2016年11月の本
Index
- 『最も危険な場所』 スティーヴン・ハンター
- 『書斎の死体』 アガサ・クリスティー
- 『チャイナ・メン』 マキシーン・ホン・キングストン
- 『城の崎にて・小僧の神様』 志賀直哉
最も危険な場所
スティーヴン・ハンター/公手成幸・訳/扶桑社/Kindle(全二巻)
アール・スワガー三部作の第二弾。
この作品で序盤の主役をはるのは、アールではなく弁護士のサム・ヴィンセント。彼が消息不明の黒人の追跡調査を依頼されるオープニングから、物語は不穏な空気をはらみつつゆっくりと立ちあがる。
ただ、正直なところ、このサムさん主役の前半戦に僕はいまいち乗りきれなくて、なかなかページが進まなかった。
それでも、サムさんが出向いた南部の僻地の刑務所で不当な扱いを受けて拘束され、そんなサムさん救出のためにアールが出動してくるところから、物語はがぜんテンションが上がっておもしろくなる。
この作品で意外性があったのは、そのサムさん救出劇がけっこう早い時間帯で解決してしまって、そのあとの展開が読めなかったこと。少なくても上巻のあいだくらいは、僕には物語の着地点が見えなかった。
まぁ、悪辣非道な刑務所が最初から絶対悪として設定されているので、勧善懲悪な展開でそいつらと戦うのがクライマックスだということ自体は最初からあきらかなんだけれど、どうやってそこにたどり着かせるつもりか、作者の意図が読み切れなかった。
そしたらば、下巻にいたり、ようやく全体像があきらかになる。そして、あぁ、これが書きたかったのかと納得する。序盤の「これはなに?」感が嘘のように、クライマックスには時代錯誤でド派手なガン・アクションが待っていた。
要するにこの作品は、スティーヴン・ハンター版の『七人の侍』でした。いや、ガンマンの話だから『荒野の七人』か。
とにかく後半は百パーセントそういう作品。能天気すぎるくらいのガンマン礼賛ぶりにちょっと違和感を覚える部分もあったけれど、それでもまぁ、エンターテイメントとしては十分におもしろかった。
それにしても、この人の作品って、いつでも悪役のキャラがきちんと立っているところがいいと思う。かつてのラマー・パイにせよ、この小説のビッグ・ボーイにせよ、好きとは言えないまでも、ただ単に嫌いっていって済ませられない悪役としての味がある。
(Nov 13, 2016)
書斎の死体
アガサ・クリスティー/山本やよい・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle
前作から十二年ぶりに登場したミス・マープル・シリーズの長編第二作。
今回クリスティーを時系列で読んできて、もっとも意外に思ったのが、作者のキャリア前半におけるミス・マープル作品の少なさ。
この作品が登場した時点ですでにクリスティーは二十二年のキャリアを誇るベテラン作家で、ポアロ・シリーズは全体のおよそ三分の二が書かれている。それに対して、ミス・マープルものの長編はこれがようやく二作目。
要するにこの作品が登場するまでのマープルさんは、トミーとタペンスやパーカー・パインと同じく、単発シリーズの一見さんキャラ的な立ち位置だったわけだ。それがこれ以降はポアロとほぼ同列に語られる重要キャラになってゆく。そういう意味でもこの作品は作者のターニング・ポイントのひとつとなる、とても重要な作品だといえる。
作品自体の出来も素晴らしい。
セント・メアリ・ミード村のマープルさんのご近所に住むバントリー大佐の書斎で、安っぽい化粧をした少女の死体が見つかる。被害者の身元はすぐに判明するものの、現場と被害者との関係性が皆無で、誰がなんのためにそこに彼女の死体を置いたのか、さっぱりわからない。
とはいえ、口さがない田舎の村では、屋敷の主人であるバントリー大佐のスキャンダルがまたたく間に広がってゆく。気の毒な友人夫妻の汚名を返上すべく、ミス・マープルが事件の解決のために立ちあがる!
――って、まぁ、マープルさんがいきなりそんなヒロイックな活躍をするわけではないですが。
いずれにせよ、友人宅で発生した事件ゆえにミス・マープルが最初から事件に関係することとなり、「また、あの婆さんだよ」みたいな感じで警察から警戒されちゃうところがおかしい。
事件の真相については、前半はまるで五里霧中な感があったけれど、ふたり目の犠牲者が出て、その人が殺された理由を考えてみたところで、僕はあぁ、これはそういう話なのかと、いきなりほとんどの謎が解けてしまった。
わからなかったら、さぞや衝撃的だったろうにと、その部分ではちょっと残念な気はしたけれど、でもトリックがわかった状態で読んでも、マープルさん独特の謎解きのおもしろさゆえに、十分に楽しめる作品だった。書斎に死体が置かれた理由を、マープルさんが小学生のカエルのいたずらに例えるところがとてもいい。
(Nov 13, 2016)
チャイナ・メン
マキシーン・ホン・キングストン/藤本和子・訳/新潮文庫/村上柴田翻訳堂
いやぁ、手こずった。読み終えるのに一ヶ月半もかかってしまった。よもや、よりページ数の多い『素晴らしいアメリカ野球』よりも時間がかかるとは思わなかった。小説として難しかったからというよりは、世界観にいまいちなじめず、読む気が起こらずに放っておいた日が多かったからなのだけれど。最近の読書力の衰えを実感させられた一冊。いやはや、駄目すぎる。
作品としては、中国系アメリカ人である女性作家が、移民としてアメリカに渡ってきた祖父やら父らや弟らのことを語ったもの。全米図書賞のノンフィクション部門の受賞作なのだそうだけれど、意外と幻想的というか、ところどころに民話的なエピソードがあたり前のように割り込んでくるので、これがノンフィクションと言われるとちょっと違和感がある。でもって、そういう曖昧模糊としたところが苦戦した要因でもある。アメリカの小説なのに、まったくアメリカっぽくない。
そういう意味では、最後のベトナム戦争に従軍した弟についての章は、時代性や戦争というテーマのためもあって、そういう特殊性が薄れて、通常のアメリカ現代文学っぽくなり、馴染みやすかった。さんざん手こずったものの、途中からは時間を作って一気に読んだこともあって、それなりに興味深く読むことができた。
そうそう、あとこの小説で苦手だったのが、常用漢字にはない「父に巴」という漢字(Shift-JISにはないので、僕がふだん使っている古いエディターでは変換できない)を二文字つづけてルビで「パパ」と読ませたり、「阿公」という名前に「あーぐん」とルビが振ってあったりする点。
英語で書かれた小説を、作者の母国語である中国語をふまえて漢字に置き換えながら、なおかつ英語の読みを意識させるべくルビを振っているという。そんな訳者の気配りと労力には敬意を表したいんだけれども、稚拙な読者である僕は、この漢字と読みがアンマッチなのにどうにも慣れることができなくて、途中からは漢字の字面のまま読むようになってしまった。すみません。
なんにしろ、この本に関しては、だらだらと時間をかけ過ぎたのがよくなかった。これは短期集中で一気に読み切るべき作品だったなぁといまさらながら思う。そうすれば、もっと濃厚な読書体験ができた気がする。いずれそういう風に読み返したいと思います。
(Nov 20, 2016)
城の崎にて・小僧の神様
志賀直哉/角川書店/Kindle
またまたKindle版が安くなっていたからって理由で読んでみる気になった志賀直哉の短編集。日本人なんだから、たまには日本文学も読んでみよう企画第何弾。
この本で印象的だったのは、一編一編の短さ(みもふたもない)。それぞれの短編が、これって短編小説と呼んでいいの?……ってくらいにあっさりと終わる。ひとつまえに読んだ『チャイナ・メン』がやたらとボリューミーだったこともあって、それとの対比でなおさら短く感じられた。日本文学史に名を残す文豪が、こんなに短い小説ばかり書いていることに驚いた。
たとえば、芥川龍之介の作品なんかも短いけれど、あの人の場合は寓話的な作風もあって、語るべきことを語ったらその短さに収まったという感があるのに対して、志賀さんの場合には、なにげない日常的な題材が多いので、なぜにこれっぱっかの言葉でこういうことを語ろうと思ったんだろうと、僕なんかは不思議に思ってしまうことになる。
療養地で見かけた死にゆく生き物たちの姿を活写する『城の崎にて』(この作品は授業で読んだ記憶がおぼろにある)、お使いに出た少年が寿司をごちそうになる人情話的な『小僧の神様』など、前半には温厚な印象の作品が多いのだけれど、途中からは浮気絡みの艶っぽい話が増える。奥さんを裏切っておいて、まるで悪びるところのない鷹揚さには、けっこう時代性を感じたりした。
とにかく、これ一冊読んでも、志賀直哉という人のどういう点が高い評価を得ているのか、いまいち僕にはよくわからなかった。つまらなかったとはいわないけれど、とくに大きな感銘も受けなかった。文章が上手いといわれても、いまいちぴんとこない。あえていうならば、身のまわりのなにげないものごとが引き起こす、ささやかな胸騒ぎのようなものをすくい取っている感じ。その微妙な情感こそが読みどころなのかもしれない。
そうそう、細かいところで戸惑ったのが、「本当」という言葉を「本統」と綴っていること。辞書には載っていない使い方だし、どうしてそう綴っているのか、よくわからない。漱石なんかも当て字が多いし、辞書なんかが普及していない分、昔の人の言葉の使い方って、いまより自由きままだったのかもしれない。
(Nov 27, 2016)