2006年のコンサート
Index
- エレファントカシマシ @Zepp Tokyo (Jan 07, 2006)
- バンプ・オブ・チキン @幕張メッセ展示場ホール9~11 (Jan 28, 2006)
- ザ・プロディジー @Studio Coast (Feb 18, 2006)
- ローリング・ストーンズ @東京ドーム (Mar 24, 2006)
- 佐野元春 @東京国際フォーラム・ホールA (Apr 02, 2006)
- エルヴィス・コステロ @東京国際フォーラム・ホールA (Jun 02, 2006)
- エレファントカシマシ @SHIBUYA-AX (Jun 26, 2006)
- Cocco @日本武道館 (Aug 10, 2006)
- プライマル・スクリーム @Zepp Tokyo (Sep 21, 2006)
- エレファントカシマシ @日比谷野外大音楽堂 (Oct 07, 2006)
- フィオナ・アップル @東京国際フォーラム・ホールC (Oct 14, 2006)
- U2 @さいたまスーパーアリーナ (Nov 30, 2006)
エレファントカシマシ
2006年1月8日(日)/Zepp Tokyo
去年の野音から半年ぶりとなるエレカシのライブ。働き者の彼らは、例年、野音を間にはさんで、前半と後半に一度ずつはツアーをやっているという印象があるので、こんな風に半年も観ないでいると、なんだか随分とご無沙汰していた気分になる。もっともその間にロック・フェスなどのイベントへの出演が2、3回はあるわけだから、それに足を運ばないこちらの不精さが、悪いといえば悪いんだろうけれど。
とにかくひさしぶりのエレカシのライブだ。アルバムの発表まで2ヵ月半というこの時期にどんなステージを見せてくれるのか、楽しみにしていたのだけれど……。
正直言わせてもらえば、残念ながら期待はずれだった。演奏時間が2度のアンコールを含めてもわずか1時間半に満たないというのは、かれこれ20年近いキャリアを誇るバンドとしては短すぎる。
【セットリスト】
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演奏された全16曲のうち、4曲が 『東京の空』 からの曲というセットリストからも、バンドの目指す方向性が見えにくい。なんだか、新年だから一発なにかやっておこうと思ってブッキングしてみたけれど、特別にこれをやろうという目的が見いだせなかった、というような、そんな印象のライブだった。
この日、披露された新曲は2曲。「怠け者よ、目を覚ませ」とかいう歌詞のやつは可もなく、不可もなくという印象だったけれど、もう一曲の方──「花となれ~」というフレーズで終わる曲──は、明朗でポップなメロディーを持った、実に宮本らしい曲でとてもよかった。
「アレンジ考え中」と紹介された 『すまねえ魂』 も、以前よりもシャープでスピード感のある新アレンジが施されていて、印象が若干よくなった。でもまあ、 『愛と夢』 の収録曲が、 『ココロに花を』 の雰囲気に近くなった、というくらいの変化でしかないけれど。やはり僕としてはそれほど好きなタイプの曲ではないという事実は変わらない。
次回は3月から始まる3ヶ月連続リキッド公演の2回目を観に行く予定。新譜のリリースも決まったことだし、次こそは新鮮なライブを見せてもらえるだろう。楽しみに待つことにする。
(Jan 28, 2006)
バンプ・オブ・チキン
2006 Tour "run rabbit run"/2006年1月28日(土)/幕張メッセ展示場ホール9~11
初めてバンプ・オブ・チキンを見た。思いのほか音がラウドで好印象。 『銀河鉄道』 が演奏されたのも嬉しかった。そのかわり 『The Living Dead』 の曲が 『リリィ』 一曲しか演奏されず残念だった(もっと聴きたい曲がたくさんあったのに……)。このバンドはこれからもコンスタントに観に行かないといけない。
それにしても学校の同級生が集まってつくったバンドという点ではエレカシと同じなのに、その在り方はまったく違う。エレカシのいびつさと比べると、こちらの自然体なこと……。ステージでのMCもいかにも仲間同士という親しさがあふれているし、なによりみんなできちんとコーラスをつけられるのが特筆モノ(あたり前?)。このバンドは同級生バンドの理想形だと思った。うらやましくて涙が出そうになってしまった。
観客もおもしろかった。1万人以上が集まっているにもかかわらず、曲の合い間に妙にシーンとしている。普通のコンサートなんかだと「藤原~」と叫ぶ人がいたりするもんだけれど、そういうのがあまりない。少なくても 『ギルド』 からのバラード・コーナーのあたりでは皆無だった。みんなシーンとして次の曲が始まるのを待っている。
【セットリスト】
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じゃあ、とてもおとなしいだけかというと、そうでもない。ちゃんとコール・アンド・レスポンスでは大合唱が起こったりする。アンコールの手拍子はとても大きかったし、その合い間に 『fire sign』 のコーラスが自然発生したのには驚かされもした。でも、そんな風にとても盛り上がっていたわりには、アンコールが終わって客電がついた瞬間、さあーっと歓声がひいて、いっせいに帰り支度を始める。なんだか、普段僕らが足を運んでいるコンサートとは若干違った、不思議な感じだった。
要するに今の若い子たちはみんな、行儀がいいってだけのことなのかもしれない──とかいいつつ、かくいう僕自身もおとなしくて行儀のいいオーディエンスのひとりなのだけれど。なんにしろ、普段のコンサートとは違う雰囲気に、自分の年齢を意識させられた一夜だった。
それにしても、とてもいいコンサートだったのに、あまり言葉が出てこない。小学生のような文章しか書けない、このボケた頭をどうにかしないといけない。
(Jan 29, 2006)
ザ・プロディジー
"The Greatest Hits" Japan Tour 2006/2006年2月18日(土)/Studio Coast
大失敗。事前にプロモーターのHPで調べたら、"OPENING DJ" なにがしとあったので、不慣れなテクノのライブで前座をみせられたのでは体力が持たない、そう思ってわざと45分遅らせていったのだけれど……。なんと、前座などなかった。もしかしてオープニングDJってのは、待ち時間にBGMのお皿を回している人のことかいっ。ああ、はめられた……。というか自滅?
とにかく僕が会場のスタジオ・コーストに着いた時には、すでに場内は大熱狂のさなかだった。キース・フリントも観客も汗まみれ。シャイな僕なんかが入り込む余地がない。しかもライブ自体が1時間半に満たない短さだったので、そうこう思っているうちにライブはあっという間に終わってしまった。結局僕が見られたのはせいぜい30分強。とてももったいないことをしたと後悔するもあとの祭りだった。
初めて足を運んだスタジオ・コーストは、二段構えのフロア構成で、これがまた、途中から入って見るにはちょっとつらい作りだった。最初、横の入り口から入った時には、角度が悪い(真横に近い)上に、熱狂するオーディエンスの中で居心地の悪い思いをさせられたし、あとで場所をかえて、後の入り口から入ってみたら、ステージがまるで見えなかった。本当に散々だ。
プロディジー自体はといえば、ちゃんと生ドラムやベースがいて、バンドとしての体裁が整っていたのが意外だった。テクノという音楽のイメージに反した、ロック・バンド然とした、迫力のあるステージを見せていた。ああ、ちゃんと全編観られなくて残念だ──とかいいつつ、タイトルがわかったのは、 『Firestarter』 、 『 Smack My Bitch Up』 、 『Poison』 、 『Out of Space』 の4曲だけだったりするのだけれど。
なんにしろライブは「前座はいいや」とか怠けたことは考えずに、ちゃんと開演時間にいかないといけないという教訓を得た一晩だった。しばし反省。
(Feb 21, 2006)
ローリング・ストーンズ
A Bigger Bang Tour/2006年3月24日(金)/東京ドーム
90年の初来日からすでに16年。ストーンズを観るのも今回で5度目となる。その間のチケットの高騰は著しく、初回の来日時には1万円だったところが、今回はS席が17,500円。最初の時点でもうかなり高かったけれど、それにしても今回はその2倍近い。さらにゴールデンサークル席と賞した特等席ときたら55,000円という高値になっている。友人たちはS席でさえ高過ぎるといって、一番安い9,000円のB席をとっていた。
僕は前回、前々回に1階席で観た時の音が許せないほど悪かったため、今回は少しでもいい席を取らないとと思っていたので、当然S席にした(さすが5万円以上は出せない)。まあ、チケットは高くなったけれど、S、A、B、それにゴールデンサークルと、ニーズにあわせて細かくグレードが分かれている分、S席ならばそれなりにいい席が望めるだろうという期待もあった。これまでだって全部S席だったにもかかわらず、最初の2回なんて2階席だ。あれはひどい。それにくらべたら、多少チケットは高くなっても、その分いい席で見られるのならば、今回のような方が望ましい──さすがにゴールデン・サークル席は高過ぎると思うけれど。なんと追加のさいたまアリーナなんて6万5千円だ。二人で行ったらば13万円。海外旅行ができる。フジロックなら3日間楽しめる。さすがにそんな金を出す余裕はない。
【セットリスト】
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なんにしろ、そんなわけで二人分3万5千円を投入して見に行った5度目のストーンズの来日公演。さすがにそれだけ払わされて2階はないだろうという期待たがわず、今回僕らは初めてストーンズをアリーナ席で見ることができた。やったっ! 一番うしろの方だったけれど、それでもアリーナ。しかも、途中で稼働ステージがずるずるとやってきて、僕らの真横で止まるというゴージャスなおまけつき。ミックが20メートル──くらい? 数字に弱い僕は、どうも距離というのがよくわからない──と離れていないところで歌を歌っている。キースがナチュラル・ウッドのテレキャスターでホンキートンクのイントロを奏でている。くーっ、この近さは感動もんだ。ケチらずにS席をとってよかった……。
自分で経験してみて初めてわかったこと。最近のスタジアム・ライブの定番であるサブステージというのは、広すぎる会場で、少しでも多くの観客に、少しでも近くでアーティストを見る機会を与えようという配慮なんだなと。ああやってメンバーがメインステージを離れて、近くで演奏してくれたことで、僕らは初めて肉眼できちんとストーンズの生演奏を楽しむことができた。これまでは単に広い会場を利用した、アクセントとしての演出程度のものとしか思っていなかったけれど、それはあまりにアリーナから遠い席でしか見ていなかったからだ。いざアリーナのうしろの方で見てみると、あんなに素敵な演出はない。いや、本当に嬉しかった。巨大なビルディングのセットも電飾がとても美しかったけれど、やはり肉眼で見る生演奏の魅力にはかなわない。
気になる音の方もまずまずだった。ドームだから限界はあるけれど、それでもまあ納得のゆくレベルの音響で楽しめた。なにしろ前の2回は最低の音だったから、それにくらべれば天国。ようやくストーンズをまともに楽しめた気がする。やはりドームの時は少しでもステージに近い席を取るべく、全力を尽くさないといけないようだ。
セットリスト的には過去5回と大差がない印象だった。スタジアムならではの大々的なセットをバックにして演奏される、新作からの3曲を交えたベストヒット的な選曲。二日前の初日には、 『She's So Cols』 『Sway』 『As Tears Go By』 などという珍しい選曲が多かったようだけれど、この日でレアだったのは、 『Ain't Too Proud To Beg』 くらい。ただ 『Midnight Rambler』 や 『Gimme Shelter』 等も演奏されたし、レア度は低い分、これぞまさにストーンズの王道という内容だった。
それにしても老いてなお衰えを知らないストーンズのバイタリティは脅威的だ。2時間の公演を難なくこなしている。四十を前にして既によろよろしている僕には、それだけでもう十分感動的。ストーンズを悪く言うことなんてできやしない。
おまけの愚痴。ポイズンやMr.Bigでギターを弾いていたというリッチー・コッツェンなるギタリストを前座に出演させたり、破格のチケット料金を設定したJECインターナショナルなるプロモーターの姿勢は、やはりいかがなものかと思う。
(Apr 02, 2006)
佐野元春
佐野元春 & THE HOBO KING BAND TOUR 2006「星の下 路の上」/2006年4月2日(日)/東京国際フォーラム・ホールA
十年ぶりに佐野元春を見た。当初はこの二日後にU2を見ることになっていたから、見られるはずじゃなかったのだけれど──子供を預かってもらわないとならない関係上、一週間に続けて二本もライブを観るというわけにはいかない──、あいにくU2の公演が延期になったところへきて、たまたま誘ってくれる人がいたために、急きょ観にゆくことになったのだった。
それにしても、最後に佐野元春のライブを観たのがもう十年も昔のことだなんて、ちょっとばかり意外だった。調べてみたら、最後に見たのは96年の 『フルーツ』 のツアーだ。随分とご無沙汰してしまっている。その間に佐野さんは3枚のオリジナル・アルバムをリリースして、ツアーだけでも8本をこなしている。十年ひと昔というし、佐野さんも随分と変わっていることだろう。最新の佐野元春はどのようなステージを見せてくれているのだろうと、その変化を楽しみに足を運んだコンサートだった。ところが……。
【セットリスト】
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いやー。これがまた、びっくりするくらい十年の月日を感じさせない内容なのだった。というか、あえて十年前を再現するような内容だったというのが正しい。図らずもこのツアーのテーマが、佐野元春デビュー25周年、ホーボー・キング・バンド結成10周年を記念する、80年代、90年代のナンバーを中心にしたものだったのだから。
いや本当に、この日のライブには、知らない曲がほぼ皆無だった。 『The Sun』 からの数曲のタイトルがあやしいのと、新曲 『星の下 路の上』 に馴染みがないくらい。あとは本当にもう知っている曲ばかりだった。特に 『ビジターズ』 と 『カフェ・ボヘミア』 の曲が中心という印象だったので、なおさら懐かしい印象が強かった。
ただ、懐かしいといっても、ナツメロ的な、懐古的な印象があったわけではない。というか既にこれらのナンバーを最後に聴いてから十年が過ぎているということを忘れさせるくらい、それは普通にいま現在の音楽として、僕の耳には届いていた。
それにいまでもなお、佐野元春は新しいチャレンジを怠らない。 『バルセロナの夜』 などはボサノバ調にアレンジを変えて演奏される。アンコールの 『国のための準備』 や 『星の下 路の上』 ──後者は1曲だけバンドを入れ替え、グレート3やプレイグスのメンバーをゲストに迎えて演奏された──のノイジーなギターサウンドからは、「別にこういうハードなロックサウンドが出せないわけじゃない、僕は好きでAORを鳴らしているんだ」という佐野元春の主張が感じられた。
実に3時間を超える長丁場には頭がさがる。佐野元春という人の音楽にたいする真摯な姿勢は、十年たってもまるで変わらなかった。今度はぜひ、もっと新しい曲も交えたライブを観てみたいと思わされた。脱帽。
(Apr 09, 2006)
エルヴィス・コステロ
ジャパン・ツアー2006/2006年6月2日(金)/東京国際フォーラム・ホールA
東京フィルハーモニー管弦楽団をバックにコステロのパフォーマンスを見るなんて、これが最初で最後だろう。しかも前から4列目なんていういい席で、すわったままじっくりとコステロ先生の演奏する姿をおがめるなんて機会もそうそうあるものじゃない。大変有意義な3時間(休憩20分込み)だった。
これまでクラシックとはまったく縁のない人生を送ってきた僕にとって、フル・オーケストラの演奏を生で聴くのははじめての経験だ。観る前には途中で眠くなっちゃうんじゃないかなんて余計な心配をしていたのだけれど、いざ始まってみれば、そんな心配は不要だった。クラシックも真面目に耳を傾けてみると、意外と楽しい。いつもはディストーション・ギターの合い間をぬって聞こえてくるだけのストリングスやホーンが、そればかりずらっとそろって生で鳴っているのを聴くのは、それ自体がとても新鮮だった。
あとその演奏で興味深かったのが、僕などの胡乱な耳には、CDで聞くロンドン・シンフォニー・オーケストラの演奏とほとんど変わらないように聴こえてしまったこと。ロックだったらば、演奏者が違うのに音楽自体は変わらないというのは考えられない。クラシックの場合、演奏者の人数が多い分、プレイヤーの技能や特徴を問わないということなんだろう(まあ聴く人が聴けば違うんだろうけれど)。そういう意味ではそのイメージとは反対に、もしかしたらばそんな風に匿名性のあるクラシックの方が、きわめて記名性が強いポップ・ミュージックよりも民主的なのかなという気もした。
コンサートは最初にコステロ自身からオーケストラの紹介があって、まずは本日のスペシャル・プログラム、バレエ音楽 『Il Sogno』 のダイジェスト版が披露された。 『My Flame Burns Blue』 のボーナス・ディスクに収録されているのは46分あるけれど、この日の演奏は30分強といったところ。曲目を把握していないので、どの辺がカットされているのかとかは、全然わからない。
【セットリスト】
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演奏が終わるとすぐにコステロが登場。まずは最新作であるアラン・トゥーサンとのコラボレーション・アルバムからタイトル・ナンバーを弾き語りで聴かせる。もうなんたって、コステロの汗まで見えようって席の良さだ。贅沢なこときわまりない。
その後、オーケストラつきで 『All This Useless Beauty』 と 『Birds Will Still Be Singing』 が披露され、前半終了。20分間の休憩があって、その間にスティーヴ・ナイーヴのピアノがステージ中央に設置された。
今回の席で唯一残念だったのは、前すぎて、ステージ全体の様子がわからなかったこと。視界に入るのは、最前列のバイオリニストたちばかりで、後方に位置するホーンやパーカッションのメンバーはほとんど見えなかった。第二部からスティーヴ・ナイーヴとともに登場したダブルベース(ってなんだろう?)のグレッグ・コーエンという人もナイーヴの影になっていて見えなかった。残念無念。
後半は 『You Left Me In The Dark』 のイントロを導入部として 『Still』 で始まった。 『Veronica』 がコステロとナイーヴ二人での演奏だったのをのぞくと、あとはすべてオーケストラとの共演。 『Green Shirt』 は「世界で初めてこの東京で演奏する、スティーヴ・ナイーヴによるアレンジメントのバージョン」だとのことで、大いに盛りあがった。
それにしても、オーケストラの音というのは、基本的にはアンプリファイを通さないので、普段からロックを聴きなれている身としては、やたらと音圧が低く感じられて、もの足りなさを否めないところがある。そんな男だから、なんだかんだ言ってもやはり盛り上がったのは、アッパーなアレンジをほどこされた 『Watching the Detectives』 や、コステロが唯一ディストーション・ギターを聴かせた 『Hora Decubitus』 だったりした。
そうはいっても、非常にすぐれたメロディーメイカーであるコステロが、わざわざこういうセットで演奏するために選んだバラッド系の楽曲の数々が悪かろうはずがない。なかでも個人的には、最近のバラードではもっとも好きな 『I Still Have That Other Girl』 と、 『Alison』 ~ 『The Tracks of My Tears』 の定番メドレーが披露されたアンコールが非常に感動的だった。 『She』 のオーケストラ・バージョンが聴けたのも貴重な体験だという気がする。
最後のナンバーはアコースティック・セットのときの定番、マイクなしでの熱唱が圧巻の 『Couldn't Call It Unexpected No.4』 。今回はこれにちゃんとオーケストラがかぶさるのだから、本当に贅沢きわまりない。最後に客席にかけあいのコール&レスポンスを求めたにもかかわらず、僕も含めてあまりにシャイな日本人の観客が乗ってこないので、焦れた先生はステージを降りて、観客席へと突入。そのまま通路を抜けて、一般客の出口から退場してしまった。会場じゅうで失笑が巻き起こる。
でもサービス精神に富んだコステロ先生がそんな形で姿を消したまま終わるはずもない。そのあとで再びステージに戻ってきてひとしきり挨拶をして、この日の公演は無事終了。最後の最後まで楽しませてくれた、見事なコンサートだった。
見事と言えば、やはりセットリストの妙はあいかわらずだ。直前に行われたホノルル公演などのそれとは、ちゃんと一部の曲を入れ替えたりしている。おかげでこちらも、次はあの曲だろうという予想を裏切られて、意表を突かれること数度。これまではやっていなかった 『Green Shirt』 や 『Hora Decubitus』 なども聴かせてもらえて、本当に大満足の一夜だった。何度観ても、どんな企画であろうとも、必ず予想以上の満足を与えてくれる。エルヴィス・コステロはやっぱり最高だとあらためて思う。
(Jun 04, 2006)
エレファントカシマシ
コンサートツアー“今をかきならせ”/2006年6月26日(月)/SHIBUYA-AX
当初、この日のライブは新作 『町を見下ろす丘』 のリリースにあわせて3月から3ヶ月連続のマンスリーで行われるはずだった。ところがその公演がドラムのトミの入院で急遽延期となったため、その穴埋めで行われた今回のエレカシのライブは、嬉しくないことにワールドカップ開催期間中の公演となってしまった。そういえば2002年の時には日本代表の試合当日にライブをやっていたような記憶がある。巷のサッカー・フィーバーなんてまるで無関係というあたり、非常に宮本らしいけれど、サッカー好きのこちらとしては、ちょっとばかり困ってしまう。なんにしろ僕個人は御多分に漏れず、サッカー三昧の日々を送っていたせいで、3週間前に観たことさえ遠い記憶となりつつあるエレカシの最新ライブだった。
このところは1時間半たらずで終わる短いコンサートが多かったけれど、今回はトミの入院でバンド活動ができない期間を挟んだせいで、やたらとやる気にあふれていたのだろう──宮本がMCで「バンドがないと退屈してまいってしまう」みたいなことを言っていた──、ひさしぶりに2時間を超えるボリュームだった。やっぱりキャリアを考えると、いつもこれくらいはコンスタントにやって欲しいところだ。
セットリスト的には新作の曲を中心に、 『悲しみの果て』 や 『今宵の月のように』 のようなヒット曲をあしらいつつも、 『男は行く』 『おまえはどこだ』 『遁生』 など、引きこもり期のナンバーもアクセントに加えた、いつになくバランスのとれた内容だった。なかではやはりひさしく聞いたことのなかった 『おまえはどこだ』 が嬉しかった。あの曲が演奏されるのって 『奴隷天国』 のリリース時期以来な気がする。でもあまりにひさしぶりに聞くので、最初のうちはいったいなんて曲だかわからなかったのだけれど(ああ、なんて記憶力……)。
一方で 『遁生』 は破綻しまくり。宮本がこの曲を立ったまま演奏するのは、おそらく初めてじゃないだろうかと思うのだけれど(少なくても僕の記憶にはない)、記憶力があやしいのはなにもこちらだけではないらしく、宮本もさすがにこの長い曲をオリジナルどおりにきちんと歌うことはできていなかった。構成がそもそもあやふやだったように思う。
【セットリスト】
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この日はこの曲に限らず、何曲か思い切り歌詞を間違えていた( 『シグナル』 で2番の「いつかこの空ひとりじめ」という歌詞が出てこなかったのが残念だった)。かつてはその言葉の重さを知らしめるがごとく、まったく歌詞を間違えることがなかった宮本だけれど、さすがに寄る年波には勝てないのか、近頃は間違いが目立つようになってきている。四十を前にしてあれだけハードなパフォーマンスを見せていれば、いい加減それも仕方ないのかなという気はするのだけれど……。
なにはともあれ、昔懐かしい曲をいま頃になって再び聴けるのは嬉しい限りだ。ただそれとは反対に、本編ラストが 『今宵の月のように』 だというのは、ちょっと勘弁して欲しかった。あの曲ではどうしても盛りあがれない。それでおしまいと言われても困ってしまう。独断ながらいまのファンの半数はそういう人だと思うので、いい加減にそういうファンサービスはやめて、硬派路線をつっぱしってしまって欲しいと思う。
残念だといえば、新曲のうち 『雨の日に……』 『流れ星のやうな人生』 『なぜだか、俺は祈ってゐた』 の3曲が聴かせてもらえなかったのも残念だった。3曲とも翌日はやっていたようなので、なおさらだ。特に最後のやつ。この頃はアルバムの最後に収録された曲はライブではやらない印象が強かったので、この日もやらなくて当然なような気がしていた。それが翌日はやっていたと知って、悔しかったこと……。日にちの選択を間違ったかなあ。いい曲なので、今年の野音ではぜひとも聴かせてもらいたい。
その他で印象的だったのは、この日で一番良かったのが意外にも 『人生の午後に』 だったこと。照明を客席へ向けたライトのみとして、ステージ上にメンバーのシルエットだけが浮かび上がる演出は、80年代末のマンチェスター・ブームの頃のさまざまなライブを思い出させた。そんな演出のなかで、あのブルージーなナンバーが炸裂する。特別好きな曲ではないけれど、この日のパフォーマンスは圧巻だった。文句がつけようのない素晴らしさだった。
二十代からずっとその姿を拝ませてもらってきた宮本も、この日のライブではついに四十歳(誕生日は確か6月?)。歌詞を忘れるなど、衰えたかなと思わせる部分もあるけれど、反面きちんと成長した部分も見せてくれている。トミも病気だったことを感じさせない元気さだった。同い年の男として、僕はあらためて 『男が行く』 のメッセージ、「俺はお前に負けないが、お前も俺に負けるなよ」という言葉を、心にきちんと刻みつけてゆかねばならないと思うのだった。現時点では負けっぱなしだけれども。
(Jul 17 2006)
Cocco
Live Tour 2006 ~ザンサイアン~/2006年8月10日(木)/日本武道館
いやはやこれは、とても強烈なコンサートだった。ともだちに誘われて観にゆくことになったCoccoだったけれども(でもチケットを取ったのは僕だ)、こんなに素晴らしいものを見せられてしまったら、今後は自ら率先してチケットを取らないわけにはゆかないだろう。そう思わされるほど、素晴らしい内容だった。
活動休止期間を挟んでの6年ぶりとなる武道館公演のオープニングを飾ったのは、疾走感のある復帰第一弾シングル 『音速パンチ』 。Coccoは裸足に肩の出た白のワンピース姿。両手一杯の花束をかかえてステージに登場すると、まずそれをステージの前の方に無造作に並べていく。この花束はこれまで一緒にツアーを回ってきたメンバーたちへの感謝の気持ちを表すためのものだったようで、ライブが終わったあとで、ひとりひとりに手渡されていた。バンドのメンバーは新作のレコーディング・メンバーにグレイプバインの西川くんというギタリストが加わった編成だった(おそらく)。
『音速パンチ』 『首。』 『眠れる森の王子様』 というアッパーな曲を連発してひとしきり盛りあげたあとで、ようやくCoccoの最初のMCがある。これが「ただいまございます」(「ました」?)とかいうもの。6年ぶりの武道館ということもあって、このひょうきんな復帰第一声に客席の大歓声がこたえる。そうそう、驚いたことに──驚く僕が馬鹿なのかもしれないけれど──、Coccoのファンというのは圧倒的に女の子が多かった。「あっちゃーん」「おかえりー」という黄色い歓声があちらこちらからあがる。Coccoはひとしきりその歓声にこたえると、「余計なことしゃべってないで、歌がたくさん聴けたほうがみんな嬉かろ」と、すぐに演奏に戻っていった。
『Swinging Night』 から数曲、比較的おとなしめな曲が続き──僕にはタイトルがわからない英語の曲が2曲ばかりあった──、前半が終了。引き続き「あっちゃんの野放しコーナー」と題されたアコースティックセットに突入する。
【セットリスト】
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このスペシャル・コーナーが素晴らしかった。Coccoが密かに用意してきた未発表曲に、バンドメンバーが即興でアレンジをつけるという企画で、地方を回っている時にはくじを引いて演目を決めていたらしいのだけれど、この日は歌いたい曲があるからと、胸元に潜ませていた歌詞カードを取り出してみせては、「(汗で)濡れ濡れだ~」と、ちょっぴりセクシーな笑いを誘っていた。
一曲目はバンドのメンバーに捧げるとのことで、メンバー全員を自分の前に体育坐りさせて、自らアゴギを弾きながらの弾き語り。「ここに来るような人なら、あっちゃんがギター下手なの知ってっだろ」と語るように、本当に下手なギターで、ちょっと笑えた。曲は「ラーララー、僕らはゆくよ~」という歌詞がサビのかわいい曲だった。
2曲目は「極楽のバスタイム」というフレーズで終わる温泉ソング。艶かしくて楽しげで、これはなかなかの傑作だった。メンバーに「風呂に入っている時の感じで順番にフアーって合いの手を入れてな」と命令、実行させて笑いを誘っていた。
しかしまあ、Coccoの要求に難なく応えて、それなりのアレンジをつけられてしまうんだから、さすがにプロのミュージシャンは見事だ。僕はコンサートでのこの手の演出は、全体の流れを淀ませるような気がして、あまり好きではないのだけれど、この日のこれは、普段は見られないようなクリエイティビティを感じさせるものだったこともあり、とても感心した。武道館ということで全体的に音が悪かった中、この時間帯だけはアコースティックセットで音量が低かったために、Coccoのボーカルがなおさら引き立って聴こえたのも好印象の一因だろう。アゴギの弾き語りを聴かせてもらっている時には、本当にこの人はいい声をしているなあと、あらためて思わされたものだった。
「あっちゃんの野放しコーナー」はその後もう一曲あって終了。でもその曲は、なんでも神戸でやってみたところ、フルバンドでやった方が映えそうだという意見が出たので、バンドでアレンジし直してみたという曲だったため、あまり「野放しコーナー」という企画にはそぐわないかなという印象だった。
そういえばこの日のステージは、同じ場所で3年前に見た椎名林檎のときと同じように、ステージうしろの一階席も使用して、360度をぐるりと観客に取り囲まれる形をとっていた。けれど同じ会場で同じようにステージを組みながらも、両者の表現に向かう姿勢はずいぶん違う。さまざまな音楽スタイルを試み、それにさらに音楽以外のギミック(映像や舞台的な演出)をも盛りこんで、エンターテイメント性あふれるステージを見せてくれた椎名林檎に対し、この日のCoccoは、演出といえばただライティングだけ、音楽スタイルも── 『Swinging Night』 のジャズ的なアプローチなど若干の例外もあったけれど──ほぼ一貫していた。思えば開演前のBGMさえなかった。余計な夾雑物をとりのぞき、Coccoの歌、ただそれだけを最高の純度で届けようとしている。そんな印象だった。
両者はデビューした時期も近いし、ボーカリストとしての卓越した表現力と、女性性を前面に打ち出した楽曲とで人気を博したという点など、共通する点が多い。けれど基本的な人間性や音楽的資質はあきらかに異なっている。その違いが武道館という広い会場において象徴的に表れていたように思えて、とても興味深かった。
以上、やや脱線してしまった。閑話休題。
さて、野放しコーナーが終わって、 『強く儚い者たち』 から後半戦に突入する。ここから先は新譜のナンバーを中心としつつ、そこに 『カウントダウン』 や 『焼け野が原』 を加えた内容で、一気に押しまくってみせた。いや、そのテンションのすさまじいこと。特に、生で聴く 『カウントダウン』 の強烈さには(好きな曲ということもあって)圧倒された。新譜の曲もCDで聴いていた時よりハードな印象が強く、とてもよかった。
Coccoは歌っている間はたいてい、前後に足をひらいて軽く腰を落とし、左手をふりまわしながら、曲にあわせて身体をゆすっている。決して格好よくはないけれど、歌に向かう真摯さがひしひしと伝わってきて、その世界に引きずりこまれてゆく。あの動きを見ていると、こちらまでつられて身体が動き出してしまう。そんなCoccoのパフォーマンスの影響もあるんだろう、全体的に思っていたよりも断然ダンサブルなライブだったのが印象的だった。とにかくビートが効いたポップなナンバーが、最高のボーカリストによって歌われているんだから、これで盛りあがらないほうがどうかしている。これこそ最高のダンス・ミュージックだと思った。それにしては、あまりアリーナで踊っている人が目立たないのが残念な気がした(などと2階席最前列でずっと座っていた人間が言ってはいけない)。
なんにしろ素晴らしいパフォーマンスのまえでは、2時間なんてあっという間だ。充実したこの日のステージのラストを飾ったのは、 『陽の照りながら雨の降る』 でも 『Happy Ending』 でもなく、未発表の新曲だった(追記:朝日新聞のライブ評によると 『藍に深し』 というタイトルとのこと)。スケールの大きなミディアムテンポのナンバーで、耳に馴染みがあったらば、もっともっと感動的だったろうと思えるタイプの曲だ。そういう意味では、知らない曲であったことがちょっと残念だった。
前回の武道館の映像をテレビで見た時には、「歌を歌うのが大好きな自分に気がついて、幸せすぎて、こんな幸せがいつまでも続くはずがないと恐くなった」と語って泣いていたCocco。そんな彼女が今回のライブでは終盤のMCで、「幸せだけれど楽しいと思える」と言って、そのことに感極まってまた泣いていた。同じ涙でも前回と今回ではまるでその質がちがうのだろう。それは終わったあと、メンバーのひとりひとりと抱擁をかわして、笑顔のままステージを去っていった姿でもあきらかだった。Coccoに
(Aug 15 2006)
プライマル・スクリーム
2006年9月21日(木)/Zepp Tokyo
前回プライマルのライブを見たのは、97年にマニが加入した直後だった。アルバム 『Vanishing Point』 の時のツアーだから、かれこれ十年近く前のことになる。
失礼ながら、その時のライブは、特別プライマル・スクリームが見たくて足を運んだわけではなかった。最新作の 『Vanishing Point』 はまったくといっていいほど好きになれなかったし、その前の来日公演を見た時にも、それほど強烈な印象は受けていなかったためだ(まあ悪かったわけではないけれど)。それなのにわざわざチケットを取ったのは、ストーン・ローゼズ解散後のマニがこのバンドに加入したばかりだったからという、そのひとことに尽きた。新しいバンドに加わった彼がどんなプレーを見せてくれるのか確認したかった、なによりそれが一番だった。
ただそんな理由で観に行ったライブではあったけれど、終わったあとの印象はすこぶる良かった。アルバムをほとんどまともに聴いていなかったことを考えれば、そのとき受けた興奮はなかなか味わえない
ただ、その時のライブがどれほど良かったにせよ、それが結局はオーソドックスなロックンロールをなによりも愛する当時の僕らの趣味から外れていたのは確かだった。そしてプライマルはその後の2枚のアルバムでも続けて同じヘビーなダンス・ミュージックを追求してゆく。その結果、僕らが再び彼らのライブを観に行こうと思うこともないまま、十年近い月日が流れていった。
【セットリスト】
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そして今年になって 『Riot City Blues』 が登場する。前3作のダンス・ミュージック路線がまるでなかったかのように、オーソドックスに古典的フォーマットのロックンロールを鳴らせてみせたこのアルバム。 『Give Out But Don't Give Up』 を嫌い、この十年のプライマルに熱狂してきたファンの半分には不評ぷんぷんなんだろうと思う。けれども僕は逆に再びこういうアルバムを出してしまったことで、プライマル・スクリームが以前よりも好きになった。
そりゃ 『Vanishing Point』 や 『XTRMNTR』 のビートは強烈だ。好き嫌いは別として、いまとなると僕にだって、それらが優れたアルバムであることはわかる。実際に今回のライブの前には、これらもくりかえし聴いていた。
ただ、終始そんなものばかり聴いていたらば(少なくても僕は)疲れてしまう。時にはシンプルで切れのいいロックンロールや、甘いバラードが聞きたくなる。ローリング・ストーンズとプロディジーを両方とも必要とする、そんな僕のようなリスナーにとっては、そうした両面を節操なく持っているという点で、プライマル・スクリームというバンドは、まさにうってつけのバンドなんじゃないか。そんな風に思えるようになった。
ただそうした節操のない姿勢は、時としてファンの反感を買う。オルタナなダンス・ビートを求めるリスナーにしてみれば、なんでストーンズもどきの音楽を聞かされなければならないんだということになるだろうし、逆にストーンズ風のロックンロールを愛するリスナーにしてみれば、打ち込み多用のダンス・ミュージックなんてクソおもしろくないということになる。結果、プライマルというバンドはUKロックシーンでもっとも信頼できないバンドのように思われてしまっている気がする(特に母国などでは)。
それでもやはり、その音楽スタイルにおける両面性は、僕自身のロックに対する嗜好性にそのまま重なるものだ。だからだろうか。いままで僕は近親憎悪的にプライマル・スクリームというバンドに距離を置いてきた感がある。いくつかの曲には強く惹かれつつ、どこかにこのバンドを素直に受け入れられないでいる部分があった。
けれど今回の新作で再び、てらいなくシンプルなロックンロールを鳴らすボビー・ギレスピーを見て、そしてそのライブをふたたび体験してみて、僕はこのバンドにとても強いシンパシーを感じることになった。
特別この日のライブが最高だったとは思わない。音はもっと厚くハードであって欲しかったし、全体的な演出も淡白だった。けれど、たとえ若干ものたりなさを感じさせる部分があったとしても、ロックに対して素直に向き合ってみせた今回のアルバムとステージでの姿勢は、その素直さゆえに強く僕の心を打った。いいじゃないか、やっぱりこういうのが好きなんだからさと宣言しているようなその潔さに、僕は感銘をうけた。
バンドの
驚きだったのはアンコールでゲストにウィルコ・ジョンソンが登場したこと。なんでも西麻布にあるロックバーのイベントに、シーナ&ロケットのゲストとして出演するために来日中だったらしい。その店がプライマルのメンバーのお気に入りで、イベント当日はボビーたちも客席にいたそうだから、そこからの流れで今回のゲスト参加が決まったのだろう。異国で顔をあわせた同国人どうし、しかもボビーが大のロックンロール・フリークとくれば、大先輩にご拝謁をねがっても不思議はない。
なんにしろパブロックの重鎮をまじえてのドクター・フィールグッドのカバーあり、二度目のアンコールありと、最後までサービス精神旺盛な、楽しいロック・コンサートだった。二度目のアンコールの最後には、ダムドの 『Neat, Neat, Neat』 をやりかけておきながら、ボビーがそれをイントロだけでやめさせ、替わりに 『City』 を演奏するなんていう、素人っぽい場面もあった。「時間的にこれで最後だからさ、カバーなんかじゃなくて、オリジナルを聴かせてやろうぜ」って感じだったんだろう。
ジョン・レノンの 『Gimme Some Truth』 のカバーもやっていたのだけれど、これはアレンジ(というかビート)が違いすぎて、不覚にもそれとわからなかった。ちなみにこのジョンの曲はシングル 『Country Girl』 のカップリング曲で、新譜の国内盤にもボーナス・トラックとして収録されている(こういう時には輸入盤コレクターであることがアダになる)。ネットで視聴してみた感じだと、ジョンのカバーというよりも、ジェネレーションXというバンド──かのビリー・アイドルが在籍していたバンドらしい──がカバーしたバージョンの孫カバーなんじゃないかという気がした。
それにしても今回のツアーは本国でのそれよりも二ヶ月も先行している上に、この日までに福岡、大阪、名古屋、北海道、仙台と、日本各地を縦断している。日本限定のライブ盤やレア・トラックスもリリースしているし、本当にこの人たちは日本のことが気に入ってくれているみたいだ。まあ、 『Country Girl』 の合唱なんてかなりなものだったし、この日の盛りあがりを見ていると、それもわからなくないかなという気がした。なんにしろ客の乗りもよくて、とても楽しいコンサートだった。
(Sep 24, 2006)
エレファントカシマシ
2006年10月7日(土)/日比谷野外大音楽堂
週間天気予報ではくもり時々雨とのことで、二年連続での雨天決行かと心配された今年の野音。当日になってみれば、前日の大降りで雨が降りつくしたような形となり、秋晴れの気持ちの良い空の下での公演となった。
今回の野音は、公私ともに、これまでの17年のうちで最高の内容だったと思う。ステージ真正面の前から5列目という、願ってもないほどのいい席で、3時間におよぶボリュームとこれまでのキャリアを俯瞰するような見事にバランスのとれたセットリストのライブを見せてもらったのだから……。特にひさしく生で聞いた記憶がなかったマイ・フェイバリット・ナンバーのひとつ、 『絶交の歌』 を聴けたのが感無量。前回聴けずに無念だった 『なぜだか、俺は祈ってゐた』 もやってくれたし、これで文句を言ったらば、罰があたろうってものだ。
本当にこの日のライブは素晴らしかった。まあ、あいかわらず演奏にあやしいところは多いし──宮本が歌詞を忘れてハミングで誤魔化すなんて場面も何度かあった──、音楽としての質という面ではまだまだ改善の余地はたくさんある。それでもロックという音楽は、現状を打開して前へ進もうとするポジティブなパワーさえあれば、稚拙さや未熟ささえも容認してしまう懐の広いものだ。エレカシというバンドは、そうしたポジティヴィティを非常に豊富に持っている。そして二十年以上活動を続けていながら、いまだにまるで失っていない。この日の野音を見たオーディエンスは、みんなそんな力を感じたことだろう。だからいまなお下手でもいい。少なくても彼らは少しずつ変化し、成長し続けている。
【セットリスト】
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そんなエレカシの遅々とした成長を象徴しているのは、実は宮本ではなく石クンなのではないかと、この日のライブを見て思った。いつの間にかすっかりスキンヘッドが定着してしまった感のある彼は、この日は終始その表情と動きで異風を放っていた。
彼は思いきり腰を落として、足をホッチキスの針のようなかたちに開いた、非常に不自然な姿勢でギターを弾きまくっていた。しかも眉をつりあげて目を見開き、まるで仁王のような表情で──。本当にすごい顔をしていたので、浅草にいって雷門の仁王像とどちらがこわいか見比べたくなるくらいだった。昔からギターを弾くときのアクションには、やや大仰なところがあったけれど、この日の彼のギタリストとしてのキャクターには、変な意味でオリジナリティがあった。いつからあんな風になってしまったんだろう?
まあオリジナルなのはギターを弾く姿勢だけであって、プレイヤーとしての技量はあいかわらず平凡だ。それでもかつては宮本のギターの影に隠れてほとんど存在感のなかった彼が、いまでは大半の曲をひとりで弾ききっているのだから、それはそれでたいしたものだと思う(この日も宮本はあまりギターを持たなかった)。 『ガストロンジャー』 のような曲が、石クンひとりのギターできちんと演奏できているのを聞くと、いまだにとても感動する。とにかく石クンはこの二、三年でギタリストとしてのグレードを確実にひとつくらい、あげたと思う。
まあ彼らのキャリアを考えれば、それはいまさらというレベルでしかない。けれどもいまさらでも、ほんのわずかでも、進歩は進歩だ。遅々としつつも、彼らは確実に成長している。そんなバンドだからこそ、僕はエレカシを愛する。かつては宮本のワンマンでしかなかったバンドが、いまでは(ほんのわずかながらとはいえ)メンバーの成長によって支えられている。そのことに僕はささやかな感動をおぼえないではいられない。いまのエレカシはおそらくバンド史上最高の状態なんじゃないだろうか。いやはや、本当に素晴らしいライブだった。
(Oct 14, 2006)
フィオナ・アップル
2006年10月14日(土)/東京国際フォーラム・ホールC
今年は本当にコンサート・チケットに恵まれた。コステロ4列目、エレカシ5列目を手始めに、ストーンズの東京ドームは初のアリーナ席、Coccoと佐野元春は2階列ながら最前列。そしてこの日のフィオナ・アップルのライブも5列目だった。こんなにいい席のチケットばかりの年は生まれて初めてじゃないだろうか。年の初めに他界した親父が、あの世で音楽の神様に便宜を図ってくれたのかもしれない──って、そんなはず、あるわけない。
とにかくこの日の席は1階の5列目。5列目といっても一番隅のブロックだったので、ホールの構造上、前には座席がない。つまり物理的には最前列。目の前には警備員とスピーカーしかない。
うわお。
ただ残念だったのは、それがピアノが置いてあるのとは反対サイドだったこと。おかげでフィオナ・アップルがピアノに座ってしまうと、彼女の顔しか見えなくなってしまった。ピアノを弾いている姿がまるで見えないってのはやはりちょっと……。それでもまあ、日常的に大音量に飢えている身としては、目の前がスピーカーという席は音圧的に申し分なかったのだけれど。
バンドはフィオナ・アップルのほか、ドラム、ベースにキーボードが二人というギターレスな編成。6年前のバンドはけっこうギターが中心の音作りだったから、今回ギタリストがいなかったのはかなり意外だった。ギターがいないどころか、ときどきはベーシストがシンセベースを弾いていたりもしたので、つまり曲によっては弦楽器ゼロという編成になる。弦楽器になにか嫌な思い出でもあるのかもしれない。
【セットリスト】
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バンド・メンバーは基本的に知らない人ばかり。ただしドラムのチャーリー・ドレイトンという人は、キース・リチャーズのソロに参加していたり、たまに奥田民生のバックでたたいたりしている有名人だった。気がつかないたあ、勉強がたりない。反省。なんにしろこの人、 『Slow Like Honey』 のような間の多い静かな曲から 『Not About Love』 でのスティックを折る激しいパフォーマンスまで過不足なく叩き分ける、幅広い技量を持った優れたドラマーさんでした。同行したドラム歴二十年の友人はやや辛口な評価だったけれど、個人的にはとても感心した。
バンドの音は分離がよく非常にバランスがとれていた。ホールの特性やバンドとの相性も良かったのかもしれない。前回のバンドがややバランスの悪さを感じさせたのに比べると、今回のアンサンブルは見事だった。席が遠かったらば、また音圧的にものたりなかったりしたのかもしれないけれど、なんたって今回は目の前にでかいスピーカーがどーんとあるのだから、その点でも問題なし。音質的、音量的には百点満点という内容だった。
フィオナ・アップルも6年前のライブとちがって、ずいぶんと落ち着いた印象になっていた。あの時は楽曲の持つシリアスなイメージとはかけ離れた、いかにも若い女の子らしい、はしゃいだ感じのMCに意表をつかれたものだったけれど、今回はそんなこともなかった。ラスト・ナンバーの前に少し話をした以外はまったくMCがなかったせいもあり、あまりその人となりに触れることができなかったというのもある。あまりにしゃべらないので、もしかしたら今日は機嫌が悪いんだろうかと心配になってしまった。
まあMCがほとんどなかったことをのぞけば、パフォーマンスのうえでは文句なし。水色の肩の出たワンピース姿で、ピアノを弾かないときには落ち着きなくステージをうろつきまわったり、間奏のあいだにはプリミティブな激しいダンスを見せたり、静と動が同居するその音楽にふさわしいカリスマ性を放っていた。
セットリストはこれまでの3枚のアルバムからまんべんなくチョイスされたという印象。量的にはややもの足りなさをおぼえたけれど、かといって少なすぎるということもない、平均的なボリュームだった。
一番強くインパクトを受けたのは、レコーディング版よりも長尺で、よりハードなパートが加えられた 『Slow Like Honey』 。僕は日常的にこの手のブルージーなスローバラードをいいと思うことがあまりないのだけれど、この曲は非常に素晴らしいと思った。あとアバンギャルドな導入部で始まった 『Not About Love』 も、やはり予想どおりライブ映えして、この日のクライマックスと呼ぶにふさわしかった。個人的には聴きたかった 『Never Is A Promise』 が演奏されなかったのが、やや心残りだ。
(Oct 10, 2006)
U2
Vertigo 2006 Tour/2006年11月30日(木)/さいたまスーパーアリーナ
ポップマート・ツアーで初めてU2を見てから8年。今回ふたたび生で観て、あらためて思った。やはりU2は現在史上最強のライブバンドだと。
たえず大合唱が巻き起こるのも当然なキャッチーなメロディと、フックの効いたコーラスライン。ダンス・ミュージックとしての機能性十分なビート。わずか四人が奏でているとは思えないほど彩り豊かな演奏。サービス精神旺盛かつ誠実な態度。そして過去のツアーの遺産を消化吸収したステージセットによる絢爛豪華な演出。 『Cities of Bliding Lights』 から始まって、アンコール最後の 『All I Want Is You』 で終わるまで、本当に一点も非の打ちどころのない完璧なショーだった。こういうコンサートが見られるというのは、本当にロックファン冥利に尽きる。僕は決してU2の熱心なファンではないけれど、それでもこれほどまでのコンサートならば、くり返して何度でも観たいと思う。売れ残っていたチケットが、初日の公演のあと一日で完売になったのも当然だろう。
まあ、ボノが日の丸をかかげて登場したり、大々的にエイズ募金へのチャリティを訴えたり、世界人権宣言を読みあげたりと、そうした政治色の強さに対して辟易したという人もいると思う。けれど生真面目さはU2の代名詞のようなものだ。そういう説教臭さも、ある意味ではいまだにU2が若さを失っていない証なのではないかという気がする。
【セットリスト】
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それにしてもこの日のセットリストを見ると、U2がすでにストーンズ・レベルのビッグバンドになっていることが、あらためてわかる。最新アルバムの先行シングルをツアータイトルにつけているにもかかわらず、そのアルバムのナンバーはわずか3曲のみ。2時間をゆうに超えるライブだというのに、あまりに聞かせるべき曲が多すぎて、新作からの曲を取りあげる時間が作れない。そんな贅沢な悩みをもつのも、長いキャリアを誇るバンドだからこそだ。この日のセットリストを見れば、そこに並んだ名曲の数々には、やはり感銘を受けずにはいられない。これだけキャッチーなナンバーを並べておきながら、それでもなお、 『I Still Haven't Found What I'm Looking For』 や 『Walk On』 という代表的なナンバーがはしょられているんだから、おそるべしだ。
この日のライブが最大級の好印象を残した要因には、それが僕が経験する初めてのアリーナでのオールスタンディング・コンサートだったことも大きい。おかげでいつものように椅子を気にすることもなく、思うぞんぶん大音量に身を任せていられた。おまけに僕らのチケットはブロックA。サブステージへとやってきたボノやエッジやアダムをわずか5メートルの距離で見られる環境だ。なんて贅沢な……。そういえばオープニングではボノが最後までどこにいるんだかわからなくて、気がついた時には、僕らのすぐ近くで日の丸をかかげて立っていたのには、ちょっとばかりびっくりした。
ともかくいままでに経験したことのないようなオーディエンスのリアクションの良さは、こうした解放された環境による心の持ちようが大きかったんじゃないかと思う。本当にこんなに大合唱が起こったコンサートは、僕自身は初めてだった──オアシスを見ていれば、また違ったのかもしれないけれど。ボノが翌日のミュージック・ステーションで「素晴らしいショーができた」と語っていたのも、決して社交辞令じゃないだろう。オーラスの 『All I Want Is You』 で、メンバーがひとりずつステージから姿を消してゆくのを見送りながら、無伴奏になるまで歌い続けた多くのオーディエンスには本当に感心した。そしてそこにちゃんと加われない音痴な自分を恥かしく思った。日本でこんな風景が見られるなんて思っても見なかった。
なんにしろ、やっぱりロック・コンサートでなにもないフロアにわざわざパイプ椅子を並べるのはナンセンスだ。それでなくたって普段から行儀のいい日本人なのだし、どれだけ大観衆が集まったところで警備上の問題なんて起こらないことは、すでに数々の夏フェスで証明済みだろう。これからはこういうアリーナ・コンサートが主流になって欲しいと思う。
とにかく今年最後にして最高のコンサートだった。いや、もとい。最高と言っては、素晴らしいステージを見せてくれたほかのバンドに失礼だ。本当に今年はいいコンサートばっかりの、ロックファン冥利に尽きた一年だった。すべてのバンドに感謝したい。
ちなみにこの日は、年の初めに他界した僕の父親の誕生日だった。生きていれば72歳になっていたはずだ。その夜のコンサートで僕は、ボノが自分自身の父親に捧げた曲、 『Sometimes You Can't Make It On Your Own』 を聴かせてもらった。なんとも言えない思いが込みあげてきて、ちょっとだけ泣きそうになった。
(Dec 03, 2006)