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Recent Notes

  1. 『無実はさいなむ』 アガサ・クリスティー
  2. 『これで駄目なら』カート・ヴォネガット
  3. 『きみを夢みて』スティーヴ・エリクソン
  4. 『京都魔界案内』小松和彦
  5. 『パディントン発4時50分』 アガサ・クリスティー
    and more...

無実はさいなむ

アガサ・クリスティー/小笠原豊樹・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

無実はさいなむ

 二年前に母親を殺した容疑で有罪判決を受けた男性がじつは無実だったことがわかったことから、では真犯人は誰だということで残された一家の面々が疑心暗鬼に陥るというノン・シリーズのミステリ。
 殺された女性は子供ができなかったために五人の子供を養子として育てた資産家で、その末っ子とのあいだで金銭トラブルがあった直後に殺され、その青年(犯罪者気質の持ち主)がアリバイが証明できなかったために有罪判決を受けて、そのまま獄中で病死していた。
 ところがその二年後にアーサー・キャルガリという男性が現れ、息子さんは殺人犯ではないという。南極探検のために国を離れていた彼は事件のことを知らなかったため、証言できなかったけれど、彼には被告のアリバイが証明できると。
 事実を知らされた一家の面々は困惑する。なぜなら事件の状況は被害者に近い人間の犯行であることを物語っていたから。死んだ息子が犯人ではないとすると、一家の誰かが殺人者であるということになる。
 それではいったい誰が……ということで疑心暗鬼に陥った一家の苦悩を描くのがこの作品の主題。
 でも残念ながらその悩みを解決して人々を救うお馴染みの名探偵がこの作品には出てこない。ヒーロー不在のまま、殺人事件の謎は悩みをもたらしたキャルガリによってやすやすと解き明かされる。
 この人の名探偵ぶりがとってつけたような印象なのがこの作品の弱みだと思う。学者として南極探検に同行するくらいだから、知能的に優れた人物ではあるんだろうけれど、それにしても彼の探偵としての有能さにはいまいち説得力不足の感がある。
 この内容ならばポアロが登場してもおかしくないし、ポアロなりマープルさんなりが出てきて事件を解決してくれていれば、より説得力のある作品になっていたんじゃないかって気がする。
 クリスティーのノン・シリーズのミステリには、シリーズものでないことにきちんと理由がある場合が多いけれど、これに関してはなぜポアロを起用しなかったのか、疑問をおぼえる内容だった。
 まぁ、その一点を除けば、ミステリとしては決して出来は悪くないと思う。足りないのはミステリとしてのケレンミだけ。そういう作品。
(Mar. 15, 2020)

これで駄目なら 若い君たちへ――卒業式講演集

カート・ヴォネガット/円城塔・訳/飛鳥新社

これで駄目なら

 大学の卒業式での講演者として引く手あまただったというヴォネガットの講演から、九本を選りすぐった講演集。
 内訳は七十年代が一本、八十年代はゼロで、九十年代が四本、二千年代が四本という具合。まぁ、基本的には晩年がほとんどだ。
 百五十ページに満たない薄さの厚手の紙を使った単行本で、通常の四六判より背が高く、ところどころにヴォネガットの直筆イラストをあしらった装丁は、遺作となった『国のない男』と通じるところが多い印象だった。
 内容的にも、あの本で紹介されていたヴォネガットの叔父さんの言葉――If This Isn't Nice, What Is?――が繰り返し紹介されているから、なおさら近い印象がある。――というか、この本の原題自体がそのフレーズだったりする。
 翻訳を務めている円城塔という作家さんはこのフレーズを「これで駄目なら、どうしろって?」と訳しているけれど、残念ながら僕にはこの訳はしっくりとこなかった。ここはやはり「Nice」という単語の持つ肯定的な響きを生かして欲しかった。「駄目」という言葉の持つネガティブさは、このフレーズのポジティブさにふさわしくないと少なくても僕は思う。
 あと、この人は「ヒューマニスト」という言葉に「人類主義者」という訳語を使っているけれど、これにもちょっと違和感があった。
 ウィキペディアでの「ニューマニズム」の説明には「人文主義」と「人本主義」はあるけれど、「人類主義」はない。
 まぁ、ウィキが必ずしも正しいというわけではないけれど、ググったところでは、日本語でヒューマニズムを「人類主義」と訳したサイトは数えるほどしかなかった。つまり決して一般的な訳語ではないわけだ。――まあ、直訳っていえば直訳だけど。
 「ヒューマニズム」という言葉はある程度まで日本語として定着していると思うので、わざわざ耳慣れない熟語を持ってくる必要があるのか疑問に思った。
 まぁ、単に僕個人が「人類主義者」という馴染みのない言葉のもつ硬い響きとヴォネガットのユーモラスなイメージとのギャップに違和感を覚えたってだけの話ではあるんだけれど。
 翻訳全体の印象は決して悪くなかったので、その二点だけはちょっと引っかかった。
(Mar. 08, 2020)

きみを夢みて

スティーヴ・エリクソン/越川芳明・訳/ちくま文庫

きみを夢みて (ちくま文庫)

 なぜか文庫オリジナルで刊行されたスティーヴン・エリクソンの翻訳最新作――って、最新といいつつ、発行日はすでに五年も前だった。発売されてすぐに買ったのに。五年も読まずに放置してしまった。いけません。
 内容はエチオピアから黒人の女の子を養子として迎え入れた白人一家の物語。主人公のノルドック夫婦――愛称はザンとヴィヴ――にはパーカーという実の子がいるので、養子のシヴァを含めて家族は四人。なぜに実子がいるのに、彼ら夫妻がよそから養子をもらい受けようと思ったのかは、不覚にも読み落としていてわからない。
 とにかく白人の両親のもとに黒人の娘がいるというシチュエーションだけでもトラブル過多なところへきて、一家は破産寸前。ロンドンから講演の依頼を受けたザン――筆の折れた作家――が子供たちを引き連れてイギリスへと遠征するのだけれど、ときを同じくして母親のヴィヴがシヴァの実の母親をつきとめようとエチオピアへと旅に出たまま消息が途絶える。そんなヴィヴと入れ替わりに、シヴァの母親らしきモリーという黒人女性が子守りとしてザンたちの前に現れ……というような話。
 エリクソン、老齢に達してエンターテイメントに目覚めた感あり。前作『ゼロヴィル』でもエリクソン史上もっともポップな作品だと思ったけれど、今回も前作に劣らずに読みやすい。でも決して内容が浅くなってはいないところが素晴らしい。エリクソンは手強いという固定観念があったので、なかなか手を出しにくかったんだけれど、これならもっと早く読んでおけばよかった。すごくおもしろかった。
 映画がテーマだった『ゼロヴィル』に対して、今回は六十年代の音楽と政治がフォーカスされている。前作ではタイトルを伏せたまま数多の映画を語っていたエリクソンだけれど、今回も同じような手法で、名前を伏せたままロバート・ケネディやデヴィッド・ボウイらを登場させている。途中までは珍しく普通の話だなぁと思って読んでいたら、それらの歴史上の人物が物語に登場するあたりから唐突に時空がひん曲がって、これぞエリクソンな印象になった。
 『きみを夢みて』と訳された原題は『These Dreams of You』で、ヴァン・モリソンの名盤『ムーンダンス』収録曲のタイトルとのこと。僕の人生最重要アルバムのひとつであるにもかかわらず、訳注と解説を読むまで気がつかなかった。不覚。
 もうひとつ、僕が人生でもっとも衝撃を受けた映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』に対する言及があるのも胸あつポイント(もちろんタイトルは書いてないですが)。
 まあ、とにかくとてもいい作品なので、願わくば文庫オリジナルではなく、単行本として出して欲しかった。それだけが残念。
(Mar. 01, 2020)

京都魔界案内 ~出かけよう、「発見の旅」へ~

小松和彦/光文社知恵の森文庫/Kindle

京都魔界案内―出かけよう、「発見の旅」へ (知恵の森文庫)

 京極夏彦ファンゆえに小松和彦先生――日本での妖怪研究の第一人者(ですよね?)――の本はたまに見かけると読んでみたくなる。これは京都の各地に伝わる妖怪関係の伝承・伝説を紹介した文庫本のKindleバージョン。
 しかしまあ、「国際日本文化研究センター所長」なんて肩書きの人がこういう本を書いているのがすごい。扱っているのはすべて妖怪話なのに、まるで現実にあったことのような書きっぷり。日本に伝わる妖怪文化の豊かさと、それを立派な肩書きを持った学者の先生が堂々と悪びれずに語れてしまう大らかさが素晴らしい。日本っておもしろい国だよねぇって思いました。
 この本で語られている伝承を念頭において京都を歩きまわったら、さぞや楽しい(もしくは怖い)だろうなとも思った。僕はまったく旅行にいかない出無精者だけれど、もしも金と時間に余裕ができたら、ゆっくりと京都――のみならず日本中を――旅して歩くのもいいかもしれない。
 とりあえずこの本で紹介されている幽霊子育飴ってやつがまだ売っているうちに、一度その飴を買うためだけにでも京都に行ってみたいと思いました。まぁ、思うだけで終わりそうだけど。
 ちなみにこの作品はその性格上、たくさんの写真が挿入されているのはいいんだけれど、どれも解像度が低いのが残念なところ。キャプションが写真と一緒にスキャンされていたりして、フォントがぼやけているし、電子書籍としてのやっつけ仕事感がはんぱなかった。いい加減な仕事をすると鬼に呪われそうだから、もうちょっとがんばりましょう。
(Feb. 25, 2020)

パディントン発4時50分

アガサ・クリスティー/松下祥子・訳/クリスティー文庫/早川書房/Kindle

パディントン発4時50分 (クリスティー文庫)

 ミス・マープルのご友人のエルスペス・マギリカディという難しい名前の老婦人がパディントンから帰宅する列車に乗っている際に偶然、平行して走っている電車で女性が絞殺されるのを目撃する。
 すわ一大事と駅員や警察へ届け出るものの、なぜか死体は発見されず、事件は老人の虚言か妄想だろうということで片付けられる。
 しかし友人の性格を知っているマープルさんひとりはそうは思わない。彼女が見たというのならば殺人はあったはずと、自ら同じ時刻の電車に乗り込んで、もしも死体を隠すならばどうするべきか……と考えた末にひとつの答えにたどり着く。
 さぁ、あとは実際に調査に乗り出して死体を発見するだけ――とはいっても、マープルさんはご老体。いくら目処がたったとはいえ、自ら足を棒にして死体を探し回ることはできない。さあ、どうすべきか……と悩んだ末に、マープルさんが調査を依頼したのは、知り合いの若きスーパー家政婦、ルーシー・アイルズバロウだった。
 マープルさんからの奇妙な依頼に興味をおぼえたルーシーは、休暇を返上してマープルさんに指定されたクラッケンソープという富豪の屋敷へと乗り込んでゆく。さて、本当に死体は見つかるのか……。
 というあたりで全体の五分の一。やたらと登場人物のカタカナ表記が難しいことをのぞけば、ここまででつかみばっちり。
 でも、その後の死体の発見に至る顛末は非常にあっさりしていて、事件はそのあと、犯人は誰か――そもそも被害者は誰なのか――を追求する警察の捜査が中心となる。そして、その後も本業の家政婦としての敏腕ぶりを発揮してお屋敷のみんなからの信頼を得たルーシーは、一家の男性陣ほぼ全員からのプロポーズを受けるような立場になる。この辺のロマンティック・コメディ度の高さがクリスティーならでは。
 終盤にきて被害者が増えることでクリスティーの仕掛けがあらわになってしまい、犯人の意外性はいまいちだったけれど、それでもなかなかの出来だと思った。
 それにしても最後にルーシーが選ぶのは誰なんだか。マープルさんにとっては自明の理らしいけれど、僕にとってはそれがこのミステリのいちばんの謎だった。ちゃんと書いておいて欲しかった。
(Feb. 09, 2020)