2007年8月の本

Index

  1. 『囚人のジレンマ』 リチャード・パワーズ
  2. 『恥辱』 J・M・クッツェー
  3. 『奇術師』 クリストファー・プリースト
  4. 『サマー・オブ・ナイト』 ダン・シモンズ

囚人のジレンマ

リチャード・パワーズ/柴田元幸・前山佳朱彦・訳/みすず書房

囚人のジレンマ

 ようやく登場したリチャード・パワーズの長編第二弾。
 この人の小説は読むのにとても骨が折れるだけあって、訳すのもかなりの難事業らしい。処女作 『舞踏会へ向かう三人の農夫』 が、現代米文学翻訳の第一人者、柴田元幸氏の翻訳により刊行されたのが00年。これと同時に、柴田氏自身の監修による 『パワーズ・ブック』 なんて読本も出ているし、残りの作品──現時点ですでに長編九作が上梓されている──も続けてさくさくと出るんだろうと思っていたのに、いやはや、そのあとが続かない。処女作の翌年に、あいだの三作を飛ばして、いきなり第五作 『ガラテイア2.2』 が出版されたのを最後に、ぱったりと出版が途絶えてしまった。今回、この 『囚人のジレンマが』 が出るまでに、それから六年が経過している。
 まあ、僕が 『ガラテイア』 読んだのは去年のことだから、個人的にはあまり待ったという感じはしないけれど、それにしても、翻訳が出るよりも、原書で新作が出るほうが早いんだから、この調子じゃ、日本の読者はいつまでたってもこの人の全貌を知ることができないんじゃないかという気がしてしまう。あ、だから 『パワーズ・ブック』 なんて読本がまっさきに刊行されたのかと、いまさらながら思ったりした。
 翻訳が出ないならば、いっそ原書で、と思えるようならばいいけれど、日本語で読んでも頭を抱えちゃうようなパワーズの小説を、僕ごときの英語力で読み解けるとも思えない。ためしに挑戦してみたら、一冊読むだけで十年くらいかかりそうだ。現状ではそんな悠長なことをする時間の余裕はとてもないので、結局、僕のような力ない読書家は、翻訳家の皆さんの努力に期待するしかないのだった。
 ということで、これは待望のリチャード・パワーズの翻訳最新刊。
 柴田さんも解説で似たようなことを書いているけれど、この人のいいところは、小説として、構造的にも内容的にも非常に凝った作品を書いておきながら、そのなかであたたかな人間味を感じさせるところだと思っている。この手のペダンティックで難しい小説を書く人というのは、頭がよすぎるせいか、得てしてドライな作風になりがちなものだけれど──ドン・デリーロは読んでいてまったく心がなごまないし、トマス・ピンチョンは戯画化されすぎていて共感できない──、リチャード・パワーズの場合は、圧倒的な筆圧を感じさせつつも、しっかりと情感に訴えてくる。そこがまさに僕のつぼ。この小説もこれまでの二作と同じように、きちんと読みとれていない感がありありなのだけれど、それでもいいやって思ってしまうくらい、ぐっときた。情けないことに、これがどういう話で、どこがどうよかったか、きちんと説明できなかったりするんだから、話にならないけれど。
(Aug 16, 2007)

恥辱

J・M・クッツェー/鴻巣友季子・訳/ハヤカワepi文庫

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

 南アフリカ出身のノーベル賞作家、クッツェーの作品。この人の小説を読むのは、これが 『夷狄を待ちながら』 に続いて二作目となる。
 この小説、「教え子と関係を持った52歳大学教授が経験する果てしない転落」という帯の文句と 『恥辱』 というタイトルから想像していた内容とは、ずいぶん印象がちがった。確かに主人公のラウリー教授は教え子との関係が原因となって職を失うことになるのだけれど、そうなるまでの展開は、「恥辱」という言葉にはふさわしくないくらい、あっさりとしている。
 そもそもが、その女生徒との関係だって、馴染みの娼婦にふられた直後で欲求不満だったから、なんとなく手を出しちゃっいました、みたいな感じで、まるで真剣さがない。相手の女の子も、いったんは体を許しはしたものの、彼との関係にはあまり乗り気じゃなく、ついには学園にセクハラの訴えを出すことになる。で、ラウリー先生は文学部の教授だけあって、知識人らしい矜持の持ち主だから、自分の行為に問題があるというならばそれでいいと、周囲の忠告を無視して、自らあっさり職を退いてしまうのだった。そこまでで全体の三分の一たらず。
 物語はそのあと、彼が、片田舎の農園に住むひとり娘のもとへ身を寄せたところから、思いもしない方向に進んでゆく。どうにも、教え子との関係がどうしたというのは前ふりで、この小説はここからが本題なんじゃないかと思う。 『夷狄を待ちながら』 も前半と後半でまるで内容が変わってしまう小説だったし、どうもこの人の小説は一筋縄ではいかない。その辺のねじれた感覚が、ノーベル賞の所以{ゆえん}かもしれない。
 なんにしろ、そこから先の展開はかなり困った気分にさせられるもので、その困った感がゆえに読むのがやめられなくなる、といった感じ。悲惨というかなんというか、かなり微妙などうしようもなさが滲み出す、なんともいえない小説だった。
(Aug 16, 2007)

奇術師

クリストファー・プリースト/古沢嘉道・訳/ハヤカワ文庫

〈プラチナファンタジイ〉 奇術師 (ハヤカワ文庫 FT)

 クリストファー・ノーラン監督の映画 『プレステージ』 の原作。
 物語の中心となるのは、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて活躍した二人のマジシャンの因縁話。これをそれぞれの手記という形で対比させ、どちらの発言が正しいのかわからない 『藪の中』 状態にしたところには味がある。また、結末部分にはホラーのような不気味な味わいがあって、意外なパンチが効いている。
 ただ、惜しいことに、メインの手記へとつながっていく導入部分の、現代を舞台にしたパートは、あまりうまく小説の中に収まっていない気がする。片方の主役、アルフレッド・ボーデンの手記へは、いちおうそこからの流れで入ってゆくものの、もう片方、この小説のほぼ半分のページ数を占めるルパート・エンジャの日記は、なんの説明もないまま、唐突に登場する。こういう場合、普通だったらば、「こんな日記が見つかった」という前ふりがあったりするものだけれど、そういう記述は皆無。現代のパートに登場するマジシャンの子孫たちが、それを読んだかどうかさえ、わからない。おかげでいまひとつ、小説としてのまとまりが悪く感じられてしまった。
 不気味なラスト・シーンを描くために現代のパートが必要だったのはわかるのだけれど、もう少しうまくまとめられなかったもんだろうか。物語としてはおもしろいだけに、そうした構造的な{いびつ}さが玉にきずという感じがした。
(Aug 16, 2007)

サマー・オブ・ナイト

ダン・シモンズ/田中一江・訳/扶桑社ミステリー

サマー・オブ・ナイト〈上〉 (扶桑社ミステリー)

 ダン・シモンズが 『ハイペリオンの没落』 のあとに発表したモダン・ホラー小説。
 スティーヴン・キングの 『スタンド・バイ・ミー』 をベースに、『トレマーズ』、『ゾンビ』、『エイリアン』、『激突』といったホラー&サスペンス映画の要素をおもいっきり放り込み、ボリューム満点のアクション・ホラーに仕立てあげたような作品、と言っちゃうと身も蓋もないかもしれないけれど、でもほんと、そんな感じの作品。60年代のアメリカの田舎町を舞台に、夏休みに入って浮かれ気分の少年たちを、廃校になった小学校に巣食う魔物やゾンビが襲い始めるという話で、少年たちは大事な友人を失いながらも、謎のモンスターに果敢に立ち向かってゆく。
 さすがダン・シモンズで、ディテールの描写は見事だ。暑い夏のさなか、一日じゅう草野球に興じたり、キャンプで騒いだりしている少年たちの姿は、まぶしいほど生き生きしている。前半はあまり派手な演出をせず、ベッドの下の暗闇になにかが潜んでいるかもしれないというような、ありふれた恐さでじわじわと盛りあげるところも非常によかった。モンスターや腐臭を放ちながら襲いくるトラックの描写も迫力満点だし、博学なシモンズらしく、魔物の正体を{いにしえ}のローマ教皇に端を発する<ボルジアの鐘>なるものに求めた伝奇小説的な趣向にも味がある。とにかく、少年小説としても、ホラー小説としても、ディテールのひとつひとつは非常に優れていると思う。
 ただ、それらを混ぜ合わせる過程で慎重さを欠き、組み立てがなんだかすごくおおざっぱになってしまった、という感じがする。ディテールの描き込みはさすがなんだけれど、ストーリー展開が、特に後半は、あきれるくらいにいい加減。不良少年に立ち向かう勇気もない少年が、魔物相手にショットガンを抱えて戦いを挑むってのは、ちょっとあり得なさすぎる。
 あまりに徹底していい加減なので、これはもしや確信犯なのではないかという気さえする。もしかしたらこの小説は、大人よりも子供の読者を意識した、ジュブナイルなのかもしれない。童心にかえって読んだとするならば、最後の最後まで少年たちだけでモンスターに立ち向かってゆくという内容は、最高にエキサイティングだ。まあ、とはいっても、文体的にもボリューム的にも、おいそれと子供たちにお薦めできる小説ではないけれど。
(Aug 19, 2007)