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Recent Notes

  1. 『猫を棄てる 父親について語るとき』 村上春樹
  2. 『美しく呪われた人たち』 F・スコット・フィッツジェラルド
  3. 『招かれざる客』 アガサ・クリスティー
  4. 『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』ジャレド・ダイアモンド
  5. 『筒井康隆コレクションI 48億の妄想』 筒井康隆
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猫を棄てる 父親について語るとき

村上春樹/文藝春秋

猫を棄てる 父親について語るとき

 村上春樹氏が今は亡き父の思い出を語った長めのエッセイ一本だけを収録した単行本。
 新書サイズのハードカバーというイレギュラーな形式で、ページ数にして百ページちょっと。台湾出身の高妍という女性イラストレーターの昭和レトロな挿画も多数収録されているから、本文はもっと少なくて、短めの短編小説一編くらい。なのでさくっと一時間半もあれば読み終えられるボリュームだけれど、内容はけっこう重い。
 この本で明かされているように、村上春樹という人は父親との間に深い断絶があったとのことで、思い出といってもとても限られたものになっている。それこそ、ふたりのあいだで直接交わされたコミュニケーションとなると、表題となっている幼少期に猫を捨てに行った話と木登り子猫の話くらいしかない印象。
 それでは春樹氏がこのエッセイでなにを語っているのかというと、もっともページ数を多くの裂いているのは、二十歳そこそこで徴兵された父親の戦争での体験について。それも直接本人に聞いた話ではなく、父親の死後に春樹氏が調べた結果、こういうことだったんだろうという話。その軽妙なパブリック・イメージからすると意外なほどに、この本での春樹氏は自分の父親が関係したであろう歩兵部隊の足跡を丹念にたどっている(『アンダーグラウンド』のような本を書く人だから、意外でもなんでもないじゃんという人もいるだろうけれど)。
 なぜ春樹氏がそれほどまでに父親の戦争体験に強い関心を示すことになったかというと、それはかの人が所属していた(と春樹氏が思い込んでいた)歩兵第二十連隊が、「南京陥落のときに一番乗りをしたことで名を上げた部隊」だったから。
 要するに自分の父親があの悪名高い南京虐殺に加担していたのではないか――自分は非道な行いをした父親の息子なのではないか――というのが、春樹氏にとっては長年のトラウマになっていたらしい。そういえば以前に『ねじまき鳥クロニクル』に関するエッセイかなにかでも、父親絡みで戦争について特殊な思いを抱いているようなことを読んだ気がする。長年心にわだかまったその辺の事情をつまびらかにしてみせたのがこのエッセイなのだろう。
 団塊の世代の人たちは、直接の戦争経験こそないものの、その後の僕らの世代にはうかがい知れない戦争の影響を間接的に受けているんだなと思った(僕の良心は戦時中はまだ子供だったから、戦争のつらさは知っていても、自ら戦争に加担したがゆえの良心の呵責のようなものはいっさい持っていなかった)。
 春樹氏の父親との関係を考える上でもうひとつ重要なのは、彼の祖父が僧侶であり、彼の父親とその兄弟が全員僧侶になる教育を受けて育てられたという点。
 話はちょっと違うかもしれないけれど、僕の母方の祖父は大工の棟梁で、僕の叔父たちはほぼ全員がその下で働く町大工だったから、祖父の職業によって一家の方向性が決まる感じはなんとなくわかる。うちの場合は大工という職業上、とてもラフな人ばかりだったけれど、それが僧侶となればどうかは押して知るべし。ジャズや米文学に傾倒して、大学時代に学生結婚するような自由人だった春樹さんが、そんな一族の一員である父親とうまがあわないのは無理もない気がする。
 とにかくこの本を読んで伝わってくるのは、春樹氏が父とのあいだにいかに深い断絶を抱えて生きてきたのかという事実。僕は村上春樹ほどの影響力を持った人がかたくなに子供をなさずに生きてきたことに疑問を持っていたけれど、自身と父親とのあいだがそういう関係だったら、みずからが父親になる決断ができないのは仕方がないことなのかもしれない。
 村上春樹という作家が抱えた人生の深淵の一部が透けて見える一冊だった。
(May. 17, 2020)

美しく呪われた人たち

F・スコット・フィッツジェラルド/上岡伸雄・訳/作品社

美しく呪われた人たち

 長いこと翻訳されていなかったフィッツジェラルドの第二長編作品が本邦初登場~。
 ――と、そのこと自体はとてもめでたいと思うのですが。
 読んでみて、なぜこれがいままで翻訳されていなかったか、よくわかった。
 じつは僕はかつてこの作品を原書で半分くらい読んだところで挫折しているのだけれど、今回この翻訳を読んでみて、そのわけもわかった気がした。
 いやー、とにかく無駄に長い。若き日のフィッツジェラルドが華々しくデビューしたあと、第二作目ということで気負ったのがひしひしと伝わってくる。でもってその熱意が残念ながら悪いほうに出てしまっている。とにかくこんなに筆圧高く、こんなに救いようのない話を書いてどうするんだって思う。
 物語は有閑階級に生まれ育った一組の美男美女のカップルが、いかにして出会い、いかにして愛しあい、そしていかにして破滅していったかを描いてゆく。
 よくいわれるように、フィッツジェラルドは自伝的な内容の小説しか書けなかった作家だとするならば、ここに描かれる不幸な恋愛劇はそのままスコットとゼルダの関係性を反映していることになる。でもってそれがかなり居たたまれないものなのに驚く。
 だってデビューからわずか二年しかたっていないんだよ? なのにフィッツジェラルドがここまで冷徹な恋愛観を持ってしまっているのって、なにごとかと思う。この人、不幸すぎる。洒落にならない。
 ふたりが出会って恋に落ちるまでの関係性のヴィヴィッドさや、そこから愛が失われてゆく過程のリアルさには素晴らしい部分もあると思う。二十代の若者が自らの恋愛体験から、こんな分析力を得ていることには素直に感服する。ふたりの関係がはぐくまれてゆく過程には、恋愛小説というよりも、ある種のサスペンス・スリラーを読んでいるようなスリルがあった。
 でも後半、ふたりの結婚生活が行き詰まりはじめてからの、主人公アンソニーの駄目人間ぶりがすごい。すごすぎる。そのせいで途中までのよい印象がすべてふっ飛んでしまうくらい。とくに最後のほうでアンソニーがマルチ商法まがいの仕事に手を出すあたりの恥ずかしさったらない。マジで赤面もの。読むのやめたくなるレベルだった。
 とにかくあまりに救われなくて、読み終わったあとでこの作品が好きだなんて気分にはとてもなれない。村上春樹によってフィッツジェラルドが神格化された現在の日本ならばともかく、さもなければ、さすがにこれは売れないよなぁ……と思ってしまった。
 まぁでも、時代の寵児がいかにして転落したかを赤裸々に描いたフィクションとして、ある意味とても貴重な小説なのかもしれない。華々しく文壇デビューして最愛の人と結婚した人生の絶頂期というべき時期にこんな小説を書かずにいられなかったところに、フィッツジェラルドという人の不幸な才能が見事に表れている気がする。
 この意欲的な失敗作の冗長さを反省した結果が、無駄のなさという点ではこれと対極をなす次回作『グレート・ギャツビー』という宝石のような小説として結実したとするならば、これはこれで意味のある作品なのかもしれない……と思わないでもない。
(May. 10, 2020)

招かれざる客

アガサ・クリスティー/深町眞理子・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

招かれざる客 (クリスティー文庫)

 霧濃くたちこめる夜。車を脱輪させて立ち往生した男が助けを求めて最寄りの屋敷をたずねたところ、書斎には車椅子にのったその屋敷の主人の射殺死体。そしてその傍らに銃を手にたたずむその美しき妻……。
 そんなシチュエーションで幕を開けるクリスティーの戯曲。同じ邦題でスペンサー・トレイシー主演の映画があるようだけれど、その原作ではないらしい(そもそも英語の原題がちがう)。
 この作品では、あいにくの事故で屋敷を訪れた「招かれざる客」である男性、スタークウェッダー(この時期のクリスティー作品って、なんとなく人名が難しい気がする)が、「私が殺しました」と語る奥さんのローラにほだされ、偽の証拠をでっちあげて、彼女を守ろうとするというのが第一幕の話の流れ。
 第二幕以降は、いつ、どのようにその偽証がばれて、ローラさんの罪が暴かれるのか……という展開に注目させる『刑事コロンボ』風のサスペンス・ミステリかと思わせておいて、そこがそうじゃないところがミソ。最初から犯人がわかっているなんて、そんなミステリはクリスティーは書かない。
 実際に警察が捜査に乗り出してみると、現場には正体不明の第三者の指紋があったりもして。夫人の愛人やら、腹黒い介護人、知的障害がある養子など、わけありな人たちが次々と出てきて、観客を煙にまく。そして最後には当然のようなどんでん返しがある。
 個人的に真犯人の正体はある程度予想通りだったけれど、それでも締めくくりのあっさりとした幕の引き方には軽い驚きがあった。
 この作品はできれば実際に舞台で観てみたいなと思った。
(Apr. 29, 2020)

クリスティー特集はこちら

人間の性はなぜ奇妙に進化したのか

ジャレド・ダイアモンド/長谷川寿一・訳/草思社/Kindle

人間の性はなぜ奇妙に進化したのか

 表紙にブリューゲルの名画『バベルの塔』をあしらったベストセラー『文明崩壊』が気になっていたにもかかわらず、けっこう高額(単行本は上下巻で四千円オーバー)なので買うのをためらっていたジャレド・ダイアモンドという人の作品がKindleで安くなっていたので、試しに読んでみた。
 進化生物学者(ほかいくつもの肩書きがあるらしい)のダイアモンド氏いわく、人のセックスは他の動物と比べておかしいのだと。大半の動物は妊娠が可能なときにしか交尾をしないし、雌は生きているあいだは子供を生みつづける。それに対して、人は妊娠と関係なくいつだってセックスしているし、女性は五十になると閉経してしまう。
 その他にも、なぜ一夫一婦制が主流になったのかとか、男性のペニスがゴリラよりも何倍も大きいのはなぜかとか、あれやこれや。
 人間の性はなぜにこうもほかの動物たちとは異なっているのか――というのをわかりやすく説明してくれているのが本書。下世話な関心をかきたてるセックスにまつわる話をまったくエロっぽくなくロジカルに語り聞かせるその内容に、へーなるほどと思いながら楽しく読ませてもらった。
 まあ、一部の生物学的な説明にはちょっと苦手意識が働いてしまって――生理的に生々しいのが苦手なのです――すべてを楽しく読んだとは言い切れないけれど。
 そういう意味では、そういった生理学的な生っぽい話があまり出てこないだろう『文明崩壊』のほうがより楽しく読めそうだから、やはりそれと『銃・病原菌・鉄』をセットで欲しいものリストに入れておこうかなと思った。
 ちなみに本書は最初『セックスはなぜ楽しいか』という原題直訳のタイトルがついていたのだけれど、それだとポルノ本と勘違いされるなどして、いろいろと問題があったため、文庫化のタイミングでこのタイトルに変更になったとか。
 どちらかというと最初のタイトルのほうが内容とのギャップがあっておもしろかったのに……。
(Apr. 10, 2020)

筒井康隆コレクションI 48億の妄想

筒井康隆/日下三蔵・編/出版芸術社

筒井康隆コレクションI 48億の妄想

 装丁が気に入って刊行開始当時(もう六年も前だ)から気になっていた筒井康隆の絶版作品を集めたコレクションをいまさら買って読み始めた。編集は山田風太郎関連でおなじみの日下三蔵氏。
 第一巻に収録されているのは長編『48億の妄想』と中編『幻想の未来』。あとマニアックな復刻ものとして、筒井さんが豊田有恒、伊藤典夫の両氏とともに執筆した小学生向けのSF入門書『SF教室』と、筒井一家(たぶん四兄弟とご尊父)で自主制作したというSF同人誌『NULL』の1~3号に収録された筒井氏作の短編とショートショートが収録されている。
 『48億の妄想』と『幻想の未来』については高校生のころに読んでいるので再読なのだけれど、さすがにそれからもう四十年近くも過ぎているので、内容は百パーセント忘れていた。でもどちらもすごい。
 『48億の妄想』は国民総テレビ出演者みたいな世界で、李承晩ラインにまつわる日韓対立がスラップスティックな擬似戦争を引き起こすという話。道具仕立てこそ古びているけれど、内容は現代に置き換えても十分に通用する。――というか、ユーチューバーがセレブ化し、日韓関係が戦後最悪といわれるいまだからこそ、なおさらビビッドに感じられるところがあった。終盤の破滅的な展開がいかにも筒井節だ。長編デビュー作にしてこのテンションってのがすごい。
 『幻想の未来』は核戦争後の人類の進化(退化?)を描いた中編(というか連作短編)で、ページ数こそ少ないけれど、素晴らしく手ごわい。でもってその着想がすさまじい。SFの黎明期に二十代にしてこれを書いていた才能には感服するしかない。
 『SF教室』も子供向けとはいえ、SFの門外漢にとってはなかなかためになる作品だし、『NULL』の短編郡もアマチュアの習作といえ粒揃い。筒井康隆が最初から天才だったことを知らしめる一冊だった。
 それにしてもこのような天才作家の長編デビュー作が絶版になっていることにびっくり。大友克洋のマンガもすべて絶版になっているみたいだし、こんな調子で日本の出版界は大丈夫なのかと心配になってしまう。
 あと、『48億の妄想』(1965年刊行)のタイトルになっている世界の人口が、五十五年後のいまや80億近いという事実にも考えさせられるものがある。
(Apr. 01, 2020)