2008年2月の映画
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カポーティ
ベネット・ミラー監督/フィリップ・シーモア・ホフマン/2005年/アメリカ/DVD
この映画は着想が秀逸。トルーマン・カポーティという、実在したきわめて個性的なアメリカ人作家を主人公としつつ、その生涯を描くのではなく、かわりに彼が ノンフィクション・ノベルという新しいジャンルを開拓した傑作 『冷血』 を書きあげるまでの苦悩の7年間にのみフォーカスを絞ってみせたアイディアが素晴らしい。シックな色調で統一した映像もとてもきれいだし、内容的にもきわめて現代的で、これは文芸作品としては出色の出来だと思う。派手さにはかけるけれど、ほの暗く静かなところで、しっかりと心を揺さぶってくる。
そもそも 『冷血』 という作品は、ノンフィクション・ノベルという言葉どおり、ノンフィクションでありつつも、創作としての色彩の強い作品だった。実際にあった殺人事件を題材にして、綿密な取材の上で執筆されてはいながら、それはあくまでカポーティという作家の眼を通して再構成された想像上の物語だった。この映画は、その物語をつむぐために悪戦苦闘するカポーティを、さらにひとつ上の視点から
カポーティはみずからの作品のために死刑囚ペリー・スミスの延命を望み、また同じ理由でやがて彼の死を願うようになる。そしてそんな自分のアンビバレントな感情に激しく苦悩する。『冷血』 でのカポーティはあくまで黒子に徹しているため、この映画で描かれるような彼の苦しみは、作品自体からはうかがい知ることができない(少なくても僕にはできなかった)。けれど、カポーティが終生の傑作をものにするために味わった葛藤には、まさにその作品自体をも凌駕するほどの文学的主題がひそんでいたわけだ。この映画の製作者たちはそのことに気づき、カポーティを苦しめた作家としてのカルマともいうべきものを、映像作品として提示してみせた。このお手並みや見事。
まあ、フィリップ・シーモア・ホフマンの極端なまでにエキセントリックなしゃべりかたにはちょっとばかり鼻につくところがあるし(DVDの映像特典で見られるインタビュー映像で、カポーティ本人がまさにあんな風なしゃべりかたをしているのを見て、なるほどとは思った)、カポーティの文学に興味のない人にとっては、やや地味な作品かもしれないけれど、それでもこれはまちがいなく、大変に優れた映画だと思う。
(Feb 03, 2008)
冷血
リチャード・ブルックス監督/ロバート・ブレイク、スコット・ウィルソン/1967年/アメリカ/DVD
こちらはひとつ前の 『カポーティ』 のなかでカポーティが書いていたノンフィクション・ノベル 『冷血』 をそのままストレートに映画化した昔の作品。
なんでもこの映画については、無名の俳優を起用してモノクロで撮ることというのが、原作者カポーティの要望だったそうだ。映画の公開が原作の刊行された翌年だから、本が出たのと映画化の企画がもちあがったのと、ほとんど同時だったんだろう。それだけでも、いかにあの作品が大きな反響を呼んだかがわかるし、『カポーティ』 を観たあとだと、さんざん産みの苦しみを味わったカポーティが映画化にあたって、そうとう神経質になっていたとしても当然かなという気がする。
なんにしろ、『カポーティ』 同様に、こちらも派手さはないものの、静かな余韻の残る良質な映画だった。ペリー・スミスの相棒で、 『カポーティ』 ではかなり薄っぺらな人間として描かれていて、それほど出番も多くなかったディック・ヒコックが、こちらではペリーに負けない存在感を持っているのが印象的だった。
(Feb 03, 2008)
ベルリン・天使の詩
ヴィム・ヴェンダース監督/ブルーノ・ガンツ/1987年/西ドイツ、フランス/BS録画
恥ずかしながらこの映画、僕は過去に一度、途中まで観て挫折している。図書館のシーンくらいまでだったから、だいたい十五分くらいだろうか(途中どころか冒頭だ)。そのへんで退屈して、観るのをやめてしまった。
そういうことって、普段はまずない。基本的に僕は律儀な男だから、読み始めた本はどんなに退屈でも最後まで読むし、観始めた映画は最後まで観る。これまでにどれくらいの映画を観たかわからないけれど──最低でも五百本は超えていると思う──記憶にあるかぎり、途中で観るのをやめてしまった映画は三本しかない。これはそのうちの一本だったわけだ。
ちなみにあとの二本というのは 『三つ数えろ』 と 『去年マリエンバートで』。前者については作品の問題というよりも、僕自身が酔っ払っていたせいだったし(後日つづきを観た)、後者は難解さでは折り紙つきという印象なので、まあ映画ファンでもない若き日の僕が、途中でやめたくなっても仕方ないかなと思う。
でも、この 『ベルリン・天使の詩』 については、どちらもあてはまらない。初めて観たときに酔っ払っていたわけではないし──ないと思う、多分──映画自体が難解だという噂も聞かない。いや、のちにハリウッドでリメイクされたくらいだから、それほど難解な話のはずがない。同じヴィム・ヴェンダースの 『パリ、テキサス』 は文句なしによかったし、その 『パリ、テキサス』 よりも世間的に評価が高いこの作品がつまらないとも思えない。それなのになんで僕は途中で投げ出してしまったんだろう?
これはそんな疑問とともに、ずっと気になり続けていた作品だった。
でですね、今回、意を決してあらためて観てみたわけだけれども、そしたらこれが……。
結果からいえば、またもや途中でやめたくなってしまったのだった。だって、やっぱり退屈なんだ。中年おやじの天使が二人であーだこーだって、そんなんがモノクロでえんえんと続くわけですよ。もとより白黒映画があまり得意ではなく、英語以外の洋画が苦手な僕には、これはつらかった。やっぱりこの映画、駄目だと思った。
ところが、だ──その駄目だこりゃな印象が、最後の三十分で逆転する。まあ、それまでがそれまでだから、いきなりこりゃサイコーってところまではいかないものの、なるほど、これは評価が高いのもうなずけるってところまで、一気に持ち直した。なんちゅうか、真面目すぎて面白みのないモノクロの文芸映画だと思っていた作品が、そこから急に総天然色のコメディになってしまった感じ。実際にはそれほど大きな変化があったわけではないんだけれど、九十分も退屈させられたあとだけあって、その方向転換が過剰にドラスティックに感じられてしまった。いやー、こりゃすごいや。びっくりだ。
もちろん、世の中には僕が退屈で仕方がなかった前半の静かな語りにこそ魅力を感じる人だっているんだろう。もしかしたらそうした観方のほうが正統的なのかもしれない。でも僕はやっぱり最後の三十分が好きだ。特にピーター・フォーク──自分自身の役で出演している──と鎧にまつわるエピソードは傑作だと思った。「あ、コロンボだ」とか「警部」とかいうささやかなユーモアもいい。ニック・ケイヴともうひとつのバンドのライブ・シーンも、さすがにロック通のヴェンダースならではという出来だし、とりあえず最後の三十分限定でならば、本当におもしろかった。その三十分のためにそれまでの九十分があると思うと、それはそれですごいなあと思う──僕にとっては、そういう映画だった。
(Feb 12, 2008)
アメリカン・スウィートハート
ジョー・ロス監督/ジュリア・ロバーツ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、ジョン・キューザック/2001年/アメリカ/BS録画
この映画はいただけない。これだけ豪華な俳優陣──ジュリア・ロバーツ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、ジョン・キューザック、ビリー・クリスタル、クリストファー・ウォーケンなどなど──を集めておきながら、恋愛劇はまるでいい加減、笑いがとれるのは下ネタだけという、とても情けない出来になってしまっている。
タイトルの 『アメリカン・スウィートハート』 ──原題は America's Sweethearts ──とは、ジョン・キューザックとキャサリン・ゼタ=ジョーンズが演じるエディとグウェンのこと。ハリウッドで好感度ナンバーワンだったこの俳優どうしのカップルが、グウェンの浮気により破局。ビリー・クリスタル演じる配給会社の宣伝マンが、彼らの最後の競演作をヒットさせるべく、ふたりのよりを戻そうと画策することから、さまざまな騒ぎが巻き起こることになる。ジュリア・ロバーツが演じるのは、グウェンの付き人をつとめる実の妹、キキ(姉ではないんでしょうか?)。彼女はひそかにエディに思いを寄せていて、当然のごとく最後にはエディと結ばれることになる。
でも、この展開にまったく説得力がない。そもそもエディという人は、グウェン恋しさで精神病院に入っちゃうほどの惚れ込みようだったわけだ。当然、妹のキキとは昔からの知りあい。でも、かつてのキキは太っていて、あまり魅力的じゃなかったから、見向きもしなかった(特殊メイクで太ってみせたジュリア・ロバーツがこの映画の一番の見どころかもしれない)。それがひさしぶりにあってみたら、なぜだかすっかりやせて綺麗になっていたので、病気になるほど愛していた姉さんのことはころっと忘れて、そっちに乗り換えちゃいましたと。そういう話なわけですよ。要するに、女性は太っていては駄目で、大事なのは性格よりも容姿だと──極論してしまえば、そういう話なわけだ。これはちょっとひどい。そこそこ笑えるシーンもあったけれど、肝心のロマンスがこんなに軽薄じゃ、とても誉める気にはなれない。
ということで、出演者はみんなこの前後で素晴らしい映画に出ている人たちばかりだというのに、なんでこんな作品になっちゃったんだろうと不思議になるくらいの凡作だった。なかでも自ら出演しているだけではなく、製作と脚本にも絡んでいるビリー・クリスタルは、それなりのイメージ・ダウン。
(Feb 12, 2008)