2015年6月の本

Index

  1. 『鬼談』 京極夏彦
  2. 『メソポタミアの殺人』 アガサ・クリスティー
  3. 『ラヴクラフト全集3』 H・P・ラヴクラフト

鬼談

京極夏彦/角川書店

鬼談 (幽BOOKS)

 『幽談』『冥談』『眩談』につづく京極夏彦の「」談シリーズ第四弾。
 この作品には目次を見ただけでわかるこれまでとの違いがある。それは各短編のタイトルが「鬼」で始まる二文字熟語で統一されていること。つまり、今回の本はその名のとおり、「鬼」についての本なんだと最初から宣言してある。
 だからといって、いわゆる鬼──金棒をもって虎柄の腰巻をつけたカーリーヘアの赤い巨漢──が出てくるかといえば、やはりそんなことはないところが京極夏彦の京極夏彦たるゆえん。
 ここでの「鬼」は「人」の対義語としてのそれであり、見かけは人と同じようでありながら、決して人ではない禍々{まがまが}しさを持った何かを代表する言葉として使われている。そして、そういうものを描くことで全編が統一されている。
 その点、特別テーマを設けることもなく、「怪談」的な短編を集めた感じだったこれまでの作品──少なくても僕はこれといった統一性を感じていなかった──とは若干、方向性が変わっていると思った。
 たとえば、これまでの作品には、庭に埋まっている手首とか、天井にはりついたおじいさんとか、シリミズさんとか、なにそれっていう怪しげな存在がちらほら出てきたけれど、この本にはそうしたものはいっさい登場しない(まぁ、幽霊らしき人は出てきますが)。「鬼」をテーマにかかげながらも、それを直接描くのをよしとせず、「鬼的」なものを描くという姿勢で一貫しているため、逆に明確に形のある怪異を描けなかった、ということなのだと思う。
 おもしろいのは、そんなふうにタイトルやテーマが統一されている一方で、収録作品のスタイルは逆にこれまで以上に多彩であること。わずか二ページしかないショートショート(『鬼想』)や、上田秋成の『雨月物語』を意訳したらしき作品(『鬼情』『鬼慕』)などがあったりする。
 そんなふうにバラエティ豊かな作風でもって「鬼」という言葉が喚起する不気味さや禍々しさを浮かび上がらせてみせたところが今回の作品の特徴。いや、なかなかおもしろかったです。
 そういや、冒頭の『鬼交』は十年以上前に出た『エロティシズム12幻想』という文庫本のアンソロジーに収録された作品の再録だった(あれ、これって読んだことあるかも……と思った自分自身の記憶力を自画自賛)。新作の短編集が遠い昔に発表した作品の再録で始まるってのもちょっと珍しい気がする。
(Jun 03, 2015)

メソポタミアの殺人

アガサ・クリスティー/石田善彦・訳/クリスティー文庫(Kindle版)

メソポタミヤの殺人 ハヤカワ文庫―クリスティー文庫

 考古学者と再婚して中東旅行の機会が増えたクリスティーが、馴染みとなったその土地を舞台にポアロを活躍させてみせた、異国系トラベル・ミステリ・シリーズ──というのがあるとしたら、それ──の第一弾。
 もしかしたら『オリエント急行の殺人』がはじめの一歩だったのかもしれないけれど――この作品のなかでは、時系列的にはこの次の事件だと紹介されている──、あれは舞台が列車のなか限定で、とくべつ異国情緒が強かったという感じでもないので、これが最初といっていいと思う。
 ――と書いてから確認したところ、タイトルからして明らかに外国が舞台そうなのは、そのほかだと『ナイルに死す』『バグダッドの秘密』『フランクフルトへの乗客』『カリブ海の秘密』くらいだった。
 クリスティーには外国を舞台にした作品がけっこうある気がしていたんだけれど、シリーズって呼ぶほど多くもないんですかね。いやでも、『茶色の服の男』や『春にして君を離れ』も舞台は外国だよな。タイトルからは判断できない作品も多いのかも。まぁ、いいや。おいおいわかるでしょう。
 なんにしろ、これはメソポタミアの遺跡発掘調査団で起こる殺人事件を描いた作品。
 比較的ポアロが出てくるのが遅くて、しかも出てきたら来たで、けっこうあっさりと事件の謎を解いてしまうので、ミステリとしては、ややこじんまりとした感あり。殺人のトリックは物理的であまり好みでないし、構成的に犯人も予想しやすい。
 ただ、そうはいいつつ、犯人の「正体」は僕にとってはまったく予想外だった(「誰が犯人か」には意外性がなかったけれど、その人がそういう人だとは思ってもみなかったという意味で)。ポアロの謎解きによって、バラバラだったピースがぴたりとはまるべきところにはまってきれいな絵を描く。そんなミステリならではの快感はちゃんと味わえた。なのでまずまず満足。
 そうそう、どうでもいいことだけれど、序盤で「この事件では宿舎の間取りが重要だ」みたいなことが書いてあったので、今回はふと思いついて、この本に収録されている間取り図をスクリーンショットにとって、それをiPadで眺めながらつづきを読んだりしてみた。ふつうの本だったら、ページを前後行ったり来たりしなければならないところが、電子書籍なら、間取りのページをべつの端末で開いておけば、それを見ながら本文が読める。これぞ電子書籍ならではのメリットだよなと思いました。まぁ、タブレットを複数持っていればこそできる技だけれど。
(Jun 03, 2015)

ラヴクラフト全集3

H・P・ラヴクラフト/大瀧啓裕・訳/創元推理文庫(Kindle版)

ラヴクラフト全集 3

 ラヴクラフト全集の三冊目。
 前の二冊には、それぞれ中編というか、短めの長編が収録されていて、それが中心となっている印象だったけれど、今回は全編短編のみ。いや、もしかしたら最後の『時間からの影』は中編と呼んでもいいボリュームなのかもしれないけれど、電子書籍で読んでいるため、ページ数がよくわからず。少なくても一冊読み終えた印象は、まったくの短編集だった。
 でもって、だからというわけではないんだけれど、今回はまったく楽しめず。出来がうんぬんという以前に、この本を読んでいた時期の僕自身の頭の中が、ラヴクラフトの描く異形の世界にまったく馴染まない感じだった。過去の二冊で読んだ話の別バージョン的な印象の作品も多くて、いまいち盛りあがれず。
 あと、読むのに手こずった要因のひとつは、ほとんど短編が一人称だけって印象の語りに負うところも大きいと思う。
 パターン的に、語り手がひとりでどこかへ行って、怪奇きわまりない何かと遭遇しました、という話がほとんど。とにかく「ひとり」で行動しているときに見たものの描写が中心で、まったくといっていいほど会話がない。会話文だけで成り立っているような昨今の小説とはえらい違いだなと思った。
 ただ、そうした会話文の少なさは、田舎に引っ込んだまま、ひとりきりで異形の世界を描きつづけたラヴクラフトという作家の特徴をとてもよく表しているような気もする。
 この本の短編集の中で、ラヴクラフトはその端正な文体でもって、とつとつとクトゥルフの怪異を語りつづける。そこに広がる世界の異相ぶりは特筆に値する。
 ──とか言いつつも、今回の僕は気分的にまったくその世界に入り込めない状態で、そういう人間が読むには、なかなかつらい一冊だった。今回で懲りたので、このつづきを読むのは、とうぶん先のことになると思う。
 そういや、最後に「履歴書」と題して、ラヴクラフト自身が自らの経歴を語った手紙の抜粋が収録されていたりするのには、おぉ、なかなか全集らしくなってきたな、と思いました。電子版にしてはめずらしく、解説がきっちりと収録されているのも好印象。全集をうたうからには、やはりこうでないといけない。
(Jun 21, 2015)