2024年9月の本
Index
- 『狐花 葉不見冥府路行』 京極夏彦
- 『クリスティー自伝』 アガサ・クリスティー
狐花 葉不見冥府路行
京極夏彦/KADOKAWA
デビュー三十周年ということで、このところ精力的に新作を発表しまくっている京極夏彦の最新作は、松本幸四郎からの依頼で書き下ろした新作歌舞伎の原作。
内容は『了巷説百物語』にも登場した京極堂のご祖先様、中禪寺洲齋を探偵役に迎えた時代劇ミステリ。印象的には完結したばかりの『巷説百物語』のスピンオフといっていい作品だと思う。
総ページ数が三百ページに満たない、京極夏彦の長編小説としては過去最短の作品だけれど、さすが京極先生、それでもなかなか読みごたえがある。
京極堂のプロトタイプのような黒ずくめの陰陽師が、狐の面をつけた謎の人物と対峙する序章からして紛うことなき京極印だし、タイトルの『狐花』をはじめ、各章のタイトルを『死人花』、『墓花』など、彼岸花の異名のみで埋め尽くした着想、知識量、構成力など、あいもかわらぬそのスタイリッシュさに脱帽せずにいられない。
まぁ、物語としては最重要人物である狐面の人の正体がじつは……というあたりには強引すぎる嫌いがあるけれど、残念なのはそれくらい。中善寺家の出自にまつわる秘密も明かされるし、百鬼夜行サーガの出発点ともいうべきファン必読の一遍。
それにしても、タイトルの『狐花』が「きつねばな」なのはともかく、『葉不見冥府路行』を「はもみずにあのよのみちゆき」と読むのは無理筋すぎる。まったく覚えられない。
(Sep. 02, 2024)
クリスティー自伝
アガサ・クリスティー/乾信一郎・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle
この作品は文庫本・上下巻で合計一千ページ超えと、クリスティーの著作のうちでもっとも長い。しかも内容はそのタイトル通り、ミステリではなく自伝。
執筆を始めたのは1950年、クリスティーが六十歳のときで、書き終えたのが1975年、七十五歳とのこと。つまり十五年の長きにわたって、こつこつと書き溜めてきた思い出のエピソードの積み重ねが本書ということになるわけだ。
そんな作品をKindleで夜寝る前にちょっとずつ読んでいるとどうなるか?
――まったく読み終わらない……。
毎日数ページ読んでは寝落ち、数ページ読んでは寝落ちを繰り返していたら、上巻だけで丸一ヵ月、下巻にいたっては一ヵ月半かかってようやく三分の一というていたらくになってしまった。このままでは三ヵ月を超えそうだったので、最後は休日に一気に読み切った。つまりそれでも合計二ヵ月半もかかっている。
クリスティーのエッセイというと、以前に読んだ紀行文『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』にも苦戦したから、この自伝も時間がかかりそうだとは思っていたけれど、まさかここまでとは……。
でもね。この本は正直きびしい。要するによく知らないお婆さんの思い出話を延々と聞かされているようなもんなので。眠くなるのも致し方ないところがある。
なんたって、クリスティーのデビュー作である『スタイルズ荘の怪事件』が出版されるのが、上巻の終わり近くになってからだ。そこまでは幼少期の親族の記憶や、音楽学校時代の話、結婚、出産など、個人的な思い出ばなしに終始する。
デビューしてからも作品に関する言及は控えめで、最初の旦那との世界旅行や離婚、二度目の旦那さん(考古学者)との出会いのきっかけになった中東旅行や、その後の発掘旅行など、作家としての創作活動とは関係のない話が目白押し。終盤は舞台関係の話が多くて、どちらかというと小説家というより脚本家みたいだ。
まぁ、生まれ育ったお屋敷の思い出がそのまま『運命の裏木戸』や『スリーピング・マーダー』の背景になっていたり、離婚後にオリエント急行で出かけた中東への一人旅がその後の名作を生み出すきっかけになっただろうこととか、興味深い話がなかったわけではないけれど、全体で見るとそういう創作の原点を感じさせるエピソードはわずか。
なので正直、この本を読んでも、通算百作に及ぶ作品を刊行して「ミステリーの女王」と呼ばれた世紀の大ミステリ作家としてのアガサ・クリスティーのイメージは浮かんでこない。
僕は基本作品至上主義的なスタンスで、作品は愛せど、それを生み出した作家のプライベートなどにはあまり興味がないほうだし、ここまでクリスティーの全作品を読んできたとはいえ、ではクリスティーが大好きかというと、正直そこまででもない。傑作もあるけれど、やっつけ仕事じゃん?――って思ってしまうような作品もままあり、トータルでは「平均よりは好き寄り」くらいの感じ。少なくてもファンは名乗れない。
そういう男にとっては、この本はいささか厳しかった。
だって、親戚のおばさんの昔話とか、何十時間もぶっつづけで聞きたいですか?
おばさんのことは好きだけれど、でも話長いよなぁ……って思ってしまうような。
この本にはそういうのに近い感触がある。
クリスティーを愛してやまない読者にとっては宝の山のような本なのかもしれないけれど、そうでない人にとってはどこまで辛抱づよいかを試されるような作品。
(Sep. 21, 2024)