2018年10月の本
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闇の中の男
ポール・オースター/柴田元幸・訳/新潮社
このところのポール・オースターの作品には、かなりの頻度で作中作が登場して、メインのストーリーに平行して、もうひとつの物語が語られる。
この作品もそのひとつで、主人公の小説家が頭のなかで考えている物語──9.11を知らないもうひとつのアメリカを舞台にした不条理な内戦の話──が同時進行で語られてゆく。でもって、とてもテンションの高いその話が次第にメイン・ストーリーを侵食してゆく。
このふたつのラインの交錯が、なにが現実か、非現実かよくわからない曖昧模糊とした世界観を突きつけてきて、集中力を書いた状態でいい加減に読んでいたら、途中でなんだかよくわからなくなった。
前作の『写字室の旅』もよくわからない小説だったので、このところのオースターはまた初期のころのような抽象的な作風へと移行しつつあるのかと思ったら、そんなことはなく──。
途中でこのサイド・ストーリーが唐突にばっさりと切り落とされ、終盤は主人公の老作家とその孫娘のあいだで交わされる昔語りだけになる。でもって、まごうことなき読みやすさになる。なんなんだ、このいびつな構成は。小説の作法としておかしくない?
──と思って、過去のオースターの作品について、自分が書いた感想をチェックしてみれば、そこには毎回のように「いびつ」だ、「いびつ」だと書いている僕がいる。
あぁ、ポール・オースターってこれまでもずっとこういう小説ばかり書いてきた人なんだなぁって。それを読んで僕は毎回こりゃなんだと思っているみたいだ。
オースターの小説をそれなりに多く読んでいるのに、そのわりにはいまいち愛着を抱ききれないのは、この独特な作風ゆえなのかなと思った。
(Oct 08. 2018)
青ひげ
カート・ヴォネガット/浅倉久志・訳/早川書房/Kindle
ヴォネガットの長編も残すところ三冊となって、なんとなくもったいなくて読まないでいたら、前作から一年半も間があいてしまった。これは過去に読んでもっとも感動的だと思ったヴォネガット作品のひとつ。
かつては抽象画家としてジャック・ポロックらと並び称されながら、その後不幸な成り行きで落ちぶれて、いまは豪邸で抽象画のコレクションに囲まれながら孤独な生活を営んでいる隻眼の老人ラボー・カラベキアンが、ひとりの女性が人生に介入してきたことによって、心の傷を癒されてゆくというこの作品。
主人公が開かずの納屋に秘密のなにかを隠しているという設定のために『青ひげ』という物騒なタイトルがついているけれど、ヴォネガット作品のなかでもとびきりハートウォーミングで感動的な結末をもった作品だと記憶していたら、そこにいたるまでの展開はかなりシニカルだった。
ヴォネガット作品ではおなじみの主人公の手記として語られてゆくカラベキアン老人の半生には、心温まるところはほとんどない。波乱に富んだ彼の人生にはハッピーな出来事だって数多くあったはずなのだけれど、そういう部分にはほとんど触れず、コミカルな語りで失意のエピソードばかりがつづられてゆく。あれ、こんな話だったっけ? と思ってしまった。
でも逆にそういう話だからこそ『青ひげ』というタイトルなのかなという気もする。でもって、そんなだからこそ、謎が暴露されるクライマックスがなおさら感動的に思えるかもしれない。
そのクライマックスにしても、『スローターハウス5』などと同じようにヴォネガットの戦争体験が反映されたけっこう苦味のある内容なんだけれど、秘密が暴露されることで主人公がそれまでの苦悩から解放される、その解放感があるからこそ、そこまでの内容との対比でなおさら心を打つんだろう。
ということで全体的な内容はシニカルながら、ラストで一気にハートウォーミングになるヴォネガット作品のなかでは珍しい読後感をもった作品。
(Oct. 11, 2018)
文士厨房に入る
ジュリアン・バーンズ/堤けいこ・訳/みすず書房
イギリス人作家ジュリアン・バーンズの料理にまつわるエッセイ集。
わざわざこんな本を出すくらいだから、ジュリアン・バーンズという人は料理に関しては人並み以上の情熱をそそいでいるのだろうけれど、この本を読んでもその熱い思いがほとんど伝わってこない。そのへんが偏屈なイギリス人気質だかなんだか。
うちの奥さんなんかは、レシピの通りにものを作らないで、適当にアレンジするのが当然と考えている人なので、世の中にはそういう人が多いのかと思っていたけれど、バーンズ氏の場合は料理本のレシピを一言一句、文字通りに再現するのをモットーとしているらしく──やはり文章を書くことをなりわいにしているからだろうか?──、それゆえに絶えずその表現のあいまいさに悩まされることになるらしい。
ということで、この本を読んで印象に残っているのは、あまたの料理本に関する愚痴ばかり。レシピの通りに作ろうとしても作れたためしがないとか、適量とか書いてあるけれど、適量ってどれくらいだよとか。
だからこの本を読んでも、登場した料理が食べたくなるとか、みずからも料理に挑戦してみたくなる、なんてことはまったくない(少なくても僕はなかった)。
さらりと読める文章ではないけれど、かといって文学的な深みがあるでもないし、そういう意味では、ジュリアン・バーンズ氏の私生活の一端をのぞいてみたいとか、料理好き仲間としての悩みを共有したいとかいう人以外にとってはあまり楽しい読みものとはいえないと思われます。
あと個人的には翻訳がいまいちこなれていないのも気になった。あとがきの文章は自然なので、本文に関してはバーンズ氏の原文にてこずった結果なのかもしれないけれど、単なる文体以外の部分、とくに外来語のカタカナ表記で、「リコリス」を「リカライス」なんて訳していたり、『タイタニック』の主演女優の名前を「ケイト・ウィンズレット」なんて濁音で表記していたりとか、一般的に使われている言葉を無視しているところが気になってしまい、いまいち気持ちよく読めなかった。
(Oct. 28, 2018)