2012年5月の本

Index

  1. 『めくらやなぎと眠る女』 村上春樹
  2. 『虚言少年』 京極夏彦
  3. 『ただ一度の挑戦』 パトリック・ルエル

めくらやなぎと眠る女

村上春樹/新潮社

めくらやなぎと眠る女

 村上春樹の英語版アンソロジーの逆輸入版、第二弾。
 前作『象の消滅』のときにはあまり気にしていなかったけれど、このシリーズはとてもコスト・パフォーマンスが高い。なんたって、この本には『東京奇譚集』がまるごと収録されている。その部分だけで百五十ページ。全体では五百ページだから、要するにこれ一冊でオリジナルの短編集三冊分くらいの分量ということになる。それで千四百円だっていうんだから、これはお買い得でしょう。ソフトカバーながら、日本の本には珍しいバタ臭い装丁も魅力的だし、翻訳短編小説のアンソロジー『バースデイ・ストーリーズ』のために書き下ろされた『バースデイ・ガール』や、全集のために書き下ろされた『人喰い猫』も収録されているし(これがなかなかいい)、村上春樹の短編集はすべて読んでいるという人でも、とりあえず要チェックの一冊ではないかと思う。
 ……といいつつ、僕は若いころ、あまり村上春樹の短編って好きではなかったのだけれど──長編よりも作為的な部分が不自然にめだつ気がして、いまいちなじめなかった──、こうやって新旧の短編をまとめて読んでみて、あらためてその感じを思い出してしまった。いい短編もたくさんあるんだけれど、たまにこれは好きになれないなぁって作品もある。おもしろくないというのではなく、なんとなく好きになれない、という感じ。
 どこがどうとかは分析できないし、する余裕もないけれど、いずれにせよこの感じがあるから、僕は村上春樹を全面肯定できないでいるんだろうなと思った。
(May 20, 2012)

虚言少年

京極夏彦/集英社

虚言少年

 もともと京極夏彦は妖怪ミステリという独自の世界観を提示して人気を博した人だけれど、このところは『死ねばいいのに』とか『オジいサン』とか、ジャンル分けしにくい作品ばかり書いていて、ミステリ作家と呼ぶのがぴったりしない感じになってきた。
 今回のこの『虚言少年』という連作短編小説も、ジャンル分けは難しい。主人公は京極氏の分身のような小学生の少年で、時代設定は──明示されてはいないと思うけれど、作者の年齢から推察するに──昭和三十年末。
 ただ、この主人公の少年、内本健吾くんは小学生らしからぬ理屈っぽい語り口で、とても普通の小学生とは思えなかったりする。そもそもその時代設定にもかかわらず、彼は「僕らの生きるいまの時代にはオタクなんて言葉はない」というように、平成二十年代現在の風俗をわきまえた口をきく。
 『豆腐小僧』でも妖怪たちはあっけらかんと平成の風俗を踏まえていたけれど、あの小説と同じく、この作品でも語り手の少年は自分の立ち位置としての時間軸を無視しているというか、舞台設定としての時代性を超越してしまっているのだった。そこんところに生まれるメタ・フィクション的なおかしみがこの作品の特徴のひとつだと思う。
 で、この少年がなにをするかというと、親友ふたりとともに、ささやかな日常に埋もれたありふれたおかしみをすくい取っては、大笑いしているという。ただそれだけの話。いってみればこれは、昭和三十年代のお笑いオタク少年の話なのだった。
 とはいえ、その時代のお笑いはいまみたいにフォーマット化されて市民権を獲得していないし、そうした特定のジャンルを偏愛する人たちをひとくくりにするオタクなんて言葉もない。そもそも彼はタレントのキャラにばかり依存したいまどきのお笑い的なものが好きなわけではなく、もっと笑いの本質的な部分を鋭く見抜いている。
 別にテレビなんか見なくても、人々の日常のなかには、笑えることって、それなりにあるものだろう(少なくても僕のまわりにはたくさんある)。ケンゴ少年はそうした日常のなかの笑えるエピソードを見つけては、親友たちとともに徹底的に笑いまくることを趣味としている少年なのだった。その姿勢はある意味、小学生らしい気もするし、らしくない達観のようにも思える。
 ただ、『豆腐小僧』の妖怪たちが自らが存在しないことをわきまえているのと同じように、彼はそんな自分の趣味があまり普通でないことをわきまえている。そして彼はそんな自分を他人の前にさらけ出すのをよしとしない。笑う側に徹するがために、自らの本当の部分を人には隠して、平凡で無個性な一少年として生きるのをモットーとしている。
 要するに彼は嘘の自分を人に見せながら暮らしているのだった。それがこの小説のタイトル『虚言少年』のゆえん。
 さて、笑えるエピソードを収集するのをなによりの楽しみとする嘘つき少年は、いったいどんなことに大笑いしているのか。──それは読んでのお楽しみ。僕は一話目の『三万メートル』の笑いのツボがとても好きだ。
(May 27, 2012)

ただ一度の挑戦

パトリック・ルエル/羽田詩津子・訳/ハヤカワ・ミステリ

ただ一度の挑戦 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 今年のはじめにレジナルド・ヒルがなくなったと知ったのは、二月の末のことだった。
 その頃のミステリ・マガジンの次号予告に内藤陳氏と並んで名前があるのを見つけて、うわ、もしやと思ったら、やはり……。
 なくなったのがちょうど新聞を取るのをやめていた時期だったので、不覚にも訃報を見逃していた(こういう時だけは新聞って大切かもと思う)。これっきり、ダルジール警視シリーズの新作が読めないと思うと、とてもさびしい。
 これはそんなレジナルド・ヒルがパトリック・ルエル名義で書いた最後の作品らしい。……とはいっても、翻訳が刊行されたのはもう二十年以上前の話だけれど。いまさらだけれど、追悼の思いを込めて読んだ。
 内容はIRAのテロで恋人を失った過去を持つ主人公の警部が、息子を誘拐されたというヒロインを助けて、事件の謎を追ってゆくというサスペンス・スリラー。
 冒頭で事件がじつは偽装誘拐で、実際にはその女性が息子を殺したのはないかという疑いが持ちあがるという展開で、いまいち嫌な話そうに思えたんだけれど、その後、早めにその辺の謎が解けて、話の概要が見えたあたりからはとてもおもしろくなった。やっぱレジナルド・ヒルはうまい。もうこの人の新作を楽しめないと思うと、心から残念だ。
 未訳の作品がけっこうあるので、願わくばこの先すべて翻訳されて欲しいと思う。
(May 27, 2012)