2004年2月の映画(下)
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黒いジャガー
ゴードン・パークス監督/リチャード・ラウンドトゥリー/1971年/BS録画
黒人探偵ジョン・シャフト(リチャード・ラウンドトゥリー)は黒人ギャングのボス、バンピー(モーゼズ・ガン)から、誘拐された彼の娘を探し出して欲しいと頼まれる。事件の背後には麻薬売買の縄張り争いにまつわる黒人ギャング団と白人マフィアとの抗争があった。シャフトは捜査の過程で知り合った過激派青年たちとともに少女の救出に乗り出してゆく。
アイザック・ヘイズの音楽をバックに、タフでモテモテの黒人探偵の活躍を描くハードボイルド・ムービー。公開当時はさぞや斬新な映画だったのだろうと思う。この辺の作品がタランティーノに影響を与えているのは間違いないのだろう。
ただそのタランティーノ作品を始めとした新感覚のクライム・ムービーが百花繚乱の今の時代にあっては、そうした斬新さはすでに味わうことができなくなってしまっている。もとより70年代の黒人ファッションなどにあまり惹かれない僕としては、残念ながら特別な感銘を受ける映画ではなかった。
(Feb 22, 2004)
テルマ&ルイーズ
リドリー・スコット監督/スーザン・サランドン、ジーナ・デイヴィス/1991年/BS録画
夫や恋人と離れて羽目をはずそうと、女二人で週末旅行に出かけたテルマ(ジーナ・デイヴィス)とルイーズ(スーザン・サランドン)。ところが途中で立ち寄ったバーでテルマが言い寄ってきた男にレイプされそうになり、そいつをルイーズが射殺してしまったことで事態は急変。憂さ晴らしの週末旅行は一転、メキシコへの逃避行へと変じてしまう。
女性二人の逃避行の顛末をユーモアとペーソスを込めて描いたロード・ムービーの秀作。この映画の成功の要因はテルマのキャラクター造形にある。特別頭がいいでもなく平凡、けれどそれゆえに腹がすわるとやばいことも平然とこなしてしまうという彼女のお騒がせな性格が、転落へ向かう二人の行動に見事な説得力とユーモアを与えている。ジーナ・デイヴィスのいまひとつ垢抜けないところも、そんな役とよくあっている(誉めているように聞こえないけれど)。ただ、個人的にはテルマ役が僕の好きな女優だったらば、かなり好きな作品になっていたかもしれないという思いもあって──ジーナ・デイヴィスはあまり僕の趣味ではない──、そうした意味ではちょっとだけ残念な作品だった。
(Feb 22, 2004)
ラウンド・ミッドナイト
ベルトラン・ダベルニエ監督/デクスター・ゴードン、フランソワ・クルゼ/1986年/BS録画
デイル・ターナー(デクスター・ゴードン)は酒で身を持ち崩し、パリへと流れてきた天才サキソフォン奏者。売れないフランス人イラストレーター、フランシス(フランソワ・クルゼ)は大のジャズ・ファンで、そんなデイルの知己を得て、彼のプレイを間近で聴けるようになったことに至福を感じていた。彼はデイルの現状を知って、この天才プレーヤーを立ち直らせるべく同居生活を申し出る。デイルはフランシスとその一人娘ベランジェールとの暮らしに癒され、ジャズ・プレーヤーとしての本来の輝きを取り戻してゆくのだったけれど……。
実在したピアニスト、バド・パウエルをモデルに、主人公をサックス奏者に置き換えて製作された映画なのだそうだ。デクスター・ゴードンという人も自身本物のジャズ・ミュージシャンなのだという。まあ、さもないとあんな風に見事な演奏シーンは撮れないのだろう。ゴードンさんは演奏シーンのみならず、アル中の演技も実に堂に入っている。あれが演技ならばアカデミー賞ものだと思うけれど、実際にはノミネートはされたものの受賞は逃している。残念でした。
そういえば僕はこの映画でハービー・ハンコックという人を初めて見たのだけれど、ルックスが全然想像していたものと違っていてちょっと驚いた。ま、ハービー・ハンコックというと80年代に馬鹿売れしたフュージョン系のアルバムのジャケット写真のイメージしかないんだから、驚いたもなにもない気もするけれど。なにはともあれマルサリス兄弟の誰かれ(何人いるかも知らない)に通じる雰囲気の人だった。最近のジャズ・ミュージシャンってみんなあんな知的で行儀が良さそうな感じなんだろうか。
(Feb 22, 2004)
いまを生きる
ピーター・ウィアー監督/ロビン・ウィリアムズ/1989年/BS録画
伝統ある全寮制の男子校ウェルトンに、同校の卒業生である新任の英語教師キーティング(ロビン・ウィリアムズ)がやってきた。因習的な英語教育を打破し、生きた言葉の魅力を伝えようとする彼の熱意に共感した一部の生徒たちは、学生時代のキーティングの真似をして、“死せる詩人たちの会”を発足させ、深夜の洞窟で詩を語り合い始める。会のメンバーは舞台俳優を夢見るニール(ロバート・ショーン・レナード)、自己表現のできない文学青年トッド(イーサン・ホーク)、奔放な行動家チャールズ(ゲイル・ハンセン)、恋するノックス(ジョシュ・チャールズ)など約十名。校則違反のスリルと仲間内での馬鹿騒ぎを存分楽しむ彼らだったが、やがて仲間の一人の不幸が原因となって、この集まりが彼らとキーティングを窮地に追い込むことに……。
この映画、金八先生みたいな教師と生徒の交流を中心とした物語かと思っていたら、ロビン・ウィリアムズの出番は思いのほか少なく、主役は完璧に少年たちだった。少なくても僕にはそういう風に見えた。だからこの映画でウィリアムズがアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされたというのはかなり不思議な気がする。
しかしウィリアムズの主演男優賞ノミネートよりも不思議なのは、この作品が最優秀脚本賞をとっていることのほうだった。
以下、ネタばれになってしまうけれど、僕はこの映画におけるニールの自殺という展開に、まったく説得力を感じなかった。初めての舞台を終えたばかりの夢多き青年が、父親の猛反対にあったからといってあんなに簡単に自殺するとは僕には思えない。ましてや彼が初舞台で主演を任されるような才能を持ち、グループ内ではリーダー格をつとめる積極性を持った性格だとなればなおさらだ。ああいうキャラクターが父親への反抗よりも自分の死を選ぶというこの映画のシナリオには、あまりに安直に過ぎる印象を受けた。
あえてこの展開を受け入れるにしろ、だとしたら子供の自殺という重いテーマを扱う以上、もっとニールの死が残されたものたちに与えた苦悩をしっかりと描いて欲しかった。エンディングはそこそこ感動的だけれど、あれじゃあ弱すぎる。単にお涙頂戴で終わってしまっている。ひとり学園のやり方に反抗して放校処分を受けるチャーリーのその後に触れずに終わった点や、ニールの死後、キーティングがその他の生徒たちにどう接したかを描いていない点がとても不満だ。
というわけでいいシーンも結構あったのだけれど、全体としてはもの足りなさの方を強く感じてしまった一作だった。
(Feb 24, 2004)
明日に向って撃て!
ジョージ・ロイ・ヒル監督/ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード/1969年/BS録画
壁の穴強盗団を率いるブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とその相棒、早撃ちの名人サンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)。懸賞首として腕利きのガンマンたちに追われる羽目になった二人は、恋人エタ(キャサリン・ロス)を連れてボリビアへ逃亡する。しかし強盗以外に出来ることとてない彼らは、その土地でもやはり銀行強盗を繰り返すことになり……。
いわば時代の変わり目にあって行き場所を失ってゆく無頼漢の姿をユーモラスに描いた西部劇の最終形態。といいつつ、この映画を西部劇と紹介するのはなんだか違和感がある。始まり方こそ西部劇らしいけれど、それ以降は西部劇の衣装を借りた現代劇という雰囲気になってゆく。
バカラックの名曲をBGMに、ポール・ニューマンが自転車を乗りまわすシーンが象徴するように、この物語は乗り物が馬から車へと変わりつつある時代を背景にしている。西部劇が成立する基盤となっていた時代背景が急速に失われてゆくなかにあって、前時代的な生き方を続けようとするアウトローたちはともにその輝きを失ってゆく。法からはみだした主人公二人は、物語の経過とともにどんどんヒーローらしくなくなってゆく。その姿は悲劇的であるというよりもむしろ滑稽だ。
あえて軽薄に振る舞うことで悲劇を喜劇に変えてやろうというような趣きこそ、アメリカン・ニュー・シネマと呼ばれるこの辺の映画の特徴なのかなと思う。
(Feb 29, 2004)
ハンナとその姉妹
ウディ・アレン監督/ミア・ファロー、バーバラ・ハーシー、ダイアン・ウィースト/1986年/BS録画
ハンナ(ミア・ファロー)の夫エリオット(マイケル・ケイン)はハンナの妹リー(バーバラ・ハーシー)に夢中。リーも悪からず思っているうちに愛人関係に引き込まれ、同棲中だった中年の画家と別れることになる。ハンナのもう一人の妹ホリー(ダイアン・ウィースト)はオーディション落選を繰り返す芽の出ない女優。男運にも恵まれず、ハンナの前夫ミッキー(ウディ・アレン)とデートをして最低の結果に終わったりしている。そのミッキーはといえば病気恐怖症が高じて人生を
いつもどおりあらすじもなにも知らずに見始めた僕は、最初から最後までずっとホリーが三女だと思って見ていた。ところが見終わってから妻と話をしていたら、彼女はリーが三女だという。ネットで調べてみたら彼女の言う通り、日本ではホリーが次女、リーが三女ということで意見が統一されている。ありゃ、おれはとんでもない間違いをしていたのかと思った。
でもね。正直言って僕にはリーが三女だと言われてもいまひとつぴんとこなかった。だって物語のなかで紹介されるリーの経歴を考えてみて欲しい。同棲中の画家と出会う前にアルコール依存症かそれに近い経験があり、中年の画家と同棲していて、一年前には相手からのプロポーズを望むようなシチュエーションがあったという。演劇一家にあって、さっさと自分の才能に見切りをつけて俳優の道を諦めている。少なくてもかなり人生経験は豊富な女性に思える。
一方のホリーはと言えば、女優志願でオーディションを繰り返しつつ、芽が出ないので親から堅気な仕事を紹介されたりしている。つまり、まだ人生の進路が確定していない年齢だということじゃないだろうか。ロックが好きだったりするし(趣味はよくないけれど)、キャラクター設定としては、ぜんぜんリーよりも若く感じられる。
ということでおっかしいなあと思いながらネットで英語のサイトを調べてみたところ、思ったとおり、英語圏では必ずしもリーを三女だと決めつけていないことがわかった。よく言って五分五分、印象的にはリーが次女という見方の方が多いんじゃないかという感じだった。次女、三女のような明確な言葉がない英語では、あの映画を見ただけではどちらがどちらとも言えないんだろう。実際女優さんたちの年齢ではバーバラ・ハーシーとダイアン・ウィーストは同い年だったし、ルックスでも判別しにくいものがある。そんな中、少なくても米Yahooの映画サイトでははっきりとホリーを三女と書いてあったので、どうやら僕の見方に極端な問題があったわけじゃないことがわかってほっとした。
結局、次女、三女という明確な言葉のある日本では、最初に公開された時にそういう順番で紹介されたために、以降それが定説となってしまったということなんじゃないかと思う。これには後半、リーが大学に通い始めるという展開も大きく影響している気がする。大学生なんだから一番年下だろうということで。でも前にも書いたように、それまでにあきらかになっているリーの経歴は、普通の大学生と考えるにはあまりにも波乱に富んでいる。どちらかと言うと同棲相手と別れて自宅に戻った彼女が、愛人のエリオットに触発されて学問に興味を抱き、他にやるべきこともないので大学へと通い始めたと見る方が自然だと思う。
まあ、ただこれだけあちらこちらではっきりとリーは三女と書かれているとなると、もしかしたら僕が知らないだけで、ウディ・アレン自身のインタビューかなにかで、リーとホリーの年齢設定をあきらかにするような発言があるのかもしれない。ただ少なくても映画の中では二人の年齢の上下を明白にするようなシーンはなかった。だとするならばそれを勝手に次女、三女と決めつけてしまうような紹介の仕方はいかがなものとかと、意固地な僕は思うのだった。
以上、まるで本題とは関係のない話ばかりになってしまったけれど、なにはともあれ、なかなかいい映画でした。
(Feb 29, 2004)
ピアノ・レッスン
ジェーン・カンピオン監督/ホリー・ハンター、ハーベイ・カイテル/1993年/BS録画
時は十九世紀のニュージーランド。主人公は再婚のため一人娘(アンナ・パキン)とともに未開の島へ渡って来たエイダ(ホリー・ハンター)。落雷で夫を失い、そのショックで口がきけなくなった彼女にとって、唯一の楽しみはピアノを弾くことだった。ところが新しい夫スチュアート(サム・ニール)はそんな彼女に理解を示さず、遠路遥々運んできたピアノを海岸に置き去りにしてしまう。スチュアートの下で原住民を統括するベインズ(ハーベイ・カイテル)は美しいエイダに魅せられ、土地と交換でピアノを引き取って、レッスンの名目で二人きりの時間を過ごし始めるのだった。
ニュージーランド出身の女流監督による傑作。いやあ、この映画はよかった。陰鬱な映像のシリアスな官能ドラマというイメージがあって、あまり乗り気のしないまま観始めたのだけれど、たちまちに魅せられてしまった。僕が勝手に抱いていたイメージに反して、陰影のある映像はそのままながら、やたらとユーモラスなシーンが多かったのが意外であり、かつ嬉しかった。
最初はピアノに対する情熱からベインズの言うことを聞いていたエイダが、そのうちに見つめられる刺激に快感を覚えるようになり、やがてそれなしにはピアノを弾く楽しみも味わえなくなって、ついには自ら進んでベインズに身を任せるに到るまでの過程の描き方がじつに見事だ。そうした官能的な場面を描く一方で、深緑を湛えた山林における原住民との生活をそこはかとないユーモアを交えて描き出しているため、変に扇情的な部分だけが浮いてしまうこともない。クライマックスにおける残酷さとやさしさが入り混じった悲劇の描き方も絶妙だと思う。本当にこの映画は素晴らしい。今回の映画強化月間における一番の収穫といってしかるべき傑作だった。
(Feb 29, 2004)
女は女である
ジャン=リュック・ゴダール監督/アンナ・カリーナ、ジャン=クロード・ブリアリ、ジャン=ポール・ベルモンド/1961年/DVD
「赤ちゃんが欲しい。それも24時間以内に欲しい」と迫るアンジェラ(アンナ・カリーナ)と、それに反対する同棲相手のエミール(ジャン=クロード・ブリアリ)。このカップルがアンジェラに思いを寄せるアルフレッド(ジャン=ポール・ベルモンド)を巻き込んで繰り広げる痴話喧嘩を、すっとぼけた音楽と鮮やかな色彩感覚で描いて見せた作品。
『勝手にしやがれ』 の翌年に公開された作品で、ゴダールとしては初のカラー映画なんだそうだ。それにしてはすでにこの時点で色使いが実に見事。カリーナの真っ赤なセーターが部屋の白い壁紙に映えることこの上ない。加えて音楽の使い方も頭が痛くなるくらい奇抜だ。ただ物語らしい物語がないので、おもしろいかと問われるとちょっと困る。
(Feb 29, 2004)
アラビアのロレンス
デヴィッド・リーン監督/ピーター・オトゥール/1962年/BS録画
実在の人物T・E・ロレンスの中東における活躍と苦悩を描く超大作。
変わり者のロレンス中尉(ピーター・オトゥール)は状況視察という曖昧な任務を得てアラビアのへ向かった。ベドウィン族と神々にしか愛されないというその不毛の地で、現地人が驚くほどの順応を見せた彼は、わずか五十人のアラブ人を率いて前人未踏の砂漠横断をなしとげ、見事トルコの軍港を攻め落として一躍英雄と見なされることになる。
砂漠の映像はものすごいし、ドラマとしても波乱万丈なのだけれど、主役であるロレンスという人物がなにをどう考えて行動しているのかわからなくて、その分、感情移入のしにくいところのある映画だった。ロレンスよりも砂漠横断の長旅を終えてようやく水にありついた駱駝に共感してしまったりして。
そう言えばアレック・ギネスとアンソニー・クインがアラブ人の役で登場しているのには驚いた。出ているとは聞いていたけれど、まさかアラブ人の役とは思っていなかった。しかも二人とも見事な成りきりぶり。芸達者な俳優さんたちだ。
(Feb 29, 2004)
サボテンの花
ジーン・サクス監督/ウォルター・マッソー、イングリッド・バーグマン、ゴールディ・ホーン/1969年/BS録画
妻子持ちの歯科医ジュリアン・ウィンストン(ウォルター・マッソー)との交際に絶望して自殺をはかったトニー(ゴールディ・ホーン)。彼女は危ないところを隣人の若い戯曲家イゴール(リック・レンズ)に助けられる。トニーの自殺未遂を知ったウィンストンは彼女との結婚を真剣に考え始めるのだけれど、実は結婚しているというのは交際相手と適当な距離を保つための口実で、彼は独身。嘘がばれたらトニーとの仲が危ないと思った彼は、自分の下で働いている看護婦のステファニー(イングリッド・バーグマン)に妻の役を演じてくれるように頼み込む。ところが彼女の思わぬ熱演が原因で、トニーとの仲はさらにややこしいことに……。
イングリッド・バーグマンとゴールディ・ホーンという新旧人気女優の共演が楽しいラブ・コメディ。これが初の主演映画となるゴールディ・ホーンが実に初々しい。そんな彼女とともに、既に五十代のイングリッド・バーグマンがダンスに打ち興じるシーンが実に傑作。この大女優の落ち着いたイメージに反していておかしいったらない。これも意外な収穫だった。
(Feb 29, 2004)
グッドフェローズ
マーティン・スコセッシ監督/レイ・リオッタ、ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ/1990年/BS録画
ギャングの世界に憧れ、ローティーンのうちからその世界に足を踏み入れた青年ヘンリー(レイ・リオッタ)。大泥棒ジミー(ロバート・デ・ニーロ)や危ない性格の親友トミー(ジョー・ペシ)を仲間とした彼は、二十代そこそこでいっぱしのギャングに成りおおせていた。ところが刑務所で得たコネから麻薬取引に手を染めたことにより雲行きが怪しくなってゆく。ジミーは史上最大といわれる強盗事件を成功させたことから疑心暗鬼に陥り、相棒のトミーは大物マフィアを殺したつけを払わされて処刑されてしまい、ヘンリー自身もついに麻薬取引がばれて危ない立場に陥り……。
血生臭く虚飾に満ちたマフィアの実像を描くギャング映画。とにかくマフィアなんてものはろくでもないんだと。 『ゴッドファーザー』 のスタイリッシュな格好よさを否定するように、スコセッシはこの作品で現代のギャングの救いようのなさを描いてゆく。それをもっともよく表しているのがジョー・ペシ演ずるトミーの存在だし、ヘンリーの新居のインテリアの趣味の悪さだと思う。
(Feb 29, 2004)