Coishikawa Scraps / Movies

Menu

最近の五本

  1. マネーボール
  2. めぐり逢えたら
  3. フォールガイ
  4. アメリカン・ユートピア
  5. ストップ・メイキング・センス
    and more...

マネーボール

ベネット・ミラー監督/ブラッド・ピット、ジョナ・ヒル/2011年/アメリカ/Amazon Prime

マネーボール

 セイバーメトリクスという統計情報をもとに、MLBの貧乏球団を地区優勝に導いたオークランド・アスレティックスのゼネラル・マネージャー、ビリー・ビーンのバックネット裏での戦いを描いた伝記映画。

 前から気になっていた作品で、たまたま『数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』という本を読んでいたら、シンプソンズにこの映画をモチーフにしたエピソードがあるというので、いい機会だから観ることにした。といいつつ、アニメの放送はこの映画よりも前だそうだから、映画というよりは原作本が元ネタなのかもしれない。

 ブラッド・ピット演じる主人公が、金持ち球団に主力選手を引き抜かれて窮地に陥り、窮余の策でセイバーメトリクス(この映画の少なくても字幕にはこの言葉は出てこなかった気がする)をつかったチーム作りを断行する。

 野球は塁に出てなんぼという考えから、移籍金は安いけれど出塁率が高い選手たちを獲得してチームを再編成。当初は成績が低迷して周囲の非難を浴びるも、その後は奇跡的な追い上げでリーグの連勝記録を更新、ついには地区優勝を成し遂げる。

 ブラッド・ピット以外の出演者は、セイバーメトリクス専門家の太っちょ補佐役がジョナ・ヒル(前にも見たこのとのある俳優さんだけど、なんの映画かは忘れた)、ビリーの元妻が『フォレスト・ガンプ』のロビン・ライト。あと、ビリーに引き抜かれて捕手から一塁手に転向する選手役を『ガーディアン・オブ・ギャラクシー』のクリス・プラットが演じている。でも残念ながら、いまいち野球が上手そうに見えない。

 金にものを言わせる強者に、弱者が知恵と勇気をふりしぼって勝つ話!――ということで、期待通りのおもしろさ。MLBに詳しくなく、アスレチックスがどこまで勝ち上がったのか知らなかったので、終盤の優勝争いの展開は先が読めず、実際にゲームを観ているかのようにはらはらした。

 ただ僕の趣味からすると、音楽や演出はややシリアスで大仰すぎ。もうちょっとユーモアを効かせてくれていれば最高だったのに。いい映画だとは思うんだけれど、無条件で好きとはいえないのが惜しい。

 あと、主人公のビリー・ビーンは実名だけれど、ジョナ・ヒルが演じた補佐役はポール・デポデスタという人をモデルにした架空の人物で、本人の許可が降りなかったため、ピーター・ブランドという別名となったのだそうだ。

 実物はその後ドジャーズのGMやメッツの副社長まで昇り詰めたという人物なのに、この映画のジョナ・ヒルは――味のある演技を見せてくれてはいるものの――どちらかというと最後まで主人公の引き立て役に徹していて、そんな明るい未来を感じさせる風格がない。そんな大物ならば、名前を貸したくなかったのも当然かもと思った。

 どうせならば主演をダブルキャストにして、デポデスタ氏の業績をしっかりと浮かび上がらせるようなシナリオになっていれば、本人の許諾も撮れて、もっといい映画になっていたかもしれないのに。そう思うとなおさら惜しい。

(Jun. 28, 2025)

めぐり逢えたら

ノーラ・エフロン監督/トム・ハンクス、メグ・ライアン/1993年/アメリカ/Apple TV

めぐり逢えたら (字幕版)

 メグ・ライアンの代表作といえば、『恋人たちの予感』かこれでしょう。

 で、僕はどちらかというとこちらの作品のほうが好きだった――はずなのだけれども。

 ひさびさに観たら、これはいまとなるとどうなんだ?――と思ってしまうような作品だった。

 そもそも、婚約したばかりの女性が、ラジオで見知らぬ男性の話を聞いて――「一目惚れ」ならぬ「ひと聞き惚れ」して――恋に落ち、婚約者を放り出して、その男性に走ってしまうという展開があんまりだ。婚約者役のビル・プルマンに同情を禁じ得ない。

 まぁ、この映画の彼はあまり人好きのするタイプではないとはいえ、のちに『インディペンデンス・デイ』では大統領にまで昇り詰める男優に対してあまりの仕打ち。だったら最初から婚約なんてするなよって話だ。

 主演のトム・ハンクスへのアプローチもすごい。彼女は新聞記者という立場を利用して、ラジオ局から個人情報を聞きだし、興信所に頼んで身元調査までして、ついには自宅を訪ねてゆく。いまの時代だったらストーカー扱いじゃなかろうか。不倫やコンプラ違反で芸能人が次々と職を追われる昨今、許されざる倫理観なのでは。

 そのほか、子供は子供で、親のクレジットカードを使って航空券を取って、年齢を詐称して、ひとりでニューヨークまで行っちゃうしなぁ。主人公の親友(その後グラミー賞の司会を二度も務めるロージー・オドネル)は反故にしたラブレターを勝手に送っちゃったりする。もうなにそれな行動だらけ。

 まぁ、そういうことにめくじら立てず、笑って受け流せる九十年代だからこそ成り立った、幸せな時代の能天気なロマンティック・コメディなんだろう。

 初めからそう割り切って観れば、ふたりの出逢いを最後までひっぱる脚本は気が効いているし、ジャズ・ボーカルの小粋なサントラをバックに、大人どうしのボーイ・ミーツ・ガールを描いた物語として、それなりに楽しく観られる。脇役の女の人の「ハイエナみたいな笑い方」がおかしくて好き。

 なんにしろ、かつてはかわいいと思っていたはずのメグ・ライアンの映画を観て、胸のときめきを覚えるかわりに、そんな風にあれこれ考えてしまう自分に、年相応の衰えを感じた一本。十年くらいしたらまた観なおして、印象が変わるか確認したい。

 ちなみに『Sleepless in Seattle』(シアトルの眠れない男)という原題が『めぐり逢えたら』という少女マンガ的な邦題になっているのは、恋人たちがバレンタインデーにエンパイア・ステート・ビルの展望台で待ち合わせをするというシチュエーションが、『めぐり逢い』という映画をモチーフにしているから。

 この作品の中では男性には魅力がわからない映画として散々ジョークのネタにされているので、本当にわからないものか、観てみたくなった。

 まぁ、いずれ機会があれば。

(Jun. 26, 2025)

フォールガイ

デヴィッド・リーチ
監督/ライアン・ゴズリング、エミリー・ブラント/2024年/アメリカ/Amazon Prime

フォールガイ

 撮影中の事故が原因で引退したスタントマンが、元恋人の映画監督を助けるために現場に復帰したことから巻き起こるどたばた騒動を描くアクション・コメディ。

 主演がライアン・ゴズリングで、ヒロインがエミリー・ブラント、主人公が「スタントダブル」――この映画の主人公のように、特定の俳優のスタントを専属で担当するスタントマンのことをそう呼ぶのだそうだ――を務める俳優役がアーロン・テイラー=ジョンソン。最後に出てくる映画の完成版の主人公役は『アクアマン』の主演の人らしい。

 監督のデヴィッド・リーチという人自身が、かつてはブラッド・ピットのスタントダブルを務めていたそうで、監督がスタントマン出身というだけあって、全編派手なスタントシーンのオンパレード。主要な舞台は映画のロケ現場だし、映画オタクなスタッフは次々と映画のトリビアを繰り出してくるし、映画に対する愛情があちらこちらに感じられるところに好感が持てた。

 ある意味『映画に愛をこめて アメリカの夜』のアクション映画版といった感じの作品?――というのは、いささか褒めすぎかも。

 ちなみに使われている音楽がやたらと八十年代風だと思ったら、この作品はその頃に人気を博した『俺たち賞金稼ぎ!! フォール・ガイ』というドラマのリメイクなのだそうだ。なるほど、だから当時を意識した音楽が使われていたり、エンド・クレジットに謎の老人たちがカメオ出演していたりするのかと納得した。

 まぁ、リメイクとはいっても、この映画からはドラマの邦題にある「賞金稼ぎ」の要素が抜け落ちているし、ドラマでは恋人のジョディもスタントウーマンらしいので、踏襲したのはコルト・コルト・シーバースというスタントマンが主人公だという部分だけで、物語としては完全に映画オリジナルなんだろう。

 とにかく、豪快に人々がぶっ飛び、いろんなものが壊れまくる割には、死人がほとんど出ない良心的な作品なので、物語なんてどうでもいいから、ただただ派手なアクションシーンが見たいという人にはお薦め。

(Jun. 13, 2025)

アメリカン・ユートピア

スパイク・リー監督/デヴィッド・バーン/2020年/アメリカ/Apple TV

アメリカン・ユートピア (字幕版)

 つづけてもう一本、デヴィッド・バーンのライブ・フィルムを。こちらは2022年のグラミー賞にもノミネートされた作品。監督はスパイク・リーだっ!

 つづけて観たこともあって、この映画に関しては『ストップ・メイキング・センス』の存在抜きには語れない。これはあの映画の方法論をそのまま発展させて、二十一世紀版にアップデートした作品なのではと思う。

 まずはビーズのすだれ状のカーテンみたいなものに囲まれた、がらんとしたステージにデヴィッド・バーンがひとりだけ登場、事務デスクに置かれた脳みその模型を手にとって歌い始めるオープニングから、その後に二人、さらには三人と、徐々にメンバーが増えてゆくという展開が、まんまあの映画とかぶる。

 気がつけばグレーのスーツ(ポスターが青いのでブルーかと思っていたけれど、照明のせいで青く見えているだけで、実際にはグレーっぽかった)もあの頃のままだ。まぁ、真っ黒だったデヴィッド・バーンの髪はすっかり白くなっているけれど。

 とにかく、ステージのシンプルさや、ソロ・アクトからスタートしてバンド編成が徐々にリッチになってゆくという展開は『ストップ・メイキング・センス』と同じ。ただし、その見せ方はまるで違う。そもそも今回はバンド編成が普通じゃない。

 メンバーは全員ヘッドセットマイクをつけて、自由自在にステージを動き回る。舞台装置はいっさい使わず、固定したドラムセットもなしで、そのため鼓笛隊のようなスタイルの打楽器メンバーが六名もいる。そのほか、ギター、ベース、キーボード、コーラス×2、そしてデヴィッド・バーンの十二名。全員彼と同じスーツ姿で、でもってなぜかみんな裸足(ヌードカラーのソックスを履いている人もいたけれど、基本裸足)。

 あと、今回のステージはMCが多い。『ストップ・メイキング・センス』は全編ほぼ音楽だけだったのに対して――実際にMCがなかったのか省略されているのかは知らない――今作ではオープニングの脳みその説明を筆頭に、要所々々にMCが入る。それもけっこうメッセージ性が高めのやつ。そもそも『アメリカン・ユートピア』というタイトル自体がある種のアイロニーになっている。

 途中で大統領選の投票率の低さ(アメリカでも50%台なのか!)を嘆いて「選挙に行こう!」という発言もしているし、もとより選挙キャンペーン的な性格を持った企画なのかもしれない(「ロックに政治を持ち込むな」みたいなことをいう人にはお薦めしない)。会場はブロードウェイの劇場だから、最初から通常のコンサートとは違う、ある種のミュージカルとして企画されたものなのかも。

 演奏されているのは、同名アルバムの収録曲を中心にしたデヴィッド・バーンのソロナンバーにトーキング・ヘッズのヒット曲を加えたもの。当然トーキング・ヘッズの曲のほうがオーディエンスの反応がいい。

 ただ、コンサートの内容がメッセージ的なこともあり、もっとも強烈な印象を残したのは、アンコール(だったらしい)で披露されたジャネール・モネイの『Hell You Talmbout』のカバーだった。人種差別の犠牲になって命を落とした黒人たちの名前を連呼するこの曲のインパクトがはんぱない。

 監督がスパイク・リーだけあって、映像はスタイリッシュで申し分ないし、作品としては『ストップ・メイキング・センス』のほうが評価が高いのかもしれないけれども、僕はこちらのほうが好きだった。

(Jun. 09, 2025)

ストップ・メイキング・センス

ジョナサン・デミ監督/トーキング・ヘッズ/1984年/アメリカ/Amazon Prime

ストップ・メイキング・センス デジタルリマスター(字幕版)

 気になっていたのに観たことがなかった映画を観ようシリーズその三。八十年代に絶賛されたトーキング・ヘッズのコンサート・フィルム。ジャケットに使われているデヴィッド・バーンの四角いどでかスーツがインパクト大で、ずっと観なきゃと思っていた作品。

 トーキング・ヘッズは八十年代の音楽シーンで一世を風靡したバンドなので、ロック・ファンの基礎教養としてアルバムはひととおり聴いているのだけれど、ファンというほどのめり込んだことがない。この作品もCDは持っていて、音源はとりあえず聴いているものの、いまいちピンとこなくて、一、二度聴いておしまいくらいの状態だった。

 今回あらためてそのライブを映像つきで観てみて、あ、これってこういうライブだったのかと、初めてその時代を先取りしたオリジナリティを再認識した。

 なにもない映画スタジオの倉庫みたいなステージに、まずはデヴィッド・バーンがひとりで登場。ラジカセでリズムトラックを流しながら、アコギの弾き語りでファースト・アルバムの代表曲『Psycho Killer』を聴かせる。四十年前だから機材こそ古いけれど、やっていることがまるでヒップホップ。

 二曲目でギターとベースのメンバーが登場、三曲目でドラムセットが運び込まれ、ようやくフォーピース・バンドとしての本来の形になる。

 その次の曲からは、女性コーラスやパーカッション、キーボード等、サポート・ミュージシャンが順次増えていって、がらんとしていたステージには彼らが演奏するためのひな壇も運び込まれ、ライブセットらしい体裁が整ってゆく。でもって六曲目で『Burning Down The House』――当時の最新アルバム『Speaking in Tongues』からのリード・シングル――が演奏される頃にはフルメンバーになっているという趣向。

 それ以降も曲によって微妙にバンドの構成を変えながらコンサートは進んでゆく。

 後半にはメンバーのサブ・プロジェクト、トム・トム・クラブの曲も演奏される。

 いまと違ってコンサートでは演出らしい演出がなかった時代に、そうやってバンド編成やステージ構成などを様々に変えながら、バンドの音楽性の変遷を再現して見せたところが画期的だったんだろうなと思った。

 まぁ、四十年も前の作品なので映像は地味めで、最近のハイビジョンのライブ・フィルムと比べると視覚的な刺激は少なかったけれど、内容自体はおもしろかった。

 観ていてなにより印象的だったのは、デヴィッド・バーンのミュージシャンとしての素養の高さ。ボーカリストとして美声を聴かせるタイプではないけれど、その歌はとても通りがよくて説得力があるし、思いのほかギターも上手い(ギターを弾くイメージがなかった)。ほかの三人が目立たないこともあり、彼ひとりの存在感が際立っている。いまさらながら、トーキング・ヘッズって本当にデヴィッド・バーンのワンマン・バンドだったんだなって思ってしまった。

 でも彼を除いたメンバーがトム・トム・クラブでヒットを放っていたりするので、じつはそんなことはないのか。うーん、よくわからない。

 予想外だったのは、僕がずっと気にしていたオーバーサイズなデヴィッド・バーンのだぼだぼスーツ、あれが登場するのがライブの終盤なこと。ずっとあの衣装で通しているのかと思っていたら、それまでの大半はトレードマーク的な普通のスーツ姿だった。

 あと、この映画の監督ってジョナサン・デミなんすね。知らなかった。そうか、『羊たちの沈黙』よりも先にこれがあったんだ。

(Jun. 07, 2025)