2024年5月の本

Index

  1. 『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』 デイヴィッド・グラン
  2. 『三体』 劉慈欣
  3. 『巷説百物語』 京極夏彦
  4. 『ハバナの男たち』 スティーヴン・ハンター

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン

デイヴィッド・グラン/倉田真木/ハヤカワ文庫

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン: オセージ族連続怪死事件とFBIの誕生 (ハヤカワ文庫NF)

 マーティン・スコセッシ監督最新作の原作となったノンフィクション。
 サブタイトルは『オセージ族連続怪死事件とFBIの誕生』。その名の通り、居留地で石油が掘り当てられたことで大富豪となったネイティヴ・アメリカンの一部族を襲う謎の連続殺人事件と、そのころ創立されて事件の捜査にあたったFBIの初期の活動を描いてゆく。
 映画ではレオナルド・ディカプリオが主演ということで、財産めあてにネイティヴ・アメリカンに寄生する白人たちを中心に物語が展開されていたけれど、こちらはノンフィクションなので、よりはっきりとネイティヴ・アメリカンにフォーカスしている。
 第一部でオセージ族の歴史と殺人事件についてが説明され、第二部ではその事件解決のために尽力したFBIの捜査内容についてが描かれる。
 映画とリンクしているのはそこまで。そのあとに「この事件には、さらにもうひとつの裏があったのだ」といって、映画では描かれなかった「もっとおぞましい陰謀が」あったことを語る第三部が存在する。
 まぁ、その部分に関しては、前振りが大仰な分、やや風呂敷を広げすぎな印象を受けてしまったけれど、でもそれがおぞましいものであることはたしか。
 欧州から移民してきた白人たちの差別主義が生んだ、未開の原住民たちへの野蛮で卑劣で暴力的なふるまいには、なんともやりきれないものがある。
 フィクションとしてのバイアスがかかっていない分、この本のほうが映画の何倍も痛烈に事件の卑劣さを伝えてくる。
 肌の色や文化の違いでなぜ人がそこまで残酷になれるのか、不思議でしょうがない。
(May. 04, 2024)

三体

劉慈欣/大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳/早川書房

三体

 ネトフリでドラマ化された中国発のSF三部作の第一弾。
 あまりに評判がいいので気になって、もうこれは読むしかあるまいと、文庫化されたタイミングであえて単行本で全巻一気に買いそろえたのだけれど(一冊あたりの差額が千円もしないので、単行本のほうが得だと思った)、でもこれは勇み足だったかも。
 僕はこの作品、これ一冊でやめても多分後悔しない。
 物語の始まりは文化大革命(文革)。物語の中心人物である葉文潔(イエ・ウェンジェ)の父で物理学者の葉哲泰(イエ・ジョータイ)は、その思想が反体制的であるという理由で理不尽な処刑を受け、天文物理学者である彼女自身もその知識を見込まれ、世間から隔離された秘密基地での奉仕を余儀なくされる。
 それから四十年後。ナノマテリアル技術のスペシャリスト・汪淼(ワン・ミャオ)は『三体』という謎のVRゲームを通じて、三つの太陽に翻弄されて絶滅と復興をくりかえす未知の世界に触れることになる。
 読み始めてまず戸惑うのが『沈黙の春』と題された五十ページ足らずの第一部が六十年代を舞台にした政治的な内容で、まったくSF色がないこと。さらには第二部と本書自体のタイトルにもなっている『三体』が、まずはゲームの名前として立ち現れること。
 え、なにこの小説? 予想外にもほどがある。
 その後の紆余曲折をへて、最終的にはそれらの謎が未知の宇宙人とのコンタクトへと収斂してゆく。唐突に登場した美少女キャラがあっという間に退場したりと、細部にも意外性がたっぷり。ここまで先が読めない小説も珍しいかもしれない。
 そういう意味では、SFとしての醍醐味は十分に味わえた。人気があるのも納得。
 困ったのは中国の作品ということで、やたらと人名が読みにくいこと。
 「葉文潔」を「イエ・ウェンジェ」と読むか、それとも音読みで「ようぶんけつ」と読むか、どっちにすべきか悩ましかった。
 女性だから「イエ・ウェンジェ」のほうが柔らかい感じでふさわしいとは思うのだけれど、字面はその読みとはすんなり結びつかない。「汪淼」(おうびょう)にいたっては、漢字が読めないから音読みさえできない(ちなみに作者「劉慈欣」の読みは「りゅうじきん」または「リウ・ツーシン」)。
 そんな風に人名につまづきまくりで、いまいち物語に集中しきれないでいるうちに終わってしまった。続編ではもうちょっと慣れるといいんだけれど。
(May. 12, 2024)

巷説百物語

京極夏彦/角川書店

巷説百物語 (怪BOOKS)

 『巷説百物語』シリーズの完結編が六月に出るというので、せっかくだからその前に旧作をすべて読み返すことにした。
 本当は改訂が入った文庫版で読もうと思っていたんだけれど、二作目以降を長いこと買わずに放置していたら、いつのまにか表紙が変わってしまい、前よりオドロオドロシさが増したその新しい表紙がいまいち趣味じゃなかったもので、結局単行本で読み返すことにした。
 まぁ、古い表紙の文庫版とか、フリマや古本屋をめぐって歩けばいくらでも手に入りそうな気もするけれど、現時点では時間や金に余裕があるでもないし、無理して買うのはやめにした。
 というわけで単行本で再読した『巷説百物語』のシリーズ第一作。
 小股潜りの又市、山猫廻しのおぎん、事触れの治平からなる百物語捏造チームに、たまたま知りあった戯作者志望の山岡百介が加わり、悪人たちに苦しめられる人たちの依頼を受けて、怪談仕立ての意趣晴らしをするという連作短編集。
 一話目の『小豆洗い』で百介が又市らと出会い、四話目の『芝右衛門狸』では又市に意外な大物とのコネがあることが仄めかされ、最終話の『帷子辻{かたびらつじ}』では、おぎんらのレギュラー不在で、又市は『西巷説百物語』の主役である靄船の林蔵から上方に呼び出されて、仕事を押しつけられる。
 再読して驚いたのは、どの事件もやたらと胸糞わるいこと。
 最初の三話ではみんな女性が暴行されているし、その後も幼女斬殺に、赤子連続殺人、腐乱死体放棄と、全編にわたって猟奇事件だらけ。江戸の闇が深い。
 僕はかつて『姑獲鳥の夏』を薦めた知人から、少女への性犯罪が描かれていることについてネガティヴなリアクションを受けて驚いたことがある。
 ふだんはその小説の技巧の妙に魅せられて見過ごしているけれど、なるほど京極夏彦の世界には(表現の自由が認められた現代だけあって)乱歩以上のエログロが内包されているのかと、あらためて思い知った。
 まぁ、非道がまかり通る世界だからこそ、小股潜りの出番となるわけだけれども。
(May. 23, 2024)

ハバナの男たち

スティーヴン・ハンター/公手成幸・訳/扶桑社BOOKSミステリー/Kindle

ハバナの男たち(上) (扶桑社BOOKSミステリー) ハバナの男たち(下) (扶桑社BOOKSミステリー)

 長いことごぶさたしていたスティーヴン・ハンターを八年ぶりに読んだ。
 なぜひさしぶりに読もうと思ったかというと、単にKindleの電子書籍をまとめ買いするとポイントをたくさんくれるキャンペーンをやっていたから。適当にめぼしい本を探していて、あぁ、そういや長いこと読んでないなぁと思ったんだった。
 そんなわけで、いざアール・スワガー三部作の最終作――と思ったら、なんと去年、アールが主役の二十年ぶりの新作『銃弾の庭』が刊行されていた。そんなことある?
 まぁ、このシリーズの場合、三部作とはいっても主人公がアール・スワガーだというだけで、個々の物語としてのつながりは疎だから、作者の気が向けば、新作が書かれてもなんの不思議もないのかなと思ったり。
 さて、ということで、アール・スワガーが主人公の通算三作目。
 今作でのアールのターゲットはなんと、キューバで頭角を表しつつある若き日のフィデル・カストロ。
 『悪徳の都』に登場したフレンチー・ショートがCIA職員として成り上がり、アメリカに害をなす可能性のあるカストロ青年を排除するため、腕利きのガンマンであるアールを担ぎだすという展開で、第一作の伏線を回収して物語が始まる。
 アールはこの仕事の成功報酬として、今後の裕福な暮らしを保証されるけれど、僕らはその後のアールがしがない人生を送ることを知っているし、そもそもカストロが殺されるはずがないこともわかっている。
 要するにアールが今回の仕事をしくじることは最初から既定路線。なにゆえ彼が失敗するのかというのが物語の肝となる。
 そんな風にあらかじめ失敗が運命づけられているせいか、今回のアールはあまりヒーロー然としていなくて、序盤から多勢に無勢でぼこぼこにされたり、敵方に助けられたりと、いささか頼りない。
 どちらかというと、敵であるアールを気にかけて、二度までもその命を救うソ連の秘密諜報員スペスネフのほうがよほどヒーローっぽかった。
 敵対するはずのアールとスペスネフ、この歴戦の勇者ふたりのあいだで育まれる奇妙な信頼関係が本書のいちばんの読みどころだと思う。
(May. 19, 2024)