2021年2月の本

Index

  1. 『蒼ざめた馬』 アガサ・クリスティー
  2. 『明治バベルの塔(山田風太郎明治小説全集十二)』 山田風太郎
  3. 『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』 荒木飛呂彦
  4. 『下町ロケット ガウディ計画』 池井戸潤
  5. 『下町ロケット ゴースト』 池井戸潤
  6. 『下町ロケット ヤタガラス』 池井戸潤

蒼ざめた馬

アガサ・クリスティー/高橋恭美子・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

蒼ざめた馬 (クリスティー文庫)

 気がつけばクリスティーの作品も残すところ二十冊強。がんばって月二冊ずつ読めば、年内ですべて読み終わる計算になる――のだけれども。
 それはあくまで計算上の話。テレワークのため通勤時間が無くなったので、基本的に読むのは夜限定、布団のなかだけになった電子書籍は、すっかり夜が弱くなったこともあり、開いてすぐに寝落ち、というパターンがつづいている。おかげで元日に読み始めたこの本も、読み終わったのは一月の最終週……。この調子では年内にクリスティーを読破するのはとうてい無理そうだ。
 まぁ、とはいえクリスティーを読み始めてそろそろ丸八年にもなる。いまさらあわてて読む必要もないので、ゆっくりと楽しもうと思う。
 ということで、2021年最初のクリスティー作品は、呪いによる殺人というオカルトめいた題材を扱ったノンシリーズのミステリ。
 かつては『蒼ざめた馬』という名前の旅館だった屋敷で、いまは怪しげな中年女性三姉妹が降霊会を開いていて、裏で高額の依頼料をとって人々を呪い殺しているという噂を聞いた主人公の青年が、その真相をつきとめるために奔走するという話。
 シリーズものではないけれど、主人公の知人として、ミステリ作家のオリヴァ夫人が出てくるから、この人が珍しく探偵役をつとめるのかと思いきや、さにあらず。オリヴァ夫人は今回も単に物語にいくらか興を添えるくらいの存在感だった。この人の謎解きはあくまで自らの書くミステリのなか限定らしい。
 あと、僕は気がつかなかったけれど、『開いたトランプ』や『動く指』の登場人物も出ているとのこと(わかるはずがない)。事件をめぐって思わぬところからロマンスが芽生えるところも、いかにもクリスティーらしいし、代表作とまではいえない作品だけれど、ファンにとってはじゅうぶん満足のゆく出来だと思う。
(Feb. 02, 2021)

明治バベルの塔(山田風太郎明治小説全集十二)

山田風太郎/ちくま文庫

明治バベルの塔―山田風太郎明治小説全集〈12〉 (ちくま文庫)

 また前の巻から随分と間があいてしまった。二年と数ヵ月ぶりに読んだ山田風太郎明治小説全集の第十二巻。これで残すところはあと二冊だ。
 この本に収録されているのは中編小説が五本。
 冒頭の表題作『明治バベルの塔』は黒岩涙香が万朝報に掲載した難解な懸賞クイズにかこつけて、彼のもとで働く幸徳秋水が辛辣ないたずらを仕掛けるという話。
 次の『牢屋の坊ちゃん』は日清戦争の停戦交渉のために来日した李鴻章を暗殺しようとした小山六之助が収監された刑務所の話。これはほぼ全編、釧路と網走の監獄が舞台ということで、否応なく『地の果ての獄』に近い印象の作品。タイトルに『坊ちゃん』とある以上、とうぜん夏目漱石も出てくるけれど、出番は冒頭のワンシーンだけだった(あと結末にちょいと)。
 三つ目の『いろは大王の火葬場』は明治初期に牛鍋屋のチェーン店を経営して荒稼ぎした木村荘平という人の話。飲食チェーンの経営者がなぜだか最新式の火葬場ビジネスを立ち上げて、最初の顧客(つまり死者)に有名人を迎えて名前を売ろうとたくらむも、なかなかおあつらえ向きな依頼人が現れずに四苦八苦するという話。様々な偉人の末期のエピソードを取り上げている点で『人間臨終図巻』に通じるところがある。あと、皮肉な展開の連発でたたみかけるところに初期の連作長編に近い味もある。
 次の『四分割秋水伝』はふたたび幸徳秋水を主人公にした作品。最初の表題作はほぼ全編フィクションって感じだったけれど、こちらは大逆事件にフォーカスしていることもあり、この本のなかではもっとも史実に忠実な印象の小説だった。まぁ、どこまでが現実でどこからがフィクションか、よくわかりませんが。
 以上四編が『明治バベルの塔』というオリジナル短編集の収録作品で、この文庫版にはあと一遍、政治家の星亨と伊庭想太郎という剣術家の因縁を描いた『明治暗黒星』という作品が併録されている。馬鹿な僕は途中まで星亨のことを内閣総理大臣になる人だと思って読んでました(それは原敬)。
 まぁ、いずれもとても山田風太郎らしい粒ぞろいの作品ばかり。でもって、どれもシニカルで冷めた笑いを含んだ作品ばかりだ。明治時代の人々を描く山田風太郎の視線が忍法帖と比べてドライに感じられるのは、晩年に達した作者の心境の変化なんだろうか。はたまた単なる僕の勘違いか。
(Feb. 09, 2021)

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論

荒木飛呂彦/集英社新書/Kindle

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論【帯カラーイラスト付】 (集英社新書)

 『ジョジョの奇妙な冒険』の作者・荒木飛呂彦が偏愛するホラー映画について語った本。以前この人の書いたサスペンス映画についての本も読んだけれど、刊行されたのはこちらが先。
 荒木氏いわく、ホラー映画とは「究極の恐怖である死さえも難なく描いてみせる、登場人物たちにとって『もっとも不幸な映画』」であり、観ることにより「恐怖を相対化できるようになれば」、「最悪の出来事と向き合う力を身につける」ことだってできる、「現実や人間の暗黒面を描いた芸術表現にさえなりうる」ジャンルなのだと。
 ――とか書くと小難しそうな本に思えそうだけれど、そんなことなし。文章はですます調で丁寧だし、とても読みやすい。僕自身はホラー映画って好きではないので、この本で紹介されている作品のほとんどは観たことがないけれど、それでもなかなか楽しく読ませてもらえた。
 僕が観たことのある数少ない作品でいえば、『羊たちの沈黙』『セブン』『ノーカントリー』など――ホラーとはいえないけれど、ホラーテイストがあるからと紹介されている作品――についての評価には、僕自身の感じ方に近いものがあったので、だったら荒木氏が絶賛するホラーも(すべてはともかく、傑作だと絶賛しているものならば)少しくらい観てみようかなって気になった。
 ――って、いやまぁ、あくまでほんのちょっとだけならば、ですけど。なかには、こりゃ絶対に観たくないって映画も何本かあったし、やっぱりホラーは関係ないかなぁというのが正直なところ。
 とりあえず『ゾンビ』と『死霊のはらわた』と『スクリーム』は機会があったらいずれ観てみようかと思います。
(Feb. 18, 2021)

下町ロケット ガウディ計画

池井戸潤/小学館文庫/Kindle

下町ロケット ガウディ計画 (小学館文庫)

 池井戸潤はすごい。このところ読書力落ちまくりで、クリスティーを読むのにさえ一ヵ月近くかかることのあるこの僕をして、わずか平日二日間でこの本を読み切らせるのだから。
 この二月は無気力を極めていて、あらゆることが滞りまくりだったから、本もなるべく読みやすいやつを……と選んだのだけれど、あまりにおもしろくてページをめくる手が止まらなくなった。午前二時過ぎまで読書していたのなんていつ以来だろう。この人の小説のおもしろさを僕はもう否定できない。
 この作品についてはテレビドラマを観て内容を知っていたから、それとの違いを確認したくて、なおさらつづきが気になったというのもある。でも、逆にそうやってあらすじがわかった状態で読んでいてもちゃんと楽しめるってのがすごい。このマンガのような読みやすさ、楽しさは癖になる。
 「マンガのよう」という形容は、一般的にはあまり誉め言葉にならないと思うのだけど、ではいまや世界中で広く受け入れられているマンガやアニメと同等の成功を収めた小説が日本にどれだけあるかって話で。池井戸潤の小説が持つマンガのような軽快な読書感覚はそれ自体でとても価値のあるもののように思えてきた。
 しかも(いっつも書いている気がするけれど)この人の作品では基本的に人が殺されたりしない。暴力もなければ、エロもない。魔法も使わない。エログロもファンタジーもなしでこれだけ人々を喜ばせる作品を書くのって、並大抵じゃないと思う。
 この作品では立花とアキちゃんのあいだにロマンスが芽生えたっておかしくないのに、そういう色気のある演出をいっさい加えようとしない潔さ。まったく枝葉を広げようとせず、ひたすらビジネス絡みの話だけに終始して、これだけ読者を盛り上げるその手腕に素直に感心しました。まぁ、余計なことをいっさい書かないからこそのリズムのよさが魅力の根幹かもしれない。
 難があるとするならば、先にドラマを観てしまっているせいで、登場人物の顔がみんな俳優さんたちのそれになってしまうこと。佃社長は阿部寛だし、山崎サンは安田顕だし、財前さんは吉川晃司。佃製作所のライバルとしてその前に立ちはだかる悪役の椎名社長はどうしたって小泉孝太郎のイメージだ。
 本文の描写に従うならばそうじゃなかろうと思うんだけれど、どうしても映像のイメージに引っぱられてしまう。そういうのって、作者に対して失礼では……と思うものの、いまさらどうにもならない。
 池井戸潤、もっと早くその実力を認めて、映像に洗脳される前にちゃんと読んでおけばよかったと思います。ほんといまさら。
(Feb. 28, 2021)

下町ロケット ゴースト

池井戸潤/小学館/Kindle

下町ロケット ゴースト

 つづけて『下町ロケット』シリーズの第三弾。
 ふだんは同じ作家の作品をつづけて読むことってあまりないのだけれど、今回はこの『ゴースト』と次の『ヤタガラス』がAmazon Primeで無料で読めるようになっていたので――というのもずいぶん前の話だけれど――ならばってんで、『ガウディ計画』を買ったんでした。
 じつは『ガウディ計画』については、ドラマを観ていたことで、すっかり読んだ気分になっていたので、うちのライブラリにない――つまり読んでない――ことがわかって逆にびっくりしたりもした。
 でもって、その作品があまりにあっさりと読み終わってしまったので、正直一冊ではもの足りなくて、つづけてあと二冊も読んでしまうことにした。この辺の「思わずあと一冊」と思わせるところも極めてマンガ的だよなぁと思う。
 今回は不景気のために得意先からのエンジンの発注が減った佃製作所が、新たな事業の柱としてトランスミッションの開発に乗り出すことに決めて、ギアゴーストという新興企業との提携を模索しているところに、新たな障害が持ち上がり……というような話。さらには農業をやっているお父さんが倒れたことから、殿村さんが会社を辞めて実家をつぐ決意をするという重要なサイドストーリーも描かれる。
 ドラマではこれと次の『ヤタガラス』をあわせて一シーズンだったので、これ一冊だと中途半端なところで終わっているのかなと思っていてけれど、意外とそうでもなかった。佃製作所の手助けにより、ギアゴーストが裁判に勝つところまでが描かれているため、池井戸潤お得意の勧善懲悪な展開がきっちりとクライマックスを盛り上げている。
 佃が去ってゆく島津さんの後姿を見送るしんみりとしたエンディングもそれはそれで味わいがあってよいと思いました。まぁ、つづきがすぐに読めるからこその余裕って気もするけれど。
(Feb. 28, 2021)

下町ロケット ヤタガラス

池井戸潤/小学館/Kindle

下町ロケット ヤタガラス

 ということで、最後は『下町ロケット』シリーズの第四弾にして、現時点での最新作。
 帝国重工が財前さんのもと自動運転トラクターの開発に乗り出すことになったことから、その道の第一人者である野木教授の協力を仰ぐべく、野木さんと大学の同級生だった佃が助けを求められるという話。
 いったんはいい感じで立ち上がったプロジェクトだったけれど、そこに財前の上司で次期社長候補の的場(ドラマで演じていたのは神田正輝)が横槍を入れてきて、話がややこしくなり、さらにはその的場に深い恨みを持つ人たちが立ち上げた中小企業連合軍がライバルとして立ち塞がって、なおさらややこしいことになるというのが今回のあらすじ。
 第一作の「vs帝国重工」という構図からすると、登場する企業も増えて、ずいぶんと複雑な構造になっているはずなのだけれど、それが特に悩むこともなくあっさりと読めてしまうところが、池井戸潤の語りの妙だと思う。
 やっぱ島津さんが仲間に加わる部分が今回のクライマックスでしょう。あと、農業絡みってことで、前作で退社した殿村さんと佃たちがともに助け合うことになる展開が上手い。最後に敵を救って大団円という展開も少年ジャンプ的で大変よろしいと思います。
 小説として文句なしにおもしろかったし、なにより、いまだ文庫化されていない作品を無料で読めて、大変得した気分。
(Feb. 28, 2021)