2024年12月の本

Index

  1. 『デューン 砂丘の子供たち』 フランク・ハーバート
  2. 『アガサ・クリスティー完全攻略』 霜月蒼
  3. 『キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを』 カート・ヴォネガット
  4. 『ハイウェイとゴミ溜め』 ジュノ・ディアス
  5. 『書楼弔堂 霜夜』 京極夏彦

デューン 砂丘の子供たち〔新訳版〕

フランク・ハーバート/酒井昭信・訳/ハヤカワ文庫SF/全二巻

デューン 砂丘の子供たち 新訳版 (上) (ハヤカワ文庫SF) デューン 砂丘の子供たち 新訳版 (下) (ハヤカワ文庫SF)

 ポール・アトレイデスが砂漠に姿を消してからおよそ十年。残された彼の子供たち、双子のレトとガニーマを中心に、ポールの妹アリアの統治下にある惑星デューンのその後を描くシリーズ第三弾。
 レトとガニーマは肉体こそ十歳に満たない子供だけれども、先人たちの記憶を受け継いで生まれてきているため、精神面では大人をもしのぐスーパーチルドレン。
 同じように先達の記憶を受け継ぎながら、悪しき某祖先に精神をのっとられて「忌み子」と化してしまったアリアから帝国を救うべく、彼らがいかなる行動をとってみせるかを本作は描いてゆく。
 主な登場人物のうち、前二作で生き残った人たち――ポールの母ジェシカ、スティルガー、ダンカン・アイダホ、ガーニー・シュレックら――もひきつづき登場。前作ではとくに目立った印象のなかったジェシカは、旧皇帝家の跡継ぎとしてサーダカーを率いるファラッディーンと接触する重要な役どころを果たしている。
 あと、ムアッディブその人ではないかということで密かに民衆の崇拝を受けている盲目の〈伝道者〉が要所要所に顔を出し、「ポール生存説の真偽はいかに?」という興味をかきたてるのも読みどころのひとつ。
 物語的には第一作ほどのスケールはないけれど、前作に比べれば派手だ。とくに後半、双子が別れ別れになってからは、第一作に近いタッチで作者の非情な筆致が再現され、重要キャラがあっけなくこの世を去ってゆく。
 このシリーズはSFとはいっても、道具仕立ては巨大なサンドワームや控えめな超能力などで、比較的リアリスティックでオーソドックスな印象だったけれど、今作では終盤にレトが見せる予想外の変身(仮面ライダー+ウルトラマン的)が、ビジュアル的な面も含めて異彩を放っている。
 巻末の解説には後続作品の簡単な説明があるので、今回の新訳シリーズもどうやらこれにて打ち止めらしい。
 超人化したレトのその後はいささか気になるけれど、まぁ一応ここまで読めれば満足かなとも思う。
(Dec. 03, 2024)

アガサ・クリスティー完全攻略〔決定版〕

霜月蒼/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

アガサ・クリスティー完全攻略〔決定版〕 (クリスティー文庫) アガサ・クリスティー完全攻略

 アガサ・クリスティー読破計画の番外編。
 もともとクリスティーを全部読んでみようと思ったのは、この本のもととなったコラムがネットで連載されているのを見つけたのがきっかけだった。
 作者の霜月蒼{しもつきあおい}という人は、主にハードボイルドやノワール系のクライム・ノベルを愛好している書評家らしく、本来クリスティーは門外漢。
 そんな人が巷に浸透する「クリスティーはおもしろい」という世評の真偽を確かめるべく、全作品を読んだ感想を一冊にまとめたのが本書。
 こういう完全ガイド的な本は、対象に対して深い思い入れのある語り手によるものがほとんどだと思うので、「クリスティーって本当におもしろいの?」と疑問に思った人が書いたというのが、この作品の最大の特徴であり、読みどころだ。
 当初はクリスティーという作家に対して懐疑的だった作者が、読み進める過程でいくつもの傑作を発見して、その意見を改めてゆく過程にある種のドキュメンタリー的なおもしろさがある。
 クリスティーを全作品読んだといっても、僕とこの人ではスタンスが違う。僕は時系列に沿って刊行順に読んでいったけれど、霜月さんはポアロ・シリーズから初めて、ミス・マープル、トミーとタペンス、短編集、戯曲、その他の長編……と、シリーズものごとにまとめて読んでゆくスタイル。評論家として作品の分析をするにはこのほうが向いているのかもしれない。まぁ、僕はクリスティーというひとりの作家の生涯を追体験するような自分の読み方が楽しかった。
 作品に対する評価は三分の二くらいは同意、あとは「え、そうなの?」という感じ。霜月氏が絶賛する作品なのに、僕自身の評価がいまいちないものもそれなりにあった。
 でも僕は十三年もかけてだらだら読んできたせいで、すでにディテールを忘れている作品も多くて、この本を読んだら、あらためて読み直してみたくなる作品が多くて困ってしまった。ほんど読書が好きだと死ぬまで退屈知らずだ。
 ちなみにこの本、最初に単行本が出たときに買って、自分がクリスティーを読み進めるのにあわせて一作品ごとにつまみ読みしていたのだけれど、途中で文庫化されてKindle版も出たので、今回はディスカウントで安く入手したKindle版を読んだ。
 まぁ、せっかく買ったので、いずれ単行本でも読もうと思っている。いつの日か積読がなくなったら――って、そんな日がくるのか疑問だけれど。
(Dec. 05, 2024)

キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを

カート・ヴォネガット/浅倉久志・大森望・訳/早川書房

キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを

 カート・ヴォネガットがWNYCという非営利ラジオ局のために自作・自演した架空インタビューの台本(?)に、リー・ストリンガーという作家との公開対談の模様をあわせて収録した、本邦初公開のレアトラック集みたいな本。
 タイトルにあるキヴォーキアン先生とは、安楽死による救済を訴えて、多くの人の命を奪った罪で告訴されたお医者さんとのこと。
 ヴォネガットはこの人の被験者となって数限りない臨死体験を体験したという設定で、あの世の入り口で数多の故人にインタビューしたという体裁を取っている。らしいっちゃらしいけれど、ブラック極まりなし。
 インタビューされているのは、ヴォネガットのエッセイに何度も登場している叔父のアレックスや、愛犬を救おうとして死亡した一般人から、ニュートンやヒトラーらの偉人までさまざま。
 記事は一本あたり二ページ前後の短さだから、おそらく番組のつなぎに流れる、一、二分のミニコーナーって感じだったんでしょう。八本目くらいに一年たったというような記述があるから、一、二月に一本とかのわりあいで二年弱くらいの期間に流されたのかと思ったら、放送されたのは1998年とのことで、いまいち時間経過がわからない。
 いずれにせよ、ラジオのジングル的な企画のために書かれた二十本ほどの小編。ま、ボリュームは少なめだけれど、ブラックユーモアたっぷりのヴォネガット節をあらためて味わえるという意味では、ファンにとっては嬉しい一冊。
 後半の『神さまと握手――書くことについての対話』と題された対談で相手をつとめるリー・ストリンガーという人は、ホームレス体験を題材にした『グランドセントラル駅・冬』という小説がベストセラーになった小説家。社会に対して一家言ある作家どうし、談笑の合間に毒のあるやりとりを繰り広げている。
(Dec. 01, 2024)

ハイウェイとゴミ溜め

ジュノ・ディアス/江口研一・訳/新潮クレスト・ブックス

ハイウェイとゴミ溜め 新潮クレストブックス

 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』のジュノ・ディアスのデビュー作である短編集。
 作者の分身らしきユニオールとその兄ラファを主役にした作品が多いのは、もう一冊の短編集『こうして前は彼女にフラれる』と同じだけれども、あちらが青年期の女性遍歴を扱った話が中心だったのに対して、こちらは少年期が主体という印象。
 まぁ、主人公の名前が記されていない作品もけっこうあったから、一概にユニオールの話ばかりというわけではないのかもしれない。
 顔の無残な傷をマスクで隠した少年を子供たちが無邪気な残酷さで傷つける『イスラエル』(タイトルは国名ではなく少年の名前)からこの短編集は始まり、最後から二番目の『のっぺらぼう』では再びそのイスラエル少年(ではなく青年?)が登場して、今度は主役を務める。
 対構造になったこの二編に挟まれる形で、ドミニカ系移民の人生の様々な断片が語られてゆき、最後はユニオールの父親を描いた『ビジネス』で終わる。もっともボリュームがあって、短編小説としても非常にオーソドックスで正攻法な感触を残すこの最後の作品が僕はいちばん好きだった。
 『ハイウェイとゴミ溜め』というタイトルは、作品(とドミニカ共和国?)から訳者が受けたイメージを意訳してつけたものらしく、原題は『DROWN(溺れて)』だと『訳者あとがき』にはある。
 でも、正直『ハイウェイとゴミ溜め』というタイトルがこの作品にふさわしいかは個人的には疑問だった。少なくても僕はこの短編集を読んでも、ハイウェイを走る疾走感や、ゴミ溜めの悪臭はイメージとして浮かんでこなかったので。
 短編集と同じ『Drown』というタイトルがついた、ある意味本書のタイトル・トラックとも呼ぶべき短編が『ふり回されて』という邦題で訳出されていたりするし、『No Face』という短編を『のっぺらぼう』としたところなどにも言語感覚のずれを感じた。
 まぁ、翻訳全体に関してはとくに不満を感じたところはないのだけれども、なまじ『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』や『こうしてお前は彼女にフラれる』など、ラノベ的というか、記名性の高い、魅力的なタイトルをつける作者の本だけに、原題から乖離した邦題をつけたことに対してには、いささか疑問を感じずにはいられなかった。
(Dec. 15, 2024)

書楼弔堂 霜夜

京極夏彦/集英社

書楼弔堂 霜夜 (書楼弔堂)

 『書楼弔堂』シリーズ四部作、これにて完結となる〆の一冊。
 明治の偉人たちが人生の一冊というべき書物と出逢う――その瞬間を描くのがこのシリーズの醍醐味かと思っていたけれども、今回は違う。
 一話ごとに偉人が出てくるという構造は同じだけれども、今作の偉人たちは主役ではなく、単に物語に彩りを与える存在っぽい。
 第一話に登場する大文豪はすでに常連さんという扱いだし、二話目、三話目もご同様。弔堂を初めて訪れる偉人(朝ドラのモデルとなったあの方)と出逢うには四話目になるまで待たなきゃならない。
 さらに五話目の歴史的人物はわけあって入店できずに帰ってしまうし、最終話はシリーズの締め的な話なので、新登場するキャラがいない。
 ということで、今作では歴史的偉人の存在はアクセント程度にとどめて、もう一つの主題である「本とは何ぞや」――本というものはいかにして民間に普及することになり、その結果として日常的に本を手にできるようになった我らが時代がいかに幸運であるか――を描くことに焦点している印象だった。
 一冊ごとに語り手が変わるのが本シリーズの特徴で、当然本作でもその点は同じ。今回狂言回しを務めるのは、わけあって故郷の信州から上京し、コネで入った会社で活字のデザインを任された甲野という元・木版職人だ。
 この青年が務める会社の代表が第一作『破曉』の語り手だった高遠で、彼からの紹介で甲野くんは弔堂を訪れるようになる。でもって、最後に弔堂によって、思わぬ形で救われることになる。
 前作で弥蔵老人が商っていた甘酒屋は、酒屋の次男坊の鶴田に引き継がれていて、弥蔵も途中で再登場する。――となれば、もちろん『炎昼』の彼女にも出番がある。
 つまり、第一作を読み終えたときの「で、この高遠彬って誰?」とか、二作目での「この女性のその後は?」とかいう疑問が、ここでようやく解消されたわけだ。
 すべてはこの最終巻で再登場させるための伏線だったのかっ!
 ――いや、京極夏彦のことだから、もしかしたらまた別の作品でこの人たちに再会することになるのかもしれないけれども。――そもそも弥蔵翁は『ヒトごろし』に出ているって噂だし(まじか!)。
 いずれにせよ、第一作を読んだのはもう十年前のこと。高遠彰も天馬塔子もどういう人だったか、すっかり忘れてしまっているので、あらためて『破曉』から読み返さなきゃ駄目だなぁと思わされました。
 いずれこの作品が文庫化されるタイミングで全四作を一気読みしよう。
(Dec. 21, 2024)