2024年6月の本

Index

  1. 『哀れなるものたち』 アラスター・グレイ
  2. 『カーテン』 アガサ・クリスティー
  3. 『続巷説百物語』 京極夏彦
  4. 『薬屋のひとりごと8』 日向夏
  5. 『薬屋のひとりごと9』 日向夏
  6. 『後巷説百物語』 京極夏彦

哀れなるものたち

アラスター・グレイ/高橋和久・訳/ハヤカワepi文庫

哀れなるものたち (ハヤカワepi文庫 ク 7-1 epi111)

 エマ・ストーン主演でアカデミー賞・四部門に輝いた同名映画の原作。
 これも映画を観る前にということで読んだ作品。最近は読んでいる本の大半が映像絡みだ。まぁ、それだけ観たい映画が多いということでもある(最近はほとんど観れてないけど)。
 いやしかし、エマ・ストーン主演ということで油断していた。こんなにセクシャルな内容だとは思ってもみなかった。ベッドシーンはひとつもないけれど、主人公の女性のイノセントな性的奔放さが物語全体を引っぱってゆく。
 作者のアラスター・グレイはイギリスの小説家で、じつは僕はこの人の処女長編『ラナーク』もずいぶん前に買って所持しているのだけれど、なぜかエンタメ系の作品だと勘違いしていて、いままで読まずに放置してしまっていた。
 今回この作品を読んでみて、そのツイストの効いた文学センスに脱帽。『ラナーク』をさっさと読んでおかなかったことを後悔した(読もうにもいまとなると積読に埋もれてどこにあるんだか……)。
 この作品に関しては説明が難しい。
 内容的には、ある種の書簡小説の形を取っていることからも、『フランケンシュタイン』を意識しているのだと思うのだけれど、単純に人造人間をテーマにしたファンタジー小説かというと、それもまた違う――というかまったく違うように思う。設定はともかく、物語的にはファンタジー色はゼロ。
 とにかく、なんの先入観もなしに「この小説ってなに?」と首をかしげながら読むのが正しいのではと個人的には思います。意外性たっぷりのおもしろい小説だった。
 最後についたボリューム満点の原注は読み飛ばしがちだけれど、その部分がなにげに作品に影響を及ぼしているところもすごい。
(Jun. 05, 2024)

カーテン

アガサ・クリスティー/田口俊樹・訳/クリスティー文庫/早川書店/Kindle

カーテン (クリスティー文庫)

 ついにクリスティーの長編も残り二作となった。
 クリスティーが自らの死後に発表するよう金庫に保管していたという遺作の一本目は、ポアロ・シリーズの最終作にして最高傑作のひとつ。
 この作品はあまりにインパクトがすごくて、犯人や犯罪の内容こそ忘れようがなかったけれど、ディテールは見事に忘れていたので、舞台がスタイルズ荘だと知って驚いた。
 記念すべき自身のデビュー作の舞台に、遺作で再びポアロを立たせるとは、なんという気の効いた趣向!
 いやもとい。この作品のポアロは立たない。すでに足腰が弱って車椅子生活を余儀なくされているという設定だから。
 そんな衰え著しいポアロから招待を受けて、盟友ヘイスティングがスタイルズ荘にやってくる。
 いま現在はゲストハウスとして宿泊業を営んでいるスタイルズ荘には、ポアロのほかにヘイスティングの娘のジュディスも滞在中だという。
 その宿で愛する友との再会を果たしたヘイスティングは、到着するなり、ポアロから予想外の依頼を受ける。
「私はここに殺人犯を捕まえにきたのです」
「きみと私で、ヘイスティング、また犯人狩りに出るのです!」
 ――といいつつ、ポアロは車椅子で介護を受けている身なので、動きまわれない。捜査はいっさいヘイスティングに託される。
 その屋敷には現在、いくつもの殺人事件に関与した犯人が、次の犠牲者を狙って潜伏中だという。
 さて、その犯人とは――。
 結末は必ずや最高と絶賛するたぐいのものではないかもしれないけれど、ミステリとしてのインパクトは史上最強レベル。クリスティー史上に残る喪失感たっぷりの傑作をご堪能あれ。
(Jun. 07, 2024)

続巷説百物語

京極夏彦/角川書店

続 巷説百物語 (怪BOOKS)

 巷説百物語シリーズの第二弾であるこの作品。
 タイトルの頭についた「続」をあたりまえのように二作目だからだと思っていたけれど、もしかしたら単純にそれだけの意味ではないのでは?――と今回再読して思った。
 それというのも、第一作と違って、今回は個々の短編がそれぞれにかかわりあって、連作長編的な性格を持っているから。
 一話目の『野鉄砲』で事触れの治平の過去が明かされ、次の『狐者異{こわい}』では山猫廻しのおぎんの過去があきらかになる。でもって今作のキーマンである稲荷坂の祇右衛門と御燈{みあかし}の小右衛門の名前が出てくる。
 つづく『飛縁魔{ひのえんま}』には本作の最重要キーワードである妖怪「七人みさき」の名前が登場する。また、このエピソードでなんの咎も受けずに行方をくらました悪女がふたたび姿を表すのは、一話飛ばした五話目になる。
 内容的にもボリューム的にも本作のクライマックスというべきその五話目の『死神 或いは七人みさき』には、四話目の『船幽霊』(土佐藩主まで担ぎだす大仕事)に登場した東雲右近{しののめうこん}に加え、前作の『塩の長司』の徳次郎、『帷子辻』の玉泉坊も顔を出して、さしずめオールスターキャストの様相を呈している。
 そして最後の『老人火』はエピローグ的な位置づけの『死神』の後日譚だ(でも老人ふたりがなぜあんな行動を取ったのか、僕にはさっぱりわからない)。
 前作や次回作の『後巷説百物語』の収録作品にはそこまで密なつながりはなかった。
 ということで、タイトルの「続」には、続編であるというのは当然として、今回はそんな風な「続きものだぞ」という意味が込められているのでは?――といまさらながら思った次第。え、気づくのが遅い?
 まぁ、なんにしろ、そんなわけで短編集でありながら長編的な読みごたえもあるこの作品、シリーズ屈指の一冊ではと思います。
(Jun. 02, 2024)

薬屋のひとりごと8

日向夏/ヒーロー文庫/主婦の友社/Kindle

薬屋のひとりごと 8 (ヒーロー文庫)

 変人軍師・羅漢が碁の本を出したことをきっかけに、碁の大会が開催されることになり、猫猫(マオマオ)のことで羅漢との関係を改善したいと思ったらしき壬氏(ジンシ)がその大会に飛び入りして、羅漢と碁盤をはさんで対戦することになる薬屋さんの第八巻。
 恒例の序話がとある女性の独白で(まぁ、誰だかはだいたい予想がつく)、いささかシリアスな雰囲気だったので、どんな展開が待ち構えているのかと思ったら、これといってとくに深刻な事件は起こらず。全体的にのんびりとした印象の一冊だった。
 ――まぁ、少なくても最終章を読むまでは。
 あえていえば、高順(ガオジュン)の長男と長女、馬良と麻美(マーメイ)が壬氏のもとで働き始めるというのがシリーズとしての注目ポイントだろう。前回を踏まえて猫猫と壬氏の関係がどう変わるのかが気になるところだったけれど、ほとんど変わらなかったのに拍子抜けした。
 とにかく全体的に穏やかな内容の箸休め的な一冊かなと思っていたら、最後の最後に壬氏がみずからの立場をはっきりさせたいあまり暴挙に出て、おいちょっと待てな展開に――。
 ついつづけて次の巻も読んでしまった。
(Jun. 15, 2024)

薬屋のひとりごと9

日向夏/ヒーロー文庫/主婦の友社/Kindle

薬屋のひとりごと 9 (ヒーロー文庫)

 ということで、つづけて『薬屋のひとりごと』の第九集。
 気になった前巻のつづきが序話でいきなり描かれているのはなによりだけれど、それでどうなるかと思いきや、結局どうにもならない。主役ふたりの煮え切らない関係はいい加減どうにかしていただきたい。
 まぁ、最終話で猫猫(マオマオ)が初めて自分から壬氏(ジンシ)に対する愛情表現を示して一歩前進というところではあるけれど。でも中学生じゃないんだからねぇ。
 このシリーズの恋愛描写の少女マンガ的なまどろっこしさは、いい年をした僕にはじれったくてしょうがない。やっぱラノベは若い人のためのものなのか……。
 まぁ、そんなわけで前回怪我をした壬氏サマのお世話係となることを余儀なくされた猫猫が、外科の治療技術を身につけるべく、医官の見習いとして解剖の研修を受けるというのが今作の前半部分の主要な話。なのでやや血生臭い。
 後半はふたたび猫猫が壬氏とともに西都へと遠征することとなり、その船旅の道中が描かれる。壬氏のスタッフとして高順(ガオジュン)息子・馬良の嫁である雀(チュエ)が初登場。さらには高順の妻・桃美(タオメイ)、ひさしぶりに登場したやぶ医者、李白らが旅の道連れとなる(猫猫としては不本意なことに変人軍師も)。
 初登場にして表紙を飾るなど、コミカルな言動で存在感はんぱない雀だけれど、いささかキャラがマンガ的すぎて、活字で読むには違和感があった。こういう小説らしからぬ表現があるからこそラノベなのかもしれないけれど、でもなぁ……。
 まぁ、なんにしろ高順一家のオールスターキャスト感がすごいです。いつの間にかシリーズ最大派閥と化している。
(Jun. 09, 2024)

後巷説百物語のちのこうせつひゃくものがたり

京極夏彦/角川書店

後巷説百物語 (怪BOOKS)

 巷説百物語シリーズの第三弾。
 このあとの三作品については過去の文章が残っているので、今回の再読で感想を書くのは「これで終いの金毘羅さんや~」(『西巷説物語』の靄船の林蔵の決め台詞)。
 この文章を書いている時点ですでに旧作はすべて読み終わっている。今回全作品をつづけて読んでみて感心したのは、一作ごとにすべて小説としてのスタイルが違うこと。
 『巷説物語』は「越後の国に枝折峠という難所がある」という事件のあった土地の紹介から始まり、全短編でこのスタイルが踏襲されている。
 『続巷説物語』は「山岡百介が武蔵国多摩郡八王子千人町に呼ばれたのは……」と百介の関与を明示するところから始まる。こちらも全短編が同じ形。
 『後巷説百物語』は「昔。小さな島が御座いました。」という昔語りからスタート。
 『前巷説百物語』の最初の一文は「何だいちょぼ暮れてるねぇ又市――」という又市への語りかけ。若き日の又市が主人公だけあって、どの短編も導入部(というか大部分)は又市目線で描かれる。
 『西巷説百物語』は「月ぃ眺めとったらあきまへんでと帳屋の林蔵は言った。」という一文から始まるけれど、以降のエピソードの始まり方に文体的な統一感はない。どの短編も三章までは事件の当事者の視点で物語が描かれるのがこの作品の特徴。
 『遠巷説百物語』は「昔、あったずもな。」という遠野訛りの民話から始まる。仕掛け人が長耳の仲蔵ってのは地味の極みだけれど、今回再読して、もしかしたらこの作品がいちばん好きかもって思った。
 以上六作品。どれも違った個性があって、一筋縄ではいかない味わいがあった。
 この『後巷説百物語』に関しては、明治時代を舞台に、齢八十を超えた百介が若者四人を相手に、又市たちとの思い出を語るというモダンな内容が、妖怪話の怪しさを薄めてしまっている気がして、いまいち好きになり切れなかったのだけれど、今回こうやってその後の作品も加えて一気通読してみたら、これはこれで悪くないどころか、シリーズの世界観を広げる意味で、けっこう重要な一作なのではと思うにいたった。
 なんたって、百介サンは『前』や『西』にも出ていて(ぜんぜん覚えていなかった)、登場回数だけでいえば、又市につぐ最重要キャラだ。そんな彼が主役をつとめるこの作品を悪く思えるはずがあろうかって話で。
 江戸時代に又市らが仕掛けた百物語の締めを、明治の代に百介が演出してみせるというこの作品の結末には――その後にシリーズが倍増した今となるとなおさら――なんともいえない趣があった。
(Jun. 29, 2024)