2015年5月の本
Index
- 『セロニアス・モンクのいた風景』 村上春樹・訳編
- 『ヴォネガット、大いに語る』 カート・ヴォネガット
セロニアス・モンクのいた風景
村上春樹・編訳/新潮社
気がつけば、僕がジャズを聴くようになって、はや十年。いまだジャズ・ファンを名乗るには程遠いすちゃらかリスナーだけれど、それでもわが家にあるジャズのCDもすでに百枚近い。そのうち、もっとも数が多いのがセロニアス・モンク。数えてみたら十五枚あった。
そのセロニアス・モンクについて書いた本を村上春樹氏が出すとなれば、それは、おおっと思うのが当然。――ということで、とても楽しみにしていた本だったのですが。
手に取るまで、僕はその内容を思い違いしてた。春樹氏が全編にわたって熱くモンクの魅力を語るような本を想像していたら、そうではなく。これは春樹氏がジャズ・ファンとして長年にわたって収集してきたジャズ関係の洋書や雑誌から、モンクに関する文章を寄せ集めて翻訳したアンソロジー。
ということで、春樹氏自身が書いた文章は、『ポートレイト・イン・ジャズ』に収録されたモンクの章に手を加えたものと、最後の「私的レコード案内」とあとがきだけ。そこんところは、やや拍子抜けした。
で、そういう性格の本なので、これを読んでもモンクの人生やその音楽の全貌を理解するのは難しい。春樹氏が断っているように、同じ話が繰り返されることも多い。春樹氏にとってモンクがどれこど重要なアーティストなのかも、いまいち伝わってこない(わざわざその人を対象に一冊の本を出す時点ですでに特別だという話もある)。
ただ、さまざまな人たちがさまざまな立場、それぞれの違った視点からモンクを語っているがゆえに、そこから多角的に浮かび上がってくるモンクの人物像には独特の味わいと立体感がある。ある種3D的というか。個人が書いた伝記や評伝では、こうした感覚は味わえないじゃないだろうか。そこがこの本の魅力だと思う。
裏表紙に使われている故・安西水丸氏のイラストにまつわる裏話にもじーんときます。
(May 10, 2015)
ヴォネガット、大いに語る
カート・ヴォネガット/飛田茂雄・訳/早川書房/Kindle版
カート・ヴォネガットが『チャンピオンたちの朝食』と『スラップスティック』のあいだに刊行した、著者初となるエッセイ集。──というか、講演の原稿だの、自身が受けたロング・インタビューなども入っているので──そういや戯曲も一編ある──、純粋なエッセイ集ではなく、小説以外の雑文集といった趣向の一冊。
今回の僕のヴォネガット再読企画(電子版)では、とりあえず長編だけを対象と考えていて、短編集やエッセイ集は当面対象外のつもりなのだけれど、この本は最初のころにKinldeのバーゲンで安くなっているのを見つけて、思わず買ってしまったので、せっかくだから刊行された時系列順ということで、このタイミングで読むことにした。
それにしても、この本を読むと、やはりヴォネガットって文学者としては異色なんだろうなと思う。とりあげられている話題の多くが時事問題絡みで、文学絡みの話はほんのわずかという印象だから。
思い返してみても、文学関連で話題にのぼっている有名人って、ヘルマン・ヘッセとハンター・トンプソン(映画『ラスベガスをやっつけろ』の原作者)とインディアナポリス出身の作家の友人くらいじゃないだろうか。あと、SF作家と分類されることに対するユーモラスな繰り言とか。それくらいしか印象に残っていない。自身の作品についてもとりたてて多くは語ろうとはしない。
では何を大いに語っているかというと、ケネディ家のヨットで内陸航海した話とか、マハリシに会った話とか、アフリカでの内戦への憂慮とか、宇宙開発の是非とか、前世紀の降霊術師についてとか。その非文学的で雑多なエピソードの広がりがこの本の特徴という気がする。
これまでの雑文を一冊にまとめるにあたって、作家としての自身の経歴や文学を語るよりもむしろ、二十世紀を生きるひとりの人間として、自らの所属する社会のありかたを様々な角度から問うてみる。この本はそんな内容になっている。
そうした社会意識に裏付けされているからこそ、この人の作品は、その人を食ったユーモラスな作風が単なる馬鹿話に終わることなく、人々の心の中にしっかりとなにかを残してゆくのだろうと思う。
(May 23, 2015)