2012年9月の本

Index

  1. 『夢を見るために毎日僕は目覚めるのです』 村上春樹
  2. 『ポオ小説全集』 エドガー・アラン・ポオ
  3. 『トム・ソーヤーの冒険』 マーク・トウェイン
  4. 『LAヴァイス』 トマス・ピンチョン
  5. 『定本 百鬼夜行 陰』 京極夏彦
  6. 『定本 百鬼夜行 陽』 京極夏彦

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

村上春樹/文藝春秋

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

 村上春樹が世界各国で受けたインタビューをチョイスして一冊にまとめた本。村上春樹という人は自分のことについて語るのに消極的な印象があったから、こういう本を自ら出すのはちょっと意外だった。
 時期としては『アンダーワールド』(小説なら『スプートニクの恋人』)から『1Q84』の出る直前まで。発表された国の内訳は、日本が七本、アメリカが五本、あとは台湾、中国、フランス、ロシア、ドイツ、スペインが一本ずつとなっている(数えた)。
 内容は……というと、情けないことに、すでによく覚えていない。けっこう長いことかけて、寝る前にちょこちょこ読み進めていたので、散漫な印象しか残っていない。僕の場合、基本的にインタビュー集ってあまり読むのが上手くない気がする。いや、ジャンルを問わず、本を読むこと自体、それほど上手くないのかもしれない(下手の横好き)。そんなわけで、これといって語る言葉なし。
 とりあえず、村上春樹に対するインタビューだけあって、どのインタビューにも表題と同じように、春樹ブランドともいうべき、気の効いたサブタイトルがついている。「お金で買うことのできるもっとも素晴らしいもの」なんてのは、ちょっとそれらしくない気がしたけれど、春樹氏の発言を読んで、あぁ、そりゃそうだと納得。僕もそれなら喉から手が出るほど欲しい。
(Sep 08, 2012)

ポオ小説全集

エドガー・アラン・ポオ/創元推理文庫(全四巻)

ポオ小説全集 1 (創元推理文庫 522-1)

 小学生時代に江戸川乱歩に親しみ、大学ではアメリカ文学を専攻した身としては、ポオという作家はずっと気になっていて、一度はちゃんと読んでおかないといけないといけないと思っていた。
 ただ、これまでどうにもその気になれなかった。過去に短編集の一冊くらいは読んでいるはずなので、そのときにそれほど惹かれるものを感じなかったんだと思う。
 でも、たかが短編集一冊で判断するのも間違っているだろうと。これだけ後世に名前を残している作家なんだから、ちゃんと読めば、そこにはそれなりに感じるものもあるんだろうとは思いつづけ、この創元文庫の小説全集がわずか四巻で完結していることもあり、いずれこれを読もうと思いつづけて幾星霜。このたび、手持ちの文庫本がほとんどなくなったので、意を決して読むことにした。
 でも、結局、文庫四冊を読み切るのに二ケ月もかかってしまった。やっぱ、ちょっと読むタイミングを誤った気がする。刊行が古い文庫だから、活字が小さくて、老眼が進んだ眼にはきびしいし、なによりポオという人は、新しい仕事に慣れずに疲れ切っている日々に読むような作家ではなかったなぁと、いまは思う。
 とはいえ、とりあえずポオという人のすごさはよくわかった。『モルグ街の殺人』でミステリを発明したことや、『アッシャー家の崩壊』に見られる怪奇趣味など、乱歩をつよく惹きつけた側面しか認識がなかったけれど、こうして全小説を通して読んでみると、そのジャンルの多様さになにより驚かされる。なかには月旅行の話や海洋冒険小説などもあるし(その中でカニバリズムを扱っていたりもする)、ものによっては結構ユーモアも感じさせるしで、ポオの小説世界は、ひとことで「このジャンル」とくくり切れない広がりを持っている。
 インターネットでどんな情報にでも即座にアクセスできる現代ならばともかく、十九世紀でこの博学ぶりは驚異的だ。それもとくべつ裕福で時間に恵まれた境遇にいたわけではないというから驚く。なんでこの人はこの時代に、南極に住むペンギンの生態なんて、こと細かに知っているんだ? どこでどうやったら、これだけの知識や特殊な趣味が身につくんだろう。とにかく論理性と知的好奇心の上では、桁外れの超人的なパワーを持っていた人のように思える。
 そう、僕はこの文庫本四冊を読んで、トマス・ピンチョンに近いものを感じた。一編一編ではとくにそんなこともないのだけれど、その小説すべてを読んだあとで全体像として立ち上がってくる世界観のボリュームには、ピンチョンと同質の知的パワーを感じる。
 まさかポオを読んでピンチョンを思い出すことになるなんて、思ってもみなかった。
(Sep 08, 2012)

トム・ソーヤーの冒険

マーク・トウェイン/柴田元幸・訳/新潮文庫

トム・ソーヤーの冒険 (新潮文庫)

 現代アメリカ文学翻訳界の第一人者、柴田元幸先生による『トム・ソーヤーの冒険』の新訳版。
 この小説を読むのは、おそらくこれが生涯で三度目だと思う。小中高のいずれかで最初に読んだときにはたいしておもしろいと思わなかったにもかかわらず、大学時代にふたたび読んでみたら、思いのほかおもしろくて感心した覚えがある(どこがどうおもしろかったとかは、ぜんぜん覚えていないけれど)。
 そして今回。あらためて自分がトムの親の世代となってから読み返してみて、僕は物語うんぬんよりも、マーク・トウェインが描いて見せる、時代や場所を超えても変わらない少年性のみずみずしさとユーモア溢れる筆さばきに大いに感銘を受けた。
 これは大人だからこそ書ける少年小説だと思う。マーク・トウェインは単に少年時代を懐かしんて美化するのではなく、男の子たちの愛すべき馬鹿さ加減を、シニカルなユーモアでもって、見事に描き出している。いまの日本ならば、マンガとしてしか表現できなさそうな内容を、きっちり児童文学として描き切っているところが素晴らしい。
 いやしかし、これは僕個人の問題だけれど、ハックルベリー・フィンのイメージが、知らないうちに『未来少年コナン』のジムシーに固定されてしまっていて、がらっぱちな印象の柴田訳といまいちマッチしないのが残念だった。……ってところが、われながら情けねぇ。
 この小説が発表されたのは、マーク・トウェイントが四十一歳のころ。いまの僕の歳とそう変わらない。マーク・トウェインと比べて、自分はなんて幼稚なんだろうと思う。ほんと情けねぇ。
(Sep 16, 2012)

LAヴァイス

トマス・ピンチョン/栩木玲子・佐藤良明・訳/新潮社

トマス・ピンチョン全小説 LAヴァイス (Thomas Pynchon Complete Collection)

 トマス・ピンチョンの最新長編小説は、印象的には『競売ナンバー49の叫び』と『ヴァインランド』をあわせたような感じ。どちらかというと、男性を主人公に変えた『競売ナンバー49の叫び』の姉妹編というか。そんな作品。
 主人公が私立探偵であるため、この本の帯ではハードボイルド小説だと称されているけれど、会話をはじめとして、翻訳の文体が『ヴァインランド』と同じ調子のくずれた佐藤調──栩木玲子という人との共訳となっているけれど、文体はまったくの佐藤良明氏のこれまでのものと同じタッチだ──であるため、まったくハードボイルドっぽくない。まぁ、主人公が長髪のヒッピー探偵って時点で、まるでハードボイルドっぽくないんだけれど。どうせならば、実際にハードボイルドらしい文体で訳してみせたら、内容とのミスマッチでもっとおもしろい味のある翻訳になっていた気がする。その点、やや惜しい。
 なんにしろこの小説、僕ら日本人にはあまり馴染みのないアメリカの六十~七十年代の連続テレビドラマやマニアックな映画ネタ、ビートルズなどのメインストリームを外れた音楽ネタがたっぷりと盛り込まれていて、その辺の知識がない身としてはやや楽しみきれないところがある。解説ではその辺のことをこと細かに説明してくれているけれど、私たちはちゃんと調べたんですよって感じがして、その丁寧さがかえって鼻につく。
 やはりサブカルチャーなんてものは、原体験を持っている人たちしか楽しめないもんだろう。後付けの知識でどうこうなるもんじゃない。僕が京極夏彦の『虚言少年』なんかをとても楽しんで読めるのも、僕が京極氏と同じ昭和四十年代の空気を吸って生きてきたからだと思うし。そういう意味では、この小説はこれまでのピンチョン作品以上に、その時代を知っているアメリカ人以外の読者にはやや馴染みにくい気がする。
 ただその分、物語はこれまでになかったほどに直線的でわかりやすい。──とはいえ、それもあくまでピンチョン作品にしてはという話で、ピンチョン特有の緩急のついたディテールの描き込みについていけなかった僕は、そのわかりやすい物語さえ満足に読み切れていない感ありありだったりする。まぁ、とりあえずこれでピンチョンの全作品を読み切ったぜって。そんな自己満足を得ただけで終わってしまった作品。あぁ駄目だ。
 まぁ、なんにしろこのシリーズも、これであとは『重力の虹』の新訳版を残すのみ。それも来年の秋までお預けらしいから、これでピンチョン・ワールドともしばしのお別れだ。──とはいっても、最近は一年なんてあっとういう間だから、それほど遠くないうちにふたたび『重力の虹』に悩まされることになるんだろうなという気もする。
(Sep 16, 2012)

定本 百鬼夜行 陰

京極夏彦/文藝春秋

定本 百鬼夜行 陰

 百鬼夜行シリーズの最新刊──とはいっても短編集だけど──『百鬼夜行 陽』が、出版社を文藝春秋にうつして刊行された。一冊目のこの『百鬼夜行 陰』もそれにあわせて、「定本」と称した同じデザインの変形ソフトカバーで刊行されたものだから、思わず買ってしまった。無駄だと知りつつ、同じデザインで並んでいると、ついついセットで買わずにいられないのがファンのさが
 僕は百鬼夜行シリーズ──ずっと「ひゃっきやぎょう」だと思っていたら、この本の奥付に「ひゃっきやこう」とルビが振ってあった──は長編では『絡新婦の理』までを二度以上読み返している。でもこの短編集はこれが初めての再読。なぜって、それはやはり、それほどおもしろくないからだ。
 そりゃそうでしょう。いくらファンとはいえ、長編の脇役を主役に据えた短編集なんてものが、そうそうおもしろいはずがない。
 おぉ、あの事件の背後にはこんな出来事が……という内容だから、それなりに興味深く読めはするし、それをいちいち妖怪と絡めてみせる京極氏のアイディアと筆の冴えには感心する。それがまたどれも悲しい話ばっかりなところも胸を打つ。
 ただ、それもそこまで。長編のような怒涛の憑物おとしの快感がない分、愛着を持って何度も読み返すにはいたらない。
 百鬼夜行シリーズ(いまだ京極堂シリーズと呼んだ方が通りがいい気がする)の長編には、圧倒的におもしろい作品であっても、ところどころで枝葉末節をえぐりすぎて、くどいかなぁと思う部分があるけれど、言ってみればこの短編集は、その枝葉末節の部分を主役に据えた作品なわけだ。それゆえ、京極作品のそういう傾向が好きでない人にはあまりお薦めできない。
 ──とはいっても、柚木加菜子や久遠寺涼子の知られざる一面が描かれていたり、『ルー=ガルー』のあの老人の若いころの話もある、と聞いて無視できますか?──って話で。やはりコアな京極ファンとしては、一度は読んでおかないと気がすまない作品。まぁ、だから僕はこれが二度目なんだけれど。
 今回読み返してみて意外だったのは、収録作品がものによってはけっこうちゃんとした怪談に仕上がっていること。まったく京極堂が登場しない分──あと、どれも主人公の内面描写に終始する分──、登場した妖怪が錯覚だという説明が行われない。要するに憑物が憑物として落ちない。そんな話が多い。とくに木場修の後輩、山下くんの話なんて、そのまま一篇の怪談として通用するんじゃないかと思った。
 僕は『幽談』が京極氏にとって初の怪談集だと思っていたけれど、それは間違っていて、これこそが京極夏彦初の怪談集かもしれない。
(Sep 23, 2012)

定本 百鬼夜行 陽

京極夏彦/文藝春秋

定本 百鬼夜行 陽

 ということで、ひさしぶりに登場した百鬼夜行シリーズの短編集第二弾、『百鬼夜行 陽』。
 ひとつ前に読んだ前作『陰』が刊行されたのは『塗仏の宴 宴の始末』の翌年で、その時点で僕はその最新作以外の作品を二度以上読んでいたし(なんて暇だったんだ)、『塗仏』についても記憶が鮮明だったので、登場人物が脇役ばかりでも、なんの問題もなかった。でも今回はちがう。
 そのころからすでに十何年かが過ぎている上に、その間に刊行された二作の長編『陰摩羅鬼の瑕』と『邪魅の雫』を僕は一度ずつしか読んでいない。しかも後者を読んだのはもう六年も前の話だ。さすがに記憶があいまいになっていて、出てくる登場人物が何者だか、よくわからない。今回は『陰』でも「岩川さんって誰だっけ?」とか思ったりしたけれど、こちらでは最初から、平田とか大鷹とか、記憶がおぼろな人だらけ。人でなし江藤哲也にいたっては、既出キャラであることさえわからなかった。駄目ダメだ~。
 ……って、でもまぁ、遠い記憶を呼び覚ましながら、そういう人たちの過去の悲劇を読み進めるのも、それはそれで一興。それに今回はなんといっても長編の次回作『鵼の碑』{ぬえのいしぶみ}への伏線となる短編が二作も収録されている(!)ので、その部分でのワクワク感もあった。どうやら次の舞台は日光にある榎木津兄経営のホテルだっ!
 そうそう、忘れちゃいけない。この短編集の最後を飾る短編の主人公は、みんなの大好きなあの探偵です。それだけでも読むっきゃないだろうって作品。
 いやぁ、それにしても『鵼の碑』、楽しみだなぁ。あぁ、早く読みたい……。
(Sep 23, 2012)