Coishikawa Scraps / Books

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最近の五冊

  1. 『辺境・近境』 村上春樹
  2. 『波の絵、波の話』 稲越功一・村上春樹
  3. 『使いみちのない風景』 村上春樹・稲越功一
  4. 『夢で会いましょう』 村上春樹・糸井重里
  5. 『シャイニング』 スティーヴン・キング
    and more...

辺境・近境

村上春樹/新潮文庫/Kindle

辺境・近境(新潮文庫)

 途中で紙の本も並行して読み始めてしまったせいで順番が前後してしまったけれど、これがデジタルで読む月刊・村上春樹の最後の一冊。

 収録されているのは、国内外の旅行記が全七本。内訳は海外がアメリカ二本、メキシコ、ノモンハン、国内が長崎、香川、神戸の計六ヶ所。時期は九十年代の後半で、およそ四半世紀以上前の話になる。

 アメリカでまずは多くの作家が住むというニューヨーク州のニュー・ハンプトンという街を訪れ、その後に後半のエッセイでは車での大陸横断旅行に出かけている。

 長崎では個人が所有する小さな無人島で何泊かしてみようとして、夜間に虫の大群に襲われて一晩で終了。これには笑った。まぁ、他人事だから笑えるんであって、自分が同じ目にあったらたまったもんじゃないけれど。

 メキシコでは前半がバックパッカー春樹の一人旅、後半が写真家の松村映三と翻訳家のアルフレッド・バーンバウムと合流して、あちこちを回っている。

 香川では安西水丸氏と一緒にただひたすらうどんを食いまくっている。

 ノモンハンでは表紙の写真を撮っている。

 神戸では震災の二年後の故郷を二日にわけて散策している。

 旅先での風景や出来事をつづる春樹氏の文章は、ふだんのエッセイでのくだけた調子とは違って、いたって普通でとっつきやすい。まぁ、うどんにまつわる章は安西水丸氏と一緒だから、けっこう『村上朝日堂』に近い感じだけれど、そのほかは比較的真面目。そもそもメキシコやノモンハンには、土地柄的に気安くジョークなんかいえない雰囲気が漂っている。このふたつの土地がタイトルの「辺境」たるゆえんだろう。

 メキシコってサッカーでは日本のライバルって感じだから、それなりに発展しているんだろうと思っていたのだけれど、このエッセイが書かれた四半世紀前には、まだまだ発展途上国に近い地域がたくさんあったみたいだ。いま現在はどうなんでしょうね。

 とりあえず、日本でのほほんと暮らしている自分は幸せだなと思った。

(Nov. 04, 2026)

波の絵、波の話

稲越功一・村上春樹/文藝春秋

波の絵、波の話

 もう一冊、稲越功一氏とのコラボ本。いまや絶版なので、これは古本で入手した。一九八四年の刊行だから、僕が高校生のころの作品。これが先にあって、十年後に『使いみちのない風景』が生まれたらしい。

 『使いみちのない風景』は文庫本だったけれど、こちらは文庫化されていないので、A4サイズのハードカバーの写真集。稲村氏の名前が先になっている通りで、こちらはまずは写真ありきで、そこに春樹氏が気ままに文章を寄せたものという風体になっている。

 『波の絵、波の話』というタイトル通り、なるほど海岸や水辺の風景写真が多いけれど、べつにテーマに深くこだわったりはしていないらしく、ビルの夜景や野球場、グラスの写真などもある。

 ただ、全体的に画素の荒い、くすんだ色合いの写真が多くて、僕には正直なところいまいちピンとこなかった。『使いみちのない風景』ではこういう写真が撮れたら楽しいだろうなって思ったけれど、こちらではそう思わなかった。どうせならばあっちがハードカバーのほうが嬉しかったんだけれどな。世の中、そううまくゆかない。

 春樹氏の仕事は、洋楽の歌詞の部分訳が七編――うち僕が聴いたことがあるのはドアーズの『ムーンライト・ドライブ』とビーチボーイズの『キャロライン・ノウ』の二曲だけ――に、長短のエッセイが五編(どちらも数え間違えている可能性あり)、そして最後にレイモンド・カーヴァーの『ビューファインダー』という内容。

 こういう文脈のなかにぽつんと置かれると、カーヴァーの作品ってかなり村上ワールドに近い感触になるんだなって思った。春樹氏がカーヴァーのことを好きな理由が垣間見えた気がした。

(Oct. 30, 2026)

使いみちのない風景

村上春樹・稲越功一/中公文庫

使いみちのない風景 (中公文庫)

 村上春樹による稲越功一という写真家(すでに故人)とのコラボ第二弾。

 『使いみちのない風景』というタイトルの「風景」という言葉から、写真がメインで、それに喚起されたイメージを村上さんが言葉にしてつけたした、くらいの作品かと思っていたら、これも勘違い(そんなのばっかりだ)。

 実際には『使いみちのない風景』というタイトルの春樹氏のエッセイを、色鮮やかな風景や静物の写真で飾り立てた感じの作品。主体は写真ではなく、春樹氏のエッセイ。それも旅行や引っ越しにまつわる春樹氏の思いをつづった、きわめて真面目なもの。写真も明暗や色の使い方が鮮やかな素敵なものが多い。

 文庫化にあたって『ギリシャの島の達人カフェ』と『猫との旅』という短いエッセイ二編も収録されているけれど、やっぱりいちばんボリュームのある表題作がいい。写真を絡めた語りの調子には、なんとなくヨルシカのライブに近いものを感じた。もしかしたら春樹氏のエッセイのうちでは、これがいちばん好きかもしれない。

 このエッセイの中で春樹氏はアリクイの夫婦についての思い出を語っている。

 なんと。『夏帆』の四十年以上前にアリクイの夫婦の話を書いてたのか!――って驚いたし、『夏帆』が刊行されたこのタイミングでたまたまこの本を読んでそのことを知った俺も、ちょっとすごくない?――って思いました。

 ちなみにこの文庫版の初版は一九八八年。うちの子が生まれた年だった。

 もっと昔の本かと思っていたけれど、そう思うとそれほど古くもない気がしてくる。

(Oct. 28, 2026)

夢で会いましょう

村上春樹・糸井重里/講談社文庫

夢で会いましょう (講談社文庫)

 未読の村上春樹作品のうち、デジタル化されているものをすべて読み切っておしまいにするつもりだったんだけれど、紙で入手可能な文庫本がまだ二冊あったので、それも読んでおくことにした。でもって、どうせだからと、絶版になっている本もブックオフで手に入るものを取り寄せたら、月一では年中には読み終わらない数になったので、ここでもう一気に読み切ってしまうことにしました。

 ということで「月刊・村上春樹」あらためて「村上春樹最終強化月間」の第一冊目は、糸井重里氏との共著@講談社文庫。初版は一九八六年だから、ちょうど四十年前の作品。

 これ、僕は勝手に対談集だと思い込んでたら、前書きで春樹さん自身がそう思っている人がいるけどマチガイですと書いていた。けっこう一般的な思い違いらしい。

 同時期に村上龍との対談集が出ているので、それと同列に考えてのことだと思うのだけれど、そちらが文庫化されていないのに、こちらが文庫化されているのはなぜだろうと思っていたら、理由は明確だった。これがちゃんとした(といえるかどうか微妙だけれど)確固たる個性を持った作品だからだ。

 内容はランダムなカタカナ語をキーワードにしたショートショートをアイウエオ順で収録した、村上・糸井版の『悪魔の辞典』みたいな本。

 内容も雑多で、長いものでも五ページくらい、短いものは一行でおしまいと、ボリューム的にもまちまち。書き手の順番もてんで気ままで、糸井さんの作品が何篇かつづいたあとに、春樹氏を一編はさんでまた糸井さん、みたいな調子。全体としては糸井さんの作品のほうが多い印象だった(ちゃんと数えていないので、あくまで印象)。

 作風はのちの『夜のくもざる』に近くて――つまりあまり僕の好みではない――初めて読む糸井さんの文章もけっこう春樹氏と同系統の感触があり、全体としてのまとまりはいい。トータル・コンセプトがしっかりしていて、なかなか個性的な本だと思った。これは絶版になっていないのも納得。

 おもしろいのは、ふたりの作品が似ていて非なるところ。どちらの作品かは、各章の最後にある丸で囲った「m」と「i」の記号で区別する仕組みなのだけれど、その記号にたどり着かなくても、読んでいると、とりあげる題材の違いや、語り口で、これは春樹さんだなとか、これは糸井さんだ、というのがなんとなくわかる。

 ――というか、そりゃアリクイやクモザルなんかが出てくりゃ、誰だってこれは春樹さんだって思うよなって話なんだけれど。なかにはそのまま『夜のくもざる』に転用してない?――って思うような作品もある。四十年前からずっとアリクイやクモザルなんかが出てくる話を書いてるの、ちょっとすごいなと思った。

 『ヤクルト・スワローズ詩集』もすでにこのころにはあったんすね。長持ちだな。

(Oct. 24, 2026)

シャイニング

スティーヴン・キング/深町眞理子・訳/文春文庫(全二巻)

シャイニング 上 (文春文庫) シャイニング 下 (文春文庫)

 映画を観て、これは原作も読んだほうがよかろうと思ってから早十数年。ようやく読みました、スティーヴン・キングの原作。これがデビュー第三作目とのこと。

 映画を観たのが昔のこと過ぎて、すでにきちんとした比較はできないけれど、それでも物語としての印象だけでいえば、そんなに違わなかった。冬のあいだ雪に閉ざされる豪華ホテルの管理を任された一家の親子三人が、正気を失った父親の暴走により悲劇を迎えるという話。

 ただ、この小説ではその日に至るまでに彼らを襲う不気味な出来事の数々が、三人ぞれぞれの立場から綿密な筆致で描かれてゆく。映画ではとても印象的だった双子の少女とかは出てこない。かわりにそのホテルに人知を超えたなんらかが潜んでいるらしいことが、いくつもの事件を積み重ねて強調されてゆく。そして訪れるXデイ……。

 映画ではいわくありげなホテルに閉じ込められたことが原因でジャック・ニコルソンが勝手に発狂してしまった、みたいなイメージを持っていたのだけれど、じつはそうじゃなかったのかもしれないって、この原作を読んで思った。

 だって、この小説での彼は、なにかに干渉されまくったあげく、最後は憑依されるような形で正気を逸している。

 とにかく人ではないなにかの存在が、この小説ではつねに物語の背後に潜んでいる。少年も特別な力を持っているからこそ苦しめられている。そうした人知を超えたものの存在感の大きさが、映画とこの原作のいちばんの違いだと思った。

 それをぼやかしたことで、映画は文学的ともいえる狂気を感じさせる作品に仕上がっていた気がするけれど、でもこの小説で描かれる不条理で圧倒的な悪意みたいなものこそ、スティーヴン・キングが生涯をかけて描いてきているもののように思われるので、そこをごまかされれば、作者としてもおもしろくないだろうなと思った。重要キャラの運命も勝手に変えてしまっているわけだしねぇ……。

 とはいえ、どちらがいいかと問われると困る。どちらにも違った魅力がある。作品。

 ただ、この小説に関しては、タイトルの『シャイニング』が、翻訳では“かがやき”と訳されているのには、申し訳ないけれど笑ってしまった。最初にその言葉が出てくるときのセリフが、「なあ坊や、おまえさん、かがやいてるな」ですからね(上巻P.156)。そこだけはちょっとくすりとしてしまった。

 いまなら「シャイニング」ってルビを振るなり、「かがやき」をルビにするなりって手法がとられそうなところだけれど、さすがにいまから四十年前の翻訳だけあって、そういうところはさすがに古びている感がある。これって誤植ではないの? って辞書を引いた個所もいくつかあった。

 まぁ、それでも内容的には問題なし。スティーヴン・キングという作家の筆圧の高い文章で描き出される雪に閉ざされた異形の世界はとても読みごたえがあった。

 これ一冊で、僕の中でひそかなスティーヴン・キング・ブームが巻き起こっている。

(Oct. 14, 2026)