2013年6月の本

Index

  1. 『ゴルフ場殺人事件』 アガサ・クリスティー
  2. 『茶色の服の男』 アガサ・クリスティー
  3. 『マリッジ・プロット』 ジェフリー・ユージェニデス
  4. 『新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺』 柳田国男
  5. 『遠野物語remix』 京極夏彦・柳田国男
  6. 『ポアロ登場』 アガサ・クリスティー
  7. 『明治断頭台(山田風太郎明治小説全集七)』 山田風太郎

ゴルフ場殺人事件

アガサ・クリスティ―/田村義進・訳/早川書房/Kindle版

ゴルフ場殺人事件 (クリスティー文庫)

 アガサ・クリスティーの長編第三作目にして、ポアロ・シリーズの第二弾。
 ここまで四冊(次の作品ももう読み終えている)のクリスティー作品を読んできて思うこと。この人って、じつは恋愛小説家だなと。
 どの事件をとっても、事件を難事件たらしめているのは恋愛だ。とはいっても、愛憎や嫉妬ゆえに人が殺されるという意味ではなく、殺人事件の背後には、いつでも愛する人のために理にかなわない行動をとる男女の存在があって、それが表面化していないがゆえに事件が難しくなっているという意味で。この作品ではそれが特に顕著で、三重くらいに入り乱れているのみならず、ヘイスティングまでその一端を担っていたりする。
 おそらくクリスティー・ミステリにとっての最大のトリックは「愛」だなと。何作かつづけて読んでみて、そう思ったのだった。ちとこそばゆい物言いだけれど。
 この作品については、事件が二層構造になっていて、その半分の謎が比較的に早いうちに明らかにされる展開がおもしろかった。
 被害者の秘密の過去が事件の鍵を握っているという設定には、シャーロック・ホームズの長編を思い出させるものがあると思う。
(Jun 03, 2013)

茶色の服の男

アガサ・クリスティー/深町眞理子・訳/早川書房/Kindle版

茶色の服の男 (クリスティー文庫)

 「Kindleでアガサ・クリスティーを読もう」シリーズも第四作目にして、ようやく初読の作品が登場。
 とはいえこれ、内容的には、かなり『秘密機関』に近いものがあると思う。本や映画が好きな若い女の子が、平凡な生活に飽き足らず、冒険がしたいわっ!――っていって、南アフリカを舞台にした実際の犯罪事件に巻き込まれてゆくというサスペンス・スリラーで、びっくりするほど唐突な恋愛描写も含めて、『秘密機関』の姉妹編といった印象の作品。
 まぁ、とはいえ、あの作品に比べると、導入部の展開などは比較的しっかりしていて、作者の成長がうかがえる。前作の反省を踏まえて、あえて同じジャンルに再挑戦してみました、みたいな作品なんじゃないだろうか。実際に出来はこちらのほうがいいと思う。安心して楽しく読めるクリスティー流サスペンス・スリラーの秀作。
 この作品で出色なのは、サー・ユースタス・ペドラーという御仁のキャラクター。全編に渡るこの人のコミカルなぼやきが、じつにいい味を出している(といいつつ、情けないことに僕は、名前が似ているので、途中までこの人とナズビー卿と混同していたりした)。
 あと、この作品でもっとも感心したのが、叙述ミステリとしてのトリック。その後の女史の代表作となる某作品と同じトリックが、この作品ですでに使われている。そういう意味では、意外と重要な作品なんではないかと思う。
 惜しむらくは、翻訳がいまいちなことと、ジュブナイルのような表紙。
 表紙のイラストを手掛けているのは、『孤独のグルメ』や『「坊っちゃん」の時代』などを描いているマンガ家の谷口ジローという人らしいけれど、この人が好き嫌い以前の問題として、僕は基本的に小説の表紙をマンガ家に依頼する風潮自体に否定的なので、その時点でNG。Kindle版でなかったら、ぜったい買ってない。名作『オリエント急行の殺人』までがこの人の表紙になってしまっているのが、なんとも残念だ(【追記】あちらはその後変更された)。
 翻訳に関しては、わざわざクリスティー文庫のために新しく訳されたものとのことだけれど、最近では使わないような漢字熟語が多くて、古くさい印象だった。わざわざ新訳したのに、なんでこうなっちゃうのか、よくわからない。
 翻訳でとくに気になったのは、シューザン・ブレア夫人という人物名。
 「シューザン」たあ、ずいぶん耳慣れない女性名だなと思って調べたら、英語のつづりは Suzanne だった。つまり、普通ならば「スーザン」か「スザンヌ」と訳されるところを、この本では「シューザン」と訳しているわけだ。旧訳では普通に「スーザン」だったものを、今回の新訳では、わざわざ変えたらしい。
 もしかしたら訳者の知人にスーザンという人がいて、その人の発音が実際には「シューザン」だから、翻訳もこれにならった、という話なのかもしれないけれど、なまじ「スーザン」という名前がすっかり女性の英語名として定着している分、やたらと違和感があった。もしも「シューザン・サランドン」なんて表記をしている映画雑誌があったら、誰だって「なにこれ?」と思うでしょう? 少なくても、僕は最後までこの名前に馴染めなかった。
 表紙といい、翻訳といい、わざわざ改訂して劣化させているとしか思えない。本当に最近の早川書房はなにやってんだろうと思ってしまう。
(Jun 03, 2013)

マリッジ・プロット

ジェフリー・ユージェニデス/佐々田雅子・訳/早川書房

マリッジ・プロット

 前作『ミドルセックス』で大河小説と青春小説を融合した異形の傑作をものにしてみせたジェフリー・ユージェニデスの第三長編。
 プロット自体がド派手で、テーマも扇情的だった前作に比べると、今回の印象はきわめて等身大。大学卒業間近の男女三人の三角関係を描いた青春小説で、主な舞台は一九八三年。ユージェニデス自身が大学を卒業した年がそこいらへんで(作者は僕より六つ年上)、つまり自伝的要素が色濃く出ている──というようなことが解説に書いてあったような、なかったような。
 タイトルの『マリッジ・プロット』はジェイン・オースティンなど十九世紀の作家の描いた結婚(=恋愛の成就)によって完結する恋愛小説一般をあらわす言葉とのこと。主人公のマデリンがこの時代の小説の愛好家だという設定で、物語はそんな彼女と二人の青年とのきわめて現代的で複雑な恋愛関係を描いてゆく。
 八十年代を舞台にしてはいるものの、時期的にはMTVが普及する前だからか、はたまたユージェニデス自身があまりそっちの方面に関心がないからか、ポップ・カルチャーに関する言及は控えめ。セックスには奔放で、大麻も吸うけれど、その一方で哲学や文学についても熱く語る、そんな二十世紀後期のアメリカの大学生像が描かれている。
 この作品のポイントはとにかくそのボリュームだと思う。恋愛小説といいながらも、この作品では躁鬱病という病気の深刻さを描くことにも大きな力が注がれている。主人公のひとりが卒業旅行でヨーロッパからインドへと旅して歩くという、ロードムービー的な側面もある。普通ならばそれだけで一編の小説として成立するそれらのテーマを、あえて一本の恋愛小説の中にふくめて、ひとつにたばねてみせたところが、この小説のいちばんの特徴だと思う。
 まぁ、そのよくばった構成のおかげで、ややまとまりを欠いた嫌いがなくもないけれど、それでもまとまりを欠くからこその説得力とリアリティが、この小説にはある。誰の人生だって、実際にはそういうとっちらかったものだろうから。
 とにかくボリュームがあって、なかなか話の筋が見えてこないし、筆圧も高いので、読むのにはけっこう手こずった。ユージェニデスって、こんなに歯ごたえのある小説を書く人だったっけ? と思ってしまった。
 同時進行で読んでいたアガサ・クリスティーとの差があまりに激しかったこともあり、これぞ文学って手ごわさを堪能した一冊。
(Jun 17, 2013)

新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺

柳田国男/角川ソフィア文庫

新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺 (角川ソフィア文庫)

 京極夏彦の『遠野物語remix』に先駆けて、柳田国男のオリジナル版を読んでみた。
 僕が読んだのは、角川ソフィア文庫に収録されいている『新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺』の Kindle 版。近代日本文学の古典を読むのに、電子書籍とはなんとも風情がないとは思うけれど、前にも書いたように、古い本を読むには、簡単に辞書が呼び出せる電子書籍はとても便利なのだった。
 あまり内容とは関係のない話になってしまうけれど、この本を電子書籍で読んでおもしろかったのは、その収録ページ数の比率。『遠野物語』は、なんと全体のわずか二十五パーセント強──というのが電子書籍だからわかる──のところで終わってしまう。でもって、そのあとに『遠野物語拾遺』が七十五パーセント過ぎまでつづく。
 つまり本編の『遠野物語』よりも、おまけだと思っていた『遠野物語拾遺』のほうが倍近くボリュームがあるのだった。さらに言うならば、そのあとの解説パートが本全体の四分の一を占める──つまり『遠野物語』と同じだけページ数がある──という、珍しい構成になっている。
 ただ、解説以降のページ数が多いのにはわけがあって、新旧三本の解説が収録されている良心的な編集に加え、なによりの理由は、巻末の年譜がページ数を食っているせい。
 ふつうの本だと、年譜のページは上下二段組みにしたり、フォントサイズを小さくしたりして、ページ数を減らすものだけれど、電子書籍の場合はそういう細工ができない――もしくは、できるけれどしていない?――ために、ほかのページと同じレイアウトになっていて、それゆえ無駄にページ数が増えてしまうのだった。こういうのを見ると、電子書籍ってちょっとなぁと思う。
 まぁ、なんにしろ、この本は『遠野物語』に、その倍もある『遠野物語拾遺』を併録して、さらに三本の解説に年譜までしっかりと収録している――さらには表紙も地味ながら通常書籍と同じものがついてる――という点で、これまでに僕が読んだ電子書籍の中では、もっとも良心的な一冊だった。角川書店、えらい。
 内容自体については、文語体の『遠野物語』が僕に理解できるのか、読むまでは不安だったのだけれど、それほど難しい言葉が使われているわけでもなく、普通に読めてひと安心だった(ただし最後の歌についてはちんぷんかんぷん)。
 のちの時代に刊行された続編の『拾遺』は普通に口語文になっていて、柳田先生自身がはしがきで「『遠野物語』も同じように書き改めるべきなんだろうが……」みたいなことを書いているけれど、僕はこの本の文語体は大切だと思った。
 なまじ読みにくいからこそ、時代性が深く滲み出て、なんとも言えない不気味な味わいを生んでいる。単純に『遠野物語』と『拾遺』を比べると、圧倒的に『遠野物語』のはらむ闇のほうが濃い。一編一編は一ページ足らずの、どこかで聞いたことがあるような、たわいのない話ばかりなんだけれど、それが日本古来の文体でとつとつと語られてゆくのを読んでいると、心のなかに深い闇が広がってゆく。こういう話が昔話などではなく、明治末期に今現在の話として言い伝わっていたってのがすごい。
 日本こえぇ、と僕は思った。
(Jun 17, 2013)

遠野物語remix

京極夏彦・柳田国男/角川学術出版

遠野物語remix

 ということで、柳田国男につづいては、京極夏彦による『遠野物語remix』。
 なにが「リミックス」なのかと思っていたら、語られている内容は『遠野物語』のまんまだった。それを口語体で語りなおし、なおかつ、いま現在の知識をもとに適時補足をくわえ、さらには語りの流れを意識してか、文章の順番を並びかえている。なるほど、単なる口語訳とはいえないあたり、リミックスとはよくぞ言ったという感じ。
 ひとつ前で書いたように、僕は『遠野物語』は文語体であることが重要なファクターだと思ったので、口語訳にしてしまったことで、その部分の味わいがなくなってしまっているけれど、その分は小説家・京極夏彦の文体によって、また別の味わいをもつに至っている。
 京極氏にしてみれば、『遠野物語』で語られている、いまの日本が失いつつある情感を、現代の読者にきちんと伝えたいと思っての仕事なのだろうから、十分にその使命は果たしていると思う。独特の闇をはらんだ日本の風景を、上質な紙を使った単行本でゆったりと読めるという点で、なかなか贅沢な気分の味わえる一冊。
 そういや、なにが書いてあるんだ、さっぱりわからなかった最後の歌が、ひとつずつちゃんと説明されているのもありがたかった。
(Jun 18, 2013)

ポアロ登場

アガサ・クリスティー/真崎義博・訳/早川書房/Kindle版

ポアロ登場 (クリスティー文庫)

 Kindle版で読むクリスティー文庫の五冊目は、タイトル通り、ポアロものの短編ばかりを集めた、女史にとっての処女短編集。ただし、種本となったのはイギリス版のオリジナルではなく、最後の三編を追加収録して後年に刊行されたアメリカ版とのこと。
 ――というのも、ネットで調べてわかったことで、あいかわらず解説はなし。短編集のくせに、Kindleの目次機能にも対応していないし――いま読んでいるヴォネガットの『タイタンの妖女』は、同じ早川書房なのに(そして長編なのに)ちゃんと目次がついているから、単に怠けただけなのはあきらかだ――、もう本当にこのシリーズはダメダメだ。
 ただし、駄目なのは電子書籍としてのつくり込みの部分であって、作品自体にはなんら問題なし。ミステリとして、特別にすごいって本ではないけれど、それでも読んでいて、ただただ楽しい。縦板に水って感じで、まるでマンガのようにすらすらと読める、その読みやすさが快感。
 この本に限らず、クリスティーの作品すべてがそんな感じなので、わずか一ヶ月の間にこれが五冊目という状況になっている。全作読み切るには何年かかるだろうと思っていたけれど、この調子で読んでいたら、二年もしないうちに読み終わってしまいそうだ。
 とにかく、この本は短編集なので、その読みやすさが、なおさら際立って印象的だった。どの作品も事件の発生から解決までが迅速で、一話あたり十五分もあれば読めてしまう感じ。まぁ、とはいいながら、一編ごとに話が途切れる分、ずっと読みっぱなしみたいな状況にはならなかったから、長編を読むときよりもトータルでの時間はかかった。
 個人的ないちばんのお気に入りは、最後に収録されているポアロの失敗談を描いた『チョコレートの箱』。名探偵の失敗談を描いた短編ということで、シャーロック・ホームズを連想させる一編。こういうのが読めるのも、短編集ならではだ。
 ほんと、まるでそのタイトルの『チョコレートの箱』みたいに、ちっちゃなミステリがころころと並んだ、とても楽しい一冊だった。
(Jun 19, 2013)

明治断頭台(山田風太郎明治小説全集七)

山田風太郎/ちくま文庫

明治断頭台―山田風太郎明治小説全集〈7〉 (ちくま文庫)

 ひさびさに読みました、ちくま文庫の山田風太郎明治小説全集。今回の第七巻はシリーズ初の一巻完結の長編小説(これまではすべて上下巻)。
 ひさしぶりといえば、このシリーズがどうしたという以前に、文庫本を読むのが、やたらとひさしぶりだった。調べてみたら、じつに半年ぶり。それも前回読んだのが、このシリーズの第六巻だというんだから、どれだけ文庫と縁遠くなってしまったか、よくわかる。通勤時に Kindle Paperwhite を利用するようになったことで、すっかり文庫本の出番がなくなってしまった。
 まぁ、そういうのもたまたまで、文庫でないと読めない作品にも、まだまだ読みたい作品はあるし(そもそもこの明治小説シリーズもまだ半分しか読んでいない)、これから先はそんなに間が空くことはないだろうとも思う。
 さて、そんなわけでひさしぶりに文庫で読んだ山風明治モノ長編の四作目。
 いやしかし、これはかなりの異色作だと思う。明治初期に役人の不正を取り締まる目的で設置された弾正台という組織に所属する川路利良{かわじとしよし}(のちの初代警視総監)と同僚の奇人・香月経四郎{かづきけいしろう}を探偵役としたミステリではあるんだけれど、殺人事件の謎を解決するのが、経四郎の愛人にして、ギロチンを発明した人の子孫だというフランス美女、エスメラルダが降霊術によって呼び出す被害者自身の告白だという、なんとも人を食った話なのだった。
 風太郎お得意の連作長編で、最初の二話でその辺の人物関係を描いたあと、三話目からようやく本編突入というか、そうしたオカルトな探偵ミステリとしての骨格があきらかになる。でも、一話ごとにそのオカルト仕掛けが怪しげなことになってゆき、最終話にアクロバティックな大どんでん返しがあって、いかにも風太郎らしい血なまぐさくも涼やかな結末を迎えるという趣向。
 解説で日下三蔵が絶賛するほどの「超傑作」だとは思わないけれど、まぁ、ほかの作家にはまず書けないような奇抜かつ個性的な作品であることにはまちがいない。
(Jun 30, 2013)