2013年8月の本

Index

  1. 『バット・ビューティフル』 ジェフ・ダイヤー
  2. 『猫のゆりかご』 カート・ヴォネガット・ジュニア
  3. 『七つの時計』 アガサ・クリスティー
  4. 『おしどり探偵』 アガサ・クリスティー

バット・ビューティフル

ジェフ・ダイヤー/村上春樹・訳/新潮社

バット・ビューティフル

 二年前に刊行されてすぐに、春樹氏の翻訳本だからと買った本。
 当時の僕のブログを見ると「ジャズの短編集」と書いているので、その時点ではどういう本か、断片的な情報は入っていたらしいけれど、その後、放ったらかしにしているあいだにすっかりそのことを忘れてしまっていたので、いざ読み始めてみて、その思わぬ内容にびっくりした。なにこの本?
 春樹氏自身も訳者あとがきで、読み始めてみて、その内容に驚いたというようなことを書いているけれど、僕の場合、ジャズの本だということさえ忘れてしまっていたので、なおさら、なんだこりゃな感があった。
 いや、べつに内容がふざけているとか、出来がひどいとかいう意味ではない。それどころか、書きっぷりは素晴らしい。とても端正で優れた散文だと思う。こんな文章、書けるならば僕も書きたい。
 意外なのは、情感たっぷりの文章でつづられる、フィクションともノンフィクションともつかぬ、その内容。
 作者のジェフ・ダイヤーはこの本の中で、実在のジャズ・ミュージシャンたちの姿を、あたかも自らの知りあいのような距離感で生き生きと活写して見せる。描かれているのは、どれもジャズ・ファンのあいだでは有名なエピソードばかりらしい。それをこの人──年齢的には春樹氏と僕のあいだくらい?──は、まるで自らが一緒に経験したかのような調子で描き出す。
 取り上げられているミュージシャンは、レスター・ヤング、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ベン・ウェブスター、チャールズ・ミンガス、チェト・ベイカー、アート・ペパーの八人。さらにデューク・エリントンとハリー{なにがし}という人が、コンサート会場のあるどこぞの街へと向かう車中のエピソードが、各編のあいだにインタールードとして挟み込まれている。
 エリントンのパートはコミカルなのだけれど(これがまたいい味を出している)、それ以外の本編のエピソードはどれも、もの悲しい。取り上げられているのは、どれも深刻なトラブルをかかえたミュージシャンばかりだ。
 後世に優れた音楽を残しながらも、自身は時代の空気に流され、酒やドラッグや心の病気で身を持ち崩して、苦しみを味わった天才たちの物語。
 それをジェフ・ダイヤーという人は、慈しむようなまなざしを向けつつ、きりっと引き締まった短編へと昇華させている。
 とても見事な出来映えの、それでいて風変わりな内容の本だと思う。
(Aug 31, 2013)

猫のゆりかご

カート・ヴォネガット・ジュニア/伊藤典夫・訳/早川書店/Kindle版

猫のゆりかご

 ヴォネガット自身が『スローターハウス5』と並べてAプラスの自己最高評価をつけている長編第四作。
 しかしこれがまた、『スローターハウス5』と同じく、僕にはどこがそれほどまでの傑作なのか、わからなかったりする。小説としてはとてもおもしろく読めるものの、なぜだかいまいち愛着がわかない。
 先日の『スローターハウス5』は、ヴォネガットの作品を読むのがひさしぶりだったためもあり、その語りの魅力だけでも十分に楽しく読めたのだけれど、今回はもう三作目で、ヴォネガット節の新鮮さも薄れてきている。もちろん、その語りに魅力がないわけはないのだけれど、この小説の場合、登場人物がエキセントリックな人ばかりで、いまひとつ共感できる部分が少ないのが、愛着の湧かなさの要因になっている気がする。
 そういや、『ガラパゴスの方舟』も同じような感じだった気がしてきた。あれも人類滅亡系のコメディだった。人類を滅ぼすほどのレベルに達したヴォネガットの毒舌は、いまいち苦手かもしれない。俺って人間の器が小さいかも。
 でもまぁ、それでも人類滅亡のきっかけとなる場面の壮大なるばかばかしさはヴォネガットの真骨頂だ。アーヴィング的な悲喜劇を、もっと壮大なスケールで不謹慎にした感じ。世界の終わりを描いているのに脱力を誘う。コミカルでグロテスクな人間の愚かさを愛情もって描かせたら、ヴォネガットの右に出る者なし。
 いまの世界にはもう、こういう小説を書ける人って、ほかにいないんじゃないだろうか。
 ……って、あ、そうか。これにしろ、『スローターハウス5』にしろ、ヴォネガットにしか書けない──。そう作者自身も自負しているからこその自己評価ナンバーワンなのかもしれない。
(Aug 31, 2013)

七つの時計

アガサ・クリスティー/深町眞理子・訳/早川書房/Kindle版

七つの時計 (クリスティー文庫)

 チムニーズ館、ふたたび。
 『チムニーズ館の秘密』では脇役だったバンドルことレディー・アイリーンが主役となって、彼女の留守中に屋敷で起こった殺人事件と、その事件に背後でかかわる謎の秘密結社、セブン・ダイヤルズの秘密に迫ってゆくという冒険スリラー小説。
 まぁ、平凡な生活に飽きたらない、おきゃんな女の子が、身近で起きた殺人事件の捜査に乗り出すという能天気な話で、感触的には『秘密機関』『茶色の服の男』『チムニーズ館の秘密』と同系統の作品。こういうのは、たまにひとつ、ふたつ読むには楽しいのだけれど、立てつづけにこう読まされると、かなり食傷気味な気分になる。もしかして、クリスティーを年代順に読むのって、失敗だったかもしれない。
 でもミステリとして出来が悪いかというと、そこはクリスティー・クオリティ。こういう話でも、ちゃんとひねりの効いたトリックを用意してある。この作品では、クライマックスで秘密結社のボスの正体があきらかになるところで、大どんでん返しが待っている。先行する作品と作風は同じなのに、ミステリとしての構造はまるで違うという。そこにはとても感心した。
(Aug 31, 2013)

おしどり探偵

アガサ・クリスティー/坂口玲子・訳//早川書房/Kindle版

おしどり探偵 (クリスティー文庫)

 『秘密組織』のトミーとタペンスが主役を務める連作短編集。
 なんだかよくわからない理由でイギリス秘密諜報局のカーターさんから探偵事務所の所長の代役を頼まれたふたりが、当時の有名な探偵たち──ホームズとか、クロフツとか、隅の老人とか――の真似をしながら、次々と事件を解決してゆくという話。
 要するに仲よしカップルが政府組織のお墨付きで、嬉々として探偵ごっこをやっているわけで。特別に本格ミステリ・ファンというわけでもなく、元ネタとの対比を楽しめない僕としては、ちょっとそりゃどうなのさと思ってしまった。
 まぁ、人のいいお調子男とでもいった感じのトミーが、たまに意外な切れ者ぶりを発揮して、事件を解決してみせる。その「お、この男、意外とやるじゃないか」という意外性がミステリとしての読みどころかもしれない。頼りない素人探偵が主役だからこその新鮮さというか。名探偵不在のミステリ・コメディ、はたまたミステリ仕立ての素人冒険活劇といった趣向の作品。
 それにしても、一連の冒険スリラーにしろ、これにしろ、若き日のクリスティーは、あまりに屈託がなくて楽しげで、あまりつべこべ言うのも大人げない気がしてくる。
(Aug 31, 2013)