2019年10月の音楽
Index
- だから僕は音楽を辞めた / ヨルシカ
- エルマ / ヨルシカ
- 今は今で誓いは笑みで / ずっと真夜中でいいのに。
だから僕は音楽を辞めた
ヨルシカ / 2019 / CD
今年の僕の音楽生活を語るうえで欠かすことのできない作品がこれ。
昨年二枚のミニ・アルバムで僕を虜にして以来、ずっとヘビーローテーションでありつづけているヨルシカ、待望のファースト・フル・アルバム。
先行した去年のミニ・アルバムの『負け犬にアンコールはいらない』はタイトルからしてネガティヴだったわけだけれど、このファースト・アルバムでもその辺の厭世観は変わらない(変わるわけがない)。
記念すべきデビュー・アルバムに『だから僕は音楽を辞めた』なんてタイトルつけようと思うアーティスト、おそらくほかにはいない。世を
タイトルの意味はべつにn-buna(ナブナ)の個人的な音楽業界への決別宣言ではなく、このアルバムのコンセプトによるもの。このアルバムはひとりの青年が音楽を辞めるにいたるまでの心情をアルバム全体を通して描いてみせたコンセプト・アルバムなのだという。
すべての楽曲は語り手の青年が日本を逃げ出し、ひとりスウェーデンを放浪しながら、エルマという恋人へ向けて書いたという体裁をとっている。そして、そんな物語の背景を補強するために、アルバムの初回限定盤は特製のボックス仕様になっていて、CDとともに彼がエルマにあてて書いた手紙の数々と現地で撮影したスナップ写真が封入されている。
手紙を読み、写真を手に取ることで、ナブナが描いた物語がより具体的なイメージを持って伝わってくる。
でもそれらはあくまで気のきいたおまけだ。音楽自体が伝えるイメージはそれだけで十分に鮮明だし、なによりそれが大事。
いろいろ聴きどころの多い作品だけれど、あえてこのアルバムで印象的な点をひとつあげるとするならば、それはこれが語り手と音楽との関係性をテーマとした作品であるにもかかわらず、主人公の青年が人生の糧として音楽を選んだ(選ばざるを得なかった)自分を決して幸せだとは思っていないこと。
彼にとって音楽は祝福であるより、むしろ呪詛に近い印象さえある。
もちろんそんな思いを音楽に託して表現している時点で、彼にとって音楽が悪いものであるはずがない。それでもナブナが自らを託した主人公には、音楽それ自体を無条件の「善いもの」として受け入れられない鬱屈がある。
これくらい魅力的な音楽作品が、それ自体のなかで音楽を呪っているという矛盾。「音楽を選んだ自分を馬鹿だと思う」という自虐の言葉と、そんな悪態の裏から溢れ出てしまう「だた一つでいい、君に一つでいい、風穴を開けたい」という真情。
そんな作り手の葛藤が疾走感あふれるロックンロールに乗せて歌われるこのアルバムは、僕にとってはこの上なく切実だった。とくに前の段落で引用した歌詞が出てくる『夜紛い』は上半期のヘビロテ・ナンバーワンだった(というか、いまでも繰り返し聴きまくっている)。今年の一枚を選ぶならばこれで決まりだろうって思った。――少なくてもこのアルバムが出た時点では。
ところが、これだけでも素晴らしいのに、そのリリースからわずか半年足らずして、その続編となるもう一枚のアルバム――その名も『エルマ』――が、別のメジャー・レーベルからリリースされるというサプライズがあるという――。(つづく)
(Oct. 23, 2019)
エルマ
ヨルシカ / 2019 / CD
ということで前作『だから僕は音楽を辞めた』からわずか四ヵ月半のインターバルで、同じ年の夏の終わりにリリースされたヨルシカのセカンド・アルバム『エルマ』。
タイトルでわかる通り、この作品では前作の主人公――この作品でエイミーという名前であることがあきらかにされる――から手紙を託された恋人、エルマが主人公となっている。
n-buna(ナブナ)がネットで語ったインタビューによると、エイミーからの手紙を受け取ったエルマが、彼の足跡をたどってスウェーデンの地をひとり旅しながら、彼の残した音楽を自らも模倣して作った作品群が今回のアルバムということになるらしい。
ということで、このアルバムの収録曲はすべてが前作と対になっている。収録曲数も同じだし、歌ものとインストの収録順もまったく同じ。で、曲名とその内容もみごとな対をなしている。
『藍二乗』と『憂一乗』。
『八月、某、月明かり』と『夕凪、某、花惑い』。
『詩書きとコーヒー』と『雨とカプチーノ』。
『踊ろうぜ』と『神様のダンス』。
「君に一つでいい、ただ穴を開けたい」と歌った『夜紛い』に対するのが『心に穴があいた』だったのは鳥肌ものだった。
そして『エルマ』と『エイミー』――。
アルバム単体でみたときのインパクトは前作のほうが強いと思うけれど、二枚のあわせ技として考えると、それぞれの相乗効果がはんぱない。
しかもナブナはここでこの二枚にとどまらず、過去作までをも回収にかかる。
初回限定盤は前作と同じように特別仕様で、今回は「エルマの日記」と称するノート形式になっていて、エルマとエイミーとの出会いから、エルマの旅の顛末が語られるのだけれど――それを最後まで読んで『エイミー』を聴くとなおさら感動的――、その日記の中では過去のミニ・アルバムに収録されたいくつかのナンバーがエイミーの作品であることがほのめかされている。
とりを飾る『ノーチラス』――ナブナがヨルシカのためにいちばん初めに書いた曲だそうだ――には「夏草が邪魔をする」というミニ・アルバムのタイトルがそのまま歌詞として出てくる。
つまり、これまでにリリースされたヨルシカの作品は、すべてがエルマとエイミーふたりの物語だと思って聴くこともできるわけだ。
以上、あまりに集大成すぎる。
このアルバムでもって、はやくもヨルシカの第一期が完結したと見てもいいのかもしれない。――って、ファースト・アルバムを出した年に完結してどうする。この先どうするんだろうとちょっと心配になってしまった。
いずれにせよ、個人的にはこれくらい夢中で聴けるアルバムが、ひと組のアーティストから一年に二枚もリリースされるなんてこともそうそうないと思った。僕にとっての2019年はヨルシカの年として記憶されることになるに違いない――。
――という予想を裏切るように、この夏、僕はもう一組のスペシャルなアーティストと出会うことになった。(つづく)
(Oct. 23, 2019)
今は今で誓いは笑みで
ずっと真夜中でいいのに。 / 2019 / CD
たまたまリリース直後にApple Musicで見かけて、こりゃなんだろうと一曲目の『勘冴えて悔しいわ』を聴いてみて、ぶっとんだ。
ヨルシカに夢中だった僕の生活に突如降って降りたもうひとつの超新星――。
ACAね(アカネ)という女の子の――たぶん個人プロジェクトなんでしょう――「ずっと真夜中でいいのに。」(通称「ずとまよ」)のセカンド・ミニ・アルバム。
いやしかし、この才能は破格でしょう?
──高速でダンサブルでフックの効いたメロディー。
──言葉遊び満載で意味不明ながら、なんともいえない切なさのある歌詞。
──高低自在なとてもキュートなボーカル。
──外注ながら完成度の高いサウンド・プロダクション。
とにかくその音楽を構成する要素がすべて最上級。
これだけバランスが取れた高品質なポップ・ミュージック、そうそう聴けない。
顔出しNGで、プロフィールどころか顔写真さえ公開されていないから、ACAねちゃんがどういう女の子なのかわからないけれど、おそらくイメージ的にはまだ二十代前半でしょう?
それでこんな音楽が作れちゃうって何事かと思う。
個人的には椎名林檎が出てきたとき以来の衝撃を受けた。
「ずとまよ」でいちばん最初にインパクトがあったのは、やはりその言語感覚。
歌詞はほとんどぜんぶ日本語なのに、なにを歌っているんだか、よくわからない。
いや、発音が不鮮明だからではなく、言葉としてはちゃんと聞き取れるんだけれど、脈絡が不明瞭で、意味がよくわからない。そもそもアルバム・タイトルからしてわけがわからない。でも、わからないのに、それでいて確実に胸を打つものがある。
ビートニク文学でケルアックなんかの詩を愛した人たちってこういう気分だったのかなとか思ってしまった。
で、単に歌詞が個性的なだけでなく、メロディーに対する言葉の乗せ方も素晴らしい。
たとえば『勘冴えて悔しいわ』のサビで「いつもゲラゲラ道を塞ぐ民よ」という歌詞が、最後だけ「ゲラゲラゲラ」と三回になるところとかに、ただならぬ言語センスを感じてしまう。難解な歌詞のあとに何気なく「帰るよじゃあね」みたいな、なにげない日常的なフレーズをさらっと絡めてくるセンスもすごくいい。
あと、ACAねの場合、個人的にはその歌声が「もしかしたら歴代の日本女性ボーカルでいちばんかも?」ってくらいに好きなのもヘビーローテーションの要因。高音のシャウトにはやや耳障りな感があるけれど、『眩しいDNAだけ』の歌い始めや『彷徨い酔い温度』のように、抑えめで歌っているときの声がむちゃくちゃ好み。よもや自分の娘と同じくらいの女の子の歌にここまで夢中になるとは思ってもみなかった。
とにかく、去年のヨルシカのときと同じように、この夏はこれと、ひとつ前のミニ・アルバム『正しい偽りからの起床』の二枚を、もう聴くのやめられないってくらいに繰り返し聴きつづけていた。頼むから去年ファーストが出たときに、誰か俺に教えてよって、愚痴りたくなるレベル。
これら二枚のミニ・アルバムにも収録された配信シングルの六曲を含むファースト・アルバムが今月末にリリースされることになっているのが、いまからもう楽しみでしょうがない。
ナブナとACAねの才能は十年にひとりってレベルだと個人的には思う(単にこれだけ好きになった日本のアーティストがRADWIMPS以来だからって話もある)。そんな素晴らしいアーティストに――誰に薦められるでもなく――わずか一年ばかりのあいだにつづけざまに出会えた自分を僕はほんとに幸運だと思っている。
(Oct. 23, 2019)