2024年6月の音楽

Index

  1. Another Budokan 1978 / Bob Dylan

Another Budokan 1978

Bob Dylan / 2023

アナザー武道館 (2LPエディション) (特典なし) [Analog]

 1978年に日本独自企画として録音・発売され、その後世界リリースされたボブ・ディランのライブ・アルバム『At Budokan』。
 去年その発売から四十五年目にして、武道館でレコーディングされた二日分の全音源が公式リリースされた。
 コンサート二本分の全曲をCD四枚に収録した二万円越えのボックス『The Complete Budokan 1978』は(サブスクで全曲聴けることもあって)さすがに手が出なかったので、かわりにアナログ二枚組限定でリリースされたこちらを買った。
 これは『もうひとつの武道館』というタイトル通り、1978年の『武道館』には収録されなかった音源だけをコンパイルしたダイジェスト版。
 確認したところ、レコーディングされた二日間で演奏されたのは、重複した分をのぞくと全部で三十三曲。そのうちオリジナルの『武道館』に収録されているのは二十二曲だから、これまで未発表だった残りの十一曲がこのアルバムに収録されている。
 まぁ、さすがにそれだけだと地味すぎるからだと思うけれど、『風に吹かれて』や『ライク・ア・ローリング・ストーン』などの代表曲のうちから、オリジナル盤に収録されたものとは別の日のテイクを五曲を加えて、全体のバランスを取ってある。
 まぁ、要するに『武道館』の落穂拾い的な性格のアルバムなんだけれど、これが思いのほかおもしろい。
 ディスク一枚目には一日目、二枚目には二日目の曲を時系列で八曲ずつ収録しているだけなのに、それでいてきちんとライヴの起承転結がついているのがすごい。
 まぁ、コアなファンにとってはライブ全編を聴ける完全版こそ至高なんだろうけれど、そちらは二時間越え(二日分通しで聴くと四時間半)のボリュームだし、それに比べればこちらは一時間強というお手軽さ。それでオリジナル盤には収録されてない楽曲すべてを聴けて、なおかつライヴの起承転結も味わえるというのは捨てがたい。
 あと、なにがいいって、オープニング。
 オリジナルの『武道館』は『ミスター・タンブリング・マン』から始まるけれど、じつはこの曲が演奏されたのはセットリストの三曲目なのだという。
 要するに最初の二曲は収録されていなかったことになる。
 最近の感覚だとライヴのオープニングナンバーがアルバムから漏れるなんて、ちょっと考えにくい。しかもこの時の日本ツアーの一曲目は『A Hard Rain's a-Gonna Fall』(邦題『はげしい雨が降る』)だ。
 ボブ・ディラン初期の傑作のうちのひとつ。
 二曲目はロカビリーのカバーだから割愛されても仕方ないと思うけれど、なぜこの名曲が収録されなかったんだろう?――という疑問は、このアルバムを聴けば一目瞭然だ(いや一目じゃなく一聴)。
 だってインストなんですもん。おいちょっと待てと思う。
 この曲って、若き日のボブ・ディランの詩人としての才能がほとばしる名曲だと思うわけですよ。歌詞は難解で理解しきれないけれど、でもその言葉の喚起するイメージの豊饒さは英語が不自由な僕でさえすごいと思うレベル。
 ノーベル文学賞の授賞式ではパティ・スミスがこの曲を歌ったというし、これが詩人ディランを代表する一曲なのは間違いないでしょう?
 ふつうそんな曲をインストでやる? それもコンサートのオープニングで。
 いやいや、おもしろすぎでしょう。
 ボブ・ディランという人は吟遊詩人的なイメージが強いけれど、じつはとても音楽至上主義的なミュージシャンだと思う。去年の来日公演を観てそう思ったし、今回このアルバムを聴いて、その姿勢はこの頃からぜんぜん変わってないんだなと、その思いを新たにした。
 それにしても彼の「歌」を期待して集まった日本の観客にいきなりインストナンバーをかまして、さらに二曲目には日本人は誰も知らなさそうなロカビリーのカバーを聴かすボブ・ディランって……。
 オリジナル盤がそれらをとばして三曲目から始まるのも致し方なし。
 でも逆にその二曲から始まるからこそ、このアルバムは素晴らしい。
 だってそっけないのはある意味そこだけだから。
 当時の最新アルバム『欲望』からの曲はわずか二曲だけで、あとはキャリアを総括するような代表曲がずらりと並んだサービスメニュー。
 オリジナル・テイクとアレンジが違う曲も多いので、もしもリアルタイムで聴いていたら「コレジャナイ」とか思ったりしたかもしれないけれど、いまとなるとその違いもディランの音楽性の一部だとわかっているので、十分に嬉し楽しい。
 ローリング・サンダー・レビューの流れを汲むのか、バンドもバイオリンにホーン、女性コーラス隊をフィーチャーした豪華編成だし、去年のミニマムでソリッドな演奏と比べると、その音の親しみやすさは段違いだ。
 一度くらいこういうディランも観てみたかったなって思わずにいられない。
 若いころにきちんと彼の音楽と接してこなかったことを後悔しつつ、その一方でいまこれが聴ける喜びをひしと味わえる素敵なライヴ・アルバムだと思う。
(Jun. 27, 2024)