Coishikawa Scraps / Books

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最近の五冊

  1. 『シャイニング』 スティーヴン・キング
  2. 『サリンジャー初期短篇全集』 J・D・サリンジャー
  3. 『皇帝のかぎ煙草入れ』 ジョン・ディクスン・カー
  4. 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』 村上春樹・安西水丸
  5. 『パルプ』 チャールズ・ブコウスキー
    and more...

シャイニング

スティーヴン・キング/深町眞理子・訳/文春文庫(全二巻)

シャイニング 上 (文春文庫) シャイニング 下 (文春文庫)

 映画を観て、これは原作も読んだほうがよかろうと思ってから早十数年。ようやく読みました、スティーヴン・キングの原作。これがデビュー第三作目とのこと。

 映画を観たのが昔のこと過ぎて、すでにきちんとした比較はできないけれど、それでも物語としての印象だけでいえば、そんなに違わなかった。冬のあいだ雪に閉ざされる豪華ホテルの管理を任された一家の親子三人が、正気を失った父親の暴走により悲劇を迎えるという話。

 ただ、この小説ではその日に至るまでに彼らを襲う不気味な出来事の数々が、三人ぞれぞれの立場から綿密な筆致で描かれてゆく。映画ではとても印象的だった双子の少女とかは出てこない。かわりにそのホテルに人知を超えたなんらかが潜んでいるらしいことが、いくつもの事件を積み重ねて強調されてゆく。そして訪れるXデイ……。

 映画ではいわくありげなホテルに閉じ込められたことが原因でジャック・ニコルソンが勝手に発狂してしまった、みたいなイメージを持っていたのだけれど、じつはそうじゃなかったのかもしれないって、この原作を読んで思った。

 だって、この小説での彼は、なにかに干渉されまくったあげく、最後は憑依されるような形で正気を逸している。

 とにかく人ではないなにかの存在が、この小説ではつねに物語の背後に潜んでいる。少年も特別な力を持っているからこそ苦しめられている。そうした人知を超えたものの存在感の大きさが、映画とこの原作のいちばんの違いだと思った。

 それをぼやかしたことで、映画は文学的ともいえる狂気を感じさせる作品に仕上がっていた気がするけれど、でもこの小説で描かれる不条理で圧倒的な悪意みたいなものこそ、スティーヴン・キングが生涯をかけて描いてきているもののように思われるので、そこをごまかされれば、作者としてもおもしろくないだろうなと思った。重要キャラの運命も勝手に変えてしまっているわけだしねぇ……。

 とはいえ、どちらがいいかと問われると困る。どちらにも違った魅力がある。作品。

 ただ、この小説に関しては、タイトルの『シャイニング』が、翻訳では“かがやき”と訳されているのには、申し訳ないけれど笑ってしまった。最初にその言葉が出てくるときのセリフが、「なあ坊や、おまえさん、かがやいてるな」ですからね(上巻P.156)。そこだけはちょっとくすりとしてしまった。

 いまなら「シャイニング」ってルビを振るなり、「かがやき」をルビにするなりって手法がとられそうなところだけれど、さすがにいまから四十年前の翻訳だけあって、そういうところはさすがに古びている感がある。これって誤植ではないの? って辞書を引いた個所もいくつかあった。

 まぁ、それでも内容的には問題なし。スティーヴン・キングという作家の筆圧の高い文章で描き出される雪に閉ざされた異形の世界はとても読みごたえがあった。

 これ一冊で、僕の中でひそかなスティーヴン・キング・ブームが巻き起こっている。

(Oct. 12, 2026)

サリンジャー初期短篇全集

J・D・サリンジャー/柴田元幸・訳/河出書房新社

サリンジャー初期短篇全集

 夏休みにこの本を読み始めてすぐ読書欲がいちじるしく衰えてしまい、なかなか回復しなかった。最初の一ヶ月は週に一、二話しか読んでない。半月くらい一ページも読まずに放置してあったりもした。

 このままじゃいかんと毎日読む生活に戻ってからも、なかなか調子が上がなかった。最初のうちは一日一話か二話読んでおしまい。そんな調子で大苦戦しながら、結局一ヶ月半以上かけてなんとか読み終きったサリンジャーの短編集。トランスレイテッド・バイ・柴田元幸。

 『ナイン・ストーリーズ』以前の「全作品」をまとめたものとのことで、さすがに習作っぽい作品もあって、その辺も読書がはかどらなかった要因のひとつ。やっぱ読書力が下がっている時期には、作者の試行錯誤が透けて見える短編集は向かない。

 でもまぁ、その後に『ライ麦畑でつかまえて』にまんま組み込まれた短編があったり、ホールデンの兄が戦地で行方不明になった弟(つまり『ライ麦畑』のあとのホールデン)について思いをはせる短編があったり、その後のサリンジャーを語る上では見逃せない短編もちらほら。戦争にまつわる物語が多いのも意外だった。

 サリンジャーが生きた時代――第二次世界大戦がはじまった年のはじめに二十になっている――を考えれば、意外でもなんでもないのかもしれないけれど、僕のなかではサリンジャーと戦争って、これまでまったく結びついていなかった。あまり戦争ものが好きじゃないのも、手こずった一因だった気がする。

 なかでは収録作のなかでダントツのボリュームを誇る中編『転倒した森』がいちばん好きだった。それがもっとも正統的なスタイルで書かれた、この本に収められているうちで唯一の恋愛小説だからだと思う(少なくても僕のイメージではそう)。へー、サリンジャーってこんな小説も書いていたんだって思った。

 まぁ、なんにせよ、読書欲が衰えている時期には不向きな一冊だった。次にサリンジャーを読むのは心に余裕があるときにしよう。

(Oct. 09, 2026)

皇帝のかぎ煙草入れ

ジョン・ディクスン・カー/斎藤数衛・訳/早川書房/Kindle

皇帝のかぎ煙草入れ

 Kindleで安く買えたので読んでみることにした古典ミステリの名作。

 ジョン・ディクスン・カーは若いころに『火刑法廷』を読んだことがあって、その作品がまったくぴんとこなくて――それこそまったく内容をおぼえていないくらいなので――それきりほかの作品を読もうという気にならないでいた。

 だから今回のこれもそれほど乗り気しないまま、でも安さにつられてつい買っちゃったからなぁ……とか思って読み始めたのですが。

 うん、これはよかった。なるほど、名作として読み継がれてきたのがわかる。こういう作品が書ける作家の作品なのだから、もしかしたら『火刑法廷』も、いま読めばまた印象が違うのかなと思った。

 このミステリはひとりの美女を中心に展開する。

 夫の浮気が原因で離婚したばかりのイヴは、隣の屋敷に住む貴族の一家と懇意になり、やがてその家の息子と婚約するにいたる。

 そんな彼女のもとへ、ある夜遅く、元夫が押しかけてくる。

 合鍵をつかって勝手に入ってきた彼は、寝室にいた彼女に詰め寄り復縁を迫る。

 深夜に元夫と寝室でふたりきり――この外聞をはばかる状況のもとで、彼女は窓越しに隣の屋敷でフィアンセの父親が殺されているのを目撃してしまう。

 元夫と一緒にいたことを隠しておきたい彼女が、どう対処したらいいかと頭を悩ませているあいだに、事態は思いがけない展開をみせ、なんと警察からは彼女が殺人の容疑者とみなされることに……。

 さて、ご当地の警察署長に連れられて事件に関与してきた心理学者のキンロス博士は、いかにして彼女の冤罪を晴らしてみせるのか?

 ――あらすじのまとめ方が下手すぎて、イヴが逮捕されるにいたる展開がとても唐突な印象になってしまっている気がするけれど、実際に読んでいると、殺人を目撃したあとのどたばたした展開で、あ、これはきっと彼女が容疑者として疑われることになるんだなというのがわかる。その辺の話の持っていき方が上手いなと思った。

 でもって、予想通り彼女に殺人の容疑がかかるのだけれど、その時点でひとつだけ、そこまでの展開では語られていない決定的な物的証拠――それがタイトルの『皇帝のかぎ煙草入れ』に由来する――が見つかる。

 え、なぜ?――という僕らの疑問に対するその答えが、ちゃんとこのミステリの鍵となっている。そこのところがとても上手いし、フェアで、素晴らしいと思った。

 探偵が美女にほだされちゃうなんだそりゃな結末も、それはそれでおもしろみがあった。元夫婦の痴話喧嘩的な導入部からその結末まで、けっこうメロドラマ的な要素が多いのも一興だ。

 ちなみに舞台はフランスで、殺人の容疑を受ける美女も、その嫌疑を晴らす探偵もイギリス人。なのに書いている作家はアメリカ人という。これはそんな不思議な組み合わせの小説だったりもする。

(Sep. 26, 2026)

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか

村上春樹・安西水丸/新潮文庫/Kindle

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか(新潮文庫)

 『村上朝日堂』をタイトルにしたエッセイ集の四冊目にして現時点では最後の一冊。

 初版の刊行は1997年だから、村上さんが四十八歳のころ。

 さすがに五十に手が届こうって年齢になっているので、村上さんの言葉にもそれ相応の風格が……とくに感じられるようになっていないのが、村上朝日堂の村上朝日堂たるゆえんという気がする。

 でもまぁ、最初の『村上朝日堂』に比べると、読んでいてげんなりさせられる回数は圧倒的に減った――というか、ほとんどなかった。

 文章的にちょっとなぁ……と思うところはところどころにあったけれど、語っている内容に反感を覚えることはほとんどなかった気がする。

 なかでもいちばん印象的だったのは、「牛も知っている……」と題した一遍。

 これは前半で「牛も知ってるカウシルズ」とか「ベレンコ中尉も、これでデレンコ」とかのくだらない宣伝文句を引用して笑わせておきながら、後半はそのベレンコ中尉という人がソ連を亡命した年に絡めて、そのときに手がけていた最新翻訳の『心臓を貫かれて』について紹介するという、なにそれって内容だった。

 『心臓を貫かれて』のような素晴らしくハードな内容のノンフィクションを紹介する前振りがそれ?――って。かなりびっくりしました。

 まぁ、なにはともあれ、雑誌には乗らなかったエッセイがおまけで二本追加されていたり、いくつかのエッセイには後日談として追記があったり、あとがきもあって、なおかつそのあとに安西水丸氏との対談まで添えられているという。ボリューム的にもサービス精神たっぷりの、現時点でのシリーズのとりを飾るにふさわしい一冊だった。

 ということで、デジタルで読む月刊・村上春樹も残りあと一冊!

(Aug. 23, 2026)

パルプ

チャールズ・ブコウスキー/柴田元幸・訳/ちくま文庫

パルプ (ちくま文庫)

 ちょっと前に読んだ『小説の読み方、書き方、訳し方』のなかで、高橋源一郎が「文章の理想像」と語っていたので、いまさらこのタイミングで読むことにした積読のなかの一冊。これがブコウスキーの遺作なのだそうだ。

 これ、なにがそんなにすごいのかと思ったら――。

 拍子抜けするくらいに、まったくすごくない。でも、肩の力が抜けたあっさりとした文体で、とても読みやすかった。翻訳であることを感じさせないその自然体でさばけた語りこそが高評価の理由なのかもしれない。

 若いころに読んだブコウスキーの短編集『町でいちばんの美女』はそんなに読みやすかった気がしないのだけれど、ずいぶんと昔のことで、内容はまったく忘れてしまっているので、比較するのがおこがましい。でも作品の感触はけっこう違った気がする。

 いずれにせよ、そのときの印象は「酒と競馬とセックス、そして最低な犯罪がいくつか」という、小市民的な僕には縁遠いタイプの作家というものだった。

 ダメ探偵のもとに次々と妙な依頼が舞い込み、主人公の活躍を待たずにそれぞれ勝手に解決していってしまうハードボイルドのパロディみたいなこの作品を読んでも、その辺の印象はさほど変わらず。やっぱ俺には関係ないかなぁと思う。

 若いころにロス・H・スペンサーのチャンス・パーデュー・シリーズが大好きだったものとしては、そこそこ通じるもののある世界観のような気がするんだけれど、ブコウスキーという作家のフィルターを通したことで、なんとなくしっくりこなくなっちゃった、みたいな。そんな作品。

 いやでも、ブコウスキーって、コーマック・マッカーシーやドン・デリーロと同じで、僕には関係ない作家だと思いながらも、なんとなく気になる存在ではあるので、この先もたぶん読むことはあるだろう。

 ――というか、これと同時期に買った積読があと二冊あるので、少なくてもそれらは読むことが確定しているんだった。

(Aug. 20, 2026)