Coishikawa Scraps / Books

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最近の五冊

  1. 『ガラスの街』 ポール・オースター
  2. 『数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』 サイモン・シン
  3. 『薬屋のひとりごと14』 日向夏
  4. 『マルドゥック・アノニマス7』 冲方丁
  5. 『ラナーク 四巻からなる伝記』 アラスター・グレイ
    and more...

ガラスの街

ポール・オースター/柴田元幸・訳/新潮社

ガラスの街

 ポール・オースターへの追悼の意味を込めて、いまさらだけれど彼の長編デビュー作である『ガラスの街』を読んだ。柴田元幸氏による新訳版。

 角川書店から『シティ・オブ・グラス』のタイトルで刊行されていた旧訳版を読んだのがいつだったか、はっきりとは覚えていないけれど、うちにある単行本の奥付には1993年発行とあるから、二十代後半のことだったのは間違いない。

 いつ読んだかははっきりしないけれども、読んでみて、これまでにない深い感銘を受けたことだけは覚えている。

 それがどんなだったか?――は上手く説明できない。

 少なくても、とてつもなくおもしろかったとか、激しく共感したとかではない。逆にあまり好きではなかった気がする(僕がオースターを好きになるのは、かなりの月日を経たあとのことだ)。

 ただこんな小説があり得るのか?――というか、小説ってこんなでもいいんだ?――という新鮮な驚きがあった。そして物語の好き嫌いを抜きにして、そんな感慨をあたえてくれた小説は、僕の記憶にあるかぎり、あとにも先にも、これひとつだった。

 この小説は「そもそものはじまりは間違い電話だった」という一文で始まる。

 主人公のクインは「ポール・オースター」という名前の探偵あてにかかってきた間違い電話を受けて興味をひかれ、何度目かの電話のあとに身分をいつわり、オースターになりすまして発信者のもとを訪ねてゆく。

 ピーター・スティルマンと名乗る精神障害者からの依頼は、彼を害そうとしている――と彼が考えている――父親の尾行だった。興味本位で依頼を受けて、その老人のあとをつけて毎日ニューヨーク・マンハッタンをとめどなく彷徨い歩いたクインは、やがてあることに気づく……。

 改めて読み直してみたところ、その後のカズオ・イシグロなどに通じるモダンな「信頼できない語り手」のはしりという印象で、若いころに読んだときのような特別な感触はなかった。逆になぜ若いころの自分はこの作品にあんなに強いインパクトを受けたんだろうと不思議に思ってしまったほど。

 いや、まちがいなく個性的ないい小説だとは思うけれど、唯一無二というほどに特別かと問われると「?」がつく。

 そんな風に思ってしまうところに、自分の読書家としての経験値の蓄積と、加齢による感性の衰えの両方を感じた一冊だった。

(Jul. 04, 2025)

数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

サイモン・シン/青木薫・訳/新潮社

数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

 『ザ・シンプソンズ』に絡めて数学を語ったエッセイ集ということで、刊行された頃からずっと気になっていた本。

 でも買いもしないうちに月日が過ぎて、はや十年。最近になって作者が『フェルマーの最終定理』のサイモン・シンであることに気づき、「ならばなおさら読まなきゃじゃん!」と思って、先日重い腰をあげて買ってきた。

 さすがにそれだけ時間がたっているので、すでに新潮文庫にも入っているのだけれど、そちらは背表紙がシルバーだったので、「やっぱシンプソンズ絡みならば全部黄色でないと」と思って、あえて単行本を買いました。老後のたくわえを心配しつつ。プチ贅沢。

 この本で意外だったのは、これが本当にシンプソンズについての本だったこと。

 スティーヴン・ジェイ・グールドの『パンダの親指』が、タイトルに「パンダ」とあるにもかかわらず、パンダについてのエッセイが表題作一本だけしか収録されていないのと同じように、これもシンプソンズの話題は一部だけかとかと思っていたら、そうではなかった。ほんと全部が『ザ・シンプソンズ』にまつわるエッセイ。

 いや、正確にいうと、最後の四本は『フォーチュラマ』についてだけれど、それも制作者がシンプソンズと同じ姉妹編と呼べる作品だからであって、主役がサブタイトルにある『「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』であることには偽りがない。

 なんでも『ザ・シンプソンズ』の脚本家チームには、学生時代に数学やそのほかの理系学部で博士号・修士号を取った数学オタクな人たちがわんさといて、その専門知識をわかる人にわかればいいというレベルのジョークとして、アニメの小ネタに忍ばせているのだそうだ。それもこんな本が一冊かけてしまうくらいたっぷりと。

 ということで、この本は『ザ・シンプソンズ』に出てくる様々な数学ネタを――ふつうの人には気づきさえしないような数字の数々を――ピックアップして紹介してゆく。

 それこそフェルマーの最終定理や、素数、完全数、無理数、円周率といった純数学的な話から、セイバーメトリクスやナード・ギークなオタクな話題まで、多種多様な数学ネタが取り上げられている。文系の僕には理解しきれない部分もあったけれど、『フェルマーの最終定理』と同じで、決して難し過ぎはしない絶妙のさじ加減なので、十分に楽しめる内容だった。さすがサイモン・シン。

 惜しむらくは『The Simpsons And Thier Mathematical Secrets』(ザ・シンプソンズと数学の秘密)という原題が『数学者たちの楽園』という邦題に変わってしまって、肝心の「ザ・シンプソンズ」がサブタイトルに追いやられている点。

 まぁ確かに原題のままだと、シンプソンズの本だと思って読んだ人が面食らってしまいそうだし、数学好きな人が手に取る可能性が下がりそうな気もするので、出版事情をかんがみれば正しい判断なのかもしれない。

 それでも主役であるはずの「シンプソンズ」がサブタイトルに甘んじてしまっているのは、やっぱちょっと残念だ(それゆえに僕が内容を勘違いしたわけだし)。原題は『パリ―・ポッターと賢者の石』等を意識したものだろうし、作者の遊び心にこたえる意味でも、できればそちらに寄せて欲しかった。

 翻訳家の青木薫という人は『フェルマーの最終定理』ほか、理数系のエッセイ集を中心に手掛けている人で、『ホーマーの三乗』という章の冒頭では、パティ―とセルマを「ホーマーの義理の妹」と書いているくらいだから、あまり熱心なシンプソンズのファンではないんだろう。シンプソンズと数学を秤にかければ、数学に傾くのは必至――そういう人がタイトルをつけたら、こうなるのは当然の帰結のような気もする。

 あ、でも英語ができる人は、吹替ではなく英語のまま字幕なしで観るせいで、「シスター」が姉か妹か、判別できなかったりする可能性もある?

 いずれにせよ、パティ―とセルマはホーマーの義理の「姉」です(ウィキペディア英語版にも「older sister of Marge」とある)。もしかしたら文庫版では直っていたりするのかもしれない。

(Jul. 02, 2025)

薬屋のひとりごと14

日向夏/ヒーロー文庫/主婦の友社/Kindle

薬屋のひとりごと 14 (ヒーロー文庫)

 猫猫マオマオとともに表紙のイラストを飾っているのは、緑青館の三姫のひとり女華と、医局での猫猫の同僚である天祐ティンユウ

 このふたりがともに華佗という人物の末裔だった(前巻であきらかになったんでしたっけ?)ということで、それに絡んだ過去の秘密が解き明かされ、ひと騒動が巻き起こる。

 あと、ヤオに言い寄る駄目男が登場して――どこかに名前が書いてあったけれど忘れた。猫猫による呼び名は「恋文男」――この人が、羅半兄に負け、馬閃に負け、最後は壬氏ジンシにまで叱られと、ことあるごとに醜態をさらしている。おそらく今後の出番はなさそうだけれど、この人が今回のキーパーソン。

 一方で彼と一緒に登場した卯純ウジュンという男(里樹リーシュの異母兄だそうだ)は、どうやらサブレギュラー化するらしい。医局には更紗チャンシャという後輩たちが入ってきたし、西都からついてきた虎狼フーランも壬氏の部下として再登場している。薬屋ワールド順調に拡大中。

 主役の猫猫はというと、今回は羅半に連れられて変人軍師一家とともに名家の会合に出席したり、李白の馬に乗って泥棒が入った緑青館に駆けつけたり、壬氏ご一行の狩りに同行したりと、やたらとあちこちに引っぱりまわされている。でもって、ゆく先々で謎を解いている。

 最後は火事にあった小屋のなかに貴重な医学書があるかもと聞いて、水をかぶって火の中に飛び込もうとして、壬氏らに制止される始末。医学絡みのことになると途端に目の色が変わる猫猫がおもしろおかしい。

(Jun. 19, 2025)

マルドゥック・アノニマス7

冲方丁/ハヤカワ文庫JA/Kindle

マルドゥック・アノニマス7 (ハヤカワ文庫JA)

 この巻は葬儀の場面から始まる。

 なんでもイースターズ・オフィスの保護証人が殺されたらしい(誰かはあきらかにされない)。怒りに震えるバロットが仲間とともに式場に足を踏み入れると、葬儀を仕切っているのはお馴染みのクインテットの面々。そして悼辞のために演壇に立つのはあの男――。

 ということで、長かったニューフォレスト健康福祉センターにおけるウフコック救出作戦にも前巻でようやく決着がつき、物語は新章に突入~。クインテットがすでに以前とは違う社会的地位を獲得していることから、あの事件からはかなりの時間が過ぎたことが示唆される。

 おいおい、ウフコックはどうなった?――という疑問にも今回はきちんと答えてもらえる。葬儀にまつわる物語に並行して、前回の物語のつづきが、イースターズ・オフィスとクインテットの両サイドに分けて描かれてゆく。

 イースターズ・オフィスは、死んだと思っていた仲間が《誓約の銃》に捕らわれていることを知り、即座に行動を開始。空飛ぶサメに乗って敵の船を急襲したバロットたちが、前回苦戦を強いられたカマキリ爺マクスウェルと再度対決する展開が前半のクライマックス。この戦いが済んで、ようやくウフコック救出作戦が一段落したといえる状態になった。いやぁ、めでたし、めでたし。

 一方でクインテットのサイドにも展開あり。このところ姿を消していたハンターがシザースの支配から抜け出し、戦線復帰するまでが描かれる。で、その後は〈スネークハント〉とか〈Mの子供たち〉とか、クインテットの配下につくエンハンサーたちの内紛が描かれてゆく。いやぁ、キャラが増えること、増えること……。

 後半クインテットの仲間割れと並行して主題となるのは、オクトーバー社に対する集団訴訟。大学の恩師のクローバー教授からアソシエートとして起訴に協力するよう求められたバロットが、法曹界の歴戦の猛者たちに圧倒されながら、法律家としての第一歩を踏み出すことになる。

 最新時間軸の葬儀に、過去話となる集団訴訟とクインテットの仲間割れ。三つのエピソードが同時進行中のまま、物語は次の巻へ。

 先月新刊が出て、残りが三冊に増えたけれど、それらを全部読んでもぜんぜん話が決着しそうにない。

(Jun. 15, 2025)

ラナーク 四巻からなる伝記

アラスター・グレイ/森慎一郎・訳/国書刊行会

ラナーク 四巻からなる伝記

 『哀れなるものたち』の作者であるスコットランド人作家、アラスター・グレイの怒涛のデビュー作。

 よくあるパターンで、刊行されてすぐに買ったのに、あまりの厚さ(四六判二段組七百ページ超え)に放置していたら、いつの間にか二十年近くたってしまっていた。

 わけあってこの春は時間に余裕ができたので、意を決して読んでみたけれど、これは僕には無理だった。このボリュームでこの内容は正直きつかった。

 サブタイトルに『四巻からなる伝記』とあるように、この小説は四部構成になっている。実際にはエピローグにもかなりのボリュームがあるから、四巻半くらいのイメージで、そのうち一巻と二巻、三巻と四巻が対になっている。

 でもって、物語はいきなりその第三巻から始まる。

 描かれるのはラナークという青年の物語。作風はある種のファンタジー。メタフィクションな要素も含む。

 そのあとに彼の過去の話だといって、短めのプロローグを挟んで第一巻が始まる。主人公の名前はダンカン・ソー。こちらの巻はほぼリアリズムに貫かれている。

 一巻で彼の少年期、つづく二巻で青年期を描いたあと、物語は第四巻で再びラナークのいまへと戻ってゆく――のだけれど。

 残念ながら、このダンカン・ソーとラナークのキャラクターがいまいち僕にはしっかりと結びつかない。

 ラナークの巻については、巻末に収録されたインタビューで作者がカフカを意識したと語っていて、なるほど全編リアリズムを無視した不条理な展開に満ちている。人が竜になったり、歩いているうちにヒロインが妊娠したり、主人公が唐突に市長に任命されたり。時間の流れも自由気ままで一貫性がない。

 そういう支離滅裂な不条理さを、芸術家の想像力がもたらす文学的な達成だとか捉えられればいいのかもしれないけれど、あいにく凡庸な僕にはそうはいかない。

 とにかくまいったのは、主人公のキャラの一貫性のなさ。文学的な素養に溢れた若き画家だったダンカン・ソーが、なぜに幻想世界において、最後には市の代表として世界会議に出席することになるのか、さっぱりわからない。いきあたりばったりの展開に振り回されるばかりで、物語の世界に浸れない。

 一般的な単行本二冊分くらいの物語を読み終えたあと、エピローグで作者と主人公の対話を読まされたり、そのあとに脇役による政治的スピーチを延々と読まされるのは、正直なところ退屈でしかなかった。

 デビューまで四半世紀を費やしてこれだけの大作を書き上げた作者の才能と熱意と膨大な知識量には感服するし、これが唯一無二の個性を持った文学作品だという意見には異論がないけれど、でも好きかと問われたら、残念ながら好きだとはいえない。とりあえず読み終えられてほっとした。そんな作品。

(Jun. 11, 2025)