2008年3月の映画
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メリンダとメリンダ
ウディ・アレン監督/ラダ・ミッチェル/2004年/アメリカ/DVD
とあるレストラン──おそらくニューヨークの──で、小説家だか劇作家だかの知識人が夫婦で三組ほど集まってテーブルを囲んでいるときに、創作についての話になる。で、メリンダというひとりの女性を主人公にして、同じシチュエーションのもと、かたやペシミスティックなひとりが悲劇を、楽観的なもうひとりがコメディを語ってみせる──という設定で、彼らの語るそれぞれのストーリーを、どちらもラダ・ミッチェル主演の劇中劇として再現してみせたのがこの作品。ラダ・ミッチェルというのは、『フォーン・ブース』 でコリン・ファレルの奥さんを演じていた人──だそうだけれど、そう言われたところで、いまとなると、もうわからない。
この映画で僕がおもしろいと思ったのは、ウィル・ファレルの役柄。彼が演じているのは、コメディのほうのエピソードの中心となる男性で、以前ならば、まちがいなくウディ・アレンが自分で演じていただろうって役どころ。ウディ・アレンのドッペルゲンガーとでもいうべきその役を、コメディアンであるという以外は、体型も雰囲気もウディ・アレンとは似ても似つかないウィル・フェレルが演じているというミスマッチが、なんとなくおかしかった。
それにしても、さすがに年をとって役柄にマッチしなくなったからという理由ではあるんだろうけれど、こういう役をウディ・アレンご本人が演じられなくなっているという状況は、特別なファンというわけではない僕でさえ、ちょっとばかりさびしく思う。
(Mar 04, 2008)
M★A★S★H マッシュ
ロバート・アルトマン監督/ドナルド・サザーランド、エリオット・グールド/1970年/アメリカ/BS録画
ブラック・コメディの傑作との呼び声の高いこの作品。タイトルは Mobile Army Surgical Hospital の略称で、アメリカ陸軍の移動外科病院のことだそうで、朝鮮戦争を舞台に、その部署に配属になったドナルド・サザーランド演じるホークアイと、相棒トラッパー(エリオット・グールド)らがくりひろげる悪ふざけの数々を、ばかばかしく描いている。
公開当時は泥沼化するベトナム戦争への批判票がかなり強かったんだろう。戦場を舞台にして、手術シーンなんかで笑いをとっているのでブラック・コメディと評されるのだと思うけれど、やっていることはドリフのコントとそう変わらない。いまになって初めて観る僕には、カンヌ映画祭のパルム・ドールに値するほどの傑作とは思えなかった。 『華氏911』 もそうだけれど、カンヌは反戦的な映画には甘い気がする。
でもまあ、最後の晩餐のパロディとか、堅物女性将校のシャワーシーンを一般公開しちゃうところとかは、(趣味のよしあしを問わなければ)かなりの傑作だと思う。韓国が舞台なので、日本のラジオ放送が流す日本語の不思議な歌謡曲がたっぷりとフィーチャーされている点も、日本人としては妙な気分で、ある意味おもしろかった。
あと、ドナルド・サザーランドという人を観るのは個人的に初めてだったのだけれど、この人はいい味出していて、けっこう好きだった。息子のキーファーよりも好きかも。彼を縦方向にひょろっと引き伸ばしたような雰囲気で、言われてみればいかにも親子って感じだけれど。反対に、相棒をつとめるエリオット・グールドのほうは、言われてみても 『オーシャンズ13』 のルーベン役の人だとわからなくて、その変わりようがちょっとおかしかった。
(Mar 24, 2008)
映画に愛をこめて アメリカの夜
フランソワ・トリュフォー監督/ジャクリーン・ビセット、ジャン=ピエール・レオ/1973年/フランス、イタリア/BS録画
映画を撮るというのは、こんなにも大変で、こんなにもおもしろいことなんだぞと──何よりも映画を愛した(らしい)映画監督、フランソワ・トリュフォーが、映画制作の裏舞台をそのままフィクションとして映画に仕立て上げてみせた意欲作。トリュフォーみずからが出演して、監督役をつとめている。
いまはDVDのボーナス・ディスクに映画のメイキングが数多く収録されていて、映画製作の模様を詳しく知ることができるけれど、そんなもののない70年代の前半に、こういう映画を作ってみせたトリュフォーという人は偉かった。当事者ならではのこまやかな目線で、映画の製作のさまざまな面にたずさわる多くの人々の姿を生き生きと描き出していて、まるで飽きさせない。単なるメイキングとは違って、フィクションだからこそ描ける、どろどろとした人間関係が織り込まれているところに映画ならではの味わいもあるし、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したというのも納得の出来だった。観ていると自分も仲間に加わって、一緒に映画作りにかかわってみたくなる。
以前 『大人は判ってくれない』 や 『夜霧の恋人たち』 を観たときには、僕にはあまり関係ないタイプの監督だと思ったトリュフォーだけれど、なんだかこの映画を観たあとで、その二作品の余韻を思い返していたら、なんとなくその二本もいい映画だったような気がしてきてしまった。われながら単純。
(Mar 30, 2008)
ミクロの決死圏
リチャード・フライシャー監督/スティーヴン・ボイド、ラクエル・ウェルチ/1966年/アメリカ/BS録画
脳障害で瀕死の証人を救うため、軍の開発したミクロ化技術で潜水艇を小さくして体内に送り込み、脳外科治療を行おうというSF映画の古典。
ビートルズが来日した1966年(僕の生まれた年)公開の作品だけれど、これはいまとなると、いささかアイディアが風化しすぎている感がある。軍の施設内をゴーカートみたいな乗り物で移動するオープニングのシーンからして、なんだかすごく陳腐に思えてしまった。そのころは、建物の中を移動するにも、将来は乗り物を使うのがあたり前になるだろうという予想があったのかもしれないけれど、40年たってもそんなことにはなっていないわけで(将来的にもなるとは思えない)、そういう意味ではこの映画を作った人たちの未来予想図は、かなりずれたものだった気がする。まあ、潜水艇をミクロ化するというこの映画の核となる発想自体からして、そうとうに楽天的なわけだけれど。
なんにしろ「人の体内を探検したら、さぞやおもしろいだろう」というワン・アイディアを、そういう発想の人たちが映画化しているので、物語はほとんど全編、ご都合主義であふれかえっている。そんなのありですかと思ってしまうような言動や出来事の連続に、苦笑を誘われてばかりいた。コメディでもないのに笑えてしまう映画ってのも、なかなか困りものだ。アカデミー賞を受賞したという特殊効果も、CGですごい映像をさんざん見せられている昨今だと、さほど目をみはるほどのものではないし、ひさしぶりに観てみたら、あきれるくらいB級感あふれる作品だったので、かえって驚いてしまった。
でもまあ、目に見えるくらいの大きさに縮小した潜水艇を巨大な注射器に入れて、それを普通の注射器のサイズまで縮小するところとか、眼球に脱出してきた人たちを救い出すところとか、そういうあり得ないシーンの突拍子もないおもしろみは、映画ならではかもしれない──ちょっとだけそう思った。
あと、原題が Fantastic Voyage 、つまり 『ファンタスティックな航海』 ってのが、違和感ありまくりですごい。「ファンタスティック」という英語には「奇怪な」という意味合いもあるようだから、そういう意味ではジャストなタイトルなのかもしれないけれど、少なくても僕個人が抱いている「ファンタスティック」という言葉のイメージからはかけ離れた映画なので、そんなタイトルがついていることに、ちょっとばかり驚いた。
(Mar 30, 2008)
交渉人
F・ゲイリー・グレイ監督/サミュエル・L・ジャクソン、ケヴィン・スペイシー/1998年/アメリカ/BS録画
たてこもり犯の説得においてはシカゴ警察随一の実力をもつ
正義の側に立つ主人公が犯罪者もどきの大騒動を巻き起こすという点で、『24』 を思い出させるところがある作品。スリリングさでもあのテレビドラマに負けていなくて、なかなかおもしろかった。籠城事件の専門家が自ら籠城するというシチュエーションに右往左往する人たちの姿が笑える。
キャスティングの上では、サミュエル・L・ジャクソンが主演で、彼との交渉役として担ぎ出されるもうひとりの交渉人役がケヴィン・スペイシーという、豪華な競演が一番の見どころなのだろうけれど、個人的に一番おもしろかったのは、とばっちりをくって人質のひとりとなってしまう小悪党役のポール・ジアマッティ。またもや登場したこの人が、まん丸な目でひょうきんな憎まれ口をたたきつつ、スリリングな物語の中のコミック・リリーフとして、いいアクセントになっていた。僕はこの人、かなり好きだ。
(Mar 30, 2008)