2006年8月の映画
Index
- 男と女
- ブレイブ
- トゥー・ウィークス・ノーティス
- カンバセーション…盗聴…
- 雨に唄えば
- JAZZ SEEN
- ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯
- 孤独な場所で
- 脱出
- 酒とバラの日々
- アニマトリックス
- カラーパープル
- スポンジ・ボブ スクエアパンツ ザ・ムービー
- オズの魔法使
- ホワイト・オランダー
男と女
クロード・ルルーシュ監督/アヌーク・エーメ、ジャン=ルイ・トランティニャン/1966年/フランス/BS録画
「ダバダバダ、ダバダバダ」というテーマ曲で有名な恋愛映画。
主人公の二人は、男はレース・ドライバーで、女は映画製作スタッフ。ともに結婚相手を悲劇的な形で失ったもの同士で、幼い子供がひとりずついる。彼らは寄宿学校にあずけたその子供たちとの面会日に初めて出逢う。電車を乗り過ごした女が男の車に便乗させてもらうことになり、その道中に恋が芽生えるという展開。
彼らは次の面会日に子供らと四人で一日を過ごす。子供をだしにして親密度を深めるところが、いかにも大人って感じだ。その後、男はモンテカルロ・ラリーに出場して、幸運にも恵まれて優勝を果たすことになる。テレビで男の活躍を見守っていた彼女は、男に思い切った文面の祝電を送り、それがきっかけに二人は深い関係になるのだけれど……。
もっと甘ったるい映画かと思っていたら、意外とシニカルな隠し味が効いた、純愛なんていう言葉とはかけ離れた価値観を持った、くせのある作品だった。白黒とカラーの使いわけがはっきりとしないところが気になったけれど、それも終わってみれば、もう一度観て確かめたくなるような味わいを残しているから、きっとありなんだろう。子供たちのいかにも子供らしい、リアルなかわいさも印象的だった。
(Aug 05, 2006)
ブレイブ
ジョニー・デップ監督/ジョニー・デップ/1997年/アメリカ/BS録画
ジョニー・デップの初監督脚本作品。現時点では監督をしたのはこれだけらしい。
彼が自ら演じるのは、貧困のあまり軽犯罪を繰り返し、刑務所を出たり入ったりしているネイティヴ・アメリカンの青年ラファエル。彼は愛する妻子を救うため、殺人フィルムを撮影しようとしている車椅子の男(マーロン・ブランド)と契約を結ぶ。5万ドルで命を捨てることにした彼にあたえられた執行猶予は一週間。彼は迫り来る死への恐怖に苦悩しつつも、残される家族に対して、彼なりの不器用な愛情をそそぎ続ける。
家族を貧困から救うため、自ら拷問の生贄になって死ぬことを選ぶ。そういうのは「勇気」とは云わないんじゃないだろうか。前金として受け取ったかつてない大金を無駄に浪費してみたり、二度と刑務所には入らないと家族に誓いながら、逆上してその誓いを反故にするような行為に及んみたり。この作品の主人公の言動には、終始ある種の居たたまれなさがまとわりついている。ネイティブ・アメリカンの社会問題についての知識もないので、彼が置かれた貧困のシリアスさも理解し切れないという部分もあるのかもしれない。おかげでどうにも共感しにくい作品になってしまっている。
ピントのずれた勇気のありかたをシニカルに描いてみせた、というのならばまた違った味わいになったのだろうけれど、どうもそういう風でもない。語りのリズムも、いまひとつ流暢さに欠ける。感動的な要素を含みつつも、それが空回りしてしまっている印象がある。いったいどうリアクションしていいのか困るような、重い気分にさせられる作品だった。
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』 や 『Xファイル』 にも出演している老俳優、フロイド・レッドクロー・ウェスタマンが出演している。なんだかこの人、ネイティブ・アメリカンが登場する作品ならば、出ていて当然という雰囲気がある。
(Aug 05, 2006)
トゥー・ウィークス・ノーティス
マーク・ローレンス監督/サンドラ・ブロック、ヒュー・グラント/2002年/アメリカ/BS録画
金にもファッションにも無関心で、環境保護などの仕事にばかり熱心な女性弁護士ルーシー・ケルソン(サンドラ・ブロック)。きれいなばかりの女性秘書に食傷気味だった大企業の社長ジョージ・ウェイド(ヒュー・グラント)が、気まぐれでそんな彼女を秘書に抜擢。ルーシーは大事な文化遺産である市民センターの保護のため、敵とも云うべきウェイドからのオファーを受け入れる。しかし彼女はその才能を十分に発揮して、いつの間にか彼にとって、なくてはならない存在に。けれども、もとが水と油のふたり。ついに
まあ、特別出来のいい作品だとは思わないけれど、それでいて意外とおもしろかった。サンドラ・ブロックの垢抜けないところと、ヒュー・グラントの憎めない
この映画、ラストシーンのBGMがアル・グリーンの "Love Is Beautiful Things" だった。この前の 『恋する遺伝子』 はヴァン・モリソンの "Someone Like You" だったし(あれは曲名=映画タイトルだったけれど)、どうもこの手のロマンティック・コメディには、僕の好きなアーティストの曲が定番らしい。ちょっと恥かしい。
(Aug 05, 2006)
カンバセーション…盗聴…
フランシス・フォード・コッポラ監督/ジーン・ハックマン、ハリソン・フォード/1974年/アメリカ/BS録画
主人公ハリー・コール(ジーン・ハックマン)は業界きっての盗聴屋。最新の仕事では3本のマイクを使って、群衆の中を動き回るカップルの会話を見事に録音してみせた。ところがその仕事の依頼人が、ターゲットのふたりを殺すのではないかと疑い始めたことから、彼の精神の歯車が狂い始める……。
かつて自らの仕事が引金になって、子供を含む一家三人が虐殺されるという事件が起こったことをトラウマとして抱えるハリーは、良心の呵責を感じないですむよう、仕事を仕事と割り切り、盗聴内容に好奇心を示さないことをモットーとしている。そんな彼が、盗聴テープを編集して、カップルの会話を雑音の中から掘り起こしてゆく作業のなかで、次第にその会話にとりつかれたようになってゆく。徹底的に個人主義を貫く主人公の姿勢もあって、印象はきわめて地味な作品なのだけれど、その中にもなんともいえないやる瀬なさと、独特のすごみを感じさせる映画だった。ジーン・ハックマンが悪い奴に見えなかったのも初めてだ。
(Aug 05, 2006)
雨に唄えば
スタンリー・ドーネン、ジーン・ケリー監督/ジーン・ケリー、ドナルド・オコナー、デビー・レイノルズ/1952年/アメリカ/BS録画
僕はこれまでこの映画については、主演の三人が家のなかで踊りまわったり、ジーン・ケリーが雨の中で踊っているシーンしか知らなかったので、きっとこれは家庭をテーマにした地味なミュージカル・コメディだろうと、笑っちゃうくらいの見当違いをしていた。そんなものだから、スター見たさに群衆があつまったハリウッドのプレミア上映会のシーンから映画が始まった時には、違う映画を見始めてしまったのかと思ったくらいだった。なんとも間が抜けている。
それにしてもこの映画は笑えた。ミュージカルならではの気恥ずかしくなるようなシーンに対する失笑ではなく(それがなかったとは云わないけれど)、本当に笑えた。涙が出るほど笑ってしまった。主人公たちが手がけたトーキー映画の第一弾の試写会における滑稽さは本当に傑作だと思った。いやー、おかしい。このおかしさは、いまどきの日本のテレビタレントみたいなしゃべりかたをするリナ役のジーン・ヘイゲンに負うところも大きい( 『アルファベット・ジャングル』 にも出演していたらしいけれど、あちらの演技はまるで記憶にない)。
個人的には売り物のはずのミュージカル・シーンはどれもやや冗長に感じられてしまったのだけれど、それでもコメディとしては最近では一番笑えた映画だったし、シナリオも良いし、とても満足だった。見ているとタップダンスに挑戦したくなる映画だ。
(Aug 05, 2006)
JAZZ SEEN/カメラが聴いたジャズ
ジュリアン・ベネディクト監督/2001年/ドイツ/BS録画
往年のジャズのレコードジャケットで有名なカメラマン、ウィリアム・クラクストンの半生をたどるドキュメンタリー映画。幼少時代や青年期の再現映像を交えつつ、本人や関係者のインタビューをふんだんと取り入れた、なかなかおもしろい作品だった。やや酔っ払って観ていたので、どこがどうおもしろかったかっていうのは、ちゃんと語れないのだけれど。
クラクストンの奥さんのペギー・モフィットという人は、60年代のファッション界で一世を風靡したモデルだったとのことで、この映画でも旦那さんとの出会いのシーンから始まり、当時の活躍ぶりなどが詳しく紹介されている。もしかしたら旦那よりもこの人の方が、知名度は上なのかもしれない。白塗りに目元の強烈なメイクがトレードマークみたいで、歳を取ったいまも同じメイクをしているので、最初に見た時には、いったいこの女性はどうしちゃったんだろうと思った。ごめんなさい。
(Aug 15, 2006)
ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯
サム・ペキンパー監督/ジェームズ・コバーン、クリス・クリストファーソン/1973年/アメリカ/BS録画
原題は 『パット・ギャレット&ビリー・ザ・キッド』 。そのタイトルの順番どおり、どちらかというとビリー・ザ・キッドよりは、彼を殺した保安官、パット・ギャレットの方が主役という印象の映画だ。ギャレットを演じるのがジェームズ・コバーンで、ビリー役はクリス・クリストファーソン。この人はカントリー歌手としても活躍しているとのこと。
基本的に西部劇があまり好きではない僕がこの映画を見ようと思ったわけは、そのサントラを手がけているのがボブ・ディランだったからだ。意外なことに名曲 Knockin' on Heaven's Door はこの映画の挿入曲のひとつだった(老いた保安官が無情な死を遂げるシーンで効果的に使われている)。
ディランはこの映画に俳優としても出演していて、エイリアスと名乗る得体の知れない青年の役を演じている。この時はすでに30歳を過ぎているにもかかわらず、非常に若々しい少年のような風貌をしている。実際その風貌のせいか、映画のなかではギャレットに子供扱いされていたりする。
映画としてはいいんだか悪いんだか、よくわからない。西部劇の舞台設定に馴染みがないせいで、キャラクターの行動がいまひとつ理解できなかったりするのが致命的。終盤にビリーが昔の仲間のもとを訪れてみたら相手が保安官になっていたというので、いきなり決闘することになるシーンがあるけれど、あれなんてどうして決闘しなくちゃならないのか、ぜんぜんわからない。パット・ギャレットも、昔の仲間を殺そうとしていることに苦悩しているのか、それとも単に利己的な親父なのか、いまひとつわからない。サム・ペキンパーという監督の力量も測れないし、結局僕にとってこの映画は、ボブ・ディランの歌を聴き、若き日の彼の演技を拝むための作品というだけで終わってしまっている。
(Aug 15, 2006)
孤独な場所で
ニコラス・レイ監督/ハンフリー・ボガート、グロリア・グレアム/1950年/アメリカ/BS録画
ボガート演じる脚本家のディクソン・スティールが主人公。彼がある日きまぐれで自宅に連れ帰ったウエイトレスが、その夜のうちに殺害されてしまう。彼のアリバイを証明するために隣人の美女ローレル・グレイ(グロリア・グレアム)が警察に呼び出され、二人はこれがきっかけとなって知り合い、たちまち恋人同士となる。ところが殺人事件はいつまでたっても解決せず、警察はディクソンへの嫌疑を隠そうとしない。短気者のディクソンはかっとなって暴力をふるうこともしばしばだったこともあり、ローレルは次第にディクソンに対して恐れを抱くようになってゆく……。
なかなか見応えのあるいい映画だった。ヒロインのグロリア・グレアムは、いかにもこの時代の美女の典型という印象の、とてもきれいな女性だ。つんとすました感じの彼女が、ボガートと恋に落ちる展開がなかなかセクシーで良かった。
なんでもこの女優さんは監督のニコラス・レイの奥さんだったのだけれど、この映画のあとで、まるでこの映画を実演するように、離婚することになってしまったのだとか。
(Aug 15, 2006)
脱出
ハワード・ホークス監督/ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール/1944年/アメリカ/DVD
原作がヘミングウェイで脚本がノーベル賞作家ウィリアム・フォークナー、監督がハワード・ホークスで、主演はハンフリー・ボガートとローレン・バコール。しかもこれがのちに結婚することになる二人の初共演作にして、バコールのスクリーン・デビュー作ときたもんだ。この作品はそんな風に、もうこれでもかと鳴りもの入りまりの一本だった。
舞台は第二次大戦中のカリブの小島。トローリング船の船長をしている主人公のハリー・モーガン(ハンフリー・ボガート)が、バコール演じる昔馴染みの女性を助けるために、反政府活動をしている政治犯の密入国を助けることになるというもの。文豪ヘミングウェイの原作という割には、意外なくらい娯楽性の高い作品だった。
バコールの、デビュー作とは思えない堂々とした美女ぶりが印象的。最後の方で音楽にあわせて腰を振ってみせるシーンの、そのクールなルックスに似合わないお茶目さも意外性があっておもしろかった。
(Aug 15, 2006)
酒とバラの日々
ブレイク・エドワーズ監督/ジャック・レモン、リー・レミック/1962年/アメリカ/DVD
ブレイク・エドワーズという監督さんは、 『ピンク・パンサー』 や 『ブラインド・デート』 みたいな馬鹿な映画ばかり撮っている人だと思っていたので、こんなシリアスなドラマを作っていたことに、ちょっと驚いた。
アル中になって身を滅ぼしていく夫婦の姿を描くこの映画。なにが困ってしまうかって、奥さんの方が最初はまったく酒を飲まないって設定だ。チョコレートが何よりも好きだと云っていた女性が、旦那の飲酒壁に影響されて、自らも飲むようになり、やがて旦那よりも深刻なアル中となってしまう。これはなんともやりきれない話だった。
『失われた週末』 のように、飲んだくれ男がひとりで勝手に自滅してゆく分には、同じ酒呑みとして共感しないではいられないものがあるのだけれど、こういう風に幼い子供をないがしろにして、夫婦で破滅しちゃう話はちょっとばかりシビア過ぎる。 『男が女を愛する時』 もそうだったけれど、女性がアル中になるという話は、男以上にやり切れなさを煽る気がする。まいりました。
(Aug 16, 2006)
アニマトリックス
アンディー・ジョーンズ、前田真宏、 渡辺信一郎、 川尻善昭、 小池健、森本晃司、ピーター・チョン監督/2003年/アメリカ/DVD
『マトリックス』 のサイドストーリーを描く短編アニメのオムニバス作品。ウォシャウスキー兄弟により多くの日本人監督が起用されている。
『ファイナル・フライト・オブ・オリシス』 は映画版 『ファイナル・ファンタジー』 のスタッフによる実写と見紛うばかりのフルCG作品。白人が監督をしているのはこの作品だけだ。
『セカンド・ルネッサンス・パート1&2』 はアニメとしてはシリーズ中もっともオーソドックスな印象だけれど、マトリックス誕生の過程を描いている点では、このなかで一番重要な作品だろう。
『キッズ・ストーリー』 はアメコミ風の細かな線画のタッチが斬新。これが日本人の監督によるものだったのには、ちょっとびっくりさせられた。
『プログラム』 は川尻さんという、このなかでは最年長のベテランアニメ監督による異色戦国チャンバラもの。寺沢武一の 『コブラ』 っぽい雰囲気の作品だ。
短距離ランナーを描く 『ワールド・レコード』 はデフォルメされた絵のタッチや動きが 『ジョジョの奇妙な冒険』 の荒木飛呂彦を思い出させる。
『ビヨンド』 は子供と女の子が主役で、絵のタッチや庶民的な日本の風景をきちんと描いている点なども含めてジブリ風の作品。
『ディテクティヴ・ストーリー』 はトリニティーが登場する白黒ハードボイルドもの。見ていてなんとなく浦沢直樹を思い出した。とにかくこれに限らず、なぜだかマンガを連想させる作品が多いのが不思議だ。
最後の 『マトリキュレーテッド』 はアニメ版 『イーオン・フラックス』 を手がけた監督の作品とのことで、確かに言われてみれば絵柄があれと同じだった。ただこちらはCGを大々的に使っていたりもするし、金がかかっている分、絵がきれいかなと思う。ちょっとディズニーっぽいテイストもある。
以上9本、どれもなかなかの力作揃いだった。個人的に好きだったのは 『キッズ・ストーリー』 と 『ビヨンド』 。どちらも物語としては一番地味な気がするけれど。
(Aug 16, 2006)
カラーパープル
スティーヴン・スピルバーグ監督/ウーピー・ゴールドバーグ、ダニー・グローバー/1985年/アメリカ/BS録画
虐げられた黒人女性の人生を描くこの作品、根幹にある物語はかなりシビアなものだ。義理の父親にレイプされて二人の子供を産みながら、その子供たちを取り上げられてしまって奴隷のような生活を強いられている主人公のセリー(ウーピー・ゴールドバーグ)。彼女はミスター(ダニー・グローバー)に無理やり嫁がされ──セリーは夫の本名も知らないため、彼を単に「ミスター」と呼んでいる──、性的なはけ口を兼ねた家政婦として扱われる。気の弱い彼女には、そうした境遇から抜け出すことができない。
彼女の義理の娘となるソフィア(オプラ・ウィンフリー)は、差別に負けまいとする強さを持った女性だけれど、彼女の場合は、その勝気なところがわざわいして、セリーに負けず劣らぬ悲惨な人生を余儀なくされてしまう。彼女たちの物語は、描きようによっては、これ以上ないくらいの怒りをかきたてるネガティブなものだ。虐げるものにも、虐げられるものにも、ともに腹が立ってしまうたぐいの。
ところが、この話がスティーヴン・スピルバーグという人の手にかかると、ある種のコメディかと思うほどの、能天気で感動的な映画になってしまうからびっくりする。下地となったドラマの悲惨さが、スピルバーグの楽観的な演出と混ざりあった結果、重すぎず軽すぎずという絶妙なバランスの素晴らしいドラマに仕上がっている。これはちょっとしたエポック・メイキングなんじゃないだろうか。もっと重くなくてはと思う人もいるだろうけれど、僕はこれはこれでありだと思った。いや、とても感心した。
もうひとつ、この映画の注目したいのが音楽の使い方。黒人を描く映画では、彼らの音楽をいかに表現するかは大きな意味をもつ。 『ターミナル』 を見て、僕はスピルバーグという人には黒人音楽に対する素養がまったくないのだろうと思っていた(あの内容でサントラにジャズを使わない感性はかなり信じがたい)。だからこの映画での音楽センスの良さにはちょっと驚いた。女性歌手シャグの歌や教会のゴスペルなどのシーンが予想外に本格的だったからだ。
でもクレジットを見て納得。それらを手がけているのがクインシー・ジョーンズならば、それも当然だろう。逆に黒っぽくない、いかにもスピルバーグの映画にふさわしい交響楽的な部分もこのジャズマンが手がけているということの方が意外だった。まあ、考えてみればクインシー・ジョーンズさんの場合、マイケル・ジャクソンのプロデュースなんかやっちゃうくらいだから、ジャズマンという僕の認識が間違っていて、もともとこういう方面の音楽にも大いなる才能を持っている人なのかもしれない。
ということで当代きっての白人娯楽映画監督が、アリス・ウォーカーという黒人女性作家の原作を、クインシー・ジョーンズという先端的な音楽家のサポートを受けて、ほとんど黒人だけのキャストで映画化したこの作品。映像も非常に美しいし、アカデミー賞が取れなかったのが不思議なくらいの素晴らしい出来でした。
(Aug 20, 2006)
スポンジ・ボブ スクエアパンツ ザ・ムービー
ステファン・ヒーレンバーグ監督/2004年/アメリカ(吹替)/DVD
アメリカの大人気アニメ 『スポンジ・ボブ』 の劇場版。海の底のビキニ・タウンでハンバーガー屋の店員として働くスポンジ・ボブが、大事な店と町を守るため、ヒトデのパトリックとともに、生きて帰ったものがいないと言われる悪の巣窟、シェル・シティを目指して旅に出る。
子供向けのギャグ・アニメとしてなかなかよく出来ていると思う。大人が見ても退屈しないで、けっこう笑って観ていられる。英語ではスカーレット・ヨハンソンやアレック・ボールドウィンが吹替をやっているらしいけれど、僕は日本語で見てしまったので未確認。
残念だったのは部分的に実写を取り入れた構成だ。 『ロジャー・ラビット』 や 『スペース・ジャム』 のように実写とアニメの合成を売りにするタイプの作品ではないので、実写の部分がアニメとしての楽しさに水を差しているような気がしてしまった。
海パン姿で怪演を見せているデヴィッド・ハッセルホフという男優さんは往年の海外テレビドラマ 『ナイトライダー』 の主演の人だそうだ。
(Aug 27, 2006)
オズの魔法使
ヴィクター・フレミング監督/ジュディ・ガーランド/1939年/アメリカ/BS録画
愛犬トトともとに竜巻に飛ばされてオズの魔法の国にたどり着いたカンザスっ子のドロシーが、家に帰りたいという願いを叶えてもらうため、脳みそのないカカシ、心のないブリキ男、勇気のないライオンとともに、大魔法使いを探して、黄色のレンガの道(イエロー・ブリック・ロード)を辿ってゆく。西の魔女の妨害を受けながら……。古典的アメリカ児童文学作品が原作の傑作ミュージカル。
オズの国に着いたばかりのドロシーがマンチキンというこびとたちに歓迎を受けるシーンは、まるでディズニーランドの園内にイッツ・スモール・ワールドのキャラクターがあふれ出してしまったような印象だ。ああいう雰囲気が好きな人には、たまらなくハッピーな映画なんじゃないだろうか。個人的にはそれほど好みではないけれど。
しかしそうした個人的な好き嫌いは別として、この映像で1939年の製作というのはやはりとんでもないと思う。 『スミス都へ行く』 と同じ年の作品で、つまり 『カサブランカ』 や 『疑惑の影』 よりも古いって、それはちょっと信じがたい。これをリアルタイムで見た人々の衝撃はどれほどだったことだか、想像にかたくない。誰だったか忘れたけれど、この映画でドロシーがオズの国に着いて、セピア色の映像がフルカラーに変わった瞬間に自分の人生も変わった、というようなことを言っていた女優さんがいたけれど、それもわかる気がした。
(Aug 27, 2006)
ホワイト・オランダー
ピーター・コズミンスキー監督/アリソン・ローマン、ミシェル・ファイファー/2002年/アメリカ/BS録画
ミシェル・ファイファーとレニー・ゼルウィガーが共演している作品というので見ることになったのだけれど、二人ともあまり出番は多くない(というかゼルウィガーなんて出番は本当に少し)。主演はミシェル・ファイファーの娘さん役で、(すでに記憶がさだかでないけれど)のちに 『ビッグ・フィッシュ』 でユアン・マクレガーの相手役をつとめることになるアリソン・ローマンだった。
この娘、最初のうちはそれほど可愛いと思わなかったのに、ずっと観ているうちに、だんだんと可愛いなと思えるようになり、終わる頃にはすっかり気に入ってしまっていた(まあ惚れっぽい僕のことだから、よくあるパターンだけれど)。リドリー・スコットの 『マッチボックス・メン』 ではニコラス・ケイジと共演しているそうだから、それもいずれ観ないといけない。
あと、観終わったあとで配役を調べていておっと思ったのが、彼女のボーイフレンド役が 『あの頃ペニー・レインと』 の主演の少年パトリック・フュジットだったこと。あの映画の冴えない少年が、この作品では見事に冴えない青年に成長していた。
物語は、母子家庭に育った少女が、母親が愛人殺しで刑務所に入れられてしまったために一人残され、里親や施設を転々としながら成長してゆく姿を描くというもの。芸術家でエゴのかたまりのような母親に対して、娘のアストリッドは内気で非常にまわりの影響を受けやすい、ある意味平凡な少女だ。ひとりぼっちになってしまった彼女は、さみしさのあまり、身を寄せる先々でその環境の影響を受けて、髪型や服装を節操なく変えてゆく。
最初は芸術家の娘らしくシックでカジュアルな服装をしていたそんな彼女の変化は、ある意味コミカルでさえある。チープなピンクのボディコン・ワンピースから高級ブランドのブラウスをへて、最後にはゴス・パンク・ファッションにいたるのだから。母親のイングリッドは、自分と暮していた時とはあきらかに違う(しかも趣味の良くない)服装に身をつつんで面会にくる我が子の姿に失望を隠せない。
けれどもそんな彼女の主体性のなさこそ、この映画の
正直、微妙な関係にある母子の愛と葛藤を描いた物語としてみるには、やや語りが足りない印象があった。それでも、ひとりの孤独な少女の成長を、彼女の主体性のないファッションセンスの変遷に託して描いて見せた、一風変わった青春映画だと思って見れば、それなりにいい作品だと思う。
(Aug 30, 2006)