2013年7月の本
Index
- 『タイタンの妖女』 カート・ヴォネガット・ジュニア
- 『考えろ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか?』 イビチャ・オシム
- 『恐れるな! ――なぜ日本はベスト16で終わったのか?』 イビチャ・オシム
- 『信頼する力 ――ジャパン躍進の真実と課題』 遠藤保仁
- 『チムニーズ館の秘密』 アガサ・クリスティー
- 『アクロイド殺し』 アガサ・クリスティー
- 『幸福の遺伝子』 リチャード・パワーズ
- 『ビッグ4』 アガサ・クリスティー
- 『青列車の秘密』 アガサ・クリスティー
タイタンの妖女
カート・ヴォネガット・ジュニア/浅倉久志・訳/早川書房/Kindle版
Kindleで再読するカート・ヴォネガットの二冊目は、長編第二作にしてキャリアのターニング・ポイントとなった初期の名作、『タイタンの妖女』。
『スローターハウス5』のときにもちょっと書いたけれど、僕はヴォネガットが好きだと言いながら、じつは『母なる夜』や『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』のような普通小説が好きで、これや『スローターハウス5』などのSF作品については、それほどおもしろいと思った記憶がない。これまでは傑作だといわれても、いったいどこがそれほど……と思う始末だった。
でも今回再読してみて、大いに納得。『スローターハウス5』は微妙だったけれど、これは文句なしの大傑作だわ。若い日の俺には、どうしてこのすごさがわかんなかったんだろう。まったく、なってないにもほどがある。
内容を簡単に説明するならば、時間等曲率漏斗(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム――とても覚えられません)なる宇宙の不可思議スポットに愛犬ともども飲み込まれて、(地球を含む)太陽系のあちらこちらに周期的に実体化するようになってしまった大富豪が、その時空を超越した神にも近い能力を使って、地球にとんでもない方法で大変革をもたらす、という話。
要するに荒唐無稽なおとぎ話なんだけれど、そこに作者自身の戦争体験を下敷きにした、珍妙な宇宙戦争のプロットが組み込まれているのがミソ。そのあまりに非人道的かつ、とびきり馬鹿馬鹿しい内容に、怒っていいんだか、笑っていいんだかわからない、なんともいえない気分にさせられる。
さらに重要なポイントは、物語の主人公が事件の張本人ウィンストン・ナイルズ・ラムファードではなく、彼のたくらみによって大きく人生を狂わされた、ひと組のカップル(とその息子)である点。運命にもてあそばれて、とても幸福とは思えない人生を余儀なくされる彼らの悲喜劇には、これだけ荒唐無稽な物語から味わうとは思えないほどの深い余韻がある。
どうしようもなく馬鹿げていて、どうしようもなく非道な話なのに、それでいて不思議と感動的。そのギャップがものすごい。ヴォネガットならではの語りの魅力はすでにこの時点であきらかだし、たっぷりのユーモアと溢れんばかりのペーソスを持った、希有な作品だと思う。あらためてヴォネガットに惚れなおしました。
(Jul 01, 2013)
考えろ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか?
イビチャ・オシム//角川oneテーマ21(Kindle版)
Kindleストアのバーゲンで、わずか99円で売っていたものだから、思わず買ってしまったオシム元日本代表監督によるサッカー日本代表の評論本。もともと、新書はどれも表紙がつまらないから、電子書籍で読むにはもってこいだろうと思っていたので、ちょうどいい機会だから買ってみた。
しかしこの本は、ちょっと旬を逃し過ぎの感あり。
──というのも、刊行されたのがW杯・南アフリカ大会の直前だったらしく、冒頭からいきなり日本がグループリーグで対戦した三カ国、カメルーン、オランダ、デンマークの分析から始まるんだった(それも大会前の)。日本代表も、まだ本田が台頭する前の、俊輔を中心としたプレ南アフリカ・バージョンだし、いまさら、んなもの読んでもなぁ……って感がありあり。
まぁ、それでもオシムさんが当時の代表の選手たちをどう思っていたかがわかるという点では興味深かったし、わずか百円もしないで手に入れた本だから、別に読んだこと自体には後悔はないけれど、かといって、いまさら定価を出して読む本でもないかなとも思う。
とりあえず、オシム・ジャパンを思い出したい人、および、さかんに褒めたりけなしたりのアップ&ダウンを繰り返すオシム氏による日本人論に興味がある人にはお薦めって一冊。
――といいながら、ついつい同じように安くなっていた同じシリーズの本をあと二冊も買ってしまったんだったが。というわけで、つづく。
(Jul 01, 2013)
恐れるな! ――なぜ日本はベスト16で終わったのか?
イビチャ・オシム/角川oneテーマ21(Kindle版)
ということで、前のと一緒に安くなっていたので(こちらは半額)、つづけて読むことにした角川のオシム新書の二冊目。
こちらはW杯・南アフリカ大会が終わって、ザッケローニが日本代表監督に就任したあとに出た本。W杯での日本代表の戦いを振り返り、サッカー界全体のトレンドを分析し、ザッケローニ就任後の日本代表の行く末を考察している。前のよりは時期的に近いし、W杯の結果を踏まえている分、どちらかというとこちらの方がおもしろい気がした。まぁ、とはいっても、あくまで心持ち、ってくらいの違いだけれど。
どちらにせよ、オシムさんは、責任を取ることに消極的で勝ち負けに淡白な日本人の国民性を批判しつつ、その一方で規律正しく、創造性に優れている点を長所として、褒めたたえている。おだてられたり、けなされたりで、なかなか忙しい。
とはいえ、よいしょされっ放しだったり、非難されまくりだったりと、一方的なのも楽しくないので、そういう意味では、いたってまっとうなバランス感覚だと思う。あぁ、W杯でこの人の指揮する日本代表が観たかったなぁ……とあらためて残念に思った。
ちなみにこの本はオシムさん名義であって、翻訳家の名前がない。オシムさんがこんなに流暢な日本語を書けるはずがないし、そのわりに翻訳のクレジットが入っていないところを見ると、最後に協力者として名前があがっている日本人が、オシムさんの語りを文章にまとめたものと思われる。内容的にはおもしろかったけれど、誰が書いた文章なのかはっきりしないこういう本は、個人的にはあまり好きになれない。
あと、この電子版では、縦書きにもかかわらず、「4-2-3-1」の横棒(-)が縦にならず、横のままになっていた。端末に依存する問題か、はたまたフォントの都合でどうにもならないのか。いずれにせよ、こんな調子では、電子書籍もまだまだだなと思った。
(Jul 03, 2013)
信頼する力 ──ジャパン躍進の真実と課題
遠藤保仁/角川oneテーマ21(Kindle版)
安いから買っちゃいました、サッカー新書シリーズの最後の一冊は、遠藤ヤットによるW杯・南アフリカ大会――というよりも、歴代日本代表に関する回顧本。
トルシエ、ジーコ、オシムさん、岡田さん、ザッケローニ氏と、じつに5人もの代表監督のもとでプレーしてきたヤットの話だけに、興味深いエピソードがたっぷり。
彼の話でもっとも意外だったのが、岡田さんに対する評価が異常に高いこと。ヤット目線から語られる岡田武史という人は、理想の上司にして、最高の日本代表監督だ。代表を遠巻きにながめてきた部外者としては、違和感を抱かずにはいられないけれど、それでも選手からここまで思われるだけの人望があるんだから、岡田さんもやはり只者ではないんだろう。
あとひとつ、細かいところで「おや?」っと思ったのは、W杯のパラグアイ戦のPKで駒野がキッカーに選ばれたのを、遠藤が当然と思っていること。僕はそりゃないだろうと思ったし、オシムさんもひとつ前の本で同じ意見だったので、大多数の人がそう思っていると思っていたのだけれど、当事者の目からすると、駒野は見た目よりも度胸があるから、あの場面でのキッカー選出は当然あってしかるべきなんだそうだ。まぁ、それも駒野本人と、そして彼を選んだ岡田さんへの贔屓目が手伝っているのかもしれないけれど。
このふたつに加えて、真面目なイメージの新書のくせして、一人称が「俺」の砕けた口語体の文章にも違和感があったけれど──あ、あと秋春制に賛成ってのも意外だったけれど──、それ以外ではなかなか楽しい一冊だった。ワンコインでおつりがくる価格で、どっぷりと歴代日本代表の裏話に浸れるのだから、これはお買い得でした。
しかし、この新興宗教のような、おもしろみのないタイトルはどうかと思う。
(Jul 03, 2013)
チムニーズ館の秘密
アガサ・クリスティー/高橋豊・訳/早川書房/Kindle版
アガサ・クリスティーの長編第五作。
クリスティーといえば、まずはポアロ、次にマープルという印象だけれど、キャリアを年代順にたどり始めてみて意外に思うのは、初期にまとめてサスペンス・スリラーを書いていること。ここまでの五作品中だけに限れば、ポアロものよりもスリラーのほうが多い。いまだこの時点では、名探偵ポアロもキャラクターとしてそれほど有名ではなかったのだろうし、おかしなベルギー人の小男の話よりも、楽しげな冒険小説を書いているほうが作者自身が楽しかったのかもしれない。
ということで、この小説はクリスティー三作目となる冒険スリラー。前の二作品『秘密機関』と『茶色の服の男』は作者自身の姿を投影したようなヒロインものの小説だったけれど──『秘密機関』にはトミーとタペンスのダブル・キャストなのに、なぜかタペンスばかりが印象に残っている──、ここで初めて男性を主人公にして、より一般的なスリラーに挑戦してみました、という感じ。
とはいえ、内容が一般的かどうかは、やや疑問。架空の欧州小国のお家騒動に、フランス人の怪盗によるお宝探し、政府要人の殺人事件と、もう事件がてんこ盛り。当然、恋愛小説的な要素も欠かさない。あまりにあれこれ盛り込まれ過ぎていて、まだ読み終えてから十日ばかりなのだけれど、すでにどういう話だったか、よくわからなくなってしまっている。
まぁ、クリスティー流スリラーのおもしろさは、そのテンポのよさにあると思うので、ル・カレ的なリアリティを求めるとまず確実にがっかりするけれど、そうではなく、コメディ寄りのヒッチコック映画の活字版とでも考えて読めば、これはこれで問題なく楽しい。
(Jul 14, 2013)
アクロイド殺し
アガサ・クリスティー/羽田詩津子・訳/早川書房/Kindle版
いわずと知れたアガサ・クリスティーを代表する初期の傑作。
犯人の意外性が肝のこの作品。残念なことに、僕は初めて読んだときには、それ以前にどこぞの心ない評論家が書いた「犯人が※※の場面で※※する」という文章を読んでしまっていた。
なので、その問題のシーンに差し掛かったときにはこりゃまずいと思って、その章の残りのシーンを飛ばしたりしたんだったが、あいにく、その次の章の冒頭で肝心の話が繰り返されていて、結局犯人がわかっちゃったという……。そんながっかりな過去がある。
なので初読のときの印象はそれほどよくなかった。たとえ歴史的傑作といわれる作品であっても、フーダニット──Who (had) Done It のもじりで、誰が犯人かが焦点となるミステリのこと(蛇足)──で、話の途中で犯人がわかってしまうのは致命的。そのおもしろさを味わいそこなったがっかり感が否めなかった。
でも今回、この作品をあらためて再読してみて、僕にもこの作品が傑作だと言われるわけがよくわかった。いや、犯人がわかっているからこそ、作者が張り巡らせた伏線の妙が、よりはっきりとわかる。誰が犯人かという点以外についてはまったくといっていいほど忘れていたので、殺人事件が起こって、さまざまな証言から、死亡推定時刻があきらかになるあたりですでに、「えっ、なんでそうなっちゃうの?」とか思っていた。
要するにこの小説はフーダニットの傑作であるのと同時に、犯人を知って読む読者にとっては、また別の種のミステリとして楽しめる作品に仕上がっているのだった。そのプロットの巧みさにあらためて感心した。極端な話、この小説は再読してこそ、その真価が味わえる作品のような気さえする。
(Jul 14, 2013)
幸福の遺伝子
リチャード・パワーズ/木原善彦・訳/新潮社
現時点でのリチャード・パワーズの最新作が翻訳で登場。まだ未訳の作品が四本あるものの、ひとまず本国アメリカに追いついた。
難解なイメージのあるパワーズだけれど、ここ近年の三作品──『われらが歌うとき』、『エコー・メイカー』、そしてこれ──に関していえば、決して物語自体が難しいわけではないと思った。過剰な情報量をベースとしたその文体は噛みごたえたっぷりだから、決して読むのが簡単とは言えないけれど、かといってストーリー自体については、それほど惑うことがない。
今回の話は、作家としてのキャリアにつまずいた主人公ラッセルが、大学の臨時講師として受け持った講座で出会ったアルジェリア人女性についての物語。彼女タッサはとくべつ美人というわけではないにもかかわらず、生まれつきの過剰なまでの親しみやすさで、出会う人すべてを魅了してしまう。
難民として不幸のどん底をなめているはずなのに、そのことを露も感じさせない彼女のポジティヴさに尋常ならざるものを感じたラッセルは、彼女が感情高揚性気質(ハイパーサイミア)なる特殊気質の持ち主なのではないかと疑い出す。
やがて、その耳慣れない言葉がきっかけとなって、タッサは高名な遺伝学者の目に留まり、DNA検査の結果、「幸福の遺伝子」の持ち主と認められ、一躍マスメディアの寵児となってしまう。そして予想外のトラブルに巻き込まれてゆく。
──というような話で、なにやら珍しい精神病と心理学者が絡んでくる点で、前作『エコー・メイカー』と道具仕立ては似ている。ただし、あちらが不幸な人ばかりって印象だったのに対して、こちらは中心人物が幸福度・百パーセントなので、全体の印象はまるで違う。要するにこっちのほうが断然おもしろい。
幸せになれるよう生まれついたはずの人が、現代社会のマスメディアによる無責任な好奇心に飲み込みこまれて、不幸を味わわされる。彼女を愛するまわりの人にも、それをどうすることもできない。それどころか、それぞれが別の苦しみを味わうことになる。幸せの遺伝子が、結果的に不幸をまき散らす。その不条理感がどうにもせつない。
(Jul 21, 2013)
ビッグ4
アガサ・クリスティー/中村妙子・訳/早川書店/Kindle版
デビューからここまで、ポアロものとスリラーを交互に書いてきたクリスティーだけれど、『アクロイド殺し』からは三作連続でポアロものがつづく。それは『アクロイド殺し』の成功によって、ポアロものへの需要が高まったせいかと思っていたのだけれど、この本の訳者あとがきによると、どうやらそういうわけではないらしい。
なんでも有名なクリスティー失踪事件がこの時期のことで、その事件により精神的にまいっていた彼女に、「雑誌に連載していた短編を手直しして、長編に仕立て上げてみてはどうか」と義兄が勧めた結果、出来上がったのがこの作品なのだそうだ。
なるほど、そう言われてみて納得。僕はこれ、いったいなんなんだろうと不思議に思っていたんだった。
だって、ポアロが世界征服をたくらむ秘密結社と対決するって話ですよ? 仮面ライダーじゃないんだから。内容的にも山田風太郎の得意とする連作長編っぽいスタイルだし。印象的に近いのは、江戸川乱歩の少年探偵団もの。要するに、ジュヴナイルだとでも考えないと、納得がいかない出来映えなんだった。いったいどうした、クリスティーとか思ってしまった。
あまりの異色作だったので、最初はふつうのスリラーとして着想していたものを、ポアロの人気急上昇により、急きょポアロを主人公に祭りあげたせいで、珍妙な仕上がりになってしまったのかと思ったのだけれど、もともとは短編だったものを長編に仕立て上げたものと聞いて、とりあえず納得。さしものクリスティーも全体の骨組みが急ごしらえでは、さすがに苦しかったとみえる(それにしても、同じような手法の連作長編を、あれだけの数、あれほどまでの出来映えで書き上げた山田風太郎って、本当に天才だったのだなと思う)。
そういや、前述のとおり、この本には「訳者あとがき」がついている。クリスティー文庫の「解説」とは違うのかもしれないけれど、Kindle版でのこのシリーズでは、本編が終わったあとにおまけがついているのは、これが初めてだ。あまりの出来映えに、この作品ばかりは、あとがきでもつけて説明しておかないとまずいと編集者が思ったのかもしれない。
なんにせよ、アルゼンチンに引っ越したはずのヘイスティングズが帰国してくるってのが、いちばんの読みどころではないかという、そんな作品。
それにしてもヘイスティングズ、奥さんのことほったらかしでいいんでしょうか? 彼の家庭がちょっと心配。
(Jul 21, 2013)
青列車の秘密
アガサ・クリスティー/青木久恵・訳/早川書房/Kindle版
正直なところ、僕はこの作品、序盤はあまり盛りあがらなかった。前の『ビッグ4』でポアロが悪の秘密結社と戦ったあとだけに、この作品でもふたたびスパイやら宝石泥棒がどうした、みたいな話が繰り広げられているのに、いきなり食傷気味な気分に。また、語り手がヘイスティングズではなく、ふつうの三人称で、事件までの前置きが長く、なかなかポアロも登場しない展開もじれったい。
はやくも俺のクリスティー・フィーバーも下火か?──と思ったのだけれど、とりあえずその後、ブルー・トレイン(タイトルは『青列車の秘密』のままなのに、本文では「ブルー・トレイン」とはこれいかに?)の乗客として、ポアロがなにげなく登場して、あとから事件が巻き起こるってあたりからは持ち直した。結局、その後はいつもどおり、やめられない、とまらない状態で、楽しく読めた。
この作品では、犯人にあまり意外性がなかったけれど──少なくても僕は読んでいて、半分もせずに犯人の見当がついてしまった──、アリバイ作りのトリック(なぜに被害者は顔をつぶされていたのか)には感心した。なにやらせつないエンディングも含めて、冒険好きな恋愛ミステリ作家、アガサ・クリスティーらしい一編ではないかと思います。
(Jul 21, 2013)