Coishikawa Scraps / Books

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最近の五冊

  1. 『マルドゥック・アノニマス11』 冲方丁
  2. 『観光』 ラッタウット・ラープチャルーンサップ
  3. 『絵本百物語』 京極夏彦・竹原春泉・桃山人
  4. 『雨天炎天』 村上春樹
  5. 『それから』 夏目漱石
    and more...

マルドゥック・アノニマス11

冲方丁/ハヤカワ文庫JA/Kindle

マルドゥック・アノニマス 11 (ハヤカワ文庫JA)

 前作から一年ぶり――といいつつ、遅ればせながらの読者の僕にとってはもうちょい短い――となる最新刊は、ラスティによるホテル籠城事件の決着編。

 序盤からゴリゴリと派手なバトルシーンが延々とつづくので、今回はただひたすらバトルあるのみ!――って展開で最後まで押し切るかと思ったらば、だ。

 ある程度ページ数を残して事件に決着がつき、謎の新キャラエド・ゴーリーの意外な正体があきらかになって、ようやく一段落……と思ったあとに。

 しばしのインターバルを挟み、もうひと波乱ある。

 オフィスとクインテットが同時にシザースの襲撃を受け、仲間がばたばたと倒れる緊急事態が発生。

 さらにシザースは、ノーマ・オクトーバーとの結婚を前提にしたおつきあいのため、彼女のウィルスに感染させられて人事不省となったハンターの拉致へと動き出す。

 この窮地を抜け出すため、バジルはバロットへの緊急コールを発動。

 かくして再び――ではなくみたび?――オフィスとクインテットとの共闘による戦いが始まる。今度の敵はシザース!

 なかなか終わりの見えなかったこの物語にも、ようやく真のクライマックスが近づいてきた感じがする。

 つづきはまた来年かぁ……。

(Jun. 16, 2026)

観光

ラッタウット・ラープチャルーンサップ/古屋美登里/ハヤカワepi文庫

観光 (ハヤカワepi文庫)

 申し訳ないけれど、まったく名前を覚えられる気がしない。

 タイ系アメリカ人作家、ラッタウット・ラープチャルーンサップの短編集。

 アメリカの非白人系作家ということで、『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』のジュノ・ディアスを連想しながら読み始めたら、一話目の『ガイジン』――タイ旅行中のアメリカ人女性とアバンチュールを重ねるハーフのタイ人の青年の話――がまさにそんな印象だったので、同じように奔放な性遍歴を描くタイプの作家かと思ったら、似た感触だったのはそれ一編だけだった。

 そもそもジュノ・ディアスの作品はアメリカに移民してきたドミニカ人が主役で、舞台はアメリカだったけれど、この短編集の舞台はすべてタイだ。そういう意味では表現に向かう立ち位置自体が基本的に違う。

 アメリカ人ではあるんだろうけれど、テーマはタイという国に生きる人々の姿。どの短編も自分と大事な人たち――家族や親友―とのきずなや断絶を、優しい視点で描いてゆく。シビアなテーマを扱いながら、最悪をぎりぎりで回避して、見事に軟着陸させているというか。扱う素材はハードだけれど、仕上がりはソフトだというか。そんな感触の短編がほとんどだった。

 女性観光客との刹那な逢瀬を重ねるハーフの青年。兄の風俗通いについてゆく幼い弟。親のコネで徴兵を回避したことを親友に伝えらない少年。まもなく失明する母親と最後の旅に赴く青年。カンボジア難民の女の子との思い出を汚す少年。タイで結婚した長男に引き取られて母国アメリカを離れた車椅子の老人。闘鶏で負けつづける父親を見守るしかない女の子。

 ――そんな老若男女とりまぜたこの本の登場人物たちの物語は、いざ自分の身に置き換えてみたら、やりきれない話ばかりだ。

 それでいて読後感は思いのほか穏やか。幸せだとはいえないけれど、不幸だと嘆いてばかりいるもの違うよなって。なんとなくそんな捌けた感覚がある。

 描こうと思えば描けるどん底を描かない――もしくは描けない。どちらかは知らない。そこのところにこの作家の文学的な弱さと魅力が併存している気がする。

(Jun. 14, 2026)

絵本百物語

京極夏彦・竹原春泉・桃山人/角川文庫

絵本百物語 (角川文庫)

 京極夏彦の最新作は、竹原春泉という画家の妖怪画に、桃山人という人が文を添えた妖怪本の現代語訳版。

 なぜこういう本をいきなり文庫オリジナルで出すことになったんだろう?――と思ったらば、だ。

 なんと、これまるまる一冊が――原書は全五巻みたいだから実質的には一冊ではないのかもしれないけれど――『巷説百物語』のネタ本だったから。

 名に偽りありで、「百物語」をうたいながら、この本で紹介されている妖怪画は四十四しかない。

 対する『巷説百物語』のシリーズを構成しているエピソードは全四十五話。

 最終話は『百物語』だから、つまりそれを除くと同じく四十四。

 そう、つまりその四十四話が、この『絵本百物語』に収録された妖怪――この本の収録順でいえば、白蔵主、飛縁魔、狐者異、塩の長次郎、等々――を、そのままのタイトルで「巷説」として語りなおしたものなのだった。

 まさかそんな統一性があったとは……。

 妖怪好きにとっては自明の理だったのかもしれないけれど、妖怪にうとい一般人としては、まさかそんな仕掛けになっていようとは思いもよらなかった。

 シリーズ全七作でもって、京極夏彦は『絵本百物語』を自家薬籠中の物として、平成・令和の世にあっても楽しめる娯楽作品としてリメイクしてみせた。

 でもって、今回『了巷説百物語』の文庫化により、シリーズの文庫版がすべて出揃ったのにあわせて、その最終巻と一緒にこの『絵本百物語』を刊行することで、シリーズの完結を高らかに宣言してみせた――ということなんでしょう。

 元ネタはすべて使い切りましたよ、もうつづきはありませんよ――と。

 終わってから知ったる、驚嘆すべき名シリーズの大団円。

 いずれこの本の内容をしっかり頭に叩き込んだうえで、シリーズ全部をじっくりと再読したいと思う。

(Jun. 03, 2026)

雨天炎天 -ギリシャ・トルコ辺境紀行-

村上春樹/新潮文庫/Kindle

雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行―(新潮文庫)

 月いち村上春樹、五月分はギリシャ・トルコ旅行についての紀行文。

 刊行されたのはギリシャでの暮らしについて書いた『遠い太鼓』と同じ1990年だから、その本では取り上げられなかった二つの旅行について、まとまった文章を残しておきたかったということなんだろうと思う。

 ただ、その辺の理由はいっさい説明されていない。

 いやもとい。後半のトルコ編については「初めて訪れたときに感じた空気が特別だったため、ずっと再訪してみたいと思っていた」みたいなことが書いてあったけれど、少なくてもギリシャのほうはいっさいなかった――と思う。たぶん。

 まぁ、村上さんは当時ギリシャに住んでいたので、この本で書かれているアトスの修道院巡りは、その時点ではある意味国内旅行なわけで、日本人の四国巡礼みたいなものだから、わざわざ説明なんていらないってことなのかもしれない。

 でもまるで宗教的なことに関心のなさそうな春樹氏が、わざわざ特別な許可証をもらって三泊四日の修道院巡りに赴いたというのが、僕にはなんとなく不思議だった。

 それこそ僕自身は日本人だからといってお遍路しようとは思わないわけで。

 それともギリシャ人にとって、ギリシャ正教はとても身近なので、普通の人が人生で一度はアトスを訪れるのがあたりまえの風習になっていて、ギリシャで暮らすうちに自分も一度その山を訪れてみたいと思うようになったということなんだろうか。願わくばその辺の事情が分かるようなまえがきか、あとがきが欲しかった。

 なんにせよ、なぜに村上さんがその地を訪れようと思ったのかがわからないまま、僕らは村上春樹氏が同行したカメラマンの松村映三とともに出向いたアトス山に点在する修道院を巡る三泊四日のハードな旅の模様を追いつづけることになる。

 対する後半のトルコ旅行編は三週間。日程的なボリュームは五倍なのに、本書のページ数は半分ずつというところに、ギリシャ旅行での経験の濃さが表れている気がする。まぁ、ほとんどが徒歩だったギリシャと、基本的には車で移動していたトルコでは、時間感覚に違いがあって、それが反映されているだけなのかもしれない。

 トルコは僕が漠然と思っていたよりもタフでハードな国っぽかった。

 でもまぁ、なんたってもう三十五年以上も昔の本なので、いまのギリシャやトルコはもうずいぶんと変わっている可能性もある。

 ポール・セローの『ゴースト・トレインは東の星へ』みたいに、春樹氏が再びいまのギリシャとトルコを旅して、当時との違いを語ってくれたらおもしろいのに。

 とはいえ、ほとんど修道院が舞台のギリシャ編に関しては、いまも昔もそう大差がなさそうな気もする。

(May. 31, 2026)

それから

夏目漱石/青空文庫/Kindle

それから

 夏目漱石でいちばん好きな小説。

 ――とかいいつつ、気がつけばかれこれ四半世紀以上読んだことがなかったので、本当にいまでも好きなのか確かめるべく、Kindleの青空文庫版で読んでみた。

 ――答え。うん、いまでも好きでした。

 でも若いころに読んだときとは、さすがに感じ方が変わっている。

 二十代、三十代で読んだときには、代助がどんどん苦しい状況に追い込まれてゆく終盤の展開に胸が熱くなったような記憶があるのだけれど、今回はそうでもなかった。ディテールをほぼ忘れていたこともあり、漱石の小説家としての手腕への感銘がまさった。

 親のすねをかじって悠々自適な生活を送っていた主人公が、仕事でトラブって帰京してきた旧友とその奥さんとの再会をきっかけに、徐々に人生の歯車が狂ってゆき、やがて破綻に至るまでの物語。

 序盤はのんびりとなにごとにも達観している感じの主人公が、中盤になっていきなり彼女への熱い想いを吐露しだす。

 序盤の叙述からすると、え、そんなに好きだったの?――って感じなんだけれど、その唐突さこそがまさに「溢れる熱い想い」。そうか、我慢してたはずが、会っているうちに溢れ出しちゃったかぁって。

 いざ、秘めたるその想いを打ち明ける場面で、自ら訪ねてゆくのではなく、書生にことづけて自宅に相手を呼び出したりするのには、現代人の感覚からすると、なにそれな感はある。それでもやはり告白シーンは恋愛小説の醍醐味。ちゃんと胸を打つものがある。

 そしていざ、両想いを確認したあと、さぁこれからというところで訪れる不意の断絶。そしてそれにつづく不義の罰としてもたらされる窮状――。

 花の香ただよう部屋で居眠りしていた冒頭のおだやかな空気感と、ラストの絶望的な性急さの対比がとても鮮烈だ。

 なにも特別なことは起こらない。人も死ななければ、魔法も悪魔もエイリアンも出てこない。ただ人が人を好きになっただけ――でもって、若さの至りで行動を間違えただけ――で、どうしてここまで力強い物語が生まれるんだろう?

 やっぱ漱石って素晴らしいと思った。

 『それから』と『こころ』はほぼ同じ三角関係の裏表で、姉妹編のような作品だと思うし、『門』は『それから』の後日談的な作品だといわれているので、つづけてそれらの作品も読んでしまいたくなったけれど、なにせ時間がない――というより積読の数が多すぎる――ので、次に漱石を読むのはまたしばらく先の話。

 ただ青空文庫で読んだのは、やはり失敗だった。小さな「づ」というフォントにない文字に「小書き濁点付き平仮名つ」なんて注釈が入っていたりして、興ざめ甚だしい。

 日本の古典は無料だからって青空文庫で読んだら駄目だなってまたもや思った。いったい何度目だよって自分につっこみたい。いやはや、記憶力がたりません。

 もうそろそろいい年だし、Kindleでなんかで読んでいないで、本気で漱石全集の全巻制覇を考えてしかるべ頃合いかもしれない。

(May. 29, 2026)