2017年1月の本
Index
- 『救い出される』 ジェイムズ・ディッキー
- 『ガラパゴスの箱舟』 カート・ヴォネガット
- 『動く指』 アガサ・クリスティー
- 『忍法笑い陰陽師』 山田風太郎
- 『プレイバック』 レイモンド・チャンドラー
救い出される
ジェイムズ・ディッキー/酒本雅之・訳/新潮文庫/村上柴田翻訳堂
今回この村上柴田翻訳堂のために村上・柴田のご両人が選んだ作品には、わざとかたまたまかわからないけれど、文学とエンターテイメントの狭間にあるような作品が多い。
『素晴らしいアメリカ野球』はメジャー・リーグを舞台にしたコメディだし、『宇宙ヴァンパイアー』はSF、そしてこの『救い出される』は冒険小説だ。
どれもそう聞くと、ふつうに純文学とかいわれるよりもとっつきやすそうな気がするけれど、ところがどっこい。テーマのエンタメ性に反して、どれも作家の個性が色濃く出ていて、一筋縄ではいかない。
男友達四人組が週末の連休を利用して、ダムに沈む予定の渓流でカヌーくだりの旅に出かけたところ……というようなこの小説も、その文体に非常に歯ごたえがあって、読むにはかなり骨が折れた。正直なところ、これといった事件が起こらない前半戦は、けっこう読むのがつらかった。
でもって、後半になったら、後半になったで、厭ぁな事件が起こって、なんとも心安らがない展開がつづく。
大自然のなかで唐突に牙をむいた「悪」に対して主人公たちは、苦しみながらもなんとか立ち向かって行く。ところが、そんな彼らの立ち振る舞いは勧善懲悪と呼ぶにはほど遠い。不条理な悪と戦いながら、みずからも正義をかざせない主人公たちの行動は、なんとも切実でやりきれないリアリティとほのかな恐怖をはらんでいる。
ということで、読み終わってみると、とてもインパクトのある小説ではあったんだけれど、でもそんなだから好きかと問われるとけっこう困る。春樹氏お薦めの小説って、心なしかこういう読後感の作品が多い気がする。
そうそう、僕はこの小説、コーマック・マッカーシーの作品に似ていると思った。ストーリー的にはクライム・ノベルと呼べる内容であるにもかかわらず、筆圧の高い文体とリアリスティックな視線でもって読者を善悪のカオスのなかにぶち込んで、単なる娯楽小説と呼ぶのを許さない。そんな感触が似かよっている。
そういえば、春樹氏ってマッカーシー好きだっていってましたっけね。これを読んで、あぁ、なるほどと思った。
(Jan 08, 2017)
ガラパゴスの箱舟
カート・ヴォネガット/浅倉久志・訳/早川書房/Kindle
ヴォネガットの後期の作品のなかでは、おそらくもっとも評価が高い作品なのかもしれないけれど、正直なところ、僕はこの作品、いまいち苦手だった。
だって、人類のほとんどが滅亡した百万年後に、ひょんなことからガラパゴス諸島で独自の進化(というか退化)を遂げて生き延びた人々についての話ですよ?
しかもそれを過去の某重要キャラの息子が、幽霊になって語っているという。
若かりし日の僕にとっては、どうにもこうにも共感ポイントが少なすぎた。なんでこれがそんなに高評価されるのか、いまいちよくわからなかった。
でも今回読みかえしてみて、その出来のよさについて一応は納得がいった。なるほど、この小説の構成やら語りはとても見事だ。ヴォネガットらしいブラック・ユーモアもたっぷりだし、これをヴォネガットの最高傑作のひとつとする意見もわからなくない。
かつての『猫のゆりかご』は人類がバカな理由で滅亡する話だったけれど、要するにこちらはその反対。人類が不可抗力によって絶滅しようって危機にあって、バカな理由で滅亡をまぬがれて、ガラパゴス化した人たちの話。
おそらく、こんな話を思いついて、それをこんなにも魅力的に語れる作家はヴォネガットをおいて他にはいないのではと思う。
共感ポイントの低さは変わらないので、いきなり大好きになったとまではいわないけれど、それでもその着想と文章力には大いに感心した。
(Jan 09, 2017)
動く指
アガサ・クリスティー/高橋豊・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle
ミス・マープル・シリーズの第三作目。
クリスティー作品のなかでは、あまり知名度の高い作品ではないと思うけれど、恥ずかしながら、僕は若いころにこの小説がとても好きだった。
とはいっても、ミステリとしてではなく、ある種のロマンティック・コメディとして。脇役だと思っていた女の子が、終盤で一瞬にしてヒロインに化けるという少女マンガ的な展開がツボだった。
でも今回再読してみたら、さすがに僕もそうは若くないからか──はたまた、あれから少女マンガをごまんと読んで、そういう世界観にすっかり慣れてしまったからか──、その部分にはそれほどアピールを感じず。むしろ、そのミステリらしからぬ構成がおもしろいなと思った。
この作品では、半分読んでもなお、殺人事件が起こらない。人々を中傷する匿名の手紙は飛びかっているし、そのせいで自殺者が出たりはするけれど、少なくてもどちらも刑事事件とはみなされず、物語はずっとのんびりしている。
また、舞台こそイギリスの田舎町ではあるものの、そこはセント・メアリ・ミードではなくて、いつまでたってもミス・マープルは出てこない。
殺人事件が起こるのは、ようやく物語が半分を過ぎたあたり。でもマープルさんの出番は、それからまたしばらくあと。じつに全体の七割以上が過ぎてからだ。
そういう意味では、なかなかポアロが出てこなかった『メソポタミアの殺人』のミス・マープル版とでもいった作品かもしれない。
いずれにせよ、匿名の手紙があるだけで、名探偵どころか、悪人らしい悪人も出てこないこの小説の前半は、まったくミステリらしくない。
それでいて不思議と退屈だとは思わないのは、クリスティーの描く人間ドラマのおもしろさゆえだろう。終盤でのロマンティックなどんでん返しが昔の僕をおおいに魅了したのも、そんな小説だからだと思う。
ま、謎解きミステリとしては犯人も動機も比較的単純で、特別に出来がいいとは思わないんだけれど、それでもいよいよミス・マープルが登場するって前ふりの部分だとか、登場したあとのしらばっくれた語りとかには、シリーズもののミステリならではって楽しさがある。そこがとてもよかった。
いってみれば、ミステリの形を借りたロマンティック・コメディの佳作。僕にとってはそういう作品。
(Jan 09, 2017)
忍法笑い陰陽師
山田風太郎/角川書店/Kindle
忍法帖シリーズには珍しい――というか、もしかして唯一の?――連作短編集。
しかしまぁ、これがなんとも馬鹿馬鹿しいエロ話ばかり。主人公は忍者あがりの辻占い師の夫婦──夫は甲賀で妻が伊賀──で、深編笠で顔を隠したままの正体不明のこのふたりが、占いと称して、さまざまな侍たちのかかえた悩みごとを解決してやるという一話完結の連作短編なのだけれど、とにかくその悩みごとというのが、ことごとくセックス絡み。しかも一話目からいきなり得体の知れない理由で、イチモツ自慢の侍に武家娘三人を手籠めにさせたりするからひどい。
その後も珍妙な忍法で、もっと一晩にたくさんの愛妾としたいという殿様の願いをかなえたり、インポになったその兄を助けたり、侍たちの夜毎の性交の回数を調べたり、魚拓ならぬ性拓を集めたりと、なんだそりゃなエピソードの連続。基本エログロな忍法帖のなかでも、かなり品性の低いほうに属する作品なんじゃないでしょうか。俺は新年早々、人様のオフィスでなんてものを読んでいるんだろうと思ってしまった。
でもそれでいて最後に締めるところは締めてみせるのが風太郎流。なぜだか侠客・国定忠治を脇役に配してあると思ったら(でもその扱いはかなりひどい)、最後の最後にこの人の見せ場を作って、殺伐とした中にも爽快感のあるドラマチックな結末を用意していた。この内容にして、この
ほんと山田風太郎にはかなわない。
(Jan 28, 2017)
プレイバック
レイモンド・チャンドラー/村上春樹・訳/早川書房
村上春樹によるレイモンド・チャンドラー新訳シリーズも残すところ、これを含めてあと二作。
今回の新訳シリーズでは、前に読んだときとずいぶん印象が違うなぁと思うことが多いのだけれど、なかでもこれがいちばんだったかもしれない。
僕にとってこの小説でもっとも印象に残っていたのは、マーロウと女性たちとの恋愛小説的な側面がだったはずが、今回この新訳を読んでもそうした部分はあまり引っかかってこなかった。まぁ、ヒロインのベティ―・メイフィールドや弁護士秘書のミス・ヴァーミリアとの関係はたしかに色っぽくて印象的だけれど、でもとくにその部分が突出している感じは受けなかった。
それよりも今回興味深く読んだのは、過去にはほとんど気にも留めなかった男性の脇役たちとマーロウのやりとりのほう。マリファナを吸って居眠りしている駐車場係とか、ホテルのロビーで人間観察している老紳士、そしてなによりハードボイルドには珍しいナイスガイな警察署長。そうしたあまり本筋には関係のない脇役たちがとても魅力的に──というか、印象的に書けているなぁと。そう思った。
ひとつ前の『高い窓』を読んだときにも同じようなことを書いているし、そういうところに目が向くようになったのは、僕も年をとった分だけ、いくらか成長しているのかもしれない。まぁ、いい年してなにいってやんでいって話ですが。
(Jan 28, 2017)