2007年10月の映画
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ザ・シンプソンズ シーズン1
マット・グレーニング製作総指揮/1989年/アメリカ/DVD
近々公開される映画版において、主演の声優がテレビ版とは総入れ替えになってしまったことで、一部で大きな反響を呼んでいる 『ザ・シンプソンズ』 。
当然、僕も声優変更には大反対なのだけれど──だって、わけもなくルパン三世やコロンボの声が変わったら、誰だって怒るだろう。知名度が低いからって、替えても構わないだろうなんて思うのは、言語道断だ──、でも考えてみたらば、僕がこのアニメをきちんと観ていたのは、かれこれ十年近く前のこと。子供が生まれてからは、多忙にかまけて、DVDボックスを買いそろえている奥さんを横目に、傍観を決め込んでいた。こんなんで文句を言うのもなんだろうと思い、ひさしぶりにちゃんと観てみようと、今回ファースト・シーズンのDVDボックスを引っぱり出してみた。することこれが……。
やっぱりおもしろいんだ、この作品。ひさしぶりに観てみて、あらためて感心してしまった。
いや、このおもしろさは、おそらく観てもらわないとわからない。そもそも、あのキャラの絵を見て、これはおもしろそうだと思う人って、あまりいないんじゃないだろうか。サインペンで描いたようなシンプルなタッチはともかく、みんな顔はまっ黄色だし、目玉は飛び出しているし、四本指だし。絵だけで万人に愛されるとは、とても思えない。どちらかというと、普通の感性を持った人ならば、絵を見た時点で引いてしまって当然という気さえする。少なくても僕自身、実際に見るまでは、自分がこんなアニメを気に入るなんて、思っていなかった。
でもいざ観てみれば、たいていの人はこの作品のドラマとしてのまっとうさに意表をつかれることになると思う。なんといってもこの作品の一番の特徴は、それが見事に「大人向け」の作品であるところにある。
やはりアニメというと子供のものという印象が強い。「大人でも楽しめる」という作品はあっても、大人のために作られたと断言できる作品となると、まったく思いつかない。アメリカのアニメは、『トムとジェリー』やディズニー映画のように、あきらかに子供向けのものばかりだし、日本には押井守や大友克洋の作品のように、子供向けではない作品があるとはいっても、それだってメイン・ターゲットはアニメファンを中心とした二十代前後の若者だろう。宮崎アニメも大人向けというには、ちょっとばかり毒がなさすぎる。そもそもこの辺の作品は長編ばかりだ。『サザエさん』 や 『ちびまる子ちゃん』 は大人の目を意識した作品なのだろうけれど、あれらはリアルタイムに世相を反映していないからこそおもしろい、ノスタルジーを武器にしたナツメロのような作品だし。
そう考えると、連続テレビアニメで、映画やテレビドラマのような現代劇として、普通に生活している大人たちにアピールしうる作品というのは、ないにひとしい。まあ、詳しい人にいわせれば、反論はあるのかもしれないけれど、少なくても僕が知っているかぎりでは、皆無だと思う。しかもコメディとなると、なおさらだ。
そんな中にあって 『ザ・シンプソンズ』 というアニメは、まさに異色中の異色の作品だと僕は思っている。なんたってこれは、連続テレビアニメでありながら、大人こそが楽しめるという、たぐい稀なる傑作シチュエーション・コメディなんだから。
このアニメのなかで、製作総指揮のマット・グレーニングは、主人公のシンプソンズ一家と、彼らが住む架空の町スプリングフィールドの住民たち──これがまた名脇役ぞろいだったりする──の姿を通して、アメリカという国の世相を、ものの見事に笑い飛ばしてみせる。
このファースト・シーズンだけでも、描かれるテーマは原発、貧困、いじめ、カウンセリング、不倫、強盗、エトセトラ、と普遍的な社会問題のオンパレード。そう書くと非常に暗い感じがするけれど、でもこれはあくまでもコメディ。どんな悲惨な話にも、たいてい笑える側面があるもので、作り手は悲劇の裏にある滑稽味を温かい目ですくいあげてみせ、シンプソン家の面々は(適度の)愛さえあればなんのそのと、決して恵まれない社会と家庭、両環境のなかで、あっけらかんとした笑いをふりまいている。
こうした社会的なテーマを堂々と笑いのネタとして扱っている時点で、作り手が最初からこの作品のターゲットを大人に絞っているのはあきらかだ。ある程度の年齢にならないかぎり、この手のブラック・ユーモアでは笑えないだろうから。そもそも、時には(なんとあの絵で)夫婦生活の内情まで描かれたりするので、幼い子供と一緒に観るのがためらわれるようなところさえある。同じような長寿アニメのホームコメディだということで、 『サザエさん』 や 『ちびまる子ちゃん』 と比較されることがあるけれど、時として男女関係を赤裸々に描いてみせる点において、 『ザ・シンプソンズ』 はそれらとは決定的に異なっている。
またこの作品では、笑いをとる上で、パロディがとても大きな比重を占めているのも特徴。ほんと、この作品は全編にわたり、さまざまな映画や音楽のパロディで満ちあふれていて、それが僕のように映画や音楽が大好きな人間にとっては、大きな魅力のひとつとなっている。
パロディなんてものは、オリジナルを知っているといないとで、笑える笑えないが大きく左右されるもので、この点でも観る側にある程度の経験値を要求することになる。
もちろん、そこは1回20分強の連続テレビアニメ。全部が全部、そんなブラック・ユーモアやパロディばかりなわけがない。主人公一家の子供たちが小学生だということもあり、もっとわかりやすい、ごく普通のドタバタ・ギャグもたっぷりと描かれる。どちらかというと、そういう普通のギャグの合い間に、わかる人にわかればいいやという程度に、注意深く観ていないと見落としてしまうようなユーモアや、あからさまなパロディが差し込まれているという感じもする。その辺のバランスが絶妙で、ラフな作画とは反対に、演出においては細かいところにまで非常に気がゆき届いている。
とにかく、こんな風に魅力的なキャラクターを配し、時事問題を効果的に物語のなかに取り入れながら、合い間に気のきいた映画や音楽のパロディを差しはさみつつ、アメリカの現状を見事なデフォルメとともに活写してみせた作品なんて、実写にだってそうざらにはない。しかもそうした要素が、毎回わずか20分ばかりのなかにテンポよく詰め込まれているんだから、お見事。連続テレビアニメならではのテンポのよさというのも、この作品の大きな魅力だと思う。いったん見慣れてしまうと、あの独特のラフな絵にさえ、愛着が湧いてくる。これがアメリカで二十年近くにわたって愛されているのも当然だと思う。逆にこれほどの作品が、なんで日本ではこんなに知名度が低いんだか、そっちのほうが不思議だ。
このファースト・シーズンでは、まだキャラクターが固まりきっていなくて、エピソードも13話だけと少なく、いまだ十分にその真価を発揮しきれていない感じもする。でも、短いからこそ、DVD3枚ですべて観られるわけで、入門編としては最適。アメリカにそれなりに関心があって、良質なコメディが楽しみたい人は、ぜひとも観てください──とりあえず作画に対する先入観は抜きにして。
あ、それと僕は今回、このDVDを観てはじめて知ったのだけれど、このアニメのオープニング・テーマを書いたのは、ティム・バートンの 『バットマン』 や 『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』 でお馴染みのダニー・エルフマンだった。まだまだ売り出し中で、いまほど知名度が高くない時期だったのかもしれないけれど、それでもこういう作品のために、映画の音楽監督を呼んできて、素晴らしく作品にマッチした楽曲を提供してもらい、それを毎シーズン変えることなく大事にしてゆく姿勢には、アメリカのショービズ界の良識と自負をみる思いがする。それにくらべて、いきあたりばったりのタイアップばかりのこの国ときた日には……。
日本のエンタメ業界の多くは利益を優先するあまり、作品への敬意と愛情を欠きすぎていると思う。今回の声優変更問題なんか、その最たる例だ。
僕は子供と一緒に観るアニメをのぞけば、外国の作品は、たいていオリジナルの音声で観ている。でも 『刑事コロンボ』 と 『ザ・シンプソンズ』 だけは例外。この二つについては積極的に日本語で観たいと思う。つまり僕にとって 『ザ・シンプソンズ』 の吹替は、あの小池朝雄氏のコロンボと肩を並べるほどの出来映えなのだった。それをわずかばかりの話題作りのために、特別アフレコが上手いわけでもなく、作品への愛情のかけらも感じさせない芸能人に替えちゃうなんて……。それはあまりに悲しすぎる。
いまはどんな形でもいいから、20世紀フォックスが決定をくつがえし、われわれに日本語オリジナル声優版の 『ザ・シンプソンズ MOVIE』 を劇場のワイドスクリーンで観させてくれるよう、願ってやみません。
(Oct 08, 2007)
エターナル・サンシャイン
ミシェル・ゴンドリー監督/ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット/2004年/アメリカ/DVD
つらい思い出を頭の中から、きれいさっぱり消し去ってくれる──そんな医療行為をおこなうクリニックがあるという設定のもと、衝動的な性格の彼女が、痴話喧嘩のあげく、そこで彼氏の記憶を消してしまいましたと。恋人を失った悲しみに耐えかねた彼も、それじゃあ俺だってとばかりに、そのクリニックの門をたたき、かくしてある夜、彼の部屋で記憶を消すための処置が施されることになるのだけれど……。
この映画の脚本家は、天才という言葉とともに紹介されることの多い 『マルコヴィッチの穴』 のチャーリー・カウフマン。あれも奇抜な発想の秀逸な話だったけれど、これも負けず劣らず、すごい。あきれてしまうくらい見事な脚本だった。基本的には純粋な恋愛映画でありながら、中盤の展開なんて、はんぱな出来のサスペンス・スリラーよりも、よほどスリリングだ。おそらく恋愛映画が嫌いだという人でも楽しめる作品なんじゃないかと思う。
『マルコヴィッチの穴』 にしろこの作品にしろ、チャーリー・カウフマンという人の脚本には、滑稽さと残酷さが同居しているようなところがある。人の心の醜悪な部分をじっと見つめさせるような居心地の悪さがあって、見終わったあとに、ああ、楽しかったといって済ませられない気分にさせられる。そこに強烈な個性を感じる。
その点、日本版の映画ポスターを使った通常盤DVDのパッケージはよくない。これじゃあ、べたべたの恋愛映画みたいで、この映画のもつ奇妙な味わいがきちんと伝わらない。前々からこのパッケージを不満に思っていた僕としては、アメリカ版と同じジャケットを採用した立派な外箱入りのプレミアム・エディションの発売は願ったり叶ったりだった。まあ、なかに入っているケースは通常盤と同じジャケットだけれど。
ちなみに、この映画で僕が一番感心した俳優は、主演のジム・キャリーでも、ケイト・ウィンスレットでもなく、キルスティン・ダンスト。最初は清楚なクリニックの受付嬢という端役かと思わせておきながら、中盤ではセクシャルで蓮っ葉な別の姿を見せ、最後のほうで悲しい過去をもつことがあきらかになるという、三段変化の役どころが見事。下手をしたら、ヒロインのケイト・ウィンスレットを上回るんじゃないかという存在感があった。
(Oct 16, 2007)
タクシードライバー
マーティン・スコセッシ監督/ロバート・デ・ニーロ/1976年/アメリカ/DVD
いまさら、僕ごときがつべこべいう余地のない、マーティン・スコセッシの初期の傑作。
僕がこの映画を初めて観たのは、中学生のときだと思う。その後、何回観たか記憶にないけれど、そうたびたびは観ていないので、今回観るのが四半世紀ぶりとかになるんじゃないかと思う。
中学生の頃の僕といえば、深く考えもせずに淡い憧れだけで、銃の専門誌 『GUN』 を定期購読していたような子供だった。おそらくこの映画もそういう流れのなかで、44マグナムやワルサーPPKが出てくるのに興奮したり、飛び出しナイフのようにピストルが飛び出すトリッキーな仕掛けをおもしろがったり、衝撃的なクライマックスに圧倒されたりと、ミーハーきわまりない見方をしていたのだろうと思う。
いい加減いい歳になったいまになって観てみると、そうした男の子心をくすぐるディテールもさることながら、ニューヨークのストリートの猥雑な夜景や、デ・ニーロ演じるトラヴィスの行動が
好きになった女性をデートでポルノ映画に連れていって嫌われちゃったり、しがない先輩ドライバーに人生の意味を問いただしてみたり、いきなりモヒカンになって、大統領候補の暗殺をもくろんだり。主人公トラヴィスの行動はいちいち痛くて、大人の目からみるとある種、滑稽で恥かしい。でもそんな彼には、ジュディ・フォスター演じる十代の娼婦を助け出さなきゃいけないと思うような、しごくまっとうで道徳的な面が同居している。
ベトナム帰還兵である彼は、現在ならば、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されるんじゃないかという気がする。でも、時代はそんな言葉の存在しない70年代。トラヴィスは自らの内なる葛藤を、自滅的な暴力によって解放するしかない。
やりきれなさが充満していって、最後に行き場を失って爆発したかのようなクライマックスのカタルシスと、そのあとのおだやかなラストシーンのコントラストが秀逸だった。
(Oct 16, 2007)
シュレック
アンドリュー・アダムソン監督/声優・濱田雅功、藤原紀香、山寺宏一/2001年/アメリカ/BS録画
ざまざまな童話のキャラクターをちょい役に配してみせたアイディアが秀逸なCGファンタジー・アニメ。
なんでピノキオや三匹の子豚や白雪姫が出てくるんだか、そのへんの理由は説明不足でよくわからなかったけれど、それでも絵を見ただけでそれとわかる、お馴染みの童話のキャラクターが、次々と登場してくるというのは、それだけで十分に楽しい。これはもうアイディア勝ち。
ただ、『ザ・シンプソンズ MOVIE』 の声優変更問題のせいで、俳優やお笑い芸人が映画の吹替をやることに疑問を感じている時節柄のせいか、ダウンタウンのハマちゃんが主人公シュレックの吹替をやっているのには、個人的には違和感をおぼえてしまった。あの
ま、この作品では、アメリカでもマイク・マイヤーズがシュレックの吹替をしているそうなので、あちらでも状況は似たようなものなのかもしれない。
(Oct 16, 2007)
スパイダーマン3
サム・ライミ監督/トビー・マグワイア、キルスティン・ダンスト/2007年/アメリカ/DVD
スパイダーマン三部作の完結編──まあ、三部作で終わるかどうかは保証の限りじゃないけれど、とりあえずサム・ライミ監督、トビー・マグワイア&キルスティン・ダンスト主演で撮影されるのは、おそらくこれが最後なんだろう。
しかしこれはちょっと、脚本として欲張りすぎたせいで失敗している感がある。ニュー・ゴブリン、サンドマン、ヴェノム──あの黒いやつはそういう名前らしい──と、なにも敵キャラをいっぺんに三組も出さなくてもよかったんじゃないだろうか。おかげで派手なアクション・シーンは盛りだくさんだけれど、その半面、物語が薄っぺらな印象になってしまっている。
特にこの完結編での一番の焦点であったはずのピーターと親友ハリー(ジェームズ・フランコ)の関係についての描写が、安直すぎる印象なのが残念。どうせならばサンドマンかノヴェム、どちらかは次の機会にゆずってでも、その分、ピーターとハリーの関係をじっくりと描いて欲しかった。とにかく、アクション映画としての見所は豊富なものの、シリーズを完結するドラマとしての満足度は、いまいち低い作品だった。
それにしても、初めてこのシリーズの一作目で見たときには、いまひとつかわいいと思えなかったキルスティン・ダンストだけれど、ここへきて 『エターナル・サンシャイン』 とこれとを見て、ずいぶんと印象が変わった。この人はシーンによって、大人っぽかったり、子供っぽかったり、純情そうだったり、自堕落そうだったりと、相反するさまざまな表情を見せるところがいい。アリソン・ローマンと並んで、あまり美人だとは思わないにもかかわらず、なぜか気になる女優さんのひとり。
(Oct 26, 2007)
アメリカン・スプレンダー
シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ監督/ポール・ジアマッティ、ホープ・デイヴィス/2003年/アメリカ/BS録画
ひとつ前に観た 『スパイダーマン3』 の主役の名前はピーター・パーカーで、この映画の主役はハービー・ピーカー。どちらもアメコミ原作の映画で、主役の名前も似た感じだけれど、共通点はおそらくそれだけ。内容に関しては、似ても似つかない。制作費なんかは、文字どおり桁違いだろう。でも、圧倒的に低予算のこちらのほうが、出来はよっぽどいいと僕は思う。
ハービー・ピーカーというのは、映画のもととなったアメコミの原作者その人。クリーブランドの病院で資料係を勤めるこの人が、みずからの生活をシニカルな視線でつづってみせた日記風というかエッセイ風の異色アメコミが 『アメリカン・スプレンダー』 で、それを独特の演出で映画化してみせたのがこの作品ということになる。
原作に関して非常におもしろかったのが、ピーカー氏自身はまるで絵が描けないという点。彼はコマ割りとセリフを決めるだけで、絵はすべてほかの人が描いているのだそうだ。原作と作画が別の人というのは日本のマンガでもあるけれど、決定的に違うのは、絵を描く人が、エピソードによって異なるということ。主役の顔が毎回違うマンガなんて、日本にはない。語り口さえ同じならば、絵なんか違っていてもかまわないという慣習は、非常におもしろいと思った。
映画としてのこの作品の一番の特色は、ハービー・ピーカー氏ご本人がナレーションをつとめているのみならず、自らあちらこちらに出演していること。彼の役自体は、 『サイドウェイ』 や 『シンデレラマン』(どちらも僕は未見)でアカデミー賞やゴールデン・グローブの助演男優賞にノミネートされている俳優ポール・ジアマッティが演じているのだけれど、そんな彼の演技に平行して、本物があちこちに顔を出して、「主演の俳優は俺に似てねえなあ」みたいな批評を加えたり、思い出を語ったりしている。
ピーカー氏のみならず、原作に登場する彼の奥さんや職場の仲間なども、あちらこちらに出てくる。そういうノンフィクションな映像が、物語の中で俳優陣の演技と入れ替わり立ち代りで挿入されていたり、また原作のコマ割りや吹き出しの引用が全編にわたってインポーズされたりする。そうしたフィクションともノンフィクションとも実写ともアニメともつかないような、どっちつかずの演出と映像が非常に個性的だった。
また、ハービーさんがアナログ・レコードのコレクターだということで、サントラが往年のジャズやブルースの名曲で統一されているのも特色。そうした古典的な音楽と手書きのアメコミ画像を取り入れた映像があいまって、なんだかとても古めかしい印象の作品に仕上がっている。ほんと、ものの見事に21世紀の作品という印象がないので、その点で好き嫌いが分かれるかもしれないけれど、個人的にはとてもおもしろいと思った。
(Oct 26, 2007)
ダーク・エンジェル
ジェームズ・キャメロン製作総指揮/ジェシカ・アルバ、マイケル・ウェザリー/2000年/アメリカ/DVD
ジェームズ・キャメロンが、2時間や3時間の映画では描ききれない構想があるからといって製作総指揮を買って出たというSFドラマ。
この作品、僕はDVDパッケージの写真に使われている円形の建物を、ずっとUFOだと思い込んでいて、エイリアンが出てくるタイプのSFドラマを期待していたのだけれど、いざ見てみれば、時代設定は経済が破綻した21世紀初頭の近未来で、エイリアンなんてまるで出てこない。SFらしいのは、ジェシカ・アルバが遺伝子操作で生み出されたスーパー・ソルジャーだという設定くらいで、あとは主役の二人の恋愛関係を軸にしたアクション・スリラーといった感じの作品に仕上がっている。これには、ちょっぴり拍子抜けした。
そんな風に勝手な思い込みを裏切られたことと、直前に見た、同じジェシカ・アルバ主演の 『ファンタスティック・フォー』 と比べると映像が地味だったことに対する失望から──いくら力作とはいっても、そこはテレビ・ドラマだけあって、映像のインパクトでは、やはりハリウッドの超大作には及ばない──、夏場に一話目を観たあとは、続きを観る意欲がわかず、3ヶ月近く放置したままだった。でもまあ、わざわざDVDボックスを買ったことだし、そのままもなんだと思い、この頃になって、気乗りしないまま、続きを観始めてみれば、そこは連続ドラマの強み。続けて観ているうちに、設定やキャラクターになじみができて、十分に楽しめるようになる。ということで、二話目以降は、いっきに観終えた。で、いまは続編がすでに気になっている。
(男にとっての?)このドラマの一番の見所は、やはりブレイク前のジェシカ・アルバの
(Oct 26, 2007)