出ているのみならず、嬉々としてジョッキを乾しているのが素敵だ。
ちなみにちょっと前に観たワインおたく映画、 『サイドウェイ』 と同様、これもきっと観ているとビールが飲みたくなって仕方なくなるんだろうと思って、あらかじめビールを用意して観始めてみたのだけれど、あにはからんや、これがそんなことにはならない。サブ・タイトルどおり、一気飲みのシーンばかりだから、あまりビールがおいしそうには見えないのだった。暑い時期だったり、喉が渇きまくっていたりすればまた話は別なのかもしれないけれど、涼しい秋の晩に観ていた僕は、少なくてもこれを観て、特別ビールがもっと飲みたいとか思わなかった。まあ、とかいいつつ、けっきょく飲んでいたわけだから、これがもしビールなしだったらどうかは、あてにならないけれども。
(Sep 27, 2008)
天然コケッコー
山下敦弘監督/夏帆、岡田将生/2007年/日本/BS録画
くらもちふさこは僕がもっとも好きなマンガ家のひとりで、こと少女マンガにおいては唯一無二といっていい存在なので、その人の作品が映画化されたとなれば、観ておかないわけにはいかない。ということで劇場公開から一年遅れながら、ひさしぶりに邦画を観ました、くらもちふさこ原作の 『天然コケッコー』。
しかしながらこの作品、僕はもののみごとにストーリーを忘れていた。なんたって原作が完結したのが7年前で、それ以降、忙しくて読み返したことはなかったし、いまとなるとおぼえているのはキャラクター設定ばかりという状態。
でも、そんな僕がいうのもなんだけれど、この映画は僕が抱いていた 『天然コケッコー』 のイメージとはかなり違った。いや、何人かのキャラクターはマンガからそのまま抜け出してきたんじゃないかってくらい似ているのだけれど(さっちゃんとか、シゲちゃんとか、あまりに似ているので、思わず笑ってしまった)、少なくても主人公ふたりと作品全体の雰囲気は、なぜだかぜんぜん違う。映画自体はなかなかの出来だと思うし、それなりに楽しく観させてもらったものの、なんだかその違和感のせいで、最後までしっくりこなかった。
で、原因をつきとめようと、映画のあとで原作を七年ぶりにざっと読み返してみた(とりあえず一、二冊と思って手にとったにもかかわらず、そのままついつい全十四巻を読みきってしまうやつ。うーん、おもしろい)。それで、ああなるほどと納得。
要するに、原作はコメディなんですよ、それも上質の。生徒が小中学生あわせて六人しかいない過疎の村の学校に、東京の男の子が転校してきたことから巻き起こるさまざまな出来事を、主人公ふたりの恋愛関係を中心にした群像劇として、せつなくもユーモアたっぷりに描いてゆく。ところが映画ではこの「ユーモア」の部分のほとんどが抜け落ちている。
ここでおもしろいのは、映画のエピソードやシーンのほとんどが、原作を忠実に再現していること。いくぶん手を加えてあるシーンもあったけれど、基本的に映画のシーンのほとんどが、原作のまんまなのだった。それなのにマンガでは笑えるシーンが、映画だとまるで笑えない──というか、おそらく最初から笑わそうとしていない。笑えるシーンがないわけではないけれど、度合いにしてみれば、ほんのわずかだ。同じ場面を同じように描いても、マンガと映画でここまでテイストが変わるというのは、とても興味深かった。
映画の作り手が原作をコメディだと思わなかったのか、それともあえてコメディ色を排したのかはわからない。いずれにせよ、結果としてこの映画はとても初々しい青春映画に仕上がっている。これはこれで悪くないとは思う。思うのだけれど、やはりくらもちふさこファンの僕としては、原作の魅力が十分に表現されてないのを残念に思う気持ちは否めない。やはり笑いあってこそのくらもちワールドでしょう。願わくば僕はもっと笑える、まさに“天然”の右田そよちゃんと、もっとふてぶてしい大沢くんが観たかった。
(Sep 28, 2008)