2024年7月の本

Index

  1. 『スリーピング・マーダー』 アガサ・クリスティー
  2. 『嗤う伊右衛門』 京極夏彦
  3. 『覗き小平次』 京極夏彦

スリーピング・マーダー

アガサ・クリスティー/綾川梓・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

スリーピング・マーダー ミス・マープル (クリスティー文庫)

 いよいよクリスティーの長編もこれでおしまい。
 アガサ・クリスティーが自らの死後に発表するよう託した二本のうちの一本にして、ミス・マープル・シリーズの最終作。
 ただまあ、これをクリスティーが遺作として残そうと思った理由がいまいちピンとこない。『カーテン』はまごうことなきポアロ・シリーズの最終作だったけれども、こちらは時系列的に最後って感じでもないし。
 実質的には前作の『復讐の女神』がミス・マープルものの最終作で、これはマープルさんの過去の事件を振り返って最後にお届けします、みたいな作品のような気がする。
 内容的にも傑作だった『カーテン』と並べると見劣りする感が否めない。『カーテン』と違ってどういう話かまったく記憶に残っていないのはなぜだろうと思っていたけれど、まぁこの内容ならば忘れるのも致し方なしかなぁと。
 物語の主役はグエンダとジャイルズという一組の新婚カップル。
 ニュージーランド人の新妻グエンダが、夫の母国であるイングランドでこれぞと思った屋敷を買い求めて新生活を始めたところ、その家には彼女の記憶を揺さぶるなにかがあった。イングランドを訪れたのは初めてなはずなのに、かつてその屋敷を知っていたかのような記憶が次々とよみがえる。やがて殺人を目撃した記憶までが……。
 というような話で、ふたりがマープルさんの甥のレイモンドの友人だったことから、彼女たちはミス・マープルと知りあい、女史の助力を得てグエンダの過去の記憶を掘り起こし、彼女が幼いころに見たという殺人事件の真相究明に乗り出してゆく。
 若きカップルが事件の謎を追うという展開は『秘密機関』やトミーとタペンス・シリーズに通じるクリスティーの十八番といえる設定だし、グエンダの記憶にまつわる冒頭部分にはオカルトっぽい感触があって、それがまたクリスティーらしい。
 そして扱うのは晩年のクリスティーにとって主要なテーマだった過去の殺人。
 四十年代に書かれたという話なのに、その時点で晩年に通じるテーマの作品を残しているのはちょっとすごい。犯人の正体にはかつての名作に通じるものがあるし、そういう意味でもこれはまさにクリスティーならではの作品ではと思う。
 『カーテン』がある意味イレギュラーな作品だったので、最後はいかにも自分らしい作品でもって幕を閉じたいという思いがあったのかもしれない。
 ということで、これにてクリスティー読了計画は本編終了~。まだ自伝やお宝発見的な短編集が残っているけれど、クリスティーが自らの意思で刊行した作品はこれが最後だから、ここから先はアンコール的な位置づけということで。
 いやぁ、それにしても、まさかこの作品を読むまでに干支がひとまわりするほど時間がかかるとは思わなかった。
(Jul. 16, 2024)

嗤う伊右衛門

京極夏彦/角川文庫

嗤う伊右衛門 (角川文庫 き 26-1)

 『了巷説百物語』を読み始めたら、一話目がいきなり『数えずの井戸』の後日談だったので、こりゃいかんと思って、急遽こちらの長編三部作も読んでおくことにした。
 ということで、有名な怪談を京極ワールドに再構築してみせた江戸怪談シリーズ第一『わらう伊右衛門』。読むのはこれが二十二年ぶり、三回目。
 お題は四谷怪談で、ヒロインは病気のため顔面に醜い疱瘡のあとが残るお岩さん。彼女の父親・田宮又左衛門から娘の縁結びを頼まれた又市が、知りあいの浪人・伊右衛門を斡旋したことから悲劇の幕があく。
 各章には登場人物の名前がつけられていて、それぞれの章でそのキャラの人となりや事件への関わりあいが描かれてゆく。でもって、物語の進行に従って、既出の人物名がべつの肩書や苗字を冠されて再登場する。
 その第二章のタイトルが『小股潜りの又市』であり、最後から二番目の章が『御行の又市』だった。
 そう、これこそが小股潜りの又市が初登場する巷説百物語シリーズの原点――ヒロアカ風にいえば「オリジン」――なのだった。そんなこと、すっかり忘れていた。
 まぁ、とはいえこの作品の時点では、いまだ巷説百物語のシリーズが始動していないこともあって、本作の又市は怪談話の仕掛け人というよりは、自分が絡んで起きた悲劇に翻弄されるただの関係者っぽい。
 もしかしたら後日、裏で手をまわして民谷家で起こった事件を怪談に仕立てたりしたのかもしれないけれども、この作品中にはとくにそれらしい説明はない。
 ということで、又市こそ出てくるけれど、巷説百物語シリーズとの結びつきはそれほど深くなかった。
 それでも又市の過去にまつわるエピソードが描かれているし、『了巷説百物語』にもわずかばかりだけれど、この事件に関する言及があるので、いちおう読みなおしておいてよかったとは思う。
 四谷怪談を京極夏彦が独自の解釈により再構成したら、いびつな愛と殺戮の物語になりましたと。――そんな作品。
(Jul. 20, 2024)

覗き小平次

京極夏彦/角川文庫

覘き小平次 (角川文庫 き 26-12 怪BOOKS)

 京極夏彦の江戸怪談シリーズ第二弾。題材は山東京伝の『復讐奇談安積沼』。
 この三部作はどれもギスギスした人間関係が最後に凄惨な結末を迎えるものばかりで、心安らぐところがほとんどないので、おもしろいとは思うものの、なかなか大好きとまではいえない。
 そんな中、あえてどの作品が好きかと問われれば、僕はこれと答える。
 まぁ、序盤はちょっとつらい。小平次は押入れの中にこもったまま、内縁の妻のお塚に一方的にののしられてばかりだし、多九郎、玉川歌仙、動木運平らの脇役も誰ひとり共感を呼ばない。そんな人たちが繰り広げる愛憎劇(?)が楽しいわけがない。
 でも後半。登場人物全員の運命を左右する事件がまき起こり、その結果として小平次の幽霊話が持ち上がったところから、物語が急激に展開する。でもって、意外性あふれる事件の真相があきらかになり、血みどろのクライマックスに帰結する。
 この作品の場合、事件の中心にいる小平次が幽霊の役しかとりえのない大根役者だというのがポイントだ。
 『嗤う伊右衛門』の伊右衛門と『数えずの井戸』の青山播磨はどちらもが侍だったから、クライマックスで彼らの白刃が事件の幕をひく展開には必然性があった。
 でもこの作品は違う。能なしの小平次には事件の幕引きなど、{はな}から期待できない。そして悪役には凶悪な侍がいるのに、その侍に太刀打ちできそうなキャラクターはひとりもいない。
 さてこれでどう決着させるのか?――という疑問に、京極夏彦はとりあえず納得のゆく形で答えてみせた。
 『嗤う伊右衛門』では民と伊右衛門の最期があいまいだったし、『数えずの井戸』でも菊と綺羅の最期がきちんと描かれていなかったため、すっきりしない読後感が残ってしまったのに対して、少なくてもこの作品のカタストロフには疑問の余地がない。その点がほかより読後感がよい理由のひとつだと思う。
 なおかつ、主人公一家のお家断絶で終わる他の二作品と違って、この作品では最後に生き残って、その後も生活を営む人たちがいる。決して救われた話ではないのに、それだけでもなんとなく救われた気分になる。
 基本殺伐とした話なのに、小平次の幽霊話にはどことなくとぼけた味があるのもよい。悲劇の中に混じった、ほんのわずかなユーモアの感触。それが僕にとってのこの作品の最大の魅力だった。
 巷説百物語シリーズとしては、幽霊話の仕掛け人(?)が事触れの治平であり、なおかつ治平と又市との出会いが語られている点で、意外と重要な作品ではと思います。
 次の『数えずの井戸』については昔書いた文章が残っているので、巷説百物語の再読シリーズもこれにておしまい。次はいよいよ『了巷説百物語』だっ!
(Jul. 21, 2024)