2017年2月の音楽
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- 東京の空 / エレファントカシマシ
- ココロに花を / エレファントカシマシ
- 明日に向かって走れ -月夜の歌- / エレファントカシマシ
- 愛と夢 / エレファントカシマシ
東京の空
エレファントカシマシ / CD / 1994
エレカシのエピック・ソニー在籍時の最後の一枚。
ひとことでエピック期とはいっても、このアルバムはそれまでの作品とはかなり毛色が違う。前作『奴隷天国』でバンドのリセットを試みたにもかかわらず、世間的に思うような評価が受けられなかったことが、宮本にさらなる奮起を促したのだろうと思う。
こうなりゃもう俺ひとりでやるしかないだろうよ──。
そう思ったかどうかはいざ知らず。少なくてもこのアルバムの宮本が創作に向かう姿勢はそれまでとはあきらかに違う。
そもそもジャケットからして違う。それまでは(唯一写真を使わなかった『生活』を別にして)つねにメンバー四人そろって表紙を飾っていたのに、ここでは初めて宮本がひとりでポーズを決めている。しかもいきなりの長髪をなびかせて。
その後ファンになった人には宮本の長髪はあたりまえかもしれないけれど、これを見たときには、そりゃもう驚いたもんなんです。なんたって男、男と、男を連発していた人が、いきなり女性並みのロンゲになっているわけだから。なにがあったかと思った。
このアルバムでの変化はそんな外見に留まらず、さらに大事な音楽面にも及ぶ。
オープニングを飾る『この世は最高!』は、楽曲こそ『奴隷天国』の延長線上だけれども、サビに宮本のボーカルをオーバーダビングしたコーラスがついていたり、ピュンピュン変な音が入っていたりする。タイトル・トラックにしてエレカシ史上最長の大曲『東京の空』ではジャズ界の重鎮、近藤等則氏のトランペットが大々的にフィーチャーされている。『誰かのささやき』ではアウトロがフェードアウトしているし、『明日があるのさ』には珍妙な語りパートがあり、とりを飾る『暮れゆく夕べの空』では、そこまでにつちかったレコーディング技術すべての集大成みたいな凝ったアレンジが施されている。
とまぁ、どれもほかのバンドにとっては特別なことではないんだろうけれど、エレカシにとってはあきらかな新機軸ばかりだ。それまでの「ロックンロール・バンドは基本的に一発録りでオッケー」という姿勢から、そうではなく細部まで気を配って少しでもいい音楽を作って届けようという姿勢へシフトしているのがわかる。
記憶がさだかではないけれど、宮本が立ったままギターを弾くようになったのも、たしかこのアルバムの前後だったと思う(それにもびっくりした)。
エレカシがブレークを果たすのはレーベルを移籍して次に出す『ココロに花を』だけれど、そこにいたるまでの実質的な変化は、エピック最後のこのアルバムの時点ですでに始まっていたわけだ。しかも宮本浩次のセルフ・プロデュースで。
とはいえ、その変化が僕のようなリスナーにとって喜ばしいものだったかといえば、残念ながら答えはノーだった。
いや、音楽的に手の込んだものを届けようという姿勢は否定しない。よりよいものと作ろうという意欲がなかったら、継続的にいい作品を生み出すのは不可能だろう。そしてこのアルバムが音響的にそれまでの作品とは一線を画したのは事実だと思う。
ただ、その副作用なのかどうか、このアルバムの楽曲はアレンジがどうとか以前に、曲そのものの質がそれまでとは違ってしまっている。
単純なところで、冒頭から三曲連続でマイナーコードの曲がつづく。これだけでもう以前のエレカシの作品とはずいぶんと印象が違う。
全体として見ればマイナーコードの曲はその三曲と、最後の『暮れゆく夕べの空』だけだけれど、『東京の空』がすごく長い曲なこともあって、最初の三曲だけで20分を超えてしまっている。昔のレコードでいえば、A面はずっとマイナー、でもって締めくくりもマイナーって、そういうアルバムなわけです。
それまでのエレカシの、ダウナーなことを歌いつつも旋律は明るいって作風を愛していた者にとっては、このアルバムのマイナー調にはいまいち同調しにくいものがあった。
で、メロディだけの問題で済めばまだしも、このアルバムの場合、歌詞もなんだかおかしなことになっている。
だって『真冬のロマンチック』とか、『極楽大将生活賛歌』とか、『男餓鬼道空っ風』とか、なにいいたいんだかよくわからなくありません?
少なくてもセカンドから前作までの宮本の歌詞には、共感することこそ多々あれ、首を傾げるようなところはほとんどなかった。例外は反語満載のファーストだけれど(「金がともだちさ」とか「目にさわる奴はとりあえず埋めよう」とか、あれが反語ではなくて本気だといわれるとすごく困る)、それにしたって言いたいところはある程度わかった。
でもこのアルバムは違う。少なくても僕にはなぜ『真冬のロマンチック』で「部屋はぽかぽかストーブ」とか歌っていた人が、最終的に「こうなりゃみんなで昇天さ~」というサビのフレーズにたどり着くのか、さっぱりわからない。
ちょっと前にRADWIMPSの野田くんがツイッターで「自分は声の響きさえよければ、歌詞でなにが歌われているかなんて、ほとんど気にしない」みたいなことを書いていたけれど、僕は違う。やはり何度も繰り返し繰り返し聴きたくなる曲、聴かずにはいられなくなる歌は、その言葉に心から共感できる曲ばかりだ(少なくても日本語の曲はそう)。
なので正直なところ、僕はそれらの意味不明な曲よりは、まだメランコリックな『もしも願いが叶うなら』のほうが好きだ。『東京の空』のほうが好きだ。『星の降るような夜に』のような、昔ながらのいい曲もあるけれど、この曲の場合、昔ながらなところが仇になって、ここでは浮いてしまった感じがするのが痛い。
もうひとつ失礼を覚悟でいわせてもらうと、『明日があるのさ』、この曲は当時エレカシ史上初の駄作だと思った。歌詞はバカみたいにタイトルを繰り返すばかりだし、メロディもとりたててよくないし。それまでエレカシって駄作と思わせる曲がひとつもなかったのに、この曲はあきらかに駄作だと思った。初めてこれを聴いたときのがっかり感ときた日には……。その後を見ても、エレカシでこれほどひどいと思った曲は、あとひとつしかない(それがなにかはあえて書きません)。
まぁ、その後はこの手の曲がどんどん増えたので、いまとなるととりわけこの曲がひどいとも思わないんだけれど、初めてのころはほんとショックだったと。そういう話。
とにかく、結局はそうした歌詞の面での変化がいちばんのダメージだった。このアルバムからは僕が前作まで感じていた百パーセントに近い共感が得られなくなってしまっている。それは宮本がそれまでの私小説的な世界観から、より開かれた世界へと飛び立つために必要な変化だったのかもしれない。そして結果としてその変化こそが彼らにその後の成功をもたらすことになったのかもしれない。それでも宮本がここで変わってしまったことは、僕にとってはとてもさびしいことだった。
このアルバムを聴くと、僕はサザンの『綺麗』を思い出す。『NUDE MAN』までのサザンのアルバムには、どんなフィクショナルな楽曲であっても、桑田佳祐という人の個人の感情が透けて見えるところがあった。そしてそこが僕には大きな魅力だった。
ところが『綺麗』ではそれがキレイさっぱりなくなって、全部が全部フィクションという印象になる。それこそ『旅男六人衆』のようなツアーの思い出を歌った歌でさえ例外でなく。
あたかもサウンド面での充実と等価交換したように、アーティスト個人の内面が見えにくくなったという点において、この『東京の空』は『綺麗』に似かよっていると僕は思う。もしかして優れたロック・アーティストは誰もが一度はそういう道を通るものなのかもしれない。
ということで、アルバム自体がアーティストとしての新境地を開いた意欲作なのはわかるんだけれど、個人的にはいまいち愛着の湧かない一枚。それが僕にとってのこの『東京の空』だった。
そして次からいよいよ問題のポニーキャニオン時代が始まる……。
(Feb 12, 2017)
ココロに花を
エレファントカシマシ / CD / 1996
初のヒット曲『悲しみの果て』が収録されたポニーキャニオン移籍第一弾。
世間的に見たらこれがエレカシの実質的なデビュー盤にして代表作ってことになるんだろうけれど、僕にとってはここからしばらく明るい暗黒期とでも呼ぶべき時期に入る。これを聴いてどれほどがっかりしたか、言葉にするのはむずかしい。
このアルバムについては、リリース以前からすでに不安いっぱいだった。先行リリースされたシングルとそのカップリング曲(どの曲もシングルより先にライヴでは演奏されていた)──『悲しみの果て』『四月の風』『孤独な旅人』『Baby自転車』――がことごとく、なにそれって曲だったので。
いや、『悲しみの果て』はいい曲だと思った。少なくてもライヴではじめてお披露目されたときには。でも3回聴いたら飽きた。
この曲は最初にライヴで聴いたときはアレンジがいまとは違っていて──少なくても僕の記憶では違う──「ただあなたの顔が~」の部分に石くんのギターが奏でる流れるような別メロが重なって、それがインディー・ロックらしい味わいを醸し出していて、とてもカッコよかったのです(……といいつつ、あまりに昔の話で、ほんとうにそうだったのか、いささか自信がなくなってきた)。
でもなぜか、いざシングルとなったその後のバージョンでは、そのギターがカットされてしまって、もっとシンプルな、正直いっておもしろみのないアレンジに替わってしまっていた。それに僕は当時とてもがっかりしたもんだった。なんでわざわざつまんなくしちゃっうんだよーって。なのでなおさら印象が悪くなってしまった感あり。
とにかくその曲を含めた先の四曲はそれまでの硬派な路線からのギャップが激しすぎた。それまで女性に対して「ペットのようなら飼ってもいい」なんて暴言を吐いていた男が、いきなり「ベイビー、ベイビー、自転車で~」とか歌い始めたんだから、どうしたって違和感は否めない。ライヴでは妙なコール・アンド・レスポンス始めるしさぁ。「ベイビー、ベイビー」じゃないだろうよ、ほんと……。
なまじ僕は過去の作品を全身全霊で愛していたので、拒絶反応がなおさら強くなってしまった。当時はそういう男性ファンが多かったんじゃないかと思う。このアルバムを機にファンをやめた人も少なくないんじゃなかろうか。まぁ、その何倍もの女性ファンは獲得したんだろうけれどねぇ……。
このアルバムの場合、そんな歌詞の面での変節だけでなく、サウンドに変化があったことも痛かった。
そのころたまたまライヴで会ったうちの奥さんの同僚(レコード会社勤務)は「これまででいちばん音がいい」といっていたけれど、僕にはまったく同意できなかった。あらためて聴いてみたら、最近のライヴでの音響に近い印象なので、なるほど、これはこれでちゃんとプロフェッショナルな仕事がなされていたんだなと思ったけれど、でも当時の僕にはそんなのはまったくアピールしなかった。それまでの不器用ながらも生々しい音作りを愛していた身としては、このアルバムのスムーズなロック・サウンドはすんなりと許容できるものではなかった。
なんたって、そのころの僕はエレカシを日本最高のグランジ・バンドだとみなしていたわけです。それこそ洋楽での比較対象はニルヴァーナだった。カート・コバーン(当時はすでに自殺していた)のシリアスさに日本で比肩しえる唯一のアーティストは宮本浩次だと思っていた。マジで。いまとなると、笑い話みたいだけれど。
そんな男がどうしてこのアルバムの内容で満足できようかって話で。ニルヴァーナに負けないようなヒリヒリした言葉とラウドな轟音を期待していたのに、出てきた言葉と音がこれって……。
このアルバムがリリースされるまでの90年代前半、僕にとっての日本のロックはイコール・エレファントカシマシといっても過言ではなかった。RCは解散、スライダーズも活動休止状態、サザンとも個人的にもっとも縁遠かった時期で、いまだ椎名林檎や BUMP や RADWIMPS もデビューしていなかったし、このころの僕にとっての日本のロックは本当にエレカシ一色だったといっていい。
そんなワン・アンド・オンリーなバンドの新譜がこれって……。
このアルバムでエレカシは初めて外部のプロデューサーとして、売れっ子の佐久間正英氏を迎えている。佐久間氏はスライダーズの『天使たち』を手がけた人だったので、そのアルバムが大好きな僕としては期待するところが大きかったのだけれど、結果として出てきた音がこれってのには、ひたすらがっかりさせられた。宮本の歌い方にしても、それまでが100だったとしたら、ここでは60くらいの力しか使っていない感じがする。
唯一の救いは当時のインタビューで宮本が、これのマスターテープをウォークマンで聴いていたら、あまりに腹がたってきて、思わず地面にたたきつけて壊した、みたいなことを語っていたこと。あ、本人でも一緒なのかと。宮本自身も満足いっていないと知って、ほんと救われた。
まぁ、このアルバムが箸にも棒にもかからないほど嫌いかというと、さすがにそこまでではないです。ライヴですでに聴いていた先の四曲の印象が悪かったのは前述のとおりなのだけれど──『悲しみの果て』と『四月の風』はともかく、『孤独な旅人』と『Baby自転車』はいまだに好きになれない──、それでもオープニングを飾る『ドビッシャー男』とか、ラストの『OH YEAH!(ココロに花を)』では昔ながらのエレカシを感じさせてくれたし、終盤の『愛の日々』『うれしけりゃとんでゆけよ』『流されてゆこう』の流れはけっこう好きだ(しかし、よもやエレカシの『愛の日々』なんて曲を好きになろうとは……)。つまり半分くらいの曲は気に入っていることになる。
でもいずれにせよ、いまだに過去を引きずっているオールド・ファンにとっては、このアルバムでのエレカシの変化はそう簡単には受け入れがたいものがあったぞと。そういう話でした。
ちなみにエレカシがキャリアの節目を迎えていたこの時期は、僕にとっても人生の節目だった。『東京の空』が出た翌年、このアルバムが出る前の年に、僕ら夫婦は結婚したので。つまりこのアルバムは、僕が新居で奥さんとともに肩を並べて聴いた初めてのエレカシの新譜なわけです(それなのに……)。おまけに僕はこの年に会社を辞めて、一年ばかり主夫もどきの生活を送っていた。そんな引きこもり男にとって、このアルバムのポジティヴ・モードはなおさら苦しかったのかもしれない。
そうそう、結婚といえば、僕らには結婚式でもエレカシ絡みのとっておきの逸話がある(ってのはちと大げさか)。聞いて驚け。なんと僕らは結婚式の披露宴のBGMに『生活』を全曲フルコーラスかけているのです。
まぁ、さすがに僕もあれを晴れの席でかけようと思うほど非常識ではないので、わざわざかけようと思ったわけではなく、たまたまのめぐりあわせでかかってしまったのだけれど──なにをどう間違うと結婚式で『生活』がまるまる一枚かかる状況になるかは語ると長くなるので割愛──、それにしたって都内の某有名ホテルのなんとかの間を借り切っての披露宴で『男は行く』や『遁生』をかけた夫婦なんて、世界広しといえども僕らぐらいなもんじゃないだろうかと思います。
おかげさまで大変楽しい式になりました。エレカシ愛あふれる新婚カップルの皆さんにはぜひ真似してみていただきたい。お薦めです(嘘)。
(Feb 19, 2017)
明日に向かって走れ -月夜の歌-
エレファントカシマシ / CD / 1997
エレカシ史上最大のヒット曲『今宵の月のように』を収録して、セールス的にも過去最高を記録したポニーキャニオン三部作の第二弾。
いきなり作品とは関係のない話で恐縮だけれど、僕が初めてPCを買ったのは前作『ココロに花を』が出た年の春のことで(退職金を半分近くつぎ込んだ)、そのころから誰に読ませるあてもなくこの手の文章を書いていたので、このアルバムのリリース当時の感想もちゃんと残っていた。
それを読んでびっくりしたこと(覚えてなかった)。なんと僕ら夫婦はレコード会社に勤めていた奥さんのコネで、このアルバムのサンプル盤を発売より一ヶ月も前に聴いたらしいです(なにそれずるい)。そのくせ、二人してやたらとがっかりしているという。なんとも罰あたりな夫婦だった。モッタイナイとはこのことだ。
まぁ、とはいえこの作品に関しては、全体的に前作を踏襲している時点で、そういうリアクションになるのは致し方ないところがあった。前作の出来に納得できずにウォークマンを壊したという宮本の怒りはどこいっちゃったんだよと思った。
そもそも収録曲11曲のうち、6曲がシングルでリリース済みってさぁ……。
最近でもあたりまえのようにやっているけれど、エレカシで新曲が半分にも満たない新譜はこれが初めてだったわけです。しかも前作に比べるとミディアム・テンポの曲が増えている。サウンドは前作の延長線上、新曲は少ない、スピード感まで薄れているときては、肯定できないのも当然だった。
さらにいえば、僕は曲名の平凡さにもがっくりきた。『明日に向かって走れ』に『風に吹かれて』に『恋人よ』ってなんなの? 吉田拓郎とボブ・ディランと五輪真弓のカバー? 『遁生』とか『曙光』なんてタイトルで孤高な曲を書いていた人が、なぜにいまさら自分の曲にそんな借りものみたいなタイトルをつけなきゃならないのか、不思議でしょうがなかった。
まぁね。とはいえ『風に吹かれて』と『恋人よ』はいい曲だと思う。歌詞はともかく、メロディ的にはとても好きだ。その2曲に『昔の侍』を加えた3曲が僕のこのアルバムのベスト3。
でもタイトル・トラックの『明日に向かって走れ』については、僕は吉田拓郎の曲のほうがよほど好きだった(中学のころファンだったのです)。僕らくらいの世代から下だと知っている人のほうが少なそうだけれど(おそらく宮本も知らないんだろう)、それがなまじ宮本の書きそうなラヴソングともメッセージソングとも取れる絶妙な味わいを持った曲だから、なおさら残念だった。同じタイトルをつけて先達に負けるようでどうすると思った(あちらは「あす」と読むので、正確には同名ではないけれど)。
そもそも、この時期から宮本はやたらと明るい未来だ、輝く明日だなんだと歌うようになったけれど、僕はそういう宮本にはいまだになじめない。
十代にして「明日くたばるかもしれない」と歌った椎名林檎が極端な例だけれど、昔から僕が好きになるアーティストって、いずれは死ぬ定めにあることが頭から離れないような人ばかりだ。明日がどうなるかわからないからこそ、愛する人と一緒でいられるいまこのときを心から慈しむ人。確かに生きているいま現在の喜びや悲しみを全身で表現せずにはいられない人。そんな刹那な人たち。「別れるために出会う」と歌った桑田佳祐だってそのひとりだと僕は思っている。
で、基本的に、明日がどうなるかわからないと思っている人たちは明るい未来を高らかに歌い上げたりはしない。かつて宮本が歌っていたとおり、明るい未来にはつらき今日が必ずセットでついてくる。そのつらき現在を無視して、明るいことばかり歌うのなんて絵空事だ。そういう嘘を暴いてこそロックじゃないの?
少なくても僕自身の経験からして、死にたいほど悲しかったときに僕を救ってくれた歌は、明るい未来を歌った歌なんかじゃなかった。本当に悲しいときには明るい希望の歌なんか聞けない。悲しみを癒せるのは悲しみだけだ。
べつに悲しい歌が好きなわけじゃないけれど、それでもわけもなく明るいだけの歌よりは、悲しみと真正面から向きあう強さを持った歌のほうが絶対に心に残るし、聴いた人を強くする。僕がまわりの誰よりも長く音楽を聴きつづけていられるのは、おそらくそういう歌と人よりも多く出会ってきたからだ。
宮本浩次という人はかつて僕にそういう歌をもっとも多く聞かせてくれた人だった。暗い現状認識を明るいメロディで鳴り響かせることで、誰よりも強く僕を励ましてくれてきた人だった。彼の歌があったことで、僕は過去にどれだけ救われたかわからない。
なのにそんな彼が──かつては誰よりもリアルにいまを歌っていた宮本が、僕にとってもっとも信頼できるはずだった歌うたいが──この時期に突然変わってしまう。それまでの「つらき今」を放り出して、輝く明日とやらへとつっぱしりはじめる。それもほかの人が使い古したような陳腐な言葉ばかりを並べたてて。そんな変化がそう簡単に肯定できるわけがないでしょう?
……というわけで、当時はほんとに文句たらたらだったんだけれど。
ひさしぶりに聴いてみたら、このアルバムが意外とよかった(あれ?)。『ココロに花を』のときにも書いたけれど、この辺のアルバムの音響って最近のライヴのそれに近いせいか、なんかすごく自然に気持ちよく聴けてしまった。
先にあげたお気に入りの3曲はもとより、このアルバム最大テンションのシングル『戦う男』のハードな演奏は当時から最高だったし(これでもうちょっと歌詞がよければなぁとは思う)、『月夜の散歩』もエピック期を思い出させる弾き語りナンバーで、いやおうなくぐっとくる。シングルのカップリングだった3曲も、ここに収録されたことを不満に思いこそすれ、曲自体はどれもメロディアスないい曲ばかりだ。
あと、やはり『今宵の月のように』が出色。いまでこそさんざん聴かされて飽きてしまっているけれど、好き嫌いはべつとして、この曲のサウンド・プロダクションはこの時期最高の出来だと思う。宮本の歌の伸びやかさと、キラキラと月の輝く夜空のようにすっきりと澄んだサウンドには、さすがにヒット曲と思わせる新鮮さがある。
とまぁ、全体的な歌詞に対する不満がなくなったわけではないんだけれど、あれから二十年もかけて似たような曲をさんざん聴かされてきたこともあって、すっかり免疫ができてしまったというか。もとよりメロディーメイカーとして優れ、ボーカリストとしての力量の秀でた人の作品だから、言葉にある程度距離をとってぼうっと聞いていると、それだけでけっこう気持ちいいよねって。もしかしたら世の中の多くの人はそういうレベルで宮本を愛してたりするんでしょうかね?
ということで、リリース当時はあまり好意的に受け取れなかった作品だけれど、いまさらながら、これがエレカシでもっとも売れたアルバムだってのに納得してしまいました。ポニーキャニオン時代ではもっともいいアルバムではないかと思います。
(Feb 19, 2017)
愛と夢
エレファントカシマシ / CD / 1998
エレカシ、ポニーキャニオン三部作の最後の一枚にして、通算十枚目となる記念すべきアルバム。
このアルバムがリリースされる少し前にうちの子が生まれているので(その子がこの春からは大学生だっていうんだから、月日の流れのなんて速いことか)、僕個人にとっても記念すべきアルバムと呼びたいところなんだけれど、よりによってそれがこれって……。
いや、今回このポニーキャニオン期のアルバム三枚をひさしぶりに聴き直して、このころの作品って当時思っていたほど悪くないなと思った。この時期のエレカシが大好きだって人がいるのもわからなくない。
『東京の空』以降ずっと書いているように、僕はそれ以前の宮本の歌詞が好きすぎたので、そこからのギャップで違和感何倍ってことで、この時期の作品を最初から毛嫌いしていたけれど、でも音響やメロディーに関していえば、決して当時思っていたほど悪くはないなと。ユニヴァーサルに移ってから現在に至るまでの活動が、ある程度ポニーキャニオン路線を踏襲していることもあって、それに慣れたいま現在から振り返ると、やや過剰反応だったかなという思いがなきにしもあらず。
とはいえ、では今回聴き直したことで印象が変わって大好きになれたかというと、さすがにそうはならない。やはり聴いていてさほどおもしろいとは思えない。悪くはないけれど、これといって特別なところがない。
ちゃんと好きといえるのは『はじまりは今』──この曲は完全にこの時期の作品の典型だと思うのだけれど、なぜにこれはオッケーなのか自分でもよくわからない──と『ココロのままに』くらい。あとは『おまえとふたりきり』は悪くないなと思う。残りの曲はいっちゃわるいけれど、ほとんど心に引っかかってこない。
それどころか『ヒトコイシクテ、アイヲモトメテ』については積極的に嫌い。『東京の空』のときに『明日があるのさ』を駄作だと思うと書いたけれど、この『ヒトコイシクテ』の場合、べつに駄作だと思うわけではなく、たんに嫌い。だって歌の世界が演歌か歌謡曲みたいじゃん。この曲のモードは僕の好きなロックのそれとかけ離れている。
僕はできれば演歌も歌謡曲も聴かないで済ませたいと思うほうなので、その手の音楽にきわめて近い印象のこの曲は完璧に趣味の外だった。エレカシの曲で好きではないのはあったけれど、はっきり嫌いと思ったのはこれが初めてだと思う。
いや、べつにそういう音楽を馬鹿にしているわけではないです、念のため。音楽の多様性は尊重する。人それぞれが好きな音楽を好きなように聴ける世界であって欲しい。ただ個人的に好きじゃないものは好きじゃないので、こればかりは致し方ない。
そういう意味では、『good-bye-mama』とか『tonight』とかにも、僕はそういう歌謡曲テイストを感じる。アルバムより先にライブで聴いたときには、その歌詞の世界にどうにもがっかりしたもんだった。この二曲は嫌いとまではいわないけれど、やはり好きにはなれない。
逆に『ココロのままに』はこのアルバムで唯一エピック時代を思い出させる曲調のナンバーで、とても好印象だったのだけれど、今回あらためて聴き直してみたら、これさえも歌詞がスカスカですごかった。
「はじまる~、はじまる~」って、あぁ、やっぱ始まっちゃうんだ。
「戦おう~、戦おう~」って、あぁ、やっぱ戦っちゃうんだ。
そんなフレーズを繰り返すばかりで、あとはとくにメッセージらしいメッセージなし。あぁ、これも結局は典型的なこの時期の歌だったんだなぁと……。
でも楽曲的には力強くていいと思います。うん、この曲はそれでもちゃんと盛りあがれる。そこは大事。
まぁ、なんにしろ、このアルバムはやっぱり歌詞の弱さが弱点って気がする。単純に宮本のボーカルとメロディ・センスに惚れ込んでいる人なら楽しく聴けるのかもしれないけれど、僕はやはりそれだけでは満足できない。
そもそも、宮本はこのアルバムでいきなり「僕」という代名詞を使ってラブソングを歌い始めるけれど、それって似あっていると思いますか? 母親をママとか呼んだことあるの? ってのも聞きたいところだ(俺はないぞ)。ハリーや野田くんも「ママ」って歌っているけれどさ。彼らと宮本はやっぱ違うでしょう? ひとりで火鉢かこんで茶瓶わかす人なんだから。やっぱそれらしい歌を歌っていてほしい。そういう宮本であってほしい。
このアルバムの歌詞にはどうにも付け焼刃な感が否めない。そんな似あわないラブソングを歌うくらいならば、以前のような破天荒なパワーで世間を騒がすような曲をガンガンやって欲しいと思わずにはいられない。だって、世の中には素晴らしいラブソングをかける人はほかにもいるけれど、宮本みたいな歌を歌える人はめったにいないんだから。
まぁ、宮本にしてみればこの作品は、これまでにない歌詞を書いて、バンドとしても初めて同期モノを取り入れてと、新しいチャレンジをしたアルバムなので、それなりに手ごたえはあったのかもしれないけれど、それって彼にとっては新しくても、音楽シーンでみればなにも特別なことではないわけです。当時のインタビューで彼が「聴いてくれた人にとって特別な作品になったと思います」みたいなことをいっているのを読んで、僕は「なにを根拠に?」と不思議に思ったもんだった。
だって、まわりを見てごらんよ。エレカシがポニーキャニオンに移籍してポップ路線に舵を切ったこの二、三年で、日本のロックシーンは本当に大きく変わったよぉ。すでにこの時期になると、エレカシは僕にとって日本で唯一のロックバンドではなくなってきている。いや、あいかわらず特別は特別だけれど、少なくても唯一無二ではなくなってきている。このアルバムが出たのは、まさにそういう時期だった。
参考までにこのアルバムがリリースされた1998年に、日本でほかにどんな曲がリリースされていたか調べてみた。僕のiTunesに入っているこの年のヒット曲や僕が好きな曲はざっと以下の通り(五十音順)。
THE YELLOW MONKEY 『LOVE LOVE SHOW』
奥田民生 『恋のかけら』
オリジナル・ラブ 『朝日のあたる道』
Cocco 『強く儚い者たち』
サザンオールスターズ 『LOVE AFFAIR ~秘密のデート』
椎名林檎 『幸福論』
スガシカオ 『愛について』
スピッツ 『楓』
SOUL-CIALIST ESCAPE 『日食の街』
Dragon Ash 『陽はまたのぼりくりかえす』
中村一義 『再会』
ミッシェル・ガン・エレファント 『スモーキン・ビリー』
どうです、なんかすごいことになっているでしょう?
これらのライバルを差しおいて、このアルバムのエレカシを聴く理由が僕には見つけられない。エピック期の作品ならばいざ知らず、この『愛と夢』という作品に関してはとくにそう。ラブソングを書いてサザンの桑田さんやスピッツの草野くんにかなうわきゃないじゃん、宮本。もっと自分らしい歌を歌おうよ。
ほんと、この路線がこのあともつづくようならば、きっと僕はいまごろエレカシを聴いていなかったんじゃないかとさえ思う。でも結局そうはならなかったのは、この次にあれが登場したからだ。そういうところは、本当に宮本ってすごいよなぁと思う。
(Feb 26, 2017)