草の竪琴
トルーマン・カポーティ/村上春樹・訳/新潮社
トルーマン・カポーティの代表作のひとつであり、村上春樹氏が長年愛読しているという中編小説『草の竪琴』に、短編『最後のドアを閉めろ』『ミリアム』『夜の樹』の三篇を併載した作品集。
春樹氏があとがきで「『遠い声、遠い部屋』と『草の竪琴』は、同じ物語のネガとポジのような位置関係にあると評することもできよう」と書いているように、なるほどこの小説は『遠い声、遠い部屋』を陽当たりのいい場所で天日干しにしたら、暗い部分が色あせてなくなってしまった、みたいな作品だった。
主人公のコリンは親を失って、親戚のもとへ身を寄せた少年で、その家で暮らす年寄り姉妹の姉ドリーとなかよくなる。でもって彼女たちのお家騒動(みたいなもの)に巻き込まれて、ドリーと彼女の召使兼親友のキャサリンともに家出をして、近所のツリーハウスに立てこもることになる。
身寄りのない多感でイノセントな少年の話という点では『遠い声、遠い部屋』と同じなのだけれど、この小説ではその「イノセンス」の持ち主が主人公のコリンだけではなく、ドリーという老女もだという点が重要。むしろ結婚もせず、一度も社会に出たことのないまま年を取ったドリーのほうが、思春期のコリンよりもなおさらイノセントかもしれない。
さらにそこに黒人だかネイティブ・アメリカンだかよくわからない世間離れしたお手伝いさんのキャサリンが加わった三人組に、地域のはみだし者である男性ふたりが絡んでくる。同調圧力の強い南部の社会では浮きまくっている五人のいびつな共同体の寓話のような善良さがこの小説の魅力。少なくても僕にとってはそうだった。
カポーティの小説――というかアメリカ南部作家の文学全般――って、この本に収録されている短編のように、曖昧な表現が多くて、居心地の悪さを感じさせる作品が多い印象で、いまいち苦手なんだけれど、この小説はそのおとぎ話のような空気感がよかった。まぁ、それも最後には失われてしまうわけだけれども。その喪失感もまたこの小説の魅力のひとつだと思った。
でもだから。そこで終わってくれていればよかったのに……。
そのあとの短編は僕にはいささか蛇足に思えた。いい気分で映画館から出てきたら、外は雨が降っていて、いきなり現実に引き戻された、みたいな気分になった。
願わくば『草の竪琴』の余韻を残したまま終わりたかった。
(Nov. 29, 2025)





