2001年のコンサート

Index

  1. エレファントカシマシ @ 日本武道館 (Jan 04, 2001)
  2. ソウル・フラワー・ユニオン @ 新宿リキッドルーム (Mar 30, 2001)
  3. エレファントカシマシ @ Zepp Tokyo (May 19, 2001)
  4. アレステッド・ディヴェロップメント @ SHIBUYA-AX (May 25, 2001)
  5. エレファントカシマシ @ 日比谷野外大音楽堂 (Jul 7, 2001)
  6. レディオヘッド @ 横浜アリーナ (Oct 4, 2001)
  7. ミッシェル・ガン・エレファント @ 幕張メッセ (Nov 17, 2001)
  8. エレファントカシマシ @ SHIBUYA-AX (Nov 21, 2001)
  9. イアン・ブラウン @ 新宿リキッドルーム (Dec 4, 2001)

エレファントカシマシ

コンサートツアー Rock! Rock! Rock!/2001年1月4日/日本武道館

sweet memory~エレカシ青春セレクション~

 恒例となった正月の武道館も4年目の今年は随分と客の入りが寂しかった。去年まで二日だったのが一日に減ったというのに、二階席の半分は空席という状況。まあ昨今のはっきりしない活動内容だと無理もないかと思う。
 今回の僕らの席は去年に引き続きアリーナだった。しかもステージ右のスピーカー前、最前列から二列目。アーティストを問わず、今までに見た武道館のライブではもっともステージに近い席だったんじゃないかと思う。
 ただ、こういういい席の時に限って茶々が入るのが僕らの人生の常。この日のライブはCSでもって生放送されたため、目の前をクレーンカメラが行ったり来たりして、かなり目障りだった。加えてカメラ嫌いの僕は、映ったら嫌だなとつまらないことを気にしていて、集中力を削がれることにもなった。ちくしょう。
 そういえばテレビの生放送があったせいか、ロビーを賑わすお祝いの花もいつになく多いようだった。有名人の個人名で贈られている花も数多くあったのだけれど、その中でひときわ注目すべきは、当然「椎名林檎」名義のもの。他の人がドラマや音楽番組の関係者だとわかるのに対して、彼女だけは、あちらがエレカシのファンであるという以外にこのバンドとのつながりが見えない。それゆえ祝うという気持ちが純粋に感じられて、清々{すがすが}しかった。ただし。
 この日のライブ自体はそんな椎名林檎の祝福には相応しくない内容だったと僕は思う。二十一世紀の一発目を飾るとは思えないさえないコンサートだったとあえて言わせてもらう。
 なにより一曲目が 『good-bye-mama』 だった時点でもうこの日のライブに期待ができないのは明らかだったと今になると思う。三曲目の 『soul rescue』 で一度はそんなことはないかもしれないと思わせてくれたものの、その後すぐに 『悲しみの果て』 が続き、それ以降もアンコール前まではメローなエレカシが前面に出た選曲だった。
 会場にベタベタ張ってあったポスターが、バラード・アルバム 『sweet memory』 のものだったことを考えると、そのアルバムのコンセプトを踏まえて、あえて意識的にそちらの側面を強く打ち出したのかもしれない。この日初めて聞かせてもらった新曲 『孤独な太陽』 もそちらの路線の曲だったし……。
 でもそうだとしたら、それは失敗だったと言わせてもらいたい。少なくても僕はエレカシのそうした面を生で見たいとは思わない。
 もしも宮本が今までのメローな路線のファンをキープしつつ、 『ガストロンジャー』 系のハードネスを求めるファンも取り込んでいきたいと思っているとしたら、それは甘すぎるんじゃないだろうか。そうした両面をきちんと両立してゆくには、かなりの器用さが必要だろう。そして言ってはなんだけれど、エレカシというバンドには、そうした器用さはないと僕は思う。
 まあ、そんな風に、いきなり文句ばかりになってしまったけれど、そうした不満を保留してみれば、この日のコンサートは、それなりにレベルが高かった。 『昔の侍』 は今まで見た中では一番良い演奏だったし、 『月の夜』 『珍奇男』 『so many people』 など、好きな曲も少なくなかった。本編こそメローさが目立ったものの、アンコールにはスピード感のある曲が並んでいた。メローな曲ではあるけれど、この日の 『武蔵野』 は代表曲と呼ぶに相応しい素晴らしさだった。打ち込みの使い方もだいぶ板についてきた。選曲も全編通してみれば、新旧硬軟取り混ぜたとてもバランスのよいものだった。なによりスピーカーが目の前にあったせいかもしれないけれど、音の良さは去年の比ではなかった。全体的に見れば、エレカシとしては最高の内容かもしれない。
 なのにどうして酷評しなければ気がすまないのか。それは次の二点に尽きる。
 一点目。それはこの日のコンサートからはエレファントカシマシのこれからの方向性がまったく見て取れなかったことによる。
 『good morning』 という破格のアルバムを提示して大きな期待を抱かせておきながら、一気にそちらの方向へ突き進むことなく、新曲では再びそれ以前のメローな路線へと回帰している。全体的にバランスの取れた選曲だったと書いたけれど、逆にいえばそれは、 『good morning』 でみせた路線で突き進むことを躊躇しているという風に僕の目には映った。それは単にエレカシが目指している方向性が僕が望んでいるものとは違っているというだけなのかもしれない。でも、 『good morning』 を聴いてしまった以上、いまさらそれはないだろうと思わずにはいられない。この日のライブから僕はまったく新鮮さを感じられなかった。新しい要素はゼロだったと思う。それが一番悲しい。
 その二はエスカレートする石クンいじめが度を過ぎていた点。アンコールの最後を飾る 『ガストロンジャー』 と 『コール アンド レスポンス』 の二曲で宮本は石クンのシャツを剥ぎ取り、ギターを取り上げ、頭上でのハンドクラップを要求して彼を笑いものにしてみせた。その風景は腹がよじれるほど滑稽だった一方で、たまらなく残酷だった。そしてまた二人がギターを弾いていなくても演奏が成り立ってしまうほどバンドの音が打ち込みに依存していることを曝け出した点で、たまらなく興醒めだった。
 正直言ってこの日のライブを見て、僕は当分エレカシのライブには足を運ばない方がいいのかもしれないとさえ思ってしまった。まったく新しい方向性を打ち出せないまま、終始まとまりのない説教臭いMCを聞かせ続けた挙句、仲間を笑いものにする宮本なんて僕は見たくない。
(Jan 13, 2001)

ソウル・フラワー・ユニオン

HOLY GHOST TOUR 01/2001年3月30日/新宿リキッドルーム

GHOST HITS 95~99

 丁度2年ぶりのソウル・フラワーのライブ。そういえば前回見たのは中川敬の33歳の誕生日だった。今回は35歳の誕生日。中川さん、大阪人のくせして、誕生日は東京で過ごすのが好きらしい。
 今回はクラリネットの大熊ワタルが不在。フィドラーなどのゲスト・ミュージシャンも参加しておらず、中川が三線を弾くこともなく、伊丹英子もアンコールでしかチンドン太鼓をたたかないという極めてシンプルかつロッキンな構成。英坊が半分以上の曲で、アイリッシュ・トラッドのものらしい8弦のタマネギ形弦楽器を弾いていたけれど、それでも全体的にはストレートなロック・バンドとしてのソウル・フラワーを堪能できる内容だった。おまけにひさしぶりに内海洋子がゲスト出演したこともあって、大いに盛り上がった。
 ライブは英坊抜きのまま、いきなり中川のソロ・ナンバー 『おんぼろの夜明け』 で始まる。続く2曲目でようやく英坊が登場、ソウル・フラワー・ユニオンのメンバーが勢ぞろいしての一発目は新曲だった。
 選曲はこの夏リリース予定の新譜からの曲とこれまでの楽曲を交互に並べたような印象。新曲群はなかなか粒ぞろいで勢いのある曲が多かった気がする。かなりいいアルバムになりそうで、とてもリリースが楽しみだ。
 今回のライブでおもしろかったのがヴァン・モリソンのカバーが多かったこと。なにかの曲(うーん記憶力が...)のイントロで 『Moondance』 のフレーズを奏でていたと思ったら、しばらく後で(これはヴァン・モリソンのオリジナルではないけれど) 『Raglan Road』 が披露され、続けて 『Crazy Love』 が演奏された(もちろんどちらも中川のオリジナル訳詞による日本語バージョン)。好きなバンドが好きなアーティストのカバーをやってくれるのは、とても楽しい。特に前者は 「アイリッシュトラッドをやります」 というMCを聞いて、僕が「ラグラン・ロードやってくんないかな」と思ったまさにその曲だったので、感慨ひとしおだった。
 とはいっても。残念ながらどちらのカバーもオリジナルの魅力には及ばない。それは単に僕が原曲のイメージを引きずり過ぎてしまっているだけで、バンドの力量の問題ではないと思う。ま、どちらの曲も僕にとっては「歌」として、非常に思い入れの深いナンバーなので仕方ない。ヴァン・モリソンのボーカルにかなうものはそうそうない。
 ただ、すごく気になったのは、新曲も多かったし、生で見るのは二年ぶりだというのに、ライブの全体的な印象がほとんど変わっていないことだ。相変わらずすごい盛り上がりのライブだとは思うのだけれど、初めて見た時に感じたスリリングな感覚がほとんど感じられなくなってしまっている。すごく型にはまってしまった感じがする。
 初めて見たソウル・フラワーは、今ほど民謡的な要素が強くなかった。すでに独特の土着性は持っていたけれど、それでもサウンド的には純然たる日本のロックという感じだった。
 それがその後、モノノケ・サミットの活動を併合するような展開を経て民謡性を深め、今の音に到っている。今回のライブでは中川が三線を弾いていなかったにもかかわらず、弾いていた時との違いを、僕はほとんど感じなかった。それは音自体がどうというよりも、ソウル・フラワーの音楽自体にそうした要素が自然な形で表現されているということなのだろう。
 でもその結果として、このバンドは二つのバンドが合併した当初に持っていた荒々しい音楽のダイナミズムを失ってしまったんじゃないかという気がする。今の音楽だって十分に刺激的ではある。でも圧倒的ではなくなってしまった。
 そういう意味では、この日のライブで一番興味深かったのは内海洋子さんの参加した三曲だった(続けて三曲、というのではなく、出たり引っ込んだりしていた)。これらの曲はものすごい盛り上がり方だった。
 バンドを離れてひさしいもとのメンバーがひさしぶりに魅力的なパフォーマンスを見せてくれたのだから、盛り上がるのは当然だ。でも、この日のライブにおいては、その部分におけるオーディエンスの興奮が、バンド単体でのクライマックスを上回ってしまっていたように僕には感じられた。もちろん 『もののけと遊ぶ庭』 や 『踊るかばね』 の熱狂には、相変わらずすごいものがある。でも洋子さんが参加した三曲の熱狂は、さらにその上をいっていたように思えてならない。
 僕にはその熱狂の要因は、彼女が参加したナンバーが、いずれも非民謡的な、以前のスタイルのロックン・ロールだったからだろうと思う。民謡や歌謡曲のテイストを強くした今のソウル・フラワーには失われてしまっているロックならではのダイナミズムが、彼女の参加した三曲にはあったからじゃないかと思う。そしてその失われてしまっているものを思って、複雑な気分になる。
 そうした思いは、いまだに好きになれないオーディエンスの阿波踊りとともに、このバンドの在り方への不満として僕の中でくすぶっている。いつになくシンプルなバンド構成だっただけに、そうした思いがさらに募ったこの日のライブだった。
 それにしてもホント、洋子さんが加わったソウル・フラワーのグルーヴはすさまじい。もう一度彼女が加わったソウル・フラワーのライブをフルで見たいと切に思う。考えてみると彼女の脱退は、まさに僕が感じている不満と同じものを彼女自身がバンドに抱いていたということの証に他ならないんじゃないかと、今さらながら思った。
(Apr 01, 2001)

エレファントカシマシ

ZEPP TOUR 2001/2001年5月19日/Zepp Tokyo

暑中見舞~憂鬱な午後~

 既にコンサートがあってからニ週間が過ぎている。そのあまりに不甲斐ない内容に、感想を書く気も失せるような今回のエレカシのライブだった。今回のセットリストからは宮本が一体どんなことをしたいのかがさっぱり伝わってこなかった。それがなにより焦れったい。
 今回初めて聞くことが出来たのはオープニングの 『東京ジェラシー』 とタイトル不明の新曲(追記: 『暑中見舞い』 )の計二曲のみ。アルバム発表直後というわけではないから、それはそれとして致し方ない。でもそれにしても、全編を通したマンネリズムには言葉もない。新鮮さのかけらも感じられなかった。そのことにやたらと失望した。
 コンサートのほとんどを占めたのは、アルバム 『ココロに花を』 と 『明日に向かって走れ』 からの曲だった。去年あれほど僕らを興奮させた 『good morninng』 からの曲は、今やライブの定番となった感のある 『ガストロンジャー』 『コール アンド レスポンス』 『武蔵野』 のみに終わった。こんなコンサートなら、この数年の間に何度も見ている。今さらこんなものを見せてどうしようというのだろう。
 昔からエレカシはそうだ。道に迷うたびにかつての(ささやかな)栄光を懐かしむようなライブを行ってきた。それが以前ならファースト中心の曲で逃げていたところが、今回は 『ココロに花を』 に替わっただけだ。それだったら、まだ以前のほうがマシだったと思う。すくなくてもファーストの曲にはシンプルなロックンロールが持っているノリのよさがあった。
 僕は 『ココロに花を』 以降のエレカシの最大の問題は、ダンスミュージックとしての能動性を決定的に欠いていることだと思っている。そんな僕にとって、その時期の曲ばかりをずらりと並べたこの日のライブは最悪だった。まして会場はオールスタンディングだ。踊れない曲を立ったまま聴かされるのはつらい。もしもまともな判断力があったら、あんな選曲にはしないだろう。宮本の感性を疑いたくなった。
 懐古的でのりの悪い曲ばかりが並んだオールスタンディングでのコンサート。唯一の新曲も、この先の展開を期待させるには程遠い出来だった。しかも宮本は曲ごとにだらだらとしたスピーチを繰り返し、挙句の果てには歌詞を忘れまくっている。こんな最悪なライブは見たことがない。
 きっと 『good morninng』 の商業的不振が宮本にもたらしたショックはかなりなものだったのだろう。その結果が今回のライブにおけるポップス路線への揺り戻しだと思われる。あのアルバムに対する僕らの支持は(当然のことなのかも知れないけれど)彼のもとには届いていないらしい。そのことがなんともやり切れない。
 なんにしろ、まさかあの傑作 『good morninng』 からわずか一年で、こんな失望を味わわされるとは思っても見なかった。来月の野音の内容によっては、しばらくエレカシのライブに足を運ぶのを見合わせようかと、またもや思う。なけなしの金と時間を費やして、失望ばかりを味わうのも馬鹿な話だから。
(Jun 02, 2001)

アレステッド・ディヴェロップメント

ジャパンツアー2001/2001年5月25日/SHIBUYA-AX

ザ・ヒーローズ・オブ・ザ・ハーヴェスト

 まだ一週間しかたっていないのだけれど、なんだかすごく昔に見たライブだったような気がする。再結成したアレステッド・ディヴェロップメントの来日公演。
 スピーチのスクラッチで始まったこの日の公演は、なぜだか前回、前々回の彼のソロ公演ほどの圧倒的なポジティヴィティを感じさせなかった。なぜだろう、なにが違ったんだろう。よくわからない。単に隣のカップルが目障りで気が散っていたのがいけなかっただけかもしれない。
 バンドはドラム、ベース、ギター、キーボードに女性コーラスが二人、それにアレステッドのメンバー四名。スピーチは時々ステージ右手のターンテーブルへ行ってスクラッチを聞かせる。ババオジェは変なダンスを披露したり、客席にチラシやCDをばら撒いたり(なんなのだろう、あの人は)。
 バンドの音自体は思いのほか気持ちよかった。特にギター。ナチュラル・トーンのストラトキャスターが奏でるリフやカッティングがとてもよい。ついついこのギターのプレイを追ってしまった。やや集中力を欠いていた嫌いがあるため、演奏のディテールに注意を向けることで気を散らさないようにしようとした部分があったのだけれど、それでもヒップホップのコンサートに行って、ギタリストのプレーに注目することになるなんて、自分でもちょっと意外だった。
 ただそうして見たことで、アレステッド・ディヴェロップメントというグループがなぜに僕らの関心を引いていたかわかった気がする。それは音作りにおいて、ナチュラルなバンド・サウンドを下敷きにしているからだ(すごくありきたりな結論)。
 この日の演奏がまさにそうだった。ロックンロールの基本であるドラム、ベース、ギターの三点セットがきちんと音造りの中核を担っている。打ち込みではなく、生のそれらの音が生み出すグルーヴに、スピーチの巧みなボーカルとメンバーのコーラス・ワークが乗っかるその音がむやみやたらと気持ちいい。
 いや、だから逆に、そうした音を求めている僕にとって、最新アルバムの打ち込み系の音作りは不満だった。それは多分、多くの人が同じなんじゃないかと思う。そんな新作をフィーチャーしたツアーだからこそ、やや僕個人の入れ込みようが足りず、先に書いたような、もの足りなさを味わうことになってしまったのかもしれない。残念。
(Jun 02, 2001)

エレファントカシマシ

恒例!夏の野音2001/2001年7月7日/日比谷野外大音楽堂

暑中見舞~憂鬱な午後~

 数日前までは降る降ると言われていた雨も結局降らず仕舞い。吹き抜ける風が心地よい、暑い夏のゆうべに開かれた、今年の夏の野音だった。
 前回の Zepp Tokyo の印象があまりに悪かったから、今回は全然期待していなかった。ところがこの日のライブは予想外によかった。前回の停滞感はなんだったんだと思わされるバランスのよい選曲で、二時間以上のステージを見せてくれた。去年のリキッドルーム以降では最高の内容だったと思う。
 オープニング・ナンバーは大胆にも 『ガストロンジャー』 。いつもはライブのラストを飾るこの轟音ナンバーを頭に持ってくるのは、意図的には悪くない。というか、かなりいい。
 ただし、音的にはどうかと思った。なにしろ、いきなり音が割れまくり。普段だとさんざんマイルドな音を聞かされたあとに登場することが多いので、それも仕方なしと思うものの、一発目だとちょっと粗が目についてしまった。
 それでも、この曲を最初に持ってきたことで、おや、今日はもしかして期待していいのかなと思わせてくれたのは確かなところだった。そしてその思いは、二曲目の 『夢を見ようぜ 』 でさらに強まり、その次、これがなんと 『夢のちまた』 に到って、決定的となる。この曲を聴くのはいつ以来だろう。なんたって、この曲こそ、僕がエレカシに{はま}るきっかけとなった曲だ。これを聴かされて盛り上がらないはずがない。思い出しただけでも、嬉しさで思わず頬が弛んでしまう。
 そのあとに 『悲しみの果て』 『孤独な旅人』 と、個人的にはやらないでくれた方がいいと思う選曲が続いたため、やはり今回もここから先はこの頃のマイルドなエレカシに戻ってしまうのだろうかと思った。
 でも違った。昨日の宮本はやってくれた。その後も「おーっ」と叫びたくなるようなレパートリーを連発。 『GT』 に 『デーデ』 に 『上野の山』 と来た。アンコールでは 『ゴクロウサン』 『極楽大将生活賛歌』 『やさしさ』 なんかが披露され、さらにこれが極めつけ、 『過ぎ行く日々』 まで飛び出す始末だ。しかもこの曲は椅子に座らずにギター立ち弾き。うーん、これはちょっとこたえられなかった。
 素晴らしかったのはそれらの昔の曲が、現在の曲とバランスよく並んでいたことだ。僕個人としては昔の曲ばかりの方が嬉しいのだけれど、アーティストの姿勢としては、それでは問題がある。この日のライブにはそうした偏向がなかった。新旧の曲がバランスよく並んでいた。なによりそれを評価したい(なにを偉そうに)。
 最近の曲では 『東京ジェラシー』 がこの日もいい。それと嬉しかったのは 『ゴッドファーザー』 。 『good morninng』 からのシングルカット曲以外の選曲というのもホント、ひさしぶりだったし、それだけでも嬉しいのに、なによりこの曲はそれ自体が最高に恰好いい。もっともっとライブで数多く取り上げていい曲だと思う。
 前回のライブで初めて聞かせてもらったニューシングル、 『暑中見舞』 も思っていたよりはよかった。乱暴なエレキ弾き語りの 『涙』 もちょっと新鮮。 『昔の侍』 のアレンジにはあいかわらず疑問符がつくし、ひさしぶりの 『極楽大将』 では歌詞を忘れているし、部分部分にはおいおいと突っ込みたくなるようなところもちらほらあったけれど、それでも全編を通した印象はとてもよかった。今年の野音は十分楽しませてもらった。
 ただし。
 これでもうエレカシは大丈夫、という安心感はまったく感じられない。ニューシングルはやはり売れるとは思えないし、次のアルバムの方向性も一向に見えない。満員の野音にしろ、僕の前の席は一列全員女性。僕の視野には娘さんと一緒にやってきたと思しき五十代前後のお母さんたちが三人もいた。
 その人たちの存在を悪くは思わないし、かえって微笑ましい風景だとさえ思う。ただ、いつの間にかそうしたリスナーに愛されるようになっているエレカシというバンド(というか宮本というキャラクター)にはある種の危うさを覚えてしまう。彼女たちが求めているのは、ハードなギターサウンドや過激な言葉ではなく、宮本浩次というエキセントリックでキュートなキャラクターなのだろう。それはライブを観ている彼女たちの反応からして、おそらくそんなにずれた見方ではないと思う。
 ロックという音楽に対するこだわりのない、そうしたリスナーに支えられているのがエレカシの現状だ。多分それをある程度わきまえて、宮本は今後も彼女たちに気に入ってもらえるような曲を書くのだろう。その結果、確実にコアなロックファンはエレカシから離れてゆく。その先にあるものを僕は見たくない。
 そんなことを考えてしまうので、よいコンサートだったとは思うものの、いまひとつ素直に盛り上がれないのだった。ああ、良くも悪くも悩ましいバンドだ。
(Jul 08, 2001)

レディオヘッド

JAPAN TOUR 2001(横浜アリーナ、2001年10月4日)

Kid a

 ここ数年で観たうちで最高のライブのうちのひとつだった。今まで遠いからと避けていた横浜アリーナの公演だから、友人に誘われていなければ、まず間違いなく観ることなんてなかっただろう。彼に感謝しなくちゃいけない。
 初めて足を運んだ横浜アリーナは、ホールとしては思ったよりも悪くなかった。ただいかんせん交通の便が悪過ぎる。この日のライブは前座が登場したためもあり、終わったのが十時過ぎだった。本当は終わってからその辺で軽く飲んで帰るつもりだったのに、その時間にそんなことをしていると、下手したら終電を逃してしまう。仕方なく地元まで戻ってから飲むことにしたのだけれど、こちらに戻ってきた時には、そろそろ十二時を回ろうという時間になってしまっていた。勘弁して欲しい。やはり出不精の僕としてはあそこはちょっと願い下げだ。
 なにはともあれ横浜アリーナでのレディオヘッド来日公演最終日。席はステージ向かって真正面の2階席、最上段のブロックの真中あたり。多分このホールで一番ステージから遠い席だろう。でもとりあえず真正面。いいんだか、悪いんだかという感じだ。
 7時丁度に前座のクリニックというリバプール出身のバンドのオープニング・アクトが始まる。オルガンをフィーチャーしたこのオルタナティヴ・ロックン・ロール・バンド、一曲一曲がシンプルで短いので、わずか30分の間に何曲演奏したものやらわからない。まあ悪くはないものの、このキャパで聞きたい音ではなかった。ライブハウスでならばそれなりに楽しめたのかもしれない。
 前座のあと30分が過ぎて、8時を回ってようやく、お待ちかねのレディオヘッドが登場。
 まずは "The National Anthem" だっ。打ち込みベースのリフが強烈。でもその他とのバランスはいまひとつ悪くて、そのリフだけが突出しちゃっている。トム・ヨークのボーカルのとおりも悪い。やっぱりこの席じゃなあ、という感じだった。
 でも音への不満は二曲目の "Morning Bell" 以降は見事に解消される。そう言えば先日のエレカシのライブでも、一曲目の "ガストロンジャー" では同じように音の悪さが気になった。最初にラウドな曲を配した場合、もしかしたらPAの技術上、その辺の問題は致し方ないのかもしれない。
 なんにしろ最初こそおやっと思ったものの、二曲目以降はホールの規模からすると随分といい音で聴けた。欲をいうとやっぱりもっと近くで観たかったし、もっと大きな音で聴きたかった。でも遠かったためもあってか、前の観客がずっと座っていてくれたから、この日のライブは僕らもずっと腰を降ろしたまま観ることができた(少しはスタンディング・オベーションくらいすべきじゃないかという気もするけれど)。お陰で余計なことに気が散ることもなく、ステージに集中して観ることができたのはとても大きかった。
 二時間以上のライブなんて、普段のように立ったままならば、その時間だけで疲れ切ってしまって、アンコールを待たずしてもう充分と思うところだ。ところがこの日のライブに僕は、もの足りなささえおぼえた。ホントこの日のライブは、あと何時間でも見ていたいと思わせる素晴らしさだった。
 加えてステージ真正面の席というのが、結果的に正解だった。ステージの左右に配されたディスプレイは(演出かもしれないけれど)輝度が低くて、なにが映っているんだか、いまひとつよくわからない。なのでこの規模の会場にしては珍しく、それらを見るのは諦めて、終始ステージばかりを見ていることになった。
 ステージ自体は凝った作りではないものの、その照明が素晴らしい。背景に垂れ幕みたいなやつが十本足らず下がっていて、その間に細長い棒状のライトが不規則な間隔で並んでいる。ちょうどあみだくじみたいな感じだ。それが実にいろんなパターンで光を放つ。時には3Dで浮かんで見えたりする。これが非常にきれいだった。
 まあ、このクラスのアーティストだと、あのくらいの演出はあたり前なのかもしれないけれど、最近はもっぱらライブハウスでエレカシあたりの飾り気のないライブばかり観てきた僕には、この日のライティングの素晴らしさは、まさに快感といっても言い過ぎではないほどだった。
 もちろん音楽も美しい照明に負けず劣らず素晴らしい。ダンサブルな曲は、なおダンサブルに。ダークなイメージの曲も、ものによってはよりハードに。メローナンバーは神秘的なほどに美しい旋律を奏でる。楽曲は2枚目以降のアルバムから均等に選ばれていた感じだった。緩急のバランスもよく、本当に最高のコンサートだった。
 まあ、そうは言っても、こちとら今までレディオヘッドはいまいちなあ、とか思っていた男なので、一曲一曲の聴き込みが足りない。その日の昼間にひと通り聴き直してみたところで、結局付け焼刃。これってなんて曲だっけと思って頭をひねることも多かった。ああ、レディオヘッドをあなどりすぎ。大失敗だった。
 なんにしろ前から好きだった曲はもとより、今まではいまいち好きじゃなかった曲までも好きになってしまうほどの内容だった。特に感銘を受けたのが、アルバムでは比較的地味な印象しかない曲が、意外なほど良かったこと。"Dallars and Cents" なんて、どんな曲だったかほとんど記憶になかったのに、ライブではベースのリフが全面に押し出されて、非常にハードなナンバーに変貌を遂げていてびっくりした。この曲は来月発売になるライブ・ミニ・アルバムに収められているらしい。それも当然と思わせるインパクトのある演奏だった。
 二度目のアンコールで演奏されたこの日のラストナンバーは、意外や意外、ニール・ヤングのカバー "Cinnamon Girl" 。ただ、好きなアーティストの曲のカバーって普通だと嬉しいものだけれど、この日のライブに関してはどうせならば、もっとオリジナルを聞かせて欲しいという気分だった。
 ああ、叶うことならばもう一度観てみたい。終わるなり、そんなことを思わされるコンサートも随分とひさしぶりだ。レディオヘッドは素晴らしい。
(Oct 14, 2001)

ミッシェル・ガン・エレファント

ワールド・ロデオ・タンデム・ビート・スペクター・ツアー・ファイナル/2001年11月17日/幕張メッセ展示場ホール9・10・11

RODEO TANDEM BEAT SPECTER

 念願のミッシェル・ガン・エレファントのライブ初体験。
 場所は幕張メッセの展示場ホール。ここがすごい。やたらとだだっ広い。開演時間ギリギリに着いたので、一番後ろの方で見ることになったのだけれど、ステージ左右の大型ディスプレイにスタイリッシュなオリジナル映像が流されていて、その真中がステージなのはわかるものの、それ以外は真っ暗でどうなっているんだか、さっぱりわからない。本当にステージがどのくらい離れているんだかさえ、わからなかった。
 こういう広さでのオールスタンディングのライブというのは初めてだったので、この不思議な距離感は妙に新鮮だった。始まってからも十分楽しめたし、これはもしかしたら、この規模だと、武道館なんかより、よほどいいかもしれない。同じような雰囲気で野外で見れるというのならば、最近流行の野外フェスというのも、実はなかなかいいものなのかもしれないなと思った。
 開演時間から15分だか20分だか遅れて、ようやくライブが始まる。BGMのダンス・ナンバーが止まり、ステージ中央にドラムセットが赤いライトを浴びて浮かび上がる。例の 『ゴッドファーザーのテーマ』 のメランコリックで厳粛なメロディが大音量で流れ出す中、まずはクハラが登場していきなりドラムソロ。その後、他のメンバーも登場して、インスト気味の新曲── 『サンダーバードなんとか』 という曲らしい──でオープニング。ブレイクでチバが 「ハロー・ベイビー、お前の未来を愛してる」 とか言って(個人的には失笑を誘いつつ)、会場を煽りまくる。
 もうなにしろ音がでかい。もう最初のSEからしてでかい。演奏が始まってからは当然もっとでかい。笑ってしまうくらいの大音量だった。耳鳴りは翌日の昼になってもまだやまなかった。そりゃちょっとでか過ぎるだろうってくらい。でもそれこそが僕らが常に求めているものだ。まさにこれだよこれという感じだった。こういう日常生活では体験不可能な、でかい音を生で体感したいからこそ、僕らはない金をつぎ込み、飽きもせずにコンサートに足を運び続けているんだ。
 なんにしろこの日のライブは、そんな大音量と高速チューンの連発により、破壊的なスピード感を感じさせつつ、失速することなく突き進んでいった。選曲は新譜の歌ものすべてに、前ニ作の曲をぱらぱらと散りばめたもの。さらに 『ブギー』 『リリィ』 『世界の終わり』 などが披露されたのは、おそらく特筆ものだろう。もう文句のない内容だった。
  『G.W.D.』 や 『スモーギング・ビリー』 『GT400』 などの中期を代表するシングル・ナンバーが、いっさい演奏されなかったのはちょっと意外だったけれど、それでも不満はなかった。僕はこれで十分だ。むしろそれらの曲を温存してなお、これだけの興奮を引き起こせるこのバンドに対して、尊敬の念さえ覚える。
 違和感があったのは、アンコールの 『リボルバー・ジャンキー』 へと続く前振りとしてサビだけ演奏された 『ノー・ウーマン・ノー・クライ』 くらい。あれだけは、なにかと思った。レゲエのビート感とミッシェルというのは見事にそぐわない。
 そのほかで印象に残ったのは、ウエノがウッドベースを弾いた 『バード・ランド・シンディー』 、意外と淡々とした印象だった 『赤毛のケリー』 、 『リボルバー・ジャンキー』 に続いて「ジェニーはどうだー!」というチバの叫びとともに爆発的に始まった 『ジェニー』 。そしてなんと言ってもオーラスを飾った 『世界の終わり』 など。全編を通じてひとつの曲だけを演奏していたんじゃないかと思わせるほど、終始一貫したアップビートなコンサートだった。圧倒的なスピード&パワーを満喫させてもらった。
 それにしても本当にこのバンドはいい。メンバーひとりひとりの佇まいが実にいい。よく知りもしないくせに、個々のメンバーに対して、不思議な愛おしさが込み上げてくる。こんな風に感じさせてくれるバンドなんて初めてだ。なんで僕はこのバンドをいままで聴かずに生きてきたんだろう。ああ、後悔先に立たず。
(Nov 21, 2001)

エレファントカシマシ

LIVE HOUSE TOUR 2001/2001年11月21日/SHIBUYA-AX

good morning

 今年最後のエレカシのライブ。不面目ながら他事に専心していたために、既に十日ばかりが過ぎてしまい、印象も薄れてかけてきていたりする。
  『so many people』 で始まり、 『うれしけりゃ飛んでゆけ』 『赤い薔薇』 と続いたオープニングは意外と言えば意外な選曲だった。
 そのあと、一、二曲ばかり挟んでからだろうか、そこからは延々と 『good morning』 からのナンバーが続いた。 『ゴッドファーザー』 『武蔵野』 『精神暗黒街』 『I am Happy』 『生存者はいつも笑う』 『情熱の揺れるまなざし』 とくる(順番はちょっとあやしい)。実に渋いというか、ある意味ぱっとしない選曲だと思う。
 でも、個人的にはこの部分こそが、この日のコンサートの一つ目のハイライトだった。少なくてもポニーキヤニオン時代の曲なんかよりは、単純にロックしているから盛り上がれる。なぜこれらの曲をもっと自然な形で披露できないのかと疑問に思う。
 その後の印象もこれと言って特筆することはない。ただ本編の最後、 『やさしさ』 と 『花男』 、これらは最高の出来だった。この二曲ではライブハウス内の空気が変わった印象さえあった。かつての宮本を思い出させるテンションの高さだった。ただし、その素晴らしさに感動する一方で、こういうパフォーマンスが見られるのが、デビュー当時の曲だというあたりにこのバンドの限界を感じて、寂しく思ったりもした。
 この日はアンコールで 『ファイティングマン』 も演奏された。さらに、これでおしまいだろうというこちらの予想に反して、そのあとにもう一曲やってみせた。その心意気はおおいに買う。でも選んだ曲が 『四月の風』 では、あまりにも気分が盛り上がらない。
 結局終わってみれば、前半の選曲がちょっとだけ風変わりだっただけで、それ以外にはほとんど新鮮さの感じられないコンサートだった。まあ、ライブ前に某ネット上で、直前の札幌でのセットリストを見てしまっていたせいもあるんだろう。それとほとんど同じだったから、ますます意外性に欠ける印象が強くなってしまった部分があった。もしかしてそのセットリストを知らないでいたならば、前半の 『good morning』 攻勢で異常に盛り上がれたのかもしれない。そう思うとちょっと惜しい。変に情報過多なのも考えものだ。
 ただそうは言っても、やはりもうちょっと新しいなにかがあっていいだろうという思いは否めない。現在レコーディング中だといういうのだから、新曲だっていくらかはあるだろうに。それがひとつも演奏されないのはどうしたわけだ? 出し惜しみ? それとも次の作品もまた宮本がひとりで作っているために、バンドでは演奏できないということなんだろうか。まあ、現状ならば、変にバンドの方向性を模索されるよりも、『good morning 2』 のリリースを期待した方がいいような気もするけれど。
 なんにしろ長年のファンとしては、あまり見るべきところのないライブだった。なまじその直前にミッシェルを、そしてレディオヘッドを見てしまっているだけに、なおさらだった。見終わったときの気分は今年前半の Zepp Tokyo の時とほとんど同じだ。こんなコンサートならば正直なところ見たくない。
 そんな僕の思いが通じたわけでもないだろうけれど、来年は正月の武道館をやらないのだそうだ。レコーディング中につき、みたいな話だけれど、どうにも説得力に欠ける。去年の客の入りを見る限り、興行的に成り行かないという判断なんじゃないかと邪推してしまう。
 まあ次回がいつになるにしろ、素晴らしい新曲を引っさげてステージ上に戻って来てくれることを心から願ってやまない。
(Dec 01, 2001)

イアン・ブラウン

2001年12月4日/新宿リキッドルーム

Music of the Spheres

 95年のストーン・ローゼズ武道館公演以来となるイアン・ブラウンのライブ、なのだけれど……。
 これが、つまらない理由で新譜の "Music of the Spheres" を三度くらいしか聴けずに臨むことになってしまったために、全然駄目。新曲群はまったく頭にはいっていないから、知らない曲ばかりだし、音も期待していたものより音量が小さくて、盛り上がらないこと甚だしい。
 もともと観に行こうかやめようかと躊躇していたところに、一緒に行ってもいいという友人が現れたので、一週間前になって急遽足を運ぶことに決めたというライブだった。
 新譜に関しては、まあ、おもに経済的な事情で、その時期まで聴けていなかった。それなのに、ネット某所でストーン・ローゼズと比較した上で誉めているレビューを見つけたせいで、今回は期待してもいいんではないかと、勝手に思いこんでしまっていた。だからライブにも不用意な期待をかけていた。
 ところがライブ当日になって、ようやく聴く機会を得たそのアルバムの音は、やはり僕には肯定的に捉えられるものではなく……。ああ、これだったらライブに行こうとか思ってないって。そう思っても、時すでに遅しで、チケットは手元にある。
 まあ、かつてストーン・ローゼズであれだけの感動を与えてくれた人だ。恩を返す意味でも、足を運ぶだけの価値はあったと思おう。それに後半に関しては、それなりに悪くはなかった。まあ悪くないという程度だったのだけれど。
 この日のバンドの編成はドラム、ベース、ギター、キーボードにパーカッションを含めた6人。ギタリストとパーカッションがアラブ系だった。少なくてもパーカッションの方は間違いなくそうだと思う。
 ギタリストはもしかしたらアジス・イブラハムだったのかもしれないけれど、新譜のレコーディングには参加していないようなので、ちょっと自信がない。もしかしたら単にずんぐりした体形の、色黒の白人だったのかもしれない。
 なんにしろこのギタリストが、レーザー光線を発する指輪をすべての指にはめ、フレットがぴかぴか光る電飾入りのギターを弾く、派手好きで悪趣味な人だった。なんだかなあ。技術うんぬん以前にセンスの問題として、ああいう人にギターを弾かせているというだけで、残念ながら僕はもう駄目。気分的に引いてしまう。
 ライブは "Bubbles" で始まり、たしか "Love Like A Fountain" あたりで終わったのだと思う(見事にうろ覚え)。この最後の曲の終わりには "Fools Gold" のフレーズが引用されていた。選曲としては、新譜を中心にしつつ、前の二枚のアルバムからの曲を適度にあしらった感じ。アンコールで "F.E.A.R." と "My Star" が演奏されておしまい。計一時間半にも満たなかった。
 それにしてもイアン・ブラウンという人は、よくも悪くも全然変わらない。そのことに関しては、ちょっと感心する。十年以上活動を続けていて、あそこまで歌が下手な人というのも珍しいだろう。ステージでのアクションはあいかわらず足踏みするばかりだし。
 そもそも十年選手のくせにライブのトータルタイムが一時間半に満たないというのはどうしたことだろう。アンコールなしだったデビュー当時のストーン・ローゼズの頃の方が、まだ長かったんじゃないかという気がした。少なくてももう一曲、 "Getting High" くらいはやってもらいたかった。
 まあ、そんな風に僕としては不満の多いコンサートだったのだけれど、それでもイアン・ブラウンという人はその人柄のせいか、ファンには愛されているみたいで、オーディエンスの多くは、そのゆるいグルーブにあわせて心地よさそうに身体を揺すりながら、終始、暖かい声援を送っていた。
 もしかしたら一番うしろなんかにいないで、もっと前へ出ていって、そうした人たちの中で聴けば、また印象が変わったのかもしれないなと、ちょっと思った。
(Dec 16, 2001)