村上朝日堂超短篇小説 夜のくもざる
村上春樹・安西水丸/新潮文庫/Kindle
村上春樹という人の評価が賛否両論に分かれるのは――そして僕が春樹氏を無条件に受け入れられない理由は――こういう作品があるからなんだろうなぁって思うような一冊だった。
『カンガルー日和』につづく二冊目の超短編小説集。
とはいっても、こちらは安西水丸氏とのコラボで、連載誌の広告として掲載されたものとのことで、あちらよりももっと短い。
僕が読んだ端末だと、小説本編は一話あたり三ページ足らず。『カンガルー日和』の表題作は九ページだから、一遍あたりのボリュームは三分の一。あちらが超短篇だとしたら、超々短篇って感じだ。
さすがにそのページ数だと起承転結のある物語をつむぐのは難しいので、内容はワン・アイディアで笑いを誘うようなものが中心となっている。
その内容がなぁ……。
よくいえば無邪気でユーモラス。悪くいえば幼稚で馬鹿っぽい。
単行本の刊行が1995年の六月だから、『ねじまき鳥クロニクル』と同時期の作品だ。すでに作家としての地位を確固たるものにしていた村上氏が、そのステータスからすると軽薄すぎる嫌いがあるこういう本を臆面もなく出しているという事実が、この人の評価を二分しているんじゃなかろうか。
だって『ねじまき鳥クロニクル』を読んでファンになった人が、同じような作品を期待して表題作の『夜のくもざる』を始めとした動物がしゃべる系の話を読んだら、やっぱとまどうでしょう? なにこれって話になる。
中には『夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について』みたいな味わいのある短篇もあるけれど、それはほんの一握りで、あとはナンセンスなものばかりだ。
そういう村上さんを「おもしろい」「かわいい」と受け入れられる人を世間ではハルキストと呼ぶんだろう。残念ながら僕はそういう読者ではないので、うーんって感じになってしまう。
とくに引っかかったのが『激しい雨が降ろうとしている』という作品のなかの一節。
「これは小説ではなくて、ほんとうにあった話」と断って始まるこのエッセイの中で、春樹氏は若いころの自分について、「議会制民主主義に対して不信感を抱いており、一度も投票したことがない」と書いている。
以前のエッセイでは子供はいらないっていっていたし、村上春樹という人が基本的に社会とは最低限しかかかわらないという姿勢を貫いているのは知っている。
それは仕方ない。子供をつくらなかろうと、選挙にいかなかろうと、それは個人の自由だ。他人が口出しをすべきことではないと思う。人に迷惑をかけないかぎり、なにをするのも自由だ。僕だってゆかずに済むならば選挙になんかいきたくない。
でも誰ひとり子供をつくらず、選挙にいかなくなったら、国は滅びるわけですよ?
子供がひとりも生まれない国では、国民全員が年老いたあとに働き手がゼロになって、社会が回らなくなる。誰も選挙にいかない国では、立候補した悪人が独裁者になって、戦争を始めるかもしれない。
僕らがいまのこの平和な日常を維持できているのは、ふつうに子供をつくり、選挙にゆく人たちがいてくれるからだ。
村上氏の言説からは、そういうあたりまえのことに対する認識が感じられない。その一方でこの本に載っているようなナンセンスなユーモアをまき散らしている姿勢をみると、どうにも尊敬できないよなって気になる。
選挙にゆかなくても、子供をつくらなくてもいいけれど、つべこべいわずに黙っていればよくないですか?
「議会制民主主義に対して不信感を抱いており」なんてエクスキューズはいらない。金はいくらでもあるのだろうから、議会制民主主義に不信感を持っているのならば、議会制民主主義がない国を探して移住すればいい。そうもせずに日本でのほほんと暮らしながら「選挙には行きません」なんてのは単に無責任なだけだ。
この本は英語に翻訳されていないようだけれど、もしも翻訳されて世界中の目に触れるようになった日には、村上春樹がノーベル賞を取ることは金輪際ないだろうなって思った。
(Jun. 27, 2026)


















