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  1. THANK YOU SO MUCH / サザンオールスターズ
  2. Dear Jubilee -RADWIMPS TRIBUTE- / V.A.
  3. あにゅー / RADWIMPS
  4. 宮本浩次 @ 日本武道館 (Oct. 27, 2025)
  5. 「残像の愛し方、或いはそれによって産み落ちた自身の歪さを、受け入れる為に僕たちが過ごす寄る辺の無い幾つかの日々について。」 / Tele
    and more...

THANK YOU SO MUCH

サザンオールスターズ / 2025

THANK YOU SO MUCH [完全生産限定盤A] [CD + SPECIAL DISC(Blu-ray) + SPECIAL BOOK]

 若い子たちの音楽ばかり聴いていた一年だけれど、せっかくだから最後にこの人たちを。

 今年の三月にリリースされたサザンオールスターズの十年ぶり、通算十六作目の最新アルバム。

 とかいいつつ。失礼ながら、僕はこのアルバムにまったく期待していなかった。

 先行シングルとして配信されていた『恋のブギウギナイト』『桜、ひらり』『盆ギリ恋歌』『歌えニッポンの空』などがどうにも好きになれなかったから。

 どれもサザンらしいといえばらしい曲だけれど、音作りが人工的すぎて、僕の趣味にはあわない。

 かろうじていいなと思えたのは『ジャンヌ・ダルクによろしく』と『Relay~杜の詩』くらい。それだって単発で聴いている限り、かつての曲ほどには夢中になれなかった。

 まぁ、とはいっても、わが青春のバンドと呼んでしかるべきサザンの新譜だ。聴かないわけにはいくまいと、迷わずにCDは買いました。そしていざ聴いて驚いた。

 いや、よくない、このアルバム?

 前述した楽曲が中心の序盤は、あぁ、やっぱりなぁって感じなのだけれど、原坊が歌う『風のタイムマシンにのって』や、大谷翔平の名前が歌詞に出てくる『夢の宇宙旅行』など、あ、意外といいかもって曲を経たあと、終盤になってこのアルバムのクライマックスと呼ぶべき二曲がやってくる。

 それが『悲しみはブギの彼方へ』と『ミツコとカンジ』。

 なに、このリトル・フィート・ファン丸だしな『悲しみはブギの彼方へ』って曲は?

 ――と思ったら、それもそのはず。これがデビュー前のアマチュア時代にやっていた曲だそうで。いまさらマジか?

 つづく『ミツコとカンジ』(アントニオ猪木夫妻のことですよね?)は新曲だけれど、これまたその曲のテイストを踏襲した、オールド・スタイルのサザン・ナンバー。まさかそんなタイトルの曲に魅了されようとは予想もしなかった。

 初回限定盤についてきたボリュームたっぷりのインタビューによれば、大半の曲は桑田佳祐が片山敦夫らとスタジオで最新のレコーディング技術を駆使して緻密に音を組み立てたものなのに、この二曲はサザンのメンバーが一堂に会して、普通にバンドとしてレコーディングされたらしい。なるほど、気持ちがいいいわけだ。やっぱバンド・サウンドはこうでないと。

 ほんとこれだよ、これ。これこそ僕がずっと聴きたいと思ってきたサザンの音だぁ~!――と大盛り上がりだった。

 この二曲から、これまたピアノがフィーチャーされた『神様からの贈り物』を経て、配信シングルではもっとも感動的だった『Relay~杜の詩』で終わるという。この締めの部分が文句なしに素晴らしい。終わりよければすべてよし。こんなにあと味のいいサザンのアルバムはひさしぶりだ。

 とにかく、なにはともあれ、僕と同世代のサザンファンだったら、『悲しみはブギの彼方へ』と『ミツコとカンジ』の二曲だけは絶対に聴くべし。嬉しくて頬が緩むこと間違いなしです。ぜひ。

(Dec. 23, 2025)

Dear Jubilee -RADWIMPS TRIBUTE-

V.A. / 2025

Dear Jubilee -RADWIMPS TRIBUTE-

 RADWIMPSデビュー二十周年を記念してリリースされたトリビュート・アルバム。

 参加アーティストの豪華さゆえ、リリース直後にこのアルバムの収録曲が配信チャートの上位を独占したことでも話題になったけれど、僕にとってもこれは本当に特別なアルバムだった。こんなにリリースを心待ちにしたトリビュート盤は初めてだ。

 だってさ。

 宮本浩次とずっと真夜中でいいのに。

 この両方の名前が一枚のアルバムのクレジットに並んでるんだよ?

 そんなものを目にする日が来ようと誰が思うかって話で。

 だって接点がなさすぎでしょう?

 いや、村山☆ジュンとか佐々木コジロー貴之とか、サポートメンバーはかぶっているとはいえさ。

 そもそもトリビュート・アルバムって、そのアーティストを好きなバンドが参加するもんだよね? ACAねはSNSで『なんでもないや』を弾き語りしていたりして、思春期にRADWIMPSの音楽を浴びた世代なんだろうから、参加していてもなんら不思議はないけれど、宮本は絶対にRADWIMPSなんてまともに聴いてないよな?

 噂で聞いた話だと、アーティストの選定にはラッドのふたりは絡んでないそうなので、つまりバンドのスタッフかレコード会社の担当者が、宮本に参加を打診したということなんだろう。その人たちにとっては、宮本は上の世代の代表として、ラッドにつらなるアーティストのひとりとみなされたということだと思われる。

 なるほど、それならばわからないでもない。僕自身の感覚でも、両者は確実につながっているから。どちらもこの世界とうまくコミットできないことに深い孤独感を抱きながら、その破格の音楽の才能によって、自らと他者の両方を救いつづけてきたアーティストだ。それは、ずとまよにも同じことがいえる。

 エレカシとラッドとずとまよ。この三つのバンドは、僕の人生においては、間違いなく現時点での日本人アーティストのトップ3だ(まぁ、最近の宮本には全面肯定しにくいところがあるけれど。それはまあ置くとして)。

 このアルバムではそんな三つのバンドの名前が一堂に会している。

 ――のみならず。

 ここにはさらに、米津玄師、ヨルシカ、YOASOBIまで参加しているんだよ?

 現時点で名実ともに日本一のアーティストと呼んでしかるべき米津玄師に加え、バンド名に「夜」が入っていることから「夜好性」と称される、同時期にデビューした三バンド、ずとまよ、ヨルシカ、YOASOBIが勢ぞろいしているという意味でも話題性は十二分。

 ほかにも上白石萌音、SEKAI NO OWARI、Vaundy、ハナレグミ等、僕のライブラリに一応名前があるアーティストも多数参加(上白石さんは洋次郎とn-bunaが提供した曲を繰り返し聴いています)。さらにはいま日本一売れているバンド、Mrs.GREEN APPLEまでが加わるというね。

 これが特別でなかったらなにが特別だって話だ。

 このメンツだけでも十分なサプライズなのに、ここでは宮本がさらなるサプライズをかましてくれる。『おしゃかしゃま』なんて難しい曲を選んだだけでも驚きなのに、クレジットをみたら、そこにはH ZETT Mの名前が!(東京事変初代メンバーのヒイズミマサユ機です念のため)。プロデュースには宮本とヒイズミと村☆ジュンの名前が並んでいる。さらにさらに。演奏者のなかには、ずとまよの『機械油』でお馴染みの津軽三味線の小山豊の名前まである。

 いったいこのメンバーでどんな音を出しているんだと思ったら、いきなり三味線から始まる和風ダンスビートなアレンジはもとより、宮本のこれまでになく抑えの効いたボーカルが最大の驚きだった。多重録音されていて、裏ではいつものシャウトが聴けるけれど、表面は抑制しまくりの淡々とした調子。なにその歌い方? うちの子からは「宮本さんってこんなに静かな声が出せるんだ」と言われていた。これまでに一度も聞いたことのない宮本浩次がそこにいた。もうびっくりだよ。

 アルバム参加者の中で最年長者である宮本が、若い子たちにまじりながら、そんな風に「もっともアグレッシブな姿勢で音楽と向き合っているのは宮本なのでは?」と思わせる新機軸を打ち出してきているというだけでも、宮本ファンは絶対に聴いておくべき一枚だと思う。まぁ、好き嫌いはわかれる気がするし、僕自身も最初なんだこりゃって思ってしまったけれど(でも繰り返し聴いているうちに、これはこれでありかもと思うようになった)。

 あとはやっぱ、ずとまよが素晴らしいです。宮本には悪いけれど、『有心論』のカバーがこのアルバムではいちばん好き。鍵盤主体でストリングスをフィーチャーした高速アレンジはこれぞずとまよの真骨頂。ACAねのボーカルが自身の歌を歌うときよりもエモーショナルに聴こえるのは、きっと洋次郎の歌詞のせいだろう。いいもの聴かせてもらいました。

 そのほか、米津玄師が『トレモロ』でオリジナルを踏襲したカラオケかってくらいにまったくひねりのないカバーを聴かせてきたのにも意外性があったし、ヨルシカの『DARMA GRAND PRIX』(言われてみると見事にn-bunaらしい曲だった)でsuisがボーカリストとしてまた新しい表情をみせているのもヨルシカのファンとしては聴きどころのひとつ。参加者のうちで唯一名前しか知らなかったMy Hair Is Badは『いいんですか?』に意外なマッシュアップを加えてみせた発想が秀逸だった。アイディア賞はこの人たち。

 そんな風に聴きどころの多いアルバムだけれども、僕の個人的な好みを越えて、このアルバムでいちばんすごいと思ったのは、Mrs. GREEN APPLEだった。

 トリビュートという祝祭空間において『狭心症』なんて極北な曲に手を出すとは、ずいぶん怖いもの知らずだなと思っていたら、どうやら覚悟なしでその曲を選んだわけではなかったらしい。ボーカルの表現力もアレンジの出来映えも最上級。これ以上ないだろうって完璧なカバーに仕上がっていて驚いた。

 なによりオリジナルの息が苦しくなるような切実さが薄れて、あの重い曲がシリアスさを失わないまま、ちゃんとポップソングとして聴けるようになっているのがすごい。どんな曲でもポップスならしめるセンスという点では、ポール・マッカートニーに通じる才能を感じた。この人たちの人気はちゃんとした実力に裏打ちされているんだなと思いました。いやはや、恐れ入った。

 そんなわけで、参加者のメンツ的にも、収録曲の完成度的にも、間違いなく史上最強のトリビュートアルバムではと思います。

 ――そう。思うのだけれども。それなのに。

 これを聴くと、どうしたってRADWIMPSのオリジナルが聴きたくなってしまう。

 宮本はがんばっているし、ずとまよは大好きだし、ミセスもすごいとは思うんだけれど、これらの楽曲を聴くにあたっては、どうしたってオリジナルには敵わない。野田洋次郎のボーカルがないともの足りない。

 そんな風に、いまが旬ってアーティストたちの演奏を通じて、結局はRADWIMPSというバンドの魅力を再確認させられることになった一枚。

 とりあえず二十周年おめでとう!

(Dec. 15, 2025)

あにゅー

RADWIMPS / 2025

あにゅー

 RADWIMPSの今と昔が交錯する会心の一枚!

 桑原彰の脱退から一年。デビュー二十周年ということもあり、野田・武田の二人体制になっての再出発の意味を込めて『あにゅー』と名付けられた新譜。

 『あにゅー』ってなに?――と思ったら、英単語の「anew [ən(j)ú:] -adv. 改めて; 新たに, 新規に.」(リーダーズ英和辞典)だそうだ(英語力に難のある男)。まさしくその名にふさわしいフレッシュな内容になっている。

 なにかとサプライズの多いこのアルバム。まずは発表済みの曲が『命題』と『賜物』の二曲しかないことに驚いた。

 CDには朝ドラ『あんぱん』の最終回で使われた『賜物』のオーケストラ・バージョン、配信バージョンには『大団円』の新録バージョンがボーナス・トラックとして収録されているけれど、それらを含めても三曲。残りの十曲はまっさらの新曲。

 配信リリース済み曲をコンパイルしてアルバムを出すのがあたりまえになってしまったこのご時世に、これだけの新曲を一気に聴けるのがとても嬉しい。やっぱアルバムってこういうのがいいよなぁとしみじみと思った。まぁ、いまだにそれを毎回あたりまえのように行っているaikoという超えらい人もいますが。

 発表済みの二曲にしても、『命題』はRADWIMPSの王道中の王道といえる曲ながら、初期のアルバムに収録されていてもおかしくないようなその歌詞の世界に、こういう曲がいまさら生まれてきたことにも驚かされた。

 朝ドラの主題歌として賛否両論を巻き起こした『賜物』は、初めて聴いたときに、その構成の複雑さにびっくりした。これ一曲に三曲分くらいのメロディと歌詞をぶち込んだ感がある。朝ドラではその一部だけを切り取ってしまったことで不評を買った感が否めない。まぁ、ちゃんと一分半で朝ドラの世界を表現できてないのが嫌だってことならば、それはそうかもしれないけれど……。

 でもふつうに音楽が好きな人ならば、この曲に込められた熱量の高さは否定できないでしょう? だってこんな曲書ける? ダンサブルな曲調をストリングス・アレンジで聴かせるのはラッドとしても新機軸だし、そういうところにもちゃんと朝ドラ主題歌としての配慮はされていると思う。

 新海映画のサントラとかを聴けば、野田洋次郎がいかにも朝ドラにふさわしいマイルドな曲を書けるのはあきらかだ。でも彼は今回、あえてそういうわかりやすい曲ではなく、こういう全方向にとことん尖った楽曲を持ってきた。それがやなせたかしという人の人生を表現する正しい方法だと信じたからだろう。

 かつてアマチュア時代にライブハウスの支配人から「こんなことしてたら売れないよ」と言われても折れることなく、ミクスチャーなスタイルを貫いてデビューを果たした反骨心はいまも変わってないんだなぁって思った。

 ラッドにとっては王道ともいうべき『命題』と破格の『賜物』。この二曲をリードトラックにして、このアルバムには十二曲(+先程書いたボーナストラック一曲)が収録されている。

 印象的なのは『命題』から始まる前半部分の初々しさ。そこにはメジャーデビュー当時に戻ったかのような、適度にキュートな感触がある。昔のラッドはよかったよねって。そういって離れていったファンを力づくで呼び戻せそうなフレッシュさがある。

 でもそんなアンチエイジングな魅力だけが売りではないのがこのアルバムのよいところ。バラードが多めになる後半、『筆舌』には洋次郎が四十代になったからこそ歌える苦みがあるし、『成れの果てに鳴れ』のサウンド・デザインは『新世界』などの最近のラッドの最新型だ。

 決して懐古趣味に走って若ぶってんじゃないぜって。これぞ二十年に及ぶキャリアのなかで培ってきた抽斗の多さの証明。そんなアルバムに仕上がっていると思う。

 もう絶賛されてしかるべき傑作だと思うんだけれど、そんな中で画竜点睛がりょうてんせいを欠くの感があるのが『ピリオド。』

 曲自体の出来が悪いとかではなく、問題はその歌のテーマ。

 「まじでいらねぇ」「はよ消え去って」と(おそらくバンドを抜けた彼に向けての)嫌悪をむき出しにして歌うこの曲の救われなさときたら……。

 かつての問題作『五月の蠅』を思い出させる曲だけれど、とことんヘビーだったあの曲とは違い、楽曲があっけらかんと明るい分、なおさら救われない。

 この曲を聴いて、今回のアルバムに『人間ごっこ』や『KANASHIBARI』が収録されていない理由がわかった気がした。再出発を誓うこのアルバムには「桑原彰」のクレジットを入れるわけにはいかなかったんだろう。だから『大団円』も新録なわけだ。

 これほど素晴らしいアルバムが、そんな仲間との決別という哀しい事件の結果としてもたらされたという事実には、どうにもやりきれないものがある。

 でもまぁ、いまさらそんなネガティブなことをいっていても詮方なし。その一点をのぞけば、本当にこのアルバムは素晴らしいのだから。

 ほんとRADWIMPSというバンドが好きでよかった。

 ――これ一枚でも十分そう思わせてくれていたのに、さらにもう一枚、おまけでとっておきのプライズがあろうとは(つづきは後日)。

(Nov. 19, 2025)

宮本浩次

俺と、友だち/2025年10月27日(月)/日本武道館

I AM HERO

 十月になって突然発表された宮本の新企画『俺と、友だち』。

 まずは発表からわずか一週間後に下北沢SHELTERでトミとキタダマキとのスリーピースバンドでのライブをやるといって唖然とさせ、翌日には同月の最終週に武道館公演をやるといい出した。なんだそりゃ。

 結局シェルターはトミが交通事故を起こして出演を自粛したので、キタダマキとのふたりでのステージになってしまい、宮本がやりたかったことができなくなってしまって気の毒だったけれど、この日の武道館に関しては本人はきっと大満足だったろう。

 そう、少なくても本人は。

 残念ながら僕個人は今回のソロ公演を楽しみきれなかった。けっこう期待していただけに、そのギャップにがっくりきた。

 宮本いわく「俺と、友だち」はバンド名なのだという噂で、今回、宮本がその新しいバンドのメンバーに選んのは、名越由貴夫、玉田豊夢、キタダマキ、奥野真哉という四人だった。

 縦横無尽バンドから小林武史が抜けて奥野が入っただけじゃん!

 名越さんは友だちなのに、小林さんは友だちじゃないんかい!

 ――とつっこみを入れたくなる。

 とはいえ。たったひとりのこの変更が重要だったのも確か。

 小林武史氏のプロデュースに身を委ねた宮本のソロは、完全なポップスとして綺麗にパッケージされていた。そのサウンド・プロダクションはきっちりとしたプロの仕事だった。

 でもそれは宮本がエレカシで聴かせてきたそれまでのアプローチとは対極にあった。僕ら一部のファンが愛したのは、プロに徹しきれない、永遠にアマチュア臭さの抜けないエレカシの音だ。そんなファンにとっては、小林武史プロデュースの宮本ソロはどうにもお行儀がよくて聴きごたえがなかった。

 宮本にしたって、ほぼソロワークに近かったエレカシの『生活』や『good morning』ではあれだけノイジーでアグレッシブな音を鳴らしてみせた人だ。本人にラウドなロック・サウンドへの欲求がないはずがない。

 「俺と、友だち」と称して、小林さん抜きでバンドをやろうという姿勢には、そうした昔ながらのロックに対する原点回帰的な意味合いが含まれているのだろうと思われる。発表からわずか一ヵ月のあいだに二本をこなすという性急なスケジュールも、業界の因習に縛られない自由さ、ベテランらしからぬ足取りの軽さを感じさせた。

 これはもしや期待してもいいのでは?

 ――今回のライブには、そんな宮本ソロが始まって以来、初めてじゃないかって期待感があった。

 でもって、宮本はそんな期待にきっちりと答えてくれる。

 ――少なくても第一部では。

 『over the top』から始まった最初の四十五分は予想にたがわず最高だった。小林武史のかわりに奥野真哉(from ソウル・フラワー・ユニオン!)の鍵盤をフィーチャーしたサウンドは、あきらかにこれまでの宮本のソロとは違った。

 というか、単純に宮本がギターを弾いている時点で違う。これまでのソロではロック歌手に徹して、ほぼ全編ハンドマイクだった宮本が、今回のステージでは過半数の曲でギターを弾いていた。名越さんの安定した多彩なギタープレーに、宮本の乱暴な音が重なる。そこから生まれるガリガリしたロック・サウンドが最高~。

 選曲にしても『明日を行け』や『It's only lonely crazy days』など、エレカシでもめったにやらないシングルのカップリング曲であるレアナンバーを聴かせてみせたのは、あえてエレカシと差別化をはかってみせたんだろう。これらの曲が特別好きなわけではないけれど(というか『明日を行け』なんてタイトルさえ忘れていた)、めったに聴けない曲を聴かせてくれた姿勢が嬉しかった。まぁ、エレカシでは一度もやったことない『It's only lonely~』の初公開がソロでいいのかよとは思ったけれど。

 で、そこにさらにエピック期の『凡人 -散歩き-』や『サラリサラサラリ』が加わるというね。とくに『凡人』は玉田豊夢のドラムとキタダマキのベースがエレカシとは違ったファンキーなグルーヴ感を生み出していて絶品だった。この日のベストナンバーは間違いなくこの曲。

 そんなエレカシ比率の高かった第一部で演奏された数少ないソロナンバーの『夜明けのうた』も、今回は朝日が昇ったりする特別な演出がないところがかえって新鮮だったし、ソロではもっともパンキッシュな『Do you remember?』もひさびさに聴かせてもらえて嬉しかった(この曲はもっと頻繁に聴きたい)。カバー曲もやらなかったし、『OH YEAH!(ココロに花を)』で締めとなるまで、第一部はこれまでの宮本ソロでいちばんの内容だった。『俺と、友だち』、最高なのでは? と嬉しくなった。

 そう、第一部が終わった時点では。

【SET LIST】
    [第一部]
  1. over the top
  2. 明日を行け
  3. 悲しみの果て
  4. 夜明けのうた
  5. 凡人 -散歩き-
  6. サラリサラサラリ
  7. It's only lonely crazy days
  8. Do you remember?
  9. OH YEAH!(ココロに花を)
    [第二部]
  10. Hello. I love you
  11. ジョニィへの伝言

  12. 風と私の物語
  13. 哀愁につつまれて
  14. close your eyes
  15. 今宵の月のように
  16. 昇る太陽
  17. ハレルヤ
  18. ガストロンジャー
  19. I AM HERO
    [Encore 1]
  20. 冬の花
  21. rain -愛だけを信じて-
  22. P.S. I love you
    [Encore 2]
  23. First Love

 あれ?――と思ったのは、つかの間の休憩をはさんで第二部に入ってから。

 最初の『Hello. I love you』こそエレカシのカップリング曲だったから、そこからも第一部の流れをくんだ内容になるのかと思ったら、二曲目で『ジョニーの伝言』が演奏されてしまう。

 カバー曲なし、混じりけなしの一大ロックショーを期待していた身としては、この歌謡曲の登場で一気にボルテージが下がってしまった。

 つづく『風』は大好きな曲だし、こなれたバンドサウンドにのる宮本の明朗なボーカルはとても気持ちよかったけれど、なにせバラードではひとつ前で下がったテンションはそう簡単には上がらない。

 その次は初公開となる今回の目玉のひとつ、宮本がAdoに提供した『風と私の物語』のセルフカバー。

 宮本ならではのメロディと歌詞をAdoが見事に歌いこなすを聴いて、Adoってすげーと改めて思わされたこの曲。これぞ宮本節って感じだし、本人が歌っても絶対に映えるんだろうと楽しみにしていたのに、残念ながら期待したほどではなかった。Adoのぶれのない迫力のあるボーカルと比べると、宮本のライブバージョンはいまいちインパクトを欠いたというか……。人に提供した曲だからだろうか。宮本のボーカルでいちばん気持ちのいい音域が出ていない印象を受けてしまって、気持ちよさが足りなかった。大いに期待していた曲だっただけに残念。

 で、その次がバースデーライブの最後に演奏された『哀愁につつまれて』で(なにげに宮本のお気に入りなのかもしれない)、そこから第二部の終わりまでは、これまでのソロコンサートの定番ってイメージになってしまう。

 要するに意外性がまったくなくなった。これじゃあ小林武史がいてもいなくても変わらないじゃん。なまじ第一部がエッジの効いた音と意外性のある選曲で楽しませてくれただけに、そことのギャップでどうにもテンションが上がらない。

 でもまぁ、本編ラストの『昇る太陽』『ハレルヤ』『ガストロンジャー』、そして本邦初披露の新曲『I AM HERO』というアッパーな曲を連発した締めに関しては文句なし。『I AM HERO』は『ミュージックステーション』で聴いたときには、まだちゃんと歌いこなせてない感があったので、生で聴いたこの日のほうが何倍もよかった。

 そうそう、今回のライブは、最近のソロとは違ってスクリーンがなかった。僕らの席は二階席の上の方で、さすがに遠くて宮本の表情とかはまったくわからなかったけれど、でもほぼ正面だったから、ステージ全体が満遍なく見えたし、バンドの全体像が視野に入る分、ちゃんとライブ感が味わえたのはよかった。

 あと、スクリーンはなかったけれど、こと照明に関しては、これまでのエレカシ関係ではもっともゴージャスだった。武道館の会場全体を縦横無尽にライトが飛び交う美しさはとても見ごたえがあったので、これが見られただけでも今回は遠い席でよかったかもと思った。

 ソロのクライマックスを飾る定番『ハレルヤ』は、これまでいつも宮本の手書きの歌詞がスクリーンに映し出されるのを目にしながら聴いていたけれど、今回はそれもなかったので、いつもより没入感が高かった気がした。やっぱ宮本のステージには余計な演出はいらないんだよなぁって思う。

 ということで、第二部に入ってからは印象がいまいちになってしまったものの、最後はけっこう盛りあがったので、そこで終わってくれていれば、なかなかいいコンサートだったと気持ちよく帰れたのに……。

 今回はそのあとのアンコールがいけない。

 一曲目の『冬の花』はまぁ仕方ない。これはやるでしょう。ソロを代表する一曲みたいになってしまっているし。僕の好みではないから、やめてとはいえない。

 でも二曲目の『rain -愛だけを信じて-』が駄目。いい曲だとは思うんだけれど、以前に口パク疑惑を受けたコーラス部分でのボーカルのサンプリングの使用が駄目。今回のライヴのコンセプトから外れている。昔ながらのロックバンドはそんなことはしない。あのさびのハモリですげー萎えた。俺はもっと宮本の歌を生で聴きたいんだよ~。

 いや、もしもあのハモリがちゃんと嵌っていればまた違ったのかもしれない。でも下手なんだもん。ガリガリとしたロック・サウンドに乗せてガナるならば、ちょっとくらい声が出ていなくても受け入れられるけれど、ポップソングはちゃんと歌えてなんぼだ。ちゃんと歌えないなら、やらないで欲しい。

 そんな風にネガティヴになってしまったアンコールの締めに『P.S. I love you』で「愛してる~、愛してる~」を連呼されてもなぁ……。

 あぁ、今回のアンコールはいらなかったなぁ……と思ながら帰ろうと思ったら、なんとそのあとにダブル・アンコールがあって、さらなる駄目押しをされてしまう。

 宮本がエレクトリックギターを持って出てきて、椅子を準備していたので、「おー、もしや最後に『男は行く』かっ!」と、瞬間的に高揚した僕の期待を裏切って演奏されたこの日最後の曲は――。宇多田ヒカルの『First Love』。

 なんで最後に人の曲を歌うのさ。カバー曲がメインだった『ロマンスの夜』ならばともかく、今回はそれはないんじゃん? それも決して上手くもないのに……。

 なまじ『男は行く』を期待してしまったもんだから、がっかり感がはんぱなかった。

 この夜の歌でいえば、『サラリサラサラリ』や『風』など、宮本が自らの声域のなかで無理をせずに歌うバラードの気持ちよさには抗えないものがあるのに、『First Love』はそうじゃない。あくまで個人的な意見かもしれないけど、ファルセットを使わないと歌えない曲は、宮本の魅力が半減するんだよねぇ……。

 やめたほうがいいよって、誰かいってくれないかな。

 とにかく、このアンコールの四曲のせいで、この夜のテンションはダダ下がりだった。宮本のコンサートを観て、こんな風にがっかりしたのはひさしぶりだ。

 いや、客観的に批評家的な目で見れば、内容のあるいいコンサートだったのかもしれない。でも僕自身が聴きたい音楽と、宮本がやりたいことのギャップが激しくて、個人的には十分に楽しみ切れなかった。そんな晩秋の一夜だった。

(Nov. 05, 2025)

「残像の愛し方、或いはそれによって産み落ちた自身の歪さを、受け入れる為に僕たちが過ごす寄る辺の無い幾つかの日々について。」

Tele / 2025

「残像の愛し方、或いはそれによって産み落ちた自身の歪さを、受け入れる為に僕たちが過ごす寄る辺の無い幾つかの日々について。」

 去年の君島大空につづいて、今年も蔦谷好位置が『EIGHT-JAM』で年間ベスト10に取り上げた曲にハマった。今年の一曲は Tele の『カルト』。

 Tele(テレ)は谷口喜多朗という2000年生まれの青年のソロプロジェクト(うちの子より若い!)。

 谷口クンはどことなく野田洋次郎を小ぶりにしたような見た目と声をしている。でもって、『カルト』はまさにラッド系列の饒舌でシニカルなロックナンバー。MVでは黒スーツに白シャツ姿で、あたかも宮本浩次みたいな暴れ方をしているし、これはもう完璧に俺の守備範囲でしょう?――と思って、そのほかの曲も聴いてみたんでしたが。

 ん、ちょっとちがうかも?

 そう思ってしまったのは、『カルト』みたいにアッパーなギターサウンド一本で勝負している曲がほとんどなかったから。

 よくいえば、バラエティに富んでいる。悪くいえば、これって芯が見えてこない。その辺はバンドではなくソロアーティストだからだろう。バンドという縛りがない分、あれもこれもと様々なスタイルをお試し中な感じ。全体的にはマイルドな曲が多くて、ちょっと期待していたのとは違った。

 僕が若き日の宮本や洋次郎やn-bunaに惹かれたのは、どの楽曲を聴いても彼らが感じている日々への苛立ちが歌詞にも音にもビートにも溢れださんばかりだったからだ。

 とにかく黙っていられないから歌う。叫ぶ。じっとしていられないから踊る。日々の憤りや憂鬱を振り払うには、激しいノイズとハードなビートとシニカルな言葉をぶつけるしかない。それが僕にとっての音楽だった。

 Teleの場合、『カルト』はまさにそういう曲なのだけれど、それ以外はそうでもない。歌詞は怒りと愛を並行で語っている印象で、ある程度の毒はあるけれど、前述の人たちほどの濃度じゃない。音もギターが目立つ曲が少ない。ストリングスが多用されていたり、ジャジーな曲があったりもする。

 そう、要するにロックよりもポップ寄りなんだった。最初にド直球の『カルト』で過度のロックを期待してしまったのが間違い。

 少年ジャンプに掲載されていたインタビューでは「教科書に載るような曲を書きたい」みたいなことを言っていたし、もとよりポップ寄りのメンタルな人なんだろう。いったんそういうアーティストなんだという事実を受け入れてからは、けっこう楽しく聴かせてもらっている。

 このアルバムはそんな Tele が満を持してリリースした二枚目のアルバム。レーベルはトイズファクトリーだから、これがのメジャー・デビュー・アルバム――なんでしょう、おそらく。でもなぜだかタワーレコードでしか売っていない。ほんとなぜ? いろいろ謎が多い。

 このアルバムをリリースしてから半年もたたないのに、すでにこのアルバムには未収録の新曲が二曲リリースされていたりするし、ずとまよやヨルシカと同様、CDシングルなんて出す気配もない。いまどきの若者って、CDの売上なんてどうでもいいと思っている感じが新鮮だ。

 アルバムの内容は2022年からコンスタントにリリースしてきた三年分の配信シングル15曲に新曲6曲を加えた怒涛の21曲入り。

 なにもCDの収録時間上限に達するほど曲が溜まるまで待たないで、もっとこまめにアルバムにまとめてもいいじゃんって思うけれど、でもこのアルバムはこの過剰なボリュームに意外と説得力がある。なんたって一時間二十分という再生時間の長さがまったく気にならない。楽曲のよさとバラエティ豊かなアレンジゆえだろう。新人でこれはちょっとすごいと思う。覚えられないほど長いアルバムタイトルからも伝わる言葉に対するこだわりも魅力のひとつだ。

 ネットでは楽曲ごとのクレジットが見つからず、CDも買っていないから詳細はわからないけれども、Apple Musicのプロパティにあるクレジットだと、ほとんどの曲に「アレンジャー、作曲、作詞」として谷口喜多朗の名前がある。

 え、まじか? このアルバムってもしかしてセルフプロデュースなの? それでこの完成度はすごいな。あまりにバラエティ豊かだから、外部の力を借りまくっているのかと思っていた。もしかして、ものすごい才能の持ち主なのかも。

 『箱庭の灯』や『花筏』といったスローナンバーも素敵だけれど、お薦めはやっぱなんといっても『カルト』。この一曲だけで一年中踊っていられる。

(Aug. 31, 2025)