Coishikawa Scraps / Music

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  1. 形藻土 / ずっと真夜中でいいのに。
  2. 二人称 / ヨルシカ
  3. ずっと真夜中でいいのに。 @ 日本武道館 (Feb. 28, 2026)
  4. Somebody Tried To Sell Me A Bridge / Van Morrison
  5. The Coward Brothers / The Coward Brothers
    and more...

形藻土

ずっと真夜中でいいのに。/ 2026

形藻土 (通常盤初回プレス)

 現時点でのわが最愛のバンド、ずっと真夜中でいいのに。待望の四枚目のフル・アルバム。

 この作品はこれまでとかなりイメージが違った。

 なによりまずは待ち望むこちら側の心持ちが違う。これまでは期待しかなかったけれど、今回は期待と不安が半々だった。

 それまでは毎年ミニ・アルバムとフル・アルバムを一年ごとに交互にリリースしてきたずとまよが、2025年はついに一枚もアルバムをリリースすることなく一年を終えた。

 万博ライブとかも含めて、精力的にライブ活動を行っていたので、単にアルバムを作るだけの時間の余裕がなかったのかもしれないけれど、なまじそれまで律義に毎年一枚ずつアルバムをリリースしてきていたので、そのインターバルが途切れたことには、若干の創作意欲の衰えが潜んでいるのではと心配になっていた。

 加えて、このアルバムの発表時のコメントには、「初となる10分超えの大作曲、コンセプトに沿ったインタールード等含め、改めて“アルバム”の再定義に拘った1枚」だという説明があった。

 これを読んで期待がワクワクと高まった人もいるんだろうけれど、僕は逆だった。

 要するにある種のコンセプト・アルバムってことでしょう?

 んー、大丈夫なの?

 ずとまよの場合、いまもむかしも個々の楽曲の出来が素晴らしいので、既存曲をアルバムの形にまとめただけでも十分傑作になるのは前作『沈香学』で証明済みなのだから、なにも余計な手間を加えなくてもよくない?――と思わずにいられなかった。

 さて、そんな過去一インターバルがあいたあとに、鳴り物入りの予告とともに届けられたこのアルバム。出来はどうかというと――。

 あぁ、なるほど。これは要するにACAねが最近のライヴでやっている方法論をそのままアルバムの形で表現した作品なのだろうと思う。

 ライヴでは序盤の曲をワンコーラスだけのメドレーにしてみたり、途中に余興があったり、インストパートを追加して長尺になる曲があったりするけれど、その方法論をアルバムの形で再現してみたらこういう形になりましたって、そういうアルバムなのだろうなと思った。作品の性格としては、とても腑に落ちた。

 収録曲は全18曲。トータルタイムは69分で、ボリューム的にはずとまよ史上最大。

 そのうち、このアルバムのマイ・フェイバリットである『TAIDADA』や『微熱魔』を含む6曲が既存曲(もしかしたらマスターとかミックスとか違っているのかもしれないけれど、少なくても僕にはわからない)。先行リリース的な立ち位置でリリースされた『メディアノーチェ』と『よもすがら』も含めるならば8曲。

 さらに配信シングルとは微妙にアレンジが違う『クリームで会いにいけますか』に、スタジオライブテイクとして再録された『またね幻』と『クズリ念』を加えた計11曲が既存曲ということになる。

 つまりアルバムとともに初お目見えとなった新曲は7曲。

 ――とはいっても、そのうち『間人間』(まにんげん)、『アンチモン』、『蟹しゃぶふぁんく』の3曲が現在進行形のツアーで披露済み。

 『間人間』は改めて聴くとこれぞずとまよって楽曲だけれど、『アンチモン』は鼻歌に語呂合わせで歌詞を乗せたようなインスト寄りのクールなダンスチューン(サビのフレーズが電気グルーヴっぽくて癖になる)で、ずとまよ的には新機軸。

 『蟹しゃぶふぁんく』は、アルバムの冒頭を飾る『地球存在しない説』、『ultyra魂』(ウルトラたましい)と並ぶ、ワンコーラスのみ、一分台の短い曲。新曲には違いないけれど、音響的にもラフな音作りで、これをもってずとまよのフルスペックが発揮されているとはいい難い。

 残すところはあと二曲。そのうちの一曲『不死身の訓練』は『ultra魂』が唐突に終わったあとすぐに始まるので、ユーモラスなタイトルもあいまって、その二曲で一曲という印象の、これまた余興感のある仕上がり。

 最後に控える10分越えの『lowmotion aglae』は、『アンチモン』の姉妹編みたいな音遊び感覚全開の前半と、これまでにない昭和レトロなメロディと抒情的な歌詞をもつ後半、まったく性格の違う曲をふたつ――いや、あいだに朗読パートもあるので三つ?――つなぎあわせたような大曲。アルバムを象徴する一曲ではあるけれど、いかんせん長いからリピート率は低くなりがち。

 以上、曲の長さもまちまちで、音作りもバラエティに富んだこれらの楽曲を収録するにあたって、ACAねはその曲順にも入念に気を使ったのがわかる。今回のアルバムにはシャッフルで聴くことを許さない雰囲気がある。

 これまでのアルバムは大半が配信曲だったこともあり、シャッフルして聴いてもさほど印象が変わらなかったけれども、これは違う。下手にシャッフルすると、1分の曲がつづいたあとに10分の曲がかかったりして、やたらとバランスが悪いことになる。

 『形藻土』というアルバムはこの順番で聴いてこそ『形藻土』足りえる――そういうアルバムに仕上がっている。

 そういう意味では、これぞ《ずとまよ》のアルバムの最新進化形――と、自信を持ってお届けされたアルバムなのだろう。そう思う――思うのだけれども。

 でもね。

 やっぱ僕にはこのアルバム、過去の三枚ほどではないように思えてしまう。

 要するに今回のアルバムに収録された新曲のうち、ふつうの曲って『間人間』一曲しかないわけです。『よもすがら』を加えても二曲。

 これまでの三枚のアルバムはそれこそ捨て駒なし、全曲シングルカット可能ってレベルの作品だったと思うのだけれど、今回は違う。楽曲の出来映えの問題ではなく、長かったり短かったりライブ音源だったするがゆえに、これはシングルとしては出せないよねぇって曲がかなりある。

 一分台の曲はどれも紛うことなき《ずとまよ》印だけれど、短くてそれ一曲だけで聴くにはどうしたってもの足りないし、『アンチモン』や『lowmotion algae』みたいな曲はイレギュラーなイメージが強い。いや、どちらも好きなんだけれども。少なくてもこれがずとまよのマイ・フェイバリットとはいえない。

 そういうバラエティ豊かな曲があることでアルバムとしての個性が生まれているのは確かだとしても、でもそのせいでアルバム自体の完成度は下がってしまっている感が否めない。デビュー当時の曲である『またね幻』のライブテイクが入っていることもあって、なんかふつうのアルバムというよりはコンピレーションを聴いているような気分になっちゃうんだよねぇ……。

 あと、大好きな『クズリ念』がオリジナルのアレンジではなく、バラードのライブテイクに変更されてしまっているのも個人的には痛かった。バラード版が感動的なのは否定しないけれど、僕はオリジナルのほうが好きなもので、それがこのアルバムに収録されなかったのは残念でしかない。

 ということで、このアルバムはこれまでのずとまよのアルバムではもっとも満足度が低かった。べつに嫌いなわけではないけれど、過去の作品ほどには盛りあがり切れない。アルバムとして通しで聴かないと座りが悪いせいで、再生回数がこれまでの作品よりも少なくなるのは間違いない気もする。

 ファンになってはや七年。ライブに違和感を覚えることが増えてきたと思ったら、ついに新譜もこういう受け取り方をする日がきちゃったかぁって……。

 僕はこのアルバムを繰り返し聴きながら、なんともいえない気分になっている。

 でもまぁ、ヨルシカが『二人称』でアルバムの存在意義を問うたのとほぼ時を同じくして、ずとまよがこういうコンセプチュアルなアルバムをリリースしたのは、事象としてはとても興味深いことだと思う。そんな一枚。

(Apr. 29, 2026)

二人称

ヨルシカ / 2026

二人称

 ヨルシカ三年ぶりの新作は、前代未聞な同名の書簡型小説と連動したデジタル配信アルバム。

 配信がスタートしたのは書籍の発売日の翌週だったので、n-bunaとしてはまずは本を読んでから音楽を聴いて欲しかったんだろうけれど、僕はこちらを先に聴いてしまったので、文章もこっちが先。

 内容は小説の主人公の少年が書いた詩に音楽をつけたというコンセプトで、内訳は各種のタイアップでリリース済みの曲が十曲に、このアルバムが初披露となる新曲が九曲。加えて「先生との対話」という小説のコンセプトに合致する『ヒッチコック』の再録バージョンと、最初と最後にインストナンバーがあって計二十二曲。トータルタイムは八十二分。

 つまりCDにするとなると一枚に収まらず二枚組になってしまう。中途半端なところで分けるとアルバムのトータルコンセプトが損なわれるってことでCDで出さないのか、はたまたこの作品の歌詞はCDの歌詞カードではなく書籍版を買って読むべしというメッセージとしてCDを出さないのか……。

 理由はさだかではないけれど、とにかくこの新作を聴きたい人はサブスクに加入するか、デジタル版をダウンロードするしかない。

 まぁ、前作の『幻燈』は画集を買ったうえでスマホでストリーミングしないと全曲聴けなかったわけだから、今回はサブスクかダウンロードで全曲聴けるってだけでも、ちょっとだけ敷居が低くなった気がしなくない。

 いずれにせよ、はなからCDを売ってランキングの順位に一喜一憂しようって気がないあたりが新世代だ。もはやCDを買って音楽を聴くというライフスタイル――僕の親しい友人らはいまだにCDでしか音楽を聴かない――は旧態依然だといわんばかりのヨルシカさんだった。

 このアルバムを聴いて驚くのはその統一感。過半数がタイアップとして五月雨式にリリースされてきた曲なのに、歌詞の世界観といい、音作りといい、見事に一本筋が通っていて、全体としてアルバムとしてのまとまりが半端ない。

 それもそのはず。なんとn-bunaは三年前の時点でこのアルバムのコンセプトを決めて、以降はその着想に沿う形で、このアルバムに収録することを前提にすべての曲を制作してきたんだという。

 つまり『葬送のフリーレン』の主題歌の『晴る』も、『チ。―地球の運動について―』に提供した『アポリア』と『へび』も、みんなこのアルバムに向けての序曲に過ぎなかったと。

 そんなことある? 恐れ入谷の鬼子母神。

 音響で印象的なのは、以前に比べてロックっぽくないこと。

 変拍子の曲があったり、ボサノバがあったり。そもそもギターが一歩うしろにさがって裏方に徹しているような曲も多い。かわりにホーンや鍵盤、パーカッションが目立つ音作りになっている。ギター主体の曲もニュートラルな弦の響きを大切にしたようなアルペジオやカッティングが中心で、かつてのようなディストーションサウンドはほとんど聴こえてこない。

 そんな全体的な音楽性の変化にあわせるように、曲ごとにニュアンスを変えるsuisさんの見事なボーカルも聴きどころだ。多様性の化身のような彼女のボーカルに重ねて、n-bunaのコーラスあり、多重録音した彼女のコーラスありと、全体的にメインボーカル以外の声が聴こえてくる――ひとりで歌ってるんじゃないんだぜって――曲が多いのも『二人称』というコンセプトを意識した結果なのかなと思った。

 いずれにせよ、歌詞も音もデビューしたころと比べると格段に表現の幅が広がり、成熟度が増している。こんな風に意識的に着々と変化し、成長してゆくバンドはなかなかないと思う。まぁ、初期のころのやんちゃな感じがなくなってしまったのをいささか淋しく思う気持ちもあるんだけれども……。

 ヨルシカがこの先どうなってゆくにせよ、こういう素晴らしいバンドの成長をファンとして見守れる幸せに感謝したい。

(Mar. 29, 2026)

ずっと真夜中でいいのに。

ZUTOMAYO INTENSE II「坐・ZOMBIE CRAB LABO」/2023年2月28日(土)/日本武道館

形藻土

 ずとまよ二度目のアジアツアーのこけら落しとなる日本武道館公演の初日。

 ずとまよを武道館で観られる!――ってんで、今回もこれは絶対に観なきゃと2デイズ両方申し込こんで、二日分のチケットを確保できたのだけれど、うちの子も興味があるというので、二日目は譲った。なので僕が観たのは初日のみ。

 今回のツアーは海外公演を含む――というか、ツアータイトル的には海外こそが主体――というところがポイントだった。

 おそらく巨大なセットを海外へと持ってゆくのが現実的ではないからだろう。ステージセットはいつになくシンプルで、これまでのようにその豪華さに驚かされることがなかった。

 ステージ左袖には西洋風の墓石と枯れた樹のセットが配されていた。反対の右手にもなにか屋台みたいなのが飾ってあったけれど、遠くてなんだかわからず(僕らの席はステージ向かって左手、一階席の南西十列目)。

 あとは短めの花道があって、Lの字を角を頂点に倒したような左右非対称の三角形にLEDライトを配したセットがステージ前面を飾っているだけで、ステージ上にはとくになにもないようだった(少なくても僕らの席からは確認できなかった)。

 そのかわりに今回は全面のバックスクリーンが配されている。つまり物理的なステージセットの代わりに映像演出が主体だった。ものづくりへのこだわりが強いACAねさんにとっては不本意そうだけれど、海外を視野に入れてコストを考えたら、こうならざるを得ないんだろうなと思った。でもそういう海外仕様のずとまよを見られるというのが今回のツアーのおもしろさだ。

【SET LIST】
  1. 形 [Short Ver.]
  2. 勘ぐれい [Short Ver.]
  3. 低血ボルト [Short Ver.]
  4. 残機
  5. シェードの埃は延長
  6. 蟹しゃぶふぁんく [新曲]
  7. 奥底に眠るルーツ
  8. クリームで会いにいけますか
  9. 彷徨い酔い温度
  10. ばかじゃないのに [即興Ver.]
  11. よもすがら [新曲]
  12. 秒針を噛む
  13. お勉強しといてよ
  14. 海馬成長痛
  15. アンチモン [新曲]
  16. ヒューマノイド
  17. マイノリティ脈絡
  18. あいつら全員同窓会
  19. TAIDADA
  20. 間人間 [新曲]
  21. 正義
  22. 脳裏上のクラッカー
  23. メディアノーチェ

 映像は波打ち寄せる岩場の海面から朽ちた時計塔がつき出ているゴシック風のものがメイン・イメージ。

 「ゾンビ蟹ラボ」というツアータイトルのコンセプトに準じて、オープニングはゾンビに扮したオープンリールの二人による寸劇でスタートした(このパートが無駄に長い)。

 彼らが花道の先端に描かれた魔法陣のところまでいって、なにやらごにょごにょと呪文みたいなのを唱えると、奈落からドラキュラが入っているような棺桶がせり上がってくる。棺の蓋があくと、そこには花で埋め尽くされた中に横向きになって眠るロリータファッションのACAねの姿――。

 そのまま一曲目の『形』のイントロが始まり、ワンコーラス目はACAねは微動だもせずに横たわったままで歌を聴かせた。あれは本当に歌ってたんですかね?

 ワンコーラス(のサビ前まで?)が終わったところでいったん演奏がブレイクして、ACAねが眠りから覚めたというジェスチャーとともにゆっくりと棺を抜け出す。そのままギターを手にして、棺の前に用意されていたマイクスタンドに向かって、毎回恒例のひとことめ、「《ずっと真夜中でいいのに。》です」の挨拶をして、つづきを歌いだした――んだったと思う(いささか記憶があいまい)。

 とりあえずゾンビとロリータファッションの組み合わせを見て、ペローナじゃん!――って思いました(@『ONE PIECE』スリラーバーク編)。そういうオーディエンスがたくさんいたに違いない。

 この『形』から始まる冒頭三曲はどれもメドレー気味のショートバージョンだった。でもメドレーってほどにはつながりを意識していないし、どうせならばフルで聴かせて欲しかった。

 今回は新譜『形藻土』のリリースを一ヵ月後に控えてスタートするツアーなので、どれだけ新曲が演奏されるかも注目ポイントだったわけだけれども――。

 結果からいうと、この日演奏された未発表曲は四曲。

 序盤に弾き語り気味でワンコーラスだけ演奏された曲は、蟹がどうしたという歌詞がコミカルな感じで(『蟹しゃぶふぁんく』という曲らしい)、これってデモテイク?――って思ってしまうような簡素なアレンジだった。

 中盤には配信ドラマ『時計館の殺人』の主題歌として書きおろされた『よもすがら』が演奏された。これはちょっと歌謡曲っぽいテイストのシリアス路線の曲。

 後半に歌詞がまったく聴き取れない浮遊感のある洋楽タッチの新曲がひとつと、「板チョコ」を「痛チョコ」と語呂合わせした新曲(これだけ歌詞つき)が披露された。

 以上四曲。今後ツアーの途中で新譜がリリースになったら、また別の曲が加わってくるんだろう。

 定番になっている三択アドリブ演奏コーナーは、ACAねがゴルフのパットをして、当たったゲートの曲を演奏するというもので、この日の曲目は『ばかじゃないのに』だった(翌日も同じだったらしい)。

 最初の寸劇にしても、ああいうのって日本語のわからない海外にいってもやるんですかね? 大丈夫なの? ってちょっとだけ心配になった。

 少なくても僕個人はあの手の余興にすっかり食傷気味になっているので、余計なことはしなくていいから、もっと音楽を聴かせてよって思う気持ちが強くなっている。しゃもじも、前後左右見回してみても、いまや持っていない客は俺だけじゃん?――ってくらいの普及率だしなぁ……。そろそろずとまよライブも卒業の頃合いかもしれない。

 いずれにせよ今回のツアーは海外を視野に入れているところが肝だった。新曲も披露されたけれど、それ以上に懐かしの初期の名曲が多かった。『ヒューマノイド』とか『脳裏上のクラッカー』とか、すごいひさびさ感があった。ラストひとつ前の『正義』での恒例ピアニカイントロは、この日は『威風堂々』のバンド演奏に流れ込む豪華版。

 バンドはドラムがよっち、ベース二家本、キターコジロー、鍵盤岸田、ホーンがたぶんふたり、オープンリール三人という構成――だったはず。個人名でのメンバー紹介がなかったし、斜めな角度から見ていて、ステージ構成がよくわからなかったので、誰が誰やらという感じだった。

 コンサートの締めは、これも生では初披露となる『メディアノーチェ』。曲の前に「今回は本編の構成を大事にしたいのでアンコールにはお応えできません」みたいなMCでのお断りがあって、その曲のあと、ACAねはメンバーたちと一緒にふつうにステージを去っていった。

 ACAねの退場シーンもいつもだと見どころのひとつなので、そういう普通の退場の仕方ひとつとってみても、今回のツアーはイレギュラー感があった。

 でもまぁ、馴染みのない新曲こそあれ、それ以外はずとまよのストロング・スタイルといってしかるべき印象のセットリスト――だったのですが。

 個人的にはもっとも聴きたかった『微熱魔』がまさか演奏されないとは!

 うちの奥さんは「『ミラーチューン』が聴けなかった」と嘆いていたし、翌日うちの子は『嘘じゃない』が聴けなくて残念だったといっていたそうだ。

 ほんと体力的に厳しくて、そろそろライブ全般からの引退を考え始めていて、前述したとおり、この頃のずとまよライブは余興が過ぎていささか心が離れ気味な部分もあるのだけれども、もう一度生で『微熱魔』が聴きたいので、いましばらくは通おうかと思っている。

(Mar. 15, 2026)

Somebody Tried To Sell Me A Bridge

Van Morrison / 2025

Somebody Tried To Sell Me A Bridge

 前回ヴァン・モリソンの『Accentuate The Positive 』を取り上げてからまだ二年しかたっていないのに、それから現在までの間に、なんと四枚もの新譜がドロップされている。

 まずは廃校が決まった母校(の体育館だか講堂?)で行った十年前の凱旋公演の模様を収録したライブ盤『Live at Orangefield』。

 つづいて過去曲にジャズ・アレンジを施し、ウィリー・ネルソンやジョス・ストーンらをゲストに迎えてデュエットを聞かせたセルフカバーアルバム『New Arrangements and Duets』(なんのひねりもないそのまんまなタイトル)。

 あけた2025年の夏前には三年ぶりの完全新作オリジナル・アルバム『Remembering Now』がリリースされたので、感想を書かないとなぁと思っていたら、間髪入れずにそのわずか半年後にはこの『Somebody Tried to Sell Me A Bridge』がリリースされるという。しかもこれが全二十曲入りでCD収録時間上限に達するボリューム。

 すでによわい八十ですよ? なんでこんなに精力的なの?

 にわかには信じがたい創作意欲だ。

 まぁ、内容はこのところの御大の定番といった感のある、自前の新曲を数曲加えたブルースのカバー・アルバムだから、制作コストは低めなのかもしれないけれど、それにしたってねぇ……。

 いやはや、すごすぎる。お元気でなにより。

 今回はエルヴィン・ビショプやタジ・マハール、バディ・ガイらをゲストに迎えているのもポイントだ。最多はビショップさんの六曲で、あとのふたりが二曲ずつ。

 僕にはあまり馴染みのない人ばかりだけれども、どなたもヴァン・モリソンにとっては同世代のレジェンドたち。でもって、ともにブルースを愛する者どうし。その演奏が悪かろうはずがない。女性コーラスとかホーンとかもたっぷりと入っていて、わいわいと楽しげで素敵です。

 あいかわらずカバー曲の選択は激渋で、僕が知っていたのは『Ain't That A Shame』一曲だけなんだけれど、その曲にしてもアレンジがあまりにファッツ・ドミノのオリジナルやジョン・レノンが『Rock 'N' Roll』で聴かせたカバーと違いすぎていて、それと気がつきませんでした。おそまつ。

(Feb. 25, 2026)

The Coward Brothers

The Coward Brothers / 2024

The Coward Brothers

 エルヴィス・コステロの最新作――とはいっても、2024年11月リリースだから、もう一年ちょい前の作品――はT・ボーン・バーネットとのスペシャル・ユニット、カワード・ブラザーズ名義でのカントリー系のアルバム。

 去年はこのところの東高西低な音楽嗜好がもろに反映されてしまい、ついに洋楽について一本も文章を書かなかった。洋楽のライブも一本も観なかった。洋楽アーティストの来日がまったくなかったパンデミック期をのぞけば、そんなことは大人になってから初めてだった。

 自分でもこのまま洋楽を聴かない人になってしまうのかも……と思ったりしていたんだけれど、こういう作品を聴くと、いやそんなことはないなと思う。やっぱYOASOBIのような打ち込みの音ばかり聴いていると、どうしたってこういうオーガニックな音が恋しくなる。やっぱ生演奏って大事だ。人が演奏しているからこその音の揺らぎや温かみ。それが好きなのはずっと変わらない。

 このアルバムはコステロ名義での過去のT・ボーン・バーネットとのプロデュース作品と同じ系統で、ギターの弾き語りにちょっとだけペダルスティールやシタールで差し色を加えました、みたいなミニマムな音作りがほとんど。たまに速めでアッパーな曲があっても、ドラムやベースは決して表へは出てこない。

 なので普段の僕の趣味からするとおとなし過ぎると思いそうなところだけれども――というか、一年以上放置してあったのだから、実際それほど強く感銘を受けたわけではないのだけれど――でも逆に最近の邦楽で、アタック音が激しいウェルメイドで人工的な音ばかり聴いているので、こういう手作り感がすべてみたいな音をたまに聴くと、あ、やっぱこういうのもいいよねぇって思う。

 ウィキペディアではこのアルバムは『The Story of The Coward Brothers』という音声コメディのサントラだと紹介されていて、だからなのか、前半に『My Baby』で始まるタイトルの曲が三曲もあったりするし、ほかにも、Woman、Girl、Wifeなどの女性名詞がついたタイトルの曲だらけだったりする。どうやら「臆病者兄弟」の「臆病」のゆえんは女性に対してのことらしい。

 詳しいことはわからないけれど、コステロ先生とバーネット氏とのコラボ作品は、過去作も演劇的な感触のある曲がけっこうあったので、今作はその方向性をさらに推し進めた結果の究極の形なのかもしれない。

 まぁ、いずれにせよこういう作品をきっちりと楽しむには、僕の英語力では無理があると思った次第。

(Jan. 31, 2026)