2010年9月の本

Index

  1. 『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹
  2. 『フリアとシナリオライター』 マリオ・バルガス・リョサ
  3. 『南極(人)』 京極夏彦
  4. 『平原の町』 コーマック・マッカーシー
  5. 『ワールズ・エンド(世界の果て)』 ポール・セロー
  6. 『火を熾す』 ジャック・ロンドン
  7. 『秘められた貌』 ロバート・B・パーカー

走ることについて語るときに僕の語ること

村上春樹/文春文庫

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 この夏はあまりに暑すぎて、ばてまくりだった。もともと体力がないので、夏ばては毎年恒例だけれど、こんなにばてまくったのは初めてだと思う。夜ごとの熱帯夜でよく眠れないものだから、とにかく毎日だるいし、頭が働かない。さすがに四十すぎたせいか、そういう疲れを気力で補えない。おかげでこんな文章ひとつ書くにも難儀するような生活がつづいている。
 そんな最中{さなか}に読んだせいもあるんだろう。村上春樹がマラソンやトライアスロンの経験にまじえて、自身の作家としての経歴を語ったことで話題になったこの本で、もっとも共感を呼んだのは、春樹氏が四十をすぎてしばらくして、マラソンで思うようなタイムを出せなくなった自分にショックを受けたというくだりだった。自らの衰えを身をもって知るってのはきびしいよなぁと思う。
 僕はマラソンを走ったりはしていないけれど、それでも若いころから変わらずにつづけている日々の行いのなかで──たとえばこういう文章を書いたり、本を読んだり、ライブに行ったりという、ささやかな行為の繰り返しのなかで──、最近は確実に自分の老いを実感する瞬間がある。それをある日、マラソンのタイムという動かしがたい数字としてつきつけられるのは、そりゃささやかならぬショックだろう。
 でも、その反面、そうやって自分の老いと正面から向かいあう機会がない生き方ってのもどうかと思う。のほほんと生きてきて、気がついたら知らないうちにおじいさんになっていました、なんてことになるよりは、きちんと自分の衰えと向かいあう機会があって、それと折りあいをつけて生きてゆく人のほうが僕には望ましく思える。
 年をとるのは悪いことじゃない。まあ、楽じゃないけれど、それでも悪いことでもないと僕は思う。少なくても僕自身は十代のころよりもいまの自分のほうがまだ好きだ。春樹氏が自分の老いを実感として語ったこのメモワールは、そんな僕にとってもなかなか感じ入るところの多い一冊だった。
 そういや、この本に収録されている春樹氏の若いころの写真を見て、「うわー若っ、見るからに俺より年下!」と思ってしまうところにも、やはり自分の年齢を感じた。
(Sep 12, 2010)

フリアとシナリオライター

マリオ・バルガス・リョサ/野谷文昭・訳/国書刊行会

フリアとシナリオライター (文学の冒険シリーズ)

 南米はペルーの作家、マリオ・バルガス・リョサの作品。
 普段は英米の小説ばかり読んでいる僕があえてこの作品を読むことにしたのは、これがとある映画の原作だったから。
 その映画というのはキアヌ・リーヴス主演の1990年の 『ラジオタウンで恋をして』。ラジオ局で働くキアヌ・リーヴスが出戻りの叔母さんを好きになってしまい、ピーター・フォーク演じるラジオ・ドラマの脚本家がそのことをドラマ化して大騒ぎになるというコメディで、特別出来がよかったとは思わないけれど、不思議と僕はその映画が好きだった(まあ、いま観ても好きかどうかはわからないけれど)。
 その映画を観た当時の僕はバルガス=リョサなんて作家の名前はこれっぽっちも知らなかった。そもそも原作が南米の小説だなんて思ってもみなかった。ただ、その映画の原作のタイトルが 『ジュリア叔母さんと脚本家』 だというのをどこかで知って、「なんで原作通りのタイトルにしないんだろう。そのほうが素敵なのに」と思ったんだった。少なくても僕は 『ラジオタウンで恋をして』 よりも 『ジュリア叔母さんと脚本家』 のほうによほど興味をそそられた。
 そのことがあったから、最近になって書店で本を物色しているときに、南米文学の棚でこの 『フリアとシナリオライター』 というタイトルを目にして、おやっと思ったんだった。タイトルに女性の名前(フリアはジュリアのスペイン語読み)とシナリオライターという単語が並ぶ作品がそうそうあるとも思えない。で、手にとって帯を見れば、「天才シナリオ作家による破天荒なストーリーのラジオ劇場と若く美しい僕の叔母さんフリアとの恋の顛末」とある。これはもう 『ラジオタウンで恋をして』 の原作に間違いなし。となれば、読まないわけにはいかないでしょう。
 ということで、僕としては珍しく英米を離れ、南アメリカの作品を読むことになった。
 で、いざ読んでみれば、南米を代表する作家のひとりが自らの自伝的要素をたっぷりと盛りこんだ意欲作だけあって──バルガス=リョサは実際にこの小説のとおりに、若くして自分の叔母と結婚したんだそうだ──、主人公と叔母さんとの恋物語を軸に、ラジオ・ドラマだという設定の短編小説が何本も挿入されていて、とても読みごたえがある。
 ただし、この章ごとに挿入される短編──映画と違って小説では主人公の恋愛話はラジオ劇場とはまったく関係しない──が玉にきずで、それぞれおもしろいっちゃおもしろいんだけれど、本編からそれる分、読むスピードがそがれる。途中から脚本家が働きすぎて正気を失ってしまってからは、それらの短篇もどんどんシュールになってゆくし。猛暑のため睡眠不足な時期に読むにはちょっとつらかった。おかげでやたらと時間がかかってしまった。
 とはいえ、これはとてもよかった。技巧的ながら若々しく、でもって笑いもある、とてもいい小説だと思う。読んでいて楽しかった。唯一ケチをつけるとしたら邦題。僕の趣味からすると、『フリアとシナリオライター』 じゃなく、『フリア叔母さんと脚本家』 にして欲しかった。
(Sep 12, 2010)

南極(人)

京極夏彦/集英社

南極(人)

 この本の最後のページにあるセリフを借りると、京極夏彦が「ギャグ漫画があってギャグ小説がないのは納得がいかん──とか言って書き始めた」作品らしい。
 なるほど、活字でもってギャグ漫画の世界に挑戦してみせた意欲作──なんだろうとは思うけれど。
 最後にキャラクターにそういう楽屋落ちなセリフを言わせて終わっているのでもわかるとおり、あまり成功している気はしない。一話、二話読む分にはいいけれど、やはり単行本一冊、五百ページ近くを費やしてそんなもの読まされてもなぁ……という気がしてしまう。活字だけで読むギャグ漫画的キャラは、笑えはしても、いまいち魅力に乏しい。
 まあ、書いている側もこれをストレートに売るのは気が引けたんだろう。その分、装丁が凝っている。一冊の本のなかで作品ごとに段組みや紙質が変わっていたりするし、しりあがり寿による書き下ろしの表紙のほか、コラボレートした秋元治や赤塚不二夫、古屋兎丸(僕はまったく知らない人だったけれど、江口寿史に似たタッチのキュートな美少女を描くマンガ家)らのイラストが要所要所に配されていて、とても楽しい単行本に仕上がっている。
 少なくても京極ファンとしては、この装丁のためだけでも単行本で買っておかなくちゃと思わせるに十分な本ではあった。
(Sep 12, 2010)

平原の町

コーマック・マッカーシー/黒原敏行・訳/ハヤカワepi文庫

平原の町 (ハヤカワepi文庫)

 『すべての美しい馬』 『越境』 につづくコーマック・マッカーシーの国境三部作の完結編にして、先行する二作の主人公ふたり、ジョン・グレイディとビリーが競演を果たしてみせる注目の作品。
 ──といいつつ、僕の場合、去年の暮れに読んだ『越境』 はともかく、『すべての美しい馬』 は読んでからずいぶん経っているせいで、主人公の名前がジョン・グレイディだってことさえ忘れているようなありさまなので、これといった感慨はないんだけれど……(駄目すぎる)。
 物語は幼い娼婦にひとめ惚れしたジョン・グレイディの悲恋のゆくえを追いながら、ふたりの牧場での生活を、こまかなエピソードの積み重ねでもって描いてゆく。正直いって、展開的にはかなり地味な上に、どうも夏ばてがひどくて、ディテールの細かい綾も読み取りきれなかった。過去の二作をちゃんとおぼえていれば「あのジョン・グレイディとビリーが一緒に!」みたいな感じで盛りあがれたのかもしれないけれど、そういうのがない分、残念ながらあまり惹かれるものがなかった。
 とはいえ、クライマックスの決闘のシーンはとても鮮烈。まるで自分が実際にナイフで切りつけられているような臨場感がある。あのシーンだけでもマッカーシーの作家としての力量がよくわかる。おそらく駄目なのは作品ではなく、全編を通してそれをきちんとつかみきれない僕だろうって気がしてくる。
 いずれ時間に余裕ができたならば、三部作をつづけて読んでじっくりと味わいたい。
(Sep 19, 2010)

ワールズ・エンド(世界の果て)

ポール・セロー/村上春樹・訳/村上春樹翻訳ライブラリー(中央公論新社)

ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)

 このポール・セローという人、僕は村上春樹が翻訳を手掛けている作家のうちでもっともネーム・バリューが低いひとりだと思い込んでいたけれど、聞けば 『モスキート・コースト』 の原作者なんだそうだ。なるほど、調べてみれば、すでに翻訳が十作以上出ている(ただし、いまやこの本以外はすべて絶版)。なんだ、僕が知らないだけで、けっこう人気作家だったんですね。不覚。
 なんにしろ、映画化されるような小説を書く人だけあって、この短編集もとてもよく書けている。イギリスへ移住して「幸せなわが家」の幻想にひたっていた男性が、じつは家庭の崩壊に気がつかずにいただけだったという悲惨な事実に気づく表題作などは、「信頼できない語り手」ものとして、じつに見事な出来映え。アフリカ出張中のプレイボーイが新種のハエの幼虫に寄生されるという気持ち悪い話は、ユーモラスな上にミステリばりに落ちが効いている。
 そのほかにもパリにホームステイした女の子が、宿泊先の独断的で偏狭な親父に悩まされる話とか、コルシカ島で衝動的に女性をナンパした大学教授のアバンチュールが、始まる前から終わってしまう話とか、女の子が妊娠してしまったためプエルト・リコに逃避行に出かけた学生カップルの話とか。大半が惨めな境遇に立たされた人たちの話ばかりなのに、それでいて決して後味が悪くない。なるほど、若き日の春樹氏が訳したいと思ったのもよくわかる、とてもいい短編集だった。
 しまったなぁ、もっと早く読んでいれば、この人のほかの作品にも手が伸ばせたのに──って、最近はそんな風な後悔ばかりしている。
(Sep 30, 2010)

火を熾す

ジャック・ロンドン/柴田元幸・訳/スイッチ・パブリッシング

火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)

 僕はこれまでジャック・ロンドンという人については、「狼についての小説を書いた人じゃなかったっけ?」ってくらいの認識しかなかった。要するに誤った先入観から、自然をテーマにした小説だけを書いた、自分には無縁の作家だと思い込んでいた。そもそも、ロンドンという名前のせいで、イギリス人だと思っていたってくらいの関心のなさだった。
 だから今回、柴田元幸氏の翻訳だということで、あまり気乗りしないでこの短編集を読み始めてみて、僕はぶっ飛んだ。えーっ、ジャック・ロンドンってこんなにおもしろい小説を書く人だったんだ!
 冒頭の表題作 『火を{おこ}す』 こそ、極北の地での命がけの単独行を描いた作品で、「自然派の作家」というイメージそのままだったけれど、その出来栄えがめちゃくちゃ素晴らしい。読んでいるだけで、こちらの吐く息まで白くなりそうな臨場感をたたえている。
 でもマジでびっくりしたのは、その次の 『メキシコ人』。
 これはメキシコ革命のレジスタンス軍に加わりながら、仲間うちで忌み嫌われている孤独な男が、じつは意外な一面を隠し持っていたという話で──ネタばれするともったいないので詳しく書けない──、導入部では政治的な作品なのかと思わせておきながら、途中から意表をついて、極上のエンターテイメントになる。しかもそれがやたらとおもしろい。この本でもっとも好きだったのはこの作品。
 そのほかにもSFがあったり、極上のボクシング小説があったり。想像外のバラエティの豊かさに、読んでいるあいだ、びっくりしどおしだった。しかもどの短編も、とても百年前の小説とは思えないくらいにスタイリッシュで切れがある。いやぁ、われながら、びっくりだわ。こんないい小説家を知らずに無視していたなんて。
 ジャック・ロンドンという人に対して僕が抱いていた間違った先入観がガタガタと音をたてて崩れ、そのあとから燦然とかがやく金字塔が姿を現しました──って。それくらいのインパクトがあった一冊だった。こりゃほかの作品も読まずには済まされない。
(Sep 30, 2010)

秘められた貌

ロバート・B・パーカー/山本博・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫

秘められた貌 (ジェッシイ・ストーン・シリーズ)

 文庫オリジナルのサニー・ランドル・シリーズを先に読んでしまっているせいで、頭がこんがらがっている。2年前に読んだあちらのシリーズの最新刊──パーカー亡きいまとなると最終巻(涙)──では、すでにジェッシイとサニーは別れてしまっていたけれど、こちらのシリーズでは単行本が文庫化されるまで時差のせいで話がもとに戻り、ふたりはまだアツアツ──というか、そもそもサニーがこのシリーズに登場するのはどうやらこれが初めてらしい。時系列的には、『虚栄』→『秘められた貌』→『殺意のコイン』 という順番で刊行されたみたいだ。いまさらそんなことわかったって、時すでに遅しだけれど。これから読む人は、ぜひこの順番で。
 さて、今回の話は、パラダイスで人気パーソナリティーの他殺死体が見つかり、マスコミが駆けつけて大わらわのところへ、ジェンが「ストーカーにレイプされた」と泣きついてくるという二段仕掛け。全米が注目する殺人事件で手いっぱいのジェッシイは、ジェンの護衛をサニーに任せることにする(なんと)。パーカー・ワールドにおける三角関係の図式、ここに極まれり。
 このシリーズはこのところ、セックス絡みの事件が多すぎる嫌いがあったけれど、今回はこの三角関係がメイン・テーマになっているため、レイプがどうしたという話はあるにはあるけれど、内容は比較的温厚。結末的にも「愛に生き愛に死ぬハードボイルド作家」、ロバート・B・パーカーならではって終わり方をしているし、ファンとしてはいつもどおりに楽しめる作品だった。
 ジェッシイ・ストーン・シリーズは文庫化されていないのが2作、未訳が1冊、あわせて3冊も残っているらしい。スペンサー・シリーズもあと何作か残っているし、ウエスタンやノン・シリーズで読んでいない作品もあるので、まだまだ向こうか数年はパーカーの新作が読めるみたいだ。ファンとしては嬉しいかぎり。
(Sep 30, 2010)