2016年12月の本
Index
- 『虚実妖怪百物語 序・破・急』 京極夏彦
- 『書楼弔堂 炎昼』 京極夏彦
- 『獄門島』 横溝正史
- 『五匹の子豚』 アガサ・クリスティー
- 『カールの降誕祭』 フェルディナント・フォン・シーラッハ
- 『東京バンドワゴン』 小路幸也
虚実妖怪百物語 序・破・急
京極夏彦/角川書店(全三巻)
京極夏彦がみずからの知人・友人・関係者各位に、自分自身までを登場人物にしたてて描く、奇妙奇天烈な妖怪小説・全三巻。
『帝都物語』の怪人が現代日本を滅ぼすために暗躍し、日本中に妖怪があふれかえってパニックに陥るという話を、作者自身をはじめとした実在の妖怪関係者たちによるコメディとして描いてみせるという、なんだこりゃって内容の本なんだけれど。
これが単にふざけているわけではなく、現在の日本社会に対する作者の憤りを反映しているのかな──と思わせるようなところもある。
過去の京極作品にも社会意識を感じさせるところはあった。ただ、そういう部分は時代が過去であったり、主人公が老人や子供だったりすることで、適度なオブラートに包まれていた。それがこの作品では、実在の人物たちを登場させて、現代を舞台に日本崩壊の危機を描くことで、いつになく前に出てきている気がする。
ま、徹底的にふざけた話ではあるんだけれど、そのふざけた話の隙間から、まじめな顔が見え隠れしているというか。そんな感じ。
三分冊のうち、『序』と称した一冊目は、登場人物を紹介しながら、事件の様相を少しずつあきらかにしてゆく。そのため、とてもゆっくりとした印象なのだけれど。
得体の知れない話だなぁと思いながら読んでいると、二冊目の『破』でいきなりペースアップ。日本じゅうが無法状態に置かれるような重大事態が持ち上がり、京極氏が隠れ家的な居酒屋でさつまあげをつつきながら殺されそうになったりして、がぜん緊迫感(サスペンス・スリラー色)が強くなる。ここまで読むと、つづきが気になって、もーやめられない、とまらない。
で、完結編の三冊目『急』ともなると、ほんともう大変。もはや妖怪小説と呼ぶのは間違いじゃないのか──SFアニメおたくの妄想?──というくらいの派手な花火が打ちあがる。
どんなキャラが出てくるかを書いちゃうと、読んだときのインパクトが薄れるので書かないけれど、いやぁ、出るわ、出るわ。日本が世界に誇る特撮やアニメやマンガ、ホラーのキャラクターがぞろぞろと出てきて、大騒ぎを繰り広げている。
あ、日本だけじゃなかった。そういや海外の邪神もいましたね。ほんともう大変。全編に「馬鹿」って言葉があふれてかえっているけれど、どうせなら惣流アスカ・ラングレーを呼んできて、「あんた、バカぁ?」と言わせたい。
そんなこの本で僕がもっとも感心したのは、第二巻の帯にある「巨大ロボ、出撃す」というくだり。
なんたって、いま現在の日本が舞台だし、少なくても『序』を読んだ時点では、ロボットが出てきて納得のゆくような話の展開にはなっていないので、なんだそりゃ、どういうこと?――と思っていたら、「あぁ、なるほど」と思わせてくれる、じつに見事に展開で、出てきました巨大ロボ。
すげー、京極夏彦。自らの得意フィールドで強引に磁場をねじまげて、珍妙な巨大ロボットを動かしてみせるその力技に脱帽です。
(Dec 04, 2016)
書楼弔堂 炎昼
京極夏彦/集英社
奇妙な本屋につどう明治の偉人たちの姿を描く連作短編集のシリーズ第二弾。
僕はふだん同じ作家の作品をつづけて読むことってあまりないんだけれど、これはひとつ前の『虚実妖怪百物語』とほぼ同時──たしか『急』の一週間くらいあと──に刊行された作品で、そちらがなんとも言葉に困るような作品だったから、口直し的な気分でつづけてこちらも読んでしまうことにした。
この作品、基本的なコンセプトは前作と同様だけれど、今回は一話完結のスタイルはそのままに、全体が松岡某という青年の成長譚となっているところが目玉。
ま、その人が誰かってのは、作者が京極夏彦であるがゆえに最初から見当がついてしまうけれど、逆に誰だかわかるがゆえに、はやく答えあわせをしたいという、ねたばれミステリ的な興味をそそられる作品だったりもする。
あと、今回は語り手が読書とは縁遠い女性ってのもポイント。語り口がですます調で、前回よりもやわらかいため、続編でありながら、印象はけっこう違う。
ただ、どちらも語り手の名前が最後の最後にあかされる点は一緒。そしてあかされてもなお、「で、それは誰?」って思ってしまうところも一緒。
もしかしたらこの人たち──か、またはその子孫?──が、今後べつの作品になんらかの形で絡んでくるんでしょうか? だとしたら、はてさて、それはいったいいつのことやら……。
そういえば、一作目ではサブタイトルの『破曉』の意味がまったくわからなかったけれど、今作が『炎昼』だったことで、(とりあえず意味不明なのはそのままながら)朝、昼ときたことから、このシリーズがおそらく最低でも四部作で、このあと夕、夜と、二作はつづくだろうことが予想可能になった。
その四作を踏まえて、そのあとに登場する作品ではじめて語り手たちの素性があかされるんでしょうかね。もしそれが京極堂シリーズの『鵺の碑』なのだとしたら、その作品が読めるのは、まだまだ数年先ってことになりそうだ。
京極ワールド、まだまだ拡張中。
(Dec 11, 2016)
獄門島
横溝正史/角川文庫/Kindle
長谷川博己主演の新作ドラマとしてリメイクされたのをながら観したら、ちょっと懐かしくなったので、ひさしぶりに読んでみた横溝正史の代表作のひとつ。
ドラマを観たばかりだから──ってまぁ、奥さんが観ているのを横目に酒を飲んでいたので、観たってほどちゃんと観てないんだけれど──、物語自体はそれをなぞるような感じで、おのずと感銘はいまひとつ。それでも意外と横溝先生の文体が新鮮で、読書自体は楽しかった。
そう、この作品でもっとも印象的だったのは、横溝正史という人の語り口。ふだんから英米の翻訳小説ばかり読んでいる僕には、この小説の、いかにも日本語ならではの柔らかな語りがとても新鮮だった。
ミステリとしてはかなり強引なトリック満載の作品で、五十を過ぎたいま読むと、ちょっと無理があるかなぁと思うところも少なくなかったけれど、それでもその語り口のなめらかさに魅せられて、最後まで楽しく読むことができた。クリスティを完全制覇したら、次は横溝作品もいいかなと、ちょっと思いました。
それにしても、杉本一文という方が手がけた角川文庫の横溝作品の表紙の怖さはいまだに有効だ。いや、いまだに有効というか、年古りてなおさら怖さが増した気がする。ずらりと横溝作品が並んでいるのを見ると、背筋にぞっとするものを感じずにはいられない。昔の人はすごい仕事してたなぁと思う。
この表紙が自分のデジタル書棚にずらりと並んだところを想像すると、ちょっと怖くてやばいかも……。
(Dec 18, 2016)
五匹の子豚
アガサ・クリスティー/山本やよい・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle
十六年前に夫を殺した罪で有罪判決を受けて獄死した母親の冤罪を晴らして欲しい──。
ポアロが若き美女からそんな依頼をうけて始まるこの作品は、クリスティーがこれまでに書いてきた旧作の要素をバランスよく組み合わせた一編という印象。
ポアロが過去にすでに終わっている事件をさかのぼって捜査するという点は『もの言わぬ証人』を思い出させるし、有罪宣告をうけた女性の冤罪を晴らすという点は『杉の柩』に通じる。容疑者の状況証拠が揃いすぎていて、ほかの人の犯行とはとても思えないというシチュエーションは、『ひらいたトランプ』での容疑者の全員に殺人歴があるがゆえに誰もが疑わしいという状況の裏返しに思えた。
で、そんな話が『五匹の子豚』というマザーグースになぞらえて、五人の容疑者を用意して繰り広げられるという。いかにもクリスティーらしさいっぱいの作品。
構成的にも凝っていて、第一部でその五人の容疑者にポアロが事情聴取して歩き、第二部では各人が書いた手記が紹介されて、それを踏まえて謎解きが行われる、という三部構成になっている。
ほんと、途中までは容疑者がまったくぶれずに有罪に思えるので、それをポアロがいかなる論理で晴らしてみせるのかというのが、最大の読みどころ──なんだろうと思うのだけれど。すっかりクリスティー慣れしてしまった僕には、途中で事件のあらましが見えてしまった。惜しい。
とはいえ、ラベンダーの香りや猫にまつわるなにげないエピソードが意外な手がかりになっている点には大いに感心しました。
(Dec 18, 2016)
カールの降誕祭
フェルディナント・フォン・シーラッハ/酒寄進一・訳/東京創元社/Kindle
最近フェルディナント・フォン・シーラッハという名前をよく目にするので、たまたまこの新刊の Kindle 版が半額で売っているのをみつけて、ちょうどいいから読んでみようと思った作品。
でも知らずに買ったら、これが単行本のページ数はわずか四十八ページ、収録作品は三編のみという短編集だった。
どうやら通常書籍では、表紙のイラストを手がけたタダジュンというイラストレーターの作品を多数収録して、レイアウトにも凝ったコラボ作品的な本らしい。知らない作家のこの手の本を、装丁の価値観ゼロの電子書籍で読むのは、どうにもこうにも間違っている感が否めない。デジタル版もイラストは収録されているけれど、レイアウトが固定されていないので、文章の途中で不自然な改ページが入ったりして、締まらないことこの上なかった。
収録されている三編は、ミステリというよりは犯罪小説と呼ぶべきだろうって作品。
いや、犯罪小説というのもいまいち正しくない気がする。ちょっとしたことがきっかけで、はからずも罪を犯したり、身を持ち崩したりする、あやうい人々の姿を描いている。タイトルに「降誕祭(クリスマス)」とあるわりには、祝祭感は限りなくゼロに近い。
シーラッハという人の作風の一端には触れられたけれど、力量のほどをはかるにはボリューム不足な感の否めない一冊。
(Dec 18, 2016)
東京バンドワゴン
小路幸也/集英社/Kindle
僕は日本文学に疎いので、この小路幸也という人のことを、これまでまったく知らなかった。それこそ、この作品がドラマ化されていることも、今回この文章を書こうと思ってググってみて、初めて知ったくらい(往年のホームドラマへのオマージュだというから、もしかしてすでにドラマ化されてたりするのかなと思って調べたら、やはりされていたという)。
なので、僕がこの本を読むことになったのは、井坂幸太郎や池井戸潤のように、売れていたからとか、ドラマの原作だとかいう、よくあるパターンではなかった。まぁ、ドラマ化されたくらいだから売れてはいるんだろうけれど、少なくても僕はそのことを知らなかった。
そんな僕がこの本を読んでみようと思ったのは、たまたまネットで見かけた小路幸也という人への興味ゆえ。けっこう前にサンボマスターのアルバムについて検索したときに、この人がネットの日記でなにかを書いているのを見つけて、あ、日本のロックを現在進行形で聴きながら、小説書いている人がいるんだと、興味を持ったのが最初だった。
昔はバンドをやっていたようだし、ルックスも清志郎みたいだし、さて、この人はどんな小説を書いているのだろうと気になったので、今回初めてその作品を読んでみたのですが──。
読み始めるなり、僕はけっこう面くらった。
だって、語り手はいまは亡きお祖母さんの幽霊ですよ?
四世代同居の大家族を描いたホーム・コメディですよ?
作品の全体的な世界観が、なによりその「ですます調」の語り口が、僕のロックのイメージからはかけ離れていた。
登場人物に年老いたロックンローラーこそいるけれど、矢沢栄吉と清志郎を足して二で割ったみたいなキャラで、コミカルに戯画化されていて、あまりロックっぽくないし。
なんだかなぁ……と思って、一話目は気乗りしないで読んでいたのだけれど。
二話目で若い女の子が次男坊の花嫁として押しかけてきて、長女の出産の秘密があきらかになったりするのを読むうちに、すっかりその語り口にも、主人公一家の人となりにも慣れてしまい、読み終わるころにはけっこう楽しんでいる自分がいた。
基本的にはホームドラマだけれど、どれもたんなる人情話に終わらずに、一話一話にちゃんとミステリっぽい趣向が凝らされているのがいい。無責任に人を殺したりすることなく、それでいてしっかりミステリ・テイストを味わわせてくれるところが好印象。とくに三話目の消えた古本鑑定にまつわるエピソードにはとても感心した。
作風的にはちょっと軽すぎて、大好きとまではいえないんだけれど、池井戸潤なんかと同じで、マンガ的な感覚で息抜きに読むにはもってこいだと思う。この先、ヘビーな英米文学にぶつかって疲れた折には、またこのつづきを読もうって気になるかもしれない。
(Dec 28, 2016)