2007年9月の本

Index

  1. 『湖中の女』 レイモンド・チャンドラー
  2. 『充たされざる者』 カズオ・イシグロ
  3. 『アメリカン・デス・トリップ』 ジェイムズ・エルロイ
  4. 『雪白姫』 ドナルド・バーセルミ

湖中の女

レイモンド・チャンドラー/清水俊二・訳/ハヤカワ・ミステリ文庫

湖中の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 ハードボイルドと旧来の本格推理小説とのもっともわかりやすい相違点は、探偵の殺人事件へのかかわり方だと思う。
 本格推理ではまず殺人事件があって、探偵が呼び出される。それに対してハードボイルドでは、探偵が仕事──たいていは人探し──を始めてから、殺人事件が巻き起こる。もしくは過去の殺人があきらかになる。
 この違いは、ハードボイルドというジャンルの性格を考える上でとても重要だと思う。なぜって、殺人事件を解決するために雇われているエルキュール・ポアロなんかとは違って、フィリップ・マーロウのような私立探偵には、殺人事件を解決する理由がないから。
 彼(または彼女)の仕事はあくまで人探しであって、殺されたのが探している行方不明人その人でもないかぎり、殺人事件を解決したところで一文の得にもならない。貧乏探偵には、本職の人探しを放り出してまで、殺人事件を解決する理由がない。フィリップ・マーロウは、「よし、一発奮起してこの殺人事件を解決して、名探偵のほまれを受けてやろう」みたいな功名心に燃えたりはしない。そもそもハードボイルドの世界では、解決するのが名誉になるような不可能犯罪なんて、めったに起こらない。
 それでもハードボイルドだってミステリには違いないので、結局、最後には私立探偵が殺人事件の真相を解いてみせることになる。では、なにゆえマーロウは殺人事件を解決するのか。いや、なぜに彼は解決せざるを得ないのか──。
 その理由をいかに説明してみせるかこそが、ハードボイルドの肝なんではないかと思う。
 本来ならば解決する必要のない殺人事件にわざわざ首をつっこみ、トラブルに見舞われながらも事件を解決へと導く私立探偵、フィリップ・マーロウ。そんな彼の行動原理を正当化するため、チャンドラーはマーロウに、従来の名探偵のような明晰な頭脳や卓越した推理力の代わりに、すれっからしの騎士道精神をあたえた。自らの世界に混乱をもたらしている悪(=犯罪)に落しどころをつけ、悩める美女や、愛する女性のために罪を犯してしまった男どもを救わざるを得ないという、本人にとっては非常に厄介で、まわりにとってはとても魅力的な性格をあたえた。
 この性格ゆえにマーロウは従来の名探偵のように、事件の第三者ではあり得なくなる。彼はみずから事件に深くかかわり、関係者の痛みを共有せざるを得なくなる。そして主人公が事件に深くかかわることにより、殺人という行為が本質的に持っている悲劇としての輪郭が、よりはっきりと浮かび上がることになる。
 要するにチャンドラーの功績は、トリックの創作がすべてといった印象のあったミステリの世界において、トリックの代わりに新しい人格を創作してみせ、なおかつそのことにより、ミステリを知的パズルから、正統的な悲劇へと昇華させたことにあるんじゃないかと──チャンドラーの長編四作目までを読み終えて、漠然とそんなことを思った。
 いや、これってもしかしたら、昔どこかで読んだ文章の受け売りなんじゃないかという気もするけれど。
(Sep 18, 2007)

充たされざる者

カズオ・イシグロ/古賀林幸・訳/ハヤカワepi文庫

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)

 カズオ・イシグロの長編第四作であるこの作品。前々から問題作だとは聞いていたけれど、なるほどこれは噂にたがわぬ怪作だった。「イシグロがカフカを超える」という帯のキャッチコピーが正しいかはともかくとして、たしかにカフカを引き合いに出したくなるのもわかる内容の、非常に困った作品に仕上がっている。
 この小説は、高名なピアニストである語り手のライダー氏が、公演旅行で訪れたヨーロッパの小さな街での数日間の出来事を、尽きせぬ饒舌さでもって描いてゆく。
 イシグロの語り口はとても流暢で、語りそのものにはまったく難解なところはない。ただ、その語りの饒舌さというやつが、基本的に語り手本人のものではないところがこの小説のポイント。
 ライダー氏が語る話の大部分は、彼自身のものではなく、彼のもとへとやってきては、好き勝手な願いごとを押しつけてゆく街の人たちのものだ。ほんと、彼が出会う人、出会う人、だれもが例外なく、主人公に対して過剰な饒舌さでもって、自らの悩みを打ち明けては、それぞれの頼みごとを託してゆく。でもって、主人公は根気強く彼、または彼女らの話を聞いて、その願いごとを気安く引き受けてしまう。
 結果としてライダー氏は、街のなかをあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。主体性もなく、流されるままに行動することになる。そうした彼の主体性のなさは、なにも行動面だけに限ったことじゃない。彼の記憶自体が、出会う人々の言動に左右されて、カメレオンが色を変えるように変わっていってしまうのも、この小説の特色のひとつだ。
 一番象徴的なのが、彼が宿泊しているホテルの老ポーターの娘、ゾフィーの存在。シングルマザーであるこの女性は、初対面の主人公に対して、まるで彼の奥さんであるかのようなふるまいを見せる。すると主人公はそれを受けて、いとも容易く彼女を妻とみなすようになり、その連れ子を自らの息子として受け入れてしまうのだった。
 そのほかにも、通りで偶然出会った男性が学生時代の同級生だったり、乗り合わせた電車の車掌さんが幼なじみの女性だったり。そんな不自然な出会いが幾度となく繰り返される。彼はそうした出会いをごく当然のこととして受け入れ、その人々の願いごとを素直に聞き入れては、あっちこっちと振りまわされることになる。
 そんな主人公の記憶と同様、時間の流れや空間のあり方も、かなりいい加減な様相を見せている。何時間もかけて電車に乗ったり、山を登ったりしてたどり着いた先が、ついさっきまでいたカフェのとなりの建物だったりする。ドアを一枚くぐっただけで、数時間前にいた場所に一瞬で戻れてしまったりする。
 こうした不条理な展開を説明するもっとも簡単な解釈は、これがライダー氏が見ている夢だとすることだろう。寝ているあいだに見る夢だと考えれば、見知らぬ女性が自分の妻であっても、ドアひとつくぐっただけで別の場所に移動できても、なんの不思議もない。夢で見た内容ならば、整合性がなくても当然。主人公が語る言葉が信用できなくてあたり前。
 つまり、デビュー当時から一貫して「信頼できない語り手」を追及し続ける作家、カズオ・イシグロが見いだした究極の語り手こそ、夢の世界をあてもなく彷徨{さまよ}うこの小説の主人公だったんじゃないだろうか。そんな風に思った。
 まあ、ただ、そう理解してみたといったところで、それではこれをすんなり傑作だと受け入れられるかというと話は別。こういう実験的手法を徹底するには、この小説はちょっとばかり長すぎる。基本的には地味な話だし、文庫一巻本で900ページを超える、京極夏彦ばりのボリュームで挑戦しなくても、よかったんじゃないかと。いやあ、ほんと、いつまで読んでも終わらないこと、終わらないこと。
 そもそも単行本の時には上下巻だった本が、なにゆえ文庫化にあたって一冊にまとめられてしまったのかわからない。あえてこのボリュームを強調したいってことだったのかもしれないけれど、それにしてもねえ……。うーん、まいった。
 いずれにせよ、この内容でこの長さという点で、非常に稀な作品であるのは確かだと思う。基本的に分冊嫌いの僕をして、この長さならば、やはり上下巻にして欲しかったなあと思わせたのだから、これはある意味、きわめて貴重な作品かもしれない。
(Sep 24, 2007)

アメリカン・デス・トリップ

ジェイムズ・エルロイ/田村義進・訳/文春文庫(全2巻)

アメリカン・デス・トリップ 上 (文春文庫 エ 4-13) アメリカン・デス・トリップ 下 (文春文庫 エ 4-14)

 アメリカ史の裏側を独特の語り口で捏造してみせる、通称アンダーワールドUSA三部作の第二作目。
 前作『アメリカン・タブロイド』ではジョン・F・ケネディ暗殺に到るまでの裏事情を描いてみせたこのシリーズ。第二作目のこの作品は、その暗殺事件の後日談を描くことから始まり、またもや歴史上に残る暗殺事件を描いて終わる。しかも今回、暗殺される人物は二人。殺されるのが誰と誰かは、アメリカの近代史をちょっとでも知っていれば、想像にかたくないでしょう。
 物語はJFK暗殺事件の当日に、主人公のひとりであるラスヴェガスの若手刑事、ウェイン・テッドロー・ジュニアがダラスに到着するところから始まる。ダラスは大統領暗殺のショックで騒然としている。カジノ経営者協会から「ブラックジャックのディーラーを刺した黒人を暗殺しろ」という密命をさずかって、しぶしぶその土地へとやってきたウェインは、JFKの死に心を揺さぶられつつ、当面の任務の遂行のため、黒人のポン引きを探して、ダラスの街なかを徘徊することになる。
 そんな彼とともにこの作品の主役をつとめるのが、前作でJFK暗殺にかかわった三人のうち、生き残った二人。やがてウェインはこの二人と出会い、複雑に複雑に絡みあう愛憎関係のなか、アメリカ史の裏舞台で大きな役割を果たすことになってゆく。彼ら三人の行動にからめて、ベトナム戦争や公民権運動の盛隆、ヘロインの問題などが大きく盛り込まれているのも本作の特色のひとつだ。
 この作品でもエルロイは三人の男性を主役に据えるおなじみの手法で、くりかえし何度もトライアングルを描くように、彼らの行動を入れ替わり立ち代わり描写してみせる。あいだにFBIの盗聴記録文書や新聞の見出しを挿入して、史実とフィクションの境目をあいまいにさせるコラージュの手法もあいかわらず。でもってボリュームは増量、エルロイにとって過去最長の作品となっている。
 体言止めを多用する独特の文体のおかげで、すらすらと読むのはむずかしいから、あまり読書慣れしていない人にはお薦めできないけれど、この手の世界に興味がある人には、ぜったいに一読の価値のある作品──というかシリーズ──だと思う。強烈です。
(Sep 30, 2007)

雪白姫

ドナルド・バーセルミ/柳瀬尚紀・訳/白水uブックス

雪白姫 (白水Uブックス)

 僕はうかつにもずっと、この本のタイトルを 『白雪姫』 だと思っていた。長いこと積読だったのを今回、いざ読んでみようと手にしてみて初めて、雪と白が逆転していることに気がついた。
 原題は童話と同じ Snow White だから、『白雪姫』 でも間違いがないはずだ。というか、これだけ有名な邦題なのだから、普通ならば、そう訳さないとおかしい。
 それを翻訳家の柳瀬尚紀氏は、わざと雪と白とを逆転させてみせた。なぜそうしたかは、読んでみれば、なんとなくわかる。この 『白雪姫』 があまりに普通じゃないから、なのだろう。僕にはこの小説のことが上手く説明できないので、ここでは裏表紙にある紹介文をそのまま、引用しておく。

 「でもあたし誰を愛したらよいのかしら?」 倦怠と不安の原題に生きる雪白姫とその7人の恋人たちが巻きおこす、スーパー前衛ファンタジー! アンダーグラウンド・ディズニーのポップな小説空間を縦横に行き交うユーモアあふれるイメージ。さばくは名手、柳瀬尚紀

 というような小説らしい。
 なんにしろ、僕にはこの小説はさっぱりわからなかった。ドナルド・バーセルミという人は前衛的な作品しか書いてなさそうなので、読む前からわからないんじゃないかとは思っていたけれど、読んでみたらやっぱりわからなかった。
 小説としてわからない上に、翻訳も肌にあわない。そもそも「雪白姫」と書かれても、なんて読んでいいんだかわからない(「ゆきじろひめ」でしょうか)。柳瀬氏は日本の英米文学界では、難解なジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳家として有名な方だけれど、僕は基本的に、朗読するときに困るような言葉を平気で使う人というのがあまり好きではないので、こういうタイトルをつけておきながら、ルビもふらない姿勢には共感できなかった。
 この人は意味不明なこの小説の解説に、小説のスタイルを踏襲したわけのわからない文章を書いていたりする点でも印象がマイナス。原文ではおそらく Under the Boardwalk となっているところを、「板張り歩道の下で」なんて訳していたりするし──音楽ファンとしてはここはちゃんと「ボードウォーク」という言葉を使って欲しかった。この一点を見るかぎり、柳瀬氏にはあまりポップ・ミュージックの知識がないように思える。いくら言語的才能があろうとも、そういう人が、フラワー・ムーヴメントの真っ只中にあった67年のアメリカで書かれた、ポップ・フィーリングがすべてといった印象のこういう小説を訳すのは、どうかと思ってしまう。
 まあ、いずれにせよ、ドナルド・バーセルミは、わかる、わからないとつべこべ言うよりも、むしろ感覚的に好き、きらいで判断すべき作家なんだろうという気がする。どうせ最初からわからないんだから、翻訳にケチをつけるよりは、最初から原書で読むべきだったかなと。そういう作品だった。
(Sep 30, 2007)