Coishikawa Scraps / Books

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最近の五冊

  1. 『薔薇の名前』 ウンベルト・エーコ
  2. 『カンガルー日和』 村上春樹
  3. 『ブラウン神父の知恵』 G・K・チェスタトン
  4. 『バウムガートナー』 ポール・オースター
  5. 『村上朝日堂 はいほー!』 村上春樹
    and more...

薔薇の名前

ウンベルト・エーコ/河島英昭・訳/東京創元社(全二巻)

薔薇の名前<上> 薔薇の名前<下>

 興味はあるのに読めないでいる本がたくさんある。この『薔薇の名前』もそのうちのひとつだった。

 名作だといわれるし、映画化もされたくらいだからおもしろいんだろうと思いつつも、読む機会が作れずにいた。僕の軸足は英米文学なので、イタリアの小説となると、いささか距離が遠くなる。それを読むなら、まだ読んでない英米文学がたくさんあるじゃんってことになる。

 加えてこの作品の場合、翻訳の刊行から四半世紀が過ぎてなお文庫化されていないという特殊な作品だったのも、手に取りにくさを助長していた。

 文庫化されていないから価格的に手に取りにくい――という意味ではなく。

 本は音楽と並ぶ一番の趣味なので、そこに出し惜しみはしない(まぁ、懐が許す限り)。それどころか単行本で読める本は、文庫化されていても極力単行本で読むことにしている。たまには装丁の好みで文庫本を選ぶこともあるけれど、基本的にはどちらか一方を選べといわれれば単行本を選ぶ。若いころに貧乏で文庫本しか買えなかった反動かもしれない。

 なので、買いそびれている作品については、文庫化されるタイミングで「あ、やばい、絶版になるかもしれないから単行本を買っとかなきゃ」と思うことが多い。

 ところがこの作品の場合は長いこと文庫化されていないので、そう思うタイミングもなかった。結果、いつかは読もうと思いながら四半世紀……。

 このたび、文庫化されるかわりに「完全版」と称した改訂版が刊行されたので、ちょうどいい機会かららそれを読もうと思っていた――んでしたが。

 いざ発表されたその価格が上下巻あわせると千八百円も高くなっていた。

 いくら出し惜しみをしないといっても、好きになれるかどうかもわからない作品にそれだけ余計に出す? そもそも新しい装丁が気に入るかもわからないのに?

 ――などとどうしようか悩んでいたら、完全版の刊行にあわせて、旧版は出荷停止になるという発表があった。

 もともとこの作品が気になっていたのは、その装丁に惹かれていたからというのも大きかったので、その時点でもういいやと諦めて、完全版の装丁の発表を待たずに古いほうを買った。すでにジュンク堂ほかの書店では在庫切れになっていたので、あわてて在庫があったアマゾンでポチった。

 ということで刊行から四半世紀のときを経て、いささか傷み気味の単行本をゲットして、いまさら読んだイタリア文学の逸品。

 うん、なるほど。これはすごい。素直にすごいとは思う。思うんだけれど、でも好きかといわれると、それほど好きとはいえない。

 もとより時代劇と現代劇とどっちが好きかといえば現代劇だし、中世のイタリアの修道院を舞台に、キリスト教の蘊蓄をこれでもかと詰め込んで語られるこの小説は、僕の趣味からは基本的にずれていた。そんな読んで楽しいって話でもないし、読みやすいわけでもないし。これが世界中でベストセラーになったのってすごいなって思った。

 ミステリの意匠を借りこそすれ、主題はむしろ宗教談義。その点では同じようにミステリの形でもって妖怪を語った『姑獲鳥の夏』に近いものがあると思った。まぁ、格調はだいぶん違うけれども。でもこちらもエロがあったり、下ネタがあったりで――キリスト教の厳格さに対するアンチテーゼなのだろうけれど――それほどお上品でははなかったりする。

 いずれにせよ、わざわざ高い金を払ってまで完全版を読みたいと思うほどではなかったので、絶版ぎりぎりで旧版を手に入れておいてよかった――といいたいところなんだけれど、読んだいまとなると、新しい装丁もけっこう悪くない気がしていて、完全版の初版を買わなかったことをちょっとだけ後悔する気持ちが……。

 なんて駄目な本好きなんだ。

(Mar. 06, 2026)

カンガルー日和

村上春樹/講談社文庫/Kindle

カンガルー日和 (講談社文庫)

 月刊村上春樹その二。

 最初に『村上朝日堂 はいほー!』を読んだのは、春樹氏のエッセイが苦手なので、先に片付けてしまおうと思ったからだったのだけれど、それが思ったよりも悪くなかったので、いきなり方針変更。ここからは時系列で古い順に読んでゆくことにした。

 というわけで二冊目は『カンガルー日和』。

 この本を読んでなかったのは、ショートショート的な長さの短編集というのにいまいち興味が持てなかったから。

 ショートショートというと星新一のイメージが強くて、失礼ながら文学よりもエンタメ寄りなイメージが強い。読めば楽しめるのかもしれないけれど、ページ数的にどうしたって通常の短編のような感動は味わえないのだから、わざわざ時間を割いて読むこともないと思ってしまっていた。マンガでいえば、四コマ漫画は読まなくてもいいやって思ってしまうのに近い感じ。

 でもこの本はけっこうよかった。短いからこそ一篇一遍に村上春樹ならではのエッセンスがさりげ気なく形を取っている感じがする。

 まぁ、羊男が出てくる『図書館奇譚』(この本唯一のふつうの長さの短編)とか、『あしか祭り』とかは、まさに僕の苦手な村上春樹の典型って短編だったりする。

 でもそのほかの多くの短編は短さゆえに下手に奇をてらっていない感じがあって、そのさらりとさりげないところが好印象だった。

 収録作品のいくつかは、逆輸入版のアンソロジーにも収録されているので、すべてが初めてというわけではなかった。

 なかでも『1963/1982年のイパネマ娘』はつい最近どこかで読んだ気がする――内容は覚えていなかったけれど、タイトルにすごく既視感がある――んだけれど、はてどこでだっけ?……としばらく悩んでから、ようやく『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29』だと思いあたった。あぁ、すっきり。

(Feb. 28, 2026)

ブラウン神父の知恵

G・K・チェスタトン/中村保男・訳/創元推理文庫/Kindle

ブラウン神父の知恵 (創元推理文庫)

 前作を読んでからだいぶ間があいてしまった。およそ三年ぶりに読むブラウン神父シリーズの第二弾。

 『ブラウン神父の童心』では相棒フラウボウとの出逢いから彼が改心するまでの展開が、連作短編的な形で含まれていたけれど、今回はそういう仕掛けはなくて、ふつうに短編集って感じになっている。

 特徴があるとすれば、犯人探しやミステリとしての体裁よりも謎解きのサプライズを主眼にした作品が多いところ――だろうか。

 たとえば最初に収録されている『グラス氏の失踪』では、ブラウン神父が高名な犯罪学者だという人を訪ねていって事件の解決を依頼するのだけれど、結局その人の推理は的はずれで、ブラウン神父がその間違いを正して終わる。なぜ自分で説明できる事件のためにブラウン神父がその人を呼びにいったのか、まるでわからない。

 そのほかの短編もほぼすべてが「こういう事件がありまして、こう思われていますが、じつは真相はこうです」とブラウン神父が解き明かしてみせる形。でもって、真相はピンポイントで明かされるものの、事件の顛末自体はなんとなくあいまいなままで終わってしまう話が多い――ような気がした。

 まぁ、今回も途中で寝落ちしてばかりで、ちゃんとディテールを読みとれてない感が強かったので、きちんと読めばわかることを、僕がわかっていないだけってことなのかもしれない。前のときもそんな感じだったし、なんとなくチェスタトンとは相性が悪い気がする。

 あと、とにかくこのシリーズは翻訳が古い。ブラウン神父がフラウボウに「おまえさん」と呼びかけたり、登場人物が自分のことを「吾輩」と呼んでいたりする。時代劇でもあるまいし。いまどき「吾輩は」といってもおかしくないのは猫くらいだろう。

 本当にこのシリーズを後世に残すべき傑作だと思っているならば、そろそろ新訳に入れ替えることを考えてしかるべき時期なのでは。

(Feb. 18, 2026)

バウムガートナー

ポール・オースター/柴田元幸・訳/新潮社

バウムガートナー

 ポール・オースターが生前に書き残した最後の小説。

 これより前に書きおろしたノンフィクションがほかに二冊ほどあるらしいけれど、小説としてはこれが最後とのこと。大長編だった『4321』とは打って変わって、ページ数的にも物語的にもこじんまりとした作品だけれど、これぞオースターという良作に仕上がっている。

 主人公のバウムガートナーさんは、妻に先立たれて失意の日々を送る老境の大学教授。彼のとある朝のどたばたを描く冒頭部分では、ドジを連発してやけどを負ったり、階段から転げ落ちたり、もの忘れがひどかったりで、初期の認知症患者の話かと思わせる。

 でも彼が最愛の妻アンナを失った痛手から立ち直ってからは、そんな危なげなところが影をひそめる。やがて別の女性との再婚を考えるようになり、詩人だったアンナを崇拝する女学生とのやりとりに癒されたり、途中からはすっかりふつうの老文学者って感じ(ボケてなくてよかった)。

 そんな彼の生活を追いながら、この小説では要所要所で、奥さんの手になる詩やエッセイが作中作として挿入される。その中で若き日のバウムガートナー氏と彼女とのなれそめが紐解かれてゆく。この二重構造がとてもオースターらしい。

 でもって、このふたりの古典的な恋愛劇がフレッシュでとてもいい。一方で彼が再婚を考えるくだりで垣間見させる恋愛観はシニカルで現実的だ。老人を主人公にした地味めな物語でありながら、僕にはこの作品はさりげなくも味わい深い恋愛小説として読めた。そこがすごくよかった。

 前作があまりに圧倒的だったので、あれが遺作ということにしてしまってもいいんじゃないか、みたいなことを書いたけれど、大変失礼しました。ボリュームには大差があれど、これも前作に負けず劣らず素晴らしい。

 僕はポール・オースターのよい読者とはいえないけれど、この人の書いたいくつかの小説はまちがいなく僕の中に特別な何かを残してきた。いずれこれもそんな一冊になるかもしれない。

 あらためてご冥福をお祈りします。

(Feb. 05, 2026)

村上朝日堂 はいほー!

村上春樹/新潮文庫/Kindle

村上朝日堂 はいほー!(新潮文庫)

 今年は個人的に節目の一年なので、ずっと気になっていた村上春樹の未読作品のうち、Kindleで読める作品をすべて読んでしまうことに決めた。毎月一冊ずつ読めば、たぶん年内ですべて読み終わるはず。

 ということで、題して月刊村上春樹。第一弾がこれ。

 前に何度か書いているように、僕は村上春樹のエッセイが好きではなくて、『村上朝日堂の逆襲』でめげて、この本は読まずにスルーしていたのだけれども――。

 意外とこれが悪くなかった。

 まぁ、冒頭からテレビCMの話とか、星占いがどうしたという話とか、僕にとってはどうでもいいような話がつづいたので、やっぱ駄目かと思ったら、その後は比較的共感できる話が多くなる。洋画の邦題がなってないとか、日本人はなんであんなに標語が好きなのかとか、財テクが苦手だとか。うんうん、そうだよねって思う。

 ビリー・ホリデイやジム・モリソンやオペラに関するエッセイは、その後の『ポートレイト・イン・ジャズ』あたりの音楽エッセイ集に収録されていてもおかしくない出来で、ちゃんと読みでがあってよいと思った。アタッシュ・ケースをもってバーで飲んでいたら、後日そのせいで陰口を聞かされたという『一人称単数』の原体験になったようなエピソードがあるのも一興。

 まぁ、双子の女の子とつきあうのが夢だとか、なにいってんですかって話もあって、昔同じ会社で働いていた女の子が「村上春樹は気持ち悪い」といっていたのを思い出したりもしたけれども。少なくてもこれまでに読んだノンジャンル系の村上春樹のエッセイではこれがいちばんよかった。どうでもいいような話とちゃんとしたエッセイが同居している玉石混交な一冊。

 とはいえ、書かれたのが一九八三年からの五年間ということもあって、いささか話が古い。最近ヒットした映画が『スター・ウォーズ』や『E.T.』や『ジョーズ』や『レイダース』だというんだから、ある種の昔話だ。もっと早く読んでおけばよかったとちょっとだけ思った。

 いや、もとい。ひとつだけいま読んでよかったことがあった。最初から二番目に収録されている『わり食う山羊座』というエッセイに奥様の誕生日が記されているのだけれど、それがなんと、うちの子の誕生日と同じ日! なんて偶然。

 この本が文庫化されたタイミングで読んでいたら、奥さんの誕生日がいつかなんて気にも留めていなかったろう。子供が生まれたあとで読んだからこその発見だった。

 この本をいままで読まずにいたのは、この事実を知るためだったのかも――なんてこたぁないな。うちの子が生まれてもう二十七年もたってんだから。もっと早く読んでおけって話だ。

(Jan. 28, 2026)