2015年7月の本

Index

  1. 『ラリルレ論』 野田洋次郎
  2. 『ひらいたトランプ』 アガサ・クリスティー
  3. 『鋼』 ダン・シモンズ
  4. 『オレたちバブル入行組』 池井戸潤
  5. 『死人の鏡』 アガサ・クリスティー
  6. 『忘れられた巨人』 カズオ・イシグロ
  7. 『軍艦忍法帖』 山田風太郎

ラリルレ論

野田洋次郎/文藝春秋

ラリルレ論

 RADWIMPSの野田洋次郎による初のエッセイ集。
 僕は基本、小説を第一と考えていて、ノンフィクションやエッセイを読むのはあとまわしにするのが習慣になっている。もの書きが専門ではない人の本ともなると、なおさら優先順位は低くなって、おかげで椎名林檎やCoccoなんかの本が読まないまま何年も放置されているのだけれど、この本だけは放っておけなかった。僕にとって野田洋次郎という人は、いまやそんな読書の優先順位を狂わせるくらい、別格な存在になっている。
 この本は去年のツアーのあいだに書いた日記という体裁をとっている。ただし、ふつうの日記のように、その日その日の出来事について語るというよりは、思いついたこと、書きたかったことをランダムに書きつづって、足りない部分を後日に追記して補った、という形になっている。語る内容も家族の話やバンドの思い出話、自らの人生観、価値観、はたまた時事ネタに雑談と、多岐に渡っているので、やはり日記というよりはエッセイと呼んだほうがしっくりくる。いわば、日記の形を取ったことで醸し出されるツアーの臨場感を背景に語られる野田洋次郎という人の半生記といった内容の本。
 彼の優れた言語センスからすると意外なことに、本人はあまり読書をしないとのことで、この本の文体も、そういう人らしく、会話やメールの延長のようなくだけた口語文だ。それでも、問題意識の高い人ならではの饒舌さで言葉を紡いでゆくそのさまは、変に格好をつけてない分、嘘がない感じがして好感が持てる。
 この本の中で、野田くんは自らの生い立ちや家庭の事情をつまびらかに語っている。暴力的かつ専制君主的な父親への憎しみや、そんな父親の赴任先であるアメリカという異郷でともに苦節を過ごした兄への尊敬。野田洋次郎という特殊な才能がいかにして育まれてきたかがわかって、とても興味深かった。
 その一方で意外なのが、恋愛に関する言及が思いのほか少ないこと。特別プライベートな問題だからってのはあるとは思うけれど、過去の恋愛遍歴については皆無だし、いまの恋人らしき人については、「あの人」という言葉で、たまにほのめかされる程度だ。本人は性的にはどちらかというと淡白なほうだと語っている(意外や)。
 そんな彼が歌の中であからさまに性的なキーワードを使うのは、セックスという人間として当然の行為をわざわざ隠すのは偽善的だからという思いからのようだし、女性を神格化するような歌詞も、それは相手が女性だからというよりは、性別にかかわらず、自分にとってもっとも大切な人だから、というのが本当のところみたいだ。極論だとは思うけれど、彼は自分にとって大切な人が男性だったら、同性愛だって拒まないというようなことまで言っている。
 僕はずっと野田くんを恋愛至上主義の人だと思ってきたけれど、この本を読むかぎり、どうやらその言葉は彼にはふさわしくないみたいだ。彼にとって大事なのは女性でも恋愛でもセックスでもなく、自分とともにいてくれる人の存在、そのものなのだろう。今後は気安く恋愛至上主義という言葉を使うのは控えなくちゃいけない。
 なんにしろ、この本はこれまでに僕が読んできたミュージシャンによる本の中では、もっとも中身の濃い一冊。下手な小説よりも、よほどおもしろい(まぁ、僕が野田くんに惚れこんでいるというのはあるにしろ)。それにしても、半年のツアーの合間をぬって、主にライブのあとなんかにこれだけの文章を書くってのも、並大抵のことではないよなと。そんなことでも感心してしまいました。さすがに語るべき言葉を持った人が書くものは、本職ではなくともひと味違う。
 あと、最後にワイドショー的な話になってしまって恐縮だけれど、バンプの藤原くんやYUIとの交流が語られているのにも、おぉっと思いました。やはり類は友を呼ぶんだなぁと。そんなことにもちょっぴり感心したり。
(Jul 04, 2015)

ひらいたトランプ

アガサ・クリスティー/加島祥造・訳/クリスティー文庫(Kindle版)

ひらいたトランプ ハヤカワ文庫―クリスティー文庫

 この本の序文(誰が書いたものか明記してないのはどうかと思う)で書かれているように、まず犯罪を犯しそうにない人物を疑えば、十中八九、その人が犯人だ、というのは、このところのクリスティー作品を読んでいて思うことではある。そして、この作品がそういう作品ではない、というのもまさにその通り。
 この本でクリスティーは、過去に殺人を犯した(と思われる)四人の人物を集めてきて、カードテーブルを囲ませたうえで、新たな殺人事件を起してみせる。誰が犯人かわからないのではなく、誰が犯人でもおかしくない、という状況を読者につきつける。で、さて誰がなぜ殺人を犯したのか、考えてみましょうということになる。
 まぁ、結果としては、なんとなく地味な話になってしまっている感は否めないけれど、でもそんな風に既存のミステリの枠組みを変えてゆこうというクリスティーの創意工夫の豊かさには、けっこう感銘を受ける。そして、こういう枠組みで書いておいてなお、最後にささやかなどんでん返しを用意しているところもすごいと思う。
 クリスティーを代表する作品とは呼べないかもしれないけれど、クリスティーのミステリの特徴がその多様性にあるとするならば、確実にその豊かさの一端を示す作品のひとつではないかと思います。
(Jul 05, 2015)

ダン・シモンズ/嶋田洋一・訳/早川書房/Kindle版

鋼

 そのうち読もうと思って油断しているうちに、あっというまに単行本は絶版、文庫化もされずに終わっていたため、読み逃していたダン・シモンズのハードボイルド・アクション・シリーズの第一弾。Kindleになったので、ようやく読めた。ビバ、電子書籍。
 ただこの作品、ダン・シモンズの他の作品と比べると、出来はいまいちな感じ。
 物語は女性パートナーを殺された私立探偵の主人公が、その仇をとって殺人罪で逮捕され、刑務所で十一年を過ごしたあと、出所早々にマフィアのボスのもとに押しかけて、仕事をもぎ取り、いきなり命を狙われるようになる、というようなもの。次から次へとアクションの連続で飽きさせはしないものの、夢中になって読むのがやめられないってほどでもなかった。
 読んでいて印象的だったのは、やたらと痛そうなシーンが多いこと。エログロ度の高さはダン・シモンズの特徴のひとつだけれど、この作品はSFではない分、そのグロの部分がめだっている感じ。冒頭で敵の手をキッチン・ディスポーザーにつっこんじゃうところとか、ナイフ使いの悪党が皮剥ぎボリス的な所業に及んだりとか。けっして具体的な描写があるわけではないけれど、そういう、うわぁ~と思ってしまうような展開が多かった。
 そういや、『イリアム』かなんかでは、神様のはらわた掴み出してましたっけね。ダン・シモンズって、もしかしてサディストかも……とか思ってしまいました。
(Jul 05, 2015)

オレたちバブル入行組

池井戸潤/文春文庫(Kindle版)

オレたちバブル入行組

 珍しく日本のベストセラーを読んだ。ドラマ『半沢直樹』の原作。うちの奥さんが(いまさらながら)観ていたそのドラマがけっこうおもしろそうだったので、ドラマと並行する形で原作(Kindle版)を読んでみた。なかなか楽しかったです。
 上司のミスによる損失の責任を押しつけられそうになったエリート銀行員が、その横暴なパワハラに屈せず、みごと難局を乗り切って、嫌な上司たちにぎゃぷんと言わせる、という話。堅苦しいイメージの銀行内部のごたごたが、変にしかつめらしくならず、ちゃんと誰もが楽しめるエンターテイメントとなっているところがよかった。
 ドラマでは堺雅人のエキセントリックな演技と「倍返しだ!」の決めセリフが売りだったけれど、原作はその辺は比較的あっさりしている。「倍返し」がとくに決めセリフってわけでもないし、ドラマのくどさを期待して読むと、なんとなく期待外れに終わりそうな気がする。
 ちなみにこの小説が描いているのは、ドラマの前半部分だけ。ドラマ化にあたってはしょられたエピソードもあったりするし、設定が微妙にいじくってあって、父親の因縁話もこちらのほうがあっさりすっきりしている。僕はこの原作くらいの味つけでちょうどいいと思う。変に奇をてらっていないところに好感が持てた。
 文学的な重厚さはほとんどないけれど、気軽に楽しく読めるということでいえば、文句なしにおもしろい。人がひとりも死なないのに、ちゃんとスリリングなエンタメ作品として成り立っているところにも感心しました。この人の本は機会があれば今後も読むかもしれない。まぁ、タイトルのセンスはどうかと思うけれど。
 それにしても、奥さんがドラマを観ている横で、ふと思いついてKindle版をダウンロードして、すぐに読み始めるというのも、電子書籍版ならではだなぁと。
(Jul 12, 2015)

死人の鏡

アガサ・クリスティー/小倉多加志・訳/早川書房/クリスティー文庫(Kindle版)

死人の鏡 (クリスティー文庫)

 クリスティーのポアロもの量産期に一冊だけ割り込むように刊行された短編集。
 タイトルがオカルトっぽかったので、また『死の猟犬』のようなホラー系の短編集かと思って読み始めてみれば、いきなり一編目『厩舎街{ミューズ}の殺人』の冒頭からジャップ主任警部が登場する。
 おや? と思う間もなく、街をゆく彼が話しかけている同行者としてポアロも登場。
 おぉ、これも、もしやポアロものか!
 果たして、その後の作品にもすべてポアロが登場。ということで、これは『ポアロ登場』につづく、ポアロ・シリーズの短編集の第二弾だった。
 いや、短編集と呼ぶのは、やや間違っていて、この本に収録されているのは四作品のみ。短編は最後の『砂にかかれた三角形』だけで、あとの三作は中編だ。つまり、どちらかというと中編集と呼ぶほうが正しい。
 で、この中編三作収録ってのが微妙で、長編小説ほどの読みごたえはないし、短編集ほどリズミカルな読み心地のよさもない。
 事件も自殺に見せかけた密室殺人が2件に、重要文書の盗難事件、そして避暑地での痴情のもつれと、なんとなく既視感を覚えるような内容だし。おかげで、なんとなく中途半端な読後感が残ってしまった。
 あえて言えば、どの作品も事件の当事者──を犯人とは呼びにくいのがこの短編集の特徴かもしれない──とポアロとの距離感が印象的だ。
 ここでのポアロは、自らの名探偵としての能力を誇るよりもむしろ、罪を犯した人々に忠告や警告をあたえて、事件のもたらす悲しみを少しでも和らげんことに心を砕いているように見える。罪を憎んで人を憎まずというか。ミステリ作家としてのクリスティーの視点が以前より確実に深みを増してきているのを感じる。
(Jul 20, 2015)

忘れられた巨人

カズオ・イシグロ/土屋政雄・訳/早川書房

忘れられた巨人

 『わたしを離さないで』以来、十年ぶりとなるカズオ・イシグロの最新長編。
 この人の個性は「信頼できない語り手」を描くことに徹底している点にあると思っていたので、この小説が三人称で書かれていることには、やや意外性があった。
 ただ、とはいってもイシグロはイシグロ。今回は表現が違うだけで、メインテーマとなるのはいつも通り、記憶の曖昧さだ。それがこの作品では、竜や鬼(ゴブリンとかそういうやつ?)や小妖精が跋扈{ばっこ}するアーサー王亡きあとのイングランドを舞台に、謎の霧によって万人が記憶を奪われているという設定のもとで展開される。
 主人公の老夫婦、アクセルとベアトリスは、離れて暮らす息子に会いたいと旅に出るのだけれど、なんたって記憶を奪われている老人たちの話だ。その息子が住んでいるところへたどり着けるのか、そもそも息子が本当にいるのかどうかさえ、あやしい。
 そんな彼らの旅の道中には、密命を帯びたサクソン人の戦士や、竜に噛まれた少年、アーサー王の甥の老騎士などが絡んでくる。やがてアクセルにも隠された過去があるらしきことがほのめかされる。はてさて、一行の旅の行方やいかに──。
 老夫婦が主人公、しかも舞台は中世ってことで、序盤は静かな立ち上がりをすることもあり、いまいち興をそそられなかったのだけれど、戦士らが絡んできてからは、物語もダイナミックな様相を見せるようになり、楽しく読むことができた。
 とはいえ、物語自体は決して甘くない。それどころか、苦みをたっぷりと含んでいる。とくに、正義とはなにかを深く考えさせるようなクライマックスの展開はさすが。
 舞台は過去だし、世界観はファンタジーだけれど、じゅうぶん現代社会に通じる問題性を持った作品だと思う。
(Jul 20, 2015)

軍艦忍法帖

山田風太郎/角川文庫(Kindle版)

軍艦忍法帖<忍法帖> (角川文庫)

 ひさしぶりの忍法帖シリーズ、これはその第三作目とのこと。ちくま文庫の明治時代小説シリーズが積読になったまま、まだ読み終わっていないので、先に読むならそっちだろうと思ったのだけれど、Kindleでこれといって読みたい本がなかったので、まあいいやと思って、これを読むことにした。
 そしたら、これがひさしぶりの忍法帖のせいか、やたらおもしろかった。
 初期の作品だというので、定番の忍者どうしのトーナメント的なものを想像していたら、まったくそうでないところが予想外。出てくる忍者は主人公ひとりだけだし、舞台は幕末だし、いきなり主人公が負けてしまうのをはじめ、物語は二転三転して、先がまったく読めないしで、予想外も{はなは}だしい。
 もともとは幕末という歴史の転換期に忍者をひとりぶっ込んで、勝海舟や坂本竜馬らと絡ませてみたらおもしろかろうという、そういう着想の作品なのだと思う。
 あくまで主体は激動の時代に奔放される人たちの姿を描くことで、いつもの忍法合戦的なおもしろさは二の次という感じ。
 タイトルが初出時の『飛騨忍法帖』から現在の『軍艦忍法帖』に変更されたのは、主人公が飛騨忍者であるという以外、ほとんど飛騨とは関係ない上に、勝海舟の代表する幕末の空気が色濃くにじんだその作風ゆえだと思われる。
 いずれにせよ、僕の知っている忍法帖のなかでは、『忍法剣士伝』についで忍法依存度の低い作品に仕上がっている。幕末が舞台のせいか、忍法帖というより、どちらかというと『魔群の通過』あたりに近い感じがする。
 つまり、あまり読後感はよろしくない。主人公は行動原理が不明瞭なせいもあって、まったく共感できないし、それゆえか物語としての痛快さもあまりない。女性に優しい風太郎先生にしては、ヒロインの扱いがいつになくシビアなのもつらい(処女ではないから?)。おかげで読み終わったあとに気分がすっきりしない。
 とにかく、先の読めなさとあと味の悪さが印象的な作品。正直あまり好きとはいい切れないのだけれど、それでも読みものとしては滅法おもしろかった。
(Jul 30, 2015)